2004.5.28

先週末に友人宅でまったりしていたとき、「私の読んでない旅行記なーい?」というリクエストに答え、友人が出してきてくれたのがグレゴリ青山さん(女性)の『旅のグ』、『旅で会いましょう。』、『ふたたびの旅。』の3冊だった。作者のグさんがマンガや文章や写真で描き出す旅の様子、これが私の嗜好にもろハマる!(さすがに分かっていらっしゃる)。友人んちでは『旅のグ』しか読みきれなかったのだけど、「いいなー、この気に食わないアメリカ人の撃退方法。私も言ってみたいよ、“母ちゃんを返せ”」だの、「あ、この国もいいよねー、行ってみたい」だのと要所要所で友人に話しかけてしまう、とても楽しくなれる本だったので、他の2冊は借りて帰ってきて、この1週間少しずつ読んでは楽しんでいた。

これがまあ、私の旅ゴコロを刺激するする。グさんの旅行先は主にアジアで、常に一人旅。アジアの経験はあまりないんだけど、行きたいとは思っているし、一人旅ってのも懐かしい。2人や3人や4人での旅もそりゃ楽しいし、複数ならではの楽しみってのも確かにあるんだけど、一人旅じゃなきゃできない経験ってのも、また確かに存在してるのよねー。

見知らぬ国に一人で着いて、インフォで宿を紹介してもらおうとしたら手ごろな宿は全部埋まっていて、予想より高い、そして街から遠い宿になっちゃったりして、それでもお金がないから歩いて移動して、着いてみたらその宿がボロっちくってホストの感じが悪くって、荷物を置いてベッドに寝転がったらもう外に行く気力もなく、荷物に入っていたビスケットと部屋にかろうじてついていたティーパックでおなかをなだめ、寝転んで天井を見上げたときなんか、ホントに「私ってばこんなトコロまできて一人でいったい何やってんだろう……」とイヨーーーーーーに虚しい気分になるもんである。

『ふたたびの旅。』の「あずまやに、マレー人らしい男性がひとり座っていた。ひざには子猫をのっけていた。じっと座ったままの彼は、さみしくて当然というような顔をしていた。だから子猫もあんなに安心してひざの上にいるのだと思ったら、なぜか唐突に、うらうらと、その子猫がうらやましくなって、そしてまたもや「こんなとこでひとりで何やってるんや……」――と思ってしまうのだった」 という描写はホントにホントによく分かる。(←シチュエーションは全然違うけれどもさ)。

そしてその後に続く、「けれど、孤独な旅人は知っている。沈んだきもちを浮かび上がらせる一番てっとり早い方法は、おいしい食事にありつくことだということを。」 って描写も、またよく分かるんである。虚しい気分を振り切って外に出たら同宿のコと顔を合わせ「このホテルの感じ、よくないねー」って話で盛り上がって、「着いたばかりなの? すぐそこに美味しい食堂あるよ」と教えてもらってそこに行き、そしたらそこが感じのいい店で、店員はフレンドリーだわ料理は美味いわで、さっきの虚しい気分はどこへやら、いきなりハッピーになれてしまうのも一人旅ならではだ。そゆ虚しい気分には人の親切がこれまたイヨーーーーーーに沁みるのだ。そして時間が経ってみると、残っているのはその楽しい思い出だけだったりするんだよね。不思議なコトに。

あと、グさんの描写の仕方も好き。韓国の健康ランドに入っての「うわーーッ 天知茂の明智シリーズの「パノラマ島奇談」で犯人の美女(たしか叶和貴子)が入ってたゴージャス風呂みたいやーーッ」 というのみたいに、「あははー、知らないけど何となく分かる〜」って感想に満ちている。

ああ、一人旅したくなってきた。『旅で会いましょう。』は、「なんにも用事がないけれど、船に乗ってウラジオストックに行って来やふと思ふ。」(大元は内田百閧セそうな)で始まるのだけど、私も「なんにも用事はないけれど、らくだに乗って砂漠を歩いてみようと思」いたい。………つか、金があったら行ってるね。この本によると、私はツーリストではなく、トラベラーらしいから。

