2011.8.28(Sun)

今日はお友達とのお茶会へ。……とは言っても久しぶりなのは1人だけで、残りのメンバーはY・K・私という“いつもの面子”です。でも、残りの1人がとっても女子らしい人で、一応「お茶会」と名のついた集まりなので、珍しくワンピースを着こんで出かけました。待ち合わせ場所に着くと、やはり珍しくジョーゼットのワンピを着こんだYと、私を見て「やっぱりスカートにすれば良かった〜」と頭を抱えるパンツ姿のKが。ちょっと遅れてやってきたPも、もちろんふんわりとしたスカート姿です。おほほー。

しかし女子らしかったのはそこまで。そのまま某ファミレスになだれ込み、お昼を食べながら話し(P以外は赤ワイン1本空けて)、デザートメニューを食べながら話し、ドリンクバーのカップを積み重ねながら話し、ちょっと小腹が空いてきた〜とまた食事を頼んで(今度は白ワインを1本空けて)話し、結局終電で帰ってきました。え〜っとたしか、待ち合わせをしたの13時だったよね? 店に入ったのが30分後としても……10時間近く、喋ってたのか? 間違いなく、店で一番ながっちりの客でした。

いつもの面子が1人違うだけで、話題もずいぶん変わります。いつもはしないような話もいっぱいできて、笑いすぎて笑いすぎて腹筋が苦しくなるくらい。こうゆうときの時間の経つのは早くって、時計を見るたびにビックリしてました。楽しかった〜♪

2011.8.27(Sat)

今日はYと伊豆へ。前日にチェックしたときには伊豆に晴れのマークが出ていて「東京よりも静岡のほうが天気がいいんだ」と思い込んでいたのですが、電車で移動しても、どこまで移動しても、暗い雲が空を覆っているのは変わりません。いつもの駅に着いたときには、小雨も降っていました。「今日はダメかなあ〜」。半分諦め気分で、迎えのTさんの車に乗り込みます。車には他にabさんほか4人、ショップにはビナさんほか1人で、私らを含めて計9人ゲストがいました。今日はちょっと賑やかですね。

東の状況が徐々に悪くなってきていてI.O.P.に行くには厳しいけど、でも西まで遠征するほどでもないというので、ポイントは富戸に決まりました。今日は富戸でイベントをやっているせいもあり、行ってみるとかなりの大賑わいです。係員さんの案内に従って車を止め、本日デビューのウェットを着てみると―――あれ? 見た目、どうも寸胴に見えるなあと思ったんですが、着てみてもウェスト部分だけぶかぶかです。まぁでも他はぴったりなので、このまま行きましょう。身支度をして、エントリーポイントに向かいます。

一緒に潜るには大人数ですので、今日はSさん組とTさん組に分かれて潜りました。電車組のうち2人もビナさんのお友達だそうで、Sさん組はビナさん+お友達3人、Tさん組はabさんと初対面カップルと私たちという組み合わせ。さっそく海に入って潜降ポイントまで水面を移動しますが……意外に、海がいい感じです。今日は濁っていて暗いと思っていたのに。そう言えば富戸に着いた頃から雨も上がっていましたね。浅瀬にはチョウチョウウオの幼魚がちょろちょろしてるし、イソギンチャクを覗き込めばカザリイソギンチャクエビの透明な体が見えます。横に目をやれば銀色の細い魚(イワシかな?)の群が過ぎります。

水温も暖かいしいいじゃんいいじゃん、と思いながら先に進み深場に移動すると、サーモクラインがあってその下に冷たい潮がありました。しかも、暗い! 冷たい潮ってたいていは澄んでいて、冷たいのをガマンする甲斐はあるってもんですが、これじゃさっきの浅瀬のほうが面白いよぅ〜。生き物も目ぼしいのが見つからず、浅瀬に戻るとカノコベラやらニシキカワハギやらに出会います。ニシキカワハギはかなりレアらしく、Tさんがabさんに「ビデオで撮って!」と強くアピールしてました。

水から上がると、異様におなかが膨らんでいます。ウェットが合わず、水が溜まってしまっているのです。Tさんに「これ、変ですよね〜」と見せたら、採寸のやり直しが決まりました。ホントに寸胴なんじゃなくて、良かった。雨は上がって薄日も差していましたが、座ってゆっくり食事を―――って雰囲気ではなかったので、カップ麺で簡単に昼食を済ませます。う〜、あったかい食事がおなかに沁みる〜。各自、温泉丸に入ったりシャワーを浴びたりして体を温め、いつもよりは短めの休憩で2本目へ。

深場は行かなくてイイです、浅瀬でのんびりでイイです、とリクエストしたとおり、2本目は浅い場所でそれぞれ好きなように過ごします。でもやっぱり、1本目よりは透明度も落ちて、東の状況がどんどん悪くなるってのはホントだな〜と感じました。abさんも私たちも、Tさんが見える範囲で自分達で勝手に生き物を探してうろちょろして、後でTさんが「ああいうの、私はすごく楽なんですけど、あんなガイドでイイんですか」と笑ってたくらいです。それでもツノダシ、ツユベラ、ハナキンチャクフグと見られましたよ〜。最後にはイナダの小群がさーっと横切ってくれるサービスも。

