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2002.11.29

岸田今日子が見たいばっかりに「食わず嫌い王決定戦」を見てしまった…。彼女のことはよく知らないくせに、なんか惹かれる。番組見てやっぱ好きだわと思った。目が開いてると可愛いじゃないの。

さて。私は妹と同居しているので、毎月決まった額を出し合って共通の財布を作り、家賃や光熱費や基本の食費などはそこから出している。緊急時に備えて額を必要より多めに設定してあるから、自分の財布が軽くて寂しい月も、共通財布には比較的余裕があったりする(あくまで比較的)。そこでここ何年かその余裕を活かし、ちょっとした贈り物をお年玉代わりに両親にあげるコトにしている。今年もそろそろ時期なので、何にしようかなぁと、ぼんやり考え始めていた。

そんな昨日。通りかかった山用品の店で閉店セールをやっていた。「ココなくなっちゃうのか。買わなくても品物見るだけで楽しかったのにぃ。ダッチオーブンをそのうち使ってみたいなーと眺めたり、上等の防寒具の手触りを楽しんだり、細々したグッズに感心したりできなくなるのは残念だわ」と思いつつ、名残のぶらぶらをしようと入店。そしたらかなりの値引きになっている。23,000円の登山靴が9,800円とか、マーモットのあったかそうなジャケットが9,800円とか、モンベルのめちゃくちゃ背負いやすそうなザックが5,800円とか。すごい。ザックもゴアテックスの上下パーカーもストックもザックカバーも登山靴も寝袋も服も下着も、ヘッドライトや遭難したとき用の防寒シートまで、一通り揃えちゃったのが残念なくらいだ。

しかし物色をするのは楽しく、ついつい奥に奥にと足が向く。店のドン奥には帽子を並べた棚があった。「帽子かぁ…山でかぶるの、欲しいんだよな。蒸れちゃうからあんまり好きじゃないんだけど日差しがキツイときあるし、蒸れない素材のを投げ売りしてないかしら」と、目についた帽子を片っ端からかぶってみる。と、ふと伸ばした指先に冬用の帽子があった。『ER』でグリーン先生が冬場にかぶっているような、耳のところにぺろっとフラップが下がっているヤツで裏がボア。すごく暖かそうだ。その途端、母親が冬場に犬を散歩させるとき、耳が冷たくてたまらないと言っていたのを思い出した。これ、プレゼントにいいかも。

あんまり可愛くないけど、ウチの場合可愛げよりも実用性だろう。どうせ母親のだし…(←ひどい)と、試しにかぶってみると…え? 意外に似合うよ、私に。夜目遠目、ついでに帽子も笠の内、って感じ? しかもかぶり心地いいし、あったかい。そういえば冬の帽子も欲しかったんだ。欲しい欲しい自分用にこれ欲しい。…ああでも母親のニーズにも適っているんだよなー。母親を取るか自分を取るか。2個しかないし、閉店セールだから在庫なさそうだし、迷ってたらなくなっちゃいそうだし…。

さんざん迷った末、色違いの2個を両方購入。母親とお揃いって何だかなぁだけど、東北と東京に離れていたら誰も気付くまい。ふっ、完璧。しかし値引きに惹かれて店に入ったくせに、全然値引きされてない商品を、しかも2個も買って出るとは…なんかもったいない気になって、値引きされてる手袋や防水袋や薄手のフリースも購入。店側の戦略にひっかかってる? …で、でも新品の帽子は嬉しいねぇ。手袋も発熱効果のあるヤツだし、これで寒い朝も怖くないぞ。

2002.11.28

妹が社員旅行(というのか?会社じゃないのよね)で行っていたサイパンから帰ってきた。いいねぇ、旅費から宿泊費から職場持ちで海外かよ、と半分マジで妬む。去年の今ごろは私もケアンズ行ったんだけど(もちろん自費で)、さすがに毎年の海外は財布に負担がかかりすぎて無理。しかも12月で首切られるかもしれないしー。相当キツいらしいから切るとしたらまず派遣からだろうしー。切られなかったとしてもどうせ年度末の3月まで寿命が延びるだけだろうしー。みたいなー。(何なんだ。)

さて。枕とは全然関係なく三谷幸喜・和田誠の『それはまた別の話』と『これもまた別の話』読了。2人がお気に入りの映画について長々と語り合う形式で、2冊で24本の映画を取り上げている。ストーリーを最初から最後まで詳しく追うので、ネタバレを気にする人には向かないかもしれないが、私はこれを読んで何本も見たい映画が増えた。だから内容は面白いんだけど…読み進むにつれて、次第に気になりだしたコトがある。………三谷さん、聞きすぎ!

「この役者さんは他に何に出てるんですか?」「これは一体どういう意味なんでしょうね?」「○○って何ですか?」「この時代にはこういう風習があったんでしょうか?」etc.etc.  構成的に三谷さんが聞いて和田さんが答えるって形に、わざとしているのかもしれない。単純に和田さんの知識量を信用してて、無邪気に聞いているだけなのかもしれない。相手の話を引き出す話術なのかもしれない。けど一度気になっちゃうと、私みたいな優しくない人間はイライラしてくる。「ちょっとは自分で調べれば?」って、私なら言っちゃだろうなぁ。

でもそれを除けば、かなり突っ込んだトークが楽しめる。主役はもちろん、脇役の細かい表情やさりげない演技にまで注目しているし、「このシーンにこの人がいるハズなのに、主役たちは2人の世界を繰り広げているよね。カメラから外れてる役柄の人は、どんな気持ちなんだろうか」とか「この展開はこういう裏があるんでしょう」とか「このシーンとこのシーンの間で、この人はきっと何々をしてるんですよね」とか、そうゆう想像の世界にまで足を踏み入れかけていて、楽しい。

作品をちゃんと見てなければ、こうゆう話までできないと思う。登場人物たちの性格や状況を把握できてるから、画面に映ってないコトも想像できるのだ。映画でもマンガでも小説でも、描かれていない日常や、「ここでこう言ってるけど、内心は納得しきれてないに違いない」みたいな心の動きや、そんな想像を勝手にめぐらせていて、それが人のと一致して「絶対この登場人物はあそこでああ思ってるよね!」って話ができるとめちゃ盛り上がる…って、それ同人誌じゃん!

