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2002.6.29

ゆきさんの6/28の日記を読んで、改めて「心理実験ってえげつないコトするなぁ」と思う。アイヒマン実験だっけ。「人は権威ある人に“責任を取るから心配するな”と言われると、自分で判断をしようとしなくなってしまう」ってヤツは。あの電圧を上げ続ける実験のコトだけど。人間がいかに簡単に判断力・決断力を手放してしまうか、いかに簡単に役割に順応してしまうか、いかに簡単に誘導に引っかかってしまうかってゆう実験には興味もあるが、やっぱりまず恐ろしい。自分の中にも、親しい人の中にもそうゆう面はあるんだろうから。そうゆう面ばかりだとは思わないけど。

アイヒマンといえば、今読んでいる『復讐者たち』って本は、第二次世界大戦後にナチ戦犯を追跡し復讐を果たしたユダヤ人たちのドキュメントなんだけど、これも何とも言えない気分になる内容だ。いろいろ考えているんで、読み終わったら日記で書くと思う。ただ、作者が“復讐者たち”にこれ程シンパシーを感じていない方が、面白い…とゆうか、素直に読める本になったんじゃないだろうか。

2002.6.28

去年の夏、里帰りしていたときです。私(当時30)・妹(28)・母(53)、久しぶりに遊びに来ていたTちゃん(17)の女4人がマンガ話で盛り上がりまして、ひかわきょうこさんの『荒野の天使ども』シリーズと、今現在連載中の『彼方から』の比較をしていたんですよ。ちょうど私たちが「ダグラス(『荒野〜』の主人公)とイザーク(『彼方から』の主人公)の、どちらが好みか」で喧喧諤諤の論議を繰り広げていたとき、外で畑仕事をしていた父(54)が戻ってきました。そこで私は何の気なしに、彼にもその話を振ってみたんです。うちの親は私たちの集めた本の大半を読んでいるので。

ただ一応気はつかって、両作品のヒーローじゃなくヒロインの名前をあげてみました。「ねえ、Wくんはミリアムとノリコのどっちが好み?」って。すると父は「…それは、つきあうならどっちがいいかってコトか?」と聞き返してくるじゃありませんか。私含め女性陣はちょっとビックリしまして、「え? マンガや小説のキャラが好きって、つきあいたいとかそうゆうのとは全然別の話じゃん!」と口々に言い立てたのですが、彼は「いや、俺にとってはそうゆうコトだ」と譲りません。だから「じゃあ高校生とつきあいたいってコト? 図々しいんじゃない?」とか「じゃあ男だったらどうなのさ。どっちと友達になりたいかって考えるの?」とか、調子にのってさんざん苛めました。

…いや。どうってコトない、それだけの話なんですが…。昨日また『ER』を見ていたら、Dr.グリーンと父親が共通の話題を探すのに苦労していて。そういやウチは普段どんなコト話してるんだっけ…と、ぼんやり考えたら真っ先に浮かんだのが上記のやり取りでした。しょうもない会話にエネルギーを費やしてますが、まだ当分は何を話すかに困りそうもないですね。ちなみに私の好みはイザークとノリコの『彼方から』コンビで、父は男には興味がないそうです。私だってそうゆう意味じゃ女に興味ないやい!

2002.6.27

毎週金曜日にNHK総合でやっている『ER VI』を楽しみにしているのだけれど、忙しさに負けて第8話からを見逃してしまったし、シロツグさんの6/3のMEMOに書かれているキョーレツエピソードは気になるし、で、ここ何日かは会社帰りにTSUTAYAに直行、自宅で『ER』鑑賞って日々を送っていた。ところがこのシリーズまだ比較的新しいせいか、ビデオは全部貸し出し中になっている。念のためDVDの棚も探してみたら…あるじゃない! しかもビデオだと2話ずつしか入っていないのにDVDだと4話ずつ入っていて、しかもレンタル料は同じ! こりゃこっちの方が断然お得だー。知らなかったよーと喜びいさんで7-10話・11-14話・15-18話の3枚を借りて帰ったら、思わぬ落とし穴が待ち構えていた。

てか予測しなかった私がばかだった。『ER』は1stからずっと見ているが、とにかく密度の濃いドラマである。救急救命の現場を、医者の目から見てもリアル(だそうです)に描き、スピーディーに展開しているドラマ。これをパクった日本製ドラマとは比べモノにならない。救急救命…というだけあって、死は身近なものだし、患者たちは、印象的な患者も、そうでない患者も、次から次へと医者やスタッフの前を通り過ぎてゆく。「この人だけは死なないで!」って人でも死ぬときは死んでしまうし、「こんなヤツ死ねばいい」って人間でも、助かるときは助かる。その容赦のない現実っぷりがこのドラマの大きな魅力なのだけど…。

あのね。このドラマ、週に1回・45分ずつ見てるのが丁度いい! 続けて2話も3話も見たらこっちが死にそうになります。もうぐったり。とにかく疲れるの! しかも13〜14話が…(以下、ネタバレ部分。私と同様NHK総合で見てる人もいるだろうから隠しておきます)。シロツグさんの日記からメインキャストの1人が死ぬこと、そしてそれは凶行によってであろうことは分かっていたのだけど、この件に関しては「誰が」って情報は一切入っていなかった。だから11話くらいまで出ていた連続レイプ犯を、怪しいと思っていたのだ。Dr.コーデイが彼にずいぶん恨みをかっていたから、何とかして監視から逃れた彼がコーデイを…と。

ところが彼は無事に刑務所に移送されてしまい「誰が」って予測はできなくなってしまった。そして凶行はやっぱり初登場の人間によって行われてしまったのだけど…。14話、としか知らなかったので13話では油断してたのですよ、私は。だって13話では「自動車事故によって両親をいっぺんに失ってしまった幼い兄弟」と「老女への延命治療をどうするか」って2つの大きなエピソードを中心に話が進んでて。まさかDr.グリーンとDr.コーデイのラブラブシーンに絡めて密かに物語がスタートしているとは…。くそー脚本家の罠にまんまと引っかかったよ。

