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2003.5.29

………とうとう、□×に器材についての問い合わせをしてしまった(話の流れが分からない方はお先にコチラをどうぞ)。「まだ買うとは決めてないんですけど! 決めてないんですけど!」と虚しく抵抗を繰り返す私に、敵は「まだ外部には発表していないので秘密にしておいて欲しいんですけど…」と、取っておきの情報を繰り出してきた。頭では「こんな手に乗っちゃダメ!」と思っているのに、つい話に引き込まれてしまう私。…えーっと、どうやら6月中旬に買うととてもお得らしいです。

さて。クレイジーソルトを買いに、通勤経路途中にあるKALDIに行った。商品は近所のスーパーにもあるのだが、KALDIの方が通路が狭くて調味料の棚に迫力があって好きなのだ。天井まである棚に隙間なく並べられた調味料の小瓶を眺めているだけでシアワセになれるので(←ホントは自宅でやりたいが、そんなスペースはなく、せめて外で眺めて楽しむのだ)。昨日も色とりどりの香辛料の小瓶や、可愛らしいぼてっとした瓶に入った高級オリーブオイルやバルサミコ酢や、壺に詰まったマスタード、ベーコンチップ、世界各国の塩、etc.etc.…に囲まれているうちに、うっとりしてしまい、つい買う予定もなかったオーストリアの岩塩にも手を伸ばしてしまった。

小さな品物がぎーっしり詰まった雑然とした店って、なんでこんなに心を躍らせるんだろう(あ、KALDIは雑然とはしてないけど)。思えばフィクションの中でもそうだった。ファンタジーなら魔法使いや魔女たちの、得体の知れない薬の瓶や魔術の小道具や、天井から吊り下げられた薬草ぎっしりの薄暗い作業部屋の描写に心奪われ、児童文学なら迷い込んだ骨董屋の、うっすら埃をかぶった古い品々の描写にときめいた。一見とっつきにくそうな老店主が秘密めいた目配せか、或いは謎めいた言葉とともに、雑多な品々の山の奥から取り出してくれる秘密の品物に夢中だった。……今の私が、KALDIのような店で感じているワクワク感って、それと同じ種類なんじゃなかろーか。

あり? 要は子供の頃から成長してないってコトですか。そうですか。まあイイや。

2003.5.28

高校生時代に戻って、苛められている夢をみた。でも今実際に仲良くしている友人が、夢の中に同級生として出演して味方してくれたせいか、あまり凹んではいず、最後は机をぶつけあってケンカして(青春?)、輪にした机を取り囲むように輪になって、片手をひらひらさせながら歌って踊って、未来への希望が見えたトコロで目が覚めた。暗いんだか明るいんだか分からない夢だ。

週末、またもや某イベントのために友人が泊まりに来るので、食料の買出しをした。近所のスーパーの閉店時間が9時か10時か思い出せず、8時半に会社を出たら10時までだった。ちっ、あと1時間は残業できたのに。今回やってくるのは2人で、しかも金〜日の3泊。となると、それなりの食料(と酒)が必要だ。だいたいの献立を決めて、必要なモノをぽんぽんとカゴに放り込んでいったら、ジャミジャミ袋3つ分にもなった。酒は入っていないのにー。ひーひー言いながら部屋に帰って、何とか冷蔵庫に食料を詰め込む。うーん、これが3日で無くなるんだから、大したもんだよなぁ。

自宅に人が来るのは大歓迎だ。楽しいのはもちろん、散らかってた部屋が片付くし、自分だけだとつい手抜きしちゃいがちな食事もまともになる。まあ今回は2週間前にも客が来たばかりなので、さすがにそんなに散らかってはいない。楽に用意ができそう。しかし人の目がないと自分を律せないって、情けないよなぁと、ちょっぴり反省(ちょっぴりかよ!)。よくTVでやってる“片付けられない女たち”ほどヒドクはないけれど、彼女たちの多くが結婚したり子供を産んだりすることによって、まともに片付けられるようになる…ってのが分かる気がする辺り、ヤバいかも。

2003.5.27

『CHICAGO』を観に行ってきた。『The Lord of the Rings』を観に映画館に通っていたとき(そう言えば結局、今回も吹替え版を映画館で観られなかったなぁ…)、ばりばり予告編を流していて、それがカッコよくてぜひ観ようと思っていたのだ。でも実はそのとき(どうせなら生で観たいよな)と、『CHICAGO』の来日公演のチケットを取った。映画版『CHICAGO』が公開されたらすぐに観に行って予習して、6月頭に舞台を観に行くという完璧な計画だったのだ。

が、日々の忙しさのせいで、舞台のチケットが届いた先週末まで、映画のコトをすっかり忘れていて、慌てて会社帰りに映画館に飛んでいく羽目になった。平日の最終回の映画館はがらがらに空いていて落ち着けるから、別にイイんだけど。しかもレイトショー割引で安いし。……と、そんな話はどうでもよくて、『CHICAGO』だ『CHICAGO』。期待してたのとは違ったけど、楽しめた。ただ私定義でいうと、あれはミュージカルじゃなくて、ショーですな。

