≪つづき≫
伊豆に入って2日目も快晴、無風。さっくりと早起きしてショップに行くと、ショップオーナーSさんの奥さんを含め他のお客さんも5人いて、いつになく賑やかです。いつものガイドのTさんの他に、忙しいときだけヘルプにやってくるT2さんもいました。T2さんも家族連れです。前夜にはみんなでバーベキューをやったとか。そんな季節になったのね……。
今日潜るのはショップの目の前の海です。最近この海ばかりで、正直私はちょっと飽きてきたのですが、キャンペーン中で値段が安いのと、仲間のYがまだ潜ったコトがないって理由で、今日も同じポイントに潜るコトになりました。1本目はボート、2本目はビーチからです。「海はハッキリ言って、濁ってます。昨日の透明度は2mくらいだったかなー。15mくらい行くと、ちょっと抜けるけどね。ただ、今日はどこに行っても同じだと思うよ。まぁ昨日よりは回復してると思うけど…」。なんと、海が穏やかすぎて春の濁りが留まってしまっているらしいのです。潮が入らないと抜けてくれない、と。うーむ、穏やかなのも良し悪しなのか。難しいなあ。
最初はT2さんがお客3人を、SさんとTさんが私たち4人+Sさんの奥さん+初心者の女性の6人をガイドするという組み合わせでしたが、器材をセットして船に乗り込み、ポイントについた段階で初心者さんがギブアップしてしまいました。船酔いです。波はほとんど無かったのですが、もともと乗り物に弱く、それにボートは初めてで緊張していたらしいです。可哀想ですがヘロヘロになった彼女は船に残し、Sさんを先頭にして残りの客5人が、どぼどぼシッティングバックで船の横腹から海に入りました。
「透明度が悪いので必ずアンカーロープ沿いに潜降すること。人数が多くて水面で集まってられないので、順次潜降してロープ下で集合」というのが事前の指示でした。が、私がアンカーロープのところまで泳いでいくと、そこには私の前にエントリーしていた友人3人の姿がありました。どうやらYがトラブっているようです。彼女が自分のドライを使って潜るのは2回目で、1ヶ月のブランクがあって、初めてのポイントで緊張していて、透明度が悪くて……とマイナス要素が重なって、あがってしまったようでした。他の友人2人がついていて私が割り込む余裕はなかったので、私は「がんばれー」と心の中でエールを送って、先に潜りました。ええ、薄情ですとも私は。
私の方は極めて順調に潜降しました。インナーが同じでウエイトも同じなのに、明らかにこないだよりも重く感じます。耳抜きも問題ナシでした。海の中はホントに見通しがきかず、ロープに沿って潜っていくと、先行していたSさんが5mくらいの深さのトコロにいて、「この深度で待機」の合図を送ってきました。言われたとおりに待っていると、Sさんの奥さんが下りてきました。でも私の友人3人とTさんがなかなか現れません。結局、Yは落ち着くコトができずにギブアップしてしまったのです。ギブアップ組が2人になったのでTさんも船で待つコトになり、潜るのはSさんと客4人だけになってしまいました。
アンカーロープ下で、ここんとこ落ち着いて潜れていないUのマスクの調子が悪くなり、「浮上させて!」と言い出すトラブルはあったものの、Sさんが上手に対応してくれたので、これ以上のギブアップは出さずにすみました。さて前日より良くなっているのを期待した海の状況は―――前日より、悪化していました。前の日は抜けていたという深場にまで、濁りが下りてきてしまっています。透明度だけで言ったら、今までで最悪かもしれません。ただ、流れやうねりはほとんどなく、寒くもなかったので、そう怖くはありませんでした。
しかしちょっと離れるとすぐに見えなくなってしまう視界の狭さです。私たちはSさんを見失わないように必死でした。カメラをあきらめて船上に置いてきたのも正解です。魚の姿もありません。何か見つからないかなーと、手持ちの水中ライトで照らしてみましたが、ソフトコーラルの色がぼんやり見えるだけです。透明度さえ良かったら魚がいなくても楽しめるくらい、ソフトコーラルが豊かで鮮やかなのにー。なんせこの日のログは「オオスジイシモチ、ナマコ、キタマクラ、以上!」で終わりです。あはは……(力なく)。
可哀想に、わが友人Kはこのダイブが100本目の記念ダイブです。水中で記念写真なんか撮れる状況ではないので、泳いでる途中に振りかえって「100本目、おめでとー!」と言うと、泣いてました。まあ春先に記念ダイブ迎えちゃったんだから、仕方ないよねお互い。徐々に水深をあげ、5mでの安全停止も今日は楽勝です。こないだは空気を全部抜いた状態でいっぱいいっぱいだったのに、今日はまだスーツ内に空気が残ってる。こりゃ慣れればもう1kgウェイトを減らせそうです。浮上の合図がSさんから出たところでスーツ内の空気をぜんぶ抜き、Slow表示が出ないようにゆーーーっくり深度をあげます。うーむ、今日の私は余裕があるなあ!
海面に顔を出すと、そこは浜と船のちょうど中間くらいでした。船に、Yが上がっていくのが見えます。私らが潜っている間にシュノーケルで遊んでいたらしいです。最初は「ちょっと遠いので船が迎えに来るのを待とう」と言っていたSさんですが、ちょっと波と流れがあり、ぼーっと浮いていると陸の方に流されるので、船に向かって泳ぐコトになりました。泳ぎはじめてふと見ると、Uがついてきていません。徐々に陸に近づいているようにも見えます。「大丈夫ー?」と声をかけると、必死で首を横に振ります。……どうしたんだ?
