いままで縁のなかったいろいろいろいろを調べたり申し込んだり電話したりの作業がちょっと中休みになったのと、冷たい空気が緩む頃合いがちょうど重なったので、隙を逃さず伊豆の海へと潜りに行ってきました。ずいぶん潜っていないような気がしていましたが、前回からまだたったの2ヶ月です。ずいぶん長い2ヶ月だったなあ……。
今回はUとKが一緒です。天気予報は土曜日のほうが良かったんだけど、Uの都合に合わせて日曜日のダイビング。予報は曇りだけど凍えるような寒さじゃなさそうだしまぁイイや、くらいの気分で臨んだのに、伊豆に向かう電車の外には青空が広がっています。いつまでもってくれるか分からないけど、嬉しいなあ。途中でKと落ち合い喋りまくっていたら朝食を食べ損ねそうになり、熱海手前で慌ててお握りをパクつきました。
いつもの駅でいつものTさんに迎えてもらってショップに行くと、車のUがちゃんと到着していました。もう、通いなれた道ですもんね。着くまで知らなかったのですが、ショップオーナーのSさんは海外旅行中で留守でした。1年で一番暇な時期を満喫しているようですね〜。ちょっと足が遠のいていたので「なんか、オレがいない間に来そうな気がする」とか言ってたらしいです。鋭いな〜!
ゲストは私ら3人だけなので、のんびり準備をして今日のポイント、I.O.P.に向かって出発します。途中でちらほらと桜が見られ、伊豆はすっかり春の雰囲気でした。風が強いので寒いかと思っていたけど、I.O.P.に着いてみると意外にも空気は暖かく、ダウンを着ていれば外で過ごせる陽気です。嬉しいなあ。1本目は1の根に向かうコトに決め、セッティングポイントに向かいます。が、ここでトラブル発生。
前回レギュに異常があったのでオーバーホールをお願いして帰ったのですが、作業後にネジの締め忘れがあったみたいで、今度はゲージから空気が漏れています。締める工具がないそうで、仕方なくTさんから予備のレギュを借りました。自分のじゃないレギュを使うの久しぶりだなあ〜。潜るのも2ヶ月ぶりだし、少し緊張しながらエントリースロープに進みます。
Uが大きめの波をかぶってしまい転がるシーンはあったものの、後は無事に潜降ポイントに辿りつき、海に入ります。……うっ、潜れない…っ! ちょっとそうかな〜と思ってましたが、やっぱりウエイトが軽すぎたみたい。無理やり頭から潜って深度4mくらいの海底で体を落ち着かせようと―――うっ、揺れる。波は風のせいで水面だけかと思ってましたが、うねりが入っています。う〜ん、これでウエイトが少ないのはちょっと、ツラいかな。
春濁りの先触れか?って浮遊物はあるものの、透明度はなかなか良好。水温は14〜15度でした。私とUが潜降に手間取ってしまいましたが、無事に集合できたところでさあ1の根へ。海藻はゆらゆら揺れるわウエイトが少なめで不安だわですが、途中でミノウミウシやハナミドリガイを眺めながら先端に移動します。先端の辺りは、おお、20mはありそうな透明度です。気持ちいい〜。ここで見たのはジボガウミウシ。
そのままクエ穴のほうに移動すると、ルリハタがちらっと見えました。すぐに穴に入ってしまったのでガッカリしていると、Tさんが私の後方を指差します。振りかえるとムレハタタテダイが6匹くらい集っていました。うわ、これは嬉しい。そして回ってきた1の根を乗り越えて―――この辺りから、Uの様子がおかしくなりました。潜降にも苦労していたし、彼女もウエイト不足のようです。私も浮いてしまわないように気をつけなきゃ。
でも、6mの水深では大丈夫でも、5mを切るオクリダシの入江に戻るともうダメです。TさんはUに気を配っているので、私は助けてもらえそうにありません。必死で海底に向かってキックをして、重そうな岩にしがみつきます。そんなだから足に空気が集まってますます浮きそうになる悪循環。分かっちゃいるけど体勢を変えて空気を抜くのは無理だ〜。最後尾を守るKはきっと、私の奮闘ぶりを笑っているんだろうな……。くそー。