ミュージカルを楽しめる人と楽しめない人って、けっこうハッキリ分かれる。おまけに「歌えばミュージカルでしょ?」と言わんばかりの、駄ミュージカルはこの世に溢れている。だからミュージカルの魅力を伝えるのは難しいのだけど、よくできたミュージカルほどストレートに心に響く芝居はないと思うのだ。音楽と歌とダンスで観客の心を鷲掴みにし、感情を巻き取り、巻き上げ、高く舞い上がらせる。それがミュージカルだ。だから観客の心を掴むのに失敗する駄ミュージカルでは、「何でそこで歌い始めるのよ、うぷぷ」となってしまう。観客を冷静にさせちゃダメなのだ。

おっと、つい興奮してしまった。『CHICAGO』の話だ。始まってからしばらくの間、「うーん、歌もダンスもカッコいいんだけど、何かノれないなー。何でだろ」と頭のどこかが冷静に考えていたんだけど、「そっか、これはショーなんだ」と思いついてからは楽しめた。感情を巻き取られたりしない。ただカッコいいショーを観客席から見ているだけ。傍観しているだけ。それでも歌やダンスは楽しく、2時間という時間を感じさせない出来だったと思う。終わってからも音楽が頭に残って、妙に姿勢よく、リズミカルに歩いたりしちゃう。

レニー・ゼルウィガーも良かった。事前に見かけた感想では、キャサリン・ゼタ=ジョーンズばかりが褒められていたので全然期待してなかったから、その分ポイント高し。最初のショーにはゼタ=ジョーンズの分かりやすい迫力がいいけど、最後のショーの小気味いい動きはゼルウィガーに軍配。彼女のジャズ・ウォークなんかめちゃくちゃキレイよ? それに私、彼女の媚びの売り方が好きだなあ。頭悪そうで、そのくせしたたかでしぶとくて可愛くて。『ブリジット・ジョーンズの日記』のときの媚びは全然魅力的じゃなかったから、作品に合っているのかな。

さて。チラシには「生身の肉体だけが生み出せる迫真のパフォーマンス!」とか書いてあるが、その生の迫力を実感できるのは舞台だけだ、と私は信じているので、6月に行く来日公演が楽しみ。映画は“よく出来たショー”だったけど、舞台はどうだろうなー。期待が高まってまいりました。

2003.5.26

掃除を済ませ、図書館に出かけた土曜日の午前中。あとちょっとでむあっとしそうな空気の中で、薄曇の空を見上げていると、無性に海に…つかダイビングに行きたくなった。(でも今からじゃムリだしなー。明日は用事があるしなー。せめて気分を高めたいなー)。そう思うと矢も盾もたまらなくなって、ダイビング仲間に電話をかける。「今何してる? これから出られる? □×(ダイビング器材専門店)行かない?」という突然の誘いに、しかも「別に買いたいものは無いんだけど、雰囲気だけでも感じたくて」というワケの分からない誘いに、二つ返事で飛びついてくれる友達。あんたも好きねぇ。

その後もう1人を捕まえて、3人で連れだって□×に。□×は安いし、店員さんたちは揃って感じのいい人ばかりなのが気に入って、すっかり常連客になっている。ゆっくり買物をしたいときに店員に声をかけられるほどウザいコトはないが、ここの店員さんたちは本人がダイビングを楽しんでいるからお喋りが楽しいし、適切なアドバイスもくれる。ムリヤリ買わせようともしない…というより、店にいるとつい興奮してしまって、あれもこれも欲しくなっちゃう私たちに「それはもう少し慣れて、自分のスタイルがわかってからの方がいいですよ〜」とストップをかけてくれるくらいである。

土曜日も「カメラ始めるなら、ダイバーズ保険に入った方がいいですよ。私もこの前カメラ水没させちゃって…」という店員さんの話で盛り上がり、ついでに水中ハウジング用ホルダーを買って、「ちょっと他のも見てきますねー」といつものように店内をぶらつき始めた。誓って言うが、このときはそれで帰るつもりだったのである。新しいグッズを見て、雑誌や魚図鑑を立ち読みして、高い器材にため息をついて「いつか手に入れたいねぇ」と夢を見て、満足して帰るつもりだったのだ。しかし予定は崩れた。いや何も買いはしなかったのだが、満足して帰るコトは、できなくなった。

ダイビングはお金がかかる。ガイドを使わなけりゃそれほどじゃないかも知れないが、私たちはガイド付きのダイビングしかしない(怖いから)。だから基本料金だけでそれなりにお金が飛ぶ。更に器材のレンタル料がいる。必要器材を全部借りたら、毎回毎回ばかみたいにレンタル料を払わなきゃいけない。そこで私たちは、比較的楽に揃えられる軽器材だけは購入した。マスク、シュノーケル、フィン、グローブ、ブーツ、それにウェットスーツ。ウェットだけは2〜3万するが、あとは安く買えるものばかりだ。が、この先の、重器材といわれるものを買おうとすると、目玉が飛び出すコトになる。レギュが5〜10万、BCDが7〜12万である。とても買えない。