2002.11.27

こないだリンクを張ったサイトからアラゴルンやらボロミアやらレゴラスやらギムリやら(←主役コンビはどうしたよ!)の画像をばんばん落として悦に入ってます。DVDの延長版からの映像もあるんだけど、うわ、このシーンもあのシーンも撮ってたの!?と嬉しい反面、4時間だろうが5時間だろうが映画館の大画面で見せて欲しかったのにぃ、と、指輪の幽鬼としては思いますわ。特にこの先回想シーン以外では出番のないボロミア兄ぃの数少ない画像…特に笑顔のは貴重。撮影の合間のショットもあり「アラゴルンに満面の笑顔を向けるボロミア」なんて本編じゃ絶対見られないモノも。うーれーしーいーっ。

撮りためた旅行の写真も整理してないのに、この画像だけは簡単に見られるようにしたいなーと考えてるんですが、いい画像管理ソフト(と言うの? アルバムみたいに見られるようにしたいんだけど)ないでしょうかしら? できたら背景にはミドルアースの地図を持ってきたいのですけど…(またステキな地図たっぷりのサイトがあるんだこれが)。しかし何でこう急に再燃しちゃったかしら、指輪熱。DVD延長版の発売が近いから? もちろん予約はしてあるんだけど、ちゃんと発売日に届くのかな。それとも発売日に発送? ああああー待てないー。何かに夢中になると、人はこんなにも子供になるものか。熱しやすい私が大人の実感を持てないのも道理です。

ところで上記とは全然関係なしで、乙一の『暗いところで待ち合わせ』読了。面白かったです。上手いなぁ、この人。他にはデビュー作の『夏と花火と私の死体』しか読んでないので、他のもチェックしてみたくなりました。軽くすいすい読めるし、そんなに数もないようだし。ただ、読んだ2作品に限っては、結末よりも序盤から中盤にかけてが面白かったです。結末は予想がついちゃうの。これはこの人の特徴なのかしら。最後に盛り上げてくれれば、ずいぶんポイントが高くなるのになーと、そこだけちょっと残念ですが、でもそれでも上手い…と思わされます。

2002.11.26

いきなりですが牛タン好きです。特に塩焼きにレモンを絞って食べるの大好き。シチューもキライじゃないんですが、とろけるように柔らかく煮込むより、歯ごたえのある“焼き”の方が好み。

昔住んでた家の近くに食肉の卸売り店があって定期的に通っていたのですが、そこで冷凍のタンの固まりを見つけたときは小躍りしましたね。これを薄切りにしたら相当な量になる、イヤってくらいタンが食べられる! 余った分はも一度冷凍して…と、いそいそと買って帰り、さあ切ろうと解凍したら、そこにべろーんと、“いかにも舌!”な物体が出現したときには泣きそうになりました。血も内臓も平気なんですけど、舌の表面のざらざらした感触って気持ち悪いもんです。皮はむいてあるのだと、なんとなく思ってたのにー。

それ以来牛タンはお店で食べるモノと心に決め、居酒屋の塩焼きかタンシチューのメニューにしかご縁がなかったワケですが、それが先週末、一気に進展しました。友人のダンナさんが牛タン専門店に連れて行ってくれたのです。その店ではまずメニューの多さにびっくり。焼きものだけで、塩焼き・醤油焼き・味噌焼き・ガーリック焼き・ねぎ焼きとあって、その他にも煮もの・揚げもの・ご飯ものと続きます。特に塩茹でして山葵で食べる釜揚げは最高。カレーやガーリックライスといったご飯ものも、おなか一杯なのに美味しくてついつい食べてしまいました。

私が特に気に入ったのは、刺身系の生のタン。生タンなんか初めてだったんだけど、歯ごたえがあって味もいい! 凍らせた生タンを薄切りにして紅葉卸しで食べる皿はめちゃ美味しかったし、たたき丼も止められない止まらない。「今日、私の牛タン感は変わった!」と言いたいくらい、バリエーションに富んだ味を堪能させてもらいました。おまけに昔から通ってた人しか知らないメニューまで食べさせてもらって、それがまた全部美味しくて。連れて行ってくれた友人夫妻に感謝です。ああホント美味しくてシアワセだったなぁ…(←味をもぐもぐ反芻中)。またどこかでタンの固まりを見かけたら、再挑戦してしまいそうな勢いです。

2002.11.25

引き篭もり脱却!ってコトで、金曜日の夜から友達んちで“居続け”してました。金曜の夜は発泡日本酒四種の品評会。甘い日本酒は好きじゃないんですが、これは日本酒とは別モンって感じだし、アルコール度数も低くてすいすい飲めます。次の日、土曜日は近場のハイキングコースを歩いてきました。寒いし雨がぽつぽつ降っているしで、最初ダメかなーと思ったんですが、山道に入ると木立が雨よけになってくれて全然平気。足元の落ち葉がいい具合にクッションになってくれて、気持ちよく歩けます。紅葉もキレイで…なのにデジカメが電池切れ。ショック!

途中にお寺があって、人気がないのをいいコトに、そこでしばらく雨宿りをしました。お堂の濡れ縁(と呼んでいいのだろうか?)に腰掛けて、鳥居の向こうに広がる木々と町並みを見ながらぼそぼそ話していると妙に落ち着いてしまい、ずいぶん長居してしまいました。「次はここでお握りとかお団子食べたいね」「熱いお茶持ってきてね」とか、勝手に予定をたててますが、もし参拝客が来たら顰蹙モノでしょうね。その前にご住職に怒られるか。でもきっと、そのうちやっちゃうと思います。ちゃんとお賽銭もあげたし、神仏の心はそんなに狭くはないと信じていますよ!

