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2003.3.28

久しぶりに仕事の愚痴。すっかり6月で辞める気になっていたので、多少気にくわないコトがあっても受け流していたんだけど、6月の話が危うくなってきたので急に吐き出したくなった。仕事以外の諸々(仕事じゃないけど会社関係って意味で)も面倒な話ばっかりで、私としては早く辞めたいのだけど、引継ぎの様子からして、その仕事を更に他の人に引き継げるようになるまで、6月までじゃ時間が足りないかもって感じで、気が重い。ずっしりと。

普通さー、仕事を引き継ぐときってある程度まとめたものを渡すものじゃない? てかその仕事を始めたばっかりなら要領が悪いのも仕方ないけれど、もう何年もやっているんだよ? なのに「これ使いづらいんだけど…」とか「これがチェックシート表なんだけど、これに頼ったら絶対ミスするから」とかってどうゆうコト? 使いづらいなら使いやすいものを、ミスらないための工夫をしたチェックシートを作ろうとは思わなかったのかなー。今までどうやって仕事をしてたんだか。

今までも頼んだコトへのレスポンスが悪い人だったから不安な気持ちはあったのだけど、案の定だよ。何を教えるにも「これ、ほんとはやらなくちゃいけなかったんだけど、やってないんだ」って何だー。「4月から大変だと思うよ?」なんて開き直るなよう。6月に辞めるのがすごく無責任な振る舞いになっちゃう立場に追い込まれつつあるよー。ひえーん。

2003.3.27

『指輪物語』追補編を読むたびに、指輪戦争時のアラゴルンの年齢を数えてしまうTo-koさん。ついでにアラゴルンとアルウェンの年の差を数えて「2700歳差かぁ…」と呆然としてしまうTo-koさん。更にピピンに対し「子供につけるならファラミアじゃなくてボロミアにするのが筋でしょう!」と思ってしまうTo-koさん。だってファラミア生きてるし! ピピンと大して喋ってないし!(物語の中では、だけど)。ボロミアはピピンとメリーを助けようとして死んだんだし! とつい熱くなってしまうボロミア贔屓のTo-koさん。完璧、幽鬼です。

しかしエオウィンはやっぱり映画版の方が好みだなぁ。読み返してみて、私が感情移入できないのは、いきなりアラゴルンに惚れてしまうところじゃなく、ペレンノール野の合戦後、療養院での態度だったかと再確認。いや映画じゃまだそこまでやっていないから、映画版エオウィンにも感情移入できなくなっちゃうかもしれないんだけど、映画で、「恐れるのは檻です」というのを最初に持ってきたのは良かった気がする。そこでアラゴルンに「それはあなたの運命ではない」と言われたら、意識しちゃうのは当然だよね。…ああ三回目、行きたくなってきた。吹替版がどうなってるのか気になるから次は吹替、と思っているんだけど、吹替版を夜にやってるところが見つからなくて行けない。やっぱ吹替は子供のためだけのものなんだろか。

さて。記憶は新たにできたコトだし、今度はハリポタ三巻までを読み返さねば。そして友人に返却して四巻を借りねば。ああ忙しい。(←完璧現実逃避中。決算期なんかキライだよう。)

2003.3.26

『指輪物語』を再読中なのだが、改めて、映像の力は強いなーと思う。特に原作に忠実だった第一部では、そこかしこで映画のイメージが出てきてしまうくらい。映画を見る前に何度も何度も読み返していて私なりのイメージが固まっていると思っていたのに、それが簡単に映画版の映像に置き換えられてしまうのだからスゴイ。フロドはあのキレイな若いビジュアルが焼き付いてしまったよぅ。性格は違えども。

それでも第二部に入ると、映画には描かれていないシーンが多いので、懐かしのわが中つ国が戻ってきた。ああエントはそうなんだよ、メリーとピピンはこうなんだよ、ゴクリは、ファラミアは、セオデンは…!と、世界に没頭。やっぱり指輪は私にとって特別だ。あぁでもエントの行進の歌と、ローハンの騎士たちの戦いの歌は(こっちはまだ望みあるけど)聞きたかった。しかし映画の第三部、大丈夫なの? 「ホビット庄の掃討」をやらないとしても、こなさなきゃならないエピソード多すぎよ?(すでに第二部までで振ってある話題だけでも)。ちょと不安になってくる。

……ところで、この先は純粋なファンに怒られそうな話題。指輪が私にとってどう特別なのか、と友達に聞かれました。お馴染みの「ハリー・ポッターとどっちが面白い?」という質問の流れなんだけど、「どっちが面白い?」ってのは答えづらい。それぞれ面白さ(楽しみ方)が違うのだから、「どっちも面白い」と答えるのが一番ぴったりくる。けど、「ハリポタと指輪とどっち?」とだけ聞かれたら、私は間髪いれず「指輪!」と言う。もう“特別”としか言いようがないのだ。しかし友達は更に「特別って、どう?」とツッコんできた。また難しいことを…。