シロツグさんが書いているDr.ロマノの演技。私は彼がテーブルを投げつけるシーンよりも、その直後が堪らなかった。「君の指導には時間と労力がかかっているんだから、ここで死なれちゃ困る」って、すごく彼らしい台詞を口にしていて彼女を励ましていたロマノが、テーブルをひっくり返した後に「いや、まだ諦めるのは早い! もう一度だ!」と全然ちっとも彼らしくなく、手術台にとって返すトコロ。あれがすごく…。思い返せば直前のロマノと彼女との急接近も、このための伏線だったのね。ああ、やるせない。

それからDr.ウィーバーの演技も特筆すべき。中間管理職の彼女は憎まれ役になるコトが多いけど、親切な顔を見せるコトも少なくない。実は脚本家の中でも「規則至上主義で融通のきかない、優しいところもあるけど結局保身が先に立つタイプ」にしたいのか「真面目で無器用で融通がきかない部分もあるけど、実はかなり人を思いやるタイプ」にしたいのか、はっきり定まってないんじゃないかと思うくらい回によって見せる顔が違う彼女だけど、私は後者のときの無器用な彼女がちょっと好きなのだ。その彼女の、犯行現場を見つけたときの表情・被害者の胸を開くときに見せる躊躇い・そしてやっぱり彼女らしくなく吐いてしまうシーン…。どれも堪らなかった。すごくイイ演技だったから余計に。

そしてねー、私もあの話がパーティーと絡められてしまったのはホントに残念。「気付かない」ってなら他にもやりようがあったのに。ERの魅力はもちろん「容赦のない現実」だけじゃなくて、それに毎日直面してがんばってる、時には無力感に打ちひしがれたりもする病院側スタッフたちの心理描写や彼らの人間関係なの。過酷な現実の中でも、ほっとする瞬間があり、大笑いする時があり、シアワセを感じる時間がある。特にあの戦場のような職場ででも、季節ごとの行事には部屋を飾りつけ、ちょっとした時間を見つけて楽しむ。そうやってる彼らを見て私までホッとするのだけど、それに影が差してしまうのはホントにホントに残念。もともとそうゆうのにイイ顔してなかったDr.ウィーバーも、ますますうるさくなるだろうしねぇ。

この先『ER』はどうなっていくのだろう…。聞いている話でも不安なコトは多々あるけど、でも次々と役者が降板していくにも関わらず、新しい役者を入れてまた新しい人間関係を築いていって、6thになっても質を落とさないのは素直にスゴイと思うし、もっともっと続いて欲しいと思います。

2002.6.26

ココで詳しく書くつもりのないコトを思わせぶりにほのめかすのは止めようと思っているのですが…あんまり嬉しいから書いちゃえー!(←節操なし) えへへ。今日何通か嬉しいメールを受け取ったのですけど、その中の一通が特に嬉しくて何度も何度も読み返しちゃいました。最近お気に入りになった逢坂みえこさんの『ベル・エポック』ってマンガの3巻、庄屋恵ちゃんのエピソードの気分です。って大げさかなー。でもホントに嬉しかったのよ。えへへへー。

さて。例えば電車の中で赤の他人が「○○って何だっけ」って話を延々としていて、その答えを自分が知っていたら、すんごく口を出したくなりません? でも「何だっけ〜、ああココまで出かかってるんだけど〜」とかやってるときに、いきなり見知らぬ女がくるりと振り返って「それはね」と人差し指を立てて話し出したら、そりゃもうびっくりすると思うので、ぐっとガマンするじゃないですか。それで間違った結論に辿り着かれでもした日にゃぁ、身悶えモンですよね。話している周りの何人かは「そりゃ××だよ!」と頭の中でツッコんでると思うのですが。

その点ではインターネットって楽ですよね。ふと立ち寄った掲示板でこんな話してても、あんまりためらわずに「それは××ですよ」と書き込める。自分が何か知りたい場合も、詳しそうな人が集まっているところに言って、聞ける。私は主にゲームの攻略で色んな見知らぬ方のお世話になってます。そうゆう点では便利なのですが、でも「議論」となると難しいなーと思います。論理的に話す自信がないので、ほとんど口をはさんだりしないのですが、でも時々どうしてもムズムズします。

いえね。他人の掲示板で論争ふっかけるなら自分のメールアドレスくらいは出すのが仁義なんじゃないかと思って。もともと荒らし目的じゃなさそうだし「皆さんの意見が聞きたい」と言うのであれば、そのくらいはさ。「いやがらせのウィルスメールが怖い」だの「みんなに見える場所で議論したい」だのって分からないでもないんですが、それなら自分で無料の掲示板でも借りればいいのに。…と、ある人に言いたくて堪らないのですが、メールアドレスが分からないから言えないのでした。もやもや。でも書いたらちょっと落ち着いたわ。伝わってもないのにね。

2002.6.24

ワールドカップが終わらないうちに…ってコトで、ドロ沼に「かわみなみさん」をUP。一部、以前書いた日記の文章を修正して使ってます。

そうそう『The Lord of the Rings』のDVD版の予約が始まったようですね。例え値段が倍だろうと30分の映像が付け加えられた方を買いますが、販売日時がずいぶん遅いのは残念だなぁ。

2002.6.22

あはは。一昨日の日記がヒロタシさんに「熱い」と言われてしました。やーあれでも過激表現はだいぶカットしたんですけどね。んで、ヒロタシさんの日記も読んで、ちょっと補足。