朝に覚悟したよりずっといい海だったので、満足してショップに戻ります。一緒に潜ったカップルは隅田川の花火を見るためにログ付けも早々に引き上げてゆき、翌日も潜るビナさんたちはお部屋でまったりモードに入ったようで、私らとabさんだけがゆ〜っくりログを付けて、地魚が食べられる回転寿司屋に夕食に行きました。abさんの話を聞くと、abさんも伊豆で最初に潜ったときは「もう来ない」と思ったんだとか。なんかこのショップ、最初にヒドい目にあった人ばかり長続きしてるなあ〜。

泊まっていくabさんと別れ、私らは「熱海で花火見て行こうか?」という話もあったのですが、電車の中でちょっと眠ってしまったら疲れがどっと出て、そのまま爆睡。熱海は素通りし、ほとんど寝っぱなしの帰路になったのでした……。

2011.8.26(Fri)

会社帰りに東京商工会議所へ、講演を聞きに行ってきました。タイトルは『3.11 EGOからECOへ〜未来の子ども達のために私達ができる事〜』。田中優さんの講演があると知って行くのを決めたのですが、このタイトルを知って(……ひょっとして、ハズレ?)と内心危惧しておりました。田中さんの基調講演は第一部で1時間弱、その後、田中さんにISEP主席研究員の松原弘直さん、雑誌「オルタナ」編集長の森摂さんを加えた3人のパネルディスカッションが第二部で1時間半くらい、という構成でした。

話題は「原発の現状について」、「自然エネルギーの可能性について」、そして「今、私たちができる事」。2番目の話に一番長い時間が割かれました。私の危惧は不発に終わり、とても面白い講演だったのに、来訪者が少なかったのが残念です。てか、けっこう贅沢な布陣なのに席の半分も埋まらないなんて、前宣伝が下手だったんじゃ?と思ってしまいます。もったいないよ!

パネリストの3人がだんだんノってきて、司会者が話を振っても「それより違う話をしていいですか?」と別の話を始めたり、振られてもいないのに「私も一言言いたいです!」と割り込んできたりの流れが、特に面白かったです。最後に司会者がタイトルどおりのツマラないまとめをして(←関係者の方、ゴメンなさい。でもツマラなかったです)、会は終了。もったいないよな〜、とため息をつきながら帰路につきました。ああ、もったいない!

2011.8.21(Sun)

夏山の縦走には行けないけれども、せめて日帰りの登山に行きたいと思っていたこの週末―――なんで、狙いすましたように雨が降るのでしょう。汚い部屋を片付けろって神さまの思し召しでしょうか。家に閉じこめられたからって働くとは限らんぞ!……というワケで、土曜は昼過ぎまで布団でぐだぐだ。何の家事もしないまま、昼過ぎに家を出て伯父さんちに行ってきました。伯父さんちに行く途中には、山道具屋の街があります。そりゃ行かなくちゃ。

特に買いたいものは無かったのに、山の店ってのは魔窟ですね。2時間近くうろちょろした末にゴアのレインハットはじめ、小物数点をお買い上げ〜。財布がいきなり軽くなってしまいましたが、山に行けない欲求不満もあいまっていたので仕方ない(か?)。レインハットはこないだ丹沢行ったときに欲しいな、と思ったのを店で思い出して、ぱっとかぶったのが珍しく頭に合った(←デカ頭なので帽子が滅多に合わないのです)ので、嬉しくなって買っちゃいました。となると雨模様の日でも山に行ってもいいかも、と思えてしまうのが山道具の魔力ですね。

おじさんちでは一周忌の相談をして(半分以上、法要の後の食事はどの店にするかを話し合ってた気がしますが)、近所のお蕎麦屋さんで夕食をご馳走になってきました。誰もお蕎麦は食べなかったけど、おつまみがどれも美味しくて、ついお酒がすすんでしまいました。大好物のゴーヤの天ぷらが山盛りで出てきたのが嬉しかった! しかし雨降りの予報だったのに、この日は夜まで結局雨は降らず。きっと山では降ってた、と自分を慰めつつ帰りました。あの葡萄は酸っぱかったのよ……。

日曜日は、予報どおり雨降り。やっぱり昼近くまでごろごろして、もう仕方ない、週末の任務の掃除洗濯に取りかかります。あと、久しぶりにパンを焼きました。ずーっとそんな気になれなかったけど、ちょっとずつ、気力が戻って来ているのかな(ま、気力があっても夏の暑い日にはオーブン使う気になれないんですけどね)。粉をこねこねして発酵させて成形して焼いて。うん、私やっぱ、こうゆう作業が好きですわ。

