2011.3.26(Sat)

母の眠る霊園に、今度は父の納骨の打ち合わせに行ってきました。ちょっと前まで東京でも給油するのに長蛇の列、なんて話を聞いていたので心配していたのですが、どうやら不足は解消されつつあるようで、伯父伯母に車を出してもらって出かけます。いいお天気で平和で、地震や原発事故など無かったかのよう。ただ霊園近くの競馬場はさすがに自粛中で、いつも混んでいる周辺道路がガラガラだったのは珍しかった。

千葉も相当な被害があったらしいから、お墓なんかあちこちで倒れてしまってるんじゃないか……と思っていたけど、意外に霊園の中は整然としています。まぁ地震からしばらく経っているから、直した部分もあるかもですが。無事に立っていたお墓にお参りをし、石屋さんに打ち合わせに向かいます。とは言っても数ヶ月前にも同じコトをしているので、「前回と同じで」がほとんどでした。はぁ…(ため息)。

いっつも混んでいる霊園近くの人気レストランが、これまた珍しく空いていたので、父母の病気がわかって以来お世話になりっぱなしの伯父たちに昼食を奢って帰りました。いつもありがとう。これからもよろしくね。

2011.3.12(Sat)

今日は、父の四十九日の集いを田舎の家で行う予定でした。母のときと同じように向こうの友人たちに集まってもらって、今回は親族も東京・埼玉・名古屋から参加して、皆で父にお別れをするために、いろいろ準備してきました。昨日の地震が起きるまでは。

昨日、3月11日の14時46分頃、東北地方太平洋沖地震と名づけられる地震が発生しました。私のいた東京では、揺れたのはもう数分後だったと思います。最初はそんなに強い地震だとは思いませんでした。会社は3階建てビルの2階なので、高層ビルほどは揺れなかったのでしょう。でも長く長く続く揺れはどんどん大きくなっていき、周囲は騒然となりました。

とっさに(関東大震災がとうとう来たか!)と思い、心臓がきゅーっとなって怖くて怖くて堪らなくなります。そのうち、揺れが長いスパンでやってくるコトから(直下じゃないや。どこか遠くで大きな地震があった)と気付いてからも、心臓のばくばくは治まりませんでした。震度5弱ってのは初めてじゃないけど、あれだけ長く続くのは初めての経験だと思います。ゆらゆらと長いスパンで続く揺れに、船酔いみたいな症状を覚えます。それから終業までの2時間半、ほとんど仕事にはなりませんでした。

周りの席でも皆が、家族と連絡を取ろうとしたりニュース速報を確認したりしています。被害状況が入りはじめたばかりで、噂話みたいな情報も多かったです。数分おきに余震(と思っていたけど、別の地震も混じっていたみたい)が続き、落ち着くコトなどできません。自分が震えているのか地面が揺れているのか、分からないくらい。あまり被害がヒドくないといいな、田舎の友達は大丈夫かな、と心配しながらも、まだ私はのんきに(明日の四十九日はできるかなー)と考えていました。

私の田舎は太平洋側の南東北です。被害の大きな地域でもあるし、そっちに向かう高速は通行止めになっているにも関わらず、私はまだ被害の大きさを実感していませんでした。一晩明けたら落ち着くかも、と思っていたのです。定時になって、社員の皆さんは「電車無しでどう帰ればいいか」の検討に入っていましたが、私は徒歩通勤の特権(?)でさっさと退社しました。

築30年の古屋で、食器棚には扉もついていませんので、部屋ががちゃがちゃになっている覚悟はして帰りましたが、拍子抜けするほど被害は少なかったです。多少物が落ちた程度。そしてTVをつけて―――一夜明けて午後になった今の今まで、TVとネットのニュース速報から目が離せません。どんどん明らかになる被害の状況に、増え続ける死者と行方不明者の人数に、日常があっという間にひっくり返ってしまう実感に、何をどうしたらいいんだか分かりません。これはあれだ。9.11のときと同じような感覚だ。

田舎に行くたびにデートしている友達は大丈夫だろうか。うちの田舎の居候、Bさんは埋もれていないだろうか。父母の病気がわかってからずっと力になってくれているT秋ちゃんはどうしているだろうか。何度も連絡を取ろうとしてみますが、電話もネットも繋がりません。通信規制がかかっているのか停電なのか、それさえも分からない。不安がどんどん募ります。もう四十九日どころではありませんでした(ごめん>父)。