気付いたSさんがレスキューに向かいました。「泳げる?」「泳げません」「じゃあBCに空気入れて」「空気がない」「えっエア切れ!?」って会話が、風に乗って聞こえてきます。どうやらU、また空気を使い果たしてしまったようです。安全停止のときに浮きそうになって、またSさんと組んずほぐれつしてたから、そのせいかなあ……? 船までは少し距離があったので、SさんがグロッキーになったUを船に引っ張りあげたときには、Yも船酔いで苦しんでいました。とまっている船が一番酔いやすいんですよねえ。
波と帰りの船でやられてしまったUは2本目を断念しました。まあ、今日はムリしても潜りたくなる海じゃないので、仕方ありません。しかし4人で来たのに結局4人一緒には潜れないのが、残念です。陸上での日差しは強く、気温もかなり高かったので、ゆーっくり休憩をしてから2本目に向かいます。
≪つづく≫
今回のログはコチラ(103本目)。写真なし。
さあ5月。1日の日曜日は休養日で寝倒し、2日は暦どおり出勤。人が少なくてのんびり仕事ができるかと思ったけど、意外に出勤してる人がいて、やっぱり忙しいのでした(でも6日はかなり静かで、この2日の出勤のおかげで溜まってる仕事はほとんど片付けられた)。次にくる5月3日〜5日の三連休もいつもの4人組で遊んだのですが、1人が3日出勤になってしまったので、まずは3人で伊豆に向かって出発しました。
途中、湯河原あたりで遊ぼうかという話もあったのですが、伊豆のショップにダイビング器材を預けている私以外の2人が、ロッカーにはとても入らないサイズの大荷物を持っていたので、とりあえず宿泊所の最寄駅に直行します。昼前に出発しましたが、途中の電車は大混み。山登りや釣りのいでたちが多かったのはさすがにGWです。最初はこっちも車で……と考えていましたが、渋滞怖さに断念したのは正解でした。
宿泊所の最寄駅には何もないので、身軽になった後は当てもなく伊東まで出てみます。ここも一番賑やかな通りは観光客で大混み。……皆、何をしにきてるんだ? 私らも「伊東に出たら何かあるんじゃないか」で行ったんですが、結果的にはそう遊ぶトコロのない町なのですよ。海と温泉くらいしかない。海で遊ぶでもなし、遊べる温泉施設もなし、手頃なハイキングコースもなし……。とりあえず昼食を取った私たちは(友人の頼んだ金目の煮付けが絶品)、ぶらぶらと伊東大川沿いのお散歩コースを歩きました。
くだらないコトを話したり、川の魚を眺めたり、変な形の大木に感心したり、神社に寄ったり、地元の有名人らしき人のパネルを読んだりしながら、海まで出ます。友人が桐の花を教えてくれて、桐の箪笥がどうのこうのって話になったので、私が「桐の木で二棹できる縁遠さ」と口にしたら、2人に「ここに老人がいる〜」とバカにされました。ふん。曾おばあちゃんから教わったんだい! 川に沿って由緒ありげな温泉旅館が残っているのも、雰囲気あってイイ感じです。散歩道の終点はちょっとした公園になっていて、そこでぼんやりと海を眺めました。数日前の波はすっかり静まって、次の日のダイビングへの期待が膨らみます。
さて伊豆の宿泊所は去年の秋の台風でかなりの打撃を受けました。泊まるのはそれ以来なので、それなりの準備が必要です。台風まではしょっちゅう利用させてもらっていたので、調味料やら食材やら保存食やらのストックもしていましたが、大半はダメになっているコトでしょう。とゆうワケで、夕方になったトコロで早めに伊東を引き上げ、宿の最寄駅に戻り、食材その他を買い込んでタクシーを拾いました。
台風後は被害の目立った町の方はほとんど復旧していたのですが、宿に近づくにつれ……ぎゃー、地すべりの後が! ぎゃー、元の道が埋まったままで新しいのが作られている! ぎゃー、宿の隣の斜面にあった林がなくなってる! ぎゃー、宿の下の家の壁にはまだ泥の跡が! あの林が滑ってあの家まで流れていったのねっ! ……あのとき、この宿に泊まってなかった幸運を改めて感謝です。泊まってたら非難も何もできず、生きた心地がしなかったに違いないヤラれっぷりでした。
「予定より仕事が早く終わったから今日から行く〜」と、初日の深夜に残りの1人も合流し、久しぶりのフルメンバーでのダイビングに向けての準備は整いました。次の日に備えて、この日は早めの(と言っても日付は変わってましたが)就寝。山中湖は予想外に暑かったんですが、伊豆の夜は予想外に冷えます。
≪つづく≫
高野和明『13階段』読了。いつだったか前にも書いたけど、私が死刑制度に反対な一番の理由は、自分が人を殺したくないし、他人にも人を殺して欲しくないからだなーと改めて思った。冤罪だったら取り返しがつかないって理由も大きいけど。犯罪への抑止力になっているのかは正直よく分からないし、加害者の人権だとか更正の可能性だとかは、あんまり考えていない。基本的にやっちゃったコトはやっちゃったコトだと思うから。
でもこれが私刑――リンチじゃなくて仇討ちの方――となると、場合によっては容認しちゃうんじゃないかなぁとも思う。これも突き詰めると話が長くなるから割愛するが。でも『評決のとき』を読んで思ったみたいに、その復讐心を全ての人が共有して当然、むしろするべきって考え方をする人にはついていけない。『評決の〜』を読みながら「この考え方って“アメリカは世界の警察で世界のコトを考えて動いているのにどうして感謝されないんだ!”に通じるものがあるなあ」と考えてたのを思い出した。自分が正しいと認めてもらいたいもらいたいって、かの国が個人主義の国だってのはホントなのかしら、と疑ったコトを。
話がズレた。『13階段』そのものは、読みやすくてぐいぐい読まされるタイプの話で、一気に読んでしまった。仕事で外出中に読んでたんだけど、素直に帰ると残り20〜30ページを残して会社に着いてしまいそうだったので、ホームで10分ほど時間調整してしまったくらい。最後をあんな手紙で締めるってのはどうかと思うけど。も少し気持ちいい終わり方できたんじゃないかと思うけど。でも最章までの盛り上がりはかなり好きでした。あと実質半ページくらいしか出てこない南郷兄ちゃんに萌え。
≪つづき≫
山中湖畔のペンションで目覚めた4月30日。朝食(まあまあ)を食べ、チェックアウト。いかにもペンションらしく、素人くさい宿でございました(客への気遣いが足りないのを、フレンドリーさだと勘違いしてる感じ)。山中湖の周りでは、ガイドブックに載ってた気になる店を2つ回って、散歩なぞもしてから、花の都公園へ。ここは……うーん。無料で入れる公園周辺の花壇が、一番キレイでした。入場料払って入った内部は……まあ、一度なら、イイんじゃないかな。溶岩のコーナーは面白かったし。
山中湖対岸からの富士山
花の都公園の後は、忍野八海へ。小出康太郎さんの本で、忍野八海に潜ったダイバーの話を読んでから、行ってみたかった場所です。どっかの池で洗ってる椀を流してしまうと別の池に浮くって伝説があって、潜ってみたら実際外に現れているよりもずっと大きなドームがあるなんて、ステキすぎませんか?
