健康診断に行ったら視力が両目とも1.2で、ちょいショック。今まで1.5から落ちたコトはなかったのに。おまけにここ数年数ミリずつ伸びていた身長も、ちょっぴりだけど縮んでいた。今年から病院が変ったせいでの誤差だったと思いたい。…って別にもう伸びなくてもイイのだけどねー。体重も落ちたトコロでキープされてていい感じ。しかしホントにナゼ痩せたんだろう…。
さ、明日は海だ! 2月の海の経験なんてないので緊張しまくり。念のため鼻風船(←知らない方はコチラの日記でどうぞ)で耳抜きの練習までしてしまった。押入れに仕舞い込んであったダイビング器材を引っ張り出して「もうこんな季節になったのねえ」と感慨にふけってみたりもしたけど、よくよく考えてみればまだ全然季節じゃないのである。しかしこれ以後、部屋には器材が出しっぱなしになると思われ…。ああ、たった3ヶ月しか片付けておけなかったわ。明日の海が澄んでいますように。あまり寒くはありませんように。認定証がちゃんと取れますように。そしてできたらマンボウが見れますように。
昨日の日記…じゃない、感想文を読んでからお読みください。『王の帰還』のネタバレ全開感想です。あ、今回やたら原作に言及してますが、単なる比較です。違うからイヤ!ってんじゃないです。納得できる改変がほとんどだし、惜しいなーSEEで追加してくれないかなーってのもあるけど、映画の方がいいってのもありますもん。満足してます。……や、この言い方は偉そうですね。ありがとうありがとうよくぞ作ってくれました!と思ってます。
ではローハン軍はどこからわいてきたのかって話の続きから。
映画に描かれたローハンの援軍の規模は、原作とほぼ一緒です。ゴンドールから援助を求められた際、セオデンは「本当なら1万の軍を送りたいけど自分の国を空っぽにするワケにはいかないから、実際に送るコトができるのは6千くらいかなー(大意)」と答えています。映画でも槍兵が6千と言ってませんでしたっけ。戦の勝敗を決するコトはできないけど、一時的に戦局を変えられる程度の軍です。ああ、嬉しすぎる。感無量。もうどこからわいてきたかなんてどうでもイイです。(←おい!)
まあ私の中では一応「王が正気に戻ったので、離れかけていた臣民が戻ってきた」、「ヘルム峡谷に一番近かったのがエオメル率いるロヒアリムたちだっただけで、さらに遠くにはもっと兵力があった(=アイゼンガルドからの侵入を食い止めるために闘っていた=アイゼンガルドの決着がついたのでエドラスに戻ってこられた)」という2つの言い訳が用意されています。きっとこれも穴だらけの説です。が、ハッキリ言ってそんなの後付けの理屈で、なくったっていいんです。ローハンが強くてカッコよくありさえすれば、つじつまが合おうが合うまいがどうでもイイのです!
閑話。私ねー、よくここで読んだ本に対して「設定がおかしい、つじつまが合わない、矛盾してる」と文句ばっかり言ってますが、ホントはどっかに心を揺さぶる場面が、一言が、物語がありさえすれば、そんなの気にしないんです。「よく考えるとおかしいけど、でもこのシーンに文句は言えない!」なんての、よくあります。矛盾があるから楽しめないんじゃなくて、退屈な、のめりこめない物語だから矛盾やら設定ミスやらが気になるんですよねー。
閑話休題。今度はセオデンです。第二部で彼を観たときは「どうもイメージに合わない」と文句を言いました。その印象が『二つの塔』のSEEを観て変ってしまったというのは先日書いたばかりです。ただ、SEEで好感を抱いたせいだけでなく、この第三部のセオデン王はホントにいいんですよ。第二部だと判断ミスをしたり弱気だったりしますが、アラゴルンを受け入れた第三部の彼は“本来あるべきセオデン王”に見えます。もともと王の貫禄は充分でしたしねー。原作を読んでのイメージとは外見がやっぱり違うんですが、映画のセオデンもとてもとても魅力的。ああ、そう言うならローハンも“本来あるべきローハン”に戻った感がありますね。“本来あるべき”ってのは要するに原作のエッセンスどおりってコトなんですが。原作の彼らが好きだから、ここは変えて欲しくなかったんです。