そこで私がうーんうーんと唸って捻り出した答えが、こうだ。「あのね、例えばハリポタのやおいパロディがあったとしたら、それで出来さえ良かったら、私はそれを楽しんで読めると思うのよ。でも指輪にはそうゆうのを持ち込んで欲しくないの! 例えすごく出来の良いのがあったとしても、指輪ではやって欲しくないの。だから、“特別”……いや、その意味では“聖域”と言ってもイイね!」 …我ながら「それが基準かよ!」とツッコみたくなるような答えだ。友達も当然そうツッコんでくると思った。ところが友達は、気の毒そうな表情を浮かべて私をじっと見つめてくる。

「な…何?」「To-koはコミケには来ない方がイイね」「…なんで?」「………」「ひょっとして、もうそういうジャンルがあるの!?」「………(顔で語っている)」「ひょっとして流行り!?」「…だってさー、あんなに美味しい素材ないよ?」「…それはそうかも知れないけど…」「深い友情とか強い信頼で結ばれた男同士がたくさん出てくるんだよ?」「そりゃ分かるけど! だからってそれを全部ホモにしなくても!」「レゴラスとアラゴ…」「いーーーーやーーーーっ! お願いだから、私の耳には入れないでーーーーっ。何してもイイけど私の知らないトコロでやってーーーっ(←半泣き)」。

別にそれがホントに基準ってワケじゃなかったのに! 分かりやすいように例えただけのつもりだったのに! ネットで『二つの塔』関連の話題を検索していたときに、それっぽいサイトに当たって慌てて「戻る」ボタンを押した直後だったから、こうゆう例えが出てきただけなのに。はあああ…。世の中には知らない方がシアワセなコトがいっぱいあるなあ……。てか私の交友関係腐りすぎ!

2003.3.25

金曜日のスキー日帰り旅行を終えた私たちは東京を素通りし、そのまま三浦半島の友人宅になだれ込みました。そしてゲームや利き酒大会をして遅くまで遊び、土曜日の昼近くまで爆睡。起きると空はどんよりしていて、前日の快晴が嘘のようです。金曜にスキーにしてよかったねぇと言いつつ、料理上手の友人が作ってくれたメキシカンな食事を食べてまったり……していると、その家の主、友人のダンナさんが「散歩に行こう」と私らを連れ出してくれました。彼の「散歩」とは「ドライブ」のことです。そのまま渋滞にハマりながら4時間以上かけて御殿場(!)へ。出たのが遅かったせいもあり、目的地の御殿場ビールの飲めるビアレストランについたのは、ちょうど夕食の頃合でした。

大好きなデュンケルから始めて、おすすめのヴァイツェンボックを飲み干し、リブステーキを食べ、ウィンナを齧り…。満足満腹。けど、このとき私は忘れていたのです。自分が大量の肉に弱いことを。味は好きなんだけど、「野菜なし肉だけ」の食事って受け付けないのでした。おまけに、自覚はなかったものの、このときの私は前日からのハードスケジュールにかなり疲れていたのです。帰路についてもまだまだ元気な他の面子が「箱根の天山に寄って行こう」と言い出すころ、私は「車に酔ったかなぁ…」と思いはじめてました。それならかえって休んだ方がいいだろう、と、天山の駐車場に入り車を降りた瞬間、温泉のにおいを嗅いだ瞬間、一気に気分が悪くなってしまいました。

ビールと肉と疲れと車酔いと貧血にいっぺんに襲いかかられてはもうダメです。げろっパしかかるのをぐっと堪え、その場にしゃがみ込むしかできませんでした。心配する友人たちに「休めば平気だから」と言って、私はそのまま休憩所で横にならせてもらい、友人たちにはお風呂に行ってもらいます。しかしやっぱ私は基本的に頑丈なのですね。ここで小一時間休んで、暖かいお茶を飲んだら、ほとんど全快。周りが気をつかってくれるのが申し訳なくなるくらい、元気になってしまいました。温泉で時間をつぶしたおかげで、その先の道は渋滞もなく、行きの半分以下の時間でまた友人宅に辿り着いた私は、その夜も元気にゲームをしたのでした。(←ばか…)

連休最後の日曜日は、ほんとにどこにも行かずまったり過ごし、日付が変わる直前、やっと自宅に帰りました。マジ遊びすぎだと思います。それにやったコトが多すぎて、全然スキーに行ったという気がしなかった週末なのでした。……ちょっともったいなかったかも。あとせっかく御殿場まで行ったのに、富士山が見えなかったのも残念でした。でもそれ以外はいい週末。次の週末も楽しみだー。…って、人は週末のためのみに生きるにあらず、ですけど。