だから私たちがBCDの棚の前にいたのは、ホントにただの冷やかしだった。ショップで貸してくれる色あせたBCDと比べて、「カッコいいよね〜、使いやすそうだよねえ〜」と羨望のため息をついていただけなのである。しかしそこにヤツがやってきた。新入りらしく、見た覚えのない顔のお兄ちゃんが、にこやかに「何かお探しですか?」と声をかけてきたのだ。買う気の全くなかった私は「いえ、見てるだけ。気分を高めているだけですから!」ときっぱり言った。ただ、そのとき私らはセットの値段表を見て「REG(レギュレータ)とBCD(そのままBCD)とOCT(オクトパス)はわかるけど、GAUって何だろう?」と話している最中だったのだ。だからつい「GAUって何ですか?」と聞いてしまったのだった。

GAUがゲージだという答えから、なぜか話がハズんでしまった。気がつくと「今、ウチの目玉は重器材4点セットの49,800円なんですけど、女性の場合、このセットだと云々」という説明を、熱心に聞いている私らがいた。それまで私は安いセットでも10万以上はすると思っていた。しかもオクトパスとゲージがついているとは思っていなかった。お兄ちゃんの「僕のオススメはこれですね。いや個人的な好みかもしれないけど、このメーカーはイイですよ!」って感じの、いやらしくないセールストークも上手かった。「どうしても女性向けのは高めになっちゃうんですけど、年に10〜20本くらいだったら、こっちでも充分ですよ」とススメられたセットは88,000円で、しかもBCDが私好みだった…。

買えとは一度も言われなかった。が、店を去って10分後、喫茶店に腰を落ち着けた私たちの頭の中では88,000円という値段がぐるぐるしていた。「88,000円かあ…」「あのセット、定価は253,000円だったよ…」」「10年は使えるって言ってたよね…」「てコトは年間1万以下…」「メンテナンスがあるとしても、ずっとレンタル品使うより安いんじゃないの…?」「長い目で見ればね…」「毎回慣れないレンタル器材使うより、使い慣れたギア使う方が楽だろうしね…」「お金ないけど…」「ないけど、ムリすれば出せないワケでもないんだよね…」「貯金切り崩せばイイんだもんね…」「買うならシーズン前の今だよね…」「今シーズンのレンタル料払うのバカみたいだもんね…」「私、誰かが買うって決めたら買うよ…」。…いやああああああっ。

さてどうなる? 月曜になっても忘れられないんだけど。1ヵ月後には買ってるような気がするんだけど。ダイジョブなのか持ちこたえてくれるのかmy家計。

2003.5.25

注)今日の2冊は、どちらも虫の居所のならのさんの感想(「本食う虫も好き好き」で読めます)を読んで興味をひかれたものなので、ちゃんとした感想が読みたい方は、ならのさんの文章でどうぞ。(と、他人の褌で相撲を取ってみる。ならのさん、すみません)。

荒俣宏さんの『新編・帯をとくフクスケ 複製・偽物図像解読術』読了。いやー面白かった。図像(絵葉書、ポスター、挿絵、もちろん絵画も)から、誰が描いたものであるとか、オリジナルであるとか、幾らで売れるとか、そうゆう価値観を全て取り去って、ただの“図像”として読み解こう(何が描かれているのか、それは何を意味しているのか、など)というもの。

とか言うと小難しそうでしょ? ところがどっこい、文章は読みやすいし図像は楽しいし解釈は面白いし、一気に読めてしまう。取り上げられている図像の中で唯一手元にあった一万円札なんか、こんなにしげしげと眺めたコトがないってくらい眺めちゃったよ。なぜ南の島へ誘う観光ポスターでは、金髪色白の美女ではなく熱帯美女が微笑んでいるのか、エロティシズムを生じさせるポーズとは何か、海中或いは水中を図像でどう表すか、東洋の額縁と西洋の額縁はどう違うのか、フクスケはなぜ子供なのか…。ね? 面白そうでしょう? ただ、ならのさんも書かれているとおり、本文にあるディテールを文庫本の図版で確認しづらいのは残念。原版はカラーなのにモノクロだったりね。

続いて斎藤澪奈子さんの『超一流主義』も読了。こっちの場合、ならのさんの感想でわきあがったのは“負の興味”。序文の部分は「人にはそれぞれ美点がある。それを見つけてあげて愛してあげてステキな女性になりましょう」ってな感じでけっこうマトモなので、「あー、これはハズレかな」と一瞬思った。マトモな啓蒙本にはあまり興味がないので。しかし本文に入ったら……うひー、もう涙なしじゃ読めないよー。どんどんどんどんおかしくなっていって、30ページを過ぎる頃には腹の奥からフツフツと笑いが湧き上がってきて、会社の昼休みに読んでいたから声を堪えるのに苦労した。