その後、すぐ近くに住宅街があるなんて信じられないくらい静かな山道を抜けると、今度は昔の石切り場の跡地に出ます。残った岩が切り立っていて、今はロッククライミングの格好の練習場になっているそうな。私たちが行ったときも、びっくりするくらいたくさんのクライマーたちが岸壁にしがみついてました。面白そう〜。ぜひ一度やってみたいスポーツの一つなんですよね、ロッククライミングは。切り立った崖を降りるだけはやったコトあるんですが、登るのもまた違った達成感を味わえそうじゃないですか。ここでもしばらく休憩。

2時間足らずのコースを3時間くらいかけてゆっくり歩き、あとはお茶したり買い物したりして時間をつぶして、友人のダンナさんのオススメ店で夕食。牛タン専門店。これはちょっと特筆モノに美味しかったので、明日にでも別に書きます。帰ってからはゲーム大会に突入。ダンスものを2つほどやって、それから今私らが攻略中の『チュウリップ』ってゲームに移ります。これ、主人公の男のコがいろんな人とちゅっちゅちゅっちゅキスをしてレベルを上げていくゲームなのですが、恋愛モノじゃありません。なんせ相手は老若男女生き死に問わずだ! いやマニアものでもなく。レトロな雰囲気のほのぼのゲームです。

最初の頃は比較的簡単にキスできるのですが、ゲームを進めるとだんだんキスに到る条件が難しくなっていくので、何度かトライしたのに全員から拒まれてしまった酔っ払いTo-ko、キレました。「なんだよ、ちゅうくらいさせろよ、けち」だの「まだ一度もキスしてないんだよ? 牛タン食って元気なのに、キスくらいしなきゃ眠れやしねぇよ」だのと暴れます。………うわ最低。しっかり覚えてる自分が憎い。他のゲームしてるときも「To-koってゲームしてると暗黒部分が透けて見えてくるよね」と言われたし…、普段が大人しい分(ホントだってば)、鬱憤が溜まっているのでしょうか。

この調子で散々夜更かししたので日曜は昼まで爆睡。起きたらまたゲームに耽り、夜遅くなってから大量のマンガを貸してもらって自宅に戻ってきました。んー、天気が悪かったとはいえ、自宅の代わりに友人宅で篭ってただけのような気もしますけど、楽しかったし冬はあったかい部屋でぬくぬくするのも好きなのでまぁイイことにしておきましょう。来月はプチ旅行か冬海ダイビング(ひょっとすると両方)になりそう。嬉しくなるなぁ。

2002.11.22

パソコンの背景に「アラゴルン・レゴラス・ギムリの追跡チーム」の画像(コチラの11/12の左から2番目)を持ってきたら、これがもうカッコよくて、立ち上げるたびにドキッとするわ、しばらくぼーっと見つめてしまうわ、ホント脳みそが腐ってるよなぁと思うがここまでくると理性では如何ともしがたい。他にもステキすぎる画像がたくさん……全部ダウンロードしちゃろか、いっそ。第二部が待ちきれない。次のページの一番下の「Is it 12/18 yet?」を見ると、待ちわびる気持ちはいずこも同じ、というトコロか。しかし12/18ならまだイイじゃんよー。日本は来春よ? しかも公開日がまだ決まっていないのよ?

ただ、待ち遠しいんだけど、第二部を観るとき妙に字幕を気にしちゃうんじゃないかと今から心配してる。第一部のときみたいに自然に脳内補完できるだろうか。字幕改善の活動を続けてくれているサイトを見る限り、また期待できない出来らしいし…。どうしてそんなに頑なに訂正を拒むのか、ホントに不思議。意地?プライド? くだらない。

つい最近、私は自覚している以上にこの件に関して怒っていたみたいだ、と気付いた。TVのチャンネルを無目的にぴぴぴと変えていたら、不意に戸田奈津子が映ったのだ。もちろん「映画字幕の第一人者」という扱いで。それを見た途端、頭にかーっと血が昇って視界の色が変わったので、慌ててチャンネルを変えた。業界のことはよく知らないが、多分、戸田さん個人を責めても仕方ないのだろう。それは想像がつくのだが……やはり顔を見ると腹がたつ。戸田さんが問題を自覚しているようには見えない、ってトコロがまた怒りをかき立てる。それもまたシステムからくる問題なのかしら。

この記事を読んだときも、眩暈がするくらい腹が立った。日本ヘラルドなんか大っキライだ。ハリポタファンと指輪ファンの対立を煽っているの? こゆコトされるから、私みたいにハリポタに謂れのない反感を抱く人間が出てくるんじゃんよ。↓のバナーにあるように“愛”が欲しいってのは、そんなに過大な要求なのか? 興行収入でしか映画を語れないような人間(←決めつけ。そうとしか思えないもん)に、私の愛する作品を扱って欲しくないよ。なんだか、すごく悔しい。

2002.11.21

思い返してみれば生まれてから一度も障子の張り替えをしたコトがなかった。「でも知ってるもんね。下から貼るんでしょ? んで霧を吹くんでしょ?」と余裕で構えていたのだけど、障子紙を買いに行ったらべろーんと広い一枚モノばかりだし、「霧吹きは必要ありません」てのがほとんど。更に糊でなくアイロンで貼れるものまである。私の知識はいつの間にか時代遅れになってたようだ。流石にアイロンは邪道な気がして控えたが、作業が楽なのに越したコトはないと、大きいサイズの障子紙(一間分)とワンタッチ糊(障子用)を購入。

「一人でやるとタルむよ」と会社の友達に脅されたが、テープでぴぴっと仮止めして糊つけて…なーんだ、簡単じゃーん。楽勝楽勝。…最後の最後、端の余ったところをカッターで落としてる最中に手を滑らして、貼ったばかりの障子紙に爪で穴を空けなければ完璧だったのに。くすん。でも真新しい障子紙は気持ちいい。模様入りにして気分を変えるのもいいかと思ったんだけど、迷った挙句、一番飽きのこない無地にした。でも楮の繊維がいい感じに入っていて、それだけで部屋が違って見える。嬉しい。

も一個嬉しかったコト。ボンドで補修したら引出しがすんなり開くようになった。修理したのは小引出の一番下の段で、今まではつっかかるコトが多く、こないだもムリヤリ引っぱったら壊れてしまったのだ。いい加減ガタがきてるし寿命だと思ってたこの桐の小引出は曾祖母から(勝手に)譲り受けたモノで、大きさといい軽さといい古びた色合いといい、すんごく好みで気に入っただけにショックだった。直してもダメだと予想してたのに、もうしばらく使えそうだと分かって嬉しい。

