2012.1.25(Wed)

雪だるま東京にも雪が降り、通勤路に可愛い(溶けかけの)雪だるまが出現した翌日、会社を休んで、U、Y、Kと平日日帰りスキーツアーに行ってきました。場所は去年に続いてセントレジャー舞子スノーリゾート。初心者&中級者コースが多くて嬉しいスキー場です。が、この日の新潟の天気予報は雪。しかも「雪だるまに横から吹雪が襲いかかってるマークだったよ!」だそうです。東京では青空が広がっているのに「トンネルを抜けたら雪国になっちゃうのかなー」。

新幹線内でお握りとかサンドイッチとかの可愛い朝食をとっている3人の隣で、私だけ朝からがっつり鶏竜田揚げ弁当を食します。最近ちゃくちゃくと太っているのに、この食欲はどうにかならないか(←と思うなら自分でどうにかしろよ)。満腹になって到着した越後湯沢駅では、まだ青空が見えていました。これは期待できるかな、とバスに乗ってスキー場に着き、板をレンタルしてゴンドラに乗り込む辺りまではまだ青空が残っていたのですけど、山頂駅に到着すると雪がパラついています。

「まあまあまあ、吹雪くことを思えば!」、風がない分いくらかマシです。なんせ平日で空いているので、ゴンドラもリフトも待ち時間無し。それに舞子は1本が長く滑れるのも楽しいです。雪は休みなく降り続けていますが、視界はそれほど悪くなく、分厚く着込んでいるので寒くもなく、問題なし。早めのお昼をとって、午後にも1回お茶をして、後はかなりたっぷり滑るコトができました。私の滑りは相変わらずヘタレだけど、でも楽しい。雪が降り積もるのが案外早く、滑るたびに新雪を味わえる感じです。あまり人の行かない林間コースに入ったときは、ふんわか雪で気持ちよかった〜。

舞子スキー

昼もがっつりオムハヤシ(\1,400)+ビール(\600)

舞子スキー

雪が小降りになったのでカメラを出すと、薄日が差して、今まで見えなかった飯士山がうっすらと……

最後の最後にほんの短い間だけど、雪が止んで青空が覗き、近くの山々が姿を見せてくれました。4時近くなったトコロで切り上げて越後湯沢に戻り、ぽん酒館の酒風呂(\800。割引券利用で\100引き)に入ります。去年はスキー場の日帰りセンターのスパを利用したんですが、週末しか営業してないんですよね。ぽん酒館の方は、駅中だから混んでるだろうと今まで避けていたんだけど、アメニティも充実してて快適でした。でもあまり大きくないから、やっぱ平日以外は使えないかも。

舞子スキー

帰る間際になって見えた、ほんの一瞬の青空

舞子スキー舞子スキー

朝に鶏を、昼に卵を食べたのに、つい頼んでしまった親子丼。ウマ〜♪

日帰り平日スキーツアー、手軽でいいですね。1回入ってみたいと思っているスクールも、平日だったら空いているんじゃ?と、ちょっと惹かれてしまうTo-koなのでした。

2012.1.17(Tue)

昨日、一通のメールが届いた。私の個人名が入ってなかったら広告メールかと思うくらいハイテンションなそれは、昔は家族ぐるみでつきあっていて二十歳頃まではかならり親しくしていた人からで、読んだ途端に何とも言えないもやもやした気持ちになった。母が亡くなったとき、友人知人親戚、多くの人と会ったり話したりした。身近な人もいたし、何年かぶりに会う懐かしい人も、私があまりよく知らない人もいた。皆がそれぞれの方法で母を悼み、残された家族を労わってくれた。本当にありがたかった。

