去年見つけた歯医者から定期検診のお誘いハガキが来ていたので、約1年ぶりに歯を見てもらってきた。結果、虫歯なし・歯石あり・歯ぐきの腫れ少々。歯石を取ってもらって、歯磨きの指導を受ける。「すぐに治療をしなくちゃいけないってワケじゃないけど、ちょっと要注意ですねー」という箇所が全〜部、前に通っていた歯医者で治療を受けた歯で、「ああもっと早く歯医者を替えればよかった!」と再後悔した。
さて以下、3月の頭に書いた日記の続き。
*****
ゲージを覗き込むと、残はいつの間にか50になっていました。50〜っ? こ、これまた珍しい数値ではありません。50あればたいていの場所からは帰れるから慌てないように、と、昔Sさんから言われた覚えがあります。しかし、TさんがSさんに言いに行ってくれている間に、私のダイコンにはDECOが出てしまっていました。3mで1分の安全停止の指示も出ています。私は一気に不安になりました。50あれば普通は帰れる→しかし安全停止が必要。DECOが出てもちゃんと安全停止をすればいい→けど空気が少ない。今日のうねる浅瀬で、しかも不慣れなドライで安全停止ができるだろうか? とりあえず戻ってきたTさんに「残50」の報告をします。Tさんはオッケーサインを返してきました。
「ほ、ほんとにオッケー?」と思いながらも、ここはSさんTさんを信じるしかありません。私たちはSさんに従って、徐々に深度をあげました。ダイコンのDECO表示はなかなか消えません。実際に指示通りの深度で安全停止をしなくても、浅めのところにしばらくいれば消えるのですが……。どきどきしながらダイコンを睨んでいたせいか、チェックするたびに残圧も減っていきます(←当たり前)。空気残が30になったころ、やっとDECOが消えてくれました。ホッとしたのも束の間、今度は意図せぬ浮上が始まってしまいました。うねりのせいもあり、空気を抜くのが遅れたせいもあります。水面に行きかける私を、Tさんがげしげし押して沈めてくれました。
これでまた私は緊張してしまったのでしょう。深度は10mを切っていて、そんなに空気も消費しないハズなのに、ゲージの針はどんどん下がっていきます。20……10……。10? なのに私はまだ7mの深さにいます。最近読んだ『ダイバーズバイブル』(ダイビング事故の事例集)に載っていた「〜mからの緊急浮上!」とかいう見出しが頭をよぎります。10でどのくらい持つのかしら。そしてココはどこかしら。初めてのポイントってのも悪かったのです。海洋公園なら、陸からの距離はだいたい分かります。けど、ここじゃあ!
私は前をゆくSさんを捕まえて「残圧10!」を訴えました。万が一のときにエアを分けてもらおうとひっついて泳いでいたのです。Sさんはオッケーサインを出してきました。オッケー? 何がオッケー!?(後から考えれば「大丈夫だから」と安心させようとしてくれていたんだと思いますが、プチパニック状態だった私に思い浮かぶハズもありません)。ゲージの針はじりじり0に近づいていきます。もう首を掻っ切る「エア切れ」のサインを出すべきか、と思ったころ、私はまた浮上をしてしまいました。
ここでまた潜降なんて無理! エアも消費しちゃうし、潜ってももうエアがない! と、私は浮かび上がるに任せました。水面に顔が出ると、嬉しいことに陸はもうすぐ目の前でした。私の状況を分かっているので、Sさんや他のお客さんもぽこぽこと浮いてきます。海面が波立っているのでシュノーケルに変えるのもちょと怖く、ぎりぎりまで吸おうと私はレギュを咥えたまま陸に泳ぎ始めました。(半分くらい泳いだトコロでエアが来なくなったので、シュノーケルに切り替えましたが)。
波はまだ高く、流れもあります。「あの目印に向かって泳いで!」というSさんの指示に従うのも必死です。本当は目印にある程度近づいた段階で、波の影響のこない岩陰に回りこまなくてはいけなかったのですが、私と友人は大きな岩の方に流されてしまいました。背が立つくらいに浅くなると、砕けた波がもろ襲ってきます。「もっと回り込んでー」という指示に従おうとはするのですが、起き上がろうとするたびにコロコロ転ばされてしまいます。波打ち際で転がっている私たちを見かねて、浜にいた漁師さんが助けに来てくれました。友人の「私は平気だからあっち(To-ko)を助けてくださいーっ」というマジ声の叫びは忘れられません。気持ちは嬉しいけれど笑っちゃいます。
「ちょっとキツかったねー。少し長めに休みを取ってから2本目にしよう」とSさんが言うので、次のタンクをセットしてから温泉に行きました。歩きながら「た、魂が抜けた……」と言ったら大ウケしてしまいました。顔がマジで本当に魂が飛んでいたそうです。温泉ではのんびり浮かびつつ反省会をしました。……ってただ単にダベってただけなんですが、私的には反省すること頻りだったので。もっと早く申告するべきだったし、DECOを出すべきではなかったし、中性浮力は取れなかったし、焦っちゃったし、浮上も早すぎた。DECOとSlow表示をいっぺんに出しちゃうなんて、危なすぎです。ばかばかばかばか!