2004.5.25

■ときどきネットで買い物をするんだけど、××円以上は送料無料!とか言われると、つい余分なものまで買ったり、いるものなんだけど大量に買ったりして××円をクリアしようとしてしまうのは如何なものか。―――如何なものかって、買い物下手以外の何者でもないだけどね。ふん。

■マイケル・クライトンの『ロスト・ワールド』を、レヴィンの言動にムカつきながら読んでいる。危険が迫ると恐怖に震え上がるくせに、喉元過ぎれば危険の存在をすっかり忘れてしまえる彼みたいなのは、“大局的に物事を捉えることができない”と言うんではない。“鳥頭”と言うんだ。

■最近読んでたスーザン・クーパーの『闇の戦い』シリーズ。とても気に入ったのだけど、訳者後書きを読んで「あれ?」と思う。訳者の浅場莢子さんは、このシリーズの善玉(…というとニュアンス違うけど)の<光>のあり方に疑問を持っているそうだ。彼女の言うコトも分からないではないけど、でも私は彼女が引っかかっている点こそが、このシリーズの魅力だと思うんだけどな。確かに人間の目線から言ったら<光>はヒドい。けど、好きな兄さんの記憶を消さなくちゃいけないウィルこそが哀しいと思うんだけど(ってのも<人間>の感傷だけどさ)。彼女が好きになれないというメリマンも、私は主人公のウィルの次に好き。人外の存在で、ときに<人間>を切り捨てる判断もするけれど、でもその存在にできる限りの強さで<人>を愛していると思うもの。

2004.5.24

あんなに楽しみにしていたダイビングには、行けませんでした。重たい荷物を転がして友人宅に集合したのが金曜日。朝すぐ出られるように準備を済ませ、「明日はH(一番近いが荒れやすいポイント)かな、E(もうちょい遠いが安定している、ドラえもんの像が沈んでいるポイント)かな、どんな魚が見られるかな」と心を躍らせ、眠りについたのが土曜の2時。7時には起きだして、友人が作ってくれた朝食を取っていると、そこに電話が。「台風のうねりが収まらなくて、今日潜れるのは大瀬崎(西伊豆。友人宅から車で行くのはとっても疲れる)だけです」と告げられ呆然とする面々。鳩首相談の結果、ダイビングは次の週末に持ち越しになり、腑抜ける私たち……。

「せっかく早起きしたのに、このままマッタリしてたら布団に逆戻りしちゃうよぅ、何かしよう」ってんで、横須賀に遊びに行くコトになりました。臨海公園でバラを愛で、どぶ板通りを冷やかしながら歩き、三笠公園で戦艦三笠を見学。この三笠が侮れませんでした。30分くらいで見終わるかなーと思ったのに、3時間近く入ってましたよ、私たち。途中「戦艦三笠についての映画があります」というアナウンスがあり、上映時間が15分というので、休憩にちょうどイイかと見にも行きました。教育TVが作るような、へぼアニメと写真を多用した映画とも呼べないフィルムかと予想してたんですが、これがなんと『海ゆかば』という、東映映画のダイジェストだったのです。

もとの、おそらくは2時間以上ある映画を15分に縮めただけあって、誰が艦長なんだか、どうゆう時代背景なんだかってのは、さっぱり分かりません。いきなり女が出てきて、旅立つ戦艦に向かって「ばかーっ」と叫ぶわ、若い乗組員が何の脈絡もなく「身命を賭した演奏をさせてください!」と艦長だか長官だかに直訴するわ、戦闘シーンに至っては「大変だなー」ってのは分かるものの、どっちが撃ってどっちに被害が出てどっちが勝っているのか見当もつかない状況です。が、これが上映された途端、私たちは違った意味で感動していました。「三船だよ三船、世界の三船!」「丹波だー」「沖田浩之!」「ゴジラがくるーっ」「きゃー、三原順子じゃん」「宅間伸!」「佐藤浩市だーっ」「伊藤四郎! 若い!」「ガッツだガッツ」……。予想していた“教育TV”とあまりにかけ離れた内容に、ひそめた声で大騒ぎです。

