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2002.5.31

今週会社の都合で臨時休業があったので、もう終わっちゃいそうな『The Lord of the Rings』に行ってきました。2回目。ホントは吹替版で観たかったのだけど、そっちはほとんどが終了しちゃってたので泣く泣く字幕版。大画面で、も一度観ておきたかったのです。しかし何でこんなに早く終わっちゃうのよ〜と不満だったのですが、行って納得。平日とはいえガラガラで10人も入ってませんでした。うひー「騒いでるのは指輪ファンだけ」ってワケですね。私はあと2、3回は観てもいいくらいなのに。

字幕問題を知ってしまった今、なるべーくなるべーく字幕を読まないように努力したのですが、悲しいかな英語力がついていかず、やっぱ気に入らない部分の字幕も目にしてしまいました。いくら脳内補完しているとはいえ、誤訳と知ってしまった翻訳箇所は目障りです。ゴンドール国の現状については字幕を無視できたのですが、終盤のアラゴルンの「突っ込め!」、レゴラスの「やっつけろ!」、そしてアラゴルンの「まだ友情があるだろう」はうっかりしっかり読んでしまって、あーあ…と思いました。あと戸田さんの字幕には「誤訳ではないけど作品のムードを考えろ」って指摘も多いです。私的にはゴクリの一人称が「おれ」ってのが違和感ありすぎ。サムも「おれ」じゃないと思うのですがねー。

それでもやはり映像は美しく迫力あって、今回も楽しみました。こりゃDVD買った日にゃ何回くり返し見ることか。この映画を見るためだけにTVを大きいのに買いかえたいくらい。最初、馬車に乗ったガンダルフとフロドが道を曲がると、目の前に丸い扉と窓のついたホビットの住居がぱーっと広がるところ。あそこでまず盛り上がって、あとはずっと盛り上がりっぱなしでした。2度目なのであちこち気を配れて前回見逃した箇所にも気付きましたし。あ、見ようと思って見逃したのはロスロリエンの前後でレゴラスの弓が変わっていたかどうか、です。奥方に新しい弓をもらうハズなのですよね。最後、ボロミアの「our people…our people…」のシーンは、字幕を見ないコトに成功しましたので、もうすごくのめり込んじゃってボロボロ泣いてしまいました。いい演技してるよなー。

そうやって大満足で終わったところで第二部の予告編が始まりまして、壮大な戦のシーンを胸を躍らせ、「この人がファラミアかなー。これはエオウィン? うひゃー蛇の舌が想像以上にいやらしいー。私のイメージだと貧弱なネズミ男なんだけど、これもイイかも。この人は…セオデン王? うむむーこれもちょっとイメージとずれるかな? も少し痩せたイメージ持ってたよ。合間に意味なく入ってくるアルウェンは何なんだろ? おおっエント! ああ楽しみだー早く公開されないかなー」とわくわくしながら観ていました。すると…ええ聞いてはいたんです、知ってはいたんですけど…。大誤訳の「失われたゴンドール王国」が…。腰砕けでございました。ゴンドールはアトランティスかってーの!

ところで、この映画を観た婦女子と話すと「どこどこのシーンのレゴラスがカッコいい(美しい)」って話になるのですが、それぞれお気に入りシーンが違って面白いです。妹は「矢を2本同時に番えているトコ」と言いますし、会社の同僚は「森の中で続けざまに矢を射るトコロ。早いし姿勢が良くてキレイなのー」と言います。私の好きなのは、矢を番えようとしたらオークが近くまで来ていたので、その手に握った矢でオークを刺して倒し、そのまま同じ矢を番えて2番目のオークを射倒すトコロ。動作が流れるようで美しいの! アラゴルンやボロミアも剣で間に合わないときは殴ったり蹴ったりするのが好きです。絵になりますよねー。ああ戦のシーンが楽しみだよう。

さて。字幕改善運動をやってくださっているサックビル=バギンズ氏(サイトはコチラ)が、今までに集まった署名と公開質問状と誤訳指摘一覧を日本ヘラルドに送付してくださいました。誤訳指摘一覧は非常に丁寧かつ納得できる出来です。私は脳内補完しているおかげで、これでもそんなには鑑賞を阻害されていない方だと思いますが、ここで指摘されている誤訳とその訂正案を見ると、やはり訂正してくれた方が安心して物語の世界に身を委ねられます。生半可じゃできない、これだけのエネルギーをつぎ込んだ要望を、いい加減な答えであしらったり無視したりして欲しくない。日本ヘラルドの誠実な対応を切に望みます。…とココで言っててもしゃあないな。私も直接メールくらい送ろうかしら。あ、署名運動は方法を変えてまだ続行中。ぜひご協力を。

2002.5.28

先週、劇団ファントマの『黒いチューリップ』を観に行ってきた。フランス革命を背景に活躍した義賊であり民衆のヒーロー、黒いチューリップの物語を中心にし、そこに時代を無視して『三銃士』『シラノ・ド・ベルジュラック』『ノートルダムの鐘』を絡ませ展開させた脚本だったので、「ああまた。えん魔さん(ファントマの主催、作・演出)無茶して…」と思いつつ観ていたら、役者の遊びも含めてだけど、案の定3時間近い大作。でも私の大好きなくだらないギャグ満載で、たくさん笑わせていただきました。ファントマはどんなシリアスな場面でもギャグを忘れないのがスゴイところ。