さて、あるべき姿に戻った彼らがやってきたのはペレンノール野。あの「Death! Death!」の鬨の声には震えました。あれも原作と違うんですけどね。原作ではセオデンはアラゴルンが黒門前でやったような(「今日は戦いの日ぞ!」)演説をして兵士たちを奮い立たせます。それで突っ込んで、歌いながら殺して、セオデンが死んで、エオメルが指揮をとって、そのときにあがるのが「Death! Death!」の声なのです。映画ではセオデンの台詞をアレンジしてアラゴルンに黒門前で言わせ、エオメルの台詞をセオデンに言わせたんでしょう。ロヒアリムたちの歌が聞けなかったのが微妙に残念なのですが、映画のシーンも迫力があって好きです。なんせロヒアリムたちがカッコいいし! あのモルドール軍に突っ込むシーンの迫力ったら。
またもやちょっとシーンを戻して。馬鍬砦から死者の道をとるアラゴルン(とレゴラスとギムリ)。エオウィンに向かって「あなたが愛しているのは幻影にすぎません」って……あれだけ気のあるそぶりを見せておいてーっ。絶対途中では「こっちでもいいかな」って思ったはず! もうもうヘタレなんだから〜(愛しい〜)。…って話よりも気になったコトがあります。最初に見たときから「あれ?」と思ったんですけど、エルロンドに死者の道をとるように言われたアラゴルンが死者たちのコトを「人殺し、泥棒」だったか「人殺し、裏切り者」だったかって言いますよね。あの死者たちは誓約を守らなかっただけじゃないんでしたっけ? 原作にそうゆう記述があったかなあ? 「裏切り者」だけなら当てはまらなくもないけど、ちょっと違和感覚える台詞でした。
で、その死者たち満載の海賊船。あれに王旗がひるがえるってのは、SEEで追加して欲しいシーンの一つです。「敵の援軍来た→味方絶望・敵喜ぶ→と思ったら敵の旗がいきなり味方の旗に→敵呆然・味方勇気倍増!」って流れはお約束だけど、とっても好きなのです。あの無骨な船にいきなりゴンドールの白い木を染め抜いた旗(しかも王の標の星つき)があがって、オークどもが状況を呑みこめないでいるとアラゴルンが飛び降りてくる…って展開もアリだと思うんですけど。これやってくれたら、死者の道に入るときに荷物を乗せた馬に逃げられて抜き身の剣しか持っていなかっただろ!なんて無粋なツッコミはしませんから、ぜひぜひ。
あ、あの死者たちは私の中で「ホーンテッドマンション一発芸」と名付けられました。あの、どわーっと何かに群がってなぎ倒す、という動きが何かを思い出すなー、と思っていたら、『パタリロ!』に出てくる細菌たちでした。思い当たったら可笑しくて堪んなくなりました。
アラゴルンはやっぱ適当な格好して駆け回っているのが似合いますね。ゴンドールからの烽火を見て黄金館前の階段を駆け上がるトコロなんか最高。原作と比べて未熟なんだし、もうちょっとレンジャーとして生きててもいいんじゃない?と思っちゃいます。あ、でも黒門前の演説はカッコよかったわ。必死に何かをやってるのが似合うのかしら。あと彼の殺陣はホントにホントにステキです。美しいの。エルフに育てられただけあって、エルフ風の戦い方しますよね。第三部では特にそう感じました。
殺陣といえば。惜しい!>エオウィン。ちょっと内股なんですよねー。剣が使えるって設定は残っているんだから(つかナズグルの首領を倒すんだから)、もう少し美しい殺陣を見せて欲しかったです。武道の達者な人だったら、女でもああいう構え方にはならない筈。
フロドとサムに行きましょう。サムなんか最初の感想文で無視しちゃった…。ゴメンね。えー、『二つの塔』を何度か観るうちに、最初は感動したサムの大演説がちょっぴり鬱陶しくなってきてしまった、というのはいつだったか書きました。思うに、原作のサムって気負いがないのですよね。素直に思ったコトを口にして「また喋りすぎちまっただ」と本人は反省したりするんだけど、実は意識しないままにいいコトを言っていたり、聞いてるほうはその喋りに救われていたりするのです。でも映画のサムは自分が感動的なコトを言っているのを知ってるように見えます。役者が「サムは英雄である」という認識で芝居をしているからでしょうか。
