バブリーな話かと思えば仕事の愚痴と、浮いたり沈んだりしているようだけど元気です。今日は季節外れのお出かけ仕事で郊外へ。だんだん濃くなる緑、タンポポや菜の花の黄色、はこべの花、リゲルの小さな青、蓬の葉の裏の白、田植え前の田んぼに舞い降りる白鷺(っぽい鳥)なんかにニマニマしながら、散歩気分で楽しんできた。冬に集中するお出かけ仕事が、今の季節に移ってくれたら楽しいのになー。全然関係ないけど今、マルティン・ベックのシリーズが読みたくてたまらない。
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4月2日の土曜日は、桜を迎えに南へ向かってドライブ。昼ごろの出発となったので、とりあえずは小田原城を目指して出発した。お城なら桜くらいあるだろう、という安易な考えに基づいての目標設定である。うららか、というのがぴったりのドライブ日和だったので、せっかくだから海沿いの道を行こうと、三浦半島の付け根あたりから江ノ島を左手に134号をひた走り、そのまま西湘バイパスに突入。風が強いと波に襲われ、すぐに閉鎖になってしまう道路だそうだが、おだやかな日和のこの日はただただ気持ちのいい道である。左手に広がる海は鏡のように凪いでいて、潜りたい気持ちを掻き立てる。くそー。
必ずと言っていいほど渋滞する、という湘南大橋もあっさりと過ぎ、無事に西湘に入れたトコロで、もうちょっと遠くまで行けそうだね、と、目的地を真鶴半島に変えた。国府津を過ぎ早川を過ぎ、真鶴道路に入ったところでいきなり山並みが視界にくっきり飛び込んできた。春霞のせいかそれまで山並みは遠く、富士山も見えなくて残念に思っていたのに、ビックリ。出発が遅かったので時間はすでに14時に近く、おなかも空いている。半島に突入したときには、海の幸で頭がいっぱいの食欲魔人になり果てていた。ところでドライブとなると三浦半島と房総半島をすでに巡っている私たちは、ひょっとして半島好きなのか?
「先端まで行こうよ!」と先っぽ好きのTo-koに煽られ、岬を目指す私たち。途中に案内図があったので降りてみると、ウォーキングコースがいくつかあるようだった。「いいねー、今日は時間ないけど、また今度来ようか」と、また遊びたい場所が増えてしまう。ところでお目当ての桜だが、まだほとんど開いていなかった。「意外と都内と変わらないもんだね」とちょっとガッカリ。この日からの暖かさで、2日後には都内でも一気に咲いたんだけどね……。ウォーキングコースはまた今度、と言った私たちだったが、「やっぱ先っぽまで行っておきたい…」「じゃあちょっとだけ」と、岬の先端に建つ真鶴ケープパレスから海岸へと降りてみた。
菜の花と海。曇って見えるが快晴。
海はベタ凪ぎ。沖に見えるのが三ツ岩。
降りてみると水平線がぐるっと300度近く見渡せ、たいへん気持ちいい。沖には三ツ岩と呼ばれる、変わった形の岩が見える。真鶴半島の景勝地になるのかな? どうせならそこまで行こうかと思ったが、空腹がそろそろ限界なので、今回は断念した。しかしこの日の海は本当に本当に穏やかだ。波打ち際にはまだまだホンダワラがもっさもっさしているが、それでも潜ってみたくなる(たぶん中は濁っているんだろうけどね)。適当な食堂に入り、遅めの昼食。庶民的な見かけの店なワリに高くて驚かされたが、刺身の盛り合わせは迫力モノで、「まぁ、たまにはイイか」という気分になった。小振りのアワビがたいそう美味しゅうございました。
あまりの量にビックリ。
だいぶ日が長くなってきたせいかまだ昼過ぎな気分だったが、店を出たときは16時を回っていたので、帰路につく。途中で干物を土産に買い、小田原で温泉施設に寄る。ここがなかなか広くて、しかも空いていて、快適だった。ここの入浴料金も高かったけど、まあ満足かな。マッサージまで受けて4時間も施設を堪能し、出発地点の友達の家まで戻る。私の家はそこからさらに1時間かかるので、帰りも渋滞がなかったのは助かった。昼過ぎに出発したとは思えないくらいたっぷり遊んだ感に包まれつつ、帰宅。
仕事やめたい病再発。組織に属する職種を選んだ以上どこの会社に行っても同じだろうけど、会社の都合に振り回されるのがときどき心底イヤになる。おまけに現場の状況を知らない上層部の、派遣社員に対する十把一絡な切捨てにも腹がたつ。「んじゃ社員になればイイじゃん」と言われるコトもあるし、「派遣でいるのはもったいない」と言ってくれる人もいるんだけれど。ぎりぎり今の年齢なら、本気で探せば正社員の身分にもなれるんだろうけど。
正社員になったからって将来安定って時代じゃないと言うけれど、それでもパート・アルバイト待遇の派遣に比べればまだまだ社員は守られている。一度採用した人間を、会社はまず滅多なコトで切ろうとはしない。その安定が、各種の手当てが、ボーナスが、羨ましくないと言えば嘘になる。つか、きっぱりハッキリ羨ましい。私だって、将来(仕事面)に対して何の保証も展望もない今の状態を思うと、不安でたまらなくなるときがある。心臓をぎゅーっと握られたみたいに苦しくなってしまう。底なしのドロ沼にハマった気になる。いったいいつまで一人でいればいいんだろう。