まず「肌を過剰に露出した服装」に不快感を感じるってのは、分からなくもないです。「だから○○してもイイ」って理屈に結びつけなければ。何に不快感を感じるかなんて個人の趣味嗜好の問題だしねー。私だって油べっとり頭の男性とか、香水ぷんぷんの女性とか、不潔そうな人とか、ムカムカしますもん。キレイな女性の肌の露出は気にならない(てか、むしろ好き)けど、たまにいる「あんた腹を出す前にまずダイエットしろ!」ってタイプの人は見たくないなーとも、思います。だけど「公序良俗に反する」って言うのは、どうでしょう。

いや、そう思うのも言うのも別にいいんです。ただ効き目はないだろうなー、と思って。言っても「だってみんなやってるじゃん」って返ってきそうな…。そもそも「公序良俗」って何?みたいな。まあ「公」ってつくからには「時代の大多数が認めている範囲」を脱してしまったら、「公序良俗に反する」と言えるんでしょうね。でもこの基準って、時代によってどんどん変わっちゃうじゃないですか。だから言っても「何古いコト言ってんの?」って反応しかなさそう。それでも言い続ければ、変わる可能性はありますが…。

ところで、見せブラってそんなに目障り? 女のコの胸の谷間を見るのが大好きな私には、あんま実感がわきません。私が女だからかしら。でも見せブラと見せタマと同列にするのはムリがありますよぅ。女のコが見せ乳首くらいやり始めたら、対抗してやってもいいかな(←その前に誰か止めれ!)。同列になるのは、せいぜい見せパンでしょうねぇ。そう、一時期男のコもパンツ見せて歩いてたじゃないですか。…と思ったのですが、ひょっとして私が見せタマ見たくないのと同じくらい強く、見せブラ見たくない男性もいるのかな。それに男性はタマ見せながらうろちょろしてる同性がいても平気なのかも気になるところ。どうですか?>男性諸氏。大半の女性は見せブラを積極的に支持しないにしろ「イヤだ」と感じてもいないとも思うのですが…。

ちなみに私が一番困るのは、男のコがジーンズをずり下げて穿いてるあれ。見るたびに、どこにどうやって引っかかっているのか気になって、目が離せなくなります。最初は腰骨で止めてるんだと思ったけど、どう見てもそれより下がってる人がいるのよね。たいてい裾を引き摺っているので、踏んでやったらどうなるだろうかとか、脇を掴んで引っ張ってみたらどうなるだろうか(←別に中身が見たいワケではない。構造が知りたいだけ)と、もうムラムラして気が散って気が散って目の毒です。

2002.6.20

最近はあまり殺人やら誘拐やらのドラマチックな夢(←もともとよく見ていた)を見なくなってたんですが、昨晩久しぶりにスゴイのを見ました。舞台は小さな村で、理由はよくわからないながらも村にやってきた女性を村人全員が次々と殺しています。それを不審に思った友人(女)に連れられ、私もその村に行く羽目に…。私は真相を突き止めるという彼女の意図を知らなかったので、村の有様に怯え、私たちの手には負えないから逃げようと友人を説得しようとします。ところが逃げようとした途端にあっさりと村の実力者に掴まってしまい、私たちは殺されるコトになります。…その様子がねー…普通危機に陥ると私の視点は私の体を離れるんですけど、昨晩はずっと自分の体を痛めつけられるのを感じていて。

途中でナゼか「この人は村人だけど味方だから、隙を見つけて逃がしてくれるハズ」ってゆう男性が出てくるんですけど、その人も私たちを痛めつけるんですよ。最初は「これは他の村人の目を欺くためだ」と思っているんですが、あまりにも執拗なので「…ひょっとして裏切るふりをして私たちに希望をもたせ、騙されてる私たちを嘲笑ってるだけなんじゃ…」とゆう疑いまで芽生えてきます。「痛い痛いもう止めて」と口に出したいけど、言ったらこの人が味方だとバレてしまう…でもホントに味方?と迷ってるうちに、そのまま結末もなく目が覚めたんですが…。うーん、なんか意味深。夢判断できる方に解いてほしいくらい。動かぬ証拠を探していたときに見つけた、風呂に沈められていた赤いワンピースの女性の死体が生々しく、夢の中で心臓が止まりそうになりました。別に推理小説とか読んで寝たワケじゃないのになぁ…。

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さて。あんまり恐ろしかったので夢の話から始めてしまいましたが、今日は予告どおり痴漢の話。発端は昨日も書いたように『アドレナリンショック』の掲示板です。一度終結したハズなんですが、「けじめ」書き込みがあまりにも見当違いだったせいで、また再発しとります。あはは…(←力なく)。なんか最初の「痴漢は100%男性が悪いのか? 挑発的な服装をしている女性にも5%くらいの責任が生じるんではないか?」ってHさんの書き込みを読んだときには、「あーこの人あんまり考えないで書き込んじゃったんだろうなー。ほら、こんなに突っ込まれちゃって。かわいそうな気がしなくもないな」と思っていたんですけど、途中経過や「けじめ」を読みすすむうちに、考えが変わりました。

発端になったHさんはじめ、痴漢擁護派(痴漢は犯罪と認めているくせに、結果的には擁護してます)の方々ってホントに見事なくらい話が通じない。てかもう全然「自分が間違ってるのかも」って発想がないのですね。びっくり。私は人と意見が対立したら、そして相手の意見に正当性を認めたら、まず真っ先に「私が変なの?」と思っちゃうけどなぁ。それでも、理論的には相手が正しいような気がするのに感情的に納得できないケースなんかだと、例え理屈に合わなくても自分の感情を優先するけれど、「私だけが正しい」とは思わない。それに筋の通った反論されたら、ひとつひとつをちゃんとじーっくり考えるでしょう。