そんな状況だったので入江でゆっくり遊ぶこともなく、エキジット。着込んでいたおかげか、42分のダイブの最後まで寒さは感じませんでした。器材を片付け、スーツを脱げば乾いた服装でいられるのが冬のいいトコロ。温かい飲み物のお店が出てたので、それぞれスープやココアを買ってまったりしました。その後でもちろんお昼も食べたのだから、ダイビング前にしてはちょっと食べすぎたかな? 2本目の用意をするとき、ウエイトベルトがちょっとおなかに食い込んだような気がしました(今現在、太っているせいかも)。
菜の花を見ると春を感じますね〜。イルカの形に花が植えられてましたけど、これはちょっと怖かった…(^^;
2本目は砂地へ。あまり派手な生き物がいないコトも多く、今回もやっぱり生物面では地味〜なダイビングだったのですが、これだけ透明度がいいと砂紋を眺めながら浮いているだけで楽しいもんです。ウエイトを1kg増やしたので体も安定(でも落ち着けば、最初のウエイト量でも平気そうなんですけどねー。技量不足をオーバーウエイトでカバーしてる感じです)。
I.O.P.の砂地は沖に向かって緩やか〜に深くなっているので、気をつけてないと自覚のないままに深く潜っちゃうから、ダイコンで深度管理をしつつ泳ぎます。結局この日は砂紋見物だけになったので、最後の岩場でカゴカキダイやイシダイに逢えたのはちょと嬉しかったかな。Uも2本目はウエイトを増やして安定しているようだったから、今回は入江で遊ぶ時間があるかな〜と考えていたら、入江の入り口でUが「気持ち悪い」の合図をしています。Uはゆらゆら動く海藻が苦手で、どうも酔ってしまったみたいです。ありゃー。
I.O.P.からショップに戻る途中に見事な桜がありました
というワケで残念ながら今日はオクリダシとは縁のない1日となりました。器材を洗って着替えてショップに戻ったところで、ぎゃっ、I.O.P.の洗い場に自分のアンクルウエイトを忘れてきてしまったコトに気付きます。うわ〜ごめんなさい、Tさん。見つかったら取っておいてもらうようにお願いし、ログ付けをしてから、帰りはUの車で一緒に帰宅の途につきました。途中で少し渋滞はありましたが、まぁ想定の範囲内だったのでUの自宅近くで夕食をとって更に場所を移してお茶して解散。
SさんとTさんに私の現況を知らせにいかなきゃな、と気になっていたので、また1つ片付いたって感じです。次は間を空けずに行きたいな。
有川浩『植物図鑑』読了。いや〜女のコのドリーム小説だな〜と思いながらも、女のハシクレとしてはそのドリームがわからないではないから、むかっ腹たてたりしないであっさりするっと読みました。でも女のコのドリーム小説なのに、主人公の彼女は彼と出逢うまで趣味なし、友達なし、家族とさえ疎遠って設定なのは、ちょと寂しい気がします。
ま、そんな不満や主人公たちのラブラブっぷりはおいといて。この本の楽しみは彼の趣味である野草採りとその料理の描写にあります。出てくる植物はそんなに珍しい野草ではないんですが、本の最初と最後にカラー写真が載っているので、話を読みつつその植物の写真を探したりするのが、タイトルどおりに植物図鑑めくっているみたいで楽しい。
それに、え〜蕗の薹の天ぷらってそんなに苦いか?(←育ちすぎのを採ったんじゃ?)、とか、ノビル(野蒜)懐かしいなあ〜とか、いろんな記憶が湧き上がってきます。蕗の薹は田舎で山ほど採れるので、フキ味噌を毎年母が作ってくれてました。ノビルは逆に、東京に住んでいた頃に散歩道沿いの空き地で採って食べたのは覚えているんだけど、田舎に引っ越してからは食べた覚えがないなあ。パスタ、試してみたい。そういえば『きりきり亭のぶら雲先生』に出てきた蕗の薹を使ったすき焼きも美味しそうだった!