こないだ同じ立場の友人と話した。彼女も短期の契約の更新を重ねて仕事を請け負っているので、半年先の約束なんて何もない。1年先、ましてや10年先なんて闇の中だ。「私ら、社員ってのを重く考えすぎているのかな。社員になったらああしなくちゃいけない、こうしなくちゃいけないって考えちゃって、それが重荷で社員にならないんだけど、社員見てるとけっこーいい加減な人も多いんだよねー」とか、先の見えない不安とか、TVでやっていた生涯賃金の差とか、「社員になってもイイんじゃないか」な話をひとしきりした後で、「でももし社員になっても、ガマンできないコトがあったらすぐに辞めちゃう気がする」ってトコで深く頷き合ってしまった。
そうなんだよなー。私も、たぶん彼女も、結局ガマンがきかない人間なんだ。社員にならない理由はいろいろあるけど、それが一番大きな理由なのかもしれない。内田樹の本に「フリーターをやっている人間は将来のコトをちゃんと考えていない。なんとかなると甘く考えているから、こんなにフリーターが増えるんだ。厳しい現実ってのをちゃんと教えなきゃいけない」みたいなコトが書いてあって、まあそれはもっと若いフリーターに対しての言葉だったのだけれども、でも「そうゆう人ばっかじゃないんだよ」と思ったもんだ。
将来の展望なんかないって分かっていても、退職金や年金で暮らす生活は望めないと分かっていても、年を重ねるに従って仕事に対する選択肢は減る一方だと分かっていても、それでも組織に属する不安の方がときに大きいから、動けなくなる。すごーく好きなコトを仕事にしているワケでもないのに、一つところで決まった時間働いて会社員をやれるのって、ある種の才能なんじゃないだろうか。その方面では、私の能力ははるかに低い。
4月1日。観劇後に飲みに行き、あっちへこっちへと話を繰り広げていたキリギリスたち。面子は私、Y、Uである。YとUの2人ともが観劇友達にしてダイビング仲間であり、それ故にこの席でとんでもないコトが決まってしまったのであるが、それは残念ながらエイプリルフールとは何の関係もないのであった……。
話の発端は3月6日のダイビングに遡る。前日UとYと、もう一人のダイビング仲間のKは三浦で潜っていた。6日に私と一緒に潜ったのはそのうちのKで、彼女から私はとんでもない話を聞いた。三浦のショップでサイパンへのダイビングツアーを計画しており、それにUが食いついていた、というのである(三浦のショップオーナーのKMさんはUを誘惑してグラグラさせて楽しんでる節がある。『ダイビングフェスティバル』でドライを買わせたのも、彼)。さらにYもまんざらではない様子だった、と。
「ちょっと待ってよ」と、私は言った。「絶対にムリだよ」と。その日Kにも言った。次に集まったときに、UにもYにも言った。というのも、2年ごとの海外旅行っていうのがここ最近の私らのパターンで、海外に行く年にあたる今年は、11月のケアンズ旅行をすでに決めていたからである。(また余談。「去年どこにも行かなかったんだから、今年は行こうね!」と、年の初めからYは主張していたが、ちょっと待て、私らは去年は沖縄に行っているんである。2回も! それで“どこにも行っていない”とは言えないと思う私は間違っているか?)
「でも、6月のサイパンってベストシーズンなんだって」と夢見るUを、私はかなり強く止めた。「サイパンは逃げない。サイパンに6月はまた巡ってくる。いつでも行ける。今年はもうケアンズって決めた。年に2回の海外旅行なんてムリだ。金がない」と。最近生き急いでる感を加速させているUは「でも来年はお金があるか分からないし。生きてるか分からないし。サイパンに津波がくるかもしれないし」と未練たっぷりの様子だったが、他にもちょっとした事情があり、交渉の末、私らは伊豆大島で手を打った。同じショップでGWに大島1泊4ダイブツアーがあったのである。こちらは値段も手頃で、私は潜ったコトのない海をとても楽しみにしていた。
ところがこの日、4月1日。Uは大島ツアーがダメになった、と伝えてきた。GWで宿がいっぱいで、ダイビングツアーに潜りこめたのは先着5名だけだったというのである。「えーっ、残念〜っ! もうすっかり行く気になってたのにー」「じゃあGWどうする? 予定たてなくちゃね」と、話は他へ移っていった。あれを話しこれを話し、そしてここのところ集まるたびに一度は話す、とある心配事へと話は流れた。さて突然出てきたこの“心配事”を、私らは実は数年前から抱えていた。しかし現在のトコロ、その事態に対する展望は一向に拓けてこず、どん詰まりの状態が続いていたのである。
直接できるコトはほとんどないのだが、解決を心より望んではいるので、ああでもないこうでもないと話し合うコトは多かった。この日も2〜30分は話しただろうか。―――ふっと、沈黙が訪れた。私らはこの膠着状態に、ちょっと、疲れていたのだ。きっと、思っていた以上に、疲れていたのだ。Yがボソッと言った。「なんか……サイパン行きたくなってきちゃった……」。考えもせずに、私も反射的に口にしていた。「……行っちゃおうか……」。Uも同じトーンで呟いた。「……行くか……」。(なんで疲れるとちょっとした事情を踏み倒してサイパンに行くのかは内緒ですが、風が吹けば桶屋が儲かるくらい、極めて自然な流れだったのです)。