それで盛り上がってしまったから、見学にもリキが入ってしまったんでしょうね。三笠を出たとき、時計はすでに13時半を回っていました。フツーの時間に朝食を食べた私たちはもう空腹で空腹で。おまけに横須賀はお祭りの最中らしく、途中に屋台がずらーーーーーっっと並んだ誘惑の道があったのです。しかしこの日は、めっちゃ美味しいロシア料理の店に行くのが最終目標でした。「ビーフストロガノフのために我慢しておきたい。しかし今なにかを口にしなかったら暴れる」という状態だったので、たこ焼きを一皿だけ買って4人で山分け。そしてそれを糧に、さらに1時間ほどかけてロシア料理の店に行きました。久しぶりに食べたストロガノフは、やっぱり絶品でした。

ま、そのあとは空きっ腹にワインを流し込んだ罰として、ホワイトアウトしかかったり(ブラックは知ってたけど、ホワイトは初体験。気絶する寸前の視界って面白いですよね!)、楽しく騒ぐ友人たちの脇で一人悲しくぐーぐー寝込んだり、夜になってやっと復活して皆で『ラスト・サムライ』を早送りしながら観てツッコミ入れまくって大笑いしたり、してました。復活する前の時間帯にはあまり思い出したくないコトもあるので、詳しく書くのはやめますが……未来の自分のために、先人の偉大な言葉だけは書いておきます。

「酒は呑んでも呑まれるな」!(←島本和彦ばりの勢いで)

2004.5.21

ずいぶん前に読んだ本の感想が出てきたので、もったいないからUP。(←つか、書いたのも忘れてたので、読み返したら面白かったのだ。わはは)。なんだか最近仕事の愚痴話と本の話しかしてない気がしてヤんなるけど、でもイイんだー。だって明日はダイビングなんだもーん。もう場所はどこでもいいや。潜れるだけで心が浮きたつもの。ドラえもんに会えるかなー?

---------以下、発掘した感想文---------

先日、中島義道『私の嫌いな10の言葉』を読了しました。この人には友達がいないのかな、と思いました。以上。

……じゃ、後で読み返して自分でもワケ分かんないのでもう少し。この本は「みんなが厭な気分になるじゃないか!」「相手の気持ちを考えろよ!」「ひとりで生きてるんじゃないからな!」などの、著者の嫌いな、いかにも日本的な言い回しを10取り上げて、そのどこがどう嫌いだかを述べた本です。彼の言いたいコトや嫌いポイントは肯けるものが多いのですが、「私がこの言葉をキライなのはこうゆう理由だったのか!」っつー、目から鱗の発見も、「そうそう! そこがイヤなんだよー、分かる分かる」っつー、よくぞ言ってくれました的な気持ちよさも、ありません。ですので例によって例の如く、なんでこの本が好きになれないのか、つらつら考えてしまいました。

まず拒否感覚えるのは、この人が自分のコトをマイノリティマイノリティと言うトコロ。うん、確かにこの人みたいな感覚を持っている人はどっちかと言うと少数派かもしれません。でも彼が思っているほど少数派だとも思えません。「私も同じように感じている!」って人は、世代の差もあるでしょうが、決して少なくはないと思います。なのにこの人は、自分がマイノリティであるコトに胡坐をかいている感がアリアリなんですよねー。いかにマジョリティの横暴が、無神経がまかり通っているかを憤る憤る。そして、自分の嫌いな言葉を吐く人を、ばっさりと断罪するんですよ。相手の言い分を聞くことなく。でもイイんです。ナゼなら彼はマイノリティだから

この本を読んでいると、彼の嫌いな言葉を吐くとき、その裏には純粋な善意は存在せずに、必ずいやらしい思惑が、欺瞞があると断言されてる気になります。でもホントにそうなのでしょうか? 確かに私も「お前のためを思って言ってるんだからな!」って言葉はキライです。「お前のために」は嘘であるコトが多いとも思っています。でも相手が、自分の損得に関係なく、本当に私のためだと思って助言をする場合もあるじゃないですか。もちろん、だからその助言を聞かなきゃいけないワケじゃないです。それはその人の目から見た「私のため」だから、私にしてみりゃただのお節介であったり、見当違いのアドバイスであったりする場合もあるでしょう。てかそうゆう場合がほとんどでしょう。それでも、その相手がもしこの本を読んで「あなたのためっていうのは卑怯な言い回しだから、言っちゃいけないんだわ」と言葉を封じられてしまったら、それは違う気がするのです。相手の助言を受け入れるかどうかは、私が「私のためを思って」決めればいいんだから。