その前に、「忍野といったら手打ち蕎麦でしょう!」と蕎麦屋で昼食。焼き味噌と何種もの薬味を入れて食べるお蕎麦が美味しゅうございました。そして今日のメイン、忍野は……忍野は……。蜂蜜好きのTo-koがふらふらと誘い込まれた蜂蜜屋さんで、ゆずシャーベット(蜂蜜がけ)を買って歩きながら食べたり、まず一番に目に飛び込んでくる湧池の水のキレイさに歓声をあげたり、手を水につけてその冷たさに悲鳴をあげたりしているうちは、良かったのです。でも……。
あまりに観光地化されすぎちゃってる! 友人の1人が「あたし、すんごい昔にココ来たことあるわ…。変わりすぎてて分からなかった」と言ってましたが、私はその変わる前の姿が見たかった! どんなにキレイだったコトか。湧池や中池(中池は忍野八海には入っていない)の水のキレイさは特筆ものでさすがですけど、よく見ると底の水草にヘドロみたいなもやもやした汚れがついています。「昔の八海の水草にはあんな汚れはなかった」と、観光客のおじいさんも言っていました。
忍野の中池。この透明度が…。
何よりも私らの興を殺いだのは、中池に隣接している土産物屋です。中池はコンクリートで周囲を固められてはいるものの、抜群の透明度があります。水深が10mもあるそうで、そこを見下ろしたときのすい込まれるような感覚には、ちょっとグアムの海を思い出してしまいました。けど! まず土産物屋を通らないと中池に行けないというのに、シラけます。もともとは中池に直接行ける通路があったようなのに、そこは塞がれているの! 土産物屋の中の中池に通じる通路を歩くと、店員が強引に声をかけてきます。腕を掴んで引っ張るんじゃないかってくらいの勢い。これがヒドい。いくら池が美しくても、帰り道にまたあの土産物屋を通らなきゃならないのかと思うと、台無しです。ちょっと気になる品がないでもなかったんですが、あの客引きの勢いで買う気が失せました。
今はまだキレイと言えるけど、これからは汚れていくだけだろうなと、なんだかどんどん悲しい気分になってきました。友達がすっかり怒ってしまって、んで誰かが先に怒ってしまうと後の人間はなだめる側に回らなくちゃいけなくなるのですが、でも情けなくなってくる気持ちは皆同じです。何というかな……。キレイな状況を保とう、守ろうという意識が見えないのです。自然を売り物にしてるくせに、それを長持ちさせる努力をしていない、目先のコトしか考えていない商売人が多すぎる。ばかじゃなかろか。
たとえば池にはニジマスがいて、周辺の土産物屋はニジマスの餌を売っています。湧池や中池には「池を汚さないよう、ここで餌はやらないでください」と注意書きがありますし、餌をやっていいのは養殖用の水槽とも示されているんですが、私たち、2人の子供に「ここでは餌やっちゃダメだよ」と注意しなくちゃいけませんでした。つまり、誰も気をつけて見ている人がいないし、餌を売るときに餌をあげていい場所を教えて徹底するコトもしていないのです。あれじゃ汚れるよ。
怒り疲れたトコロで賑やかな場所をちょっと外れ、富士の名水を売ってる店でコーヒーを飲みつつ気を落ち着かせます。でももうたぶん、忍野八海には、行かない。地名からして好きだったのになあ……。土産に生蕎麦を買って(これはコシがあって美味しかった!)、早めに帰路につきました。帰りも友人宅が近くまではすいすいと流れ、渋滞にはぶつかりませんでしたが、海沿いの道路に出てからはさすがに道が詰まり始めました。友人によると、GWのせいじゃくて、週末はいつもそうらしいです。
夕食には、まず友人ご推薦のカレー屋に行こうとしたのですが、これが「ディズニーランドか」ってくらいの行列ができていて断念。あれ、2時間待ちくらいするんじゃないのかなー。結局、友人宅のすぐ近くのビアホールでお疲れさま乾杯をしました。帰りは休憩もせずに車を走らせてくれた友人が相当疲れていたので、「次はレンタカー借りて順番に疲れようね」と予定をたて、GWの前半戦は終了です。後半は伊豆。ドライブ中に見た海は「おいおい台風?」ってくらい波が高かったので、それが落ち着いてくれるコトを願いつつ……。
遅ればせながらのGW日記。わざわざ混んでる時期に割増の値段で遠出をするのはバカらしい。けど何にもないのも寂しい、とゆうワケで、4月の29(金)〜30日(土)は1泊2日で山中湖畔へドライブ。5月の3(火)〜5日(木)は2泊3日で伊豆へ、って旅行日程ができあがりました。これならカレンダーどおりに出社しなくちゃいけない友達も、日曜日の出勤を外せない友達も大丈夫。29日は渋滞が始まらないうちに出発しちゃおうと、新車購入以来すっかり“みんなの運転手”になってしまった友人の家に、旅行仲間の4人(家の持ち主含む)が前日の28日から泊まりこみ、朝早〜くから山中湖へ向けて出発しました。
途中のサービスエリアで朝食をとった後も道路は詰まらず、「渋滞?何それ?」って感じで、8:30頃には山中湖に着きました。出発時には晴れ渡っていたくせに、途中では霧が立ちこめてやきもきさせた空も、湖に到着したときにはまた快晴に戻っていて、富士山が雄大な姿を見せてくれています。この日は石割山ハイキングコースを歩く予定。湖畔のコンビニで昼食を買いこみ、コースの出発点である石割神社の鳥居の近くに車を置いて、さあ―――げっ。鳥居の向こうに見えているのは延々と続く急勾配の階段じゃないですか。いきなりコレかい。
左:石割山登り口の階段上から/右:登山道の途中から
山登りって、歩き始めが一番キツいです。歩き始めて5分ぐらいで息があがってしまい、「おいおいこれで登れるのか私」と思っていても、そのうち慣れて楽になってくるもんです。それが分かっていても、その一番キツい最初にこの階段……。「ハイキングコース」と呼ばれるくらいの山であろうと、山に来るのは久しぶりで、体力の衰えが心配されますが、登らないワケにはいきません。階段は延々と続き、しかも微妙に後ろに引っ張られる感じで斜めになっていて、登りきるまで何度か休憩をしました。
階段の後にはゆるやかな登りが続きますが、この石割山のコース、日陰がほとんどありません。逃げようのない日差しは強烈です。さらにこの日は無風状態で、空気がそよとも動かないのです。暑い。つか熱い。うっかりしていましたが、山中湖の標高はおよそ1,000m。スタート地点ですでに相当空気は薄いのですねー。レンタカーじゃないので代わるワケにはいかず、一人で運転してきて疲れている友人は、この暑さの中でのいきなりの階段にヤラれて、日射病の症状が出てしまいました。
左:石割神社。そのせつはありがとうございました。/中&右:山頂で。