―――というワケでですね、どたばたと、突然に、決まっちゃったワケです。まるでバブル期のOLのように(この例えが仲間内でウケたのでちょっと嬉しいワタクシ)遊んでいると、自分でも思います。バブルの恩恵など受けた覚えがないし、今だってマイバブルといおうか、自分の懐が痛むだけの行為なんですが。何にせよ、こんなに発作的に海外旅行を決めたのは初めて。金はいったいどこから出てくるのか。どうするどうなる。
過去の行動記録、再開。
3月の30日には父が来たので飲みに行く。新居が相当気に入ったらしく「この家なら買ってもいいなー」と呟いている。うん、お金があればね。前の家だと私か妹の部屋以外に寝る場所がなかったため、頑として泊まるのを拒み続けた父であったが、今度の家には台所にルームランナーとぶら下がり健康器を置けるくらいの空きスペースがあるので、一泊していった。母と違って泊まりなれていないので、なんだか手持ち無沙汰な様子が笑える。
4月1日の金曜日は友人YとUと一緒に、新宿まで劇団ファントマの『マント』を観に行った。終わった後にYは「ツマラなかった!」と断言していたが、私はこないだの『三蔵』よりは楽しんだ。「やっぱ新作の方がいいなー」と思いつつ観ていたよ。たしかに無駄なシーンは多いけどファントマはいつもそうだもの。いつもと違ったのは看板の怪女優、美術鑑定家役の美津乃あわさんが普通の役だったコト。あんな地味な美津乃さん、初めて見た気がする。きっと最後にどんでん返しが…と期待していたのに、最後に明らかになる正体もたいしたコトなかった。つか、見せ場がなさすぎ!
マフィア役の伊藤えん魔さんも、ほとんど見せ場がなかった。彼はときどきやりすぎなくらい突っ走って「いい加減にしろよー」と思うけど、でもやらないよりはやった方がいい。今回は地味、だった。ファントマって役者全てに見せ場を作ろうとしすぎるんだと思うなあ。だから印象が散漫になってしまうし、個々の役者のファンとしても満足できないんじゃないかしら。明智探偵役の浅野さんは「カッコいい」パターンだった。私は彼が「カワイイ」役をやってる方が好きなので、それも残念。今回の彼で一番笑えたのは、彼が美津乃さんにイジメられているシーンだったもの。
芸能人やら有名人やらの結婚生活には基本的に興味はないけど、美津乃夫妻の結婚生活は覗いてみたいなあ。すごく楽しそう。彼らの結婚式の模様が劇団のホームページでリポートされたときも「この結婚式、見てみたい〜っ」と思った。式にしろ生活にしろ、彼らのは当人たちだけが楽しめるモノじゃなくて、赤の他人をも楽しませるエンターテイメントのレベルになってると思うんだよねぇ。
面白くならなかった原因は他にもある。小林少年だ。Yは「彼女が一番先に出てきた瞬間に、今回はダメだ!と思った」と酷いコトを言っていたが、実は、私もそう思った。Uもそうらしい。3人揃って彼女の演技がキライなのだ。主役じゃないだけマシだったが、けっこう出番が多くてウザかった。『三蔵』でも少年役をやっていたけど、彼女に少年役は向いていない。
今回の話は怪人二十面相とアルセーヌ・ルパンに関わりのあった人たちの物語だったのだけれども、「ルパンは悪人で、怪人二十面相は好敵手」みたいな扱いをされていたのも、Uと私にとってはマイナス印象だった。自分でも笑っちゃったが、少女時代の萌え対象への忠誠心が甦ってきて、帰り道にUと2人で「アルセーヌ・ルパンは人殺しはしないんだよ? 怪盗紳士だよ? なんでああ忌み嫌われなくちゃいけないのさ!」「怪人二十面相の方が簡単に人殺してたよねーっ!」と盛り上がってしまった。ルパンの愛国者っぷりは“いい人すぎてツマンな”かったし、江戸川乱歩のおどろおどろしさに心惹かれてもいたんだけど、まあそれは置いといて。
観劇後の常として飲みに行き「明日暇? どっか行こうよ」とドライブ話を決めた私たちであったが、その後、話は思いもかけない方向へと向かうのであった。このサイト名を変えるとしたら「キリギリスの饗宴」がぴったりだと思う(そしてそのうち「冬将軍の襲来」→「キリギリスどもの夢の後」あるいは「アリたちへの羨望」となるであろう)。話が転がった方向についてはまた後日。
過去の行動記録をちょとお休み。東野圭吾『秘密』読了。映画の方は前にTVでやっているのを横目でちらちら見たコトがあるが、今も残っている感想は「なんかヤラしい話だったなー」という程度である。東野圭吾に対する思い入れもなく、それなのにこの本を手に取った理由は、INOさんのこの感想を読んだからだ。特に、「人によってはこのかっこうわるさに嫌悪感を覚えるかもしれないけど、人によってはこのかっこうわるさが泣けるのであります。男のかっこうわるさを共有できるか否かで、かなり評価が変わるのではなかろうか?」