「ひとりで生きてるんじゃないからな!」って言葉の章でも、違和感覚えました。彼が言っているのは、組織のコトです。「組織には皆が一緒に働く約束事ってのがあるんだから、ひとりで勝手をするんじゃない。皆が迷惑するじゃないか。折れるトコロは折れろ、導きには従え、感謝しろ」ってコトです。それがイヤなのは分かります。そして彼は「できたらひとりで生きていきたい」と書くのですが、それって組織から離れてって意味なんですよね。世捨て人になりたいワケじゃない。自分がわかってもらえないのはツライとも書いてありましたから。……だったら、組織からなら、離れれば?と思います。実際に離れるのは無理でも、気持ち的に。

私もなんどか「人はひとりでは生きていけない」と書いた覚えがあります。私がこう書くとき、まず第一にくるのは家族とか友人とかの、話の通じる人、です。次にくるのが、私の生活を支えてくれる人。蛇口をひねれば水が出るように、八百屋に行けば野菜が並んでいるようにしてくれる人たちです。んで最後にくるのが組織の人、です。でも彼は真っ先に組織の人がくるのね。組織の人とのつき合いってのは、話が通じるか通じないかで発生するもんじゃないから、イラつくことが多いのは当然って気がするんですが。(この辺で「この人、友達いないんじゃ…」と思った)。なのにそこに気持ちの比重を置いたまま、気を遣って悶々としてるから、溜まるんです。

そう、この人、気ぃ遣いなんですよ。途中何度か「私はこう言ってやった」っつー自慢話が出てくるんだけど、良く考えると彼が毅然と文句を言うのって、喫茶店のウェイトレスとかデパートの店員とか駐車場の係員とか、彼の生活を通り過ぎていく人に対してだけなのです。仕事仲間とかに対しては「ここで場の雰囲気をぶち壊す正直な意見を言いたいトコロだけど、私も何が求められているかが分からないアホではないので、無難な受け答えをした」になるの。だーからストレス溜まるんだってば! そうゆう文句って、普段つき合いがある人にこそ、言わなきゃいけないんじゃないの?

もう少し、と言いつつ長々書きましたが、こんな感じで「キライなもんはキライでいいから、もうちょっと楽しいコトも考えようぜ!」と言いたくなるよな、私にとっても悶々とする読書でした。ああそうだ、「こうゆう言い方はやめてこうしてみよう」って彼の提案(ほとんど無いんですけどね)が、ちっとも魅力的でなかったのが一番の問題かも。不毛な怒りって感じがします。

2004.5.20

トマス・H・クック『夏草の記憶』読了。主人公が自分の子供時代に起こった悲惨な事件を、思い出し思い出ししながら語る話で、謎がほんの少しずつ少しずつ明らかになっていくという、そういう手法の小説だとわかっていながら、「ええい、筋道たてて起こった通りに順番にちゃっちゃと語れ!!」と言いたくなってしまいました。短気ってやーね。特に冒頭部分は、まだ登場人物の把握も出来てないし、状況もさっぱり明らかになっていないので、イライラが募る募る。だんだんと話が掴めていくに従って、そのイライラはなくなるのだけど、最後まで読んでも拾われてない前フリがあって釈然としない。作者も忘れてたのか、それともアンフェアな引っ掛けなのか。

前に読んだ『緋色の記憶』もこんな感じだったなあ、と思い出す。昔起こった情景をちょっとずつ小出しに語る手法も同じなら、停滞したような田舎の町に都会から魅力的な女がやってきて、恋愛があって、事件がおきるというのも同じ。でも「なんだよー、同じじゃんよー」と思わせないのはサスガかな。ただ、『緋色〜』の方が好きだなーと思うのは、最後の最後に明かされる謎が気に食わないからかも知れない。ケリーにああいう死に方をさせる必要はあったのかしら。いや、ああいう死に方だったからこそ、周囲の人間はそれに囚われてしまったのかもしれないけど……うーん、でもなあ。