ずーっと長いコト連絡も取っていなかった彼女からも、ハガキが来た。母の死を「今回のことはビックリしました」で済ませたのは、彼女だけだった。本当にそれだけで、後は「懐かしいね」とか「会おうね」とか一言二言書いてあるだけだった。あれを読んだときも何とも言えない気持ちになった。昨日のメールが届いてから、もやもやが重たく苦しくて、そのメールを削除した。しばらく迷ってから、携帯に登録してあった彼女のアドレスも削除した。

なのに、いろいろと思い出してしまってしばらく寝つけなかった。眠ってからも夢を見た。田舎にいて、母が弱っていてそろそろ死にそうで、田舎の半分が鉄砲水で流されていた。夜中に目が覚めて、しばらく泣いた。一年が経って、だいぶ落ち着いた気ではいたけれど、私はまだこんなにも不安定だ。能天気で無神経な一通のメールで簡単に突き崩せてしまうほどに。だから、お願いだから、今までどおり放っておいて。疎遠になったままでいて。

2012.1.14(Sat)_2

≪つづき≫

思わず「うわあ」と声が出ます。目の前には連なり重なる稜線。富士山……は残念ながら雲が半分かかってますけど、でもキレイ。視線を右に移せば南アルプス。甲斐駒、仙丈、北岳が真っ白です。山頂にいたのは20人くらいだったかな? ときどき風が強く吹くので着れるだけ着込み、昼食休憩としました。

鷹ノ巣山

富士山といけずな雲。山頂が見えた隙にぱちり

鷹ノ巣山

写真じゃキツいけど、南アルプス方面

食後、また山頂を一回りして写真を撮っていると、前述のグループから写真を頼まれました。集合写真を撮った彼らは賑やかに鷹ノ巣山避難小屋へと出発して行き、山頂は急に静かになりました。私が着いたときにいた人たちは皆出発してしまっていて、残っているのは後から来た単独のお2人だけ。ぽつぽつと登ってきている人も見えますが、もう13時を回ってますもんねー。では、体も冷えてきたコトだし、私もそろそろ出発するとしましょうか。

鷹ノ巣山鷹ノ巣山

左:昼食はラーメン。もやし・おうぎ茸・小松菜入り。温かいものは嬉しいけど、火を止めるとすぐに冷めてしまうのが気温の低さを物語っていました/右:私もグループの方に撮ってもらいました

鷹ノ巣山

右のキレイなピークが御前山、中央左よりが大岳山

鷹ノ巣山

私が行くのとは反対の、避難小屋方面。次のピークは日陰名栗峰

石尾根を水根山方向に少しだけ歩き、水根山巻き道に入ってちょっと行くと、石尾根と榧ノ木尾根の分岐があります。ここからもまた初めて歩く道だったのですが、静かで歩きやすくて森が美しくて、とても気に入りました。ここはまた歩きたいな〜。地図ではルート上にある榧ノ木山は、どうやら巻いてしまったようです。ルート上の標識に榧ノ木山と点線ルートのノボリ尾根が手書きで指してありました。ノボリ尾根はほとんど踏み跡無いように見えて、私には無理だな〜って感じでした。

石尾根

ひろびろ石尾根

石尾根石尾根巻き道

道標に従って、ちょっとだけ巻き道歩き♪

榧ノ木尾根

さあ、ここから榧ノ木尾根

榧ノ木尾根

榧ノ木尾根で出逢ったのはほんの数人。ホントに静かでした

榧ノ木尾根のほうも、踏み跡が不明瞭な箇所があります。ですので道を外さないように、気をつけて歩きました。あと「熊棚が多く見られる」というレポがあったので探してみたんですが、私の目が悪いのか、冬には無くなってしまうものなのか、それらしきモノは一つも見つけられませんでした。下山ルートは南斜面になるので鷹ノ巣山から雪は全く無く、乾燥注意報が出されっぱなしの今は落ち葉がからっからに乾いて、気温さえもうちょい高ければまるで晩秋の山のよう。