んで、読み終わってからこの本を手に取るきっかけになったならのさんの書評を読み返してみて、またビックリ。やたら美味しそうに描写されてるイタドリって、スカンポのコトなの!? スカンポ、田舎の学校の帰り道で、口寂しいときに摘んで齧ってたけど、料理するとそんなに美味しいんだ!(←もしかすると食べてたのかなあ? 分かりません)。今度田舎で探してみようかしら。
本の感想とはズレるんですが、ちょっと切なくなったのは、「家族だけの植物の呼び方があるってのもいいよね」という台詞が出てきたとき。うちにも“家族だけの植物の呼び方”が一つだけありました。この本にも出てくるオオイヌノフグリ。まだ東京に住んでたときだったから私が10歳になる前だけど、家族で散歩していてこの名前を教えてもらって、やっぱり「こんなに可愛い花にあんまりな名前じゃないか」って話になったのです。
じゃあ名前をつけてあげよう、と言って考えて、採用されたのが≪リゲル≫。オリオン座の星の名前です。私たちの誰も星に詳しいワケじゃなかったから、きっとその頃読んだ本にでも出てきたんでしょうね。『植物図鑑』にはオオイヌノフグリの別名は瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳って書いてあって、おお、あのときに≪リゲル≫を選んだ私たちのセンスもなかなかじゃん、と自画自賛しちゃいました。
私は今でも、オオイヌノフグリを見ると「あっ、リゲル」と思います。ことさら話題にしたことなかったけど、しばらく前にふと他の皆は覚えているのかな〜と気になって聞いてみたら、妹はちゃんと覚えていました。母も「よく覚えているね!」と目を丸くしていたから、しっかり記憶してたみたい。聞きそびれちゃった父は、どうだったかな。そもそもあの散歩のときにいたかどうか……。いたとしても、きっと忘れていただろうな。
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最近も書きたいコトは多いんだけど、何を書いても思っても父や母の思い出に繋がってしまって、なかなかアウトプットが上手くいきません。まぁ、ぼちぼち、ね(つかそろそろ生活立て直して弁当作り再開しろよ>自分!)。
金曜日から3日間、もちろん四大陸フィギュア見てました。今回は珍しく家にいたので録画じゃなかったのですが、だからちょっと目を離しただけで見逃す見逃す〜。やっぱ好きな競技は正座して身を入れて見ないとダメですね。残念ながら今回はながら見だったので、感想はざざっと。
まずは男子から。日本の選手と同じ組になった人しか放映しないんだろうけど、ショートとフリーの両方の演技を見られなかったりするのは残念だなー。あまり知らない選手では、中国のナン・ソンの演技はけっこう好きでした。たぶん初めて見たんじゃないかなあ? 中国はペアばっかり目立っていたけど、この頃男女ともにシングルの選手が上位に入るようになりましたね。スピードがあるし、ジャンプも高くてキレイなのに、中盤でミスが続いたのが残念でした。そのせいか、フリーでは上位にいなかったなあ〜。