あの「私は他人の立場にたって考えられるけど、『アドレナリンショック』の管理人・ナツさんを代表とする世間一般の人は、それができない。そしてそっちが多数派だ。気に食わないけど、世の中ってそんなもんよね」的な発想ってどこから来るんでしょ。おまけにやり取りを読めばよくわかるけど、有効な反論は完璧キレイに無視してます。言われたコトをひとつひとつ考えるんじゃなく、ざっと読んでムカついた部分にだけ反論してる感じ。だから話がちっとも進まないのです。うーん、私、こうゆう「話が通じない人」ってのは実世界ではなるべく避けて生きているので、こうやってたまに出会ってしまうと、そのたびにびっくりしちゃいますがな。

さて以下、Hさんの主張について私の思うコト。先に書いておくと私は基本的に「被害者側にも落ち度があった」って言い分が好きじゃありません。痴漢に限らず。詐欺でも「騙される方が悪いんだよ」、泥棒でも「注意が足りないんだよ」って言う人、必ずいますよね。あれ、ムカつきます。本人が「私も注意不足だった」とか「戸締りを忘れたせいだ」とかって反省するならともかく、他人が被害者を責めるのはおかしい。あんた何様?って思います。ただちょっと矛盾するんですけど、痴漢含め性犯罪以外の事柄となると、被害者本人があんまり「私は被害者なの!悪くないの!」一辺倒だと「何だかなぁ」とは感じます。個々のケースをあげればキリがないので“基本的に”の話なんですが、被害者本人だけは自分の責任を考えた方がいいと思うのですよ。

例えば宗教。とある宗教に入って、犯罪行為まではしなくても、執拗な勧誘を繰り返したり、怪しげなグッズを売りつけようとしたりしてた人がいたとします。ある日その宗教団体のやり口が摘発され、その人はその宗教に見切りをつけます。そして叫びます。「私も騙されていたのよ! マインドコントロールを受けていたの! 私も被害者だわ!」 …確かに、そうかも知れません。だけど騙されていたら、その人が「あなたの息子が亡くなったのはあなたに悪いモノがついているからよ。この魔除けの札を買ってお払いしなくちゃ、もっともっと不幸になるわ」と知人を脅迫したコトや、迷惑している人にしつこく付きまとって不愉快な思いをさせたコトはチャラになるでしょうか?

例えその人がひどいプレッシャーをかけられ、その宗教をムリヤリ信じ込まされていたとしても、その人は被害者であったと同時に間違いなく加害者でもあったのです。そこを忘れちゃいけないと思う。自分がどれだけ人に迷惑をかけたかを自覚し反省しなければ、いつかまた同じコトを繰り返すでしょう。これは鼠講とかの「必ず儲かるシステム」に乗った人も同様。「あなただけが悪いんじゃないよ」という言葉は、ちゃんと反省して自分がかけた迷惑を何とか償おうとしている人たち、そしてそれが行き過ぎて自分を責めすぎて苦しんで苦しんでいる人たちに対してのモノであって、まるっきり反省してない人がそれを自分にかけられた言葉だと誤解して「そうなの、騙されてたの! かわいそうなのは私だわ!」臭ぷんぷんになっているのを見ると、蹴りいれたくなります。

あと詐欺。さっきの鼠講みたいに他の人をまき込む儲け話じゃなくて、純粋に(?)安物を高値で売りつけられたとか、そうゆうの。これは…まあ親に後始末頼んで迷惑かけるくらいはあるかもしれないけど、基本的に被害者は被害者。完璧に引っ掛ける方が悪いです。責任の所在は100%騙す側にあります。特に判断力の弱くなっているお年寄にターゲットを絞った詐欺なんか最低です。だけど、こうゆう目にあったとき、「自分がナゼ騙されてしまったのか」は考えるべきだと思うんですよ。詐欺の手口を調べてみるとか、怪しい話に乗る前に誰か他の人に相談するとか、いろいろ防御策はあると思います。策を講じないでいたら、悲しいけどまだ騙されるかもしれません。泥棒も同じで、例え鍵をかけ忘れたとしても被害者側に“責任”はありません。注意不足だったとは思うけど。

で、この流れでいくと、私の意見は「痴漢にあいたくなかったら、女性は露出の多い服装を控えて自衛すべき」って方になりそうですが……ならないのですねー、これが。もちろん本人の判断でそうするのはアリだと思います。だけどそれは万全の対策じゃない。少なくとも満員電車がある限り、痴漢は何着てようが触ってきます。女性が全員ブルカを着ていようが、まくってでも触ります。それが痴漢です。それがイヤなら出歩くなって話まで行きついちゃいません? それにね、何で一部のバカのために、自分のおしゃれを諦めなくちゃいけないのか、それもわからない。露出度の高い挑発的な服が似合う人だっているのよ。それは眺めて楽しんでりゃいいじゃん。んで同意を得た上で触ったらいいじゃん。なんで勝手に手を出すの?

まあHさんも「痴漢は悪い」とは言っているんですよ。ただ「普段なら理性的な男性が、疲れていて自制心が効かなくなっているときに、たまたま目の前に過剰に肌を露出した女がいて触ってしまった。そこに挑発的な女がいなかったら痴漢になんかならずに済んだのに。これって同情の余地があるんじゃない?」って意見なのですね。でもねー、ドコからが挑発的な服装なのか、誰が決めるって言うのよね。彼女は「ブラトップにホットパンツなどの下着まがいの服装」を例にあげてましたが、じゃあそうゆう服装の人に5%の責任があるとしたら、トレーナーにホットパンツの女の責任は? 挑発的なのは下だけだから3〜4%くらい? ブラウスにミニスカートは? キャミは? その責任の中には若いとか美人だとか大人しそうとかって要素も混じっているんじゃない? 突き詰めれば「女である」ってそれだけで、0.5%くらいは責任を感じなくちゃいけないんじゃない? そこに女がいなければ、痴漢なんかせずに済んだんだものねー。