榧ノ木尾根

落ち葉たっぷりで気持ちいい〜♪

広場のような倉戸山山頂を過ぎ、ここから登山口にある温泉神社まではけっこう急な下りでした。山頂からすぐ奥多摩湖を見下ろせるようになり、その姿が木々の間から見えるたびに徐々に大きくなっていきます。倉戸山で時間を確認すると、1時間弱後にバスがありました。CTも1時間なので順調にいけば間に合う!と少し急ぎ足になったのですが、むき出しになった土が乾いて滑る箇所も多く、緊張しました。ここは雨の日には通りたくないなー。

榧ノ木尾根榧ノ木尾根

左:展望は無いけど広〜く拓けた倉戸山山頂/右:「とても大変です」って何が〜。確かに急だし滑るけど(笑)

榧ノ木尾根

落ち葉を蹴散らして歩く。足首まで埋まります

榧ノ木尾根

奥多摩湖がだいぶ大きくなってきました

バスに間に合わなかったら「丹下堂」さんで温泉に入って時間調整するつもりだったのですが、どうやら間に合いそうなので温泉神社に手を合わせて、まっすぐバス停へと向かいます(途中に丹下堂への近道アリ)。バス停には定刻の4分前に到着し、少〜しだけ遅れてきたバスに乗り込もうとすると、バスの中から「あれ?」と声があがりました。朝、同じバスで歩き始めて、稲村岩分岐でちょっとお話しして、鷹ノ巣山で写真を撮りあったあのグループの方々です。あらら、今日は一日ご一緒ですね。

榧ノ木尾根榧ノ木尾根

左:人工物が見えてきて、そろそろ山道も終わり/右:温泉神社

榧ノ木尾根

親しみやすいお顔のお地蔵さま。……誰かに似てるような?

榧ノ木尾根

神社脇の坂を下ると

榧ノ木尾根

ずーっと見下ろしてた奥多摩湖が、目の前に

榧ノ木尾根倉戸口

左:登山口にあった注意書き。「倉戸山への登山道は大変急峻で、不明瞭な場所が多く、遭難事故が多発しています」て、下りてきてから言われても(笑)。急峻なのは倉戸山までですけど、不明瞭な箇所はその上のが多かった気がします/右:本日のゴール

彼らは避難小屋から峰谷に下りたそうで、「峰谷からだとバスが無い(つか、少ない?)から峰谷橋まで歩いたんだけど、これが長くて大変だった! このバスに乗るために走ったんだよー。しかも3人間に合わなかった! 俺らも榧ノ木尾根にすれば良かったなー」とおっしゃってました。……ま、間に合わなかったら置いていかれちゃうんだ、このグループでは。後で遅れた人たちと連絡がついたようで「じゃあ○○で温泉入って待ってるから」と携帯で喋っているのを聞いたときには、ヒト事ながらホッとしました。

奥多摩駅に着いて時刻表を確認すると、しばらく電車がありません。でも次の次がホリデー快速で、それに乗るなら30分ちょっと時間がある。……じゃあ、ヒカステかな。今日はウーロンハイと舞茸のから揚げ&厚揚げでおなかを満たし、16:23の快速で帰路につきました。下山時には薄暗くなっているのを覚悟してましたけど、思ったより早めに下りられたし、登りも下りも静かでキレイな自然林を楽しめたし、いい初歩きでした。今年は元気に山に行けますように……。

ヒカステ

奥多摩のお楽しみ♥

■東日原バス停(9:06)→稲村岩分岐(10:03)→稲村岩(10:14-10:18)→稲村岩分岐(10:28)→ヒルメシクイノタワ(11:59)→鷹ノ巣山(12:27-13:13)→巻き道への分岐(13:25)→榧ノ木尾根分岐(13:32)→ノボリ尾根分岐(14:05)→倉戸山(14:37)→倉戸口バス停(15:28)