例えば今回のクライマックスシーンはこうだ。銃士隊に捕えられたカジモドを救うため、黒いチューリップは危険を冒して地下牢に忍び込む。監視の目をかいくぐって首尾よくカジモドを連れ出し、あと一息で自由の身という瞬間、背後から「待て!」と声がかかる。体を強張らせる黒いチューリップとカジモド。舞台袖から抜き身の剣を構えたダルタニアンが現れるのと同時に、複数の銃士隊隊士たちが黒いチューリップを囲む。この緊迫したシーンで黒いチューリップは、ダルタニアンに肩越しにこう呟くのだ。真剣な顔で。「…ダルメシアン」。すかさずダルタニアンがツッコむ。「わしら101匹か!」

ああ、くだらなーい! でも好きー。てか、だから好きー。私こうゆうの大好きなんだよなー、ごめんよう(←ナゼか謝る)。ええ、分かってる、分かってるの。文字で書いてもツマラナイってのは。だからココは各自ベストの口調でベストのタイミングでベストのテンションで脳内脚色して読んでください。主演の美津乃あわさんは相変わらずで、民衆にシンパシーを感じているのに、正体が貴族と知れたらそれだけで民衆と心通わせられなくなってしまう…と、自分の出自と気持ちとの間にあるジレンマに苦しむ黒いチューリップをカッコよく演じていた。同時に表の顔、貴族のばか娘ロクサーヌを演じるときはホントに箍が外れまくっていて、嬉しそうにばかを演る。そのギャップがいい感じだった。

カジモド役の浅野彰一さんも、ハマリ役。彼は顔がいいので二枚目役をやると当たり前すぎてツマラナイときがある。上手な人なのに。でも今回は「化物」と呼ばれるくらい醜い男で、手塩にかけて育てたロクサーヌをひたすら愛し、全力でバックアップする存在って設定だったので、二枚目役では見せないステキな表情をたくさんしてくれた。ロクサーヌを見るときの顔なんか、すごく優しくじーんとくるぐらい。ロクサーヌも唯一自分の正体を知るカジモドを信頼し愛している。この2人の関係はツボ直撃でした。伊藤えん魔さんのダルタニアンも意外で笑えた。えん魔さんはかなり肉付きがいい方なので…。ローアン大司教はディズニーの『ノートルダムの鐘』そのままで気色悪かった。でもハマリ役。あと時代が時代なんでマント翻してる人が多くて、目を楽しませてくれた。全体的にいい出来でした。満足。

2002.5.27

伊藤俊人さんが亡くなられてしまったのに、す…っっごいショックを受けてます。日曜日に「聞いた? サンシャインボーイズの伊藤さんが死んじゃったよ!」と言われたときには、びっくりして泣き出しそうになりました。芸能人(てか私の中では“役者さん”なのですが)が亡くなって、こんなにショックを受けるなんてそうそうないです。好きな役者さんはほとんど20代後半〜40代前半くらいの年齢の方ばかりで、訃報には今まで縁がなかったから。まだまだ現役で活躍できる年代じゃないですか。

三谷幸喜さん主催の劇団、東京サンシャインボーイズは今30年の充電期間中で、2024年に『リア玉』を上演する予定になってます。私はその長期のお休みに入る直前の公演『罠』から三谷さんの芝居を見始めたので、ファン歴は浅いのですけど、『12人の優しい日本人』や『ショウマストゴーオン』の名声は聞いていました。映画で見た『12人〜』は大好きで、オリジナルキャストで見たかった…と嘆いたものです。それに『罠』ですっかりハマったので、もっと以前からサンシャインを見ていた人と「なんで30年も休むのよぅ。再開時に誰か死んじゃってたらどうするのよねえ」と冗談まじりに文句を言っていたのに、まさかこんなに早く亡くなられる方がいるなんて…!

舞台出身の役者さんってTVだと妙に浮いてしまったりもするのですが、伊藤さんはTVでもいい感じに活躍されていて、見るのを楽しみにしてました。『ショムニ』なんかちゃんと毎回見ていたワケでもないのに、伊藤さんの演技は鮮やかに覚えているし、『王様のレストラン』の印象も強いです。何かで悪役をやったときの演技も素晴らしかった。舞台で彼を見られる機会はあまりありませんでした。最後に見たのは昨年7月にやった『Vamp show』のときだったかな…。ああ6日の日記に感想書いてますね。あれも良かった。キレのある、気持ちいい演技をされる方でした。ああ…。これからもたくさんのステキな舞台を作り上げてくれるステキな役者さんだったのに、ホントに、残念でたまりません。

2002.5.22

巡回サイトのいくつかで(=゚ω゚)ノぃょぅ好きさんのサイトが紹介されていたので、見に行ってみた。内容は2chの「家は宿でも合宿所でもねぇぞ!!」スレのダイジェストで、これがすさまじい。同人やってる人のところに、ほとんど或いは全然面識がないファンがいきなり押しかけてきて宿泊をせがみ、断っても居座られ障害沙汰や警察沙汰になる押しかけミザリー話ばかりだ。話半分に読んでいても怖すぎる内容で「これ…ネタだよねぇ。ネタの人は最期にちゃんとそう言ってよぅ!」と懇願したくなるほど。

で、それはそれで読み耽っちゃったんだけど、途中で「あれ? このスレって最初のムードは違ったよなぁ。確か、食費も払わずに何日も居座る友人に困ってる、とか、友人を泊めると言ったらそのまた友人(面識なし)もついてきちゃって扱いに困った、とか、非常識ではあるけどこんなに怖い話ばかりじゃなかった気がする…」と、1年以上前の過去ログを今更ながらに頭から読んでみたら、最初の頃の体験談の方が私には身近で、つい時間を忘れてしまった。…現実逃避ムード高まり中なので。