2003.3.24

笑って話していてもふとしたきっかけで戦争の話になったり、友達とのメールのやり取りも戦争の話題に終始してしまったり、ついいろいろ考えてしまって底抜けにお気楽にはなれません(…当然か)。それでも生活に目に見える影響があるワケではなく、相変わらず遊んだり遊んだり遊んだりして暮らしています。ので、とりあえず遊びの記録をつけておこう。

三連休はまず、今シーズン最後のスキーで軽井沢に行ってきました。日帰り。前回さんざん転びまくった私の「も少し曲がる練習がしたい」という希望を聞いて選んでくれただけあって、どこもかしこも傾斜は緩やか。しかもカービングスキーをレンタルできたので(初めて!)、すんごく上手くなったような気になれました。片手で数えられるくらいしか転ばなかったよ! 天気は快晴。山々がくっきり見えて気持ちよかったです。リフトに乗ってると暑いくらい。

軽井沢スキー
一日中こんな感じ。気持ちイイ〜!

ただ夕方になるとかなり雪が融けてしまって足を取られるようになったし、私の目から見てもあまり上手でない人たちが多くなってきたので、早めに切り上げ。友人たちは今まで人とぶつかったりしなかったのに、今回は何度も衝突されてて「マナーの悪いボーダーが多すぎ!」と怒ってました。私はまだまだ余裕がないからマナーがどうこうは分からないけど、でも怖かった〜。何度か無理な追い越しをかけられたり、目の前で急に止まられたりしてヒヤリとしましたよ。「次(来シーズン)はもっと広いトコロに行きたい〜!」と騒いでいると、友人たちがニヤリと笑います。始めるまで「寒いの苦手だし…」と言ってたヤツがハマッたので嬉しいようです。くそー。

早めに切り上げたせいで、帰りの新幹線までの時間が余ったので、タクシーの運転手さんに近場の日帰り入浴ができる温泉を教えてもらって、寄ってきました星野温泉トンボの湯。新しいし広いし気持ちよくって大満足。宿泊ならこぢんまりしていて、少し鄙びた感じがイイとんですが、日帰りにちょっと寄るには最適のお風呂でした。ここで体をほぐし、軽井沢駅周辺で熱々のほうとうを食し(これもすんごく美味しかった!)、とても日帰りとは思えないくらい充実した一日を過ごしちゃいました。しかも休みはまだ二日あるのでした。えへへ。

2003.3.20

こうゆう日でも日常は進む。相変わらず眠いし月イチの腹痛はやってくるし仕事の話はまたきな臭くなってきた。こないだ書いたように、今の会社は6月いっぱいで辞めよう、5月くらいからこっそり次の仕事を探し始めよう、んで皆から惜しまれつつ、後足で砂かけちゃえー!と思っていたのに(嘘ですよ、嘘。仕事はきっちり引き継ぎますってば、ダンナ)、そうすんなり行かなくなるかも知れない。次がすぐに見つからないって想定はしてたけど、そうゆう意味ではなく。

いや、今日いきなり部長に呼ばれて、4月からの仕事について聞かされたんだけど。一応言っておくと私は派遣社員で一番下っ端。右に出る者がいないほど、これ以上はないってくらい下っ端で、仕事も大したコトはしていない。それなのに、も一歩で管理職の中堅社員(しかも仕事のできる人)と同じポジションを任されるってどうゆうコト? 「Aグループの担当をKさん(←その中堅社員)に、Bグループの担当をTo-koさんにやって欲しいのね」と言われたときには、「はいっ!?」と声が裏返ったよ私ゃ。しかもその仕事、やったコトないってば。

すっかり辞める気になってるんだけどなー。そんな仕事任されたら、辞める時期の調整をしなくちゃいけなくなるじゃないの。まあ組織の方針がころころ変わる会社なんで、今日聞いた話もどこまで実現するか分からないし、今から考えすぎない方がイイのかも知れないけど…。うーむ。とりあえず4月に入るのを待つしかないんだが、分からない要素が多すぎて落ち着かない。

2003.3.19

「人間は人間を殺さない。何千年もかかって俺達がやっと学んだ事だろう」/「彼らは殺してる」「それでもだ。お前は殺すな」 (遠藤淑子『ヘヴン』より)