自家製パン自家製パン

左:第2次発酵後、ツヤだしに玉子を塗って、後は焼くばかり/右:こんなん出来ました〜。バターロール12個なり

終わってみれば、なかなか有意義な週末でした。

2011.8.17(Wed)

会社を定時で飛び出して、行ってきました『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』。シリーズの完結編は今までで一番出来が良かったよ、と先に見たUから聞いていたので期待していたのだけれど、その期待を裏切らない出来でした。面白かった〜。ハリポタの映画はだいたいが説明不足で、原作を知っていないと意味不明の箇所が多すぎるから、今までずっと「動く挿絵」として楽しんできたんですが、今回のは映画単体で見てもちゃんと脈絡があったんじゃないでしょうか(て、それが当たり前か)。

何回も何回も書いているように、私はとにかくスネイプ先生Love! なので、彼をたくさん見られるだけで嬉しかった。途中の生徒を全員集めての説教でも「ああ…なんていい声なの……」と聞き惚れてしまいましたよ。説明不足といえば、彼の本心をハリーが知るあの場面だけはもうちょっと丁寧でも良かったかな(と思ってしまうのは、ただ単に少しでも彼の出番が多くあって欲しいだけなのかもしれません)。泣いてしまったのは、彼に関わるシーンでだけ、でした。えへへ、どんだけ好きなんだか。

ハリーたちも変に拗ねたりしなかったし、ネビルやルーナ(原作よりも映画版の彼女、好きです)にも見せ場があったし、うん。良かった。でも、これは原作への注文なんだけど、やっぱり2つ、物足りなかったな〜。原作で書いてないんだから、映画でカバーされるハズもないんだけど、ちょっと残念。

まずはハリーがダンブルドアを信じると、全てを語られていなくても過去に過ちがあったとしても、それでも自分が知っていた彼を信じると、いつ決めたのかがよく分からないこと。あとスリザリン寮の生徒に見せ場がないこと。プライドが高すぎて冷淡(に見えて)だとしても、最後の最後はホグワーツを守るために立ち上がって欲しかったな〜。スネイプ先生のように♡♡(←結局そこかい!)。でもさ、そうじゃないとなぜドラコが自分の息子をまたホグワーツに入れるのか、よく分からないじゃない?

あとどうでもいいけど、魔法界、闇の陣営に組した人たちに対して寛容ですよね〜。昔の戦いでも、今回のでも。

2011.8.14(Sun)_2

≪つづき≫

午後から夕方にかけては、父母の仲間たちや村の人たちが来てくれました。避難している人も多いので諦めていたんですが、夏限定で帰ってきている人もいたから、思ったよりもたくさんの人に逢えました。村の人とは、ここでも原発の話。区長さんの「いつもは道の草刈りするんだけど、今回は線量高いところがあって中止になったんだよー。2μぐらいでビビるなってんだよなー」の台詞には思わず笑ってしまいます。たくましいなあ。ウチの村に通じる山道が補修されるのは、いったいいつになるんでしょうね?

納骨の前にこっそり取り分けておいた父の骨の散骨も皆と一緒にできたし、久々の人たちといっぱい喋れて、満足満足。そして夜は隣町でやっている怪しいお祭りに行ってきました。ずーっと行っていなかったけど、今年ばかりはと思って、舗装もされてない山道を長々走って(怖かった!)参加してきました。さすがにいつもより規模は小さかったようですが、それでも開催できたのは主催者が除染作業したりしてガンバったからですね。ただ、いつもは家族連れが多いけど、今年は子供は遠慮してもらったと寂しそうでした。ここでも久々の人と話して、長い一日の終了。

怪しいお祭り怪しいお祭り

左:車のライトに怪しいお祭りの看板が浮かび上がります/右:満月に近い月がキレイだったのですが、手ブレで楕円形になっちゃった

怪しいお祭り怪しいお祭り

暗い中で火を焚いて出店があって……。人に交じって魔物が行き交うという“夜市”ってこんな感じでしょうか?

大事な用事は前日で終わったので、13日は冷蔵庫の整理をしたり、かなりまったりめに作業。午前中に挨拶まわりを済ませておくか、と昼前に妹とぷらっと散歩に出かけます。……とは言ってもいる人少ないし、行きたいのは新盆の2軒+1軒だけなんですけど。1軒目に避難先の生活が耐えられずに戻ってきているHさん(現在村で生活している数少ない1人)とお話し、2軒目に新盆のY家へ。こちらにも立派な盆棚ができていて、庭先には迎え火を焚いた跡がありました。

このY家の子供たちとは同じ分校に通っていました。その後ほとんど没交渉になってしまったので、ときどき顔を合わせる子供たちが立派な大人になっているのが、毎度、不思議です。「土日は上がってきてるから、また寄って」と嬉しいお誘いをいただきました。この家にも隣のY子おばの家にも今日はお客人が多いのか、道端に車がたくさん停まっています。「多いねえ」と話していたら、マイクロバスがやってきました。「バスも来たよ!」と見ると、中には浴衣に白襷、鉢巻姿の若者たちが……。