あと、これは“語らなかった主人公が語るようになるまで”の話でもあるんだけど、少年時代から現在にかけての、この主人公の語らなっぷりがイヤになる。何か思っても口にはしない。そして妄想だけを膨らませる―――ってのは、自分の中学生の頃を思い出していたたまれなくなるし(いわゆる同族嫌悪だよ、くそー)、大人になってからの長い長い彼の沈黙は、ヒドいと思う。「けれど私に真実が言えるはずがなかった」なんてのは、ただの言い訳だ。結局、その場を無難にやり過ごそうという逃げの態勢に過ぎないのだから。ところで余談だが、「どうぞく嫌悪」って「同族」? 「同属」?

小説内に限らず、「言っても仕方ない」とか「そんなコト言えない」とかいう言葉の、どれだけが本当にそうなのだろう、と、ときどき思う。相手の反応を決めてかかって口をつぐむコトで、失われた機会がどれだけあることだろう、と。

2004.5.19

濁ってても冷たくてもイイ! 潜りたい! と、ダイビング仲間をせっついて、三浦ダイブの予定を組んだこの週末。2週間前からその日が来るのを心待ちにしていた。……あのぅ、モロ台風真っ最中っぽいんですけど……。いや、台風直後、になるのかなあ。とても荒れやすいポイントなだけに心配です。“近場で体力使わず”が今回のコンセプトだけに、伊豆遠征になっちゃったら悲しいや。こないだちゃんと逗子の天照神社にお参りしたのにー。

町行く女のコを捉まえて指定の料理を作らせる(んで失敗を笑う)って番組を見ていて思う。料理できない人って、入れすぎて失敗するのね。佐々木倫子の昔のマンガに「マズくたって死にはしないし、入れた塩以上に辛くはならない!」てな感じの台詞があって、初めて読んだとき「確かにそうだ!」と目から鱗がぽろんと落ちて、それ以来その台詞が私の料理の基本姿勢なのだけど(どんな姿勢だ)、彼女たちはそれを知らないんじゃないかと思う。作ってる最中に味見して「んー、一味足りないな」で調味料を足すんじゃなくて、最初っから入れすぎる。ホント、化学実験のようだ。

中には企まぬ大発明があるかもしれないけど、失敗作を続けて食べるのはキツそうだなあ。美味しいと思わなければ包丁握る気も失せるだろうし、食いしん坊の私には耐えられん。でも、もし私が町で捉まえられたら、指定の料理を作れる自信は全然ない。胸を張って断言できる。「ここにある材料を使って何か美味しいものを作ってください」なら、ある程度こなせるだろうけど。私の料理は冷蔵庫総ざらえ系なのだもの。テキトー礼賛。

2004.5.17

鈴木隆之『「エースをねらえ!」論』読了。残念だけど予想してたほど楽しめなかった。「なーに的外れなコト言ってんだ」とまではいかなかったんだけど、「ご苦労さまだわねー、うぷぷ」とはなってしまって。作者の山本鈴美香が家庭嫌いだろうとエディプスコンプレックスだろうと、そんな情報はマンガ読む際には必要じゃないんだけどなー。これがシャーロッキアンのホームズに対する考察みたいなら、きっともっと楽しめたんだけど。そう、この人が“余談”で片付けている、「加賀のお蘭は西校によく来てるけど、自分の学校にはちゃんと行っているのだろうか」 みたいなツッコミの方が、私は読みたいのだ。

それからこの人、どうも“少女”にドリーム持ってるみたいで、それも何だかなぁ。どうして男の人って、“女子高生論”だの“少女論”だのを書きたがるんだろう? 分からないから分析して分類せずにはいられないのかしら。そう数を読んだワケじゃないから、どっかに卓越した論文があるのかもしれないけど、女が読んでぐっさり刺されるような(「気づかなかったけどそうだったんだ! 目から鱗!」みたいな)、あるいはホントにそうだと頷ける論は見たコトない。分からないなら分からないままにしとけばイイのに。その方が予想つかなくて、意表つかれて楽しいと思うのに。

