2006.1.31(Tue)

私は悪徳商法がキライです。とくにお年寄りを狙うのなんかは悪質です。騙されて嬉しい人はいないでしょうし、悪徳商法大好きって人もいないでしょうが、私はも少し個人的な恨み、いや危機感があるのです。私ははっきり言ってセールストークに弱いのです。今まで何度「これが素晴らしい!」というトークに財布を開いてきたコトか。商品を愛している!という話し方をされたらもうダメです。これを1年のうち何回使うと思っているの?とか、私のレベルでそんなに高性能のものが必要なの?という良識の囁きは無視されて、「せっかくならいいのがイイよね…」と自分で自分を騙してしまうのです。今でさえそうなのですから、年を取って判断力が鈍ったらどうなるかは明白です。若いカワイイ男の子が熱を込めて商品への愛を語り、50年は保証します!とか言おうもんなら、おいおいあんたの寿命はいいとこあと10年でしょ?という事実を忘れ、代金を50で割って1年でこれなら安いわね、と自分を納得させてしまいそうで怖いのです。だから切実に! 悪徳訪問販売の類が絶滅してくれるコトを祈ります。

……3,000円くらいの予算で、なるべく安く買おうとわざわざ専門店街にまで行ったのに、8,500円も出してきてしまいました。あそこで! あそこで店員さんの話さえ聞かなければ……!

*****

さて最近見た映画3本。

■『老兵は死なず』。今イチ楽しみどころが分からなかったんだけど、最初は支離滅裂で何をやっているんだか分からなかったシーンに最後に戻ってきたときに、「ああそうゆうコトか!」になるのは気持ちよかった。

■『耳に残るは君の歌声』。クリスティーナ・リッチの物言いたげな瞳が印象に残る。つか、登場人物のほとんどが目で語る。彼女がオペラ歌手にでもなって成功する話かと思ったら、けっこう淡々としていて、でもどこがとははっきり言えないけど何となく好きだわ。冒頭のシーンで「好きかも」と思ってしまったもの。言葉がない映画って退屈しちゃうコトが多いのに。……やっぱキャストの目が饒舌だからかなぁ? 言葉がない分、ところどころに入る歌声も効果的だった。邦題もいいよね。

■『ナビィの恋』。前情報で予想していたのとは全然違った。可愛らしい恋物語かと思ってた。南国の音楽と色彩に満ち満ちた映画で、青い空と黄色い商店と赤いトラックのコントラストも、皆が歌う歌もステキ。本家の長老夫妻や麗子おばとそのパートナーがいつも家の前で意味もなく歌っているところ、どれも恰好よくて惚れ惚れした。ナビィの旅立ちのシーンは切ないけどこれも好き。恵達おじぃはいい男なのに、もったいない!と思うけど。おじぃの爪弾く三線も口ずさむ歌も、とてもとてもいいよねぇ。粟国島に、行ってみたくなりました。

2006.1.30(Mon)

27日の金曜日の午前中、私は仕事で外出をしていた。冬晴れだが空気はそれほど冷たくはない。上着を着て歩いている分には、暖かい、と言ってもいいくらいだ。こう思ってしまうのは当然だろう。(…これなら、潜れるんじゃない?)。天気予報でも週末は晴れて暖かいと言っていた。伊豆の馴染みのショップのホームページを見ても、最近の海の透明度はなかなか良いらしかった。私は歩きながら携帯を開き、ダイビング仲間のKにメールを入れた。「明日か明後日、伊豆に行きやせんか?」

Kからは珍しくすぐに返事が戻ってきた。「明日なら…」。よし! 捕まえた! 私はすぐに伊豆のショップに電話を入れる。「急なんですが、明日行ってもいいですか…?」。電話に出たショップオーナーのSさんが「明日は先客の希望で雲見になるんだけど、いい?」と聞いてきた。雲見! 雲見と言えば黄金崎の南、伊豆のショップで前泊をしないと行けない遠い場所ではなかったか。

「雲見って遠いんじゃなかったでしたっけ? 前泊はできないんですけど…」「冬は道路が空いてるから大丈夫だよ」。でもできればいつもより早い電車で来て欲しい、と言われ、Kと相談の上、いつもより30分早い電車で行くコトにする。とゆうコトは5時起きだ。今日のうちに荷物を揃え、5時に起きて、5時半の電車に乗れば間に合う。よし! 今日は残業は20時までにしよう!