「ふちが欠けたコップでも平気で冷や酒などがあおれる人は、サブ・ヒューマン級のロウワーな人と断言します。」(第一章・アッパーの論理より)

なんて文章が満載で、もう堪らない〜。強調部分も原文のママね。日本人に読ませる本のクセに文章にやたら英語(カタカナ表記)を使うのって、私には品がな……じゃなくて、ロウワーな感性に映るのだけれど、それは私がアッパーな感性を理解し得ない、メガトン・ロウワーなんだからなんでしょうね。ああ、アッパーとロウワーって口癖になっちゃいそう〜。煙草の煙をくゆらせながら「私ってアッパーだからさーぁ」とか「それはちょっとロウワーな感性なんじゃなーい?」とか言ってみてえー。吸わないけど! あと第二章に入る頃には飽きてくるんだけど、ホンキで飽きる前に読み終えられる長さなのもまたヨシよ。

2003.5.23

最近、妹がときどき『flowers』というマンガ雑誌を買ってくるようになったので、おこぼれに預かっている。マンガ雑誌を買わなくなってから長いので全然知らなかったが、これ、けっこう好きだった『プチフラワー』の後継誌だそうで、『プチフラワー』から続けて描いているマンガ家さんも、何人かいる。中でも西炯子さんの『お手々つないで』がなかなか面白くて、嬉しい。

閑話。赤石路代さんも描いてるんだが、彼女って変わらねぇなー。名前を聞いて即座に「ああ、アルペンローゼね」と出てくるから昔は読んでたハズなんだけど(当時も好きではなかった)、それがどんな話だったかサッパリ覚えてないよ。登場人物が男だか女だか分からないし! ある登場人物なんか一回の掲載分で男と女の両方にキスされてたけど、本人の性別はどっちなのさ。内容はどうやら、現代の人間が島原の乱の時代に…ってタイムスリップものらしい。そうゆう話の場合、現代人が過去の人間では知りえない事実や知識、或いは道具を使って活躍するってのはパターンだし、別にイヤでもないんだが、いくらなんでも携帯電話ってのはどうよ? 電波はどこを経由してんの? さすがにちょっと驚いちゃったじゃないの。

閑話休題。西炯子さん。彼女は最初の単行本が出た頃から好きだった。『天使にならなきゃ』、『僕は鳥になりたい』、『水が氷になるとき』……。彼女の描く、流れに上手くのれない孤独な人間たちと、爛れる一瞬手前で踏みとどまっているような、危うい熱を孕んだ空気が好きだった。特に嶽野というキャラクターが出てくる幾つかの短編は、印象に残る出来だった。出る単行本は欠かさず買っていた。が、西さんが『三番町萩原屋の美人』の連載の、回を重ねたいつの頃からか、彼女の作品世界に浸りきれなくなってしまった。残念だった。

それなのにびっくり。面白いじゃないですか、『お手々つないで』。主役カップル(とはまだ言えない関係)の彼女の方の、片田舎の女子高で演劇やってて…という境遇は見に覚えがあるから、個人的な思い入れは入っている。それに西さんの描く学校生活はどこか懐かしい感じがして、共感しやすいのだとも思う。けど、それだけじゃない。2人の出会いのエピソードが入っている『STAY−ああ今年の夏も何もなかったわ』を読んで思ったのだけど、この作品には“西炯子らしさ”の、私が好きだった匂いを感じるのだ。昔の作品とはまた雰囲気が違うのに。

そう。昔の作品とは違う。『STAY〜』は女子高の演劇部の、部員それぞれを主人公にした短編集なのだけど、彼女たちはとてもまっすぐだ。ヒネてない。気恥ずかしくなるくらい、ストレートな台詞を吐くときもある。危ういのは危ういのだけれど、それは主に年齢によるものだ。だから、それぞれの孤独も閉塞感も、乗り越えて成長していくだろうなぁ、と思える。追い詰められて、破滅衝動に駆られてしまうような結末は予想しえない。西さんが昔描いていた人間たちより、今描いている人間たちの方が、少し強い感じがするのだ。それが妙に嬉しい。

一度「違う方向に行っちゃったなー」と思ってしまったマンガ家さんの作品を、また楽しめるようになるって滅多にないから、それも嬉しい。まあ、『お手々つないで』はまだこの先どう転ぶか分からないけれど(主人公の彼女は演劇部のなかで一番クセのある女の子なので)、先を楽しみにできるだけで今は満足だ。やっほーい!