今の生活だと、たいていのモノは買えるし、時間がかかるとか面倒だとかでつい手作業から遠ざかってしまうのだけど、たまに何かを作ったり直したりすると「手作業って好きだなぁ」としみじみ思う。最近ちょっとご無沙汰してるが、TOKIOのダッシュ村なんて見てるだけでわくわくする。料理は一番身近な手作業で楽しめるし、裁縫も編物も好き。大工仕事だって(私がするのは工作レベルだけど)面白い。小さな畑も作ってみたい。…自分が将来どうやって暮らすのかなんて目途は未だに全然たっていないけど、最後の最後は時間をたっぷり使って手作業を楽しめるような暮らし方をしたい、と思う。私にとっての「贅沢な暮らし」は、そんなのだ。

2002.11.20

ふと気付くと日付が変わっていた。「なんで何にもしてないのに時間が経つのよぅ」とイヤんなるが、考えてみれば昨日は会社帰りに買い物して習い事して帰宅して遅め軽めの夕食をとってメールを書いてボロボロの障子を破って剥がして桟を拭き障子の代わりに窓に大判の布をかけて洗濯物をたたんで一昨日壊してボンドで補修しておいた引出しを片付け金勘定をして通帳の紛失届けを書いてジャンプを読みつつ風呂に入っていたのだった。「何もしてない」どころじゃないのに、でもやっぱ何もしてない気になるのは予定を全部こなせなかったからだろう。今日は食料品の買い出しして図書館寄って帰って料理して食事して、これから障子の張替えと友人から頼まれた服のリフォームと金勘定。最後に風呂。まったく、なんでこう雑用で忙殺されるかなぁ(←ぎりぎりまで溜め込んで一気にやろうとするからです)。雑用後の「やらなきゃなんないコト」まで行かないといかんのに、これじゃいつまでたっても終わらないよ。

とまあ、自らの首を締めているヤツは放っておいて(と言いつつやっぱり自分の話を続けるのだけど(だって日記だもんな))。最近視力がおちたような気がして滅入っていた。ウチは両親も私も妹も目がいい方で、早めに老眼になる運命とはいえ、それまでは眼鏡もコンタクトも必要ない血が流れているハズなのに、長時間モニタを見ていると目が疲れるのだ。「んー、いくら何でも酷使しすぎたか。そろそろヤバいかなー」と心配していて、やっとやってきた健康診断日、視力検査の結果は……右1.5、左1.5だった。ホントかおい。右はともかく、左はぼんやりとしか見えなくて、全部カンで答えたのに。あんなにぼんやりとしか見えなかったのに、1.5なんておかしい! そんな検査機器なんか信用できない!と、思った。けど冷静になってみればもちろん、「ちゃんとした結果を知りたいならカンで答えるのはやめましょう」が、正しい。…はっ! ここにも自分の首を締めてる人が…!

【自業自得】とか【自縄自縛】とか、ロクでもない言葉しか思い浮かびません。…てより、もうちょっと考えましょう。ひーん。

2002.11.18

週末は久々に人に会っていました。引き篭もっていると言っても会社には行っているから、プライベートでって意味ですが。んで、ここんとこ落ちていたところから這い上がりましたよ。前から繰り返しうだうだやってますが、どうも私は思いつめる傾向があって、一人でいると良くないです。大事な“お気楽”を忘れちゃいかんです。まだ山は越えてないけど(てかアタック先延ばし)、楽しみながらやんなきゃロクな結果にはなりません。今週末は比喩でなくホントのハイキングなので、気持ちよく遊べるように週日しっかりがんばろっと。

しかしときどき何やってんだろ、と思います。仕事じゃないし、お金にもならないし、手に職つける役にたつワケでもない。人から見たらいい年して無駄な時間と労力を使ってるように見えるんだろうなぁ。でもまだ止めたくないのよねえ。だから、自業自得なんです。

アリスのフィギュア

二箱だけ買ったら大当たり! 出てなかった「クロケーをするアリス」と「カードの園丁」出ました。結局自力で揃えちゃった。あ…消えないチェシャ猫があるのか。でもイイや。第一弾に比べると多少粗が見えるけど、でもフルタのよりは全然いいです。

2002.11.15

のぐちさんトコで紹介されてる「コレクター」が素敵ー。「配給」もいいんだけど、「コレクター」のコメントの「しまっちゃうよオジサン」にヤられましたー。うちの三月ウサギとヤマネは今抱き合ってて、心温まる交流を演じているんだけど、やー、しまっちゃうよオジサンのが全然イイや。

笑える、という意味では最近読んだ中でダントツ、山本弘さんの『トンデモノストラダムス本の世界』読了。読んでる最中ずーっとニヤついてるわ、時々堪えきれずに大声でがはがは笑っちゃうわ、絶対外では読めない本でした。「同人誌の何が楽しいって、あの愛情溢れるディープなツッコミよね!」と思ってる人間(例:私)には最高の一冊。世に溢れるノストラダムス本の数々(なんと『ちびまる子ちゃん』までカバー)にツッコミまくってます。んでその語り口が楽しいのー。

中盤「ノストラダムスは現代日本のグルメブームまで予言していた」引用文辺りで笑いすぎて呼吸困難になるに及んでは「おいおい、いくら何でも喜びすぎじゃないのか私。初めて駄洒落を聞いた子供じゃあるまいし」と一瞬我に返ったんだけど、その先もやっぱり面白くて「ノストラダムスがハイレグビキニの出現を予言している」くだりでまたもや息が吸えなくなって死にかけました。さすがノストラダムス、大変危険な書です。…てかホントにこんな大人でいいのか私…。い、いつもより脳みそが疲れてるせいよね…きっと…多分…絶対…。