ありがちな展開だが、会社に戻るとこまこました仕事がいくつか入っていた。それにちゃちゃっと済ませるつもりだった仕事も、思っていたより手間だった。20時、全然終わりが見えない。(22時までに終わらせよう、22時に帰って急いで支度して風呂入って、24時までに寝る! 5時間寝りゃ、なんとかなる)。―――22時、終わりは見えたが終わらない。どうがんばってもあと1時間はかかる。17時くらいからトイレに行くのも引き伸ばして根を詰めてもコレである。ひーん、雲見OKしなけりゃ良かったよぅ!

翌土曜日、28日はさすがにつらかった。眠い眠い眠い。だいたい5時なんかまだ真っ暗である。夜逃げをするような気分で家を抜け出し、駅へ。途中で朝焼けを見る。やはり眠げなKと合流し、伊豆入り。ありがたいコトに天気は快晴、海も穏やかそうだ。ガイドのTさんに駅まで迎えに来てもらい、ショップまで行くと先客のお二人が……E川さんとI上さんだ!

E川さんには去年の春くらいまでやたら予約がかち合っていたのだが、春以降ぷっつりと出会わなくなっていたのである。彼がロタの観光協会だか何だかが主催した写真コンテストで1位を取った、と聞いていたので、お祝いを言いたかったのがやっと言えた。聞くと夏はずっとリゾートダイバーになっていたらしい。ロタ行ってサイパン行ってまたロタ行ってまたサイパンに行ったとか。2月にもまたロタに行くそうだ。人のコトは言えないけどよくやるよ。

器材を車に積み込んでもらい、雲見へ。少しでも寝ようとしたがSさんの運転はけっこう乱暴なので、ちょと酔ってしまった。遠いからか、いつも以上に飛ばしていたような気がする。さて2時間強のドライブののち、着いた雲見は初めて潜るポイントである。子供の頃、親に連れられて海水浴に来たコトはあるのだが、よく覚えていない。小さな湾があり、その出口辺りに岩が大小2つ突き出していて、大きい方の上に小さな赤い鳥居が建っている。この日は鳥居の向こうに富士がくっきり見えていて、眺めも最高だった。

雲見から見る富士山

富士山がキレイに見えると、ナゼこんなに嬉しくなるのだろう…?

潜るのは鳥居のある岩の周りになるらしい。ボートで運んでもらうのだ。水が冷たいのはわかっているので、ドライの中身は完全防寒にする。着込んだ分、ウエイトを増やす。ここのサービスは、ダイバーが潜っている間海上でボートを待機させるコトはせず、送ったらすぐに岸に戻ってきて、出てくる頃にまた迎えに来るシステムになっている。そのせいか、すごく身軽だった。乗り込んだと思ったらもうボートは走っている感じ。潜降ポイントも岸からはっきり見える距離なので、風が冷たくてたまらないってコトもない。

シッティング・バックロールで海に入ると、うひー、さすがに冷たい! しかし水の中に目をやると、あら? とてもキレイじゃない? 着いたときにSさんが海を見て「今日は濁ってるなあ」と言ったので期待していなかったのに、海面から海底がしっかり見える。砂が白いせいか、海の青さも何となく海外っぽい。去年最後のダイビングがちょっと怖かったのでナーバスになっていたせいか、ウエイトを重めにしていたのに自力で潜降できず、ロープを使ってムリヤリ潜ってしまった。反省。

雲見のダイビングは、地形を楽しむダイビングである。大小の岩の間を通り、洞窟を覗き込んだり、ちょっと入ってみたり。地形を楽しむのはある程度透明度が良くないとできないと思うのだが、この日は問題なかった。私は20mくらいある?と思ったのだが、Sさんに言わせると15m程度らしい。初雲見の私らは大満足だったが、雲見にしてはやっぱり「濁っている」のだとか。ええー?