友達の1人とは、比較的早く連絡が取れました。MLやっててよかった! まだ連絡が取れない友達もいるけど、無事でいると信じてます。田舎の家のほうは携帯も通じづらい僻地だしネットもやってないし全然ダメ―――と思っていたら、4時頃にT秋ちゃんからメールが届きました(送ったのは日付が変わった頃らしい)。家が半壊、原発が怖いので自主的に避難中、とあります。Bさんも一緒にいるそうです。半壊のニュースは心配だけど(すぐ近くのうちはいったいどうなっているんだろう。父が自分の手で建てた家なのに―――)、無事でいてくれたのはありがたい限りです。

TVではずっと、CMも入れずに地震情報を流し続けています。私は飽きずにそれを見続けています。T秋ちゃんが避難指示がある前に行動したのは正しかった。原発は緊迫度をますます増してきています。うちは原子炉からちょうど10kmくらいの位置にあるだけに、原発関係のニュースから目が離せません……! 一瞬で家を、知人を、大事な人を失った人がどれだけ多いことか。行方が分からない方が一人でも多く助かってくれるのを祈ります。

そんな中、援助を約束してくれる声明が世界各国から相次いでいるそうです。反日感情の強い中国のネットでも、日本の災害を喜ぶ書き込みに批判が相次いでいるとか、そんなニュースを読むと涙が溢れて止まりません。困難にある人にとっさに手を差し伸べられる、人間というものはそうゆうものであって欲しいのです。そうであってくれると嬉しいのです。そうありたいと思うのです。

2011.3.9(Wed)

『英国王のスピーチ』を観てきました。会社帰りにぎりぎりで間に合う時間だったのだけれど、映画館って最近いっつも空いている(例外は『This is IT』のときくらいか)から予約もしないで行ったら、5分前に着いたチケット売り場には長蛇の列。ぎゃー! しかし列はするすると進み、なんとか本編が始まる直前に席につくことができました。

話は予告編で予想していたとおり、けっこう地味です。途中の顎を緩めたり腹筋使ったりのエクササイズシーンではちょっと眠くなったりもしましたが、でも淡々なりに面白かった。周りの人や状況の期待や思い遣り(のつもり)がどんどんジョージ6世を追い詰めていくのが痛々しくて、大主教なんか憎らしくなってしまいます。……て、この大主教、デレク・ジャコビ? だめじゃんカドフェル、そんなに頭固くなっちゃ!

まぁ正直TVでも良かったかな〜という感じだったのですが、最後のスピーチにはぐっときてしまいました。ちゃんと内容が聞き取れる語学力があるワケじゃないのに、気持ちがこもっているのが伝わるのかな〜。言葉がわからなくても大根は大根だと分かる(と私は思っている)のは不思議ですよね。そう言えば昔読んだ鴻上尚史さんのエッセイに「海外で参加した演劇のワークショップで、気持ちを込めてABCD……とアルファベットをいう、という課題があって、自分はそれで講師を泣かせた」というのがあったような(←細かいトコロは違うかも)。

ところで私もよくどもってしまうのですが、これは心の問題ではなく単に滑舌が悪いせい。緊張して喋れないんじゃなくて、喋りたいコトがたくさんあると話したいスピードに舌がついてきてくれないんですよねー。マシンガントークができる人が羨ましいです。

2011.3.5(Sat)

奇跡の生還!の絵を撮れる可能性が低くなったせいか、毎日毎日トップで流れていたN.Z.の地震のニュースの扱いが、救出活動の打ち切りが決まった途端に急に小さくなりました。地震が起こってその報道が始まってから、ずっともやもやもやもやしてきたことを、この辺で書いておこうと思います。

ずーっと昔、海外の事故のニュースを流す際、最後を「日本人にけが人はいませんでした」で締めくくるのはいかがなものか、なーんて意見がぽこぽこ聞こえてきた時期がありました。日本人が死んだり怪我したりしてなければそれでイイみたいじゃないか、と。私はこれを初めて聞いたとき「へ?」と思いました。あの決まり文句の意図はそうじゃないでしょう、と。

例えばアメリカに知人か家族がいる、とします。仕事で飛び回っている人でもいいし、ふらふらと気ままな一人旅をしている人でもいい。アメリカにいるのは知っているけど、どこをどう動いているのか、はっきりは知らない。そんなときアメリカで飛行機事故があったら、もしかして乗っているんじゃないか、と心配になりませんか? 現場では捜索やら救出やらで大わらわで、乗った人の名前まではっきりと把握はできていない。そんなとき「とりあえず被害者に日本人がいたかどうかだけでも教えて!」と思いません?

