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2001.2.28

教習は教官次第なので、昨日はすっかり自信喪失してしまった。見極めで落ちるかも。意気消沈して帰宅したら、留守電に悲しいメッセージが入っていた。いやーんな気分なので現実逃避してマンガ話。

幼い頃から現在まで、私の少女マンガ読み暦は長い。だが少年マンガとなると別である。周囲がキャプテン翼だ、聖闘士星矢だと(両方とも少年マンガだよね?)かしましかったときも、あまり興味は持たなかった。だから少年マンガを読み始めたのは、妹が少年ジャンプと少年サンデーを毎週買ってくるようになってからで、つい最近である。今のところ自分で単行本を買うほどの作品には出会っていないが、それなりに毎週楽しみにしているものもある。だが少年マンガの世界は少女マンガの世界とは別物のようで、私は自分の理解が遠く及ばない作品があるのを知った。

ひょっとすると連載モノだからかも知れない、と私は考えた。始めから読んでいれば、舞台設定や約束事はちゃんと把握できていたのかも知れない、と。だいたいマンガが理解できないなんて変ではないか。「つまらない」のでも「このキャラ嫌い」でもないのである。分からないのだ。どう見ても小学生のクセに学校に行っている様子がないとか、そんな話ではない。それは許容範囲だ。私はとりあえず妹に聞いてみることにした。彼女は私よりも前から少年マンガを読んでいる。きっと答えを知っているだろう。

「ねえ、妹。」「ん?」「このマンガ、ちょっと分からないんだけど。」「どれ?」「この『遊☆戯☆王』って奴。彼らがやってるのってゲームなんだよね?」「そうだよ。」「なんでやってるの?」「なんでって?」「いや、ゲームの目的。ただの遊び? なんでこんな命かけてやってるの? 負けたらどうなるの?」「カード取られるんじゃない? その時によって違うけど。」「ルールって毎回変わるの?」「ってゆうかゲームの種類がいくつかあるんじゃないのかなぁ。」「この派手に出てくる竜だの魔法使いだのは何なの?」「カードの特性でしょ。それが視覚化されてるんだと思う。」「じゃ、ちょっと派手なトランプみたいなもん?」「うーん、まぁ…」 妹の返事も怪しくなってきた。どうやら彼女も最初から読んでいたワケではないらしい。「やたら真剣に『デュエル(対戦)!』とか言ってるけど、ただトランプしてるだけなのね?」「うーん…」「毎回毎回見たことないカードが出てくるのはなんで? 要するに強いカードがあれば勝てるの? カードって上から順番に取るんでしょ? ならなんで『真のデュエリストであれば引き当てられる』とか言われるの? それって運の問題じゃん。個人の力量じゃどうにもならないことでしょ? 千年アイテムって何? ゲームの目的はそれなの? も少しやりようがあるんじゃないの? 自分で調べてみるとかしてるの?」「…さぁ…。」「なんで…」「これはそういうマンガなんだって!」

結局謎は謎のままで、ちっとも世界観が掴めません。今週なんか風でカード飛ばされそうになっているプレイヤーを見て、他の人が『この試合ではデュエリストは襲いかかる強風とも闘わなくてはならない』とかなんとか言ってました。でも飛行船の上(外)でトランプしたら飛ばされて当たり前じゃん。要するにこれってギャグマンガ…なの? 笑いなしには読めないんですけど。登場人物たちが真剣になればなるほど、ぷぷってなっちゃいます。うむむのむ。

2001.2.27

『HERO』に西牟田恵さんが出ていた。医療ミスで死亡した人の妻というチョイ役。久しぶりに見たのだけれども、ちょっと太ったのではないですか? あんな役じゃあなくて舞台で見たい人なのに。舞台とTVでは要求される演技も違うし、いくら舞台で名前が売れていたってTVでは無名なのだから、いい役をもらえるとは限らない。だからかなり大きな舞台で主役をはる西牟田さんが、あんな役なのも仕方ないのだろう。しかし役者さんの方がどうしてTVに出たがるのかが、私には不思議だ。舞台ではもっといい役が取れるし、その人の名前だけで客を呼べるような人が、TVで端役を演じているのは何でなんだろう。まあ私が舞台の方が好きなように、TVを好む人もいるんだろうが。それともやっぱり舞台では稼げないのが問題なんだろうか? 事情は知らねど、西牟田さんみたいにホントにいい舞台役者さんがTVで端役をやっていると、正直もったいないなぁとしか思えない。

そういや羽野晶紀さんと和泉元彌さんの報道のされっぷりを見ても、舞台人のポジションって低いと感じる。羽野さんも舞台ではトップクラスの女優さんなのにね。同じ畑違いでも伝統芸能の狂言の扱いとは大違い。そっちにはコンプレックスがあるんだろうな。ははーだ。

さて昨日、ランチを食べに定食屋に行った。連れは同じ年で同じ派遣仲間の女の子。店内はやけに混んでいて、私たち2人はカウンター席に案内された。カウンターの奥にはもう一つカウンターがあって、その向こうが調理場になっている。出来あがった定食は奥のカウンターに置かれ、それを料理を運ぶ役の人(ウェイトレス…とは呼ばないよなぁ、こういう店では)が取りにくる。つまり私たちの座ったカウンターと奥のカウンターの間を、えっと、料理を運ぶ人が出たり入ったりしている状態。料理を運んだり注文を取ったり会計をしたりしているのは50歳くらいの女将さんらしき人と、30歳前後のショートカットの女性とロングヘアの女性(I田さん)の3人だった。女将さん以外はこれまで見たことのない顔である。私たちの目の前では彼女たちが調理場に注文を伝えたり、出来あがった料理を受け取ったりと慌しい。運悪く団体が重なってしまって、ちょっとパニックになっているようだ。いつもはすぐに出てくる定食も今日はなかなか出てこない。