いやまさかノストラダムスがこんなに面白い分野だったとは。1999年が来る前に、積極的にいろんな本を読んでおけばよかったと後悔したくらいです。けどきっと、ここで斬られてるトンデモ本を読んでも「ワケわかんない」と思うか、下手すると腹立てるとかで、ここまで楽しめなかったでしょうな。私が愛しているのはトンデモではなく、それに対する上手なツッコミだから。(←面白い部分を上手く抜き出してくれるセンスも含め)。反感剥き出しで罵倒して扱き下ろしてツッこんだ気になってるのなんかダメですよ? それじゃ単なる芸のない悪口で、聞いてて感心もしないし面白くもないです。やっぱ根本には愛がなくちゃ。

あと、やっぱ中で取り上げられている『MMR』ってマンガを読みたくなりました。すっかり忘れてたけど、数年前にそのマンガのツッコミサイトで大笑いしたコトがあるんだよね。巻末のおすすめ本に入っていた『MMRはどこまで真実か!?』って同人誌が手に入るなら、一緒に読みたいもんです。

2002.11.13

■ここんとこ引き篭もっててインプットの量が足りないので、今日は箇条書きでゴー。

■とあるリサイクルショップの商品棚の奥に木彫りのカエルを見つけ、ふらふらと入店。インドネシア辺りの神さまだそうで、直立していて、首や腰に金色の飾り模様がついている。めちゃくちゃ気に入ったのだけど、訊くと9,800円…。「骨董になりますからね」とのコト。うーうーうー。これがインドネシアだったら「旅の記念に」とか言い訳して財布を出しちゃうかもだが、流石に日本じゃ躊躇われる。迷った挙句「ガマン出来なくなったら買いに来ます…」と言い置いて店を出た。あああ。姿かたちといい塗りのハゲ具合といい、もろ好みだったのに、身分の差がありすぎた。

■部屋の掃除したい。凝った料理を作って食べたい。編物したい。ゲームしたい。旅行行きたい。本読みたい。バカ話したい。ゆっくり寝たい。…いつもは怠惰に生きているのに、やらねばならぬコトがあるときに限って、誘惑してくる声の大きいコトよ。てか現実逃避したいだけ。

■かなり前から母親と「歌舞伎か落語か文楽を見に行こうよ」と約束をしていたのだけど、タイミングが合わず、ずるずると先延ばしにしていた。が、ゆきさんの日記で歌舞伎座の1月の演目が決定したのを知り、俄然気持ちが盛り上がってきた。特に「京鹿子娘道成寺」と「弁天娘女男白浪」が並ぶ昼の部に惹かれる。初めて観るのだから少しでも知ってる演目のときがいい。ゆきさんの「歌舞伎を見に行きたいなーとか思ってる方は、是非是非1月に行かれると良いと思われます。」 という声がピンポイントで届いたし(これがデンパというヤツですね!)、よし決めた行こう。絶対行こう。…それにしても、歌舞伎もお高いのねー。私が芝居に出すお金って1万が限度なのに、一等席だと15,000円かあ。せっかくならいい席で観たいけど…うーん、悩むなぁ。

■インプットって大事だよな、と改めて思う。特に私のような忘れっぽい人間は、次々と何かを入れ続けてないと、すぐに空っぽになってしまう。アウトプット活動も大好きなんだもん。や、違うか。インプットしたものをキープしとく力が足りないのかな。だからせっかくインプットしたものを垂れ流しちゃってて、いざアウトプットが必要ってときに、残ってるものでは足りなくなっちゃうのか。ありゃ。こりゃかなりマズいわ。少しは意識して残さんと使いモノにならなくなるよ!>私。

2002.11.12

「あなたが下半身デブなのはO脚だからだ(要約)」と言われてショックを受けて以来、何げに姿勢に気をつけていたせいか、少ーしだけ膝がくっつくようになってきた。そしたら、見ず知らずの通りすがりのおばさんに足を褒められた。しかも立て続けに2回も。その後エステの勧誘に話が進んだりはしなかったので、裏のない褒め言葉だったと受け取ろう。うほうほ。しかし体重は減らず。世の中そこまで甘くないらしい。

さて。舞台を知らない人が、舞台をこてんこてんにバカにしている文章(本人はそんなつもりじゃないっぽいけど)を読んでしまい、頭が真っ白になるぐらい腹が立った。思わず長文の抗議メールを書きそうになったが、ぐっと堪える。私は舞台が好きだけど、私の知ってるのは舞台のごく一部だ。オペラや新劇やアングラや伝統芸能のジャンルはほとんど見ていない(オペラや歌舞伎は見たいけど)。舞台とは何ぞやと説教できる人間じゃない。できるのはココでボヤくくらい。でもお願いだ。知らないなら知らないでいい。せめて放っておいてくれないか。

最近ちょこちょこ読んでる三谷幸喜さんのエッセイに「出来のいい舞台は出来のいい映画よりも面白い。けど出来の悪い舞台は出来の悪い映画よりもつまらない」みたいなコトが書いてあった。ホントにそうだと思う。私は舞台での芝居が好きで、今までにいくつもの当たりに出会っているから、頭の中にあるのは質のいい芝居と魅力ある役者さんたちだ。けど世の中にはどうしようもなくくっだらない舞台もあるし、見所のない役者さんもいる。たくさんある。いる。舞台を貶されたからって、私の愛する舞台や役者さんたちが貶されたとは限らないのだ。

……と、いくら冷静になろうとしても。ダメだ。腹が立つよ。好みの差はあるから、質のいい芝居を貶す人がいてもいい。ちゃんと観に行ったなら。でも観てないくせに何となくのイメージで語ったり、1つや2つの舞台を見ただけで舞台が何なのかを分かったり、しないで欲しい。舞台と、映画やドラマの魅力は、全然別のところにある。表現方法も全然違う。TVでやってる舞台中継は、あれはもうすでに舞台じゃない。違うったら違うんだってば! なまじっか似てて、両方の世界に通用する人もいたりするもんだから、ごっちゃにしちゃう人が絶えないんだろうなぁ…。

ちと疲れてるせいかネガな気分が盛り上がっており、この程度の糸口から話を捩じ曲げ、「所詮人と人とはわかりあえないもんだ」的な厭世観にも浸れる勢いです。向こうも、とある劇団の女優がパンツ見せながら大立ち回りしていた、とか、某劇団の女優がすごく嬉しそうに「アルゼンちんこ」と言っていた、なんてコトに大喜びする私の気持ちなど、知りたくもないでしょうからな。ああ悲しい。