雲見のポイント切り立った岩と岩の間を進む。珍しい魚はいないが、岩の上をクロホシイシモチが列になってよぎっていく。洞窟に入るとミナミハタンポが群れている。ライトを点けて暗い隅を照らすと、名前の分からないにょろんとした魚が逃げてゆく。洞窟からせまい縦穴を抜ける。外から差し込む光が美しい。先行しているSさんやE川さんがシルエットになって浮かんでいる。シアワセ……。水は冷たいけれど……。

昼食をはさんで(イノシシ汁をご馳走になった)、コース取りは変えたけれども同じような感じで2本目を潜る。2本目の方が冷たく感じて、最後の方はトイレに行きたくなってつらかった。でも2本目の方が、しっかり安全停止をコントロールできた。1本目は急浮上しそうになって、慌てて潜ったらライトを落としてしまったのだ。(しかも自分が落としたコトを全然気付かなくて、Tさんが拾ってくれたのを見ても「誰かライト落としたのか〜」としか思ってなかったし!)。

寒いのは寒かったけど、大満足の2ダイブを終え(ウエイトはしばらく重たいままにしておこうと決意)、帰路はゲスト全員爆睡。ときおりふと目が覚めるのだけれど、途中のどこかでSさんが「殺してやりたい……」と言っているのを耳にする。(私らのコトかなあ…一緒に潜ったのに後ろでぐーぐー寝られちゃ、そりゃ殺したくもなるよねえ…)とぼんやり思ったものの、次の瞬間にはまた眠りに引き込まれてしまう。Sさんががんがん飛ばしたのか、帰りは2時間弱でショップに帰り着いた。着いてからSさんに聞いたら、殺してやりたかったのは私らではなかったみたい。

思ったよりも早く、明るいうちにショップに着いたので、のんびりログ付けをし、これまた馴染みの定食屋で夕食を食って帰る。器材をショップに置いてきたので、また2月にも行くつもりだ。帰りの電車でもうとうと。雲見は面白かったけど、今度はゆっくりのんびり朝寝のできる前泊で行きたいなー。

今回のログはコチラ(145本目)とコチラ(146本目)。写真アリ。

2006.1.24(Tue)

≪つづき≫

お汁粉と生ビール(なんちゅう組み合わせ!)を腹に入れた私はいい気になっていた。中級者コースなにするものぞ。何回か転べば済む話だ。おしるこ茶屋を出、リフトを3つ乗り継いで当間第8ゲレンデまで行く。ここは、良かった。今まで滑っていた斜面とは向きが違うので、違う景色が広がっている。ちょっと急だが、それほど人がいないし幅も広いのでのんびり降りられる。何よりスキーヤー専用なのが安心だった。ここで何度か滑りたかったが、当間ゲレンデからホテルに戻るだけで午後は過ぎてしまうだろうと思われていたので、1回だけしか滑れなかった。

そこからリフトに乗って、今度は大沢ゲレンデに行く。マップで見ると、上から2/3ほどは初中級者コース、下1/3が中級者コースで、レストラン「チロル」が終点にある。ここから、試練が始まった。私らは2/3の初中級者コースってのは初級者でも中級者でも滑れるコースだと思っていた。てことは午前中に滑ったファミリー林間と交差する中級コース(パノラマ第1?)よりも簡単なハズだと思っていた。が、実際は初心者コースと中級者コースがあざなえる縄の如くに代わりばんこにやってくるコースだったんである。

あ、これなら滑れるかな?って傾斜のすぐ後に、げっこれを滑るの?の斜面がやってくる。あそこまで滑れば緩やかになる……!とガンバって滑り落ちると、そのまた先に急な斜面が。おまけに上越国際全体に言えるコトだが、コース途中の案内が少ない。今どこにいるのか、そもそも今滑っているコースは正しいのか、不安を拭い去れない。なんせこのコース、長いのだ。斜度がキツくなるたび私の速度がガタ落ちるので、時間がかかるかかる。「このゲレンデどこまで続くのー?」と叫びたくもなるってもんである。

途中、めちゃくちゃ急でしかも幅が林間コース並みに狭くて、斜面の下がカーブしていて、止まれなければコースから飛び出して落ちるって難所が、あった。いつもは「大丈夫大丈夫」な友人が、「To-ko、ここは横滑りで行きなさい」と言い出したくらい。これで初中級なんて嘘だ。この頃、私の集中力は完璧キレていた。転ぶ転ぶとにかく転ぶ。理由も何にもなくても転ぶ。友人らに「野沢の林間コースを思い出した」と言われたが、私の気分もそのときと同じだった。いったいこの試練はいつまで続くのか…!と。午前中、いや、スキーを始めてから今まで培ってきた僅かな自信に、ぴしぴしとヒビが入って行く……。