途中「ヤバいんじゃないか」とさえ思うくらいになった友人でしたが、だましだまし石割山八合目にある石割神社にまで辿りつきました。ここにある、このコース内唯一の日陰といってもいいひんやりとした空気のおかげで、ホッとしたコトに彼女の体調はかなりマシになりました。ご神体の割れ大岩からしみ出ている、万病に効くという霊水で頭を冷やしたおかげもあるかも知れません(―――ただの冷水でも効いただろうってツッコミは無しの方向で)。神社の先はいきなり道が狭くなり、いかにもの山道になります。なのに日差しのキツさは一向に変わりません。石割山、侮れず。
石割山の山頂はひらけていて、富士山がすぐ近くにくっきり見えました。小さな木がささやかな日陰を作っていたので、そこで一休み。遮るものがないから吹き抜ける風がとても気持ちイイです。一番ヒドいときにはドス赤かった友人の顔色は、この時点では「のぼせてる」程度まで落ち着いていたのですが、ここで横になって休んだ後は完璧に普通の顔色に戻りました。よよよ良かった〜。かついで下りるハメになったらどうしようかと思いましたよ。
たっぷり休んでから、尾根を歩いて平尾山へ。石割山から降りる急坂がカラカラに乾いていて、しかも掴まる場所がどこにも無いので、今にも滑り落ちそうな道です。あそこ、雨が降ったらどうなるんでしょう。転ばずに下りるのは至難の業だと思うんですけど……。30分ほどで、今度は山中湖と富士が一望できる平尾山山頂に到着です。ここも日差しを遮るモノのない山頂でしたが、すっかり元気になっていた私たちはここで昼食。汗かいたからか、コンビニで買った漬物がやけに美味しく感じます。
東京ではとっくの昔に散った桜が盛りでした。
うわー、こんなに季節が違うとは。
富士山を眺めながら「あそこまで登ったんだよね〜」と感慨にふけり、ついでに「悪天だったため実行できなかったお鉢巡り、来年あたり再チャレンジする?」と、そのとき高山病で倒れかけた友人に意地悪くもちかけ……。ここでものんびり休んで(私らが歩いたコースはさくさく歩けば3時間弱でいけると思います)、来た道を少しだけ戻ったトコロにある分岐点から、出発地点の鳥居を目指して下山しました。この下山コースもけっこう急で、膝が笑う笑う。でもこのルートは木陰を歩ける分、楽でした。
山頂では風が強くてバーナーに火をつけられなかったので、下山してから駐車場近くの東屋でお湯を沸かして、コーヒー休け……って、休憩ばかりしてますね。その後石割の湯(紅富士の湯よりも狭い。どっちも混みすぎだけど、人がいないなら紅富士の湯の方が長く楽しめそう)で汗を流した後は、待ちに待ったビールタ〜イム! 最初、アサヒしか置いてないのかと思ってガッカリしたのですが、友人が富士の地ビールがあるのを見つけてくれ、あんまり考えずにそれぞれが食券を購入しました。それをカウンターに差し出すと、どんっと置かれたのが、立派な中瓶。……普通こうゆうときって、2人で1本じゃないかしら……(←ビール飲みは2人だけ)と、自分でもそう思ったんですが、下戸の友達からも案の定ツッコまれました。でもあっさり飲み干したよ2人とも!
一度、その日泊まるペンションにチェックインしてから、夕食に出ます。宿はベッドが4つぎゅうぎゅうに置いてあるだけの部屋なんだけど、このシーズンに朝食付き6千円なら文句はいえません。もともと“泊まるだけ”基準で選んだし。食事に行ったイタリアンレストランはなかなか美味しゅうございました。ソフトシェルクラブの揚げたのや、地元の素材を使ったサラダを堪能してるうちに、外はだんだんと暗くなっていきます。もちろんまだ飲むので夜用のワインを買い込み、宿へ戻ったトコロで、1日目が終了です。
≪つづく≫
白状しますが、人の書評がキッカケで手を伸ばした本や知人から薦められた本が面白くなかったとき、読書メモに感想を書くのに手心を加えてしまうコトがあります。実際は「げーっ。ちょーツマラない。何がいいのよー」と思ったとしても、メモには「私向きじゃなかった」とか「面白いとは思えませんでした」と書くワケです。なんでそうするのかってのは説明が難しい微妙な心理なのですが、あえて言うなら2つ理由があります。
まず書評を書いた人・本を薦めてくれた人に対する遠慮です。特に薦められた場合、「せっかく教えてくれたのに悪いなー」って思っちゃうのです。書評書きさんに対しても、似たような遠慮があります。私が書評を読むのはネット上がほとんどですので、書評を書いた方のほとんどはもちろん私のコトを知りません。私のサイトを見てくれている本読みさんだって、読書メモまでは目を通していないでしょう。ですから私が何を言ったとしても、彼ら・彼女らの目には届かない可能性が大です。……でも、ナゼか筆が鈍ってしまうのです。
次に、私のコンプレックスらしきモンがあります。その書評を書いた人の知性とか批評眼、感性を評価していればしているだけ、「この人が褒めているものが分からないのは、私が悪いんではないかしら。私に知性やら感性やら読解力がないから、この本の良さが分からないのではないかしら」と心の奥底でかすかに思ってしまうのです。……たいへん恥ずかしいんですが。んで、あんまりいちいち意識もしていないそうゆう心理が働いて、本心とは微妙〜に違う本の感想を書いてしまうたび、むずむずと居心地の悪さを感じていました。
で、いきなりですが、このたび、もうそうゆうのは止めよう、と決意しました。たとえ私の読解力のなさを暴露する内容であろうと、正直に書こうと決めました。だいたい自分のために書いてる読書メモが正直でなくてどうするよ。ねえ? ―――と、こう思ったのは、とある人が書評で、昔は褒めていた作者を「飽きてしまった」みたいに書いていて、バカみたいな気分になってしまったからなのです。私はその褒めていた時点で本を手にし、面白くなかったけど手心を加えて読書メモを書いてしまって気持ち悪い思いをしたのに。……って、私が勝手にやっただけで、「みたい」じゃなくてホントにバカなんですけど。
んで更に「どうゆう風に手心を加えたんだっけかなあ」と探してみたら、なんと! 自分でもどこにどう手心を加えたんだかサッパリ分からない貶しっぷりでした。しかも読書メモじゃなくて日記にわざわざ書いてるし! あれ? ―――えーっと、今日の話の結末としては、「私は自分で自覚している以上に考えてるコトがダダ漏れなのだから、嘘をつこうなんて努力はしない方がイイ」ってコトでしょうか……? なんか話がズレた気がしますが。
よしながふみのマンガの魅力の一つは「食べ物がやたら美味しそう」ってトコにある。こないだ読んだ『愛がなくても喰ってゆけます。』は、その彼女の魅力を活かした美味しいレストランの紹介マンガ。一応フィクションだそうだけど、紹介される店は実在するので、安心して「行きた〜い」と思える。何のイベントもないのに行くにはちょっとお高い店もあるのだけど、全部の店が行動範囲内にあるので、折を見て行ってみようと計画中。
彼女が食いしん坊なのはどのマンガを見てもすぐに分かるのだけど、「人生を食い物に捧げてる」