亡くなったり怪我をしたりした人が日本人だった場合、その家族が、恋人が、友人が、日本にいる可能性は高いでしょう。そんな人たちに向けて、日本のニュースで日本人の被害の有無をはっきりさせるのは、当然だと思っていたのです。被害者に日本人がいなかったら問題ないなんて誰も言ってない。そんな風に考えるのは深読みのし過ぎというか、悪意がありすぎじゃない? つか、想像力なさすぎなんじゃない?、とさえ、ずーっと思ってました。

でも、今回の地震のニュースを見ていて分からなくなりました。「被害者の中に日本人はいませんでした」ってのは、ホントに「いなかったから問題ありません」って意味なのかも、って疑ってしまいます。だって日本のニュースを見る限り、地震が起こった時間にあの潰れたビルにいたのは日本人だけかのよう。日本人については根掘り葉掘り必要以上の情報を流すくせ、他にあのビルに何人の人がいたのか、どんな人がいたのかなんて基本的な情報さえ、一言も触れられません。あのビル以外の場所で亡くなった方についても同様です。……これでホントに、いいの?

N.Z.は、私にとって大事な国です。初めての海外旅行の行き先がN.Z.で、私は大きな衝撃を受けました。いろいろあったので省くけど、あのときあの国に行ったことで、私の世界は広がりました。「To-koはあの旅行で変わったよね」とよく母も言っていたものです。だからその10年後にいろいろ迷って動けなくなったとき、私が行き先に選んだのもまたN.Z.でした。N.Z.で10ヶ月を過ごし、笑って笑って喋っているうちにまた視界が広がって、行き詰まりから抜け出すコトができました。N.Z.で出会った人々のおかげです。

あのビルにも、そんな人たちがたくさんいた筈。陽気でビールが好きで笑顔がステキでアウトドアに熱心で環境問題にうるさかったりして、楽観的で人懐っこくて親切な人たちが働いていた筈。語学学校に限っても、現地のスタッフやティーチャーたちがいたでしょう。あのビルにいた日本人が親しくしていた、好いていた、頼っていた人たちがいた筈です。その人たちの安否はどうでもいいの? それはあまりに悲しくない?

クライストチャーチには確か2回、行ったと思います。観光が1回、もう1回は違う町で語学学校に一緒に通っていたスイス人のクラスメートに会いに。彼と久しぶりに会ってオープンテラスのレストランでビールを飲んで、クライストチャーチの街や学校の話をたくさん聞いたなあ、なんて思い出もありますが、今回の地震に関係する思い出といえばあの大聖堂! どっちのときだったか忘れたけど、大聖堂の正面の階段から、目の前の広場で行われてるパフォーマンスをぼーっと見ていたことがあります。

何のパフォーマンスだったのかも忘れましたが、いきなり「ああいうの、どう思う?」と声をかけられたのはハッキリ覚えています。マオリの血の入ってそうな風貌の中年の女性でした。私の返事を待たずに彼女は続けました。「彼らはイエスのほかに神様がいるって言っているのよ。その神様を信じれば死後も復活するって言うのよ。バカみたいだと思わない? 偽物の神様を信じても復活なんてあるワケないのに。ホントの神様はイエスだけだから、イエスを信じなくちゃ復活なんかできないのよ!」と。

んで話は「私は若い頃は麻薬もやってどうしようもない人間だったけど、イエスに出会って立ち直ってうんぬん…」と続くのですが、私はそれを聞きながら(ふわ〜宗教信じる人の考え方って面白いなあ〜)と思っていました。(いやそりゃあなたはイエスを信じているからイエスによる復活だけを信じているんだろうけど、あの人らも何かを信じて復活するって言ってるんだから、スタンスは同じなんじゃん?)と言いたかったけど、言ったらすごく怒られちゃいそうだったので、ふんふんと大人しく彼女の話を聞きながら。

あの場所が瓦礫に埋まってしまったなんて、信じられない。

今回の地震で怪我をされた方々の傷が早く癒えますように。どこかでなんとかして生き延びている方がいらっしゃったら、一刻も早く救出されますように。そして亡くなられた全ての方が、それぞれの信じる神様のいる場所に、ちゃんとたどり着けていますように。どうかどうか、お願いです。

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