やっとのことで、チロルが見えた。「チロルだチロルだ!」と叫ぶ様は、まるでアルプスを越えてきた遭難者のようだ。しかし眼下に見えるチロルまでの間には、最後の急な斜面が待ち構えていた。ここさえガンバれば……って、いったい何度目の「ここさえ」なんだか。チロルに着いたときには、早、14時になっていた。私らは15時くらいには切り上げる予定なんである。チロルからは更にリフトに乗って、大別当ゲレンデを滑り、ファミリー林間コースとの合流点に戻って、遠回りでホテルに戻る。……間に合うだろうか。

「とにかく行くしかない。大別当だ!」と行ったゲレンデは、これまた試練の連続だった。途中何度転んだコトか。しかし大沢ゲレンデほど長くはなかったので、やがてそのうち遠くにホテルが見えてきた。「でもホテルに続いてるゲレンデは中級者コースだからねー。初級者コースは遠回りだからちょっと時間かかるよ」とか、ホテルを見下ろしながら話しているとき、ふと私は思った。「遠回りしなくても平気な気がする……ホテルに直通の、中級者コースは滑れる気がする……この坂さえ降りられれば」。

最後の最後の坂。急だった。しかし幅は広く、人がいなかった。「よし、ゆっくり行こう!」と励まされ、おそるおそる滑り始める。幅を目一杯使って刻んで刻んで刻んで刻んで……。一度はキレた集中力も戻ってきた。1度転んだだけで、坂の下まで辿りつけた。降りてから振り向くと「うひゃーこの斜面降りてきたの!?」ってビックリするくらい、急な坂に見えた。下を見ると怖くなるので、急斜面を降りるときは足元しか見ていないのだ。

そこからホテルまでの中級者コース、長峰ゲレンデは思ったとおり大したことなかった。もし朝いきなりここを滑れと言われたら「勘弁してください」だっただろうが、大沢・大別当の後じゃあ楽勝である。「こっちは初心者コースでいいから、大沢と大別当の初心者コース表示は外して欲しいよねー」。最後を直線にして時間を短縮できたので、最後にもう一度長峰ゲレンデを滑って、今シーズンの初スキーは終了。予想外に体育会系になったスキーだった。

温泉に入り、越後湯沢の駅で土産を買い込み、東京に戻ると雪が積もっていた。いつもとは逆の雪国だ。上越国際はアクセスが楽だし、まだ滑ってないトコロや滑り足りないトコロもあるし、また来てもいいねって話になるが、次のスキーはもう決まっている。一番面倒見のいいUが不参加なのが、ちょっと不安な菅平。どんなゲレンデなのか何か美味しいものはあるのか砕け散った私の自信は取り戻せるのか。疑問渦巻く雪の山。

2006.1.23(Mon)

週末は上越国際スキー場で遊んできた。20日の金曜日に仕事を終えた足で東京駅に直行。新幹線で越後湯沢まで行き、そこから送迎バスでホテルグリーンプラザ上越へ。チェックインカウンターで手続きをしようとすると、「ご予約いただいたのは和洋室なんですが、4名様ではちょっと手狭なので(←って定員5名の部屋なのに!)メゾネットタイプのお部屋に振り替えさせていただきました。よろしいでしょうか?」と聞かれた。追加料金を取られるワケでもないのに、よろしくない人がいるだろうか。もちろん、私たちはよろしかった。行くと2階にまたがる部屋はもてあますくらいの広さだったが……。難を言うなら、部屋にコーヒーかお茶があると嬉しかったなぁ。この日は温泉に入ってゆっくり休む。