「エアがなくなったらSさんの奪っちゃっていいんだよー」とか「浮いちゃったのはウエイトが足りないからじゃなくて、暴れてたから。落ち着けば大丈夫」とか「陸に向かって泳ぐとき、白い泡しか見えないようなときは顔の前に両手をかざして泳ぐといいよ」とか、SさんTさんのアドバイスを聞きつつ、小一時間も温泉に入って体を温めます。それからゆっくり昼食をとり、潜水できるぎりぎりの時間まで待って2本目へとゆきました。「気が向かなかったら無理しなくてもいいよ」と言ってはもらいましたが、体調が悪いワケでもなし、潜っておかないと海が怖くなってしまう気がしたので、1本目よりも慎重を心がけて行くコトにしました。
店から歩いて2分のポイントに行ってみると……見た感じ、波が静かになった様子はありません。入ってみてもやっぱりキツい。またもやドキドキしつつ、「落ち着け〜落ち着け〜」と呪文を唱えながら、沖に泳いで行って潜降しました。また頭から潜ってしまいましたが、2本目だったので耳は順調に抜けてくれました。海の中はというと、残念ながら、1本目よりも悪くなっていました。1本目は10mも潜れば静かになっていたのに、15m潜ってもまだ強いうねりを感じます。20mの深さでも、強くはないけどうねりが分かる。濁りもずいぶん入ってしまい、透明度は5mまで落ちていました。魚もさっきより少なくなっています。残念。
耳が順調に抜けてホッとしたときから自分では落ちついているつもりでしたし、Sさんも「緊張してるようには見えなかった」と言ってくれましたが、やはりどこかで硬くなっていたようで、2本目のエアの消費は早かったです。途中、友人が100を残している段階で、私は70。いつもならここまで差が開くコトはありません。自分でも気をつけていたし、Sさんも深場滞在を短めにしてくれたので、浅場に移動を開始したときもまだDECOまではずいぶん余裕がありました。7m付近で私の残を確認した上で、安全停止もしてくれました(うねりのせいで、それより浅い場所での安全停止は無理だったのです)。また波打ち際では苦労しましたが、ベテランKoさんにも助けられ、無事に2本目も終了しました。人を助けられるくらいのレベルになるとカッコいいなあ。
最近、ちょっと上手くなった気でいましたが、まだまだ修行が足りん、と思い知ったダイビングになりました。あ、お二人の名誉のために言っておきますが、SさんもTさんも無茶をするガイドじゃないです。私が勝手にどきどきしただけで、海に入るのが無謀って状況じゃあ、ありませんでした。2人ともかなりの慎重派で、頼りになります。海面で一番どきどきしてるときだって、「Sさんは絶対に助けてくれる」って思ってて、たぶんそれでパニックにならずに済んだんですもん。でも助けようにも助けられない状況もありますし、「自分のことは自分で」がダイビングの鉄則です。もっとちゃんと自分で判断しなくちゃダメだ、と、深く深く反省しました。
日記をサボっていた過去1ヶ月の、どこまで書いたっけかな。2月の19・20日に引越しをした。この話は長くなるので後回し。次の週末の26日土曜は某小劇団のお芝居を観にいった。劇場が駅から遠く、手がちぎれそうに寒かった。次の日曜は、今回連帯保証人を引き受けてくれた父方の伯父の家にお礼&報告に。手土産にロイヤルな焼酎を持っていったが、飲み屋で夕食おごってもらってさんざん飲み食いして帰ってきた。平日は仕事がまだまだ忙しく、家の中は片付かない。
次の土曜、3月5日は家の片付け。『ダイビングフェスティバル』でドライスーツ購入を決めたダイビング仲間の2人のスーツが出来上がったので、受け取りついでに潜るよーと誘われたのだけど、次の日の日曜には伊豆に潜りに行く予定があったので、泣く泣く断る。家の片付けがなければ連続ダイブにも行っちゃったかもしれないけれど。さて翌6日、この日私は死にかけたのだったそういえば。こないだの土曜には友人が死にかけたから忘れてました。ダイビングって怖いねあはは(←イヤ笑い事じゃないんだけど)。