何がキライって、この「悪いのは自分じゃない。○○が××しなければ…」って理屈が一番キライ!! その中でも、性犯罪を犯していながら「女が誘った」って主張には反吐が出る。誰がどう誘惑したにしろ、最終的に判断を下した自分の責任を放棄するこの理屈。やるコトやってすっきりした後で、「自分はあくまで穢れなく正しい。なのに外因によって罪を犯させられてしまった」ってか? 誘惑に負けた自分の弱さを認めろよなー。そして受け止めろ。酔っていようが何してようが、言い訳にはなりません。仕事に疲れてイライラしてるときなら、電車内で酒くさい息して大声で喚いてるオヤジを殴りつけてもイイ? あ、力じゃ敵わないから後ろからぷすっと刺しちゃってもイイかなぁ。公共の場で醜態さらしてる方がおかしいんだものねぇ。普段ならガマンできるんだけどさ、今日は疲れてコントロールきかなくなっちゃって…って、どうよ。ダメでしょ? なーんで痴漢に関してだけ「理性が弱くなっていた」って言い訳を認めにゃならんの。

女性側が男性の手を掴んで自分の体に押し付けたとか、目の前で「触りたい? ほーら触ってごらん、触っていいのよ? 触れないの? 意気地なし!」と言ったとか、そんな状況でもない限り、電車の中で見知らぬ女性が「誘ってる」と思うのは、ただの妄想です。まあうっかり欲情するのは仕方ないかもしれないけど、せめて「触らせて」と言いましょう。限りなく100%に近い確率で断られるとは思いますけどね。そのほぼ100%の確率で断られる行為を、自分勝手に押し付けるのが痴漢です。相手の女性が何を考えどう思っているのかを一切考慮せずに手を出す…つまり相手を人間扱いしていないってトコロが問題なのです。自分の妻が彼女が妹が女友達がそんな目にあったら、どう思う?

そう。ナゼ性犯罪に関してだけ私の意見が違うかというと、Hさんの主張を見ても分かる通り、まだまだ「被害者側に隙があった」的な意見がまかり通りすぎているからです。そんな風潮があるから必要もないのに「恥ずかしい」と思って泣き寝入りしてしまう被害者がたくさんいるのです。…というと必ず「んなコトない! 開き直ってギャンギャン噛み付く女だって多いじゃん!」って反論があるでしょう。言っておくけど(冤罪は別として)それが当たり前の反応なんです。でも全員が全員「テメエふざけんな、その汚い手を離せ!」と言えるかというとそうじゃない。痴漢されて、ストーカーに付きまとわれて、レイプされて、それなのに「私にも隙があったのかも」と思ってしまう女性のいかに多いコトか。だいたい隙って何よ。ミニをはくのが隙? 夜道を歩くのが隙? 一人暮らしをするのが隙? 人に優しく愛想よくするのが隙? 『告発の行方』って映画観ました? あれなんかモロ“男を挑発してる女”だったけど、だったらレイプしていいの? 気を惹かれたんなら手順を踏んで口説けよ!

…すいません、つい興奮して。こうゆう話ってダメなんです。性犯罪の被害者になって唯でさえ傷ついているのに、更に事件当時の服装だの振る舞いだのをねちねち責められるとか、子供の頃に性的虐待にあって、ずーっと自分が汚いものだと思い込んでいたとか、そんな話を聞くだけで悔しくて悲しくてたまらなくなる。万が一私の大事な女友達がそんな目に遭ったら、と思うだけで耐えられません。鴻上尚史さんのエッセイに、知り合いの女性が襲われそうになってすごく傷ついているのに「私の側にも隙があったのかもしれないし…」と言ったので、思わず「ばかなことを言うんじゃない!」と怒鳴りつけてしまった、って話があって、それ読んだときには泣きそうになりました。彼のやり場のない怒りとかやるせない気持ちとかに同調して。不注意とかそんなんじゃなく、ただ女であるというだけで罪の意識を感ぜずにはいられない風潮は、まだ根強く残っているのですよ。悲しいコトに。

と、ここまで書いてちょっと冷静になりました。なったところで、ずっと不思議に思ってたコトを思い出しました。「満員電車の中で偶然手が微妙なところに当たっちゃって、下手に動かしたら痴漢と間違えられそうで動かせず、かといってそのままにしておくのも誤解を生みそうで、たいへん困る」って男性の話を何度か聞いたコトがあります。これ聞くたびに「まあそうゆうコトもあるだろうな」と思ってて、だから自分も人の手がお尻に当たっていても、それが動かない限りは痴漢だとも思わずいたのですけど…。でも考えてみれば同じ満員電車に乗って同じように人の波にモミクチャにされているのに、私の手が偶然他人の股間に当たっちゃって困ったって経験、ないんですよね。や、別に上記の話を「ウソでしょ? ホントはわざとでしょ?」って思ってるワケじゃないんだけど…純粋に不思議。どして?

2002.6.19

長い長いテキストを書いていたのに、RPGゲームに夢中になって更新をすっかり忘れてしまっちゃいました。てへ。何時間も続けてゲームするなんて、ずいぶん久しぶり。なんか憑かれたようにやってます。他のやるべき全てをほったらかして。遊んでいるのは今更ながらの『幻想水滸伝』。これ買ったのって、いつだったかなぁ。2がもう何年も前に出てるので、相当昔です。少なくとも5年以上経ってる。で一度やってはみたものの、クライマックス直前くらいで飽きちゃって(←私のよくやるパターン)そのまま埃を積もらせていたんです。今回こそは飽きずに終わらせるぞ。んで面白かったら2を買うぞー。3も出るらしいし、もう安くなってるだろうから。

昨晩、実家から『シャンペンシャワー』が届いたのに、日本、負けちゃった…。残念。ここで「日本の恥だ! 土下座して謝れ!」にならないのは国民性なのか、それともサッカーに対する思い入れの差なのか。つーか期待の差? んでも今回日本はホントにがんばって、いい夢見させてくれたと思います。ありがとう。そういやこないだ、日本×ロシア戦の日に会った人が「オレは日本はグループリーグ2位になって欲しい」と言っていて、まわりのにわかファンども(私含め)が「えー! だって2位だとブラジルとだよ。キッツイじゃん」と文句をつけたら、「ばかだなー。どうせ勝てないならブラジルに負けて欲しいんだよ!」と力説してたのを思い出しました。今ごろ彼は「決勝トーナメントの第一戦で消えるなら、やっぱりブラジルとやって欲しかった…」と歯噛みしているに違いない。