翌21日、土曜日。予報では「湿った雪が降る」日だった。昨シーズンは2回スキーに行き、2回ともがえらく寒かったので、今回も何となく期待はしていなかった。(湿った雪はイヤだな〜せめて乾いた雪に…いやできれば曇りくらいで勘弁して欲しい)と願いながら、6:30起床。朝食前に朝風呂に入るための早起きである。起きてみるとうっすら曇っているが、予想よりもかなり好天気だ。朝風呂の後、「このまま持ってくれればいいねぇ」とたっぷりの洋食バイキングを食べまくっていると、あら? 雲の切れ間が? あら? 日の光が? 青空が? やば。日焼け止め持ってきてない。

チェックアウトして(1泊なのが残念〜)スキーセットを借り、余計な荷物を預けて、早速ゲレンデへ。ここは宿泊場所とスキーを借りる場所とゲレンデがくっついているので、すごく楽。この日の目標は「おしるこ茶屋」に行くことだった。なんでそんなのが目標かと言えば、おしるこ茶屋に通じているのは中級者コースだからである。初めて数年になるとはいえ、スキーに行くのは年に1〜2度。未だに初心者モードから抜け出せない私が、汁粉のために中級者コースにチャレンジしようと言うんである。

が、今シーズン初スキーでいきなりそっちに行くのは無理。つか、まだ満腹状態なのに行っても仕方ない。そこでとりあえずはファミリー林間コースの上の方で滑る。ファミリー。林間。いい響きだ。この林間コースはなかなか良かった。長いし、なだらかだし、一箇所だけちょっと急なのもいい練習になる。おまけに朝一番は空いていた。残念ながら雪はがりがりしていたが、重たくはない。天気がいいおかげで遠くの山並みまでハッキリ見える、眺めも最高である。そうそう、こうゆうスキーがしたかったのよ〜。

ここを2回ほど滑る。次にはもうちょっと下のほうの林間コースも行ってみる。上の方よりも急な場所が多いが、広くもなるのでなんとかこなす。さらに再度上に行って、林間コースと何度か交差する中級者コースの一部も滑ってみる。ちょっと斜度がキツくなるといきなり初心者オーラが立ちのぼるわ腰は引けるわコケるわだが、でも一応滑れてはいる。めちゃくちゃ怖いという感じはしない。

この辺で私らは、かなり長いこと休みなしに滑っていたのに気付いた。いつもは2本→お茶→3本→お昼→2本→お茶→3本→おしまい、とそんな感じなのに、朝からずっと滑りっぱなしだ。時間も昼近くになっている。……けど、まだおなかが空かない。朝を食べ過ぎた。「お汁粉なら、入るかも」と、とりあえず目標のおしるこ茶屋に行ってみることにした。パノラマ第2ゲレンデを攻略し、お汁粉を喰うのだ!

しかし時間帯はちょうど昼前。まるでおしるこ茶屋に向かって民族大移動が始まったかのように、パノラマ第2は混んでいた。幅は広かったので、あんなに混んでいなかったら、それほど怖くなかったかもしれない。だけど後ろからボーダーががんがん抜いていくのが怖い。抜くのはいいのだ。トロトロ滑ってる私が悪いのだ。が、もし私が転んでも止まれなさそうな、そのコース取りが怖い〜。こっちはいつ転ぶか分かんないっつーのに。

しかし何とかおしるこ茶屋には到着した。この時点で私はいい気になっていた。中級者コースで転ぶと言っても、1回滑って1度か2度だ。「このスキー場、コースのレベルが甘いよ。初心者コースにしてもいいくらいの中級者コースもあるもん」と、友人たちも言っていた。だから言ってしまったのだ。「当間第8ゲレンデってスキーヤー専用なんだって」と。一度当間の方に行ってしまうと、初心者コースだけではホテルに戻ってこられない。初心者コース2/3、中級者コース1/3くらいを滑らなくては、いけない。

けど午前中の感じからして、そのくらいなら何とかなるかな?と思ってしまったのだ。もちろんこの判断が大きな間違い、地獄の一丁目への曲がり角だったのである……。

≪つづく≫

2006.1.22(Sun)

永井路子さんの『乱紋』読了。先月12日の日記に書いたように、高校時代に読んだ吉屋信子さんの『女人平家』を再読したら相変わらず楽しめたので、同じ頃に読んだこの本も再読したくなったのだった……が、これは失敗。

『女人平家』の方は読み始めたら「そうそうこんな感じだった!」とどんどん思い出したし、たぶん高校の頃と同じように大江広元は気に入らなかったけど、それ以外は気持ちよい読書ができた。なのにこっちは、かなりムカつきながら読まなきゃなりませんでしたよ。高校時代と感じ方が変わったせい? それともイヤなコトはすぐ忘れる、便利な私の記憶力のせい?