2003.5.22

たまった分を箇条書きでさらっと。

■文句を言ったら第7話だか8話だかにリディアがどっちゃり出てきた。言ってみるもんだわね。でもやっぱジェリーがいないのは寂しいよ。

■値段に目を奪われて「ランカウイ島5日、29,800円だって!」と言ったら、一緒にいた友達に「今はやめときなさい」と怒られた。いや私も本気で行く気はないけれど、つい……。しかし旅行業界も次から次にいろいろあって大変だなあ。

■仕事はだいぶ落ち着いた。来週再来週は月末月初でどっちゃり仕事が回ってくるとは思うけど、事態を自分で把握し始めたので何とかなるだろう。先月末〜今月初めみたいに、人のいい加減な指示に振り回されないだけで、かなり楽になるハズだ。きっと。

■残業続きで家でも疲れてて(主に精神的に)、何もしないうちに週日が過ぎてゆく。お会いできるハズだった人との約束は直前キャンセルするわ(ホントにごめんなさい)、メールの返事は書かないわ、日課だったサイト巡りさえしない始末。昨日あたりから少しずつ読み始めたんだけど……ちょっと行かなかった間に引越ししちゃったトコロがある〜。ショック。

■現実逃避願望が高まって「沖縄3泊4日、ダイビング4本つき。7万円」のツアーに、こっちはかなり本気で惹かれていた。「オプションでもう1本つけても全部で10万ぐらいで済むと思うんだよね。それに6月20までに行けばレンタル器材無料だって!」とダイビング仲間にプッシュしたが、「でもシーズン初めだし。やっぱ近場で慣れてから行った方がリラックスできるじゃない? せっかくの沖縄なんだしさ」と冷静に諭されてしまった。確かにシーズン初めは緊張するから近場の方がイイんだけど。しかし10万で済むって、10万をどこから出すつもりだったのか>私。

こんな感じ。自分の時間が取れないのには我慢がならないので、少しずつ取り返してゆくつもりだ。沖縄の代わりに、近いうち近場で潜ろうとの言質も取ったし、他にも楽しみにできる予定をいれよう。鼻先にぶら下げる人参は積極的に見つけないといかんぜよね。

2003.5.20

そういや、会社の話を友達にしたら「それは絶対前任者に嫌われていて、わざとイジワルされてるよ」と断言されてしまったんだった。私は人の無意識の悪意にはけっこう敏感だと思うので(自意識が強いから。やだやだ。悲しいコトに好意には鈍感なのに)、「でも全然そんな雰囲気感じないんだよ。最初はそう思ったけど、被害妄想だと思い直したんだもん。よっぽど演技が上手くなきゃ…」と抗弁しかけたら、それを遮って「上手いんだよ、演技が」ときっぱり言い切られてしまったのだ。ええええー。私、何かしたかなあ。身に覚えはないのだが、絶対何もやってないとも言い切れない微妙な態度は示したかも。

さて。TSUTAYAで500円のクーポン券をもらったのをきっかけに、細々と『ER VII』を見始めた。VIのエピソードを忘れちゃったのかもしれないが………受付のジェリーって、いつから居なくなっちゃってたっけ? VIIの第6話まで見たけれど、全然出てこない。しかも後任の受付がいやーんなタイプでショックだ。軽薄なところがあっていい加減だけど、お祭り好きで親しみやすいジェリーが好きだったのに。それにリディア! 彼女も一回チラッと映っただけで、ほとんど出てこない。私好みの彼女の顔と、ヘレエとの会話がないと物足りないじゃないか。主要キャストは自然にフェードアウトしたりせず、それなりの物語を経て去っていくから、見てるこっちも覚悟ができるけど、脇役陣はひっそり居なくなってしまって寂しい。主要キャストに負けず劣らずERの雰囲気作りに貢献してるのに。

あと、季節ごとのパーティーが無くなってしまったのは、やっぱキツいなあ。それだけでホッとできる、貴重な時間だったのに。今でも、個人レベルのエピソードでは、ほんわかさせてくれるシーンが僅かながら残っているけど、全体で「さあ楽しもう!」ってのは無くなってしまった。きっつい仕事場で真剣勝負で闘ってて意見の対立や気持ちのズレがあっても、クリスマスやハロウィーンやバレンタインやバースデーのパーティーがあることで、救われてた人間関係があったと思う。それが無いとホントにぎすぎすした職場になっちゃうよ。ただでさえERには自虐的な人が多いんだから。

……なーんて文句を言いつつも、この先のしんどいエピソードを恐れながらも(彼はVII−第6話現在とってもシアワセそうなので余計に)、見続けてはしまうんだけど。

2003.5.19

土曜日は友達がやってくるので、久しぶりにきちんと部屋を片付けた。なかなか手をつけないのに、一度始めたら止まらなくなって、今まで捨てられなかったものをごっそり捨てたり、しまい場所に困って置きっぱなしになっていたものを片付けたり。時間はかかったけど、ほんのちょっとだけ部屋が広くなった気がする。この状態がキープできれば…と毎回思うのだが。その後、夜のための食材と酒の買出しをし、次に親戚の家に飛んで行って用事を済ませ、最後に友達がやってる某イベントの会場に行って、彼女の体が空くのを待って一緒に家に帰る。この時点で夜の11時。