さて、↑の長いテキストってのは「痴漢」についてです。なんでンなもんを一生懸命書いたかというと、1週間くらい前から巡回サイトの『アドレナリンショック』の掲示板が、「痴漢はいついかなる場合でも100%男が悪いのか」って痴漢論争で盛り上がっていて、それを読んでいるうちに「ケースによっては痴漢にも同情すべき点がある」って意見を述べておられる方々(論理は完璧に破綻してるんですけどね)にムカムカムカムカしてきちゃったからです。やっと時間が取れるようになった今、私の思ったコトをツラツラと書きたいなーと。

とは言っても、私の言いたいコトは掲示板で管理人さん始め何人もの方が突っ込んで書いてらっしゃいますし、まとめテキストもUPされ、掲示板での論争も終結しているんで、蛇足の観アリアリで、向こうに書くワケにはいきません。ですからココで。…と思いつつも今朝その掲示板を覗いたら、発端になった「痴漢擁護派」の方が“自分なりのけじめ”として「締め」を書き込んでまして…それ読んだ途端にキレそうになりました。もう何で何であんなに話が通じないんだろ。誰も冤罪のケースの話なんかしてないのに、冤罪でも男が悪いなんて一っ言も言ってないのに!! 今書くと、あまりにも攻撃的になってしまいそうなので、テキストは見直してから明日にでもUPします。

2002.6.17

お久しぶりです。とりあえず山場は越しましたので(後始末がまた大変)復活します。しばらく前からまとまった文章書く時間が取れずにいたせいで書きたいコトが溜まる溜まる。溜まりすぎてすでに考えたコトの大半を忘れてしまってるけど、全部が忘却の彼方へ消え去ってしまわないうちに、残っている分をリストアップ。「痴漢」「血の絆」「金銭感覚」「モラル」「プライド」。…まったく日々何考えて生きてんだ私ゃ。この辺はちゃんと書きたいので、今日は最近のモロモロをざっと。

まずは『The Lord of the Rings』の公式サイトにて、字幕問題に関する発表があった。DVD版、第2部以降の映画には監修がつくようで、ひとまず胸を撫でおろす。ただまだ不安は残るので、DVD版の修正字幕の出来を見るまで下のバナーは残しておこうと思う。DVD発売まであと3ヶ月強。待ちきれない〜! 映画館でもあと1回は観たかった。まったく私にとっては公開のタイミングが悪かったよ。

次。ワールドカップが盛り上がってて嬉しい。私は熱心なファンではないが、野球よりは断然サッカー派だ。レベルの高い試合はTVで観ているだけでも面白い。日本もスゴイし。結果を知っていても、ダイジェスト版では手に汗握ってハラハラしながら観戦してしまう。こうなると読みたくなるのは、かわみなみさんのサッカー漫画『シャンペンシャワー』で、実家に電話して送ってもらうコトに。グループリーグで敗退した国のサポーターの様子を見るたびに、マルロの「このまま負けたら、明日からあんたの家に電気は来ない。ガスも水道も止められる。…気にするな、勝てばいいんだ」って台詞を思い出して、にんまりしてしまう。にんまりじゃ済まない騒ぎもあるけど。

んでもサッカーで気にいらないのが、ブーイング。選手が卑怯なプレーをしたとか、審判の判定に納得いかないとかでブーブー言うならわかるんだけど、相手チームの選手紹介時や、相手にボールが渡っただけでのブーイングってイヤだなあ。国会の、話す内容に関係なく飛ばされる、意味ない野次を連想しちゃう。あれキライなのよね。なんてコトをサッカー好きの人に言ったら「サッカーってのはそうゆうもんだ!」と言い張ってたけどさ。相手チームがやったんでも、いいプレーはいいプレーだと認めて褒め称えればいいのに。…ってのはキレイゴトかも知れんしサッカーのマナーがそうなのかも知れんが、好きになれないモンは好きになれない。

次。古本屋でお気に入りサークルの同人誌を見つけたので買い込む。全部『幻想水滸伝2』のギャグパロディ。『幻想〜』は1も途中までしかやってないのに、同人誌を読んだ途端に2がやりたくなってしまった。でもきっとゲームをやってもナゼあの人たちがそこまで入れ込むのかは分からないに違いない。FF7のときも、隠れキャラのザックがナゼあそこまで愛されてるのか、サッパリだったもの。てか私は攻略本見ないので、ザック出すこともできなかったんだけど。

そりゃ私も『DARK HALF』のルキュ様についてなら熱く語れる自信はある。が、あれはキャラそのものが際立っているんであって、私の妄想力のせいじゃない。「この世界は七つの大陸に分かれているんだ」なんてRPGお約束の「なんでいきなり初対面の人間に説明始めるんだアンタ」的な台詞に「七つに分かれているのではない。…七つに、分けたのだ」とか返されてごらんよ、もう! もー勇者ファルコなんかどうでもよくなりますがな(←ルキュ様に関しちゃ脳みそ腐ってますのでご了承ください)。ともあれ、あのサークルの方々がゲームをしているところを、陰ながら覗いて見たいもんである。

さ、溜まった本も読みたいし、映画も観たいし、ゲームもしたいし、人と会いたいし、夏の予定も立てなくちゃだし、後片付けもしなくっちゃ。…まだ当分慌しい日々が続きそうです。でも書きたいコトも多いので、更新はします。よろしくー。