なんて素晴らしい! 私も相当食いしん坊な自信はあるが、負ける。キッパリ負ける。でも食に対する貪欲さには感じるモノがあるよ〜。こうゆう人の描くものは読んでるだけで楽しい。誰かと食事をするなら、食べるコトの好きな人と一緒のが断然イイって、その理由がすごくよく分かるよな雰囲気のマンガ。―――いや、その楽しさを知ってる人には、言わずもがな、かな? しかし、どこまでがフィクションなんだろういったい。
*****
さて以下、過去日記。6月のサイパン旅行前に日付を追いつかせないと収拾がつかなくなりそうなので、4/10〜4/28まで一気に。
4月10日はエステティシャンの友人の家でフェイシャルエステをやってもらった。不規則な生活でさぞかし荒れているだろうと思っていたが、それほどでもないそうでホッとする。4月15日はいい加減おさまりがつかなくなっていた髪を切りにいく。アシスタントに入った男のコが妙に熱い目で担当スタイリストの手元を眺めていた。髪を乾かすのはそのコがやってくれたのだが、そのときも妙に丁寧に髪をいじっている。「勉強熱心なのかなー」と思って鏡越しにちらっと見ると、慌てて「スミマセン、変な意味で触っているんじゃないですから! 今年中にスタイリストデビューしたいんで、カットの仕方見てるんです」と弁解される。……いや、そこまで自意識過剰じゃないデスから、私も。
4月17日の日曜日は、前述の友人の家に今度はまつげパーマをかけてもらいに行った。前々から「覚えたいから実験台になってー」と言われていたのが、やっと実現したのである。ちゃんと経験のあるもう1人が教えるのだし、私としてもタダでやってもらえるなら願ったりで、軽〜い気持ちで行ったのだが……これがすんごい時間のかかる代物なのであった。もともと店でやるより丁寧な作業を、初めての人が慣れない手つきでやるので、「全部で2〜3時間」と聞いてした作業が終わったのはなんと6時間後!! その間ずっと目をつぶって寝っぱなしでさすがに体がこわばり、「なるほどタダってのはこうゆうコトかー」と納得。
あ、丁寧にやってもらったので出来はバッチリでした。目を開けた瞬間、まつげがあまりにもくるんくるんで笑っちゃったくらい。私のまつげ、短いけど量が多い、一番やりにくいタイプじゃないかと思うんだけど、上手にくるっと上げてくれました。つなワケで、珍しくもオナゴちっくなイベントが続いた1週間。
その次の週末はのんびり……つか、怠惰に過ぎ去った。シットコムの『Friends』1st〜3rdシーズンを見始めたら止まらなくなっちゃって、天気が良いってのに1日中部屋でTVに噛り付いていたのはこの週末じゃなかったかしら。改めて見てやっぱり好きだなーと思ったので、4th・5thをネットで注文。つかこれ、9thまで出てるのね? 私の中では6thで終わっていたよ。また忘れた頃に続き買っちゃう気がする。
さて次の週末は、待ち遠しかったGWである。
4月9日の話をもう一個。伊豆でダイビングをする場合、6時過ぎには家を出なくてはいけない。その日もいつものように、5時半に起きた。荷物は前日に作ってあるし、着替えをしたらすぐに家は出られる。家を出る前に私はトイレに行った。……ん? 開かない。見ると、ノブの窓――なんて言うの?鍵がかかってたら赤くなる部分――は赤くなっていた。トイレのドアの鍵は、内側からしかかからない。「こんな時間に入っているのか?」と不思議に思ってノックをしたが、返事はない。そのとき、妹の部屋から咳が聞こえた。私と妹は2人暮らしである。だ、誰?
じゃなくて。何かの拍子に鍵がかかってしまったようである。私は迷った。別に切羽詰っているワケじゃないから、このまま放っておいて出かけるか? が、それには不安が残った。妹が自分で対処できるだろうか? ウチの妹は世間的にはしっかり者らしいのだが、私と一緒だとどうも未だに妹モードになるらしく、全然頼りにならない。変なコトをやらかすんじゃないだろか。その日はさくっと起き、さくっと身支度ができたので、まだ10分の余裕があった。(………とりあえず、ドアが開くようにだけは、しておくか)。私はドライバーを持ってきてノブを外すコトにした。外側のノブの中心のネジ頭みたいのを回せば鍵が開くのは知らなかった。
ノブを外すと、あっさりと鍵は外せた。が、ノブのはめ方はあっさり分からなかった。元に戻すだけならできるのだが、鍵が上手く回らない。こりゃ、戻ってからゆっくりやらなきゃダメだ。出かける時間が迫っていたので、私は外したノブをドアの前に置き、伝言用の小さな黒板もトイレの入り口近くに持ってきて「帰ってから直すから、ドアを閉めないで使って!」と書いて家を出た。外側のノブが外れていたままだったので、扉は軽く開けておいた。メモも残した。一目見りゃ異常はわかる状態である。私は家を出るなり、この事件を忘れた。
伊豆のショップに着いたときである。携帯に妹からの着信があったのに気づいた。メールも入っていた。「電話して」とある。いや〜んな予感がして私は妹に電話をした。「何?」「To-koさあ、今日何時に出た?」「……6時くらい」「私さあ、7時に起きたんだけど、トイレに閉じ込められちゃって……」「はあ!?」「出ようとしたらドアが開かなかったんだよ」「って、入ったの?」「入ったよ」「ドア閉めちゃったの?」「なんで閉めるのよ!」「……なんで閉めちゃいけないのよ!」「だって閉めるなって書いたじゃない!」「どこに?」「黒板。つかノブが無かったら変なの分かるでしょ?」「起きぬけでそんなの気づかないよ!」。
後で友人にこの話をしたところ、たしなめられた。「To-ko、妹ってのはね、まず“大変だったね”と言ってあげなきゃダメなんだよ」と。たしかに私も電話を切ってからそう思った。だけどつい反射的に言ってしまったのだ。「なんで閉めるのよ!」と。私は「これなら絶対に気付くだろう」という状況にしてきたつもりだったのに。「わかる、わかるよTo-ko。でも妹ってのは、自分が大変だったのを訴えたいだけなのよ。だからまず労われないと逆ギレするんだよ」。―――その通りで、私はこの後妹と冷静な話し合いをするトコロまで持って行くのに、ちょっと苦労したのだった。
電話にまで話を戻す。妹から聞き出したトコロによると、閉じ込められた彼女は声を張り上げて助けを求めた。ところが私はとっくに出かけていたので、もちろん助けはこなかった。困った妹は窓の桟をへし折って窓から外に出た。しかし今度は家に入れない。そこで大家さんのトコロに行って合鍵を借り、やっと家に戻ったというのである。私は青くなった。窓の桟? どうなっていたのか全然記憶にない。家のダメージはどの程度なのか? 今借りているのは築40年の古家で、実はちょっと雨漏りがする。それを直してもらうのをお願いするつもりだったのに、ウチの連絡ミスで家を壊したなんて話の後じゃ言いにくいじゃないかー!