不意にカウンターの中にいた女将さんとI田さんの声のボリュームが上がった。I田さんは「だからやろうとしている時に別のこと言われたの!」と言い捨てて、お茶を持って注文を取りにいった。どうやら叱られたらしい。私と連れは「忙しそうだね」と顔を見合わせて笑い、していた話を続けた。気がつくとI田さんがカウンターに戻ってきていて「あたしだってちゃんとやろうとしてるのに、一度にいろいろ言われたらさぁ…」と女将さんに文句を言っていた。そういう声はそう大きくなくても、耳にひっかかる。「ごめんね、分かってるかどうかが分からなかったからさ。」 女将さんは明るい口調でムードを変えようとしていたが、I田さんはまだしばらくブツブツ言っていた。

やっと出てきた定食を食べていると、またカウンターの向こうの雰囲気が怪しくなった。今度は注文された料理が出ていないらしい。その少し前に「出した料理の伝票は片付けろ」と調理場から言われてバタバタしていたのだが、そのドサクサで出していない料理の伝票まで片付けてしまったようだった。「悪いけどこっち大至急で作って!」 女将さんの指示を聞いていたら、十年くらい前にしていたアルバイトを思い出した。

私は池袋のレストランでキッチンヘルプのアルバイトをしていた。料理人たちはランチの時間に合わせて出勤してくるので、開店から10時半くらいまではキッチンにいるのは私一人だった。材料の下ごしらえの他に、4種類のモーニングセットの調理も私の担当だった。目玉焼きさえ作れれば誰にでもできるような単純な調理だったが、違う種類の注文が来たときは出来あがり時間を揃えるのがなかなか大変だった。揃えろという指示は受けてはいなかったけれども、客の立場からすると注文したものがバラバラに出てくるのは気分が悪い。だから私はその時間を揃えるのに燃えた。4人連れで4人とも違うものを注文されると「勝負ね!?」と気負い、ぴったり同時にカウンターに出せたときには「勝った!」 とひそかに喜んでいた。アルバイトをやめる頃には、ほとんど100%勝てるようになっていた。今までやったアルバイトの中で、かなり好きな仕事だった。

そんなことを思い出していると、目の前のドタバタも面白く、楽しい気分で食事を終え、私たちは店を出た。出てすぐに私は言った。「客の前でああいう会話しちゃいかんでしょ。」 連れもすぐに乗ってくる。「うん、特にあの髪の長い人。よく口答えできるよね。」「最初は身内かと思ったんだけど、名前で呼ばれてたじゃない」「I田さんでしょ?」「そうそう!」 どうやら食事中は全然別の話をしていた彼女も、耳はダンボになっていたようだった。「あの伝票を片付けちゃったのも、きっと彼女だよ」「あ、私もそう思った!」「女将さんがムードを盛り上げようとしてるのに、あんなに不満そうでさ」「裏で言うならわかるけどねぇ」「普通客の前では言い争わないよね」「それで若くもないんだよ」「そうだよ!」……

ひとんちの台所事情(違うか)を覗き見るのって楽しい。

2001.2.26

間が2週間もあいてしまったが、やっと週末に教習を受けられた。3時間の所内教習(方向転換&縦列駐車)があったので路上教習はもっと間があいている。しかも内容は「危険予測とディスカッション」。3人の教習生が組になって20分ずつ順番に運転し、後部座席の2人がその運転を評価するというもの。一番手は私で、ただでさえ緊張するのに後ろからの視線が緊張に拍車をかける。おまけに天気は雨。路上での雨は初めてだ。気のせいかいつもよりブレーキの効きが甘くって自分でもヒヤリとするような止め方をしてしまう。インストラクターには「おいおい、大丈夫かぁ?」と言われるし、終了後のディスカッションでは「後ろに乗ってて怖かったです」と言われるし、久しぶりに泣きたくなった。ふん、私の方が怖かったさ! 日曜日は高速教習。土曜日の失敗でもうメチャクチャ緊張したが、天気がよかったので無難にこなせた。今週の火・木で失敗をしなければ卒業検定に進めるハズ。

先週はホントに何ひとつ出来なかった。会社には行ったものの、それだけで疲れきってしまって帰ってきたらひたすらグッタリ。本を読む元気も料理をする元気もない。日付が変わる頃にはおとなしく布団に潜りこみ、ただただ寝こける。イヤ普段だってそう活動的ではないのは認めるが、それでも少しは何かをしているのだ。一つ一つはたいしたことではないけれど、先週やらなくてはいけなかったのが山積みになっていて、ウンザリする。今週は体力も大分復活したような気がするので、さっさと片付けてすっきりしたい。散らかった部屋や玄関、払わなくちゃいけない請求書は見ただけで気持ちを萎えさせる。

ぐったりしつつもこれだけはちゃんとチェックした、最近急展開の『アリー・myラブ』。ビリー役のギル・ペローズの降板はかなりキツいと思う。他の男性陣がいなくなることはあっても、ビリーだけはいなくなっちゃいけない役どころなのに。(個人的な好みは別。)まあ今更代役を立てるワケにもいかないだろうし、降板となると殺しちゃうしかなかったんだろうなぁ。降板となるとこの先アリーの妄想の中にも出てこれないだろうし、ビリーをすっきり忘れちゃうのはどう見ても不自然だし、製作陣も頭が痛いんじゃないだろうか。その辺をどう上手くごまかしてくれるのか興味がある。