という部分で、「私はまず間違いなく嫌悪感を覚えるタイプだろうなー」と思いながら、読み始めた。
ところが意外や意外。嫌悪感を覚えませんでしたよ。つか、今まで読んだ東野圭吾作品(3冊)の中で、一番面白かった。主人公についても「カッコ悪い」というより「哀しい」という印象。いや確かにみっともないんだけども。そして私はちっとも号泣はしなかったんだけど。どころか目頭が熱くなるコトさえなかったんだけども(そうゆう意味では、当初の予想どおり“カッコ悪さを共有はできなかった”のかもしれない)。どっちかというとラストよりも平助が「藻奈美」と呼びかけるシーンの方がじーんときたしね。あと、物語は平助からの目線で書かれているんだけど、直子の心情の方に、共感していたかもしれない。
とにかく、いい意味で、予測は当たりませんでした。……まあ、もともと全然期待してなかったからって部分もあるかもしれないけど、でもこれだから読書ってのは面白いです。
≪3月26日のダイビング話。つづき≫
2本目はこないだ潜ったポイントへ。工事材料の搬入が終わったので入れるようになったのだ。こっちの方が深いので(普通は深いダイビングを先にしなくちゃいけないんだけど、今日は事情が事情だから仕方ない)、今日はDECO出さずに潜るぞー、と決意する。こちらも浅瀬にはホンダワラがびっしり。3週間前には影も形もなかった海草の成長っぷりにビックリだ。今度は胸くらいの深さまでブーツで歩いていき、そこでフィンを装着。改めて泳ぎだす。今度は下を向いて泳いで、海草エリアを脱してから仰向け泳ぎに切り替えた。うん、こっちのが楽だ。
水面下に一度体を入れさえすれば、うねりはないし流れもほんの少ししかないのだけれど、海面では強い風の影響を受けて流れてしまうから、風上に向かって斜めに進むつもりで潜降ポイントまで泳ぎ、海中へ。1本目のときは浅瀬で浮き上がりそうだったので、今度はウエイトを1kg増やしてみたのだが、こっちの方が安定するようだ。それにしても重いよなー、ドライに慣れたら少し減らせるかしら、と思っていたが、ドライの中に人一倍着込んでいるせいで浮力が強くなっているのが後に判明した。長袖インナー+薄手のセーター+トレーナー+フリースってのはやり過ぎだったようだ。でも寒い思いをしないためには私にはこれでちょうどなんだし、やっぱり専用のインナーを買うべきかしら。
2本目の方が少し濁っていたが、それでも海中は明るい。こっちのポイントの方がソフトコーラルはキレイな気がする。魚も2本目の方がたくさん出会えた。小さなドチザメ、スズメダイの群れ、どうしてもボーっとしているように見えるメバルたち。ここの海は大きなサザエやアワビがごろごろしていて、毎度「持って帰りたい〜」と思ってしまうのだけど(タンクを使っての漁は禁止されています)、この日はベレー帽のような大きなアワビが歩いているのを目撃した。意外に速く歩くのでビックリ。
こっちのポイントだと深場に長居するコトになる。こないだの経験を踏まえ、DECOが出るまでの時間が常に5分以上残るように気をつけて遊んだ。と、エントリーポイントから一番遠く、一番深いところでトラブル発生。私の右脇を普通に泳いでいた友人Uが突然すごい形相で振り返り、背後についていたTさんに「エア切れ」の合図をしたのである。すぐさまTさんが飛んできて、オクトをUに与える。グループを先導していたSさんも異変に気づいて戻ってくる。Uがオクトから呼吸を始めたのを確認し、UのゲージをチェックするSさんとTさん。Uの両脇にいた私とKはただあっけにとられて見守るばかりである。ど、どうしたの?
原因はわからないながら、「先に戻るね」の合図をしたTさんがUを連れて姿を消した。「ゲージの故障かな。いくつある?」「90(←私)」「私は110(←K)」「どうしたんだろ?」と合図は交わしてみたものの、それ以上の会話はできず、「Tさんがついているんだから大丈夫だろう」とそのまま深場で5分くらいを過ごしてから、私たちも浅瀬に向けての浮上を始めた。この秋に向けてナビゲーションを覚えておきたい私はコンパスをちらちら見ながらの帰還である。と言っても「岸の方向に泳いでるから帰るんだなー」と考えながらSさんの後をついていくだけだけれど。
残圧が0になった前回の記憶がまだ生々しく、残が50を切ってから頻繁にゲージをチェックしてしまう。が、その頃はもう7〜8mの水深にいたので、エアの減りは遅々としていた。こないだ、浅瀬に行ってからのエアの減りが異様に早かったのは、やはり緊張して呼吸が速くなっていたからか……。たぶんそうだと思っていたとおりだ。浮上して顔をあげると、ゴロタ石の海岸を歩くUの姿が見えた。もっと早く引き返したかと思っていたけど、一番遠くまでは一緒に行ったんで、深場にいた5分の差がついただけだったようだ。元気そうな様子にホッとする。