記憶違いも、あった。私はお市の方の三女のおごうは一生一人の人と添い遂げた人で、三回結婚して最後には徳川二代将軍の妻になったのが次女だと思ってた。逆でした。おごう=お江与なのね。んで京極高次の妻が、お初と。だとすると読みたかったのはお初の物語だった気もするが、ネットで検索してみてもそれらしい小説が見つからない。お初は河村恵理さんも描いていたから、いつのまにかそっちとごっちゃにしてしまったのかなあ……。

それはともかく『乱紋』だ。これを高校時代に読んだのは、間違いない。話はすっかり忘れていたが、ぼんやりと記憶がある。そして全然覚えていなかったのは、いかに「おちか」という女が気に喰わないかだ。話の主人公はおごうなのだが、彼女はトロくて(少なくともそう見えて)何を考えているのかわからないタイプ、という設定なので、物語はおごうに仕えるお女中、おちかの目線で語られる。その目線がねぇ……イヤな感じなの。

一言でいうならおちかは“とうが立った自意識過剰の処女”だ。処女じゃないけど「だーから処女はイヤなんだよ」ってタイプの処女だ。上巻なんか「もういいからちくぜん、早くやっちゃえよー」と思いましたよ(←下品ですみません)。私は妄想女王だが、こうゆうネガな妄想に耽る女は好きじゃない。

目線をおちかに固定してしまった以上、彼女がいない場所での展開は書けなかったんだろうけど、だから伝聞で記せる以外は彼女に「きっとこんな会話があったに違いない」と想像させるしかなかったんだろうけど、その会話がイヤ〜なものばっかりだから、おちかの想像はネガな妄想にしか見えない。お初とお茶々なんか彼女の妄想を除けば、別に悪いコトやってないじゃん。

んで誰も好きにならないしね、おちかは。普通こうゆう場合、少なくともおごうを愛していて欲しいけど、そして一応忠実なお女中って設定なんだろうけど、おごうを好きだとも思えない。彼女はおごうをバカだと思ってるけど、一人で苦労しているつもり、考えてるつもりになってるだけで、実は彼女の方が頭が悪い。「お初ならこんなとき……」という台詞が多いから、いっそお初に仕えて主人の悪口でも言ってる方が彼女の身の程って感じが、する。

とゆうワケで、二度と『乱紋』は読みません。永井路子さんの作品も、当分は。でもお初の物語を読みたいから、未読の『戦国三姉妹物語』に手を出してみようかな。

2006.1.14(Sat)

なんだか無性に「近頃の世の中はなっちゃない」とクダを巻くおばさんをやってみたくなったので、一席ぶとうかと思う。鬱陶しいが、雨も降っているコトだし、諦めて欲しい。

思えば数ヶ月前、小さな女のコを殺しておいて「自分がやったんじゃない。悪魔が体に入ってきてやった」とか言っている人をテレビで見たのがきっかけだった。この言い分は珍しいコトじゃないしもちろん初めて聞いたワケでもない。だからそのときは「またか」と思っただけだった。こうゆう、悪いものは自分の外からやってくるって考え方はキライなんである。悪魔が入ろうが蛇が唆そうがイヴが誘おうが判断し行動したのは自分だっつーの。そこをキッチリ見つめろっちゅーのでございます、と思うからだ。

その後すぐに、例の耐震偽装マンション問題が発覚した。ニュース番組はその話題で持ちきりだった。最初設計士を責めていたリポーターやコメンテーターの皆さまは、だんだん圧力をかけた側を責める言葉を口にするようになった。「圧力をかけたとしたら、許せませんね」「仕事を干されると思ったら、受注側は従うしかないですもんね」。それを日々聞いているうちに、胸のムカムカは、どんどん大きくなっていった。