明日にも始まりそうな戦争に関してはいろいろと思ったり考えたり心配したりはしているのですが、ここに書けるほどまとまっていません…し、まとめるつもりもありません。理屈ならべて変にものわかりよくなっても意味ないし、どう考えても「反対」の気持ちが変わるとは思えないから。自分や自分の大事な人の生活を壊されたくない、殺されたくない気持ちはもちろん強くありますが、それと同じくらいの強さで私は「人を殺したくない」。キレイごとでも平和ぼけでも思考停止でもイイです。そう言えるうちはそう言い続けてなーにが悪い、と開き直ります。

2003.3.17

日頃健康な人ほど、たまの病気や怪我の話をしたがるのはナゼなんでしょう。しかもどことなく嬉しそう(自慢げ)に。ちなみに私も日頃健康な人ですので、今日は痛い話をしようと思います。血が出る話が苦手な方は読まないのが吉です。

土曜日の夜、洗い物をしてる最中にですね、包丁がすぱーんと滑って右手を切りやがりました。相当深く切ったのが瞬時に分かったので、右手を口にくわえて傷口を舌で押さえつけ(ひー、凹んでるよー、肉がなくなってるよー)、左手だけで絆創膏を用意し、さっと水気をふき取ってスピード接着! 傷口は大きくはないものの、ぱっかり口をあけていて、爪の先くらいの肉が無くなっているようです。でも血はそんなに出ていない。上手いこと血管を除けて切ったのかしら……と思った次の瞬間、絆創膏のガーゼ部分が真っ赤に染まりました。やべ、と思ってその上から更に絆創膏を×の字に貼り付けます。が、血は止まらず絆創膏3枚(特大)を染めて隙間から溢れてきます。どどどどうしよう。

手のひらを流れ落ちる血を眺めつつ2秒ほど放心した後、そうだガーゼがあったはず、と、ガーゼを引っ張り出して適当な大きさにカットし(これも左手だけでやるのはツライ)、傷口に押し当ててテープでぐるぐる巻きにし、更に手首を押さえつけて手を頭上に高くあげます。テープを巻くとき、いっそガムテで…と思ったりもしましたけど、ガムテで応急処置するのは確か骨折のときだったと思い出し、かろうじて思いとどまりました。頭上にあげた手がしびれてきた頃やっと、今の姿はとっても間抜けかも、と頭が冷えてきます。てか実際間抜けだ。『ER』、役にたっていません。大人としては応急処置くらいササッと手際よくやりたいのにー。

それでもどうにか血は止まってくれました。その後帰ってきた妹は血の滲んだガーゼに「何したのっ」と血相を変えましたが、傷口を見て「あー、なーんだ」と言いやがりました。落としたと思った肉も戻ってきていて血も止まり、その時にはそうヒドク見えなかったのです。でも、ホントに出血ひどかったんだよ? ……しかしそれから2日たった今、手に残っているのは普通サイズの絆創膏だけ。ずっとキーボードを打っているとときどき引き攣れますが、それ以外のときは忘れちゃってるくらいです。やっぱ、健康人間は小さな怪我に大騒ぎしすぎなのかも知れません。そう認めるのは悔しいけれど。(←なんでだろ?)

2003.3.13

一度読んでツマラナイと思った本をうっかりもう一度読んでしまうのを防ぐために、読書記録をつけ始めてからもう一年半になる。著者名とタイトルとほんの一言だけの感想しか書いていないのだが、長く続けているとさすがにファイルが大きくなってきたので、昨日はひたすらその整理に励んでいた。一応公開はしているものの、読書記録はこのサイトの中で一番「自分のためだけに」やっている。読む人がわかりやすいように、とか、何かの参考になれば、なぞとは欠片も思っていない。まあ見てくださっている方もほとんどいないだろう。よって自然に、感想は自分にしかわからないモノになる。

例えば、とある本の感想は、これ→「とーこ、むずかしいかんじがいっぱいだとよむのにじかんかかるの…って感じ。内容→なるほどー」

…わっかんねーよ! 本人でもわからねぇよ! 「…って感じ」ってどんな感じだよ! 読んでるのは自分だけなんだからもっと普通に書けよ!…と、これを読んだ途端に脳内ツッコミが炸裂。書いてるときにはちゃんとわかっていたんだろうけど(当たり前)、書いてから一年近く経った今では、何を言いたかったんだかサッパリの感想だ。まあ多分漢字が多くて読みづらかっんだろうと見当はつくが、ナゼそう普通に書かなかったのか過去の私よ。内容になにか含むトコロでもあったのだろうか? これじゃ記憶の助けになっているんだかどうだか怪しいもんである。

他にも、同じような言い回しが出てきて自らの語彙の少なさに涙したり、「あれ、けっこう私、本読んでる?」と勘違いしたり、同じような一言感想しか書いてなくてもキレイに忘れてる本と印象に残ってる本ははっきり分かれるなぁ…と過去の読書を反芻したりできて、なかなか楽しい作業だった。