さて以下、3月の頭に書いた日記。
*****
首都圏に雪が降った金曜日の後、「真冬の寒さに逆戻りの週末」を連呼する天気予報を気にしつつ、伊豆に潜りに行ってきました日曜日。ダイビング仲間3人は前日の土曜日に三浦に潜りに行ってます。私はそっちには参加できなかったのですが、携帯メールで「ちょ〜寒くて、ちょ〜濁ってた!」という報告はもらっていました。外は真冬の寒さとはいえ、海の中にはそろそろ春が来ようとしているでしょう。春と言えば濁りです。そんなに良くはないだろうなー、せめて晴れてくれればイイや、とそんな気持ちで臨んだ海でした。土曜日は快晴でしたが、日曜の予報は雨または雪、午後から回復、でした。うーむ、ちっとも期待はできません。
仲間内でトップを走る私の本数に、追いつけ追い越せを狙っている友達が、伊豆行きにつきあってくれました。前日は三浦で潜り、次の日は伊豆……。タフすぎます。まだ薄暗いうちに起きだし、曇天ではあるものの何も降っていない状況に安堵しつつ、途中で友達と落ち合って伊豆へと向かいました。駅でいつものショップのガイド、Tさんに迎えられたのは、私たち2人とKoさんです。初めて会う方でしたが、経験本数400本を越えるベテランさんで、店でも古くからの馴染みのようでありました。
ショップへと向かう車の中、「で、今日はどこに?」というKoさんの質問に、「今日はですねー………」で言葉を止めるTさん。あんまり沈黙が長いので、「なんですかー! 何かあるんですかっ?」と笑ったら、Tさんは「違いますよー、今車が左から来てたんです! だから答えられなかっただけですよ!」と弁明していました。が、結果的にこれが、この日のダイビングを暗示するかのような不吉な応答となったのでした―――。
と、先走ってはなりませんね。この日潜るのは、ショップの近くに作られたばかりのビーチポイントでした。私らの馴染みのショップがそのポイントの管理を一手に引き受けるコトになったそうで、ショップオーナーのSさんは「0からポイントを作れるなんて、こんなの滅多にできないから、楽しくて仕方ない」と嬉しそうに話してくれます。もうオープンはしているのですが、まだ設備は全然な段階なので、お客で潜るのは私らが初めて。ちょっとドキドキしました。
この日の風は北東の風。あまり東伊豆向きではない風向きです。「ちょっと波があるけど、まあこのメンバーなら大丈夫」というSさんの言葉に、「ホントかよ」と思いながらポイントに行きます。そのうち手すりを作るかロープを張るそうですが、今は獣道のような小道を使ってビーチに降りるしかありません。ゴロタを乗り越えた先にある海は、はっきり言って荒れてました。海洋公園でも、このくらいの波で潜ったコトはあります。スロープがあり、ロープがある場所なら、大丈夫な海況です。
が、何も掴まるもののない海ではキツい。足がつかなくなるくらいまでフィンをはかずに歩いて行くのですが、その途中で何度も転びそうになります。フィンをつけるときも、時間をかけてトロトロやっていると流されます。Sさんが私のタンクをがっと掴んで支えててくれるのですが、顔が海面と同じ高さになると波が! 波が! たいした波じゃなかったのでしょうが、怯えた私の目には大波に見えます。この日は波の間隔が短く(間隔が長い方が危ない波です)、次から次へとやってくる波に翻弄されっぱなしでした。
どきどきしながらもフィンをつけ、沖に向かって泳ぎ始めました。事前に「波がくだけて、顔を水につけていても見えるのは白い泡だけだから、仰向けになって泳いだほうが楽」と聞いていたので、そのとおりに泳ぎます。波のくだける位置を通り過ぎれば、海面は騒ぐほどじゃありませんでした。しかし私のどきどきはまだ治まっていません。潜降のコツは平常心。これじゃちょっと潜れそうにない……と判断した私は、ドライの空気をしっかりと抜き、ムリヤリ頭から潜っちゃうコトにしました。