泊めた方が迷惑したって話だけじゃなくて、「非喫煙者が喫煙者を泊めたら、煙草をすぱすぱ吸われて不愉快だった。止めてって言ってもいいもの?」とか、「両親同居の自宅に友人を泊めたんだけど、後日礼状がこなくて親が怒ってしまった」とか、「泊まりに行ってキライなものを出されたら、どうしたらいい?」とか、「生理の最中に泊まりに行ったとき、使用済みのナプキンどうしてる?」とか、そんな“一般的に許されるのはどの辺か”を探る話も多く、思わず自分のお泊り態度を振り返ってみたりして。

…そんなに常識ハズレの顰蹙行為はしてないと思うんだけどなあ…。でもこれ読むと「はー、世の中にはいろんな価値観の家があるもんだ」ってびっくり。私お礼状なんか出した覚えないや。電話か、今はメールでお礼言うくらい。一人暮らしの友達だと、帰るときに「ありがとね、お邪魔しましたー」だけで、後からの連絡さえしないときもある。それからも一つびっくりしたのは、“お泊り”の敷居が高い人もけっこういるんだなーってコト。本人が「お互い気を使うのでヤダ」って場合もあるし、親が許さなかったって場合も。「他人さまの家でちゃんと振舞えるようにならなきゃ泊まっちゃいけない」ってヤツ。

就学年齢に達する前の私は、週の半分は誰かの家に泊まりに行っていたらしい。そして残りの半分は誰かがウチに泊まりにきていたそうだ。親が共同保育をしていたので。全然覚えてないんだけど。つまり私は「他人さまの家でちゃんと振舞える」ようになる遥か以前から、外に遊びに行くのを許されていたワケだ。それにしちゃ常識的に育ったよなーと一瞬自画自賛しかけたものの、考えてみると、小っちゃかったので泊まりに行った先のご両親が遠慮なく叱り飛ばせただけかもしれない。てか、そうだろう。箸の躾も人の家でうけた覚えがある。いろんな人に怒られて常識を身につけたワケか。ふむ、結局いい育ち方じゃん。

だけど自分が仲のいい人を泊めるのに抵抗がないからって、そうじゃない人(=いくら仲良くても人と同じ部屋で寝るのが苦手な人)がいるってのは、気をつけなきゃいけないなーと自戒。幸いなコトに私の友人連中は同じような価値観の人が多く、かなり積極的に泊めあうけど不愉快な思いはしたコトない。ウチに来る人には「狭いし汚いしおかまいしないけど、よかったら」で遊びにきてもらうのに、皆くり返し来てくれるし、向こうも自宅にくり返し呼んでくれる。スペース足りない場合は雑魚寝するし…。起きたらすっごい間近に顔があってびっくりするコトはあるけど、イヤではない。

もちろんそれは相手をそれだけ信用してるからで、件のスレとは状況からして違う。あ、「好きな人なんだけど、お泊まりのマナーはちょっと…」てのもあったか。そうか、貴重だったんだ、お互い気楽に楽しめるお泊りって。やっぱ私はシアワセモンかも知れません。

2002.5.21

またもお付き合いで森博嗣さんの本を読んでいる。うーんやっぱ面白くない。前作よりは奇抜な状況を作ろうとしてない分マシだが、人物描写は相変わらず…………ぷちっ!

てかね! 犀川助教授、キライ! なんだよあの男。ああゆう自分からは何もしようとしないタイプってヤだ。そんななのに可愛い女子学生、萌絵に好かれてて「彼女は特別」と自覚はしながらも、彼女が積極的なのにあぐらをかいて「まいったなぁ」と呟いているだけ。恋愛に持っていく気がないのか?とも思ったけど、他の登場人物に「お前が結婚しない理由がわかったよ」とか言わせてるトコロを見ると、違うでしょ? 現実なら女のコの方がさっさと見切りつけて去っていくのに! 物語だと女のコにずっと好かれたままでいられるのよね! 中年男にとっちゃ美味しいシチュエーションだよなーったく。

シリーズ2作目なんで、この先萌絵ちゃんが若い男のコに心変わりして「先生が好きだったけど、はっきりしないから…」と犀川を切り捨てる展開希望。更に、萌絵ちゃんみたいな物好きはそうそう現れないので、犀川は「ああ…あのときハッキリ言っておけば」と一生後悔するのだ。わははー!もっと苦しめーっ…と脳内で暗黒展開が膨らんでるんだけど、そんな展開はないだろうなぁ。あの曖昧な関係がいいって読者も多いみたいだし。

私だって「あえかな恋心」がわからないワケじゃないし、「片想いで視線があうだけでドキドキしちゃう。きゃ!」なんてのも平気で感情移入できるので、要するに犀川がダメなだけなんでしょう。「この男、萌絵ちゃんに押し倒されなければ何もできないに決まってる!」と無駄にエキサイトしながら読んでいたら、ホントに最後の方で押し倒されそうな展開になっていてびっくりした。待て萌絵、よく考えるんだ! ま、彼女にもそう魅力は感じないんだけど。でもそうなるとまた余計な心配しちゃうよなぁ。「…てか押し倒されても役にたつの?」とかさ。