確かに安全性を無視してマンションを建てろと圧力をかけたら、それは告発されるべきだ。でも、弱い側は従うしかない、圧力をかけた方が断然悪いというのは、違うんでないか? 圧力をかけたかけないの問題と、偽装をしたしないの問題は、全然別のモノじゃないのか? 悪意の有無は別として、発注側が聞きかじった知識で無茶を言うのは当然なんじゃないのか。受注側の不勉強や力不足で、それが満たせない場合もあるだろう。もともと不可能な要求の場合もあるだろう。そこを見極め、自分の専門知識で相手の要求を下げさせるのが筋ってもんじゃないんだろうか。

「唯々諾々と相手の要求を呑む」のと「仕事を断って家族ともども路頭に迷う」のと、この二つの選択肢しかありえなかったというのなら、その視界はあまりに狭い。言っておくが、私がムカムカしたのは、その視界の狭さを当たり前のように語るコメントに対してである。それが当然であるかのように認める彼らに、ムカついたんである。視界の狭い人はいる。けどそれが大多数となる状態ってのは、あまりに哀しいではないか。

「だって皆やってるし」「だって決まりだから」の言い訳にも、同様にムカつく。自分なりの美意識がないと言っているようなモノだろうが。考え、判断し、そして自分の行動に覚悟を持て。

2006.1.12(Thu)

鏡開き

夜も遅かったのでちょびっとだけ。この後も少し煮詰めました。

昨日はウチの小さなお鏡で鏡開きをしました。ちょうど上手い具合にヒビが入っていたので、手で開けてよかったよかった。早く帰れるかは分からないけど念のため、と思って朝のうちに小豆を水に浸けておいたのも正解。ただ煮るだけの田舎汁粉でも、なかなか美味〜でございました。小豆は父母が育てたもの、餅は自分たちで搗いたものだから、美味くなくっちゃ困るけど。

2006.1.10(Tue)

ネビル・シュート『渚にて-人類最後の日-』読了。古い話なだけあって、最初のうちは展開がタルい気がして入りこめなかったんだけど、慣れてくるとその静かな展開が必然に思えてくる。第三次世界大戦が勃発し北半球は一瞬のうちに壊滅。南半球も徐々に南下してくる放射能によって、北側から順々に死んでゆく。舞台となるのは最南端の大都市メルボルン。数ヶ月先には皆死んでしまうのだと分かっているのに、登場人物たちは将来を語り、今までどおりの生活を続けてゆく……。

人間のうちの“善なるもの”をバカみたいに信じている私が「ある意味ファンタジー」と感じてしまうくらいの、作者の人間に対する信頼感が胸に迫る。人間がここまで静かに滅びるとはとても思えないけど、だからといってこの話が意味のないものになるワケではない。とても美しい話だと思う。

2006.1.9(Mon)

12月29日から1月4日までの田舎日記です。いつものように寝て食べて寝てマンガ読んで……の自堕落生活を送ってました。この冬は大雪のニュースを毎日のように聞くので、東北の田舎もさぞやと覚悟はしていたんだけど、典型的な冬型気圧配置で一応太平洋側のウチにはほとんど積もってませんでした。ただとにかく寒いので、道がアイスバーンになっていて怖かった! 久しぶりの運転なのにいきなり氷道なんて! 関係ないけど「冬の道にどんな危険を予想しますか?」ってタイヤかなんかのCMを初めて見たとき、道端から熊ががおーと飛び出してくるシーンを即座に思い浮かべてしまった人、お友達になりましょう。田舎の山道は熊ナシでも十分怖いものでした。雪道の方がよっぽどマシなくらい。

30日はその怖い道を通って、高校時代の友達と会合をしに。「高校んときより仲いいんじゃないの?」と母に言われましたが、どうだろ? 年に1〜2度しか会えないんですがね。でも今まで途切れず続いているのがスゴい! ここまで来たらもう一生つき合っていく気がします。嬉しいコトです。あと母には「あんたの友達は結婚しても疎遠にならないね」とも言われました。それも嬉しい。友達の子供たちがどんどん大きくなるのを、親戚のおばちゃんのように無責任に喜んでいる私です。