ムリヤリ潜ったせいか緊張のせいか、左の耳が抜けません。しかしSさん、Tさん、Koさん、友人の4人を待たせて何度か耳抜きにトライし、やっと耳が抜けたあとは順調でした。海面の波のせいで5mくらいまではうねりがありましたが、その下は静かです。天気が悪いのでちょっと暗いけれども、透明度は10mくらいあります。この季節なので魚は少ないけれども、さすがは手つかずの海で、コーラルがすごく豊か。この状態でも色とりどりなのが分かるのだから、光が差し込んだらさぞかし美しいコトでしょう。
途中、Sさんが残圧を聞いてきました。私は90、友人は100、ありました。この友人はエア持ちのよいタイプなので、そんなに差がなかったコトで、私は安心してしまいました。潜降時にもたついたから、もうちょっと消費してしまっているかと思ったのです。気分もすっかり落ち着き、私はSさんの後ろについて海中世界を楽しみました。水深は20〜23mと深めです。しばらくして、ふとダイコンを見ると、減圧不要で潜っていられる時間が、かなり少なくなっていました。たしかこの時点で4分だったと思います。
とはいえ、私はそう心配してはいませんでした。伊豆のダイビングはけっこう深めなので、ときどきはDECOぎりぎりになるのです。が、いっつも「あ、そろそろDECOがでるから深度あげようかなー」と思うころにSさんも浮上を始めるので、今回もそろそろ引き上げどきだろう、と思い込んでました。潜水時間からしても、もう帰る頃合でした。実際、Sさんも引き返しかけていました。なのにこんなときに、ドチザメが! シビレエイが! オドリカクレエビが! 出てきてしまったのです。「そろそろ帰るだろう」と思いつつも、私は微妙に深度をあげていました。海底ではSさんが他の人に熱心に生き物を教えています。見に行きたい〜。けど怖くていけない〜。
後から反省しましたが、もっと早めに申告するべきでした。でも私は「いくら何でももう帰るだろう…」と、しばらく待ってしまったのです。ダイコンの数値は3分、2分……と減っていきます。とうとう私は、ちょっと浅めのところで全体を監視していたTさんのところに行って、状況を訴えました。訴えたときには減圧不要で潜っていられる時間はすでに1分になっていました。Tさんはすぐさま、Sさんのところに知らせに行ってくれました。Sさんももちろんすぐに引き返しはじめてくれたので、ホッと一安心したのですが……。ここで私は、しばらくダイコンばかりを睨んでいて、残圧チェックをしていなかったのを思い出しました。
≪つづく≫
『流転の王妃の昭和史』の感想をUPしたついでに書いておこう。昨日、愛新覚羅溥儀の『わが半生−「満州国」皇帝の自伝−』を読了した。『流転の〜』がとても面白かったので、こっちにも期待していたのだが、残念。かなりツマラなかった。
最初のうち、ノれない理由は人物が覚えられないからかと思っていた。次から次へと出てくる人たちの名前は、耳に馴染みがないせいかちっとも覚えられず、誰がどうしたのかを追いかけるだけで精一杯だったからだ。でも読み進めるうちに、ノれない理由は溥儀がちっとも好きになれないからだ、と気付いた。溥儀が、というと失礼だな。この本の“溥儀”というキャラクターが、だ。
彼は徹頭徹尾、他人に、人間に興味がないように見える。常に“自分が自分が”だ。至高の存在として育てられたのだから仕方ないのかもしれないけれど、そう思ったからといって好意が芽生えるワケもない。流転の王妃、浩さんをすごいな、強いな、と思ったのは彼女の他人に対する許容力が半端じゃないせいだ。恨みつらみの対象になっても不思議じゃないような人をも、彼女は理解しようとするし、許すコトができる。溥儀は、その対極にいるように思える。
満州国時代までも、人に対する関心の薄さは特筆ものなんだけど、終戦後の記述で、彼の“自分が自分が”をとくに強く感じる。彼は「自分はなにも知らなかった、罪を犯した、日本人は残虐で、中国の人民は気高く、共産党はすばらしい」と繰り返し繰り返し書く。―――まるで先生のウケを狙って書かれたよい子の作文のようだ。生まれ変わったと彼は言うが、満州国時代に日本人を恐れて日本人におもねっていたのから、本質的に何か変わったのか怪しいもんだと思ってしまう。