でもこれからは、もう少しまともな感想を書くようにしようと思う。

2003.3.11

会社の人が、貸してくれたマンガの感想を聞いてきたので、「絵があまり好きじゃなかったです」とだけ答えた。しかし彼はまだ続きを待つ顔をしている。仕方なく「えーっと、あと主人公が」と続けたのだが、当り障りのない言葉を使おうとしていたのでココで詰まり、困った末やっと出てきたのが「…ウザい」だった。当り障りのない言葉はどうしたんだよう!>私。

新米エステティシャンとなった友人から練習台になってくれと頼まれ、二つ返事で了承する。だって練習台とは言っても、ちゃんとした化粧品を使った本格的な練習なんだもの。ただでフェイシャルエステが受けられるようなもん。例えエステティシャンの手つきが覚束なくても、別に危険なコトをやるワケじゃなし、問題ない。「勉強したから、ダイジョブ。絶対、絶対、ダイジョブ」と口真似をするので笑っちゃったけど、気持ちよかった。肌もしっとりツルツルで大満足。他にも鍼灸マッサージ師の友人がいるので何かと心強かったりして。練習台ならいつでもなりまっせ!(でも鍼はお手柔らかにお願い。)

昨日読み始めた本が置けないタイプの本で、寝る前にちょっとだけ読むつもりだったのに、そのまま思いっきり夜更かししてしまった。T.カポーティの『冷血』。書評を読んでノンフィクションだというのは知っていたハズなのに、読んでみたら登場人物たちの心情に沿った書き方がノンフィクションっぽくなくて、ついつい小説として没頭してしまう。ぐんぐん引き込まれるんだが、これが実際にあった一家惨殺事件の記録だと思うと、なんか複雑な気持ちになる。今ようやく犯人が自白を始めたトコロ。今夜も眠れん。

2003.3.10

ローラ・グールドの『三毛猫の遺伝学』読了。タイトルからすると鹿爪らしい退屈な本のようですが、面白かったです。ネズミ退治のためにもらってきた子猫のジョージが珍しいオスの三毛猫であり、飼い主のローラさんが飽くなき好奇心の持ち主だったおかげで、この本があります。「なんでジョージはオスなのに三毛猫なの? なんで普通、三毛猫はメスなの? ジョージは珍しい遺伝子を持っているの? いつ頃から三毛猫って存在しているの?」と、彼女の好奇心は留まるトコロを知りません。なんせ動物園(だったかな)の記録の中に「珍しいオスの三毛猫がいるから買い取ってくれ、という申し出があった」と書いてあったら、「その申し出はどんな口調でされたんだろう、いったい幾らで買い取れと言ってきたんだろう」ってトコロまで知りたがるのです。

こうゆう人、好きです。しかも本を書いている時点での彼女の知識は相当なモノだろうに、素人にもわかるように、彼女の辿った軌跡をそのまま道案内してくれるような、そんな書き方もステキです。それでも生物の授業から離れて幾星霜の身としては、昔の知識の断片を掘り出すのにちょと苦労しましたけど。最近難しいコトを考えようとしない怠け脳ミソに「生物の遺伝の確率の話は好きだった、今でも好きなハズ」と暗示をかけながら読みました(誇張中)。ちょっと読むのに疲れてきた頃に、猫たち(ジョージの他にマックスがいます)との日常生活の話が挟まります。その描写からは、彼女が猫たちに向けるたっぷりの愛情が伝わってきて、これまた好み。

ところで彼女の暮らしぶりがすごく魅力的に描写されているんで、「いったいどうゆうトコロに住んでいるんだろう…」と不思議に思いながら読み進めたんですが、著者紹介を見て納得。「夫、二匹の猫、そしてたくさんの野生の動物とともに、北カルフォルニアの荒野に在住」 だそうです。………カッコいいなあ…。どうりで近所をクーガーがうろついていたりするワケだ。ああ、私も荒野に住んでみてえ!

2003.3.7

また『二つの塔』を観てきた。上映前に食事をしたのだが、そこの店員たちがあまりにも低姿勢で笑ってしまう。店に入ったら「お寒い中、ご足労、ありがとうございます」だし、勘定をしようとしたら「ほんとに、この寒いのに足を運んでいただいて…。ありがとうございました」だし、ごちそうさまでした、と声をかけたら「いえいえ! こちらこそ、来ていただいて、なんとお礼を言ったらいいのか…」だし。そこまで行くと丁寧通り越して卑屈だぞー。勘違いして威張っている料理人もどうかと思うが、反対に振れすぎても、ちょっと違うだろ、と思ってしまう。接客って面白いなあ。

