2017.1.3(Tue)

ぷっつり更新とまってましたが、明けましておめでとうございます。私は元気です。

やー、去年の4月に全く馴染みのない場所に配属になって、春は暇だったのですけど夏から徐々に忙しくなり、秋から冬にかけては怒涛の仕事に翻弄されてました。それでも土日の休みには山に行ったり海に行ったり田舎に行ったりできていたのが、11月初旬に同居していた祖母が倒れたコトでぷっつり途絶えてしまいます。

祖母は親族ながらまさに“スーパーおばあちゃん”と呼びたくなる人で、とにかく元気でした。同居していても手助けしていたのはホンのちょっとだけで、自分周りのコトはほとんど自分でやっていた。お互いもう少し若いときはぶつかるコトもあったけど、最近は仲良くやっていたと思います。一緒に親族を訪ねたり、外食したり。ただ、私が忙しくなってからは日々のコミュニケーションは不足ぎみで、祖母は内心ちょっと寂しい想いをしてたと思います。それを感じながらも余裕がなくて、1日少しの時間を割いてあげられなかった。

祖母は「ぴんぴんころり」を目標にしていました。そのためにすごく努力をしていて、その点では文句なしに尊敬してた。実際に元気だったし頭もしっかりしていたし、私を含めた親族の誰もが、祖母は目標を全うすると信じてました。年齢的にはいつ亡くなってもおかしくない年齢だから、朝起きてこなくて確かめてみたら大往生していた、というようなシーンは想定してました。それならば、もちろん悲しい想いはするけれど、時間が経てば「最後まで元気で希望通りの逝き方だったね〜」と受け入れられたと思う。けど体が不自由になって人の手を借りねば生活できなくなって、会話もあまり成り立たなくなってしまった。この状態を受け入れるには時間がかかりました。

当初はせっせと病院に通いながらも、変わってしまった祖母の状態を見るのがつらく、自責の念もあってかなり落ち込んだけど、やっと「起きてしまったコトは仕方ない」と諦められるようになりました。ホントにね、今こうゆう風にできるなら、元気なときにもっと一緒の時間を過ごせば良かった。月並みな台詞だけど人間て、てか私て、ホントばか。何度繰り返しても、無くしてからしか大事さには気づけない。それが一番、悔しい。

んでもね。これからが長丁場。自分の時間も少しずつ取り戻しながら、新しい生活パターンを作っていきたいと思います。だから今年の目標は「ぼちぼち」(仕事もぼちぼち、ならいいけどな〜。残念ながら怒涛状態はしばらく続きそうです)。遊びもちょっとずつ再開させます。今年もよろしくお願いします。

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