も一人ショートでしか見られなかったのは、カザフスタンのラクムハリエフ。彼も初めて認識したかも。コミカルな演技がいい感じでした。嬉しかったのはジェレミー・アボットの路線変更です。今まで上手いなあとは思いながらも、面白みに欠けると思っていたのですよねー。純朴な青年路線は止めればいいのに、と。そしたらショートは全然違う印象で、体が大きく見えました。フリーの衣装は今までの路線だったから(ショートだけかあ〜)と一瞬ガッカリしたものの、滑り出したら今までとは大違い。どうやら感情を全面に押し出す演技にしたらしいですね。それ、正解。好きです。
羽生くんのショートはいいですねえ〜。線は細いけど、『白鳥の湖』やるにはそれがかえって強みになってるのかも知れません。16歳とは思えないナルシストっぷりが好きです。フリーの4回転は見事でした。放映された選手では、唯一の成功かな? ショートに比べるとフリーが迫力不足の感は否めないんですけど、でもだんだん上手になってきていますよね。膝が柔らかいのか、決まったときのジャンプはとてもキレイ。
高橋くんの今シーズンのショートは最高です。「うーっ」の決めポーズでは観客席と一緒に黄色い悲鳴上げたくなりますもん。いやいや高橋くんがこんなに好きになるとは、自分でもビックリ。嬉しい驚きです。フリーでのミスも4回転だけで、最後までスタミナの切れない迫力はさすがでした。小塚くんはショートの出来が散々で心配しましたが、フリーでは彼らしい演技を見せてくれてホッと一安心。まぁ次、ガンバレ(←何様?)。
女子の見覚えない選手では、キム・ヨナの妹分と紹介されていた韓国の選手が可愛かったです。名前忘れちゃったのが残念だけど、きっとこれからの選手ですよね。また逢えるのを期待します。アリッサ・シズニーも、最近は好きになってきました。“清楚”って言葉がぴったりの雰囲気を醸しだしています。あと嬉しかったのはレイチェル・フラット! グランプリ・ファイナルのときの鬱憤を晴らすかのように、思いっきり楽しそうに滑ってましたね〜。彼女はこうでなくちゃ!
これはレイチェル・フラット表彰台か?と思ったら、それを上回る演技を見せたのが長洲未来。どんどん上手くなるので、見ていてホントに気持ちいいです。体つきもキレイになりましたよね。フリーの演技は完璧でした。完璧といえば、真央ちゃんのフリーのトリプルアクセルも。キレイに決まりましたね〜。ショートでは足をついちゃってたから、余計に嬉しかったです。フリーはトリプルアクセルも含めてほぼノーミスの演技で、これは世界フィギュアが楽しみになってきました。上り調子でガンバレ!
あっこちゃんのショートは最初のジャンプが残念でした。そのまま立て直せないうちに終わってしまった感じ。フリーもジャンプがキレイに決まらなくて、悔いを残しました。でも現役続行だもんね。日本人選手の中で最年長なのに一番初々しいんだから、もっともっと続けてください。次のシーズンに期待です。逆に安定しているのは安藤美姫。体調が悪かったそうですけど、そんなの分からないくらいいい笑顔を見せてくれました。フリーも完璧だったけど、ショートの柔らか〜い表情が好きです。
ところでさー。中国選手の名前の表記を、各局で統一してくれませんかね? ナン・ソンは宋楠らしいし、クィン・パン/ジャン・トンがペアで優勝っていうから誰かと思えば、ホウ(まだれの中に龍)清/トウ(にんべんに冬)健のことじゃないですか。紛らわしくって分からないよ〜っ!