だって彼の語る人間って、二種類しかいないんだもの。残虐で卑劣漢であるか、気高く美しい人間であるか、どっちか。悪から善へ、善から悪へと変わるコトはあっても、途中がない。残虐なコトを平気でする人間が同時に寛大な面も持ち合わせていたり、穏やかな人間が追い詰められて極端な破壊に走ったり、弱い人間が土壇場で信じられないくらいの強さを発揮したり、そこまで劇的でなくても、一人の人に相反する要素が同居してたりするのは不思議でもなんでもない、と知っているんだろうか。ばかみたいなコトで悩んで怯えて失敗して迷って、そんなブザマでカワイイ人間を好きになれたんだろうか……と、つい勘ぐってしまうのだ。
―――…ホンット、実在の人に対して失礼なコトを書いているなー、私。まぁ後書きを読んで、この本の書かれた背景がちょっと見えて「仕方ないんだろうなあ」とは思ったんだけど。大元は反省文だったみたいだし、彼の自伝を望んだのが「皇帝をも改造した」コトを喧伝したい人たちだったようだし。でも、彼の他人に対する気持ちがもうちょっとだけでも伝わってきたら、この本はとても面白くなるのだろうに。他の人の口から語られる彼からすると、気持ちが存在しなかったとは思えないもの。なのに反省文チックな書き方のせいでツマラナイものになっちゃったのは、もったいないなぁと思う。波瀾万丈な人生だけじゃ心を動かされはしないのだ。
これまたちょうど1ヶ月くらい前に書いたもの。
*****
愛新覚羅浩『流転の王妃の昭和史』読了。ラスト・エンペラー、愛新覚羅溥儀の弟、溥傑と結婚した旧華族のお嬢さんの自伝である。たまたま最近、中林庫子さんの『マルーシャ』、『遥かなりマルーシャ』を続けて読んでいただけに、最初私はこの本の内容を誤解していた。同じ満州からの引き揚げといっても、旧華族で公爵家のお嬢さんで、しかも皇弟の妻である彼女は、いち早く内地に戻れていたのかと思っていたのだ。『マルーシャ』には、関東軍の家族や関係者は軍用機でさっさと引き揚げたとあったので。
でも全然違うのね。歴史に関する私の無知を思いっきりさらけ出すが、何もかもが「へー、そうだったんだ!」って感じで、驚きの連続だった。身分のおかげで便宜を図ってもらったりもしたけれど、身分のせいでの苦労も耐えなかったのね。日本にいる間の話は「おお、さすがお嬢! さすが公爵家! これが現実な人がいるんだなー」って感じで面白かったんだけど、満州に渡ってからの、関東軍からの扱いにはビックリした。皇帝の一族は、形だけにしろ、もっと立てられているのかと思ってたんだもの。
しかし何より驚いた……というか、感銘を受けたのは、彼女の人となりだ。わかりやすく、すとんと胸に落ちてくる素直な文章で綴られた、下手な小説よりも波乱に満ちた激動の人生を読み進めるにしたがって、彼女の強さに感服せずにはいられない。お嬢さま育ちで、苦労らしい苦労もせずに育った娘時代の話を読むと、嵐がきたらぽきんと折れてしまうのではないかと予想してしまうのだけれども、ところがドッコイ。どんな状況にもしなやかで真っ直ぐで、芯の部分を侵されることがない。恨みつらみは水に流し、人を労わり、感謝を忘れない。信じることをやめない。
川原泉の『笑うミカエル』に、猫かぶりお嬢が本物のお嬢さまに会って「あー、この子は本当に人を妬んだりしたことないだろうなー。本物には敵わないわ」と脱帽するシーンがある。マンガを読んだときには、何を感じるでもなしに読み飛ばしてしまったシーンだけど、この本を読み進めるにしたがって、ホントにそんな気になってきた。セレブとか言われて喜んでいる人が足元にも寄れないような“本物”っているんだなー。華族に生まれたからって本物になれるワケじゃないだろうが、なんか、すごく育ちのよさ、品のよさ―――本当に真っ直ぐにキレイに育てられたからこその強さってのを、感じた。どうゆう状況にあっても、彼女には“品格”があるんだろうな、みたいな。