第二部ではそれがちょっと気に障っちゃんです。でも、今回は全然平気でした。ナゼなら今回のサムはただ喋っているだけじゃないから。ホントに体張って働くから。よくフロドを支えてくれたと思います。原作では、指輪を捨てに旅に出るときのフロドは50歳、それに従うサムは35歳です。映画だとその年齢差が逆転してる感がありますよね。それを思うと彼がお目付け役や保護者に見えちゃうのは仕方ないかなーと、今回は思えました。(んで、お目付け役や保護者ってのは、例えどんな善意の人間であれ、多少鬱陶しく感じてしまう瞬間があるものです)。
ゴラムがレンバスを捨ててしまい、サムが「もうお前は来なくていい」とフロドに言われるシーンは映画のオリジナルです。このシーン、私はとても効果的だと思いました。フロドがどんどん指輪に蝕まれていく様がよく分かります。正常な状態のフロドだったら、ゴラムの言葉を信じてサムを切り捨てる筈がない。その直前「あいつは指輪を狙っている」とゴラムに囁かれるシーン…暗い顔の中で目だけが白く光っているゴラムとフロドがそっくりに見えて、フロドがゴラムの側に近づいているのがわかって、あれも効果的でした。
あ、キリス・ウンゴルの塔のシーンも割愛されると思っていたので、入っていてビックリしました。ホント欲張っていれてくれたなあ、と嬉しい。………でもね、でもね……、服を剥がれたフロドの体がちょっとぽっちゃりだったの……。あのシーンでは体力的にも精神的にも限界に近いところまで来ている筈なので、どうにか誤魔化して衰えてる感を出してくれたらなー、と……思っちゃいました。ゴメン>フロド。
ちょっと残念だったのは、バラド=ドゥアの塔の“かの目”。モルドール国内の雰囲気はイメージ通りだったのですが、あの目がサーチライトみたいで。分かりやすいけど、分かりやすすぎました。
2回目観てる最中に「あっこれ書くの忘れた!」と一番強く思ったのが、風早彦グワイヒアが黒門前にやってくるシーン。原作にもあるのにすっかり忘れて(てか映画に没頭して)たので、ガンダルフの前に蛾がやってくるシーンで「あっ来てくれた! 来てくれたんだ!」と思いました。蛾→風早彦って思いつくタイミングがガンダルフと一緒でしたよ、たぶん。で、映画ではあの蛾はすっかりグワイヒアのお友達なんですかね? 第一部の感想を読み漁っていたとき、「あの蛾はラダガスト(映画には出てこない魔法使い)の化身なんじゃないか」といううがった説をどこかで読みましたが、ひょっとして、当たり? そうでもなきゃ、鷲にぱくーっと食べられちゃいそうですもんね>蛾。(←…ひでぇ。ホントに感動したのか、私。)
さあいよいよ最後。やっぱりあのフロド(若くてぽっちゃり)なら回復できそうな気がして、原作のサムの言葉じゃないけど、あと何年も何年もホビット庄の暮らしを楽しめそうな気がして、灰色港のシーンはツラかったです。ビルボのように中つ国での暮らしを堪能できてからの旅立ちであるなら、「次の冒険の準備はできてるよ」といきなり足取り軽くなっちゃう旅立ちを、祝福もできるんですけど…。
しかし今回のエンドクレジットはいいですね。ラストのシーンで呆然とした気持ちを、少しずつ立ち直らせてくれるような。現実に連れ戻してくれるような。あれを見ずに席を立てちゃう人の気が知れません。えー…やっと書き終わったのですが…長いですね。3度目からはもうこんなに長々書かないとは思います。こんなに長いのを楽しんでくださってる方はいるのでしょうか。いたら、ありがとうございます。それから…。「アンタも好きねえ」。
昨日なんの脈絡もなくふと思い出したんだけど、栄養ドリンクのCMの「肉体疲労時の栄養補給に〜」を耳で聞いて「肉体疲労児の」だと思い込んでた人っていません? 「肥満児」のノリで? いたらお友達になりましょう。