個人的にはギル・ベローズの降板よりも、ジョージア役のコートニー・ソーン=スミスの降板が残念だ。事務所も変わっちゃったしビリーは死んじゃったしで、出番が少なくなるだろうとは思っていたが、降板する予定になっているなんてビリーのことを調べるまで知らなかった。今の、髪をちょんちょんに切っちゃう前の彼女がすごく好きだったのに。役柄と言うよりも、彼女のちょっとした表情とか仕草とかが好きだった。以前、事務所にやってきた弁護士だか依頼人だかの女性に不躾に見つめられて、ジョージアが怒るエピソードがあったけど、その思わず見つめてしまう気持ちがよく分かるくらいジョージアは魅力的だった。美人役のネルよりもよっぽど可愛かった。ホント残念。

そういえばネルも最近不穏だし、まだ当分アリーは見逃せない。

2001.2.21

テキストのリンク集[テキスト庵]に登録しました。[テキスト庵]には、最新テキストへ直リンクを張るという約束事があって、日記も感想文も旅行記も書くここには向かないかなとは思っていたのですが、問い合わせてみたところ「要はサイトの敷居の高さの問題」という答えを運営者さんからいただきました。なるほどなぁと得心したものの、日記以外のコーナーもテキストなので(っていうか、うちテキストしかないし)、トップページを登録。敷居を低くするせめてもの努力で、最終更新のお知らせの部分からテキストに直で飛べるようにしました。どうですか? ……日記じゃ全然ありがたみがないですね。他のテキストの場合、目次をすっ飛ばせるようになりますので、ひとつよろしく。

月曜日の『世界まる見え!テレビ特捜部』で、素潜りの記録に挑戦した人の映像を流していた。素潜りにもいろいろな方法があるらしいのだが、そこでやっていたのはガイドロープを伝って垂直に潜り、浮上もロープを使って自力で行うもの。水深73mまで行ったのだけれども、当然息は止めたままだ。顔にはマスクも何もつけずに、ホントに無防備な状態で潜っていく。見ているだけで息が苦しくなってしまった。私はやっぱりどこかで海を怖がっているのだなぁと再確認。

私は一応ダイバーズライセンス(Cカード)を持っている。一応とつけるのは、ばりばりのペーパーダイバーだからだ。一番最初にダイビングを経験した時は、怖さなど感じなかった。海は透明度が高く、水温も高く、天気もよくて最高のコンディションだったおかげだ。初めての海中はホントに感動モノの美しさだった。それからしばらくして、NZの語学学校に行っていたときに周囲から勧められて、ライセンス取得コースを受けた。このNZの海がクセモノだった。初めてのときに比べての話だが、透明度も水温も低く潮の流れが急だったのだ。講習中に一度はパニックを起こし、一度は低体温症になりかかった。

ライセンス取得後にファンダイブを1回、体験ダイビングを2回やっているが、どこかにまだ恐怖心が残っている。NZの海のせいではなくて、もともと海を怖がる気持ちがどこかにあったのだと思う。それを自覚するきっかけがNZの海だっただけ。ダイビングだけじゃなくて、普通に泳いでいるときにもふっと怖くなる瞬間がある。自分の下にぽっかり穴が口を開いているような、そこに引きこまれてしまいそうな、そんな恐怖。もちろん何があったわけでもないので、その恐怖は一瞬で去っていく。

遺伝かも知れない。私の父は足のたたないところでは泳げない。プールではちゃんと泳げるのでカナヅチではないのだが、足がつかないと分かった瞬間にパニックに陥って溺れる。そのしょうもない血を、多分私は継いでいるのだろう。

海は、好きなのだ。泳ぐのも好きだし、ダイビングも好き。それにホンのちょっと安心できるものが近くにあれば、怖さは感じない。泳いでいるときなら、浮き輪を持った友人が手の届くところを泳いでいるとか。海の怖さを知らない人間ってのも、それはそれで問題かも知れないが、私のユエのない恐怖心も問題だ。もしパニくれば悲惨な状況になるのは目に見えている。何とか克服はできないのだろうか。泳ぐときには浮き輪があれば済むけど、ダイビング中だと浮き輪に代わる安心グッズがないし。

そう言えば『世界まる見え!…』で素潜りをしていた彼は「潜水時には“無”の境地にならなくてはいけない」と言っていた。いろいろ考えていると脳が酸素を消費してしまうからだそうだ。そのために彼はヨガと何かで鍛錬しているとか。

去年体験ダイビングをしたときに、ライセンスをちゃんと活用したくなった。年末には、季節はずれだけど軽器材(ブーツとかマスクとかフィンとか)を買いこんだ。今年の夏はそれを使って、なるべく海に慣れたいと思う。素潜りの彼の言う“ただただ青一色の世界”に行きたい(イヤ、ホントはそんなに深くなくていいんだけど)。練習してもダメならヨガをやるしかないのだろうか、やっぱり。

2001.2.19

我ながら情けない13日と14日の日記。傍から見ればたいした症状ではないのに(たかが風邪だし)、本人だけが大騒ぎでした。仕事が暇な時期だったので、早めに治しておこうと思って木金は休みをとり、更に土日も寝込んで、かなり回復した昨夜は免許合宿のために上京した母と、壮行会と称して飲みに行きました。風邪がぶり返さないことを切に祈ります。いい年をしてくだらないことを切に願ったり祈ったりしすぎです、私。

土曜日にふとTVをつけると『フィギュアスケート・グランプリファイナル』をやっていた。フィギュアは好きなのでボーっと見ていたら、演技を終えたロシアだかアメリカだかのアイスダンスの男性選手が女性選手の脚にキスをしていて、それがまた絵になっていて、“うーん、これは日本人にはできないなー”と唸ってしまった。

エキシビションはシングルでも遊び心が出るので別として、競技では男女が組になっているアイスダンスやペア(以下、ペアとまとめる)が好きだ。競技のシングルは物語性に欠けていて、今イチ気持ちが盛り上がらないからである。高い位置でのジャンプは美しいけれども、それだけでは感動できない。やはり演技力あってなんぼのモンである。そしてその演技力がより求められるのが、ペアだと思うのだ。さてそこで、日本にはペアの選手っているのだろうか? シングルでがんばっている選手は見かけるが、ペアの日本人選手を大会で見かけた記憶がない。川原泉さんの、フィギュアのペアが主人公のマンガ『銀のロマンティック…わはは』で「日本の壁は異様に薄かったが世界の壁は異様に厚かった」って台詞があったけど、今でもやっぱりその状況は変わっていないのだろうか?