まったく、私の一押し男性キャラ、ギデオン・オリヴァー(スケルトン探偵シリーズの主役。もうとにかく可愛いの!40男なんだけど!)教授の爪の垢でも煎じて飲むがいい!あんたが独身でギデオン先生にラブラブの奥さんがいるのは偶然じゃないぞー! とギデオン先生の可愛げを思い出してにんまりしているうちに、やっぱ私はトリックよりキャラクター重視なんだなーと改めて実感。緻密なトリックなんかどうだってイイものねー。いやホントに上手けりゃ感心しますが、森さんのはそうでもないし。

あとね、笑えない冗談や、本人気の利いたつもりの台詞に、いちいち無駄な説明を書くところ、親父ギャグっぽくでウンザリです。て、こうゆう人間が森さんの本を読むのが間違ってると言われちゃ一言もないのですけど、いろいろありまして…。

2002.5.20

7時20分に携帯アラームが鳴るようにしていたのに、妹が玄関のドアを閉める音で目覚めたら8時20分だった。携帯は枕の隣に転がっている。またやっちゃった…!と、慌てて起きてTVをつける。ねぼけ頭にいきなり、宇都宮で連続して起こっている動物虐待のニュースが飛び込んでくる。犬や猫がどんな目にあったのかの説明つき。月曜の朝からいきなり暗い気持ちになる。

ここから「たぶんやってるのは男なんだろうなー。あんまり女のコがやってるのって想像できないもの。男性の破壊衝動は外に向くコトが多く、女性のそれは内に向くコトが多いって聞いたっけ。確かにリストカットやってる男のコってあまり聞かないなー。何でだろう。これもジェンダーの話に行きつくんだろうか…。女が女であるだけで罪悪感感じちゃうような環境って、やっぱおかしいよ。男は男で逆にプレッシャーがあるんだろうけど、でも自分が女だから私は女のコに肩入れしちゃうなあ…。あ、でも女のコでも集団なら動物虐待しちゃいそうな気がする。うん、それなら想像できる。それに幼児虐待は男女問わずするし…。まあ育児に疲れての虐待と動物虐待はまた違うか。幼児虐待は場合によっちゃ同情しちゃうときもあるものなー。だからOKとは言えないけど。

あれ? でも男の人が「子供の頃にセミやカエルを苛めて(結果的に殺して)遊んでた」って話にはこれほど拒否感覚えないのはナゼだ? あ、何もわざわざ男の人って言わなくても、私だってアリの巣に水入れたり蟻地獄にアリを落として遊んだり蜂の羽を切り取って飛べなくして服につけて「動くブローチ♪」とか言ってた記憶が…。大人になってからも部屋の中で毎日列をつくっていたアリを「アリの巣コロリ」で虐殺したしなー。毒入り餌を嬉々として運んでいたアリ…次の日からキレイに姿を見せなくなったアリ…あれは後味が悪かった。掃きだしても餌を片付けても床を拭いても、毎日毎日行列ができてるんで、仕方なく置いたんだけどさ。いやこれも話が違うか。

とにかく虫を殺して遊ぶのと、犬や猫にまで実際に手を出してしまうのには、決定的な差がある気がする。自己弁護じゃないよな、これは。その差ってどこからくるんだろう。で、犬や猫を殺すようになると、そのうち人間にまで進む…って定説みたいになってるけど、ホントなのかしら。いや私もそんな気がしちゃうんだけど。犬や猫から人間ってラインは繋がっているのかなー。それともやっぱ途中に大きな落差があって、犬や猫は殺せても人間に行くのは難しいのかしら。「犬や猫を殺す人間と、人間を殺す人間の間には決定的な差があるんだよ。オレも昔は犬殺してたけど、その段階で止まってんだから問題ないよな!」って人もいるのかしら。うーむ何か怖いなぁ」なんて考える(←2つ前の段落から繋がっていたの。へへ)。

今は多少分かりやすいように書いてるんだけど、それでも呆れるくらい話がぽんぽん飛躍してる。脳内ではもっと取りとめがない状態。何かきっかけがあるとこうやっていろいろ考えて、それから更に数日はそこから派生したコトを折に触れて考える。↑の話だけでも、もっと考えたい部分が何箇所かある。気がつくと全然関係ない方にまで話が膨らんでいたりもするし。自分でも思考の方向に脈絡がないのは自覚してるので、ごくタマに、他人が同じところから出発して同じようなトコロに辿りついているのに気付くと、すごくすごく嬉しくなります。…と、また話がズレた。

とにかく動物にしろ幼児にしろ女性にしろ、自分よりも弱い人間(力の話)を虐待するってのは、どう考えても許せないし、考えると暗澹たる気持ちになる。動物虐待に関して今の罰則は軽すぎるし、何かいい処罰はないのかしら。同じ目に遭わせてやるのが一番効果的なんだろうけど。友人の案は「全員まとめて火星に送る」だそうで…そういえば某同人作家さんたちが「復讐戦隊ハンムラビ」って話をしてたなぁ…あれはいい案だった…(と、すぐに考えが横道に逸れてゆく。どこまでもどこまでも)。

2002.5.17

昨日本の感想をUPした後、あまりにもあまりなんで、まさか「本格推理小説!……をおちょくったパロディ」だの、「アメリカを舞台としたユーモアミステリ!……のカリカチュア」だのってどこかにこっそり書いてあって、ツッこんだオレがばかを見る仕組み?とゆう妄想に駆られ、帯から後書きから舐めるように読み返してしまいました。そうゆう記述は見つかりませんでした。ほっ…。