私が青くなったので、怒られていると勘違いした妹は逆ギレし、もうこれは電話じゃ埒が明かないと、「もうやっちゃったコトは仕方ないから。とりあえず帰ってから話聞く」と、私は電話を切った。そしてダイビングをし、友人と飲んでから家に戻った。家に帰ってまず被害状況を確認し、次の日に大家さんに連絡を入れ、結局トイレのドアも窓の桟もついでに雨漏りも大家さんの負担で直してもらえるコトになった。案じたほど大事にはならなかったのだけど、改めて妹との視界の違いに驚いたミニ事件であった。
でもさぁ。これ書いてて思い出した。前にスパスパか何かで長男長女を集めたグループと、弟妹を集めたグループの行動の違いってのをやってて、いい加減いい大人になっているのに行動が如実に違って「ああウチだけじゃないんだ」と、ビックリ納得したっけ……。三つ子の魂百までって、こゆコトなんだなあ。
11日に書いたコトも、とき325号のフラッシュがツボにハマったのも、根っこは同じなのです。「悪い結果がでたあとで、人がやらなかったコトを責め、すべきだったコトを並べ立てるのは容易だし、感情的になりすぎないのなら必要でもあるだろうけど、人がやったコトをちゃんと評価し感謝するのは絶対に忘れるべきではない」と、私が信じてるって話なのです。
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さて一昨日の書き忘れ。数ヶ月の間にブログに移行してしまったサイトもいくつか。前からその傾向はあったのだけど、ああこの人も、えっこの人まで、とちょっと残念。いやブログになっても全然変わらないサイトもあるんだけど。でも長文書きさんがブログに移行してしまうと、やっぱりまず残念に思ってしまう。ほとんどの方の文章が短くなってしまうんだもの。長けりゃイイってもんじゃなくっても、書くそばからマメにUPできるからか、あんまり練られなくなっちゃう気がするのよねぇ。
あと、長文書いたときに「続きを読む」をクリックしなくちゃ全部を読めない形には、どうも馴染めません。文章中毒の読み手のワガママでいうと、気軽更新用にブログをはじめても、長文はときどき書いてくれると嬉しいなあ。いやどんな形でも閉鎖されちゃうよりよっぽどイイんだけど……。
とゆう嘆きには全然関係ない話。小説やマンガで、流暢な英語を喋れるって設定の人を出す場合、本当に流暢な英語を書けないなら、書かないで欲しいと思う。マンガなら横書きにするとか字体を変えるとかで「ああ日本語じゃない言葉を喋ってるんだな」って思うじゃない。小説なら英語で喋ってるって状況だけを地の文でも分からせて、カッコの中は日本語でイイじゃないの。ときどきね、あるんです。簡単な一文だけがそこだけ英語になってるときが。それが出てくるとちょーーーー萎えるの。英語以外の言語ならちっとも分からない分、そんなに気にならないんだけど、英語は下手に少しは分かるからねぇ。
作者はムードを出したいだけだと思うのよ。んで「この程度の簡単な文章なら、英語の得意でない人にも意味が伝わるだろう」って台詞で使うんだと思うのよ。だから英語になるのはごくごく短い文章なの。だけどそれで「I want to know ホニャララ」とかやられちゃうと、海外滞在中に「君は日本人なのになんでそう文法がダメなんだ」と言われた私でさえ、「ここで“want to”は直接的すぎないかー?」とか思っちゃうのよねぇ。「冠詞はどうした!」とか(←これもさんざん注意されたなあ)。英語を自在に操るって設定の人物が、私ごときにツッコまれてどうするよ。
旅行に困らない程度に、私は英語が使える。けど下手。意思は伝えられても「“I want to”」の域を出ていない。ネイティブ(もしくは、ネイティブばりに喋れる人)の英語ってのは、それとは全然違うのよ。聞いてて「おお、そこから文章を始めるのか!」ってビックリするのよ。発想が違うって感じなの。自分じゃ喋れないけど、違いがわかる人って日本人には多いと思うんだけどなあ。皆さん、気持ち悪くないですか?
去年の11月からの忙しかった業務も一段落。その後すぐに巻き込まれた期末決算の仕事も落着。その間先延ばしにできる仕事を溜め込んでいたのだけど、そっちの整理もほぼ終わり。つーワケで今度こそ今度こそ、やっと落ち着いた気がします。しかし仕事が忙しいと時間が経つのが早いわね。去年の11月から、あっという間だった感がありあり。週日にゆったりと過ごす時間がほとんどないようなもんだったもんなあ。週末はダイビング→爆睡→爆睡→ダイビング→旅行→爆睡……とかそんな感じでしたし。
とゆうワケで、私生活で先延ばしにしていたアレコレにもちょっとずつ手をつけ始めました。おべんと日記をちょっとずつ更新して、ダイビング中に撮った写真も整理……はこれから。ダイビングログといえば、私は手作りのログブックを使っていて、某ガイドさんの真似をしてそこに「今日の目玉」のスペースをつくっているのね。そのダイビングで見た魚のうちで、一番印象に残ったのの絵を描くのです。こうすると魚の特徴を覚えられて、ログも後から見るのが楽しくて、一石二鳥。それが11月末からストップしていて20本近く溜まってしまっていたので、昨日しまい込んであった色鉛筆を引っ張り出して、ちょこちょこ描きはじめました。たーのしーい。こうゆう時間、ホントに久しぶりだなあ!
過去の行動記録も今月中にホントの日付に追いつかせる!(予定)。それから巡回サイトのログ読みも、やっとできるようになりました。私が巡回するサイトってニュース系は全然なくって、その人の文章が読みたくて行っているトコロばかりなので、過去ログもちゃんと全部読みたいのですよ。サイトによっては去年9月頃から全然読んでなかったりもして、読み応えあります。……つか、正直「これは私が好きでやってるのよー」と思っていないと、宿題をやってる気分になってきます(←ひでぇ)。いや面白いんです、楽しませていただいてるんですってば!