選手たちの現状は寡聞にして知らないけれども、日本人がペアで世界と張り合えるようになるのは、まだかなり難しいだろうなぁと思う。日本人選手も「自分を見せる・演出する」のがある程度上手くはなったが、所詮それはシングルのレベルでの話で、ペアに求められる演技はこなせまい。男女ペアの種目で求められる演技力とはずばり色気であり(独断)、それは日本人の選手には少なくとも今は無理なのである(偏見)。

なぜ無理なのか。恥を知る文化(笑)を持つ日本人に向いていないのかと、最初は思った。でも違う。舞台で踊るダンサーには色気のあるダンスを踊れる人がいくらもいるし、踊っているのが日本人だからといって、見ている方が恥ずかしくなったりしない。それなのに、なぜスケーターにはそういうエンターテイナーがいないのだろう…とつらつら考えてみるに、日本ではスポーツとショウの境目がかっきりくっきりしているからではないだろうか。日本ではアイススケートはスポーツなのだ。そりゃ選手だってバレエやパントマイムくらいはやっているだろう。ただそれを“自分を演出する”ところに、どこまで結びつけているのかが疑問だ。

技術はもちろん大事だ。いくら演技力があっても技術がなければ見せられないし、逆に技術さえしっかりしていれば、演技力がないのもある程度まではカバーできると思う。でもそれでは、技術と演技力の両方を兼ね備えている選手には敵わないだろう。

NZの語学学校に通っているときに、授業やパーティーで何度か寸劇みたいなことをやった。そこでつくづく感じたのだけれど、欧米人には生まれついての演劇人というか、エンターテイナーが多いのだ。向こうではそういう要素を持っているのは、特別なことではないのかもしれない。そういう人はスケートをやっても演出は上手いだろう。だけど日本では、生まれながらにエンターテイナーの要素を持っているのはちょっと珍しいタイプで、そういう人たちは、舞台だとかTVだとかの方に流れていくのではないかと思う。だからスポーツとしてスケートをしている人は、“演出”を必要とする人間とは違う流れに立っている気がするのだ。あー、上手く言えない。

つまり「もっと速く」「もっと高く」「もっと優雅に」までは気がまわせても、その先は無理って話。『銀のロマンティック…わはは』でも「必死で滑っているときにどうやって愛だの恋だのを表現しろというのだ」みたいに言ってたけど、あれって正しいんじゃないのかなぁ。日本人の選手にそれを求めるのは、甲子園球児に芝居をやってみろと言うのと同じなような気がする。だから日本でペアを育てたいのなら、エンターテイメントの世界にいる子供を説得して引っ張ってくるのも、一つの方法ではないだろうか。

なんだかちっともまとまらないので、この辺で切り上げます。あ、女子シングルで3位に入ったアメリカのサラ・ヒューズ、15歳はたいそう可愛かったです。日本フィギュア界の未来を(無駄に)憂えて過ごした(無駄な)週末でした。

2001.2.14

神さまごめんなさい昨日のお願いは嘘です取消しますなかったことにしてください。

風邪をひくくらいならガラスの欠片で喉を痛めた方がまだマシでした。例え医者に意地汚いと思われようが、バカだと思われようが、風邪よりまだいいです。昨日のは健康印の考えなしの戯言でした。儚げとかか弱いとかそういうイメージに憧れるのと同じです。実際に病弱になりたいワケではないのです。だから助けてください。

普段健康な人間ほど病気との付き合い方をしらないので、ちょっと熱が出てちょっと鼻水が止まらないくらいで、軽いパニック状態に陥ります。気分は大病人。あーしんどい。

2001.2.13

昨日の日記だと、私が“美こそ全て”と言っているようなので、補足。そんなことはないです。私だってメダカブスではないと思うけど、美人では決してないし。ただ、彼女があれだけ労力をかけているのに、結果がついてこないのが悲しいなぁーと。…余計墓穴を掘っているような…。

久しぶりに妹が夕食を作ってくれたので、買い置きしてあるワインを飲むことにした。コルクを抜いて、中途半端に残っているキャップシールを外そうとしていたら、不意に指先に鋭い痛みが走った。慌てて見てみると、左手の親指がぱっくり割れている。まだ血は出ていないがすぐに噴き出してきそうな、かなり深い傷。シールで切ったのかと瓶をチェックすると、瓶口のガラスが欠けていた。宅配してもらったものなので、運送時にヒビでも入っていたんだろうか。

とにかく指の手当てを先にする。運良くきれいに切ったようで、ばんそうこうでしっかり押さえたらほとんど出血しないですんだ。指はそれでいいが、問題はワインである。周囲を探してみるとガラスの欠片がいくつか見つかった。どうやら中には入っていなさそうだが、念のため茶こしでこしてから飲むことにする。