上:ジオラインEXP.ハイネックシャツ+R2ジャケット、タホジャケット(昼食休憩時のみ)、ピークシェル(移動時&昼食休憩時のみ)。下: Phenix裏地つき。他:綿手袋、帽子(クリマプラス)、ネックウォーマー

2012.1.14(Sat)_1

数年に渡って初歩きには笹尾根に通っていましたが、陣馬山〜奥多摩湖が繋がってしまったので、今年の行き先は迷っておりました。希望としては、やっぱり富士山が見たい。でも富士山が見える山ってけっこうたくさんあるのよね〜。そんなとき、ふとまきくまさんが某掲示板で報告していた「稲村岩から鷹ノ巣山」を思い出しました。そ言えば、稲村岩って行ったコトない。そ言えば、奥多摩ってずいぶん行ってない(わ、去年の初歩き以来!)。よし、決めた!

ちょっと人様のレポを漁ってみると、稲村岩尾根ってのは奥多摩三大急登と呼ばれているそうです。でもせっかくだから稲村岩にも乗っかりたいし……。奥多摩駅8:35のバスしか間に合わないから、CT3時間5分に登山道から稲村岩往復の30分を加えて、山頂が12:30。日没時間を考えると16時には下山したいし……石尾根で奥多摩駅までってのは、無理だなあ。行ったコトないけど、榧ノ木尾根ってのを使ってみようか。最近行った人のレポでは、ちょっと踏み跡が不明瞭な箇所はあるけど、静かで雰囲気のいい尾根らしい(そして熊が多いらしい)。……よし。

というワケでザックにお守り代わりのアイゼンを詰め、行ってきました鷹ノ巣山。まだ暗いうちに家を出て電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、奥多摩駅に着いたのは8:28。駅前の登山届ポストに登山届を入れ、すでに停まっていた東日原行きのバスに乗り込みます。バスはぎゅうぎゅうでは無いけれど、立っている人も多く、途中の川乗橋で15人くらい降りてもまだ数人が座れませんでした。終点の東日原(バス代\450也)には水洗のとてもキレイなトイレ(便座まで温かくて感動)があります。ここで身支度を整え、ストレッチをして出発〜。

奥多摩駅東日原バス停

奥多摩駅でバスに乗って→東日原バス停へ

登山者以外人気のない集落をしばらく歩くと、前方に岩峰が見えてきました。おお〜あれが日原のシンボル、稲村岩か! その更に上のほうの稜線では、木々の枝が白く煌めいています。あの霧氷は、私が辿りつく前に消えてしまうだろうな〜。看板に従って舗装道路を離れて道を下り、巳の戸橋を渡って、さあいよいよ稲村岩尾根です。この辺りで先行していた8人くらいのグループが道を譲ってくれようとしたのですが、バテないように後からゆっくりついて行くコトにしました。写真も自分のペースで撮りたいしね。

稲村岩尾根へ

稲村岩に向かって歩きます

稲村岩尾根へ

この道標で舗装道路を外れます

稲村岩尾根へ稲村岩尾根へ

道を下るとすぐに針葉樹の林に入り→巳の戸橋へ

しばらく登ると、涸れた沢に出ました。この辺りはちょっと開けていて、いい雰囲気です。水が流れてないのが残念だな〜と思いながら進むと、あれ? いつの間にか沢音が聞こえ始めました。上流では流れているとはこれ如何に。途中で地面に潜ってしまっているのかな? 沢を離れて最後の一登りをすると、やっと尾根に出ました。ここが鷹ノ巣山と稲村岩の分岐です。ここで先に行ってもらったグループが休んでいましたので、私はちょっと登ったところにザックをデポして稲村岩へ。先行グループも、ちょっと前に追い抜かれた男性2人組も稲村岩には行かないようでした。

稲村岩尾根

登山道には岩がちな部分も

稲村岩尾根稲村岩尾根

左:道端の馬頭観世音/右:迷いやすい場所にはしっかり道標

稲村岩尾根

涸れ沢かと思えば……

稲村岩尾根

いつの間にか、キレーな水が

稲村岩尾根

すっごい根っこ (◎_◎;)!!