器材を片付けながら聞いたUの話はこうだ。「かなり降りたのは知ってたから、“ああけっこう深い場所まで来てるなー”と思ってゲージをチェックしたんだよね。そしたら残圧計の針が70と0の間を行ったりきたりしてて。“あれ? こんな風になるんだっけか?”と思ってるうちに、針が0になっていきなりエアが来なくなったの」。うひゃーおおお恐ろしい……っ! 「でもね、ゲージ見ててよかったよ。おかしいなー、言った方がいいのかなーって思ってたから、Tさんのいる場所を何となく意識してたんだよね。事前に異常に気づかずに、いきなりエアが来なくなったら、どんなパニック起こしたかわからない」。
原因は、タンクのバルブが全開になってなかったせいらしい。そういえば、全開になっていない場合、深いところで圧がかかると空気がこなくなると読んだ記憶がある。残圧計の針がいったりきたりするのは、タンクがしっかり開いていない証拠だそうな。だから針が動いているのに気づいたらその時点ですぐさまゲージを見せなくちゃいけない、と1つ勉強。Uの残圧計は浅瀬に戻ると80を示し、その時点では吸えなかったけれど、気づいたTさんがバルブを全開にしたら正常に戻ったそうだ。
器材を片付けた後はダイバーズ定食を出してくれる食堂に行き、たっぷりランチを平らげる。ショップに戻って雑談をしつつ(ビールを飲みつつ)ログ付け。Tさんに「だいぶ魚の名前覚えましたねー」と感心してもらう。「最初の頃、他のお客さんが魚の名前をすらすら言うのを聞いて『いつになったら覚えられるんだろうー』って言ってたの覚えてますよー」。あはは、私も覚えてます。
「私、ドライを買う前『ドライを買っても夏みたいに頻繁には潜らない。せいぜい2ヶ月に1度だよ』って言ってたよねー。おかしいなあ」と言いながら、2週間後の週末に次の予定を入れて帰る。器材をショップに預けてしまったので、帰りは身軽だ。途中、他の予定をこなしたダイビング仲間のYと落ち合って軽く飲み、たっぷり喋って喋って今後の予定もたて、くたくたに疲れて帰宅。ああ、楽しかったね。
今回のログはコチラ(100本目)。写真少し。
桜の花の寿命ってこんなに短かったかしら。花を見ながらうっとり通勤できたのは一週間にも満たなくて、もうすっかり葉桜。
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3月19日〜21日の三連休は珍しく家にいられたので、最後に残った混沌の空間、パソコン周りの整理をした。前の家で使っていたパソラックは椅子に座って使うタイプで生活様式に合わなかったので、引越しを機会に売り飛ばした。しかし座って使うタイプでちょうどイイのがない。どれも大きすぎるのだ。そこで自分の力量も考えずに「よし、作ろう!」と決意したのだが、作るとなるとそれも面倒でついずるずる放りっぱなしにしてしまった。
覚悟を決めて三連休で作るつもりだったのだけど、覚悟を決めた途端に、ちょうどいい大きさの棚を見つけてしまった。パソラックではないが、アレンジすれば使えそうだ……。というワケで、結局作ったのはキーボード置く台の脚だけになりました。出来栄え見て「全部作らなくてよかった」と思ったよ。素人仕事の味が出ていると言って言えなくもないけれど(←贔屓目)。
さて残業に明け暮れた4日間はすっ飛ばして、次の週末、3月26日の土曜日はまたもや伊豆に行ってきた。同行者はダイビング仲間のUとKである。こないだがこないだだったので数日前から伊豆の天気&海情報のページを頻繁にチェックしていたのだが、天気は快晴、西南西の風は強いけれども波はなし、の予報どおり雲ひとつないよい天気に恵まれた。車窓から伊豆の海が見えはじめると「どう? どう?」と身を乗り出し、「静かそうじゃない? こないだはここから白波たってるの見えたもん!」と興奮する私たち。毎度毎度繰り返される風景ではある。話がこないだのダイビングに流れたので「前回の件ではいろいろ反省した。ホントに。今日はもっと気をつけるよ」と決意表明をしておく。
最寄駅からショップオーナーSさんの車に乗り込み、ショップへ。「今日はどこですか?」の問いに、「今日はねー……」で言葉を止めるSさん。「ポイント言い渋るのが流行ってるんですかー? こないだTさんも言葉を濁していたんですけどー」とツッコむと、「いやいやいや」と言いながらも、ナゼかSさんの口は重い。「O崎(ショップの近くの、オープンしたばかりのポイント)ですか?」と聞くと、「今日はO崎は、浜に降りる階段つくる工事してるんだよね」という答えが返ってくる。? 工事してるから潜れないってコトかな?
Sさんはさらに言葉を続ける。「で、俺、その工事に付き合ってなくちゃいけないんだ」。「はあ」「間が悪いコトに、今日は車が一台しかなくて、Tちゃんはこの車運転できないんだよね」「……?(まさか潜れないの? でもそれだったら連絡くれるよなあ)」「だから(工事を)断って海洋公園に行くか、O崎……にしてくれればありがたいなって感じなんだけど……」。やっと話がわかって「えっ、じゃあイイですよO崎で」と即答すると、「いいの?」と意外そうな声を出すSさん。「イイですよ全然。こないだのリベンジしたかったし、今日は海静かですもんね」と答えたが、なんでSさんが妙に遠慮がちなのかが不思議だった。なにかあるのかO崎に?