ところで、会社でテキストサイト巡りをしておりますと、ときどき閲覧規制に引っかかるのですよ。チャットだから見られませんだの、ショッピングだから見られませんだの、エロだから見られませんだの煩いコトをほざいて、「今のアクセスは記録されました」とくるワケです。わたくし自分の不真面目な勤務態度を棚にあげ、「少しくらい息抜きさせてもイイんではありません? 通信料がかかるワケじゃないんだし、お尻の穴の小さい会社ですわね」という意味のコトをもう少し下品な口調で考えているのです。

で本日、リンクを辿ってとあるサイトにアクセスしようとしたら、「tasteless」とゆう見たことのない理由で閲覧を禁止されてしまいました。…? Tasteless=味がない、趣味が悪い、下品。…? うーん、まだエロだと言われれば、文中にやばい単語でも含まれているのかしらと想像もつきます(だって会社でホントのエロサイトなんか見てないもん!さすがに!)が…、趣味の良し悪しなどどうやって、誰の基準で決めているのか気になるトコロでございます。

2002.5.16

また人から借りた本を読んでいた。西澤保彦さんの『ストレート・チェイサー』。今まで一度も読んだコトない作家さんなのだけど、最初の数ページで目が点になった。いや軽くて読みやすくはあるのだ。けど何、この古さ! 舞台はアメリカで主人公は母娘家庭の母親。その母娘の会話を筆頭に、会話全般のセンスが…古いとしか言いようがない。外国小説に見られる軽妙なやり取りみたいなのを狙ってハズしたのかなぁ。地の文がほとんど無くて会話ばっかで話が進んでいく作りなのに、その会話がハズしてるってのは苦しすぎる。でもあまりにハズしているのでそこが物珍しくてつい読んじゃった。

ときどき振ってある意味不明のルビも笑える。この前電車の中でプレイボーイの中吊り広告の見出し「不審船引き上げ」に「レイズ・ザ・フシンセン」とルビが振ってあるのを見て、微妙な脱力感を覚えたものだけど、もうモロそんな感じ。翻訳小説で、日本語に訳した言葉にあえてカタカナで原文のルビを振るのには、意味があると思う。もともと、そこだけ違う国の言葉で書かれている(原文は英語なのにフランス語の単語が使われてるとか、外国の諺を引用してる場合など)、とか、原文だと韻を踏んだもじりになっているのに、日本語じゃそれに気付かせられない、とか。

エラリー・クイーンの『Yの悲劇』で、犯人が「blunt instrument(鈍器)」が何を指すのか分からず、「instrument」とつくからには楽器の一種だろう、と見当をつけるってのは有名だけど、あれも“「鈍器」が何を指すかわからず、「器」とつくからには「楽器」だろう”としちゃうのは苦しいもんなー。器のつく言葉なんて他にもあるもの。計器とか便器とか食器とか。…えーっと、手元に本は無いのですが、たしかそんな感じの訳でしたよね? 違ったらゴメンなさい→訳した人。まああの場合はいきなりそこだけ英語を使うのも変だし、ルビを振るのもわざとらしいし、難しいトコロだったとは思いますが。

話がズレた。とにかくルビを振るのには意味が欲しいのだ。ところが『ストレート・チェイサー』の場合、なぜかあんま意味のないルビが振ってあるのだ。「じゃあねっ」ってトコロに「シーヤッ」だってさ。しかもそれが唐突に出てくるので、びっくり。まだ翻訳小説なら許せるのかも知れないけど、でも書いたの日本人ですぜ? 何の意味があるのだろ。やっぱ外国チックな雰囲気つくりなのかなー。でもね、何と言えばいいんだろ………愛の告白をカッコよくキめようとがんばりすぎた日本人の男が、日本人の女相手に「I love you」と口走ってしまって引かれる図式と言うか…。そんな妙な気恥ずかしさが漂います。や、そんなコト言われた経験ないけど。まあもっと素直に受け取れば「こんなに英語の言い回しに通じてるオレってカッコいい!」って作者の自負が透けて見える感じ?

他にも悩みを切々と訴えてた人が、その話が終わった途端に「でもそんなコトはどうでもいいの。実は…」と強引に話を変えたり(しかもそれが複数の人によって何回も繰り返される)とか、気絶してた主人公が気を取り戻すときに「はうっ」と悲鳴をあげて飛び起きるとか、これギャグ?ってくらいツッコミどころ満載で…。途中でいい加減やめようと思ったんだけど、そう思ったときには2/3読み終わってたんで、そのままラストまで付き合ってみました。帯によると最後の1行が感動的らしいし。

…(間)…読了。はあー、確かに「驚愕のラスト!」でしたわ。もうびっくり。まさか(ネタバレ→)かけると姿が見えなくなる眼鏡なんて小道具を使うとはね。それで「本格推理小説」謳うってアリ? しかも感動的なラストってのは、意志が弱く気力もなく頭も弱い女が、自分の気持ちも直接伝えられないストーカー男に落とされるってダケ。泣けます。違う意味で。同じ作者の本はもう1冊借りてるんだけど、読まずにお返ししようっと。こんなの1冊で十分。

2002.5.15

最近の苛つくコト。忙しいときに次々と電話がかかってくると仕事の流れが中断されてタダでさえ苛々するのに、取引先の某社の社員には「はい、○○です」とこちらが名乗った後に「もしもし?」と返してくる人が多い。「もしもし?」「…はい」の何の意味もない余分なやり取りが入ると、「はい○○です」「あ、△△の××ですが…」のテンポが崩れて、キレそうになるのだ。忙しいとき限定で。何なのこれ。そう返せってマニュアルでもあるのか、もう!