現在アンテナに入っているのがだいぶ片付き(←だから違うって!)、あとはアンテナに入れられないトコロをブックマークから飛んで、mixiも行って……これは、今月中には終わらないかなあ。しかし皆さん―――といっても個人的なおつきあいは皆無な方がほとんどなんですが―――いろいろありますね! たった数ヶ月のうちに結婚なさったり、出産なさったり、引越ししてたり。巡回サイトはそう多くないのに、その中で引越ししてる方が数名いらっしゃったのにはビックリしました。やっぱ春先は移動のシーズンなんでしょうか。
巡回サイトの過去ログを読んでいくのは、「読みたい本」リストの本を片付けていくのに似ています。リスト中のとある本を読んでいたら、その中で言及されている本も読みたくなってしまい、そっちがまた面白くてそこに言及してある違う本に手をのばし、ああちっともリストが短くならないよう!……ってトコロが似ています。とゆうワケで、千代子さんの4月6日の日記から飛んだにっけいしんぶん新聞の『今日の愛ルケ』を、読みふけってしましました。エロい話は好きだけど、渡辺淳一のはどうも“生臭い”話なだけって気がして、『失楽園』にも『愛ルケ』にもちっとも興味がないワタクシですが、こうゆうツッコミは大好きー。渡辺淳一に対する先入観もほぼ間違っていないようです。
冬香がエビになったり海草になったり一人水族館するトコロも、呪いをかけるトコロも、馬になるトコロも笑ったのですけど、久しぶりにモニタの前でむせるほど笑ってしまったのは、喉黒なのか鯵なのかってゆうツッコミ。ああ今思い出してもおかしいけど、なんでそんなにおかしかったのかよく分からん。たぶん読み続けて頭がバカになっていたからですねー。ある程度読んで頭をばかにしないと(飽きてきたなーと思った頃にでてきた)、ちっともおかしくない気もするから、あえて日付へのリンクはいたしません。しかしほとんど展開のない(らしい)話にツッコミ続ける記者さまには頭が下がります。長い長いログを頭から読んでしまった私もたいがい暇だなーと思ったけど、暇なくてなんで人生楽しかろう、ですよ。
あとはさとなおさんのサイトから飛んだサイトのフラッシュで、これまた久しぶりにぼろぼろ泣いたり(今更ですかすみません)。さてホントの“読みたい本”リストも、巡回サイトの過去ログのおかげでまた長くなってしまいました。皆さんなんでこんなに本を読んで、なんでこう魅力的な感想書くの〜!? やっと200冊を切りそうだったリストが、また300冊近くまで伸びました。嬉しいような、宿題のような。
ばかをばかであると責めたってどうしようもないよなあ、と最近思ってます。「だってばかなんだもーーん」と開き直るか、「ばかじゃないもん!」と反発するかしか、対応の仕様がないじゃない。「じゃあ賢くなりましょう」となれるもんなら、苦労はしないわ。ただ、ばかでも、自分で考えるコトはできる。回り道をするかもしれないし、トロいかもしれないけど、自分で考えられる。たぶん。
あと、結果を見て人を責めるコトがいかに容易であるか、とか。問題がおきてから「アレが悪いコレがいけない」と言うのは、誰にだってできる。結果が失敗って出てるんだもの。結果がでないうちに考えるコトが必要なんじゃないの? 自主独立の精神は自分勝手だとも評せるし、堅実な行動は冒険心がないとも言える。海外に飛び出して成功すればその挑戦は褒め称えられるし、途中で殺されでもしようものなら無謀だの危機管理がなっちゃないだの言われる。
いやだから人の行動を批判しちゃいけないって言うんじゃなくて。中にはどう好意的に考えても「脳みそあるの?」と聞かざるをえないタイプだっているし、「人間じゃない」と嫌悪感を抱いてしまう人だっているさ。ただねー、どうやっても失敗したときに人に批判されるなら。やっぱ考えなくちゃダメだ。そのときそのときで精一杯、未来を見通せない人間の足りない頭で、一生懸命に。「自分の良心に恥じないように」と言うといかにも赤毛のアンちっくだけど、そのとき最良のコトをやったと言えるように。
私の頭には限界があるし、見えないコトだって山ほどあるから、後から言われて「なんでそれを思いつかなかったんだろう! そっちの方がずっと良かったのに!」と後悔するコトだって多い。自分の視界の狭さにクラクラする。だから必要なんだ。広い視界を保とうとする努力と、自分の想像もつかない立ち位置を示してくれる他人とが。―――たった一つの正しい道なんか、いらない。
≪1週間前の(おい!)つづき≫
2本目のセッティングをしてから、港に隣接する漁業関係の建物の屋上に上って景色を堪能しつつ、無駄話。最近よく顔をあわせるおっちゃん(とてもそうは見えないけど、漁業関係のお偉いさん)から、シラス漁の話を聞かせてもらう。漁がある日に言ったら、格安の漁師値段でシラスを分けてくれると言うけど、ホントかなー。生シラス大好きだから、ホントだったら嬉しい。屋上は日差しを避ける場所がないので、体が温まったところでショップに戻り、Sさんにいろいろと教えてもらった。
「常に自分が何を求められているのか、考えろ」と、言われる。遊びのダイビングに何を神経質な、と思うかも知れないけれど、考えないと一緒に潜っている人に迷惑がかかるのだ。私が上手くなりたいなーと思ったのも、やはり他の人を待たせたくないからだった。初心者の頃はセッティングで手間取り、潜降にあたふたし、予期せぬ浮上からの再潜降に時間をかけ……と、とにかく他の人を待たせてばかりだった。おまけにエアの消費も早く、私のせいでダイビングの時間が短くなってしまったりもした。
「初心者が下手なのは仕方ない。けど、下手なら下手で、エアの消費が早いなら早いで、やるべきコトがある。それさえやっていれば、たとえ結果は同じでも“ガンバってたから仕方ないねー”と許してもらえる」。Sさんの話は“なるほど”で“気をつけなきゃなー”なんだけど、私らがここまで言われるようになったってのは、ある意味感慨深い。Sさんは段階を踏んで話してくれるので、「これを言っても出来ないな」って人にはあまり注意をしないのだ。……たぶん。私らの方に聞く余裕がなくて、言われても覚えてないだけかもしれないけど。まぁそれでも、聞く余裕ができたって意味で感慨深い。
ここでEさんが、「潜降してすぐにゲージを見るようにしてるんだけど、やけに空気の減りが早いときがある。今日もそうだったけど、何か理由があるんだろうか?」ってタイムリーな質問をしてくれた。私もUも気になっていたコトだ。「いきなり空気が減っててそれだけで慌てちゃうんだよねー」というEさんに、うんうんと頷く私たち。「ああ、今日みたいに外気温と水温の差が大きいと、空気が冷えて収縮しちゃうだけ」というSさんの答えは、あれ? 前に聞いたような気もするがすっかり忘れていたよ。でもこれで、潜降直後にがーんと空気が減っていても慌てなくてイイってのが分かってよかった。不安点は一個ずつ解消していかんとね。