車から降りたところで、キャリーバッグにまとめた荷物を持っていくモノとショップに残しておくモノに分け、少し遅れてショップに入っていくと、Sさんの「―――リベンジとか言っていたよ」という声が聞こえた。Sさんに「わー、さすがー」と答えたTさんが、すぐに入っていった私たちに気づき、こう言った。「こないだが大変だったから『もうO崎は怖いからイヤですぅ』って言われちゃうかと思ったんですよー。さすがですねー。絶対メゲませんもん。ダイバーはそうでなくっちゃ」。あ、なーるほど。そうゆうコトか。そうです、反省はするけどメゲないんです、私たち。
ショップにいたのは男性客2人。EさんとIさんだ。2人とも顔なじみなのですぐに話がはずむ。Sさんに言わせると8割方予約が重なるEさんとは「このメンバーにしては珍しく晴れてるね!」「天気がイイってコトは他の何かがあるんじゃないー?」と不吉な言葉を交わしておく。彼と一緒になるとナゼか天気が崩れるのだよ。しかしショップの前に広がる海は平穏そのものだ。予報どおり風が強く、海面をちゃぷちゃぷいわせてはいるが、波高はほとんどない。「今日は波もうねりもないから、のんびり潜れるよ」とSさんの太鼓判つき。
準備を済ませ、目の前の海へ。こないだのエントリーポイントは工事中のため、少し違う場所から海に入る。「波打ち際から3mくらいまで海草が茂ってて下を向いても何も見えないから、水が膝ぐらいまできたら仰向けで後ろ向いて泳いじゃった方が楽だよ」とSさんからレクチャーされてはいたが、海岸近くの海草はホントにびっしりで、足を取られないようにするのが大変だ。仰向けに泳ごうとしてみても海草(後で聞いたらホンダワラだそうな)がタンクに絡みフィンに絡みちっとも進まないガンバってキックしてやっと海草エリアから抜けて体がすーっと軽くなったときには、「魔のサルガッソー海を抜け出した!」という実感だった。
さてO崎ちょっとズレポイントは、浅めの砂地だった。波が砂に描く文様が美しい。植物プランクトンによる春の濁りはもうしっかり入っているのだが、天気がよくて明るいせいもあり、水は青くて気持ちイイ。この季節、生き物が一番少ないシーズンだそうだが、砂の模様や浮遊感だけでも楽しめる。最初のうちはホントに何も見つからなかった生き物も、ネコザメ2匹を見つけたあたりから、ちょろちょろと出てくる。頭上を仰げばアオリイカ、岩の隙間にはクロホシイシモチ、海草の陰にはシマウミスズメ、砂に隠れたシビレエイ、遠くに遊ぶシラコダイ、威嚇も可愛いウツボちゃん。
40分ほどしっかり遊んでエキジット。浅くなると浮き上がってしまいそうだったが、ちょうどイイところに船を海に滑らせるレール(今は使われていない)があったので、それに掴まって浮上を防ぐ。レールに沿って水深をあげていくと、そのまま陸へ。いいなあ、これ! 浮上後、2本目の用意をしてから温泉にゆっくりつかり、休息。今日は2本潜ってから遅めの昼食の予定なのだが、こうゆうスケジュールのときは何か空腹をなだめるものを用意しておけば良かった……と毎回思う。反省、活きていません。
2本目の用意をしているとき、ぷしゅーっと破裂音がした。調べてみるとKのゲージの高圧ホースがしっかりねじ込まれていないのが判明。Sさんによるとオーバーホール後はちょっとした不具合がよくあるそうだ。……危ないなあ! 私ら、オーバーホールしただけで安心しちゃってたよ。
休憩が終了し、2本目の器材のセッティングをしていたら、Kが「To-ko、次100だよね?」と言い出した。「100? 何が?」。―――ホンっトに忘れていたのだ。“残圧なら200だよ?”と思ったくらいである。こないだまで自分で100、100と連呼していたのに……。そう、この日の2本目は私の100本目のダイビングだったのである。思い出させてくれてありがとうK! 「とりあえず陸上で写真を撮っておきましょう!」とTさんが言うので、「えーっ写真撮るならフードかぶる前の方がよかったなー」と嘆いたら、即座にTさんは「フードかぶってもかぶらなくても大して変わらないじゃないですか」と返してきた。
「ひっどーい、Tさんってにっこり笑いながらぐっさり刺しますよね! こないだも体型気にする年じゃないでしょ、とか言われましたよ!」と文句を言っても、Tさんは「違いますよぅ、どっちにしても美しいって意味ですよー」とにこにこしている。「……絶対、違う。そんなニュアンスじゃなかった!(だってフードかぶったらモジモジくんだし!)」と、大騒ぎしながら写真撮影。この後、水中でも記念写真を撮る予定だったが、2本目には予想もしないトラブルが待ち構えていたのであった…。
≪つづく≫
今回のログはコチラ(99本目)。写真は1枚だけ。
年度末の締めも終わり、今度の今度こそは本当にヤマを越え、久しぶりにほとんど定時に帰れた今日。商店街を歩いていたら、電気屋店頭のテレビの中で、安藤優子アナが何やらニュースを読みあげていた。画面右上部には「世紀のジミ顔!」とある。え?と思って聞いてみると「チャールズ皇太子とカミラさんが明日…」と聞き取れた。「……そりゃ2人ともパッとした顔はしていないけどさあ……。“世紀のジミ顔”とはいくら何でも失礼なんじゃないのー?」とよく見たら、「世紀のジミ婚!」の見間違いでした。失礼なのはアンタだっつーのよ、ねえ?(ホントは「2人とも貧相な顔をしているけどさあ」と思ったコトはあえて言うまい。)