さてさて、第二回目の『王の帰還』感想です。ネタバレ全開。前回書き忘れたコトや新しく気がついたコトや原作との比較などなど織り交ぜて、また勢いよく(つか勢いだけで)いってみよう! 二度目で来るとわかっていても、烽火リレーはやっぱううっとなってしまいました。ううっとくるのって、ピピンがミナス・ティリス内の烽火台に火をつけるところじゃなくて、一番近い烽火山であるアモン・ディンの烽火台が燃え上がるトコロです。そこまで行ったらもうデネソール侯の手を離れてしまいますもんね。あ、ちなみにピピンが火をつけるってのは映画のオリジナル。原作ではガンダルフとピピンがミナス・ティリスに向かう途中で、ゴンドールの烽火山を火が伝わってゆく様を目撃します。「ゴンドールが助けを求めておる」とかって台詞があったような。
ピピンの活躍には何の文句もないんですが、改めて「デネソール二世、愛されてないよ…」と思いました。彼は原作じゃちゃんとやるコトはやっているんですよ。執政として。烽火をあげて助けを求め、ミナス・ティリスの防備を固め、友軍を呼び寄せているんです。ローハンには赤く塗った矢(援助を求める印)を伝令に届けさせるというエピソードもありましたね。ここでセオデンは救援を約束するんだけど、この伝令が途中で殺されてしまったために、デネソール侯はローハンが来るのを確信できず、ますます絶望してしまったのです。映画だと“先を見通していながら何もしなかった人物”ですもんねー。
ガンダルフのデネソール侯の扱い方もやっぱりヒドい。「ゴンドールの執政、デネソールもかくして逝ったか」って台詞のとき、つい「かくして逝ったか…って! あんたが蹴り飛ばしたんじゃん! 飛蔭で! 火の中に!」とツッコんじゃいますよ。原作と比べてみましょう。ピピンに呼ばれたガンダルフがファラミアとの無理心中を邪魔をするのと、ガンダルフの台詞は同じですが、途中が大きく違います。デネソール二世は、ガンダルフに自分の運命を決められるのを潔しとせず、積み上げられた薪の山に自ら火を放ち、その焔のなかで執政職の杖を二つに折り、パランティアを胸に抱き、横たわって死んでゆくのです。なんつーか、ほら、威厳があるっしょ? やっぱ愛が……(略)。
ミナス・ティリスは何度見てもイメージそのままで美しい都ですね。どの角度から見ても隙がない。オスギリアスを奪い返すため、ファラミア率いるゴンドール軍がペレンノール野に出てゆくところ。馬と乗り手たちの後ろに陽炎のようにミナス・ティリスが揺らめき立つシーンは身震いするほどです。
ところで、そのミナス・ティリスの城門を破壊するためにモルドール軍が使う破壊槌。火を吐く魔狼みたいなヤツのことですが、あれ、美しすぎくないですか? 敵軍でも、ちょっぴり洗練された感のあるサルマン軍と違って、モルドール軍の装備って「用が足りればいい!」って作りのが多いじゃないですか。木打ちっぱなしとか。鉄溶接しっぱなしとか。その中であれだけがカッコいいのは、どっかから奪ったものだという設定があるのか、それとも美術スタッフの力が入りすぎちゃっただけなのか、ちょっと気になってます。
そういや今回は前回よりも後ろよりの席に座ったので、音の響いてくる方向や距離感がよくわかって面白かったです。で、それで聞くとペレンノール野を進んでくるゴンドール軍の太鼓の音、カッコいいですね! どうも音では敵軍に軍配があがっている気がします。第二部の感想で書いたかな、ヘルム峡谷での戦いで、敵軍が手にした槍を地面に打ちつけてドン!ドン!と威嚇するシーン、あれがすんごく好きでした。SEEでやってたけど、あれって役者のアドリブというか手遊びから発展した演出なんですよね。それを聞いてますますウルク=ハイファンになってしまった私です。
音に関していえば、聞いてみたい音があったんですよねー。第二部のエント族たちがアイゼンガルドに行軍するときの歌と、第三部のロヒアリムたちの戦いの歌。原作に「やがて全ローハン軍は突然歌を歌い出しました。かれらは殺しながら歌いました。戦いの歓びがかれらを襲ったからで、美しくも恐ろしいその歌声は城市にさえも聞こえました」
って文章があります。これがイメージ通りに再現できたら、さぞかし美しくも恐ろしいシーンだったでしょう。ローハン軍の「Death! Death!」っていう鬨の声の迫力を聞くと実現できたような気もするけど、かなり壮大なイメージなので想像の中に留めておいた方がいいような気もするし…。うーん。微妙なトコです。