久しぶりの文楽に行ってきました。このところ、くびきが外れたかのようにぱーっと出歩きたくなる気分と、どんよりと何もしたくなくなる気分が交互にやってくるのですが、今日は後者のほう(前日にいつもの仲間と飲んだせいばかりではない、と思います)。同行者が気を使わなくていい妹だってコトもあり、気分がちっともノリません。母と一緒に、もっと文楽を楽しみたかったなあ、とか思うとますます気分が重くなる。それでも買ってしまったチケットを無駄にするのはもったいなく、有給も取ってしまったし、のそのそと出かけてきました国立劇場。
2月文楽公演の第1部は『芦屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)』と『嫗山姥(こもちやまんば)』。『芦屋〜』の「葛の葉子別れの段」が見たくて選んだ回ですが、なんせ消極的な気分だったので、いつも直前にするストーリーの予習はしませんでした。題名と葛の葉って名前から、安倍晴明の話かなって見当つけていたくらいです。それはそのとおりだったのですが、始まってみるとこれが予想以上に面白かった! いつしか出かけるのが億劫だった気持ちも忘れ、見入ってしまいました。
安倍保名に助けられた狐が許嫁の葛の葉姫になり代わり、保名との間に子までもうけているところに、本物の葛の葉姫が尋ねてきて―――という辺りから始まるので、状況を理解できない登場人物たちの驚きっぷりや話の噛み合わなさがまずおかしい。そして正体がバレそうだ、と思い別れを決意した狐葛の葉が徐々に本性をあらわしていくんですが、それが見事でした。人形の仕掛けが効果的に使われる舞台でしたので、席が前のほうなのも良かった。障子の向こうに葛の葉の影が浮かぶシーンとか、神通力を使うシーンとか、おおっ!と思います。
狐が子供に未練を残しながらも去った後、葛の葉姫が「自分が代わりに母になる」と言うのだけれど、顔がそっくりの姫でも童子は認めず「母さま、母さま」と泣く、そのシーンにはほろりとしてしまいます。そこで障子を開けると、壁に有名な「恋しくば尋ね来てみよ〜」の歌が書かれて……いるんですけど、舞台上の嘘とはいえあまりに大きく書かれすぎていて、狐葛の葉ちょっと自己主張しすぎだろーと、そこは笑ってしまいました。
続く「蘭菊の乱れ」の段は、二人の許を去った狐葛の葉が信田の森に帰るシーン。登場時の人間の体、狐の顔の葛の葉の人形がとても美しいです。かなたに森を望む静謐な印象の舞台装置と対照的に、床は大夫と三味線が5人ずつと、賑やかで迫力がありました。これは舞踊的な要素が強い段なのですね。賑やかだけど悲しくて、こうゆうの、好きです。狐の顔から人間の顔へ、そして狐の姿へと変わっていく葛の葉も、切ない。
休憩を挟んで次は『嫗山姥』、廓噺の段。こっちはホントに何の事前情報もなしで見たので、後半はえっ、ええっ、えええ〜っの連続でした。かいつまんで言ってしまうと、敵討ちをするぞーと言って放浪しているワリに何もできてない情けない男(坂田時行)が、捨てた恋人(八重桐)に偶然会って詰られ、いやホントにこれから敵討ちをするんだと言い訳すると、敵討ちはあなたの妹がとっくにしてしまったと笑われ、我が身を恥じて自害するって話なんだけど……(微妙に違うかも)。
自害するのは勝手だけど、その後が凄い。「自分は魂魄となってお前の腹に宿り、勇ましい男子に生まれ変わり、敵の黒幕を倒すから、お前は今日から山の奥に住んで生まれてくる子供を育てろ」と言うんですよ! ええええーっ、なんで私が!って感じです、八重桐からすると。なのに八重桐はそれを受け入れ、怪力の山姥となってしまうのですよね。いいのかそれで。そうして生まれたのが坂田金時、らしいんですけど。
妹に敵討ちの先を越され、あっさり自害して、昔の女の迷惑も顧みず勝手に腹に宿る……。どこまでヘタレなんだ、坂田時行。そのワガママをすんなり受け入れる八重桐の気風の良さと対照的です。いやときどき、文楽の価値観には驚かされますね〜。終盤、八重桐の頭が鬼に変じる(角なしのガブ、という頭だそうです)のを見られたのも嬉しく、前半ちょっと話が長くて動きが少ないのを挽回してくれました。