食事を終えワインも飲み干したころ、妹が「グラスの底がキラキラしてる」と言い出した。「えっ?」 私もワイングラスを照明にかざしてみる。底には何やら光る物質が…どうみても微小なガラス片である。ちょっと心配になったが、もうワインは飲んでしまったので、どうすることもできない。「こんなに小さいんだから、大丈夫だよね」と、何も見なかったことにした。

ここまでが昨晩の話。今朝起きてみるとどうも喉がイガラっぽい。何かが引っかかっているようで気持ち悪い。お茶を飲んでも飴をなめても治らない。これはまさか昨日の…? 飲んだとしても、ガラスの繊維みたいなモンだとは思うんだが、どういう害があるんだろう? 少なくとも健康に寄与しないのは疑いない。

今、私はこの喉の違和感は風邪かなにかのせいであるのを切に切に望んでいる。風邪なら「お大事に」で済むが、ガラスを食ったせいだったら、いい笑い者になるだけである。世の中には人に言えない病気も存在するのだ。

2001.2.12

書くのを忘れてたけど、教習所まだ通ってます。土曜日は1週間ぶりの路上。久々ながら、昼間だったおかげでそう緊張しないで運転できた。インストラクターと話もはずみ、調子に乗っていたらいきなりブレーキを踏まれる。信号の変わり目で交差点に差しかかったのだが「先が詰まっているから待った方がいいかも」と思っていると、いっつも「行けるよ」と言われるので、その時も待った方がいいと思いながら「どうせまた行けるって言われるんだよな〜」と突っ込んでしまった。そゆ時に限って行っちゃいけないケースで、ブレーキになった。2週間続けて「何考えてんの」と言われる。昨日は所内で方向転換の練習。ケツを突っ込むところまでは褒められるんだが、そこから出ていく時にハンドルを早く切りすぎてしまって、後輪を引っ掛けてばかり。途中まで「あー、上手いねぇ、ハンドル操作ちゃんと出来てるよ」と言われながら、出ようとすると「そこでハンドル切るからなー、このギャップはどこから来るんだよ」と怒られる。知るか。次の予約は2週間後だけど、まだギブアップしてません。

教習所帰りに見かけた“生活便利グッズフェア”。何かいいものがあるかとプラプラ見ていたら、目をひかれたのが『あげ足くん』。高さの足りないテーブルの足の下に入れて、高さを調節するためのものらしい。イヤいいんだが、こんな名前ではつい取りたくなってしまう。なりません?

さて昨日予告した話題。悪口と言えるかどうかわからないけど。

以前から会社ですごく気になっている人がいる。相手は女性である。名前も部署も知らない。彼女と私の接点はトイレにしかないのだ。私はお茶飲みなので、仕事中もコーヒーをよく飲む。結果、1日に何度かトイレに行く。そこでやたらと遭遇率が高いのが、彼女である。私のトイレの滞在時間は、平均か短い方だと思う。行って、用をたして、手を洗って、出てくる。化粧をしていないので、化粧直しというプロセスは必要ない。だから遭遇率が高いのは私のせいではない。彼女のトイレ滞在時間が長いせいだ。

彼女を見かけるとき、彼女はいつも鏡の前にはりついている。個室に出入りしているのを見たことはない。鏡の前でファンデを塗り眉を描きマスカラをつけ口紅をひき…あれだけ毎日やっていれば手慣れても良さそうなものなのに、延々延々時間をかけてやっている。さらにベルトの位置をちょっと直しては鏡を見つめ、もとに戻しては鏡を見つめ、やっぱり位置を変えては鏡を見つめ、襟もとのボタンを一つ外してみては鏡を見つめ…と、それを1日に何度も繰り返す。よくもまぁ飽きもせずにやれるもんだと感心するほどだ。傍から見ていると、ベルトの位置が微妙に変わろうが大して変わりもないのだが、いったい彼女は何をどうしたいんだろう。

私はお肌の曲がり角をとうに過ぎているのに化粧一つしないで、マスカラをマラカスと言い間違うような女なので、向こうも私を“女失格”と思っているかも知れない。それはお互いさまだ。が、不思議なのは彼女の仕事のこと。それなりに忙しい仕事をしているにしろ、電話番をしているにしろ、こうも長々とトイレに入り浸りって支障は出ないんだろうか? 私が同じ部署だったら黙ってられないぞ。 周りの人はどう思っているんだかぜひ聞いてみたい。

身なりに気を使っている女性は、好きだ。私だってそうむさ苦しくしているつもりはないが、見習わなくちゃなぁとも思う。だけどそういうのって、家を出る前にやってくるものなんでないの? 会社でやるにしろ、普通ちょっと直すくらいだろう。

一番救いがないのは、いくら時間をかけようが、彼女が美人ではないことだと思う。

2001.2.11

ドロ沼劇場に入れるマンガの感想を書いている。好きな作品ではなくて、一言文句を言いたい作品の方。書いててイヤになってくる。なぜ私は悪口だとこうもスラスラと言葉が出てくるんだか。

好きな作品の感想を書くときは、自分の文章力の未熟さをツクヅク感じてしまう。あーもっと素晴らしい話なのに! 想い入れだってたっぷりなのに! 言葉でなら「とにかくいいんだよー、めっちゃ面白い。上手く言えないけど、一回読んでよー」と、これも子供のような勧め方ながら、口調に熱意を込めることで多少は気持ちが伝わると思う。が、文章だけでその良さを力説するのは難しい。いつも言葉が足りない。