2002.11.9

考えてみりゃ私の好きな物語を書いてくれてる人たちはほとんどが一神教の国の人なのだから、昨日の「日本人で良かった」感は的外れだったかも…って反省は置いといて、今日も今日とてハリー・ポッター行きます。ビデオ借りてきたので映画版の感想をば。

『指輪物語』の映画版見たとき、内心密かに「ああこりゃ原作ファンのための映画だ」と思ったもんですが、ハリポタ映画はそれ以上に原作を読んでないと楽しめなさそうです。指輪は完結していて先が分かっているから、物語全体に齟齬が生じないように上手く刈り込めたんじゃないでしょか。だからストーリーや展開が違っても、原作のムードを壊さずファンを満足させられたんじゃないかと。や、ハリポタが原作を壊してるとは言いません。てかむしろ、原作を大事にしすぎてると思います。原作の要素をほとんど全部詰め込んでる。欲張りすぎたのか、それとも、未完でどこが伏線になっているかが分からないから刈り込めなかったのかは謎ですが。

とにかく詰め込みすぎのせいでどのエピソードも説明不足で唐突すぎるように見えてしまいます。原作を読まずにこれを見たら「なんでそうなるの???」のハテナ沼に呑み込まれそうです。例えばハーマイオニーが「だから友達いないんだ」と言われて泣き出すところ。それ以前のハリーやロンとの関係が上手くいっていないって説明がされていないので(てかむしろ仲良さそうに見える)、その意外さが効いてません。あと映画だけ見て「パーシーとフレッドとジョーはロンの兄である。ロンは優秀な兄たちのせいでプレッシャーを感じている」ってのが分かる人はいるんでしょうか。兄弟だと推測できるのはキングス・クロス駅での登場シーンだけですもん。その背景の説明を端折るなら、ロンを“みぞの鏡”の前に立たせるべきじゃなかった、と思います。

ま、イチイチ挙げてられないくらい、万事がそんな感じだったのですが、だからこの映画が駄作ってワケじゃないです。原作を読んでるって条件付きで、楽しめます。(それは映画としてどうなのよ?って意見も置いときます。置いとくのは得意だ)。ただ、指輪のように「原作を知っていれば説明不足のシーンも全部脳内補完してその世界に身を委ねられる」ってレベルまでは行っていないですね。物語に対する思い入れの差のせいだけではなく。で、じゃあどのレベルなのかというと……私はこの映画を、原作の、“動く挿絵”として見ました。挿絵単体では楽しめないけど、物語と一緒だと雰囲気を盛り上げてくれる。そんな感じで。

あ、でも映画と私の人物イメージは結構ズレてました。特にスネイプ先生! 思ったより若々しくて肉付きが良くて…でも慣れたらなかなかハマッて見えました。マルフォイも。ハーマイオニーは可愛かったし、マクゴナガル先生もいい!(人の顔を致命的に覚えられない私は、マクゴナガル先生の顔見て「…この女優さんすごく好きなんだけど、何で見たんだっけ〜。思い出せない〜、気持ち悪い〜」とず〜っと考えてました。『天使にラブソングを』の院長先生かぁ。大好きなハズだわ)。

ホグワーツ校とダアイゴン横丁はイメージより明るい光に満ち溢れてましたが、夜のシーンはほぼ想像通りでした。残念なのはCGで、幽霊や肖像画やユニコーンやケンタウロスにはちとがっかり。も少し優美さとか繊細さ重厚さとか出してくれよぅ。あ、ハグリッドの小屋は可愛くて良かったな。しかしさ、原作は巻を重ねるごとにどんどん長くなっているみたいなんだけど、この調子で詰め込んでいったら続編はますます説明不足の映画になっちゃうんじゃないかと、余計な心配も募ります。まぁ大画面で見たらまた違うでしょうから、2作目は映画館に見に行くつもり。

最後に重箱の隅つつき。禁じられた廊下が原作では4階にあるのに、字幕では3階になってたのが引っかかりました。英語では「third floor」って言ってるんですよ。一瞬、ん?と思ったんだけど、ああイギリスなんだからground floorがあって4階かぁ、と納得しまして、「なーんでこんなどうでもイイところで原作との整合性を崩すかなぁ」と思ったら字幕は噂の戸田奈っちゃん。あはは。……ふぅ。

あとこれは翻訳への注文なんだけど、呪文の訳し方がテンポ崩しててヤです。いちいち意味が後ろにつくの。「ルーモス、光よ!」とかね。「ルーモス!」だけの方がいい。意味つけたいならせめて「ルーモス!(光よ!)」って感じにしてくれないかなー。テンポも雰囲気も壊れるんだよね。映画では呪文のあとに意味を付け足してはいなかったから、原語では「Lumos!」だけで「Lumos, light!」なんてやってないと思うんだけど、どうなんだろ。もしやってるなら、翻訳者じゃなくて著者への注文ってコトでひとつヨロシクしたいところ。

2002.11.7

勢いに乗ってル=グウィンの『影との戦い』(ゲド戦記I)を再読。うーむ、懐かしい。このシリーズも大好きなのです。これまた全然ムードが違うのだけれど。ゲド戦記には、年齢を重ねるに従って好みがどんどん後ろの巻にズレるから、どの巻を好むかで精神年齢が分かるという説がある(らしい)ので、正月に実家に戻ったときにでも、他のも読み返して精神が成長してるかどうか試してみたくなりました。ちなみに最後に読んだとき(5年以上前)一番好きだったのは、2巻目の『壊れた腕輪』。……あっ、全部で4巻までしかないんですよ!