さて、ここから二回目観賞時のネタバレしまくり感想文→。やっぱ騎馬民族ってカッコいいなあ。ほう…(ため息)。前回、私が「一番気持ちがいい台詞」と書いたのは、正確には「王が独りでおられるぞ」「お守りします」(←字幕で。英語では「Not alone」だけかな?)でした。このときのエオメルの静かな言い方が好き。変に気負うでもなく、そうするのが当然といった態度で、こんな台詞を吐くなんて。この後の掛け声が「エオルの子らよ!」になっているのも嬉しい。この場合は「エオル」と突然出てきても原作未読者にはわからないだろうから、第一部のときとは違って「つっこめ!」という字幕になっていても間違いじゃなかった気もするんだけど、でもやはりこの掛け声には祖先に対しての、自らの出自に対しての誇りがあるのだし、「エオル」が誰かわからなくてもこの字幕が正しい、と思っちゃう(英語では「Rohirrim!」と言ってるけど、それより「エオルの子らよ!」の方がわかりやすい。意味は一緒だし)。…これ、原作ファンの勝手な思い入れかなあ?

でもこの後、彼らが急な斜面を駆け下りる場面で「鹿も四足、馬も四足」という言葉が頭に響いてしまって困った。ナゼこんな感動ものの場面を茶化すかな、私の脳は。それから初見時と比べて馬がアラゴルンをあっさり起こした気がするのも、気のせいだよね? 食べんばかりに舐めていた印象が強いんだけど。あとエオウィンはやっぱり可愛い。アラゴルンを常に目で追ってしまうのが切なくて、第三部での彼女の扱いはどうなるんだろうと気になってしまう。願わくば、原作以上にシアワセにしてあげて欲しいもんだ。ファラミアも原作との違いになれ、ちょっと好きになってきた。彼がどうやってボロミアの死を知ったのかって説明は、DVDでされるのかな?

それにしても、映画版アラゴルンの若さや人間くささはホントに好きだわ、私。ハルディアが予期せぬ援軍を率いてヘルム峡谷にやってきたとき、いつもはエルフの流儀に従って(彼はエルフに育てられた人だから)礼儀正しく距離をおいて振舞う彼が、思わずハルディアに腕を回して抱きしめてしまうトコロでうるうるきた。そこでハルディアが一瞬びっくりして、でもふっと笑って抱きしめかえすのも、またイイの!(いかん、脳が腐ってきた。好きになるとワケわかんなくなるのです。スミマセン)。それなのに…ああ、ハルディア…。でも絶望的な状況にあるヘルム峡谷に援軍が来てくれるシーンは、何度見ても胸に迫る。「There is always hope」の言葉の何と切実なコトか。

メリーとピピンは今回影が薄いなーと正直思っていたんだけど、見返してみると二人の会話がけっこう重たく、大事なものに思えた。自分の大事な人たちがどうしようもなく強力な渦に巻きこまれて苦しんでいるのに、何の力にもなれない無力感に苦しみつつ、それでも何か出来るコトを見つけよう、何かをしようと必死になっている彼らは、やはりしぶとく愛すべきホビット族だ。でも彼らの呑気な姿も見たいから、早く仲間と再会して欲しい。エントはだいぶ見慣れてきた。ゴクリはやっぱ演技過剰だと思うが、でも一回目ほど気にならなくなった。そのうち慣れられるかも。

なんども書くけれども、二作目になって映画は原作の筋から大きく離れた。第一部に比べて不満を言いたくなっちゃうトコロもある。けど、いったん原作を脇に置いておいて映画の筋を追ってみると…なんか「これもありか」って気になってきちゃうのだ。ファラミアなんかその好例。最初は「えっ」と思ったし、第三部での扱いにもよるけど、立派すぎない、人間くさいファラミアが好きになれるような気がしている。ところで私、「なぜロスロリアンにいたハルディアが裂け谷のエルロンドの伝言を持ってくるのか」、「ローハンの国を追放されたエオメルはどこに行こうとしていたのか。エオメル旗下の二千の兵は、エオメルがアラゴルンたちと逢ったときにはどこに居たのか」が不思議だったんですよ。妹と「きっとどっかに隠れ里があるんじゃない? あはは」とか話してたんだけど。その辺のツッコミ(というか考察)を「魅惑のFotR日本語字幕版」サイト内の「劇場版TTTの何でだろう?」でやってくださってます。面白いです。

それでも、原作と違うとは言っても、映画を観ると私の中の『指輪物語』好き好き心が刺激されるので、また原作を読み返したくなってしまう。今は、原作のセオデン王とローハンの騎士たちに、無性に会いたい。