一方、悪口となると、文章も言葉に負けていない。私は心が狭い人間で、物事をすぐに「大好き」「大嫌い」「どうでもいい」に分けてしまう。好きなものにはとことん味方をし、人に悪口でも言われようものなら躍起になって弁護する。欠点は欠点としてちゃんと知っていて、それでも好きでいられた方がいい、とは思うのだがなかなか上手くいかない。グレイゾーンにいるものは、ホントにどうでもいい。も少し広く心を持てれば、も少し優しくなれれば、世界も広がるだろうに、人間そう簡単には変われない。んで、嫌いなものに関してはボロクソである。自分は好きなものを貶されると怒るくせに。妹もそういう人間らしく、以前ケンカしたときに「To-koがあたしの好きな本の悪口を言うたびに、あたしはキズついているんだよ!」とか言われたっけ、そういえば。でも2人とも嫌いな作品の悪口を言う場合は、彼女も喜んで聞いているので、文句も言えないと思うのだが。

話がズレた。なんで褒め言葉よりも悪口の方がスラスラ出てくるのかだ。自分が悪口ばかりを言っている人間だからだとは思いたくないんだけど、どないですか?>私を知っている方。

とか言いながら、ドロ沼劇場に「夏子の酒」の悪口をアップしました。明日は会社の人の悪口を書きます。

2001.2.8

旅行記について。自分で旅行記を書いていて、なんだか不平ばっかり言っているような気になってきたので“面白い旅行記”について考えてみる。

グルメ番組と同じで、旅行記を楽しめない人もいる。自分が経験しなきゃ意味がないというのだ。分からないではないけれど、私は両方とも楽しめる。自分が行ってないのに、行ったような気になれるのだ。得ではないか。それに番組や本で情報を得て、今まで気にも留めていなかった場所への興味がわいてくることもあり、大げさだが世界が広がる感じがする。

が、どうにも読めない紀行文も存在する。不平ばかりの奴だ。「××がいかに汚く、そこの住民がいかに小ズルく怠慢で、食事がいかに不味く…」の羅列に終始する文。プロの文章書きにもいるだろうし、趣味で出している個人本やサイトの中でも、タマにこういう文章を見かける。旅行が好きだから旅行に行くんだろうとは思う。数行く旅行の中で、タマタマその国が合わなかったのかもしれない。或いは文章からは読み取れなくても、楽しい思いはしたのかもしれない。そうは思ってみても、やっぱりこういう文章を読むと「じゃあ行くなよな」という感想になってしまう。

そこでふと自分を見てみると…どうなんだろう。私は失敗談を書いているつもりで、不平不満を並べているんじゃないつもりなんだけど、ちゃんと違うように書けているんだろうか。心配だ。マイナス体験も面白く書けていればそれでいいんだが。…ってまだちょっとしかアップしていない状況で、こんなことを問いかけられても困りますよね。方向転換して、私が好きな旅行記を。

まずは妹尾河童さんの「河童が覗いた〜シリーズ」。最初に出た「ヨーロッパ」はもうかなり古いけど、今読んでも全然色あせていない。歩き方みたいなガイドブックと違って、古くなっても構わないのが紀行文のいいところだ。河童さんのイラストも、ちょこちょこと書いてあるコメントもいい。「インド」なんかは、自分が絶対にできない旅行を味わわせてくれる。インドには行ってみたいけれども、私の好奇心には限度がある。多分ベナレスの川の水を飲んだりは、できない。というよりしたくない。これを読んでから、インドで一番行きたいところがアジャンタとエローラの石窟寺院になった。

次は林望さんの「イギリスはおいしい」。紀行文というより、イギリスをネタにしたエッセイ集。他にも「イギリスは愉快だ」等、イギリスを題材にした著作が多い。本人がかなりのイギリスびいきなので、文章に好意が満ち満ちていて、読んでて気持ちがいい。ただ、他の題材のエッセイになると、かなり評価は変わってしまう。私は最初この人をかなりのおじいさんだと思っていた。文中にはイギリス滞在の年代も明記してあったと思うが、ちゃんと気に留めていなかったのだ。ただ、文章から受けるイメージから、林望さんを白髪のおじいさんと思いこんでいた。なのにこの人、まだ若いじゃないですか! うちの両親よりも若い。そう思うと、この人の頭は固すぎる。説教くさいし。写真の写り方もイヤだ。…という訳で、林望さんの本を読むなら、イギリス関係のだけにしておくことをお奨めする。著者をおじいさんだと思って読むと尚よし。

ちょっとズレた。最後は正真正銘の紀行文。ひらいたかこさんと磯田和一さん共著の「グリムありますか」「アンデルセンください」「マザーグースころんだ」。私がヨーロッパに行く予定をたてる時も重宝した。2人ともイラストレーターなんだっけかな。イラスト紀行本。食べたものや町の看板などが一々書いてあって、楽しくて美味しい作品だ。これに影響されて、私のヨーロッパ旅行中の食事は全部、日記に描いてある。イギリスの彫刻家バーバラ・ヘップワースが好きになったのも、この本がきっかけ。他のガイドブックにはあまり載っていないような小さな町が魅力的に描かれている。後から「すっごくイタリア」も出ているが、他にもどんどん出して欲しいシリーズだ。

ここにあげたのが私の目指す旅行記なんだけど、イラストがない分、不利。イヤ、問題はイラストではないのだけれども。

2001.2.7

昨日のエラーメッセージは、フリーのテキストエディタをダウンロードしてきたら直った。メモ帳も問題なしに使える。なんだったのだ、いったい。

ぼんやりと『踊る大捜査線』を流していたら…びっくり。昨日書いた阿部サダヲが出ているじゃありませんか。去年まで個別認識もしてなかった人なので、前に見たとは気付かなかった。TVでも上手かったけど、舞台に立った時の迫力はやっぱりない。もともと舞台の人なのかは知らないけど、やっぱりこの人も舞台上で本領発揮できる役者さんだと思う。