「じゃんがらだ!」。お正月に友達と「今年はウチも新盆だから」という話をしたとき、春日ちゃんに「新盆は大変だよー。盆提灯さげて、じゃんがら呼んで……」と言われて、「じゃんがら!? 呼ばない呼ばない」と慌てて否定したんですが、そっか、ホントに呼ぶのか……。えっとですね、じゃんがらというのはこの地方の郷土芸能で、新盆を迎えた家を回って供養してくれる踊念仏なんです。地元じゃ親しまれていて、私の通った小学校では5年だか6年だかが運動会でじゃんがらを踊る習わしになっていて、私も踊りました。でも、ちゃんとしたじゃんがらを見るのは初めてです。

「見たい」「見たいね」。バスはY子おばの家の前に停まりました。急いでお線香を上げさせてもらって、「一緒に見てもいいですか?」と座敷の端っこに混ぜてもらいます。後で聞いたんですが、たくさんの人で見ればそれだけ供養になると言われているそうで、快く呼んでくださいました。やってきたじゃんがらは、たぶん青年会の人たちで若者ばかり。私らが運動会で踊ったのはかなりアレンジされてるもの(つか、踊りは別物だったかも)らしく、初めての本格的なじゃんがらは迫力で、見入ってしまいました。

踊り手は「鉦や太鼓は だてには叩かぬ」と唄いながら、鉦や太鼓をじゃんかじゃんか鳴らして舞い踊ります。だてに叩かないで、じゃあなんで叩くのかというと、詞はその後「仏の供養だ 南無阿弥陀仏」と続くワケです。うひゃあああ〜カッコいいっ!(←こうゆうの、大好き)。踊り手のなかでも大変なのは3人の太鼓で、ずーっと中腰で、撥を持った手を舞わせて踊り続けます。キツいけど、一番の花形のポジションなんだろうなー。カメラを持って出なかったのが、つくづく残念。Y子おば、いいもの見させてもらってありがとうございました。

午後から夜にかけても、ぽつぽつと来客。久しぶりにK子ちゃんが来てくれて、Naoちゃんも交えての突発女子会で3時間も喋ってしまいました。Naoちゃんがちょっと酔っぱらってて、おかしかった。K子ちゃんの「村で生活して仕事するのは無理になってしまったけど、家は別荘として残しておくつもり」という言葉は、嬉しかったな。彼女は移転先選びであちこち飛び回っているんだけど「市内と同じくらいの放射線レベルのとこは、遠くにもあるよ」と言ってました。そうだよね、市内から避難しろって言うのなら、同じレベルの東京からも逃げなくちゃだよね。いまや被曝は福島だけの問題ではないのだから、皆がもっと当事者意識をもたなくちゃ、とかそんな話で夜は更けます。

最後の14日は、改めて家中を拭いて回って、盆飾りを全部送り火で燃やして(ちょっと送るのが早いけど仕方ない)、昼過ぎに東京に向けて出発。Y家を過ぎた辺りでまたじゃんがらのバスとすれ違いました。なんとなくそのまま帰ってしまったんだけど、ちらっと見たバスの中はおっちゃんだらけ。青年団とはまた違った、男くさいじゃんがらを見られたんじゃないかと思うと、引き返して見せてもらわなかったのは惜しかったです。

渋滞を覚悟して早めに出たのに、思ったほど混んでいなくて18時前には祖母宅に帰りつけました。妹に「運転の仕方が父に似てる」と言われたのが、ちょっと嬉しかったり。父にはさんざ、文句を言われたんですけどねー。ま、とにかくこれでやっと一区切りついたような気がして、ホッと一息です。

2011.8.14(Sun)_1

一応新盆ですので、田舎に帰ってきました。10日の水曜日から休みを取り、その日は健康診断のハシゴをしてから、祖母宅へ。たまたま来ていたKおいちゃんも一緒に夕飯を食べたところで妹もやってきたので、夜の9時半頃に妹を助手席に乗せ、田舎に向けて出発です。田舎の家までは、私の運転では約4時間。暗い山道もなんとか無事に通過し、夜の1時半に到着しました。そのままベッドに倒れこみ、翌11日はまず掃除から。今回はガイガーカウンター持って来てるので、あちこち計りますよ。