ちょいと時を戻して、ロヒアリムたちがエドラスを出立するシーン。やっぱ人数多すぎなーい? 相当数が門の外に出ているのに、まだエドラスの中に延々と騎馬の列が…。いったいエドラスのどこにいたんだよー(中にちらっと映る少年は第二部で妹を連れて逃げてきた彼かしら?)。
…と、文句を言っているようですが、違います。第二部が終わった段階で、私、ローハンに関してすんごい不安を覚えていたのですよ。原作と比べてあまりにも国力のない国に感じられたから。だってあの絶望的なヘルム峡谷の戦いのとき、砦内にいたのはほとんど老人か子供で、まともな兵士はほんの少数でしたよね(エルフの援軍はありましたが)。あれで勝利を収められたのは、エオメルが2,000の騎馬を率いて戻ってきたからですよね?(あのときだって、たった2,000の援軍で、10,000の敵軍を打破できるのかってツッコんでる人がいましたが、私は「1人で5人なら何とかなる! 英雄の国だし!」とムリヤリ納得してました)。となると、ローハンの、戦いに使える人数はそれしかいないと思えちゃうじゃないですか。
それで私は「ローハン、ゴンドールに援軍送るなんてできるのかよ…」と心配していたのです。どう見たって自分の国を守るのにいっぱいいっぱいなんですもん。「助けに行くって話はカットされちゃうのかなー」「でもそれは無茶すぎない…?」と妹と話していたくらいです。私はローハンが大好きで、セオデン王が大々好きで、彼らがゴンドールを助けにいくシーンが大々々々々々好きなのです。それがなくなってしまったら、いくら映画は映画として楽しむと言っても悲しすぎる、と思っていました。ところが蓋を開けてみたら、もうどこからわいてきたのってくらいのローハン軍。嬉しいじゃないですか。
すみません、中途半端なんですが時間がなくなったので続きは明日。書きたいコトの半分も書いてないんです、これでも。明日はきっともっと長いです。ああ止まらない〜。
仕事で某政府機関の某システム説明会に行ってきたんだけど、説明が下手すぎてイライライライライライライライラした。書いてあるコトを読み上げるだけだったらわざわざ足を運ぶ必要はないっつーの。しかもそのシステムを導入したらいくらかかるのかって大事なコトを言わないし! なのに質疑応答でも誰も聞こうとしないし! 経費が気になる私が貧乏性なのか? 仕方ないのでとっても場違いな私が質問したら、担当者が一瞬言葉につまって「え〜…微妙な質問ですね〜」を頭にえらく歯切れの悪い解答をしてくれた。ツッコんじゃいけない箇所だったのか? しかしこのシステム、聞けば聞くほど……なんというか……「パンがないならお菓子を食べればいいのよ」と言われている気分になる。
さて。昨日の日記に「微妙に暇になった」と書いたばかりなんだけど、実はスキーの代わりにドライ講習(ドライスーツを着てダイビングするための講習)を受けようか、という話が出ていた。しかしそれもケガした友人が全快してからだね、と落ち着いてはいたのだ。昨日まで。なのに「やるのは先にしろ下調べをしておいてもいいだろう…」と調べ始めたのがいけなかった。調べた結果を、値段がどうで、用意しなくちゃいけないのがどうで、とメールに書いてダイビング仲間に送ったまではまだ冷静だった。しかしそのメールを書くことで、私の中の欲望がふつふつとたぎってきてしまっていたのだ。
「なんか、行きたくなっちゃった…」と携帯メールを送った相手がまたマズかった。彼女もやる気の人だったのだ。「今週末?」と返事が返ってくる。「でも…」とまだ逡巡する私に、さらにアクマの誘惑メールがくる。携帯メールがもどかしくなって、私は直に電話をした。「あの…To-koです…」。小っちゃい声で名乗った私の耳元に、彼女の大きな笑い声が響いた。「…そんなに笑わなくてもいいじゃんよー」「だ、だって分かりやす過ぎ!」。ダイビングショップから届いたお知らせメールに「春の濁りが入り始めました」とあったのが決め手となって、私らは今週末海に入るコトに決めた。うひー。