今回は、都外在住の友人が東京での某イベントに出席するための宿提供だったので、あまり夜更かしさせちゃいけない、お酒もほどほどにしておこう、と思っていた。なのに会話に飢えていたのは私だけじゃなかったらしく、彼女の話が止まらない止まらない。「そろそろお風呂に入った方がいいんじゃない?」「まだ飲んで平気? 明日もあるのに…」と話の合間に食い止めようとしたが、話の勢いも飲むペースも落ちず、結局いつもの遊びのときのように喋り倒してしまった。まあ私の方も積極的に止めようとはしなかったんだけど…(おかげでずいぶん気が晴れた)。

日曜はまた別の友人と出かけ、さんざん喋って飲んで帰る。あまり大したコトはしなかったけど、ちゃーんと話の通じる人とたっぷり話せて満足。体は疲れてるけど、気力で一週間はもつだろう。せめて週末にこうゆう時間を持たなくっちゃ、やってらんねぇやね。

2003.5.16

あいーん。今度はじんましんが出てしまった。子供の頃は持病と言ってもいいくらい頻繁にかかった病気だけど、成人してからはよっぽど疲れてるときしか出ないのに。今回も何年も出してなかったのに。症状はごくごく軽く数時間でおさまったけど、一度出たあとは身体が過敏になっているから、ちょっとした刺激で再発してしまう。しばらく卵は食べられないじゃないのよー(←普段は食べられるし好きだけど、じんましんのときは厳禁な食品)。泣きっ面に蜂っての? それとも踏んだり蹴ったり?

2003.5.15

二、三日前に田舎から筍と独活と生しいたけ、それにシドキの味噌漬が届いた。う〜れしい〜。糠がなかったので、大きな鍋に米のとぎ汁と赤唐辛子を入れて、皮のまま筍をぐつぐつ煮る。独活は皮を剥いて酢を入れた水に漬ける。こゆ下準備は面倒だけど、筍も山菜もやっぱり旬の時期に一度は食べておきたいではないか。筍は立派なのを2本もらったので、まずはガンモドキと一緒に煮物にしたが、まだ半分以上残っている。あとは筍ご飯に使う分と…あ、柔らかい先っぽはシンプルに塩をふって軽く焼いて食すってのはどうだ。土曜に友達が泊まりに来るから、筍づくしでご馳走しようかしら。

独活は酢味噌和えにする。うまー。ちょびっとだけだったので、あっという間になくなってしまった。生しいたけはちょっと育ちすぎ? 出たばかりの頃にもらったのと比べると、今回の方が少し固い。でも味は文句なしだ。ウチのしいたけがマズいハズない(←自慢)。そしてシドキの味噌漬! うま! 美味いよママン! さっと味噌を洗い流して白いご飯にのっけて食べると、ご飯がすすむ。すすみ過ぎる。今度作り方を教えてもらおうっと。

田舎で暮らした8年間の生活のおかげで、私の「季節のものを季節のうちに」信仰は根強い。もちろん田舎でも冬季は野菜を買っていたんだけど、夏場は食べる野菜が畑にたっぷりあった。畑にあるものを食べるのだから、自然、季節のものを食べることになる。だから東京に出て自活を始めた頃は、季節はずれの野菜が買えなくて困った。自分ルールを無意識に作ってしまうのだ。茄子やトマトは夏のモノだから6月までは買っちゃダメ、とか。今はそこまでキビしくないが、季節はずれの野菜を買うときには、実はまだちょっぴり罪悪感を感じていたりする。反対に旬のモノを食べるのは嬉しい。田舎で暮らした年月よりも、東京で暮らしてる年月の方がずっと長いのに、不思議だわ。

今はいい。田舎から季節ごとに荷物が届く。でもそれがなくなったら…。何となく、こゆ感覚はなくしたくないと思うので、やっぱ自分で季節のものを育てられるトコロに住まなくちゃね。

2003.5.12

煮詰まっているぞおおおおっ。毎日残業で自分の時間が取れなくて、週末になっても疲れが取れず、ぼーっと無為に過ごして自己嫌悪。今日もまた一つ前任者のミス(100万以上の損失ですぜダンナ! しかもミスを知ってて放っておいたんですぜヤツは!)を発見して、その後始末をしてるうちに定時が過ぎた。8時をまわった頃パソの具合がおかしくなったので、「もう帰れと言ってるのね? わかった帰るわ」と席を立つ。最後にデータ保存したのが何時だったか覚えてないんですけどね。あはは!

毎日午前様まで仕事してる人から見たら、甘々でしょうがねー。でもキツい。仕事に生きる人間じゃないなあと、つくづく思う。一人で生きられる人間じゃないなあ、とも。仕事帰りや週末にちゃんと遊んでるときは、一人の時間も苦にならないのに、会社の人以外と話さない日が10日近く続いただけで、悲鳴をあげたくなる。てか実際SOSを発信。三十路の慎みも何も捨てて「寂しくて死んじゃうよー。遊びに来てよー」と友達にメール。今週末は人に逢う約束がある。メールを送った友人も泊まりに来てくれるかも。それまで耐えるぜ! おう!