2003.3.6

少し頭が冷えたところで、昨日の件はもしかすると子供の早とちりだったのかも、って可能性に思い至りました。お母さんを見失って(長トイレとか)、「仕事に行っちゃったんだ」と思い込んで、家を飛び出して探しにきたのかも、と。それでも危なっかしかったのに変わりはないけど、そうだったらイイなあ。居なくなったらちゃんと心配してもらえるような子なら、イイなあ。昨日はホントにいろいろ想像したつもりだったけど、やっぱ考えが悪いほうに悪いほうにと向かっていたみたい。なんせほら、「こうゆうご時世だから」(笑)。…じゃなくて、「お母さんがお礼を言いたいと言っていた」という言葉を素直に受け取っておこうと思います。妄想のしすぎは体に毒だし。

妄想と言えば、正月に家に帰ったときだったかな、母や妹とダフネ・デュ・モーリアの『レベッカ』を巡って口論になりました(私が読んだときの感想はコチラ)。母や妹はあの物語のヒロインがリアルだと言うのです。経験がなく夢みがちな女としてはイヤになるほどリアルで、それ故あの物語は名作であると。んで私は「ああゆう女は好きじゃない。だからそれなりにしか楽しめなかったね!」と突っぱねたワケです。今になって考えてみれば、母や妹は「リアルかリアルでないか」の話をしていて、私は「リアルだろうが何だろうがあのタイプには感情移入できない」という話をしているのですから、噛み合うハズがないと分かるのですが、なんせそのときは頭に血が上っているので、話はズレたままにエスカレートしていき、とうとう私はこう叫びました。

「だからさ、妄想するのはイイの! 私だって妄想力には自信があるもん! だけど妄想が現実にならなかったときの対処法ってモンがあるでしょ!? 自分が夢みてたように物事が運ばなかったときに『どうして現実はこんなに酷なの? みんなこんなに冷たいの? ああああ…』って自己憐憫に浸る人はイヤなの! そうじゃなくて、現実が思うようにならなかったときには『あっ…いかんいかん、私ってばまた都合のいい夢みちゃってたわ。そうだよねー、現実はそう上手く転がらないよね。てへっ』ってゆう認識が必要じゃん! あの女には『てへっ』がないんだよ! 『てへっ』って自分にツッコめないからあんなに不幸だ不幸だってやってるんだよ!」

……改めて書いてみると、すごく的外れなコト言ってますね。てへてへ何を言っているんだか。物語の出来とは関係ないし。まあ結局、話はそのままあらぬ方向に流れていき、気がつくと「私は教養として読んでおかなきゃいけないような本を読んでないコトにかけては自信がある」とか胸を張って威張ってました。“妄想”というキーワードでふと思い出した話です。

しかし何でこう私ら親子の話は変な方向に転がるのかしら。以前、父親と「長男長女は損か徳か」という論争をしたときには話がズレまくり、気付くと父親が「アトピーをもって産まれても、それを掻いてもらえる快感があるかもしれない」とかトンデモないコトを言っていて、私が「ずっと掻いててもらえるワケじゃないでしょ! それに掻く快感があるなら、痒くない快感だってある!」とか反論してま……なんか、今日は書けば書くほどドツボにハマっていくようです。虚しくなってきました。こうゆう時こそ、「てへてへ」かしら。(逆効果の気がしなくもないですが。)

2003.3.5

また、腹の立つコトがあった。悔しくて情けなくて、何で私が朝っぱらからこんな気持ちにならなきゃならんのかと思う。私には育児はわからない。わからないけど、小さな…多分3歳くらいの女の子が「ママーッママーッ」と泣きわめいていて、周りには見ている大人が誰もいなくって、「一緒にお母さんを探してあげるよ」と言った大人になら誰にでもついていきそうな状態で放置されてるってマズイんじゃないのか。…「ないのか」じゃないよ、マズイよ。

そうゆう女の子がいたのだ。今朝。私が通勤に使っている最寄駅に。最初は、ちょっとはぐれただけだと、すぐにお母さんが戻ってくると思った。けど、少し待ってみても誰も来ない。駅付近だったので人通りはあったけれども、みんな急ぎ足で通り過ぎるだけで、誰も足を止めない。…ちょっとアンタら冷たいよ! 相手が大人なら、多少困った状況に陥っている人でも「大丈夫そうだな」と判断して通り過ぎるコトもある。だけど相手は子供で、放っておくのは怖すぎるじゃないか。だから仕方なく(←私もいい加減冷たい)、「どうしたの?」と声をかけたのだけれど…。