ところでこのグループのかすがい、春日ちゃん(←今付けた仮名)はときおり素敵な季節の便りをくれて、そのたびに「なんでこんな短い文章でムード出せるんだかなー」と脱帽しちゃう人です。なんつか、言葉を選びだすセンスが素晴らしいのね。平易な言葉で分かりやすい文章を書くことに関しちゃ、多少の自信は持っている私だけど、あのセンスは逆立ちしても真似できません。その彼女の話はやっぱり面白くて、笑い事じゃないコトまでゲラゲラ笑って聞いちゃいました。去年の夏に帰ったときはちょっと疲れていて人に会いたくなくて、彼女らに連絡しなかったのを悔やみましたよ。何年先でも、温泉旅行実現させようねえ!(←私信)

あとは……そうそう、久しぶりに今は廃校となっている小学校(分校)に足を踏み入れました。「だいぶ変わってるかも」と父母は言ってましたけど、まだ懐かしい方が大きかったです。なんせ私のいたときの全校生徒が11人で、その後減る一方という規模の学校だったので、学校史みたいなトコロにしっかり全卒業生の名前が書いてあるし、私らが作ったちぎり絵がまだ飾ってあったりするんですもん。粘土に押しつけた手形まで置いてあって、思わず手を重ねてしまいました。あと○○年度在校生なんて写真も壁にかけてあって、それを見て思い出した。私、小学校のときはチビだったんだよ! 中1のときにいきなり13cm伸びて、二十歳過ぎまで伸び続け、このサイズになったんだっけ。今は止まってるけど、前述の高校時代の友達には「To-koさん、会う度に大きくなってる気がする」と言われました。それはきっと態度がデカくなってるからー。

その他は特筆すべきコトもなく、な〜〜〜んにもせずに休んできました。田舎があるっていいよなー、な、シアワセ。

2006.1.7(Sat)

とっくの昔に明けましたが、おめでとうございます。今年もぼつぼつやって行くつもりなので、よろしうにお願いします。

年末の予想どおり、新年に入ってすぐ残業の日々。おまけに事業所の形態の変化があるそうで、「忙しくなると思うから覚悟しといて」と上司に言われました。え〜〜〜、これ以上〜〜〜? でも月初の作業の忙しさは、も一人の派遣のコには遠く及びません。2人で手を取り合って「ガンバろうね!」とかやってると、派遣のお仕事ってこんなんだったっけ?と素朴な疑問が湧いて参りますが、ま、今年も遊ぶために稼がなきゃねー。

さて昨年の年末も忙しくて一年を振り返る余裕もありませんでした。いつぞやのように年が明けてから振り返ろうかなぁとも思ったのですが、反省ばっかりしていても始まらないので(反省しないのもどうかと思うが)、新年の抱負でも語ってみようかと思います。

これも日記かどっかに書いた覚えがありますが、私の座右の銘―――というには長いし、常に意識してるワケではないけど、そんなような位置に置いている言葉―――があります。

「ああ人生自体がきちがいじみているとしたら、では一体、本当の狂気とは何か? 本当の狂気とは。夢におぼれて現実を見ないのも狂気かもしれぬ。現実のみを追って夢を持たないのも狂気かもしれぬ。
だが、一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。

ミュージカル『ラ・マンチャの男』セルバンテスの台詞

ところで今回、『辺境警備』を誤解している友人にそのマンガを貸すために読み返していて、番外編に出てくる台詞もそれと同じくらい好きだなぁ…と思いました。主人公の隊長さんが若かりし頃の話で、「人は誰でも自分の望む通りの人間になるのさ」 と言うおじさんの、どんな男になりたいか?という問いへの答えです。

「俺は不良中年になりたいな。いつまでも悟ったりせずに、じたばた生きたい。どんな痛みも苦しみも、喜び同様に覚えていたい。果てしなく続く天使のいない夜も、軽々と生きていきたい。もしも本当に、そんな人間になれるのならね―――」

紫堂恭子『天使のいない夜』

最初は両極端の台詞のような気がして、自分のコトを「なんて節操のない人間なんだ!」と思ったのですが、そしてそれは否定もできないんですが、考えてみるとこれらの台詞には共通点があるのですね。悟らない、という一点で―――。とゆうワケで、相変わらず結論に辿りつくまでが長いですが、To-koの当面の目標はこれで行こうと思います。

「四十にして悟らず」

………「れ」じゃないのか、というツッコミはこの際(どの際?)無しの方向で一つヨロシク。

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