稲村岩尾根

幾度か沢を渡ります

稲村岩往復は露岩歩きで、ちょっぴりスリルもあって楽し〜い♪ 凍っていたら怖いと心配していたのですけど、日当たりが良いからか、ホントに怖い箇所はありませんでした(でも落ちたら大変)。天辺から景色を楽しみ、古い小さな祠に手を合わせ、さっきの分岐まで戻ってお八つを口に入れたら、よし登るぞー。稲村岩往復で他の登山者とは距離が離れたらしく、ここからしばらく誰にも会わずに静かな山を堪能できました。

稲村岩尾根

稲村岩への尾根はこんな

稲村岩尾根

稲村岩ゲット〜♪

稲村岩尾根稲村岩尾根

左:これから登る尾根を望む/右:山頂の祠

稲村岩尾根

こんな場所をよじ登ってよじ下りて

稲村岩尾根

戻ってきた分岐点。「山頂〜ヒルメシクイのタワ 冬季凍結の為 通行注意 アイゼン等必要」の注意書きが下がってました

初めて歩きましたけど、稲村岩尾根、けっこう好きかもしれません。急登は急登で苦しいんですが、雑木の中を歩けるので雰囲気がいいです。葉の落ちた今の季節は地面まで陽が届いて明るいし、振り返ると長沢背稜も眺められます。新緑や紅葉のときもまた違った魅力があるでしょう。しんどくなると青い空に伸びる梢を見上げて深呼吸して、一休み。ですので、覚悟していたよりは楽に登れました。

稲村岩尾根

いいお天気だー♪

稲村岩尾根

雑木の林、大好きです

……でもやっぱキツいんですけどね。おまけに、高度計が75mくらい低くなっていた(家で前夜に合わせたのにー)ので、ヒルメシクイノタワになかなか着きません。気付かずに通り過ぎちゃったのかと思い込む頃、ちょっと開けた休憩ポイントに辿りつきました。ここがヒルメシクイノタワ。ちょうどお昼時で休憩をしている人もいましたが、私は山頂までガンバるコトにします。あと30分くらいで着くハズだー。

稲村岩尾根

1,000mを越える頃から雪がちらほら残ってました

稲村岩尾根稲村岩尾根

やっと着いたぞ、ヒルメシクイノタワ

ここから山頂まで地面は雪と、溶けて固まった氷とで覆われています。私みたいにゆっくり歩くなら必要ないけど、ガツガツ歩く人はアイゼンあった方がいいのかもって感じでした。山頂近くになると、3人の先行者が見えました。見覚えのあるザックは、稲村岩分岐で出会ったグループのお仲間です。私が追いつくってコトはちょっとペースが遅いから、他の人に置いていかれてしまったのかなー? 陽の当たらない、暗い斜面を慎重に歩き、そして鷹ノ巣山山頂にぽんと飛び出します。

稲村岩尾根

タワから先はこんな。雪は多くないけど、道が凍り付いてつるつるです

稲村岩尾根

枝の先についてるぽわぽわは、実かな?

鷹ノ巣山

ぽんと山頂。MTBを担ぎ上げてる人がいました

鷹ノ巣山

着いたどー!

≪つづく≫

2012.1.9(Mon)

日月の1泊で田舎に帰ってきました。三連休だから混むかな〜と思っていたけれど、行きも帰りも渋滞無し! 一般道がちょっと詰まったくらいで、かなりスムーズに往復できました。日曜の朝早くに前泊した祖母宅を出発し、お昼前に高速を降ります。そして自動車用品の量販店で、これから入る山道に備えてスタッドレスタイヤを購入―――しようとしたのですが。