私はとにかく子供扱いに自信がない。彼女の話は要領を得なくて、でも3歳の子供相手に「理屈を弁えて要点のみを順序だてて述べよ」と要求するほど私も酷じゃなくて、案の定、困り果てる羽目になった。「ママがいいの、ママじゃなくちゃイヤなの」と泣く合間に彼女から聞き出したコトと言えば、「ママは○○駅に行った」「ママは仕事に行った」「家には誰もいない」「ママの連絡先はわからない」「他の大人も知らない」「いつもは幼稚園に行ってるんだけど、今日はママが連れて行ってくれなかった」「自分の家はわかるけどママがいなくちゃイヤ」。聞いていると、なんか母親がわざと置いていったくさい。駅の構造からして、子供とはぐれたままうっかり電車に乗っちゃう可能性は、かなり低い。家が近くで、そこで留守番させるつもりだったのに出てきてしまったのか…。しかしここで「おうちがわかるなら帰りなね?」で済ますワケにもいかないし。

この状況じゃ迷子とは言えないかもしれないが、他によい手段も思いつかず、「困ったときの交番頼み」に転ぶ。「じゃあ、おまわりさんにママを探してもらおうか?」と聞いてみると、彼女も役に立たない私に困っていたのか、素直に肯いてくれた。そこで手をつないで線路の反対側にある交番に駆け込んだのだけど、あれじゃ上手く言いくるめてどこかに連れてくなんて簡単だと思うと、ホントに怖い。通勤途中だったので、交番に彼女を預け後はおまかせしてしまったが、電車に乗ってるうちにムラムラ腹が立ってきた。ああ全く、何で私がこんな気分にならなきゃいけないのよ、きーっ!

妄想女王だから事情はいくらでも想像できるけど、でも子供のあんな状態を見るのはツライ。その子に誰も声をかけなかったのも、やりきれない。誘拐は滅多にないかもだけど、車とか踏切とか危ないモノがいくらもあるのに。うっかり離れてしまったって感じじゃなかったから(たっぷり電車2本分は待っていたんだから)、親が見つかったら「放っておいてくれれば、ウチの子は泣き疲れて勝手に家に帰ったんです! 警察に連れて行くなんて!」とか怒られるような気がする。交番に連絡先おいてきてしまったしなー。あの警官、ほいほい教えちゃうんじゃないかしら…(数年前、とあるコトでひどく怯えて相談に行った際に「何かあってから連絡してください」と言われたせいで、警察は信用できないのです。何かあってからじゃ遅いんだっつーの)。仕方ない、もしそうゆう抗議の電話が入ったらがんばって闘おう。どういう事情があるにしろ、あれは間違ってる。

…と、妄想がその辺まで進んだトコロで警察から電話が入った。「無事、お母さんと引き合わせられました」とのコト。ほっ。「それでですね、お母さんがお礼を言いたいから連絡先が知りたいとおっしゃっていたんですが、こうゆうご時世ですので、私の方から連絡を入れて感謝の気持ちをお伝えするというコトでご了承いただきましたんで」との言葉に、これまたホッとする。どうしてああいう状況になったのかはまだ気になるけどな! しかし「こうゆうご時世ですので」には笑った。警察も、少しは学習してるのねえ。

2003.3.4

どうやら今年はホントに求職活動をしなくちゃいけないらしい。派遣じゃ求職活動とは言わないかな。まあ呼び方は何でもいいけど、新しい仕事場を見つけなきゃいけないらしい。別にいい…というより、そろそろ変えた方がいいなーと思っていたから渡りに船と言ってもいいくらいなんだが、正直メンドくさい。新しい仕事を覚えるのは楽しみだけど、その前に履歴書を書いたり条件の折衝をしたりするのが億劫。今の会社にはずいぶん長く(5年)いたから、履歴書の書き方なんか忘れたよ、私ゃ。「とりあえず1ヶ月アルバイト待遇で使ってください。使い物になると思ったら雇ってください」とか出来たら楽なのになあ(無給で、と言えないトコロが私の程度)。

今の会社に文句はない。居心地はいいと思う。待遇も他よりいい。けど、どうしようもなくヌルい。ヌルい待遇と、ヌルいトコロでぐだぐだしてしまう私の怠惰さが相まって、停滞してしまう。勤めはじめてから3年目にはその状態に陥っていて、実際に辞めようともしたのだけれど、待遇改善を餌に引き止められて今までずるずる続けてしまった。しかしどうやら会社の方にも余力がなくなってきて、今度は待遇が改悪されるらしい。それなら辞める。他と同じ待遇なら、ココに居つづける意味がない。噂だと7月に条件の見直しが行われるらしい。私の今の契約も、タイミングよく6月までだ。それなら5月くらいから求職活動始めようかなー、と思う。

しかしこの不況の時期に、しかも年齢制限であちこちの募集に引っかかるであろうに、私ってば呑気だわ。変なトコロでは心配性なくせに、こうゆう場面じゃ呆れるほど呑気。困ったもんだ。

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