(彼女の話に終始しちゃったけど、彼女の夫をはじめ、脱帽しちゃう人がたくさん出てきます。もう一度『ラスト・エンペラー』を見たくなった。あと愛新覚溥儀の『わが半生』も読まなっきゃ。)
以前どなたかの日記に「実際のニュースの画像とテロップがズレるなんてよくあるけれど、火事のニュースのテロップに『勇壮な火祭り!』はマズいだろう」と書いてあったコトがあって、「そんなにタイミングのいい(悪い?)間違いがあるのかー」と笑った覚えがある。作ってんじゃないかとさえ思ったけど、昨日、野球のニュースで選手の練習風景が写っている画面のテロップが『金属バットで母親を撲殺…!』だったのには思わず吹き出してしまった。笑うニュースじゃないんですけどー。
さて以下、ちょうど1ヶ月くらい前に書いたものです。
*****
E.T.ベル『数学をつくった人びと I』読了。最初のうちは「うわー、わからんよちっとも。サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』(→感想)は面白かったんだけど、この人の語り口はさっぱりわからん!」と思っていて、全3冊のうちあとの2冊は止めておこうと思ったのだけど、著者が「ちょっと考えればすぐにわかるが」だの「すぐに導き出される結論として」と挙げている数式を無視して読むようにしたら面白くって、やっぱり残り2冊にも手を出そうと心を変えた。まーーったくと言ってイイくらい数学的思考能力が備わっていない私だが、難問に取り組む人びとの物語は大好きなのである。
ところで、この本に“数学をつくった”として挙げられている人びとのなかに、ラプラースがいる。“俗物”として描かれている彼にちょっと親近感を持ってしまったのは、このサイト名をつけるときに彼のコトを考えたからであろう。そう、「ぷらぷらす」は「ラプラスの悪魔」から来ている―――というワケではない。来てると思われちゃ困るな、と思いながらつけた名前である。
サイト名を考えていた当時、私はたまたまあるポスターを目にした。市民団体かなんだかのポスターだったと思う。その団体名は「らぷらす」だった。その響きと文字の並びがカワイイと気に入った私は、最初、それをそのままパクろうとした。しかし次の瞬間、待てよ、と思った。ひらがな表記とは言え、「らぷらす」と言えば「ラプラスの悪魔」である。宇宙の全てを計算できる究極の存在である。万が一そこから取ったと思われちゃ、あまりにも恥ずかしいではないか。
そこで私は頭にもう一つ「ぷ」をつけるコトにしたのである。「ぷ」をつけときゃ誰も悪魔を連想しまい、と思って。その甲斐あって、今まで誰からも「ひょっとしてラプラスの悪魔?」と指摘されたコトはない。………まぁそんな連想したとしても、私の文章読みゃあ、すぐさま打ち消すとは思うけれども。
ここに謹んで白状しておきますが、数学に疎い私が“ラプラスの悪魔”なんて概念を知っているのは、某ボーイズラブ系のマンガにその言葉が出てきたからです。
以下、ちょうど1ヶ月くらい前に書いたものです。
*****
蘇部健一の『六枚のとんかつ』の読了後、続けて東野圭吾の『名探偵の掟』を読んだ。どちらの本も遅まきながら手に取ったものなのでリアルタイムの反応は知らないのだけれど、両方の本の後書きを信じるのなら、前者はかなり叩かれたらしい。そして後者は熱狂的な支持を受けたのだそうな。私は『六枚〜』を読んだあと、読書メモに こう書いた。「読んで激怒した人たちもいたらしいけど、これって怒るようなもんじゃないでしょ。「あははー、バカでー」でイイじゃん」
。好きじゃなくっても、そこまで真剣にならなくても……と、思ったのだ。
しかし『名探偵〜』を読んだ今、私は一言言わずにはいられない気持ちに駆られている。熱狂的な支持を受けた? これが? 私は第一章を読んだ段階で「ダメだこりゃ」と思ったし、読み進むにつれて「なんてユーモアセンスのない人なんだ」と呆れたし、すんごくツマラなかったし、貧乏性のせいで途中でやめられなくて全部読んだのを後悔したよ? 東野圭吾の名前に騙されているんじゃないの?