いつまでも目次だけを並べておくのはイヤなので、少しずつ旅行記の方を書き進めている。思ったよりも長くなりそうだ。特にヨーロッパの方は10年近くも前の話だから、さらっと流すつもりだったのに、日記を読み返していると次々と思い出してくる。時間順ではなく、思いついた順に書くつもり。最初はギリシアの話になる。できたら今週中にアップします。

空手番長!の1/29と2/3の日記がツボ。「モーター」って…「目的の未達成」って…。イヤ、べつに下ネタが好きなわけじゃあるんだけど。

2001.2.6

昨日作ったカレーにマサラパウダー(?)を入れ過ぎて、激辛カレーを作ってしまい、お腹を壊しそうなTo-koです。しかもいろいろと書きたかったのに、またパソコンがエラーメッセージばかりを送ってよこすので、ドキドキしながら控えめに更新。メモ帳しか開いてないのにメモリ不足ってどういうことよ? もっと素人にも分かりやすいメッセージくれよな。

昨日ここ何度か見忘れていたキムタク主演の『HERO』を見た。第1回目の放送を見た時は「あー、別にチェックしなくてもいいか」と思ってたんだけれど、久しぶりに見たらやたら面白くなっているではないですか。もともとこのドラマ、キムタクよりも脇役陣に惹かれていたのだ。勝村さんに角野さん、そして何より八嶋さん。八嶋さん大好き。初めて見たとき、彼は所属する劇団の舞台に立っていて、女装してエリザベス女王を演じていた。その青筋立てて演技してる異様なテンションに、一遍でファンになった。それ以来ずっとチェックしていたのだ。TVに出始めた時も「あぁ、舞台をやめないで欲しいなぁ」と思ったが、今のところその様子はなくてホッとしている。TVの八嶋さんは舞台の八嶋さんには敵わないまでも、なかなかいい味を出していて、舞台をやめないならイイや、と画面で彼を見るのを楽しみにはしていた。だけど昨日の彼、かなり舞台に近かった! 『HERO』って何となく舞台チックな作りで、役者も舞台出身の人が多いんですねぇ。見直した。

見直したと言えば、阿部寛。第1話では、不倫をしていてガウン着てベッドサイドで酒呑んで夜景を見下ろして…って、いつものスカした役か、と思って、そういう彼には全く興味がないので、すっかり忘れてしまっていた。でも昨日の八嶋さんとの掛け合い! いいテンポだったなぁ…。ああいう役の方がずっとイイ。それと、顔と名前を覚えるのが苦手なのでよっぽど有名でないと芸能人の名前も知らないんだけど、キムタクがいつもご飯を食べてるところのマスター、あれ誰なんだろ? ちょっと気になる。うーん、ホントにいい役者さん揃えてる。

あとテレ朝の『ココだけの話』も気になってるんだけど、まだ1回も見てない。土曜の23時なんて覚えていられない。1話目の主役は、こないだから気になっている阿部サダヲだったのに。終わってもいないけど再放送希望。

2001.2.4

今日も今日とて教習所。3時間受けた学科教習のうち、1時間が「適性検査結果に基づく行動分析」。入校直後に受けた適性検査の結果はずいぶん前にもらっていたのだけれど、今日はもう少し詳しい結果を教えてもらった。

私の総合判定は「運転には人一倍の注意が必要。自分の欠点をよく自覚し、助言を守り、全力を尽くし、慎重に運転をしてください」。そう、私は全力を尽くさないと運転もしちゃいけないのである。まぁ、それはいい。そう言うなら全力を尽くそう。その下の項目では、「行動の内容」で「動作の正確さ」と「動作の速さ」に“やや劣る”のチェックが入っている。それもまぁいい。行動のトロさには自覚がある。不正確さも最近の路上教習で実証している。気をつけねばなるまい。

よくないのは「精神安定度」の部分である。以前もらった結果では「気分の変わりやすさ」と「自己主張の強さ」に“問題あり”のチェックが入っている。だがそう気にしてはいなかった。そういう傾向もあるかなーと思ったからだ。ただ今日はもっと詳しく…それぞれの項目で、自分が5段階評価のどこに位置しているかを知った。数字が多いほど“優れている”、通信簿と同じ方式だ。「気分の変わりやすさ」は2。…まぁ、いい。そうかもしれない。次に行こう。「自己主張の強さ」は…1! しかも運転適性診断表では「自己主張の強さ」=「攻撃性」になっている。私はいつからそんな攻撃的な人間になったのだ? 自己主張が強い、と言われると納得できても、攻撃性が強いと言われると…? 更にその後の講義で追い打ち。事故を起こしやすい性格のNo.1がこの「攻撃性=1」の人間で、“易怒性”とかカテゴライズされている。易怒性? 要するに怒りっぽいってコト? いつから私は…(以下略)

も1つ気になったのが「神経質傾向」。ここは“特に問題なし”だったので安心していたのだが、結果は4。“問題あり”の結果には網掛けで印がついていて、1の他にもなぜか5に網が掛かっている。インストラクターの言によると、5の人は「神経質でなさすぎる」=悪く言えば「無神経」だそうだ。つまり4の私は無神経と紙一重ってことだ。自分を繊細な人間だとは思うのは、もうとうの昔に諦めていたが、無神経というのはヒドすぎる。うーん。

自分で描くTo-ko像と他人の描くTo-ko像がズレるのは当然だし、人間関係ではなく、検査で出てきた結論を本気で気にしている訳ではないが、一体どういうところを拾ってこの結論が出てきたのかは、すっごく気になる。