5月に来たときもひととおり水拭きはしたのですが、少しでも放射性物質を減らそうと、今回も家をぐるっと拭いて回ります。結果、ココロモチ線量が落ちたかな〜。簡単に盆棚を作ってから、ちょろっと散歩にも行ってみます。私が買ったガイガーカウンターは安いのなので正確には数値がつかめないのですが(おおよそが分かればいいんです)、う〜ん、だいたい室内で0.5μSv/h、室外で0.8〜1.0μSv/hってトコロでしょうか。地面に置いたり、雨樋の下を測ったりすればハネ上がるかもしれないけど。

my田舎

緑濃い景色はいつもの田舎に見えるけど、本来なら道の両側の田んぼには青い稲がそよでいる筈

山奥の村からはほとんど人がいなくなってしまっているのですが、今年はうちのほかに2軒、新盆を迎える家があります。だから盆休みの間だけでも……と帰って来てるようで、そのうちの1軒を通りかかったとき、顔見知りのY子おばに招き入れられました。挨拶の次の言葉が「原発さえ無かったらねえ〜」だったのが、ホントに悲しい。長い長い年月この山奥の小さな村で暮してきて、人生の終わりに近いこの時期にどうして家を出なくちゃいけないんだろ。

Y子おばの家には、両脇に大きな盆提灯を置いた立派な盆棚が作られていました。お線香をあげさせてもらって、しばらくY子おばとお喋りをします。震災の後の話も初めて聞きましたが、やっぱり知っている人の話はTVで見聞きするのと迫力が違いますね。地震だけでも大変だったのに、その後原発が危ないって話が飛び込んできて、パニックだったみたいでした。いつもだったら田んぼに青々とした稲がそよいでいる時期なのに、今年は農協から「作っても買えない」と言われているので、手つかずの田畑ばかりなのも寂しいです。

昼食は原発から避難中のチー&Naoちゃんにご馳走になり、午後も掃除を続けていると、ボーが誰かと話しているのが見えました。ちょっと気になったので行ってみると、支所の人です。この村の飲み水の検査をするかも、という話でした。村内の井戸水は4月に一度検査して問題ナシだったのですが、それから時間がたったし、ウチのように山から湧き水を引いて使っている家もあるしで、再検査する予定があるみたいです。それはぜひお願いしたい。どこの山の湧き水にも負けないくらい美味しいウチの水なのに、今は安心できないので、直接口にする分はミネラルウォーター買ってるんですもん。

ボーは山でキノコ採りもするので、「今年はキノコはどうですかね〜」と聞いていました。支所の方が「キノコは軒並み出てますから、止めておいたほうがいいですね」と答えるので、私も「キノコ類やベリー類はダメなんですよね」と参加。……いやだ、こんな世間話。でもすぐに「チェルノブイリではそうでしたね」と返ってくる辺り、皆さん勉強されてるんだ、と感じました。当たり前か。この辺りの人には日々の生活だもんな。夕方になったら迎え火を焚いて、この日の作業は終了〜。

my田舎

5月に蒔いたヒマワリが花を咲かせてくれていました。雑草に押しやられてひょろひょろだけど、ガンバレ!

12日は、早朝の地震でたたき起こされました。震度5弱というのはちょっと怖い。今、田舎の家でTVが見られないのですが、ラジオで原発に異常が発生してないと確認するまでは、寝なおす気になれませんでした。原発の方角を見て(光ってないかな…)と確認したりね。その後寝なおしたけど、なんだか寝不足な気分のこの日は、父母の仲間たちが来てくれる予定になっていました。震災で49日ができず、香典返し代わりに用意していた上等の冷凍海老(←亡き祖父のコネでいいのが手に入るのです)も配れなかったので、今回は仕切り直しをするのです。

朝、窓を全開にしてガイガーカウンターで線量を測りながら、街まで車を走らせます。―――あり? ウチの辺りは東京の5〜10倍くらいでさすがに高いけど、街のほうはすごく低くない? 東京とそう変わらない数値が出てきます。これは距離のワリに東京が高いと考えるべきか、距離のワリに市内が低いと言うべきか……。よく分からないけど、市内に住む友人たちがずっと心配だったので、これは嬉しい。あ、ちなみに自宅でも窓は全開で過ごしていました。この暑い中、クーラーもない家で窓を締め切りになんかできないよ! おかげで帰る頃には室内の線量も外とたいして変わらなくなっちゃった、という……。

宅配センター止めで送ってもらっていた海老を受け取って帰ってきても、まだお昼には早い時間です。ですので、母の畑の草むしりをしました。少しでも土壌から放射性物質を吸い取ってくれれば、と蒔いたヒマワリがひょろひょろと生えていますが、雑草の勢いがすごくて、1時間も作業すると大きな草の山が3つもできました。今はボーやチーたちが居てくれて、ときどき草刈りをしてくれているから何とかなるけど、誰もこの土地に住まなくなったら、あっという間に家も畑も草に覆われてしまうんだろうなあ〜。

≪つづく≫

2011.8.9(Tue)

会社帰りに、代々木公園で行われた「アトミック・カフェ・イン・ザ・パーク」に行ってきました。会場に着いたのは19時を回った頃で、野外ステージにちょうど曽我部恵一BANDが登場するところでした。来ているのは20代〜30代が中心かな。かなり若めの集まりのようです。屋台で買ったカレーで空腹をなだめ、あとはビールを片手にライブを横目に会場をうろつきました。あまり出店は多くなかったけど、福島の状況や自然エネルギーで成功している事例などを紹介するブースがありました。