途中、「ドライスーツ講習を受けたという認定証は発行してもらった方がいいかどうか」って話になった。認定証を発行してもらうと、その分手数料が余分にかかるのだ。「(To-ko)うーん、いらないような気もするんだけど、もしこの先他の店や海外でドライを借りるようなコトがあったら、提示を求められる可能性もあるよね…?」「海外で借りる気?」「…だってだって分かんないじゃん! 今はちっともそんな気ないけど、私らの将来の見通しって当てにならないじゃん! 最初は軽器材しか買わないって言ってたのにウェット買うし、重器なんか重いし邪魔だからいらないって言ってたのに、ナゼか衝動買いしちゃったし、年に2、3回潜れればいいねって言ってたのに私去年30本潜ってるし、冬は寒いから絶対やらないって言ってたのにドライ講習だよ? もう最初から行きつくトコロまで行っちゃうかもって考えといた方が無難じゃん!」
……それが無難かどうかはともかく。なんで、いつの間にこんなにハマっちゃったんだかなー、と不思議ではある。春の気配がするとは言え、まだコートの必要なこの時期に海に入ろうとするなんて。
2月末に泊まりでスキーに行くという話が、金沢でのアクシデント(=友人のケガ)により流れてしまったので、微妙に暇になりました。この隙に今まで貯めていた「やりたいコト」を片付ければいいんだけど、妙にまったり過ごしてしまったこの週末。天気もうららかだったしさー。2月だってのに! 2月って一番寒い月じゃなかったっけ? 海にももう濁りが出始めているとか聞くと、悲しくなるわ。蕾がふっくらしてきたり梅がほころんだりしてくれるのは嬉しいんだけど、このまま狂った季節が当たり前になっちゃうのかなあと、微妙な心持ち。
土曜は部屋の掃除をしてから、横浜で友人とダイビング器材の店に。ウェットスーツの下に着るインナースパッツ、靴下、ウィンターグローブと揃えてこれで沖縄もバッチリさ! 馴染みの店員Mさんが「私も今週末から沖縄なんですー」と言うので、向こうの情報をいろいろ教えてもらう。1週間も滞在するってのは羨ましいなあ。「天気が悪くて潜れないってコトもありますから、余裕をみて」と言っていたけど、私らには2日しかないので、どうかどうか晴れますように。
ほとんど観光する余裕がない今回の旅行だけど、でも美味しいものは食べようね、とガイドブックを覗いて打ち合わせ。どっちも真剣。ダイバー仕様の泡盛はお土産に絶対ゲットしなくっちゃ。容器がタンクの形してて可愛いの〜。「To-koに読ませたくって」と、沖縄のダイビングショップで働く女のコが主人公のマンガを貸してもらう。(これを読んだ日、とっくに死んじゃった曾おばあちゃんが作品中のおばぁになって夢の中に出てきた。ちょっと切なくなった)。
日曜はなかなか起きられず、昼から洗濯して本読んで図書館行って金沢の手書き日記書いて…。絵を入れた旅日記を書きたいな、と思い立って始めてみたんだけど、書くのに時間がかかりすぎー。短くすっきり書くって才能が欲しい。旅日記はヨーロッパ旅行(7ヶ月)の間毎日書いていたんだけど、まったりしてたあの旅行中でさえ、けっこう時間がかかって大変だったものなあ。今はもっと欲張り旅行をしてるから、1日分書くのに1日以上かかってどんどん遅れてく。でも去年暮れに買った36色の色鉛筆を使うのが嬉しくて楽しくて。
そいえば、こないだ友人と食生活が偏るとどうのって話をしていて、「私なんか本能の赴くままだから(ダメ)」と言ったら、「でもTo-koは本能の赴くままでバランスよく食べてるでしょ?」と言われて、なんか嬉しかった。健康的に聞こえない? で、その本能が昨日は「レタスを喰え」と言っていたので、レタスたっぷりの料理を作る。塩コショウして粉をはたき両面こんがり焼いた鶏肉に、作り置きしておいたトマトソースとざく切りにしたレタスたっぷりを乗せ、蓋をしてレタスのしゃきしゃき感がなくならないよう、ちょっとだけ蒸した一皿がメイン。外側の緑の濃い葉を使ったので、彩りも鮮やかで美味だった。