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うだうだしてて後悔ってのはよくあるけど、出かけて後悔するコトはあまりない。楽しい予定をたくさん作って、上がったり下がったりしながら、でも少しずつ浮上していこう。今日みたいに。
古屋安雄『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか 近代日本とキリスト教』読了。
つまらなかったです(最終章の『国家と教会』はまぁいいけど)。同じ話が何度も何度も何っ度も繰り返されるのは、この本があちこちでの講演の内容をまとめたものだから仕方ないとしても、それを1冊の本に纏める必要があったのかははなはだ疑問。なぜ広まらないのかを解き明かすというより、これからの伝道をどうすべきかキリスト教徒に向けて語っている内容なので、タイトルのつけ方もどうかと思います。なので、キリスト教徒ではない私には全然ピンとこなかった。
だいたいさー、キリスト教が広まらない理由を天皇制と武士階級のせいにするのもどうかしら。武士階級に関しては(この人なにか恨みかコンプレックスでもあるんじゃないか)って書きっぷりだし、天皇制に関してはもしかすると心情的に少しは関係するかもしれないけど、その理由は「天皇が万世一系の神の子孫で、日本は神の国であり、他の神を頂くことはできないから」なんてもんじゃないと思う。八百万の神々への信仰に繋がるものがあるからじゃ、ないのかな。
そう、何で一言も八百万の神々に触れないのかも、不思議。私は日本にアニミズム信仰が根強く残っているからってのが、大きいと思うんだけど。実際に岩や巨木に手を合わせたりお供えをしたりって風習はもうだいぶ廃れてしまったかもしれないけれど、自然の中に神々を感じる心はしぶとく生き延びている気がする。昔話は語られなくなったって、アニメや漫画の中にそんな話はいくらでもあるでしょう? 付喪神とかさ。
この人には佐藤史生の『ワン・ゼロ』や、水樹和佳子の『イティハーサ』を強く勧めたい。善神でさえ無条件に受け入れるのを良しとしない、そんな国が残っていたっていいじゃないねえ? (あ、でも、キリスト教信者が日本には人工の1%もいないってのは、ちょっと意外でした。もう少しはいるかと思っていたよ)。ついでに言うなら、受け入れられてないというより、たくさんいる神さまのうちの1人として、すでに定着済みなんじゃないかしらねえ?
先週末に田舎に帰って諸手続きを済ませた開放感からか、忌中の身ではありますが友人らと外に行きたい気持ちが募ってしまい、今シーズン最初で最後のスキーに行ってきました。「忌中なんだけど、気にしない?」(←ウチの親は絶対に気にしないのでOK)と恐る恐るお誘いしたのに、UとYが付き合ってくれるコトになり、感謝です。日帰りで、行ったのはセントレジャー舞子スノーリゾート。初めて行くスキー場です。
東京駅で待ち合わせて、スキーのたびにお世話になってる越後湯沢まで新幹線で移動。バスに乗り換えて舞子の「日帰りスキーセンター」へ。こうして来ると、新潟ってホント近いですよね。着替えて舞子ゴンドラで一気に山頂駅まで登り、ほとんど1日ずっと上部で遊んでいました。この冬は雪が多いというだけあって、雪質はなかなか。天気はときおり晴れ間も見える曇りで、遠く新潟の山々を見渡すコトはできませんが、まずまずです。
まったりの林間コース♪
雲が流れるとときおり、すぐ近くに形のキレイなお山の姿が現れます。何て山だろうね〜と後で調べてみたら、1,111mの飯士山(いいじさん)でした。「上田富士」とも呼ばれているそうですよ。道理で目立つワケだ。お茶休憩とお昼休憩を一回ずつして、今回は特攻隊長のKがいないので、後はのんびり初級者&中級者コースで遊びました。近頃お山歩きが減ってまた脚力が落ちてしまったらしく、去年感じた上達っぷりは姿を消し、また及び腰スキーヤーに戻っちゃいましたよ……orz。
向こうに見えるのが上田富士、飯士山