あと、あんま意味のない言葉やシーンに深い意味を求めるのも、シャーロック・ホームズのパロディの「あなたは先ほど人を殺してその血をすすったばかりですね」「えっどうしてそんなコトがわかるんだホームズ」「ふふふ、観察だよ、ワトソンくん。依頼人の口に赤い血がついているじゃないか」「(依頼人)……先ほど転んで唇を切っただけです」みたいで、ぷぷぷと笑える。

竜崎理事の「強者の子孫」発言にもやたらこだわっているけど、私はあれを「強者の子孫だから負けちゃいけない」とは読まなかったけどな。「強者の子孫だから、卑屈になることはない。胸を張って堂々としていろ」ってだけのエールだと思うけど。それを重たく受け止めて責任感じちゃうのが、やっぱり男の人だなーと思う。お蝶さまの「あたくしたちは強者の子孫よ!」も、意訳すりゃ「そのままの勢いでノッてけー!」だと思うんだけど。

もしかすると、彼の分析が全部正しくて、私の読み方が浅いだけかもしれない。けど彼の分析を読んだからって、作品をより楽しく読めるようになるワケでも、より深く読めるワケでもないんだわ。……少なくとも私は、ね。だったら、作品に浸って楽しく読んだ方がイイじゃーん、と思ってしまうのは、現実逃避が上手すぎるせいでしょうかねぇ?

2004.5.15

私にとって、TVで見て一番楽しめるスポーツは女子バレーなので、最近はTVに釘付け。拾って拾ってのプレーが好きだから、昨日の韓国戦と今日の台湾戦は見応えあった! 韓国戦は出かける用事があったので録画をセットして出かけたのですが、帰ってから文字通り祈りながら見ていたら(録画されたもんなのに)、3セット目の18-11くらいのところでテープが切れてやがんです。友達に結果を教えてもらうまで、安心して眠れませんでした。ところで吉原選手と大山選手の顔は好みだなあ。

さて本日、前に読んだのを忘れてて読み始めちゃった『ジュラシック・パーク』を「まあイイかー」と再読。再読でもやっぱり怖かったんだけど、忘れてたのが中に出てくる8歳の女のコ、レックスの状況把握できないっぷり。8歳ったらもう小学校2年生だろうに、目の前に恐竜がいないと(ときにはいても)ワガママ言う言う。そのワガママは年齢のせいじゃなくて性格だ! あんたみたいな女が、大きくなったら一昔前のB級SFに出てくる脱ぐのときゃーきゃー騒ぐのとにしか能のない女になるんだ! と、ムカつきまくってしまいました。

別にね、子供がキライなワケじゃないんです。だけどフィクションに出てくるこうゆうワガママなコとか、さっき書いた騒いで足引っ張るしかできない女とかって、記号じゃないですか。ただ作品のためにだけ存在する無能さというか。それがイヤ。力や知識の点で大人には及ばない子供とか、体力的に男に敵わない女とかを出すなら、それなりの扱いをしてやって欲しいと思うのです。

2004.5.13

何も考えずただただ楽しめる映画が見たくなったので、『スクール・オブ・ロック』を見に行ってきました。誘った友達とは都合が合わなくて1人になるわ、レイトショーだから先にのんびり食事して…と思っていたのに残業でそんな余裕なくなるわで、行く前は正直億劫になっていたのだけれど、結果、行ってよかった〜。出てくるときには顔は緩んで足取りは軽くなってましたよ。――つか、ああいうの見たあとに普通に歩くのは不可能ですわね。

内容は事前に予想していたとおり、『天使にラブソングを』のロック版……の、大人げないバージョンって感じです。あの体型のくせして、いちいち椅子に足かけてポーズを決めるジャック・ブラックがステキ。子供たちと一緒に彼自身も成長するって話のハズなのに(いやちゃんと成長もするんだけどさ)、最後まで主役は譲りませんからねー。もっと子供たちを立てる話かと思ってましたが、ちょっと尻込みされただけで、「じゃあオレがやる!」。いやー、ステキだ。