こーんな泣き言ばっか書くのイヤだし、文章をまとめる時間も思うように取れません。だからしばらく更新ペースが落ちると思います。元気になったらまたヨロシク。

2003.5.9

今日は心穏やかな日記を書こうと思ってたのに…。匙を投げた、と書いたばかりの前任者が嘘ばかり教えるので、さすがに投げた匙を拾って叩きつけたくなった。「Aでやれば大丈夫ですから」と言うからAでやったのに、上手くいかなくて再度確認したら「Aでやっちゃったんですか!」ってどーゆーコトよ。むっかー。気晴らしに外にお使いに行こうかと思ったら、今度は別の人が「自宅が近くですから」とお使いを横取りし、嬉々として帰っていった。いいねぇ、直帰できてさー。(←ひがみ)

今日は涼しくて風が気持ちよかったが(だからお使いに行きたかったのに!)、最近急に暑くなった。暖かいを通り越して、暑い。となると海だ。いやまだ早いのだけど、実際に海水が暖かく感じるようになるのは夏も終わりかけてからなんだけど、それはわかってるんだけど………潜りたいんだよおおおっ! 海に入りたい。海の中から空が見たい。デジカメデビューを果たしたい。いっそ南の島に行きたい、と、最近何度か発作に襲われていた。そしたらダイビング仲間からメールが届いた。「GWに潜ってきちゃった♪」 ……この裏切り者が〜〜〜。(←ひがみ×10倍)

ただ今20時で残業中です。まだまだ帰れそうにないです。日記なんか書いてたら余計長引くのはわかってるんだけど。書いてたらマジに悲しくなってきたんだけど。けどけど。

2003.5.7

4月から、私の担当する仕事が増えるコトになったのだけど、それに絡んでちょっと面白いコトがあった。私に新しい仕事を分担させる決定に、ある男性社員が猛反対したのである。大変だから可哀相だ、とか、そうゆう意味でではない。ずばり「To-koさんが信用できない」という理由でである。いや、もちろんそうハッキリは言わない。けど「何かあったときにTo-koさんでは対応できないかも知れない」って、そうゆう意味でしょ?

思えば彼は妙な人であった。私が何かしていると…特に、外部からの電話に応対していると、すぐに「誰から? どうゆう用?」と聞いてくるのだ。しかし、聞くだけで何もしてくれない。自分で対応できる件をわざわざ説明しなくてはいけないのは、ウザいだけである。最初は「何がしたいんだろうこの人は」と不思議だったが、最近は「多分、人が何をしてるのか把握してないと落ち着かないタイプなんだろう」って結論に達していた。達したところで「上司じゃないんだし鬱陶しいんだけどなー」って感想に変わりはないのだが。彼は私と重なる仕事もやっていて、すごく忙しそうだったから、何度か手伝いを申し出たコトもある。でもあまり回してくれなかったので、「下準備だけでも私にやらせればイイのに。人を使うのが下手な人だなー」とも思っていた。

それもこれも私を信用していなかったからだとは! 事あるごとに「To-koさんは頼りになる」と言ってた人だっただけに(まぁあまり信用してなかったけど)、びっくりである。でもすとん、と腑に落ちた。なるほど。それでああゆう態度だったワケかぁ。更に笑えるコトに「何かあったら」の「何」がなんなのか、彼は説明できないのだ。「この仕事にはこうゆう技能が必要なのに、To-koさんは持っていない」というなら、納得できる。でも違う。具体的な例は何一つ思いつけない「何か」なのだ。

このあとの「何か」に対する彼の不安がまるでコントのようで。「何が心配なんですか?」「いや具体的には思いつかないんだけど、思いつけないくらい突発的な何かがあるかも…。例えばさ、担当のTo-koさん名指しで問い合わせがあったらどうするの?」「わかるコトなら答えますし、わかんなかったら人に聞きますよ」「To-koさんだと即答できないコト聞かれるかもしれないし…」「そんなに緊急の問い合わせがあるんですか?」「いや、ないけど…。でも急に来るから怖いんじゃない!」「…5分以内に答えてくれないと人が死ぬんです!って問い合わせじゃなければ、対応できますから…」。

要するに彼の中での私の合格ラインは、限りなく限りなく低かったわけね。一応そこをクリアしていたから「頼りになる」と言ってただけで、自分の手に余るコトと余らないコトを判断し、自力で人に助けを求めるぐらいもできないと思っていたワケだ。おまけに彼は自覚してないようなのね。女であるからか、派遣社員であるからか、無意識に見くびっていると思うのに。あははー。笑える。ここまでくると腹が立つのを通り越して、笑えるよ。相手を信用していたなら傷ついたかも知れないけど、ホントどーでもいい人なのだったし、今まで不思議だったコトが腑に落ちたしで、なかなか面白い発見でした。あはは。まぁひょっとすると万が一、彼が正しいってコトもありえるしなー。求めてるレベルが低すぎるので「万が一」なんだけど。

