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ぷらぷらす


■今更だけど『ホビット』EE版見たい…■

「原発あってもなくても」。外部リンクです。To-koも脱原発を強く希望します。
「あってもなくても」じゃなくて「あってはいけない」の意志表明です!

たま日記:新旧取り混ぜ更新中

2017.1.3(Tue)

ぷっつり更新とまってましたが、明けましておめでとうございます。私は元気です。

やー、去年の4月に全く馴染みのない場所に配属になって、春は暇だったのですけど夏から徐々に忙しくなり、秋から冬にかけては怒涛の仕事に翻弄されてました。それでも土日の休みには山に行ったり海に行ったり田舎に行ったりできていたのが、11月初旬に同居していた祖母が倒れたコトでぷっつり途絶えてしまいます。

祖母は親族ながらまさに“スーパーおばあちゃん”と呼びたくなる人で、とにかく元気でした。同居していても手助けしていたのはホンのちょっとだけで、自分周りのコトはほとんど自分でやっていた。お互いもう少し若いときはぶつかるコトもあったけど、最近は仲良くやっていたと思います。一緒に親族を訪ねたり、外食したり。ただ、私が忙しくなってからは日々のコミュニケーションは不足ぎみで、祖母は内心ちょっと寂しい想いをしてたと思います。それを感じながらも余裕がなくて、1日少しの時間を割いてあげられなかった。

祖母は「ぴんぴんころり」を目標にしていました。そのためにすごく努力をしていて、その点では文句なしに尊敬してた。実際に元気だったし頭もしっかりしていたし、私を含めた親族の誰もが、祖母は目標を全うすると信じてました。年齢的にはいつ亡くなってもおかしくない年齢だから、朝起きてこなくて確かめてみたら大往生していた、というようなシーンは想定してました。それならば、もちろん悲しい想いはするけれど、時間が経てば「最後まで元気で希望通りの逝き方だったね〜」と受け入れられたと思う。けど体が不自由になって人の手を借りねば生活できなくなって、会話もあまり成り立たなくなってしまった。この状態を受け入れるには時間がかかりました。

当初はせっせと病院に通いながらも、変わってしまった祖母の状態を見るのがつらく、自責の念もあってかなり落ち込んだけど、やっと「起きてしまったコトは仕方ない」と諦められるようになりました。ホントにね、今こうゆう風にできるなら、元気なときにもっと一緒の時間を過ごせば良かった。月並みな台詞だけど人間て、てか私て、ホントばか。何度繰り返しても、無くしてからしか大事さには気づけない。それが一番、悔しい。

んでもね。これからが長丁場。自分の時間も少しずつ取り戻しながら、新しい生活パターンを作っていきたいと思います。だから今年の目標は「ぼちぼち」(仕事もぼちぼち、ならいいけどな〜。残念ながら怒涛状態はしばらく続きそうです)。遊びもちょっとずつ再開させます。今年もよろしくお願いします。

2016.6.26(Sun)

週末は、久しぶりに1人で田舎に戻ってました。山の家は夏真っ盛り。というコトは雑草絶賛生い茂っております。濃い緑に包まれております。久しぶりにゆっくり喋ったボーは何だか弱気で、いつまでここに住めるかなーと言う。そりゃね、今でもよくたった独りで住んでると思います。田舎の家は好きだけど、両親が住んでいるときは大好きだったけど、自分が住みたいとは思わない。もともと人里離れすぎてるし、原発事故のあった今では、近い将来廃村になってしまうのは目に見えてる。私はやっぱり人が好きなので、世捨て人にはなれません。

ボーがいなくなったら、たぶん土地の半分以上は荒れてしまうでしょう。私と妹で世話できるのは、家のまわりと道路くらい。私らが元気に動けるうちは、できる範囲でガンバるけどね。でもたぶん両親だったら「いつまでもここに拘ってるな」と言うと思うし、無理はしない。無理じゃないうちはガンバろう。

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