校長先生も、私好みでした。最初っから「こうゆう人、好きだなー」と思ってたら最後までよかった。欲を言えば、もう少し乱れた姿が見たかったかな。ビールかーっと飲んで、歌い踊って欲しかった!(…ムリか、さすがに)。あとね、『天使に〜』の聖歌隊は全員がちゃんと舞台に立てるんだけどバンドだとさすがにクラス全員がバンドメンバーになるってワケにはいかないのが、残念でした。照明の彼にはちゃんと見せ場もあったけど、他の裏方は可哀想なもんですよ。だからこそ、最後のアンコールで全員が舞台に立ったシーンを、もっと長くやって欲しかったなぁ。

私は人が声を響きあわせて歌うのが好きなので、コーラスの女のコたちの「ウーララララ、ウーララララ、ウーラララララ」ってシーンがお気に入り。頭にこびりついた「ウーラララララ」で、今週を乗り切るぞーって気分になりました。

2004.5.11

昨日の朝、『めざましテレビ』で“佐々木蔵之助の素顔”とかいうコーナーをやっていて、彼の略歴も紹介されてたんだけど、彼が名前を売った惑星ピスタチオのピの字も出てこないってどうゆうコト!? ピスタチオが佐々木さんにとっては過去の恥部でしかないのか、それともTV的に触れる価値のない情報なのか……。どっちにしろ悲しいよ。小劇場界の一時代を築いたと言っても過言じゃないくらいの劇団だったのに。(――いや、ちょっと過言か。でも他の劇団にかなりの影響を与えたのは確か。)

さて、GW話をちょっとだけ。今回はいい感じに祝日が並んでて長期の休暇を取りやすかったにも関わらず、遊びに出たのは5/2〜5だけでした。1日の夜に東京にいなくちゃいけない用事があったのです。だから、天気のよかった前半は遊べなかったんだようおうおうぅぅ! ま、遠出をしてもこの時期金がかかるだけなので、近場でゆっくりしようってのは前からの予定だったんですけどね。結局、ダイビングをするときにいつも行く、東伊豆に行きました。テニスをしたかったんだけど、時間が取れるときは雨ばっかりだったので、温泉入ったりビール飲んだりワイン飲んだりしてのーんびり。美味しいものもたっぷり食べてね。(←おかげで体重が戻ってきたよ!)

唯一空がもってくれた3日だけ、熱海で遊びました。熱海では花火見物くらいしかしたコトありません。ナゼかあんまり興味がなかったんです。多分、観光地として有名すぎるからでしょうね。でも今回は熱海の賑やかな方とは反対側を歩いて歩いて歩いて歩いて歩きたおしました。あまり歩く人のコトを考えていない街って感じでした。たとえばMOA美術館に行く途中から、ふっつり看板が消えるんです。歩けども歩けども何も見えてこないのでドキドキしました(不安で)。あと神社に至る長い長い長い階段も忘れられないなー。視界の彼方まで階段が続いているんです。いったいいつ終わるのかと、このときもドキドキしながら歩きました(心拍数増加)。足腰を鍛えたい方にはオススメ。

さすがに昔からの保養地だけあって、風情のある建物も多くて、品定めしながら歩くのも楽しかったです。一緒に歩いた友達も“お宅拝見”が好きなので、「見てあの雨戸。かわいくない?」だの「この濡れ縁、カッコいい!」だの「あの洋館、スゴいねー。昔は華族の別荘だったんだよ!」だのと、足元がおろそかになるくらい。逆に何か出そうな、崩れかけた廃墟も多くてドキドキもしましたけど(不気味で)。面白かったのは“走り湯”。温泉が洞窟の中に湧いていて、温水が横穴を通って走っているんです。その横穴に入ると、入った途端に水蒸気で前が見えなくなる。そして初めて行った場所だから、奥行きがどこまであるか分からない。腰をかがめて恐る恐る歩をすすめていくのはドキドキもんでした(怖くて)。実際は10mもなかったんですけど。洞窟探検ってモチーフは大好きですが、自分ではできそうもないです。

というワケで、1日歩き回った熱海の印象は“ドキドキできる街”でした。今度は反対側も探検……じゃなかった、散策してみたいもんです。

2004.5.9

泣いて泣いて泣いて泣いて枕にかぶせたバスタオルがぐちょぐちょになって枕まで涙がしみ通ってしまうくらい泣いて、気付くと両まぶたが藪蚊に刺されたみたいに腫れあがり人前に出られない顔になっていました。泣いたらキチンと冷やしましょう。……ところで、Q.ナゼそんなに泣いたのですか?