ところでレタスって火を通すと美味しいよね? 私は、体を冷やしたくないこの時期は特に、ほとんど生のレタスは食べない。つか私の中ではレタスは夏の野菜なので、あまり積極的には買わないんだけどね。でも昨日みたくふと食べたくなっちゃったりすると、スープにしたりチャーハンに入れたりして使う。しゃきしゃき感はけっこうしつこく残るし、生で食べるより味もいい気がする。卵やシーフドとも合う。…あ、また別の料理作りたくなっちゃった。
『The Lord of the Rings』の第三部、『王の帰還』を観てきました! やほー。大変興奮しているので、勢いで感想書きます。ネタバレ部分は隠しておくので、気にしないor もう観た方だけ読んでください。まとめのネタバレなし感想としては、「すっごい駆け足だしツッコミどころもあるし、えっそのシーンやるの? えっあのシーンやらないの?って感じだけど、でも満足!」です。妹が29日まで体が空かないとかふざけたコトを言っているので、「あんた私にそれまで2回目を待てと?」と詰め寄っちゃいました。今週末か来週頭に2回目を観にいき、29日に3回目を観に行くコトになるでしょう。
さあ行くぞー。ついてこれる人だけついてきてー。まずは、ゴクリ。いきなり冒頭からゴクリですかい? 愛されてるねー。第二部公開時には「やっぱCGはちょっと…」と言ってた私ですが、『二つの塔』SEEで考えが改まっちゃったみたい。ゴクリやってる役者さんが好きになっちゃったのです。そりゃね、光の当たり方とか不自然な点はあるんだけど、表情がよいのよ。撮影の裏話で映画の見方変えるってのはどうなのかなーと思わないでもないけど、でも変わっちゃったんだから仕方ない。原作でね、くねくね階段を登ってる最中だったと思うんだけど、ゴクリが眠っているフロドとサムを見て、ふと感情をゆすぶられる場面があるのね。私はそのシーンがとても好きで、映画にそれがなかったのが残念だったんだけど、その代わりと言っていいシーンがある。フロドがキリス・ウンゴルのトンネルに入る瞬間の、ゴクリの微妙な表情。この時点でもうゴクリはかーなりブラックなんだけど、その瞬間だけ、すっごく微妙な表情するの。あれはとても効果的で、堪りませんでした。
次にデネソール二世。愛されてないねー。もうちょっとこう、品とか、気高さとか、ないんですかい。パランティアに蝕まれたってのが今イチわかりづらいから、ただの考えなしの愚か者になってない? しかもガンダルフ…。殴るわ蹴るわ殺すわ…(あれ、ガンダルフが手を下してるよね?)。いいのかそれで。彼に忠誠を捧げるピピンがちょっと可哀想だったよ。2人の間に正の感情を感じられないんだもの。ピピンといえば、彼は活躍したね! 嬉しい。原作のメリピピはどちらも好きなんだけど、映画ではピピン贔屓なのです、私。んで彼がつけた烽火、良かった〜! あれが次々と点火されるシーン、頭のどっかでは「そんな場所に人間が常駐してんのかよ」とツッコミが入っているんだけど、無条件にじーんときてしまいました。
無条件に涙腺刺激されるシーンには「籠城戦の決まった城に友軍が次々と入ってくる」ってのもあるんだけど、これは残念。なかったです。ヘルム峡谷でやっちゃったからかな? それだけじゃなく、ミナス・ティリス、あまりにも無防備の感がありました。あまりに簡単に壊れちゃうし、街の外観や雰囲気が私のイメージに近いだけに、「もっとガンバってくれよー、そう簡単に壊れないでくれよー」と思っちゃった。そしてミナス・ティリスの烽火に答えたローハン。これも良かった〜。実はセオデン王も『二つの塔』SEEを観て評価が変わっちゃった人なのです。いや今でもあの変身シーンは笑っちゃうんだけど、でも今ではイメージが違いすぎるとは思わない。彼が「ローハンは(烽火に)答えよう」と言ったトコでまたじーんときました。なんでその気になったのか今イチわからないけど、いいやもう。答えてくれれば。