ステージの最後は加藤登紀子を中心に、他の出演者も総出で「Power to The People」ともう1曲を熱唱です。加藤登紀子を生で見たのは初めてだけど、生で見るとさすがの迫力でカッコよかった! そこから特設テントに移動して、トークセッション。有名どころでは広河隆一といしだ壱成、世田谷区長の保坂展人、それに加藤登紀子がマイクを持ちました。なかでは、広河さんの駆け足での写真上映(「いつもは1時間半かけて話すのを15分でやります!」)が印象に残りました。

アトミック・カフェアトミック・カフェ

食べ物ブースとステージ

でもそれよりなにより聞けてよかったのは、福島から来た人たちの話です。飯舘村の元副村長さんの怒りのトークも迫力でしたが、南相馬から来た3人(子供を連れたお母さんと、30代くらいの男性2人)の話は、静かに話しているだけなのに、しん、と聞き入ってしまいました。原発から25kmというと、ちょうどうちの田舎と同じ距離です。「現地はまだまだ終わりの見えない状態なのに、東京に来ると震災前と変わりのない生活に戻っていて、取り残されたような気持ちになる。どうか私たちを忘れないでください」。

アトミック・カフェアトミック・カフェ

左:保坂展人といしだ壱成/右:加藤登紀子と福島の4人

絶対に忘れない、忘れられるワケがない、と思うのは、私の田舎が25km圏だからなんでしょうか。彼らの言葉を、もっともっと多くの人に聞いて欲しいと思いました。彼らの話が故郷の村の人々の現状に重なって、なにか一言伝えたかったんだけど、その後のトークを全部聞いてから見渡すともう彼らの姿はありませんでした。……なにを伝えればいいかも、わからないけど。福島を忘れないで欲しい、と、私もそう思ってます。それだけでも、言えれば良かったな。

2011.8.7(Sun)

今日は本当に本当に久しぶりに、丹沢に行ってきました。1,000mを越えるのも登山靴を履くのも、なんと7ヶ月ぶり! 低山にはキツいこの季節、高い涼しいお山に行くのが正解なんでしょうが、7ヶ月ぶりでいきなり高い山に行ける自信がありません。でも衰えた体力を少しでも取り戻すべく、少しキツいルート(←今の私にとって)を歩きたいし……。迷った末、丹沢の大倉尾根を登ることにしました。んで下りは小丸尾根か三ノ塔尾根で大倉まで戻ってこよう。暑いだろうけど仕方ない。

始発の電車に乗ると、渋沢駅発6:48のバスにぎりぎり間に合います。頑張って起きて、途中爆睡しながらも奇跡的に乗り過ごしもせず、予定のバスで大倉まで辿りつきました(バス料金200円也)。バス停には水道やトイレもあるのですが、この日は前日の落雷で停電しているとかで断水しちゃっていました。ここで身支度を整え、軽くストレッチをして出発です。空はどんよりで山の上は雲がかかって見えません。天気予報の晴れマークは、消えちゃったのかな?

こんなに暑いというのに大倉尾根にとりつく人は多いようで、最初のうちは追いついたり追い抜かれたりが続きます。歩き始めは私も順調で(お、久々のワリにはちゃんと歩けるかも)と嬉しくなりました。―――ええ、ただの錯覚、だったんですけどね。単にその辺りは傾斜があまりないってだけでした。見晴茶屋を過ぎ(この辺りで雌鹿を見かけました。人間を気にするそぶりさえ見せません)た辺りから、徐々に足が重くなり始めます。……えっ、もう?

大倉尾根大倉尾根

左:それでも久しぶりの山の空気は嬉しいものです/右:雲は低いけれども、その上に青空も覗きます。好転して〜!

木々の間からときおり、山肌を白い霧が流れていくのが見えます。こんな天気ならもう少し涼しくてもイイのに、暑い。そして湿気がすごい。額から、文字通り汗が滴り落ちます。こんなに汗かくなんて、滅多にないぞ! 脱水症状にならないように、ポカリをこまめに口に含みながら進みましょう。駒止茶屋までが、かなり長く感じました。あれ〜、おかしいな〜。前に大倉尾根を登ったときは、けっこう楽に登れたのに。大倉尾根は下るより登るほうが楽、とか思ったのに。

堀山の家の手前は平坦な箇所が多くてホッとしましたが、その後はもうひたすら登ります。この辺りから(大倉尾根2時間切りする人、スゴいな……)と何度も何度も思いながら歩きました。(早い人は今頃もう、山頂に着いているんだよな……走るくらいのスピードで歩いてるんじゃないの? スゴい……)。スゴいスゴい、と頭の中で繰り返しながら登ります。私のほうはもう全然ダメ。最初の頃に抜いた年配の方にも、この辺りで抜かし返されます。大倉尾根、こんなにキツかったっけ……。