2002.6.10

ひーん。更新も途絶えがちなのにメゲずに通ってきてくださる皆さま、ありがとうございます&すいません。ちょいとテンパっておりまして、次回の更新は早くても6/17の夜になります。その頃また思い出して寄ってくださると嬉しいです。

…て、これだけでは何ですな。えーっと先週末、髪を切りに行きました。お気に入りだった担当さんが別の店に移ってしまってから早2年(くらい)。それ以来「担当のご希望はございますか?」の問いには毎回「お任せします。ショートカットが得意な人で」とか適当に答えていたのですが、次のお気に入りは見つかりませんでした。ただ何人かに切ってもらっているうちに「どうやらこの店の女性スタイリストとは相性が悪いらしい」というコトに気付きました。前のお気に入りは男性だったし、前回私をマルサの女にしやがったのは女性でした。そこで今回は男性を指名したら、やけに相性がよく、人の希望を上手く汲み取った上にプロの技でいろいろ難をごまかしてくれて、とってもイイ感じに仕上がりました。名指しで指名できる担当をやっと見つけて、ご満悦でございます。

ただ、予約の電話で「担当のご希望は?」と聞かれたとき、ついとっさに「男! 男だったら誰でもいいです!」と力んでしまい、一瞬の絶句の後に「……男、ですか」と何とも言えない口調で返されたのは、ちょっと恥ずかしかったです。もう少し上品な言い回しを身に付けよう>自分。

2002.6.6

ちょっと前に読み終わった角岡伸彦さんの『被差別部落の青春』の感想と一緒に、差別についていろいろ書きたいと思っているのだが、時間が取れずちっともまとまらない。イヤ書けないのは忙しいせいだけじゃなく、力不足だからなんだけど。でもこのまま放っておいたら考えていたコト全てをキレイに忘れてしまいそうなので、書けるコトだけ簡単に。

私は生まれが東京・育ちが東北のせいか、かなり大きくなるまで「被差別部落」をちゃんと認識していなかった。育った場所も部落と呼ばれていたので、「部落」=「すっごく小さい村」だとしか思っていなかった。多分あの辺では単なる集落の意味で、普通に使われている言葉だと思う。えたとか非人って言葉を知っても、まさかその差別が現在も残っているとは思わなかった。だって差別にはいろんな理由があるけど、こんなワケわからない差別を聞いたコトがなかったからだ。(他の理由もばかばかしいものが多いけど、まだ見た目ではっきり差異がわかるとかで、相手を気味悪がる心理はなんとなく想像できる。…だから差別してOKってワケじゃないもちろんないが)。

以前どこかで「自分は血が苦手で肉を取るために鶏を殺せない。そういうときに殺せる人にお金を払って殺してもらってもイイのではないか」って感じの文章を見かけた。私も自分で殺せない人が人に頼むのはアリだと思う。だけど…あ、この先はこの文章とは全然関係ない話。書き手の方は差別を是とする話をしていたワケじゃないので。だけど、例え自分の手を汚していなくても自分が殺しに関与しているコトと、自分のできないコトをやってもらっているってコトを、忘れちゃいけない。やってもらったら「うわーよくそんなコトできるね、気持ち悪ーい」じゃなくて、「ありがとー、助かったよー」でしょ?

屠殺だけじゃなくて、罪人の処刑だの死んだ動物の処理だの、気味の悪いコトを全部おっかぶせておいて、 よくもまあ「穢れ」なんて言えたもんだ。言えるもんだ。こういう「自分だけはキレイなの」って態度の方がよっぽどイヤらしく感じる。…て、差別ってきっとみんなそうなんだろうけど。「自分の方が偉い、自分の方が優れている、自分の方が正しい」と思えるから、相手を見下せるんだろうなぁ。

んでまたちょっと話はズレるんだけど、これを読みながら「自分が知らないうちに差別をしちゃう可能性がいかに多いか」って考えていた。この本は被差別部落出身の人へのインタビューが中心になっているので、何人もの人の意見が載っていて、それが当たり前だけど千差万別なのだ。部落出身と一口に言っても、それをすごく苦にしていて隠しとおそうとしている人もいるし、「それが何さ」と言えちゃう人もいる。私が「部落出身の人って気持ち悪い」なんて分かりやすい差別発言をするコトはないと思うが(だって思ってないし)、敏感な人には差別発言と深読みされかねない言葉を口にしちゃうコトはあるかもしれない。そんなつもりがなくっても。

んでそれを防ぐためにはどうしたらイイのかなーと考えていて…。やっぱオープンになるのが一番簡単なんじゃないのかなー、と相も変わらない結論に辿りついちゃいました。だって私がいくら部落問題を勉強して気をつけても、人によって傷つく傷つかないは変わっちゃうし、だいたい差別は他にもあるんだから、全てを知って安全な発言だけをするなんて不可能だ。何も言えなくなっちゃう。あ、もちろん身近な大事な人が「あなたは○○差別について知らなすぎるから勉強しろ!」と言ったら勉強するけど。でも誰がどんな事情を抱えてるか分からない以上、口に気をつけるだけでは防ぎようのないコトってのもあって、そうゆうときに言われた本人が「その言い方はやめて」と言えるような雰囲気を作れないものかしら、と。

でも、これが通用するのは相手が「この人は差別の意図はないし、言ったら止めてくれる」という程度には私を信頼している場合だけだな、とか、傷つきやすい人は抗議するだけでも苦痛を感じるんだろうな、とか、だから抗議しないままこっそり傷ついて私から離れていくんだろうな、とか…ぐるぐる考えていると、つくづく差別って難しいなーと思うのでした。でも第一歩は知るコトかしら。あまりにも無知ってのは情けないから。…て、考えてみればこれは差別だけじゃなくて、あらゆる人間関係に言えることですね。もう少しいろんなモノを受け止められる人間にならなきゃなあ、と、もうずいぶん長いこと思ってます。