うぁあああ〜ん、高いのしか残ってないよぅ! 地元の人はもうとっくに冬用タイヤに変えてしまっていて、在庫が少ないっ。こないだ帰ったときはもっと種類もあったのにー。でも11月の末では早いと思ったんだよね……くすん。まぁ今回は初めてのタイヤ交換でいろいろ聞きたくて対面販売を望んだんだから仕方ないです。作業も全てお願いして、さぁ冬の道もどんと来い!(嘘。来ないで……)。

日曜の午後と月曜の午前中は、猪が掘り返した庭を直して、家の薪ストーブに火を入れ、ちょろっと家の掃除をして、あとはボー、チー、Naoちゃんとお喋りして過ごし、さぁそろそろ帰ろうかと思った月曜の昼。雪がちらちらと降ってきました。朝は(今日はけっこう暖かいなあ)と思っていたのに。最初は(昼なんだから、そう簡単に積もらないさ)と思っていたけど、徐々に吹雪いてきたので重い腰を上げます。また来るよー。

雪景色の田舎

我が田舎。雪がチラついています

帰り、峠はもう真っ白になっていました。タイヤ替えておいて良かった〜。山を下りると雪は雨になっていたので、地元の友達の春日ちゃんちに寄り道して、後はひたすら帰るだけ。今回はどこにもぶつけず(そう毎回ぶつけて堪るか!)、無事に帰るコトができました―――と思ったら、祖母宅から自宅に帰る途中のバスの中で派手に転んで、運転手さんにマイクで「大丈夫ですかー」と聞かれてしまって恥ずかしかったです。

雪景色の田舎

雪が一番深くなる峠の辺り。もう真っ白でした

2012.1.5(Thu)

ヘルガ・シュナイダーの『黙って行かせて』を読了。家族を捨ててナチスの活動に身を捧げ、やがてはアウシュヴィッツの女看守になった母を持つ著者が、没交渉だった母を老人ホームに訪ねる話なんだけど、読み進むにつれて暗澹たる気持ちになってくる。ホントなら(?)、自分の主義のために夫と幼い子供2人を捨て、ナチスの方針を疑いも無く信じこみ、残虐行為に積極的に加担し、数十年経った今になっても未だ「後悔したことはない」と言い切る母親にぞぞっとするべきなのかもなんだけど、いや実際ホロコーストの話を聞くと胸が悪くなるんだけれど、この本を読んで一番気持ちが沈んだのは、著者の母親に対する態度でした。

最初のうちから(う〜ん、何十年も会っていなくて、一緒に暮らしたのは4歳までで、それでも母親って大事なんだろうか。つか一緒にいなかったから、期待しすぎちゃうんだろうか。ナチスの看守になっていなかったら、ここまで拘っていただろうか)と著者の心境がイマイチよくわからず、それでも(私は母親とシアワセな関係を築いていたから、彼女の飢えが実感できないのかなー)と読み進めてたんだけど、読めば読むほど自力で暮らせないくらい痴呆が進んでいる女性相手に、自分の「失われた権利」ばかりを振りかざす著者に、ついていけなくなってきました。

母親がなだめるような態度を取れば、それは全て「人を騙そうとしている」だけで、著者は母親の気持ちを忖度しようともしない。この人は母親に何をして欲しいんだろ。何を話して欲しいんだろ。泣いて後悔していると謝って欲しいの? ただ糾弾したいだけなの? それとも「歴史の証言」とやらを引き出したいだけなの? 後書きを読むと、この本は一番最後の理由で賞賛されているようなんですが、ボケかけた人を相手にあんまりです。老人とはいえ、その女はナチスの一員として虐殺に加担したんだから、苛めてもいいの? だとしたらそれは、劣等人種だからとユダヤ人を迫害した母の行為と、程度の差こそあれ、同じなんじゃないの?