今日は振り返っても景色が真っ白で、何の展望もありません。天神尾根分岐を過ぎ、そろそろ花立山荘に着くかなって辺りで、持ってきたポカリが無くなりました。とは言え、水も粉ポカリもザックに入っているから、山荘前のベンチに座って新しいのを作りましょう、とそのまま登ります。ほんとにそこからすぐで着いたので、そのせいじゃないとは思うんだけど、やっぱり水分補給は足りていなかったみたい。「冷えた飲み物ありますよー」の声にひかれて山荘で500mlのCCレモン(400円也)を買ったのですが、ほぼ一気に飲んでしまいましたもん。炭酸を一気飲みなんて、いつもはしないのに。

大倉尾根

この辺まで来るとやっと、青い空が優勢になりだしました

ここで新しい飲み物も作って、気を取り直して再出発します。金冷シの分岐に着いたのは、出発からなんと3時間後! 遅っ! 前回の記録を見ると、ここまで2時間20分で来ているのに……。今更ながら、あまりの体力の低下っぷりにショックを受けました。塔ノ岳方向に進路をとって少し行くと、前方から短パンにスパッツ姿のボッカさんが歩いてきました。あ、この人、名前は知らないけど有名な人だ……。と、向こうから「おっ、かわいいお姉ちゃんが登ってきてるじゃないのー」と声をかけてきました。

わ〜い♪ 山の中ではまだ「お姉ちゃん」だぞー(今日は山ガールもどきの恰好をしていたからでしょうが)。単純だけど、これでちょっと気分が上向きました。「蛭に食われちゃった」と血の流れる傷口と、塩漬けになった蛭を見せてくれたボッカさん、ありがとー。よし、あともうちょっと、ガンバって行きましょう。階段を上り、ボロボロの日の出山荘の脇を過ぎれば、そこはもう山頂です。うひゃー、時間はかかったけど、ちゃんと着いたよー。

ここで痛恨のミス! 金冷シ〜山頂の間で、ずっとお逢いしたかったまゆ太さんとすれ違ったようなのですが、気付かず。あ〜〜お話ししたかった〜!

大倉尾根大倉尾根

左:下野草(シモツケソウ)/右:丸葉岳蕗(マルバダケブキ)

ベンチに座り、荷物を置いて、靴を脱いで足を投げ出して―――。ふわああ、つ・か・れ・たーーっ。途中で雲を抜けたらしく、頭上には青い空が広がっています。ときおり降り注ぐ、強烈な日差しが痛いくらい。視線の先では緑と茶色の山肌に白い雲がかかって、ああ夏山だあ、って感じ。凍らせてきたみかんゼリーを取り出すと、まだ完全には溶けていなくて、しゃくしゃくしててめちゃくちゃ美味しい。下界で食べるより10倍は美味しい。バテたのもすっかり忘れて、山頂の気分を満喫します。

塔ノ岳

ああ、夏ですねえ〜

塔ノ岳

夏の山にはこれでしょう!

続いてパンケーキを食べながら、下りのルートを検討します。今日はもう、三ノ塔尾根は無理。時間的には行けなくもないかもだけど、けっこう早い時間に天気が崩れてしまいそうだし、もし雷雨になったら怖いし、それより何より疲れてるし! 早く下るだけなら大人しく大倉尾根を下ればいいんだけど、まだどんどん人が登ってきそうだし、ちょっと物足りない。やっぱ当初のもう1つのプランで、小丸尾根を下ろう。小丸尾根なら最後が林道歩きだから、天気が悪くなっても傘を差して歩けるし。

塔ノ岳

立派な角の牡鹿が2頭、草を食べにやってきていました

塔ノ岳

雲がつぎつぎに湧いてきて、天気はすぐに崩れそう

最後に山頂をぐるっと回って写真を撮って、さあ下山にかかるとしましょうか。金冷シの分岐までとっとと下りて、そこから鍋割山稜に入ります。この道は大好きな道なんだけど、ホント、疲れているんだなあ〜。ちょっとした登りが堪えます。途中で、カラフルなウェアの美人揃いの山ガール3人+爽やか男子とすれ違い、ちょっと嬉しくなりました。でもホント、こっちの道は静かです。しばらく先の「二俣」への道標に従って、小丸尾根に入ります。

鍋割山稜で鍋割山稜で

左:ちょっと季節外れだけど、一輪草(イチリンソウ)かなあ?/右:山蛍袋(ヤマホタルブクロ)

鍋割山稜

大好きな鍋割山稜

小丸尾根は、前は登りに使ったので、下るのは初めてです。3月の地震の影響か台風6号の影響か、崩落している斜面も目立ちました。あ、登山道は大丈夫。下りにかかった頃から霧がかかってきていたので注意していましたが、道を誤りそうな箇所も特になかったです。ただ―――小丸尾根、こんなに長かったっけ?(←今日はこんなんばっか。ホントに体力落ちてます)。雑木の緑が美しい箇所も多いですが、この尾根は足元に落ち葉があり、木々の間から景色の見える初冬のほうが楽しいかも。