今イチわからないのはアラゴルンの心境の変化も。彼が王として立つ決意をしたのは、アルウェンが死にかけているっていうエルロンドの言葉でなんですかね? 鍛えなおされたナルシルを手に取ったときにはもう決意をしていたんだろうけど、それがちょっと分かりづらいので、なんか流されてるだけっぽかったなー。ヘタレアラゴルンも好きだから、これまた別にイイけど。ところで彼は身ぎれいにしてるより、汚くしてる方が色っぽいよね。王の風格に今ひとつ足りないのは、やっぱヘタレだから? そして彼の恋人、アルウェン。彼女も良かったんじゃないでしょうか。出てくるのが最小限で。終わった後に隣の席の客が「あのキスシーンはいらない」と文句言ってましたが、いいじゃんキスくらいさせてやれよ、と私は思いました。途中で邪魔しなけりゃいいんだもーん。(登場人物たちの心境変化とかは、どのくらいSEEで補完されるか楽しみなんだけど、アルウェンのシーンだけは今のままでイイや。)
補完して欲しいといえば、アイゼンガルド。あれで終わりじゃあまりに寂しい。サルマンが声の魔力で最後の抵抗をするトコやって、一応の決着つけて欲しいなー。あのままだとエントたちがずーっと見張ってなきゃダメで大変そうだもの。それからエオウィンとファラミアが一言でいいから言葉を交わすシーンが欲しい。映画のエオウィンは原作よりアラゴルンに焦がれていたからそう簡単に心変わりはできないだろうけど、何となくの可能性を感じるシーンがあると嬉しいなあ。劇場版の眼差しを交わすシーンだけでも、まあ、わかるけど。(原作ファンには)。
ところでローハンの兵力配備っていったいどうなってるんですかね、PJ監督の中では? 自分の国を守る戦いよりもゴンドールを助けに行くときの方が、明らかに人数多いと思うんだけど。まあ馬鍬谷から先はロヒアリムだけじゃなくて、近隣からの合流組もいるんだと思って納得するとしても、エドラスを出陣する段階でかーなり増えてるなぁい? ロヒアリムたちがカッコいいから気にしないけど(←そんなんばっかね、今回)。あと黒門での戦いに赴く人たち、いくら何でも少なすぎやしない? ペレンノール野の戦いでそんなに減ってしまったのかしら(←これまた別にいいけど)。
あとね、今回は敵にカッコいい人がいないのが寂しかった! って今まではいたのかって感じだけど、いたのです。まず声と指のステキなサルマンでしょ。それから蛇の舌ね。ナズグルたちも馬に乗ってるときが一番カッコよかった。そして忘れちゃいけないのが、ウルク=ハイ。ええ、実は好きでした。ボロミアを殺したんだもの、敵として立っててくれなきゃ困ります。彼らの戦の指揮の仕方とか立ち姿とか、好みなの。今までもこっそりそう思ってたんだけど、『二つの塔』SEEでぐーんと評価が上がってしまったので、公言します。カッコいいよ、ウルク=ハイ。だから今回、アイゼンガルド軍が参加してくれなくて寂しかったよ…。敵と言えば、死者の道、やったね!(敵じゃないけど)。私あのエピソードはカットされると思ってた。死者たちはホーンテッドマンションみたいで、彼らがペレンノール野を飲み込む様は笑っちゃったけど。たしか原作ではもっと下流で海賊をやっつけて解放されるんだよね? それであの船には生身の友軍が乗っているんだったよね、たしか。ちょっとビックリしたよ。
おっと主役の話を忘れるトコだった。フロドも今回がんばったなあ。今までより、彼自身の強さを感じた。だからこそ余計に痛々しかったわ。最後の方なんて、第一部の慌てて旅立ったときの彼の姿が頭に浮かんじゃって、それからの長い長い旅が思い起こされちゃって、ツラかった〜。全てが終わったあと、原作よりも若い分立ち直る力がありそうで、回復してくれないかと願っていたけど、やっぱ旅立ってしまうのね…。切ない。切なかったんだけど…エンディングロールにボロミアが現れたとき、黄色い悲鳴をあげたくなったのは私です。ゴメンなさい。でも嬉しかったんだよう。
えーっと、こんなトコかな。ホント勢いで書いちゃった。褒めてないように見える? でも満足してるんですよー。これから2回3回と観るとまたツッコミたくなるだろーけど、それも愛ゆえ。つまんなかったら何度も観になんか行かない。ホント、この映画がリアルタイムで楽しめる時期に生まれてよかった。また原作読み返したくなっちゃって……でも今度は英語版に挑戦したいとか無謀な野望を抱いていたり。まず手に入れなきゃだから、いつになるかわからないけどねー。