2001.2.3

昨日も会社帰りに2時間の路上教習。今度は右折の時に直進車を確認し忘れて、インストラクターにブレーキを踏まれる。「何考えてたのー?」「…何も」

そして今日は昼からまたまた路上2時間。遠くがくっきり見えて、感動モノに気楽だ。まだ危なっかしいところもあったけれども、自分では今までで一番ちゃんと運転できたと思う。…って上達しないと困るか。その後3時間の応急救護の教習。明日も朝から3時間学科で教習所尽くしの週末。日曜なのに朝寝坊できないのがツラい。

応急救護ではマネキン人形相手に「もしもし、大丈夫ですか? 大丈夫ですかっ!」と声をかけたり、誰もいない空間に向かって「すみませ〜ん、誰か、助けてください!」と叫んだり。人工呼吸や心臓マッサージも体力勝負だと実感。ひととおり済むと息があがっている。教習ではすぐに自力呼吸が戻ったって設定でやったけれども、本番はそう簡単に行くとは思えず、この知識を活かすチャンスがこないのを切に望む。それにしても、心肺蘇生法やその他やらなくてはいけないコトは、そりゃ覚えておいた方がいいだろうが、周囲の安全を指差し確認するときの指の本数や、声をかけるときの手の位置、ポーズまで決まってるのは、何ともはや…。

昨日まで田舎から母が上京していた。見たことがないと言うので、一緒に金曜ロードショーでやっていた『Shall We ダンス?』を見たのだけれど、改めて私が社交ダンスにハマれない理由が分かった。種類に関係なく、ダンスで鍛えられた人間の体ってのは、本当にしなやかでキレイだ。人間も動物の一種なんだというのがシミジミ分かる。だから、たいていのダンスは好きなのだけれど、バレエや社交ダンスを積極的に見る気がしないのは、途中で観客から入る拍手が嫌いだからだ。例えば「白鳥の湖」を見たとする。私はやっぱり舞台全体の流れを見たい。せっかくストーリーがあるのだから、その世界に没頭したい。台詞はないけど、芝居と同じだ。なのに、オデットと王子の出会いのシーンの踊りのあと、まるでカーテンコールのような拍手が入る。今まで恋の踊りを踊っていた二人が、代わる代わる出てきてお辞儀。下手すると花束を受け取ったりもする。舞台の流れはそこでプッツリ途切れる。盛り上がろうにも盛り上がれないではないか。社交ダンスも同じだ。なぜ途中で拍手を入れる? 拍手なら終わった後に思う存分やればいい。ダンス途中での拍手は、これ見よがしで、興を削ぐ。それにもちろん、あの中途半端な終わり方も嫌い。

海外至上主義ではないつもりだけど、ヨーロッパとかのレストランで食事を終えたおじさんおばさんが、バンドの演奏に合わせて楽しそうに踊るのは、イイなぁと思う。おじいさんおばあさんだともっと。無理がない感じなのだ。生活の一部と言うか、ごくごく自然。でも、日本人のはやっぱり“特別な行為”だ。体に合わない晴れ着を着ている感じ。いくら社交ダンス人口が多いと言っても、日本では人前で夫婦でダンスをするってのはやっぱり特別なコトで、レストランにもダンススペースがあったりしない。事情は分かるけど、でもやっぱり素人が見ていて楽しいモノではない。

社交ダンスを楽しんでいる人、ゴメンなさい。やるのが悪いと言っているのじゃないのです。ただもう少し普段着で楽しめるようになれば、ダンスをやってない人間もそれを楽しめるんじゃないのかと思うのです。

2001.2.1

久しぶりに教習所に行ってきた。本当なら先週の土曜日に初の路上教習をやるはずだったのだが、あの雪のせいで教習中止。改めて予約を取りなおしたらめちゃくちゃ混み合っていて、2週間以上も予定がズレてしまった。怒涛の教習を受けて、その勢いで高速教習も乗りきるつもりだったのに、間に1週間以上の空白があって、そのすぐ後に高速教習になってしまった…大丈夫なのか、私?

今日の路上はめちゃくちゃ緊張した。車を停車してインストラクターの話を聞いているだけで、怒られている訳でもないのに、涙がにじんでくる。今日の担当なんか、かなりやりやすい人だったのに。

路上駐車は多いわ、夜間なので歩行者は見えないわ…。外って怖い! だいたい所内では35kmも出しちゃうとすぐにカーブがくるから、その速度を超えるのは一瞬だけだったのに、路上に出たらまず最初から「じゃ、40kmキープしてね!」 ひー! 「ほらもっとアクセル踏む」 ひぃぃー!

その後はもうインストラクターの言うがまま。ついていくだけで必死。「はい、スピード上げて」「はいっ」「ここの制限速度は?」「40kmですっ」「じゃ、その速度キープね。落ちてるよ」「はいっ、すみませんっ」「あそこに人が歩いてるの見えてる?」「見えてませんっ」「歩行者って見にくいでしょ? はい、そこ右に入って」「右ですねっ」「はい、ここの制限速度は?」「標識ないですっ」「じゃ?」「60kmですっ」「じゃ、60まで出して」「えっ」「えっじゃなくて」「ひーっ」「はいそこ左」「はいっ」ガタンッ!「あっ…!」「路肩のったね。ってことは? 今のスピードは出しすぎ。今の技量じゃ…」「無理なんですね!」「そう、無理。はい、また左。曲がった所に横断歩道あるでしょ? 歩行者いたら止まるんだよ。はいもっと左に寄って…」ガクンッ! インストラクターがブレーキを使った。「あっ!」 目の前に歩行者。「言ったでしょう?」「はいっ、すみませんっ」「はい、ここは一方通行だからね、もっと右に寄っていいよ。で、次の交差点を右」「はいっ」 よし、今度こそは…! 「対向車線に入らない!」「あっ…!」「一方通行からから右折する時は…」 ひぃぃぃー!

ホントに私、免許を取ってもいいんでしょうか?

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