A. 処分して次の日に捨てたコトを後悔した『エースをねらえ!』を文庫版で全部買い直して読みふけったからです。友達が持ってりゃいいっつーもんじゃありませんでした。

もともと私は涙腺が弱いんだけど、このマンガに関してはおかしいんじゃないかってくらい泣きます。西高のテニス部合宿で、岡ひろみが1年男子の香月くんと試合をする辺り(序盤ですよ、序盤)からもうウルウルきてるんですもん。その後、ひろみの頑張りに泣き、コーチの死に泣き、お蝶夫人の気高さに泣き……止まりません。ひょっとすると自分はスポ根体質じゃないんだろうかと、錯覚しそうになる程です。錯覚なんですけどね。

内容について語り始めると止まりませんので書きませんが、今回、文庫版で面白かったのが巻末の鈴木隆之さんの解説でした。ちょうど最期の辺りを読みながら「山本鈴美香はお蝶夫人を負けさせたくなかったんだろうなー」と思っていただけに、解説の「山本は、ひろみとお蝶の「最期の試合」を描かなかったのではない。描くことができなかったのだ。 には、うんうんと肯いてしまったし、桂大悟が「女というのは、すぐれた男から時をかけて大切に育てられなければ、決して道を極めることができない」 と、お蝶夫人に向かって言うシーンは笑止としか言いようがないってのも前から思っていたので、同様の感想が書いてあったのも嬉しかった。お蝶さまの「強者の子孫」発言は、そんなに引っかからないんだけどね、私は。

この方、『「エースをねらえ!」論』って本を出されているそうなので、批判も入っているというそっちも読みたくなりました。その批判には同意できないかも知れないけれど、文庫版の解説を見る限り「愛ある批判」のようなので、多分面白く読めるでしょう。ピントのずれたマンガ論ほど、腹のたつものはないものね。

2004.5.7

忙しい忙しいと書いてばかりの今日この頃。今日も今日とて仕事のグチ。言わせて。のーんびりダラダラ残業手当目的で仕事するなら、帰りが9時10時ってのもそんなにキツくはないんだけど、お茶も飲まずトイレも控えて根詰めて根詰めて9時10時ってのは、かなりツライ。だからってやり甲斐のある仕事じゃないのがまたキツイ。私ゃテキトーに働いてテキトーにお金もらってテキトーに生きていければそれでイイのに。

忙しいのは年度始めでおまけに他の人の仕事を引き継いだからで、自分なりのペースを掴めれば楽になると思ってたのに、どうもずっとこのままかも、という気がしてきた。だって考えてみりゃ、今までの仕事に加えて、2人分の仕事を引き継いでいるんだもの。確かに今までは仕事量にムラがあって、暇なときは会社で日記を書くコトもできた。それでもノルマはこなして定時で帰れた。でも忙しいときは残業する程度には仕事してたのだ。そこに更に2人分の仕事ってどうよ。やってけるのかしら私。

前年度末に、上司から「ウチの部は派遣に金をかけすぎてるから」って話はきいていた。「派遣の方が頑張ってくれてるんだけど、でも社員を切るワケにはいかないからね」とも。それで「あーあ、なんだかんだ言って、社員ってのは守られてるよな」とは思っていた。でもそこから「派遣を減らして仕事を残った少人数に押しつけよう」という結論が出てくるとは、予想していなかった。残されたってコトはまあ評価されてるってコトなんだろうけど、でも社員が全員帰ったフロアで、寂しく数字とにらめっこしてると、おいおいなんか違わないか?という気になってくる。これって頼られてるっていうの?

もともと2人分くらいの仕事をこなしていて、更に1人分の仕事を背負い込まされたKちゃん(だから今は2人で残業の毎日)が、今の私の慰めです。彼女のコトはそのうち書くかも。あとGWは伊豆に行ってきました。そりも時間があったら書きたい………書きたいのよう。書かせてよう。

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