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3月16日には仕事で横浜中華街の近くまで行ったので、昼休みを利用して中華街を散歩。横浜にはよく出ているんだけど、じっくり中華街ってのはずいぶんやっていないなあ。食材の買出しをしたり、雑貨や調理器具をひやかして歩いたり、楽しいのよねぇ。今度友達を誘ってみるか。しかし美味しいと評判の某店はいつも行列で入れやしない。仕事中のため、海老チリランチにビールをつけられなかったのが残念。
3月17日の木曜日は『BROKENマクベス』を観に行ってきた。上杉祥三さんのBROKENシリーズはなんと13年ぶりだそうだ(……13年? うひゃあ)。新宿は紀伊国屋ホールに足を運ぶのも久しぶりで懐かしさ頻りだったのだけど、ああっ惜しいっ。そう言えば上杉さんの脚本はいつもそうだったよ。惜しいんだよねえ。面白くなりそうなのにノリきれないのだ(『リチャード三世』は良かった記憶もかすかにあるが…と調べてみたらアレは野田秀樹の作品だった)。今日も、舞台が遠かった。紀伊国屋ホールなんて小さい空間で遠さを感じさせちゃってどうするよ。
しかしこのサイズのホールでやっていた“上り調子の第三舞台”を知ってる私はシアワセ者だよなあ。第三舞台があると聞くと、わざわざ東北から学校サボって観にきたもんです。
マクベス夫人(鵜野讃良皇女)は長野里美さんだった。相変わら立ち姿が美しい。彼女の頭はちゃんと背骨の上に乗っているのよねー。そしてもちろん上手いし見せる。……なのに、惜しい。もったいない。彼女のダンスシーンなんかもっとステキになるハズなのに。あれはダンスシーンに入るタイミングが悪いんだと思うなあ。芝居の流れから言って不自然で、長野さんがやりづらそうに見えちゃったんだもの。それじゃノれない。
蘇我馬子・蝦夷・入鹿の魔女トリオは良かった。とくに馬子役の間宮啓行さんの芝居が好き。ただ魔女トリオと分離させちゃったのはどうかなあ。讃良皇女がマクベス夫人のポジションに立っていたように、魔女たちのポジションを彼らが占めるだけって方がスッキリしたと思うのだけど。魔女が蘇我一族に、蘇我一族が魔女にお互い絡めとられ、主導権を握った方が表面に出てくるってのは分かりづらかった。そもそも魔女たちの存在意義がよく分からん。3人とも色っぽくて目の保養にはなったけど(山下裕子さんがあんなナイスバデーだったとは! ビックリ!)。
あ、今思いついた。長野さんのダンスシーン、魔女3人と絡ませれば良かったのにー。魔女が讃良皇女を操ってマクベス夫人の役割を演じさせるって感じで。そしたら長野さんがセンターに立つのは変わらず、もっと意味があって、妖しいダンスシーンができたと思う。ああそれが見たかった〜! それなら、あんなに強気だったマクベス夫人がいきなり病みついちゃう理由にもなるじゃない。
も一個不満点。男も混じっている劇団で、意味もなく女に男役やらせるのは止めて欲しい。男を女が演じていたので「後でどんでん返しがあるんじゃないか」と深読みしちゃったじゃないのよ。結局、ただの通りすがりに毛が生えた程度の脇役で、「何だったんだー!」って感じだわ。あと……これは不満点では全然ないんだけど、年齢的に仕方ないとは言え、この頃好きな役者さんたちの頭部が気になる。危ない。危ないよ……。
とまあ、懐かしくも不満の残る舞台鑑賞になりました。残念〜。
桜は満開だし、家を出た瞬間、陽だまりでじゃれあう猫たちが目に飛び込んできて、それだけでシアワセ。春ですなあ……という気候なのに当サイト内は未だ冬。
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3月12日の土曜日は、日帰りでスキーに行ってきた。行き先はかぐら・みつまた・田代スキー場。東京を出るときはよい天気だったのに、越後湯沢の駅に着いたときには雪ではなく雨がしとしと降っていた(最近どうもウチの天照大御神の神通力が通じない空が多すぎる。異常気象も極まれり、だ)。冬らしくなるのが遅かったからまだまだ真冬な気分だったのに、もう春だなあ〜。「雨だけはイヤ」とぶつぶつ言っていたのがきいたのか、スキー場に着く頃には雨は雪に変わっていてホッとした。
「今シーズンは結局2回しかスキーに行けなかったねー。もう1回くらい行きたかったなあ」と言ったら、友達に「しょうがないよ、ダイビングの比重がだんだん重くなってきてるんだもん」と言われた。……その通りだ。最初は夏から初秋までの遊びだったハズなのに、いつの間にか春に食い込み、冬に食い込み、ドライを買った今となっちゃあ、1年通じての遊びになってしまったものなあ。他の遊びも決して飽きたワケじゃあないのに、そういやしばらく山歩きもしてないや。富士山へのリベンジとか、やりたいコトは多いし、まだ諦めてはいないのだけど。