『六枚の〜』はすんごくバカバカしいトリックやら謎解きやらが出てくる短編集だ。とってもバカバカしいしクダラないが、主人公たちは一生懸命である。それに反し、『名探偵〜』の登場人物たちは、自分たちが物語の中のキャラだというコトを知っていて、しかも自分たちのやってるコトをツマラないと思っいながら“演じて”いる話だ。密室なんかどうでもイイと思いながら、「あーあ、またアリバイトリックかー」とシラケながら、それでも名探偵役・ボケ脇役を演じているのだ。
あのね? バカってのは、一生懸命やってなくちゃツマラないのよ。そしてパロディってのは、愛がなくちゃダメなのよ。すんごくバカバカしいトリックなのに、主人公たちは真剣に考える。読者には真相もお約束のバカバカしさも丸わかりなのに、主人公たちはあくまでその世界の、大げさにデフォルメされた“お約束”に真剣に取り組む。そこで「あー、ミステリってこうだよねー」と笑えるんじゃん。あるいは、その世界のバカバカしさに気づいているのがたった一人、とかね。その人が読者にとってはマトモなコトをいくら言っても(なんでわざわざ密室にするんだ、とか、労力に見合っただけの効果のあるトリックなのか、とか)、名探偵がヘ理屈や詭弁で上手く言いくるめてしまって、他の登場人物が拍手喝采してて、その人だけが「どうしてこの結末で皆納得できるんだ〜っ!」と苦悩するとか、ね。
ツッコミを入れたいなら、批判をしたいなら、すんごくバカバカしいことをすんごくマジメに論じるのも面白い。なんにしろ、どこかに真剣な人がいなくちゃ、面白くないの。誰も真剣じゃない物語の何が面白いっつーのさ。この本の中で唯一ちゃんと読めたのは、「小説を映像にするとなんであんなにツマラなくなるんだ、原作向きの話がないないとテレビの人間は言うけれど、今はホラーもハードボイルドも昔よりずっと視覚的な面白いものがたくさん出ているのに、どこ見てるんだ」と登場人物たちが嘆く場面だけだった。それは東野さんの本気がちょっとだけ透けて見えるからだと思う。
まったくね、こうゆうのは、対象に対して愛がなくちゃ、あるいは“あるべき対象”に対して愛がなくちゃ、書いちゃいけない。(私は『名探偵の掟』に何ら愛を抱けないけれど、“あるべきパロディ”や“あるべきツッコミ”に対しての愛があるから、こんなコトを書いてるのです!)。シュロック・ホームズでも読んで顔を洗って出直してくればよろしいわ、ホントに。
一週間で再開とか言いつつ、一ヶ月も放置してしまいました。パソの設定は先週済ませていたんですが(それでも引越から3週間後)、これだけ休んでしまうと再開が億劫になってしまって、ついついつい……。続けているときは「止められない〜」と思っていた日記書きだのに、離れてみるとこのまま休止しちゃうコトがいかにも簡単に思えてきてビックリしました。なんだかんだと忙しいせいで、個人的にインターネットに接続する時間も、もちろん日参サイトを訪ねる暇もなかったせいもあるでしょうねー。なーんて状態の今、特にキッカケがあったワケでもないのですが、細々と再開しようと思います。なんとなく。
1ヶ月、いろいろありました。相変わらず仕事は忙しいんですが(月曜〜昨日まではちょっと一息ついてたんですが、今日はまた24時でしたよ。おかしいなあ)、スキーとダイビングに1回ずつ行ってきました。ダイビングでは主観的にまたもや死にかけました。芝居も3つ見に行きました。感想を書きたい本も何冊か読みました。感想文はリアルタイムで書いていたので、その辺からちょっとずつ更新したいと思います。スキーやダイビングや引越しの話も書きたいんで(←やる気あるんじゃん!)、日付と合わない日記がまだまだしばらく続くでしょう。とりあえず今日は再開のご挨拶まで。またよろしくお願いしま―――って、覚えてくれてる方はいるのかしら。いたら、ありがとう! ×××!(←伏せ字じゃなくて、キスマークですよ! 伏せてどうする。)