最後に温泉にも入り、東京駅まで戻ってから食事をして解散。自由席だったので越後湯沢からしばらく座れなかったのがキツかったけど、日帰り新潟でもかなりしっかり遊べるのが分かって、味をしめてしまいそうです。
母の百ヶ日の6日後で納骨の3日後、1月26日の水曜日明け方、今度は父が逝ってしましました。「百ヶ日までは頑張る」とずっと言っていた言葉どおり、百ヶ日が過ぎた途端にぱたぱたぱたっと具合が悪くなりました。折悪しく私の仕事が1年で一番忙しい時期で、残業をしないとどうにも仕事が片づかない状況になってきたので、会社に相談して昼休みを長くとって病院に行き、夜は毎日22時まで残業という日々の中でのコトでした。
一週間くらい前から治療は緩和ケアに切り替わっていて、24日の月曜日にベッドも緩和ケア病棟に移り、その次の日。昼間に病院に行ったときの父の様子がいつもと違ったので、そろそろ病室に泊まり込んだほうがいいのかな(「泊まろうか?」と聞いたら、来なくていい、と父は返事をしたのですが)、先生に相談しなくちゃな、と思いながら会社に戻ったその夕方、主治医の先生から電話がありました。「午後に容態が急に悪くなった。できたら今晩は病院に来てくれないか」と。
「すぐに来なくても大丈夫。危ないのは明け方なので日付が変わるまでに来てもらえれば」と先生は言うのですが、のんびり仕事などしてられません。最低限だけを片づけて長い引き継ぎメールを書き、20時頃病院に駆けつけました。意識はないけど呼吸は安定しているというコトで、前後して集まってくれた親戚たちが22時半くらいに帰ったあとも、私と、妹と、従姉妹の美濃ちゃんが父の傍に残りました。病院は簡易ベッドも用意してくれたのですが、やっぱ眠ったりできません。
夜中になる頃から3人で父の手を握ったり足をさすったりして、ずーーーっと父の呼吸を見守ってました。手足の先もずっと暖かくて、呼吸だけ聞いているとただぐっすり眠っているみたい。2時頃に呼吸が止まりかけたのにまた持ち直し、これは今晩は大丈夫かなと思っていたら、4時頃、静かに、ホントに静かに呼吸が止まりました。苦しそうな様子は一切ありませんでした。先生を呼んで死亡を確認してもらい、その後の清拭まで美濃ちゃんはつきあってくれました。
人に心配をかけたがらなかった母は、1人になるときを狙っていたかのようにさっさと逝ってしまい(息をひきとるときには友人が見守ってくれていたのですが)、寂しんぼで女のコが好きだった父は、娘たちに手を握られて逝きました。2人とも、望むとおりの死に方をしたのかもしれません。「おじさん、きっと喜んでるよ。ムサいおじさんがいなくて。若い娘たちだけに見送られて」と美濃ちゃんが言ったけど、ホントにそうだろうと思う。若いというのにはちょっとかなりムリがあるけど、まぁ父から見れば若いってコトでそこは妥協してもらいましょう。
季節柄かなかなか葬儀場がとれず、告別式は1月31日の月曜日でした。田舎の父母の家に何回も遊びにきていたMapちゃんが去年の暮れに結婚して、その報告をお見舞いに来たときに父にしたって話をしてくれました。父は「早く子供をつくれ」と言っていたそうです。「自分は若いうちに子供をつくったから、子供が大きくなるのも早かった。だから大人になった娘たちと長い時間を一緒に過ごせて、たくさん遊べて、それが楽しかった。だから子供は早くつくれ」と。それを聞いた途端、涙が止まらなくなりました。
それはない。それはないよ。私はまだまだ一緒に遊びたかった。母は62歳で、父は63歳で、なんでそんなに早く逝ってしまうのか。母が亡くなったときは、悲しいと同時に父への心配がどっと増えて、もうどうしたらいいのか分からなかった。父が亡くなったときはやはり同じくらい悲しくて、でももう容態に一喜一憂したり先の見えない不安に押し潰されそうになったりしなくていいのだと、肩の荷を下ろしたような気持ちがちょっとはあった。
葬儀を終えて1週間が経って、今は喪失感を強く感じています。寂しくて寂しくてたまらない。父の遺影にいい写真を選びすぎて、写真の中で楽しそうに笑っている父を見るたび、切なくて涙が出てしまいます。父と、母と、ヨノに、逢いたい。