ポイントが近いのでゆっくり休んでから2本目。透明度は相変わらずなので、ひたすら中性浮力を心がけながら、泳ぐ。2本目にはトビエイが2匹でてきて、寂しいダイビングでほんの僅かに気を紛らわせてくれた。さっきできなくて悔しかったので、「もう一度チャレンジさせてください」とお願いした5mでの安全停止、意地でもできるトコロを見せてやる!と、ダイコンと睨めっこして今度は成功。しかし専用インナーにしたらウエイト減らせるかと期待したけど、8kgでまだいっぱいいっぱいだなあ。がっかり。
浮上して船を待つ間にSさんに「今回はバッチリじゃん」と言わせ、鼻をうごめかせる負けずギライのワタクシ。UもEさんもバッチリだったトコロを見ると、2人とも負けずギライに違いない。片づけをしながら、練習したいスキルの話をしていると、Sさんが「練習するならウチはいいよー。ほかにゲストがいないときは付き合ってあげる」と言ってくれる。嬉しい。講習をタダでやってもらっているようなモノだもの。見た魚が少なかったので、ログ付けはあっさり終え、電車に乗る。帰途、ダイビング仲間のYとKと落ち合い、飲みながらGWの予定を決める。久しぶりに(11月の沖縄以来?)4人揃って潜れそうだ。
今回のログはコチラ(102本目)。写真なし。
決算決算決算で明け暮れた週日をすっ飛ばし、4月9日の土曜日。またもや伊豆である。前回のダイビングで死ぬ思いをしたUと2人で伊豆に入ると、馴染みのショップで待ち構えていたのは、笑っちゃうコトにまたもやEさんであった。なんでこう予約が重なるかなー。ちょうどキャンペーン中だったので、今日のポイントはショップ目の前、O崎の海のボートポイント。風は西だか弱く、海は静かだ。客3人にオーナーのSさん、ガイドのTさんの2人がつく贅沢構成で、船の出るセッティングポイントへと行く。
客の少ない贅沢構成はこのショップの魅力の一つ(しかし堪能できるのはオフシーズンのみ)だが、客が少ないとなるとSさんの講習モードの出現率があがる。「今日はボートだけど中性浮力の練習をしよっか。潜降はアンカーロープ使ってするけど、浮上はロープを使いません。浅いほうに移動しながら深度をあげて、5mで3分停止。水深はたぶん15mくらいだから、自分の下に10mあるコトになるね。船は俺があげたフロート見て拾いにきてくれるから。要するに、ドリフトスタイルの練習ねー。」
ときどき「うひー、勘弁してー」と思うコトもあるが、このSさんの講習は基本的にはありがたい。いろいろと教えてもらって、ずいぶん育ててもらったと思う。が、今日のこれは前回のトラブルで、ただでさえ緊張気味のUには酷だったかもしれない。もともとUは「できるかな」と不安になると緊張しすぎてしまう傾向があるのだ(私たち2人ともドリフト風のダイビングを経験してはいるが、そのときはウェットスーツだった。今回はそれよりも扱いに慣れていないドライでの練習)。
ともあれ、海。背中から海に落ちると、2週間前よりももっと春の濁りが入り、海の中は暗い。アンカーロープを手繰り手繰り降りていくが、かなり深くなっても海底が見えない。こりゃ透明度は5mないかな? 海底に辿りつきSさんを見ると、Sさんは水面を見てまだ待っていた。誰か潜降に苦労しているのかな、と周りを見回すと、いないのはTさんだけだ。どうしたんだろう? しばらく待ったがTさんは現れず、Sさんは「ゴメンね。一回全員で浮上」の合図を出した。ロープに沿ってそろそろとあがっていくと、水深5mくらいのところにいたTさんが「もう大丈夫」と言ってきたので、そこからまたUターン。が、Tさんはまた潜降できないようで、Sさんに「もういいから帰れ!」(←ひでーよSさん)みたいなコト言われてリタイアしてしまった。せっかくの贅沢構成が……。
ワケがわからないながらも再度海底に集合し、Tさんを除いた4人で海中散歩を開始する。ふとゲージを見ると、陸上で200あった残が、もう160になっていた。「うわー、消費しすぎー。上がったり下がったりしたせいかなー。自覚ないけど、緊張してるのかしら」。うねりも流れもないが、海は先が見えないってだけで十分怖いのだ。「落ち着けー落ち着けー深呼吸ー」と、いつもの呪文を繰り返しつつ、Sさんの後に続く。
この季節じゃ仕方ないが、しかし暗い。おまけに魚もいない。何かの大群がいるのだが、「何かがいる……」としか分からない。キラキラ光る銀の壁なんて夢のまた夢って感じだ。が、ボヤいてばかりでもツマラない。気持ちを練習モードに切り替え、中性浮力のキープを心がけて泳いでいると、Uが残圧80、の合図を出した。……えっ、もう? 慌てて自分のゲージを見たが、私のはまだ120くらいある。さっきからほとんど消費していない。やはりUは前回のトラブルを引きずっているのか?
その直後に出てきたネコザメをきっかけに、当初の予定どおり徐々に水深をあげてゆく。が、Uの空気の消費は異様に早い。トラブッたときの私を見るようである。残30、残10……。彼女の出す合図を見るたび、私までドキドキしてしまった。しかし助けるほどの技量がないのは悔しい。水深が7mくらいになったところでUの残はほぼ0になったようだ。SさんがUにオクトを咥えさせ、私とEさんに向かって「5mで安全停止」と言ってきた。
「OK」と答えたものの、私の体は安定しない。4〜7mをフラフラしてしまう。ナゼかというと、SさんとUがくんずほぐれつ団子のようになっていて、上がったり下がったりしているので、それに気を取られてしまったからだ。ちょっと離れればイイのだけど、それも上手くいかず、気づくと2人が頭の上に降ってくる。Eさんは上手いこと離れた位置をキープしているが、深度はちょっと深めだ。どれだけ経ったのか、Sさんが「浮上」の合図をしたときにはホッとした。こうゆうときの3分って、長い。
Sさんが浮上ポイントを示すフロートを出す余裕がなかったので、私らが海面に出たとき、船はまだ潜降ポイントにいた。けっこう泳いだと思ったのに、そんなに離れていなかったが。船が近づいてくるのを待っていると、Sさんが「なんだよ、皆、中性浮力取れないじゃん」と笑った。ちょっと悔しかったので「ウェットならできるんです! ドライだからです!」と反論するワタクシ。ちょと情けない。船に拾ってもらったときにはUはぐったりしていて、Tさんにそんなにハードだったのかと心配された。ところでTさんはドライへの給気ボタンの調子が悪く、空気が入りっぱなしになって潜れなかった(ホースも塩噛みしてて抜けなかった)そうである。
≪つづく≫
今回のログはコチラ(101本目)。写真なし。