ちょっと期待してたけど、その通りになってホッとしたコト。本日終了する予定だったADSLの初期登録料無料キャンペーンが8月まで延びていた。ADSLコースに乗り換えるのはもう決めているのだけど、今申し込むと手続きやら買い物やら設定やらをしなくちゃならない。この忙しいときに(てココ休めば少しは楽になるのよねぇ。でも書きたいコトが多すぎて)。しかし登録料4000円がタダになるってのも捨てがたいし…と迷っていたが、これで心置きなく先延ばしにできる。多分7月に入る頃には落ち着いてコースの変更ができるハズ。遊びまわっていなければ。

さて。昨日は『革命』ののぐちさんとデートしてきました。初対面でツーショットってのは初めてでめちゃくちゃ緊張し、就業間際にはひっきりなしにトイレにたつ有様。けどお逢いしてからは楽しい時間を過ごせました。お酒の力も借りて。ネットで知り合った方と逢うってのは、期待がある分緊張しちゃう面もあるけど、趣味や考え方がある程度わかっていて聞きたいコトもあったりするので、ホントのホントに知らない人と逢うよりは楽です。他の世界じゃ知らない人といきなり何時間も2人きりで過ごすなんて、あんまないものなー。ラッキーなコトに、逢ってみてがっかりって経験もまだないし。イメージが違かったコトはあるけど。ちなみに、のぐちさんはほぼイメージどおりでした。

そういや今回逢ったキッカケは食玩のアリスのフィギュアの交換でした。おかげさまでコンプリート。で、アリスがダブりまくったって話から「食玩ってキリがないから、よほどツボにはまらない限り、もう買わない」みたいな話をしたのに、それなのに帰り道で寄ったセブンイレブンで昭和猫にふらふらと手を伸ばしてしまったのは私です。ああ何と意思の弱い人間なのか。出たのは『カブトムシとにらめっこ』でした。私は『池の鯉』が欲しいです(←まだ買うつもりなのか!)。と、こんな節操ナシではありますが、機会があったらゼヒまた飲みましょう、のぐちさん!

2002.5.13

このところの生活。久しぶりにミシンと格闘する日々が続いている。私は器用貧乏なトコロがあって、中学生の頃には簡単なワンピースくらいは作るコトができた。今では時間さえかければスーツでも作れる。まあ裏地をつけなきゃいけない服は面倒なので片手の指で数えられる程度しか作った経験がないけど。しかもほとんど自己流なので細かい仕上げは見ちゃいけない出来。でも私の体は規格外なので、体に合ったものが作るってのは都合がイイ。

今やってる作業は実用目的の服つくりではなくて、何の金にもならない趣味のための作業で、だから普通の服つくりでは出来ない遊びが色々できて楽しい。更にこうゆう自分の得意な作業をやっていると「私って天才かもーっ!」って自己満足に浸れるのもよろしい。…が、ミシン・裁縫箱・端切れ・型紙・その他モロモロが狭い室内に散乱していて、まるで「片付けられない女」の部屋のようになっているのは悲しい。一晩なんか布団を敷くスペースが作れず、片付ける余力もなく、上掛けだけをかけて畳でゴロ寝。ああせめて寝る空間と作業空間を分けるくらいの余裕のある間取りに住みたい〜っ!

週末には久しぶりに妹とケンカ。…てか、彼女相手だとケンカにすらならない時が多い。今回もそのパターンで私が一方的にまくしたて、向こうは「うん…ゴメン…」だけ。だからこっちだって言いたいコトの半分も言えず、相手の考えもわからず、これから改善できる道もわからない、とゆう非建設的なケンカ…いや言い合いに終わってしまった。私の性格でこの結果では、めちゃストレスがたまる。私が“ケンカになった途端に口下手になる彼氏”を持った女性の愚痴に頷くコトが多いのは、このストレスから来てるんじゃないかと思う。「不満があったら口に出してとことん話して解決策を探したい」タイプと「話し合いそのものにストレスを感じてしまうので、とりあえず場を収めようとする」タイプの妥協点って、どの辺にあるのだろう…?

2002.5.10

5月に入った途端にめっきり読書の時間が減ってしまって、今は『暗号解読』だけをちまちまと読み進めているのだが、これが面白くて! 著者は先月読んだ『フェルマーの最終定理』(感想はコチラ)と同じ、サイモン・シンなんだけど、この人難しいコトをユーモア交えて分かりやすく語るのがホントに上手い。数学にしろ暗号にしろサッパリわからない分野なのに、読み終えると何となく詳しくなったような気になっている。更に暗号の面白さだけでなく、その分野で活躍した人たちをも魅力的に描き出してくれるので、そっちの面でも引き込まれる。

数学も暗号も「謎解き」って意味では似たようなものだと思うのだが、『フェルマー〜』のときはすぐ理論についていけなくなって、早々にギブアップしてしまった(それでも「謎に熱中する人々」の描写は面白かった)。が、今回は暗号(←ああこの言葉に星をちりばめさせたいくらい好き!)である。もろパズルである。しかも暗殺やら陰謀やら戦争やらに密接に関係する、ドラマチックな謎解きである。機密事項である。これが燃えずにいられようか。さすがに機械を使うようになると暗号にもついていけなくなるのだが、なんと第1次世界大戦の頃までは紙とペンの暗号が主流だったらしく、その時代までは何とか暗号の作り方や解き方の説明についていける。少なくとも「時間をかければきっと私にも解ける!」って気にさせてくれる。