……な〜んて思ってしまうのは、バテてたせいかも。ブナやモミジの林が気持ちいい道なのに。いやね、別にスピード至上主義ではないので、いいんですよ。のんびり楽しく歩いてあらコースタイムの2倍もかかっちゃったわ、ってのは。でも今日みたいに「まだつかない〜」と思いながら歩くのはもったいなさすぎです。だからやっぱ、もうちょい体力を取り戻さなくっちゃ。がんばれワタシ。

小丸尾根

こうゆう景色、ああ丹沢だなあ〜って思います

足に震えが入った状態で、ようやっと二俣に到着しました。後は平坦な林道を約1時間歩くだけなんですが、二俣林道、こんなに長かtt(ry. 途中で、雨がぽつぽつ降り出し、遠〜くから雷も聞えてきます。うん、三ノ塔尾根にしなくて正解だった。最後の最後で傘を出して、舗装道路に出たらもう止んでるくらいの短い雨だったけど。戻った大倉では電気も復旧していました。バスの時間まで20分ちょっとあったので、「どんぐりハウス」でお疲れさま乾杯して、行きと逆のルートを辿って帰宅。あ〜足がぱんぱんだ〜。

二俣林道生ビール

左:二俣林道にはいつの間にか、やけに立派な橋がかかってました/右:最後はやっぱこれでしょう。中生500円也

大倉バス停(7:10)→花立山荘(9:45-9:53)→金冷シ分岐(10:10)→塔ノ岳1491m(10:28-11:07)→金冷シ分岐(11:21)→小丸尾根分岐(11:43)→二俣(13:11)→大倉バス停(14:15)

2011.8.6(Sat)

今日は日比谷で脱原発のデモに参加してきました。別に素人の乱主催のデモにだけ行くと決めているワケではない(むしろ他のも参加したい)のですが、毎週のようにあるデモに全部参加するのでは自分の生活ができません。これから長く言い続けるためには、適当に息を抜きながら無理ないペースで参加する必要があると思っていて、(そろそろ次のに参加しようか)という気持ちになったときに調べると、いつもちょうど素人の乱のデモがあるって感じなのです。ま、そんなワケで今回も行ってきました。

昼食を祖母ととって、その後車を1ヶ月点検に持っていって……と予定をこなしていたら開始時間にちょっと遅れてしまい、16時20分頃に日比谷公園到着。公園内ではほかのお祭りもやっていましたが、集合場所に集まった人数はちょっと少なく思えました。皆、飽きてしまったのかな……。実は私も今回は参加を迷っていただけに、ちょっと後ろめたい気分になります。飽きてしまったんでなくても、なんつーか「やっても何も変わらないんじゃないか」って無力感に襲われる頃合なんじゃないか、と感じるのですよね。

日比谷デモ日比谷デモ

若い人から年輩の人まで。忘れてない人たちはまだこんなにいる

それでも集まってくる人たちはやはり思い入れが強いのか、人数のワリに集会は盛り上がっていました。そしてその後のデモも、いい雰囲気。デモの人数は減っていても、沿道からの応援がいつになく多かったです。交差点でずっと拍手をしてくれていたおじいさん、オープンカフェから「頑張れ〜」と声援してくれたカップル、マンションの窓から乗り出して手を振っていた母子。交通整理のお巡りさんでさえ、参加者と談笑してました。(でも、この日も逮捕者が2名出たらしい……。どこで揉めたの? いったい)。

熱中症対策なのか、今までよりは短めのコースを歩き終えると、すでに辺りは暗くなっています。解散を呼びかける警察の古めかしい台詞(「諸君!」とか呼びかけられたのは初めてだ)を背中に駅まで戻ると、最後のサウンドカーで"Likkle Mai"が呼びかけをしているところだったので、また列に入って解散場所までを歩き直しました。う〜ん、rumiさんも好きだけど、"Likkle Mai"のファンにもなってしまいそうだなあ。声がすとーんと素直に飛び込んできてステキだ。原発と関係なくてもいいからCD欲しいかも。

日比谷デモ最後に新橋SL広場で、いろんな人のアピール聞いて今日は終了です。これから自分は何をやっていこうかな、なぞと考えながら帰宅。デモも必要だとは思っているけれども、デモだけで終わっちゃダメだと思うのですよね……。例えば、私は「原発いらない」のコールには参加できても、「福島を、返せ」のコールには参加できない。口にした瞬間、涙が溢れだしてしまうのがわかっているからです(聞いてるだけで視界がボヤけるもん)。想いは強いのに。とてもとても強いのに。その想いを、どこにどうやって持っていったらいいのだろう、と迷っているのです。

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