私は、自分が決して残虐行為をしないとは、断言できません。しない人間でありたいとは思うけれども、どんな状況になっても絶対に流されないとは言えない。平和な時代にはよき父、よき隣人であった人間が「命令だから」と残虐行為に手を染めた、なんて話はよく聞きます。たとえ戦時中でなくたって、自分が犠牲者に代わって標的になるのが怖くて、積極的に苛めに加わったり、人が傷つけられているのを見ないふりをしたり、なんてのも同じです。著者だって幼い頃に、ユダヤ人に暴行してますよね。それは「嫌な思い出」だけでスルーですか。

積極的に社会と関わっていきたいと願った活動的な女性が、妻を家に閉じ込めようとする嫉妬深い夫と、同じような価値観を持つ姑とに耐え切れず、家を出た。ただその「社会と関わる方法」が不幸にもナチスの政治活動だった。……そんな話にも、読めます。もともとこの母親にサディスティックな傾向があったなんて、この本からは分からないもの。でも、たとえ「真実」がどうであったにせよ、この著者の心持ちでは溝は決して埋まらないだろう、ととても悲しくなりました。母親がすごく拘っていた黄色いバラは、送ってあげたんだろうか。せめてそのくらいはして欲しい。

2012.1.4(Wed)

うわ〜2012年ですよ! 仕事始めですよ! 気を抜いてダラけまくっていたら、あれ正月休みはどこに消えてしまったんだ?ってくらい、あっという間に休暇が終わってしまいました。今まで正月は必ず田舎に帰っていたんだけど、さすがに両親がいない家で正月を迎える気にはなれず、何十年ぶりに田舎以外で新年を迎えたから、年が変わった実感がないのかもしれません。

一応やってたコト。12月28日は親戚行事の餅つきへ。これも恒例の行事だったのに、ここ数年いろいろあってお休みしてました。今回は「これが最後かも」と言いながらの開催。主催は父方の本家なので、伯父さんたちが止めると言えば無理強いはできないんだけど、せっかくの行事だから数年おきにでも続けて欲しいなあ〜。前回はまだ父が元気で参加していたので、つきたての餅を囲んでの大騒ぎに父が居ないのが、まだ変な感じ。伯父さんが広島を「シロシマ」って言っていて、ああ父と同じで下町言葉だ〜と妙に嬉しくなりました。父も百姓を「シャクショウ」、秘書を「シショ」って言ってたんで、よくからかって遊んでたんですよね。

終わった後はイトコ2人と妹と連れだって飲みへ。たまに飲むこの面子、女3人男1人の全員がいい年して全員独身なんで、会話がちっとも大人になりません。しかも女は全員ちょっぴり腐が入っているんで、唯一の男性A兄は私らの会話にときおり顔を覆ってしまっていました。ゴメンね〜。でもA兄もオタクなので、方向性は違っても気持ちは分かるでしょ? いやでも真面目な話、このイトコ達には両親のコトでけっこう世話になったので、一度ちゃんとお礼をしておきたかったのです。いい機会があって良かった。

29、30日はダラけ日。31日と元旦の年越しイベントは後で別に書く(追:書きました)として、2日と3日は箱根駅伝見つつのまたまたダラけ休暇。自分が走るコトにはちっとも興味がないんですが、駅伝とかマラソンとかはつい見てしまいます。東洋大強かったですね。そう言えば父が柏原竜二を「地元だからつい応援しちゃうよなー」と言っていたなあ、なんて思い出したり。そんなこんなでダラけっぱなしで休みは終わってしまったけど、まぁ一応新年なんで今年の目標でも掲げておきましょう(←なんて投げやりな)。

1.溜め込まず、2.健康に、3.笑っていたい。今年こそ、今年こそいい年でありますように。

2012.1.1(Sun)

≪つづき≫

元旦! 教えてもらった日の出の時間に間に合うように起き出し、ショップ近くの海岸に出ます。日の出ポイントなのか、shinoさんやTさんの他にも、けっこうな人が日の出を待っていました。……でも、う〜ん……。空は晴れているのに、意地悪な雲が水平線に居座っていて、日の出が見られるかは微妙〜。時間になっても見えそうにないのでTさんは引き上げてしまいましたが、後からやってきたSさんと、粘ったshinoさん&私はちょうど雲の切れたところから覗くご来光を拝むことができました。

2012ご来光

夜明け前の海辺

営業部長2012ご来光

左:Tさんと営業部長、C太/右:そろそろご来光の時間

2012ご来光

おおっ、ご来光!