ちょいと暗号を離れての、古代文字の解読の章もドラマチック! 失われた言葉を解き明かすなんて想像の彼方だ。暗号でも最初にその解き方を見つけだす人の発想法ってスゴい。解き方を教えてもらえればできそうな気になるけど、最初っから自分で解き方を見つけるなんて、絶対できない自信があるぞー。ネット時代の公開鍵を使った暗号化の方法を作り上げる過程もドキドキした。とにかく暗号や古代文字の解読とか作成とかに名を残すには、「一瞬の閃き」やら「天才的な直感」やらが必要だってのはよくわかる。もちろんずーっと突き詰めて考えているから、閃くんだろうけど。1つの問題を何年も煮詰めて煮詰めて煮詰めて考えてたりするんだもの。神がそうゆう人に啓示を与えなくて誰に与えると言うのだ。おうとも、私が神なら与える。与えるとも!

「オリジナルな研究をやるということは、愚か者になることなのです。諦めずにやり続けるのは愚か者だけですからね。第一のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアはコケる。第二のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアもコケる。九十九番目のアイディアが湧いて大喜びするが、そのアイディアもコケる。百番目のアイディアが湧いて大喜びするのは愚か者だけです。しかし、実りを得るためには、百のアイディアが必要かもしれないでしょう? コケてもコケても大喜びできるくらい馬鹿でなければ、動機だってもてやしないし、やり遂げるエネルギーも湧きません。神は愚か者に報いたまうのです。」
−サイモン・シン『暗号解読』より。スタンフォード大学教授、マーティン・ヘルマンの言葉−

パズルって大好きなんです。読書に次いでお手軽な娯楽でしょ? クロスワードパズルとかナンクロ、特に漢字ナンクロなんか燃える。下手なんだけど。ただ熱中するとすぐに時間を忘れてしまうので、ここ1年くらいはやってなくて、だからこの本の巻末に載っている暗号10問を楽しみにしている。後半なんか見るだけで「うげっ」となってしまうので、挑戦する気もおきないけど、最初の3〜4問くらいなら解けるかも。うふふー。この本、そんなパズル好き人間にはオススメです。

2002.5.7

皆さま楽しい連休を過ごされましたでしょうか。天気にも恵まれて行楽日和でしたねー。私は屋内で微妙に遊んでおりました。5日ぶりにテ庵を見たら、えらくサッパリしていてびっくり。ロクにネットに接続もしていなかったので気付くのが遅れたけど、風聞帳や茶どころは毎日覗いていただけに、ちょっと寂しい。見てる分には面白かったものなー。

さて。連休中の悲しいニュース。ニューカレドニアで日本人女性が殺害されたそうだ。まだ詳しいコトはわからないらしいし、そのニュースについては何を言うつもりもない(思うコトはある)けど、以前に書いたのと同様に、報道の仕方については文句を言いたいと思う。今回の彼女は一人旅で、現地の言葉(フランス語)も喋れる方で、安めの宿に泊まっていたらしい。与えられた情報はほとんどそのくらいしかないのに、今朝見た番組に出ていたキャスターやコメンテーターたちが言ったコトはほぼ同じ!

「最近は日本人の女性も積極的になってツアーじゃなく個人で旅したりもしますけど、警戒心は薄かったりしますからねー」「語学にも堪能だったようだし、油断があったんではないですか」「旅慣れている方だったんでしょうね。だから自信が過信になってしまったんでは…」「私には想像もできませんねー。旅は友達と行くので…」

怒髪天!! よくもよくもそんな風に言えたもんだ。もう何でこんなコトばっかしか言えないんだろ。自分ができない、やらないからって、それが悪いコトみたいに言うのは止めてってば。私はツアーより個人旅行が好きだけど、団体の数を頼んで傍若無人な振る舞いをしない限り、「ツアーで参加するなんてホントの旅行じゃないしー」なんて批判するつもりはありません。なのになんで女性の個人旅行=警戒心が足りない、みたいな言われ方しなくちゃいけないの? こうゆうコメントって「ミニスカートはいてる女は襲われても仕方ない」って意見と同じライン上にあるって、言ってる人は自覚してるんだろうか…? してないんだろうなー。

もちろん注意は必要だ。いくら「襲う方が悪い」と言っても、実際変な人がいる以上気をつけないワケにもいくまい、とは思う。だけどソレとコレとは全然別の話なんだ。だいたいこゆ人たちって、無事に帰ってきた人のお土産話となると「いいなー、やっぱり言葉ができると違うよねー」だの「すごいー、私はそんな積極的にはなれないから羨ましいなあ」だのと、さっきのコメント吐いたのと同じ口で持ち上げるに違いない。どちらもやってるコトは同じなのに! ああもう思い出しただけでムカムカする。くっそー。

2002.5.1

ゆきさんの日記(4/5)を読んで、そのあまりのムカつきっぷりに興味がわき、図書館で林望さんの『知性の磨きかた』を借りてきて読んだ。以前ちらっと書いたとおり、私は林さんの『イギリスは〜』シリーズは好きなのだ。確かにそのシリーズにも彼の頭の固さは垣間見えた。しかし私はそれを「老齢ゆえ」と解釈していたのだ。が、「この人死ぬ前にまだ何冊かは書けるような年なのかしら?」とゆう失礼な疑問をもって著者の生年月日を見たとき、私の評価は一変した。「年齢の割にはリベラルなおじいさん」から「年齢の割に頭の固いおじさん」に。や、年齢にこだわるつもりはないのだけれど、その人の時代背景を考えると許せるような言動があるってのも、またホントじゃない?