ところで『ハリー・ポッターと賢者の石』で魔法学校の校長先生が「ものには必ず適切な名前を使いなさい。名前を恐れていると、そのもの自身に対する恐れも大きくなる」 と言ってました。なかなかいい台詞だなーと思った次の瞬間、あ、でもこの逆バージョンも好きなんだよな、と思いつきまして。「曖昧な影にしかすぎないものに名前を与えた途端に、それは実体を持ち、力を持ってしまう」ってヤツです。んでゲド戦記の世界ではどうかというと、「真の名を知られると支配されてしまう」のです。

私、この「だから自分の真の名は本当に信頼できる人にしか明かしちゃいけない」ってお約束の世界で繰り広げられる物語が、昔から好きでした。なんともドラマティックじゃないですか。何とかして敵の真の名を探り出そうとしたり、名を明かした人に裏切られたり、敵に名を知られてしまって力の全てを失ったり、艱難辛苦の果てに新たな名を見出したり。これだと上記のどっちの考え方にも応用できます。名前を呼ぶことで対象の力を実際以上のものにはしない。或いは力のある名前を与えることで対象を実際以上のものにする。うーむ名前って奥が深いなー……などとごちゃごちゃ考えている私は、実は言霊も何げにどこかで信じてたりするのでした。世界のあちこちで通用する概念なのでしょうが、それを無節操に受け入れられる日本人で良かった〜と思うひととき。

アリスのフィギュア

ユニコーン来た! なんか偉そう! ダムとディーは四つ子になった!

2002.11.6

J.K.ローリング『ハリー・ポッターと賢者の石』『ハリー・ポッターと秘密の部屋』『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』読了。いやいや、ハリポタファンには今までの数々の(て程じゃないけど)暴言を謝らなくちゃ。面と向かっては言わなかったけど、指輪ファン同士では言ってたんですよ、「並べるなよなー」って。映画公開時期が重なったせいもあって、やたら比べられてたじゃないですか。しかも、指輪なんか読んだこともなさそうな人が「世界二大ファンタジー」とか言ってるの聞くと妙にムカついちゃって、読まないうちからハリポタにはひどく偏見を持ってました。太文字で謝ります。すいません私が間違ってましたゴメンなさい。

や、今でもハリポタと指輪を“世界二大ファンタジー”とは言いませんよ私ゃ。指輪は私のかーなり深くに根をおろしてて、やっぱ別格なんですもん。でも全然別モンで雰囲気も違うんだから、わざわざムリに並べて比べなくてもいいじゃないですか。ハリー・ポッター、すごく面白かったです。もし子供の頃にこの物語に出会っていたら夢中になっただろうし、今でも充分、ホントに充分楽しみました。ここまでファンタジーのステキ要素がぎゅーっと詰まった、王道のファンタジー作品が新規で出てきたら、そりゃベストセラーになりますがなって感じ。どうも最近のファンタジーは捻り過ぎのが多いですもん。ま、捻ってあるのもキライじゃないんですが。

事前に「悪と善とがはっきり分かれてて深みがない。単純」だの「まるで灰かぶり姫のように暮らしている男の子のもとに、突然違う世界からの使者がやってきて『君は特別な存在なんだ』だってさー。そりゃ現代の無気力な若者にアピールするわ」だのって評を聞いてました。そしてそう言いたくなるのが分かるようなファンタジー作品も知っているもんで、反感も手伝って「そうゆう感じなんだなー」と思っちゃってたです。でもね、確かにそれが問題になる作品もありますが、そゆトコだけに拘泥して異世界のキラキラエッセンスを拾い損ねるような人は、そもそもファンタジー好きにはなれんです。考えてみれば「ファンタジーは現実逃避の文学」って論は大っキライなのでした私。

ツッコミ所はありますよ? 「このクィディッチってスポーツ、やたらゲームのバランスが悪そうだけど果たして面白いんかい?」とか(でもイギリスはクリケットの国だからねぇ…)、友情とか愛とかハッキリ言い過ぎでちょと恥ずかしいとか、第一巻では「世界有数の魔法使いが仕掛けた封印を、魔法学校の一年生がそう簡単に解いていいんかい? 試験じゃないんだからヒントが置いてあるのはおかしいんでないかい?」とか、「ホグワーツ校の先生の選定方法は何か間違ってないかい?」とか。でも、そゆ隙のある部分も全部ひっくるめて、いーい感じでバランスのとれた愛すべき世界を作り上げてくれてるじゃないですか、ローリング女史は。

なんせ魔法を知らない人間(マグル)たちからは隠されている魔法使いの世界がとっても魅力的。マグルの目にはとまらないパブから通じる(しかも中庭の壁の秘密の場所を叩くと入り口が開く)ダイアゴン横丁。ここでは怪しげな薬も真鍮の鍋も自分に合った杖も流行最先端の箒も黒いローブも魔法学校の教科書も白いふくろうも、全て買うことができます。小鬼が経営する銀行もあって、地下深くにある金庫に行くにはトロッコに乗って急降下。魔法学校ホグワーツに行く電車はキングス・クロス駅の9と3/4番線から。もちろんマグルには行けません。寮が4つもある学校にも、建物の重厚な雰囲気にも、それを飾る小道具にも、わくわくします。

肖像画は話し掛けてくるし、意地の悪い幽霊はうろついているし、クリスマスやらハロウィンやら季節のイベントには事欠かないし、生徒の規則違反に目を光らせてる厳しい先生はいるし、天蓋つきのベッドに不思議な生き物たちに蝋燭の明かりに楽しそうな授業に暖炉にお喋りに部屋の片隅の暗がりに喧嘩に山盛りのご馳走にいたずらの数々に…もう浸りなさい漬かりなさいの魔法の世界。こりゃ出てる分一気読みするのがイイですわ。どんどんどんどんハマッていきます。そこで少しずつ成長していく子供たちと、徐々に明らかになってゆく、ハリーの親の世代に起きた事件の真相と…。物語もこの先が楽しみです。期待を裏切らない成長を見せてくれるとすごく嬉しいなー。ハーマイオニーは私のツボキャラだし。ハリーの父さんの親友2人もツボかも。

何か、雰囲気はかなり違うんですが、魔法の学び舎つながりで『ゲド戦記』の第一巻を読み返したくなりましたねー、久しぶりに。あとは…そうだ、映画版のビデオも借りてこなくっちゃ。ハーマイオニーがすごくいいって話なので、こっちも楽しみです。

2002.11.5

文章を「〜なんだけど」とか「〜ですが」で締めくくる人って、性格がヒネくれているそうですね! 私が使いすぎてる文末なんですが。(←あっ…!)