閑話休題。雪になってホッとしたのは甘かった。この日は結局雪が止まず――つか強くなる一方で、なかなかハードなスキーになってしまったのだった。まず最初に着いたみつまたエリアと初心者コースの多い田代エリアとを結ぶ連絡コースが閉鎖になっていたため、スキーセットを抱えて路線バスで田代エリアへ移動。中級ばかりじゃ滑れないっつーの。雪道だというのに急カーブに勢いよく突っ込むバスが怖い。バス内では文字通り悲鳴があがっていた(帰りのバスはちゃんとブレーキをかけていたので、怖い運転手さんに当たってしまったものだと思われる)。
やっと辿り着いた田代エリアは、「空いてる〜」と思ったみつまたエリアよりもさらに空いていた。空いている、というか閑散としているって感じ。少なくとも2月に行ったハンタマとは雲泥の差だ。「え、営業してるよね?」と思わず不安になってしまうのは都会人の悲しい性か。こんなに空いているのは天気のせいなのかなー? でも慣れてみれば、コースによっては私らの他に人影がない、なんて滅多にできない経験もできたのだった。おかげで人にぶつかる心配をせずに済んでありがたい(そしてそんなに空いているのにわざわざ友人に向かって突っ込む私……)。
しかし、この日の雪はすごかった。晴れていれば眺望絶佳であろうに、今記憶に残っているのはただひたすらに白い世界だけだ。コースの幅がよく分からないときがあるのは怖い。「もうちょっと行ってからターンしたいけど、落ちないかしら」とドキドキするくらいだった。サングラスだけで滑っていると頬に口元に雪がビシビシ当たる。頬をガードするとサングラスが曇って何も見えなくなる。うひー。2本滑ってお茶、また2本滑ってお昼、その後ガンバって時間いっぱいまで滑る。かぐらエリアやみつまたエリアには全然行けなかったし、晴れてるときにもう一度来てみたいスキー場だった。
夕方、ちょっと早めに切り上げた後は駅の近くの日帰り温泉に行き、人心地を取り戻して、お土産を買って帰る。美味しそうな店があるのに時間がなくて入れなかったのは残念。今回はぽんしゅ館に寄る時間もなかったし、やっぱシーズンに1回くらいは泊りがけで行っておきたかったなあ、新潟に。
せっかく弁当作りの勘を取り戻しかけてきたっつーのに23時だの24時だのまで会社に留め置かれちゃあ食材の買出しが出来ないっつーーーのっ!!(号泣)……とゆう心の叫びはさておき、日々の記録の続き。
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3月7日の月曜は仕事で下田まで行ってきた。仕事ついでなのでのんびりはできなかったんだけど、なまこ塀があちこちにあって楽しい街並みだった。ちょっと洋風でイイ感じの(ベルギーの運河沿いの街並みを思わせる)小路や、海に突き出した猿島が楽しい。馴染みのダイビングショップのSさんTさんが『海猿』も真っ青の海自の訓練を見たというのは、この猿島じゃなかったっけ? 夜は新居を見にきた母と飲み会。近所の美味しい店を鋭意開拓中なのだが、一番行きたい沖縄料理屋には未だフラれっぱなし。
飲んで帰ってきたら母が「アレあるんじゃないの? アレ」と目をキラキラさせながら言ってきた。何のコトかと思ったら、アレでした、アレ。封印していた『王の帰還 SEE』のコトでした。「もちろんあるよ〜」とこちらもニヤけて早速鑑賞会。もはや白くはない白の魔法使いや蛇の舌の辺りでは「わあ増えてる増えてる」と喜んでいたんだけど、あれ? あれあれ? ちょっと記憶が美しすぎたかもしれない。烽火のシーンってあんなに前にあったっけ。アレもダメ、コレもダメ、もう最後の救いって辺りにあった気がしてたんだけど。感覚としてはペレンノール奪還の無謀な試みの後ぐらいに。でもそれから騎馬を招集して移動して、だと決戦には間に合わないし、私の記憶違いだろうなあ……。劇場版が畳みかけるような怒濤の展開だったので、SEEはちょと冗長に感じちゃった。映画が始まる前の最初の期待度を出発点として、三部作の劇場版・SEE版後の気持ちの移り変わりを折れ線グラフで表すと、まずFotRの劇場版で+3。SEEでそこから更に+1、TTTの劇場版はちょっと下がって-4、SEEで+1、RotKの劇場版で+6、SEEで-2って感じかな。最後が上がってなくて少し残念だけど、でもトータルで期待度+5ってのは「ありがとう」だよねえ。
8日の火曜日にはかもねぎショットの『ラプンツェルたち〜うろ覚えの童話集〜』を観にいってきた。かもねぎは何だかどんどん難しくなっちゃって、昔みたいに体に直接語りかけてくる芝居じゃなくなってしまったのが残念なのだけれど(私の感覚が鈍くなったせいではないよなあ、これは)、でもまだ引っかかるモノは残っているのだ。今回のはチラシの感じから、少しとっつきやすいのではないかと期待していた舞台である。……うーん、確かにとっつきやすいけれども、童話のワンシーンワンシーンをつなげただけって印象も、あるなあ。「だからそれでどうなったの」みたいな。
でもそれでツマラないのかと言われればそうでもなく。『ラプンツェル』の「ううん、こっちの腕に力入れてれば大丈夫!」を始めとしてニヤッとしちゃうシーンもあり、それなりに楽しんできた。多田さん高見さんの顔を見るだけでも嬉しくなっちゃうし、後から入った栗栖さんに対してもそんな気持ちが出てきたみたい。この感覚がある限り、ときどきはこうやって劇場に足を運ぶんだろうな、と思う。