2012ご来光

海に光の道が延びます

近くの神社で、海の神さまにも今年のダイビングの安全を祈ってお参りして、ショップに戻って朝食です。Tさんがお雑煮とワンプレートお節を出してくれました。元旦ならいつもあるサービスというワケではないそうなので、これまたラッキー。美味しくいただきます。食事が済んだらshinoさんは帰っていってしまいました。今日の元旦ダイブはSさん、Tさん、Mieさん、私の4人。え〜っと…、純粋なゲストは私だけなんですけど、いいのかな〜(て、今更か)。ポイントは昨夜と同じI.O.P.です。夜とじゃ全然雰囲気が違うし、状態のいいI.O.P.はなるべく積極的に行かないとね。

2012ご来光

ログ付けルームでお節♪

お正月のI.O.P.はエントリーポイントに注連縄が張られ、絵馬がたくさん奉納されていました。この日も穏やか〜な海と、絶好のお天気。テーブルはやっぱり空いていて、もったいなく思うほどです。静かだし透明度も期待できそうなので、1本目は2のまで遠征します。青い水の中を飛ぶ感覚を楽しみ、着いた根には大きなマトウダイが待っていてくれました。SさんとTさんが興奮していて、何をそこまで?って不思議に思っていたら、I.O.P.でマトウダイを見られるのはかなり珍しいんだそう。へえ〜西で何回か見てるから、レア物だとは気付きませんでした。

静かな海を満喫してエキジットすると、Mieさんの様子がおかしいです。「海の中で気持ち悪くなった……」と車に引き上げ、しばらく休んでも回復しなかったので、結局この日は1本だけでお仕舞い。元旦なのに、お気の毒に……。残った3人は元気いっぱいで、冬の穏やかな日差しを楽しみつつ、昼食を平らげます。Sさんがガッツリ丼ってのを食べたのですが、ホントにガッツリすぎて持て余してしまったので、私とTさんでお手伝いしました。……こゆコトするから、太るんですよね。

2本目は砂地から1の根へ。1月だというのにタキゲンロクダイやミナミハコフグの幼魚がいて、秋の海のようです。1の根の近くでは、パイナップルウミウシを教えてもらいました。事前に聞いていなかったので、インターネットウミウシ(←これも図鑑でしか見たコトない)かと思ったら、やっぱり近い仲間みたいですね。それからやイソギンチャクエビやチビクマノミや。のんびりまったり、1時間近くも潜らせてもらいました。

2本を終えて器材を洗っていると、スピーカーから「伊豆諸島の鳥島でM7の地震」のニュースが入ってきます。元旦から意地悪な! Sさんは「オクリダシの入江で揺れたのがわかった」と言っていましたが、私はさっぱりでした。この日はログ付け後のお喋りも早めに切り上げ、帰宅。途中の乗り換え駅で食事をしようかと思ったら、レストラン街のシャッターが閉まっていてビックリしました。そっか、さすがに元旦は休みの店が多いんだ!(←正月は田舎で過ごしてたので、知りませんでした)。

今回は、馴染みのショップとお客さんのおかげで寂しい思いもせず、楽しい年越しができました。たくさんの時間を親と過ごした私には、「もっと親と過ごせば良かった」という後悔は無縁だけれど、でももっと一緒の時間は持ちたかった。でも「今までと同じ年越し」が叶わぬ望みとなってしまった以上、これから先の正月はどんどん外に出かけていこうと思います。

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