んで『知性の磨きかた』。えーっとね、私はそんなにムカつきませんでした。っても納得できたからじゃないです。感想をゆうなら一言…「ケッ」。最初から期待してなかったし、一回読んだだけだからムカつき度が低いだけなのかも知れませんが。読みながら「なんでこの人の言葉は全然心に響かないんだろ?」と考えてたんだけど、まず林さんの文章にはやたら矛盾があるのが理由の一つ。それから自分の体験を唯一絶対の正しい道だとしてる点が一つ。自分が興味がないコトに有益な部分があるって認めないんだもんね。あと他人の評価を求めすぎる点が一つ。私ももちろん他人に認められたいって欲求はあるし、結果を出さなきゃ意味のないコトもあると思う。けど全てがそうかと言えば…違うでしょ。他人から見てどんなに意味がなくても、本人にとって大事なコトはいくらもあります。

矛盾。本人そのつもりはないのかも知れないけど、最初の方読むと「大学とか大学院に行かなかった人は知性がない」と言ってると受け取られても仕方ないと思う。これは言葉の使い方のせいじゃないのかなー。まだ「研究者(学者)になるには」と言ってれば通じる話じゃないかと思うのです。でもここで全ての人に向けての「知性」とゆう言葉を使うのはどうかなぁ? 私は高卒で林さんの言ってる条件には全然当てはまらないので、「あなたは学者に向いてない」とか「あなたは一つの学問を突き詰める能力に欠けている」と言われたら、はいその通り、と素直に納得する。「知的ではない」と言われても、まあそうかもな、と思う。けどさすがに「あなたには知性がない」と言われたら反発覚えますぜ?

私を例にあげるのがいけないとしても、例えば「この辺の海に関しては知らないコトは無いぜっ」って漁師さんや、「この山の木なら一本一本全部知っているぜっ」って山歩きの達人でも、学問を修めてなければ知性がないと? その辺に当たり前に存在している数多の人も、ただ大学に行ってないだけで知性がないと? ツアー旅行に参加したりカルチャーセンターに通うという、ただそれだけの行動で知性を否定されなくちゃいけないと? 思うに、これは林さんが自分の経験以外を想像する能力に欠けているからじゃないでしょうかね。カルチャーセンターで何かを学べないとどうして言い切れるの?

そりゃカルチャーセンターは入門編かも知れない。でもそこで興味を持ったら自分でいろいろ勉強を進めるでしょ? 何でそれが意味ないと言える? 定年すぎて何かを学ぼうと思ったら、そりゃ若い頃のようには新しい知識を覚えられないだろうし、頭の回転も遅いかも知れない。けど1日少しずつでも進んでいけて、本人がそれを楽しんでいるのだとしたら、他人に認められるような業績を残せないからって、何か問題ある? バイオリンで一つの曲しか弾けなくても、飽きずに楽しんでいたらいいじゃない。本人が飽きたら他の曲に手を出せばイイんだし。なんで人のリクエストに答えられなくちゃいけないの? てかこれって冒頭で林さんがススメてた「一つの道を突き詰める」ってのとドコが違うの? 一つのコトを突き詰めたら応用力がつくって言ってたじゃん。一つの曲を引き続ける人と、一冊の古典を研究し続ける人との差異って何?(真剣さが違う、とか言うんだろうなー。)

それに林さん、読書やら遊びやらになると急に「正しい道などない。本人が好きなようにやれば、本人が有益だと思っているのなら、他人が評価をくだすものではない」と言い出すけど、林さんの中にはちゃんと格付けがあるのね。「赤川次郎が読書ではないと誰に言えようか」と言った舌の根も乾かないうちに、「赤川次郎だけじゃなく古典にも興味を持つようになるかもしれない」って言葉が出てくる。要するに赤川次郎より古典が上ってランクを、自分もつけてるじゃないの。それに男は殺す女は犯すの大藪春彦(私は読んだコトないけど林さんによるとそうゆう本らしいので)は、自分が知っているから認めても、マンガは認めないのね。自分が知らないから。

酒にしてもそう。自分が若い学生と喋るって行為には頭をリフレッシュさせる効用があると認めても、お酒を飲んで楽しい時間を過ごしてリフレッシュする効用は認めないのね。自分が飲まないから。まあ私もみっともない酔っ払いはキライですけど、だからって全ての酒飲みを否定しようとは思わないです。…あ、これは自分が飲むからか!(←墓穴。)………そうか、林さんにはこうやって自分にツッこむ機能がついてないのかも。そうじゃなきゃあれだけ論旨に破綻をきたしてる文章並べて「知性とは…」なんて言えないでしょ。「さっき書いたのと矛盾するじゃん!」ってツッこみが入るって。

ほほ、言い出すとキリがないなー。てなワケでゆきさん、私はこの本にはムカつくほどの価値はない、と思います。「ケッ」で済ましておけばどうでしょう? それより何より私、電車の中で『知性の磨きかた』なんてタイトルの本を広げるのが、ホントめちゃくちゃ恥ずかしかったです。

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