2003.5.5

主に経済的な理由により、三連休の遠出はしないコトにした。が、晴天続きの予報が出ているのにどこにも行かないのは寂しすぎるので、友人を誘って陣馬山へ。「ハイキングに毛の生えたような山だからさー」と言いつつも、“山”と名前についているだけで「もし万が一遭難したときのために…」とチョコとかカロリーの高そうなものを用意してしまうのは、用心深いというか考えすぎというか…。

陣馬山登山中

左上:起伏のない、歩きやすい山道。お手頃コースなのでもっと混んでいるかと覚悟していたが、歩いている途中はそれほど人出を感じなかった。影信山から陣馬山にかけて、走っている人がずいぶんいてびっくり。喋りながら走って息も切らしていないんだよー。奴ら人間じゃねえ。中上:明王峠の八重桜。11時を回っていたのでおなかペコペコ。陣馬山まで昼食をガマンするか、ココで食べるかずいぶん迷う。右上:結局茶屋で買ったところてんで胃をごまかすコトに。美味しかった!

左下:陣馬山頂上到着! ココでやっと人出を実感する。中下:陣馬山の象徴、白馬の像。右下:持参のゆで卵とお握り、茶屋で買ったビール。うまー。

陣馬山山頂

快晴! 頂上は開けているので、近くの山々はくっきりハッキリ見え、爽快。ただ、残念ながら遠くはぼやけてしまっていて、富士山は見えなかった。下山途中「こんきよく歩けば 見える 富士の山」という標語(?)を見かけてウケてしまったのだけど、私らは見えなかったわよ! 根気よく歩いたのに! 頂上での昼食後は適当な木陰で昼寝。風がめちゃくちゃ気持ちよく、本気で寝そうになる。

陣馬山下山中

左から。マムシ草というらしい。次:針葉樹の並木。次:広葉樹の並木。一番右:腰掛けなさい、と誘っているかのような木。成長途中にいったい何があったのか。

陣馬山の花と相模湖

上の段:花々。春ですなー。左下:ねじねじの木が道に差しかかっているトコロ。左中:ちょっと早めに下りられたので、相模湖に寄り道。呼び込みのおばさんに誘われて手漕ぎボートを借りる。しかし普通女のコ2人に手漕ぎボート勧めるかねー、と言っていたら案の定、他の手漕ぎボートはカップルか親子(どちらも、漕いでいるのは男性)ばかり。ムキーっとなって漕いだら手の皮が剥けそうになった。私の手が! 白魚の手が! 滞りなく時間内にボートを返却して自己満足に浸る。右下:足漕ぎスワンボート(女性のみのグループに勧めるなら普通これでしょう)の変形版。サガッシーというらしいが、どうみてもパタッシー。こんなトコロで逢えるとは。

最後、高尾に出て夕食。健康的に遊んだあとなので、すーーっごく食べられそうで、調子に乗ってたくさん頼んで残してしまった。面目ない。帰りの電車では爆睡。楽しかった〜。

2003.5.2

仕事関係の問題はますますぐちゃぐちゃに。でもどうやら6月じゃ辞められそうにない。前任者に関しては、もういい。彼女の無責任さには匙を投げていて、何を言われても押し付けられても黙ってはいはいと返事をしている。私が一から整理しなおせば済むコトだ。しかしそれとは別に、派遣会社の移籍問題がややこしくなっていてウンザリする。2年ほど前にもごたごたしたのだが…と思って探してみたらココにあった。前回の話に続けて書くなら、やっぱり借金取りは口先だけの男で、今まさに他の男に売り払われんとしてる…って感じだろうか。前回と違うのは、もういっそ家を出てもイイや、と思ってるトコかな。できれば跡を濁さず発ちたいのだが、そのために不利益を蒙るつもりはない。もし1円でも時給が下がるのならムリヤリ6月で辞める。たとえ跡が濁りっぱなしになろうとも。

同じく会社に振り回されるのにウンザリしている派遣仲間がいる。彼女とは年も同じで、今の職場に入った時期も同じで、派遣に対する考え方も同じで、そして辞めようと考えているのも同じである。2人とも現場に文句はないのだが、会社のやり方に我慢ならなくなってきているのだ。更に2人とも、現場は引き止めたがっている。もういっそ、現場が直接契約で雇ってくれよ。アルバイト待遇でいいから、が私らの本音。どうせもともとボーナスも通勤手当ももらっていないのだ。有給は諦めるし健康保険も年金も自分で入る。派遣会社がガメている金額の半分を、時給に上乗せして払ってくれればイイ。現場もその分節約できるのだし、私らの人となりもスキルも信用できるかどうかも分かっているから、リスクもない。お互い得して丸く収まる…のだが、これ、会社の方針でできないのだ。ばかばかしい。だから大きな会社って頭でっかちでキライさ。ふん。

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