せーっかくの三連休だってのに、寝込んでました。連休前から寝込んでたので、廃人になりかけました。外はあんなに天気がいいのに!と、窓から見える青空を眺めて…。でも「ああ一日を無駄にしちゃったよぅ」とか思いつつも、昼日中にあったかい布団にくるまってぼーっとして、本を読んで、眠くなったらうとうとして…ってのは、ある意味すごく贅沢な気分で、大げさに言っちゃうと「うあ…私ってば退廃的…」ってムードにも浸れて、後ろめたい反面、気持ちよかったです。鼻みず流しながら退廃的も何もないもんですが、ま、たまにはね。

これで「お姉ちゃん、おかゆが出来たわよ」と看病をしてくれる妹がいれば文句はないんだけど、現実のマイシスターは私が布団の中で突然死を遂げても三日は気付くまい、と常日頃感じさせてくれる人なので、そこは期待せずに自力で何とか。風邪をひいても食欲の失せない自分が憎いです。「いつもすまないねぇ」とかやつれた風情で言ってみたいのにぃ!…と、そんな文句は置いておいても、さすがに図書館から借りてきてた本を全部読み終わってしまいまして、これには困りました。

ドロ沼劇場に入れようと思ってるお気に入りシリーズは、書く前に読み直すつもりでずっと積んであるのだけど、これに手をつけたら長くなっちゃうし…と、途方に暮れる私の目に止まったのは、こないだ友人から借りてきた『ハリー・ポッター』のシリーズ1〜3巻。うおーっ、今こそこれを読むときだっ。というワケで世間さまから1年くらい(?)遅れてハリーくんとご対面。映画もまだ見てないし、TVに流れた映像で多少の先入観はあるものの、割と自分でイメージ作って読めてます。「映画は自分でイメージ作ってから見なくちゃダメ。あれも原作を読んだ人のための映画だから」と友人にキツク言われているもんで。

あの、ハリー・ポッター旋風が吹き荒れているときって、どうも手に取る気がしなかった(世の中が落ち着いてから読もうと思ってました)し、映画が『指輪物語』のと並び称されているのが指輪信者の私としてはどうも気に入らなくて、更に映画版の酷評も読んじゃったりして、結局ここまで遅れてしまいました。感想は3巻まで読んでからまとめて書くつもりですが、とりあえず、ちょうどいいときに手に取れた気がする、とは言っておきます。物語の第一印象って、自分のコンディションにすごく左右されるものね、絶対。

2002.11.4

スーザン・ヒルの『ぼくはお城の王様だ』読了。読んでてすごく辛かったです。物語はイギリスの田舎にあるウェアリングズ館が舞台。館では父親と少年フーパーが暮らしているのですが、そこに住み込みの家政婦がやってきます。自分の息子キングショーを連れて。やもめ男の父親には家政婦が後添いになってくれればいいなーって期待があり、未亡人の家政婦にも上手く再婚して苦しい暮らしから抜けられればいいなーって期待があるワケです。んで二人はお互いに好感を抱き、利害関係も一致し、どんどん仲良くなっていくのですが…。

子供たちはそうはいきません。もともとフーパーは他人に家に来て欲しくなかった。キングショーも来たくはなかった。だからフーパーはしつこく、陰湿にキングショーを苛めます。相手が何を怖がるか、何を嫌がるか、そういったコトに人一倍鋭敏で、嫌になるほど上手にツボを抉ってきます。そしてキングショーは、そういう苛めに対して人一倍敏感です。子供たちには大人たちが何を望んでいるのか、はっきり分かっています。だからその力関係も、子供たちの関係に影響を与えます。そして…。

何がツライって、この子供たちの描写が、そして大人たちの鈍感さがホントにリアルなところ。著者の後書きによると、この作品は十代後半の少年たちの共感を呼んだ一方、「世の親たちは、二人の少年の関係やこの作品の結末を、絵空事だ、納得できぬと非難した」 そうです。これを絵空事と言えちゃう人は、物語の大人たちみたいに善意ではあっても鈍感な大人かも知れん…と私は思いますがな。フーパーみたいな、口先ばかりで何もできないクセに人の弱点には敏感で、そこを攻撃するコトだけは上手な子供はいます。そしてキングショーのように、思い詰めちゃう子供も。

何を隠そう、中学生の頃の私はバリバリの苛められっ子で(何か今更こうゆうコト言うのは恥ずいなー)、仲良しにも同じように苛められっ子がいて(同類?)、更に身近に苛めを苦に自殺しちゃった子の走りがいたりして、以前から苛めについて考えるコトが多かったのです。昔は登校拒否なんてそう一般的じゃなかったしね。んで結論は「やっぱ子供って世界が狭いんだわ。だから一つの世界で上手くいかなかっただけで、世界の全てが自分を拒否しちゃってるみたいに感じるんだよね。世界が狭くないってコトだけは、選択肢がいくつもあるってコトだけは、大人が見せてやらんといかん」って極々当たり前の結論しか、今のところ出てないんですが。

んでもそれを出来ない大人が多すぎる。てか見せるも何も、大人自身選択肢が見えていなかったりする。イギリスや日本だったら、環境が許さないってワケじゃないのにね。キングショーの母親はその典型で、もう読んでてイライライライラしてました。キングショーもまたマジメ過ぎて、その母親を振り払えないのです。まぁ10歳なので当然の反応だと思うけど。これが女のコなら、も少し早熟なのかなー。とにかく関係の悪循環で、全て悪い方に悪い方に転がるんですよね。それが辛くて。

でも力のある物語で、いろいろ考えられました。最後に著者後書きより。こういう姿勢でいる小説家は、けっこう好きです(ハズしてたらどうしようもないけど)。「なぜ、なんのために、小説を書くかといえば、結局はこれに尽きる―――あなたはひとりぼっちじゃないんですよ、と伝えるため。」

2002.11.2

せっかくの連休だというのに風邪ひいて寝込んでおります。順調に治りかけ。アリスにはクイーンアリスとライオン(2匹目)が仲間入りしました。カードの園丁はもらえそうなので、あとはクロケーをするアリスとユニコーンだ!

アリスのフィギュア

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