2002.6.4

昨日『結婚の理想と現実』ってタイトルに惹かれ、久しぶりにTVタックルを見た。田嶋陽子さんも出演していたし。ヒステリックなフェミニストの代表のように言われ、私の友人うちでも評判の悪い田嶋さんだが、私はキライではない。…て、この言い方はイヤらしいな。かなり好きです田嶋さん。

彼女が自分の本で「TVタックルでは真面目な話をしようとしてもすぐに茶化されてしまうし、一生懸命説明しているトコロは放映してくれないで、あまりにも話が通じないからキレたら、そんな場面ばかり使われて落ち込む」と書いていたのを、「ああTVなんてそんなモンなんだろうなー」と納得して読んだし、それを知らなくてもキーキー言ってる彼女に嫌悪感を感じないのだ。別に間違ったコト言ってると思わないもの。てか彼女の主張しているのはすごく単純なコトだと思う。あの番組見てるとなんでその単純なコトが通じないのか、そっちが不思議なくらい。彼女の主張に賛同するかどうか以前に、全く話が通じてないのだ。表面の強い言葉にばっか反応してて。

と、今日書きたいのは田嶋さんのコトじゃないんだった。TVタックルでは田嶋さんをキーキー言わせる話題をよくやってるけど、その反論の仕方についてだった。例えば「専業主婦は家事労働を一手に引き受けているのに感謝もされない」って話が出てきたときは、「専業主婦が働き者だなんて嘘ばっかり。三食昼寝つきの生活して旦那の金使って遊んでばっかの女もたくさんいるじゃん」とそんな女たちがピックアップされ、「主婦の家庭内での地位が低い」って話のときには「いや実際に権力持ってるのは女の方だ。尻に敷かれてる男がいかに多いか」って反論が必ず出る。んで結婚制度そのものの話になると「私は専業主婦だけど毎日シアワセで楽しいです♪」って女性が取材される。

なんか、どれもこれも筋違いの反論なんだけど。私は田嶋さんほど強く「結婚制度は間違っている」なんて思ってないけど、こんな反論のされ方すると腹がたつ。どんな制度だろうとそれにストレスを感じないで上手く対応できる人ってのは、いると思うの。結婚したら必ず不幸せになるって話じゃないんだから、シアワセな人を何人引っ張り出してきて「ほらーこんなにシアワセにやれる人もいるんだよ。なんであなたはできないの?」って言ってても意味ないじゃない? 結婚制度と一口に言っても、そこにはそれこそ無限のパターンの関係があるのだから。

そうじゃなくて「結婚したらこうするもの」って思い込みが男の側にも女の側にも当事者じゃない周囲にもあって、それにプレッシャーを感じて自分の気持ちよりもそっちの「お約束」を優先させてストレス溜め込んじゃう人いるってのが、問題なんじゃない? 私は今は専業主婦は向いてないなーと思っているけど、やってみたら意外にそのポジションを楽しんじゃうかも知れない。時と場合と相手によっては。だけどもし自分がいくら生活を楽しんだとしても、結婚してプレッシャーを感じてたり子育てに悩んでる人に「そんなの気にする方がおかしい。もっと上手くやればいいのに」と言うのは違わない?

結婚って「するのが当然」って認識もまだ強く残っている。だから分かりづらくなっちゃうのだけれど…うーん…。上記の反論の仕方は、セクハラ問題で傷ついている人に「そんなの軽く受け流せば?」だの「いちいちムキにならないのが大人の女」だの「その辺は我慢して逆に甘えて利用しちゃえばいいのに」だのと暗に陽に被害者を責めてみたり、もっと言えば従軍慰安婦問題で「楽にお金を稼げるといって自発的についてきた人もいたじゃないか」と強弁したりするのと同じじゃないだろか。それで得をした人がいたかどうかって話じゃなくて、人が嫌がるコトをしないのがデフォルトで、OKな人がいるならオプションで関係を発展させる…ってのが筋なんじゃないかな、と思うのよ。

結婚で言うなら対等なのがデフォルトで、どこまで甘えるかはお互いの許容量の中で作り上げていくべきであって欲しいってトコロでしょうか。甘えちゃいけないって話じゃないので誤解なきよう。甘えるのも甘えられるのもけっこう好きですもん。だけど、変わりつつあるとはいえ今はまだ逆で、対等じゃない関係がデフォルトな気がする。程度の差こそあれ。で、その中で「できる人」や「わかっている人」だけが、いい関係を作り上げられているのではないのかしら。ま、自然体でやれちゃう人はあんま自覚してないかもだけど。友人仲間といると同じような価値観の人が多いからつい忘れちゃうけど、「今どきその価値観はないでしょう」って人も世の中にはゴロゴロしてるものね。

それにしても、あの番組に出ている「さかもと未明」さんって漫画家らしいんですが(何描いてるかも知らないけど)、ホントにツマラナイことばっかり言ってて、本業の宣伝には逆効果なんじゃないかと余計な心配しちゃいますがな。

2002.6.3

先週「まだちょっと早いんだけど…」と言われてもらったプレゼントがなかったら、今日の誕生日を忘れていたと思う。最近ちょい忙しいもので。が、自分でもおいおい嘘だろ?と思うけど、間違いなく今日から31歳。大人なTo-koは今とっても『少林サッカー』が観たいです。

年の話を枕に本題。ときどき「この話は感受性が豊かな子供の頃に読んでおくべき」って調子の物言いを見かける。自分で言ったコトもある。が、聞くたび言うたびに「ホントにそうなのかしら?」ってどこかでずっと思っていた。ちょっと言い回しは違うが同じような意味の「子供の頃に読んでいたら夢中になっちゃっただろうけど、もう大人なんで素直に楽しめなくなったよね」ってのも、ある。これも素直に聞けない。「それは違うよ」と単純に思うワケではない。確かに子供の頃は感受性が豊か(てか周囲の影響を受けやすい)って一面はあるだろう。最初に出会ったときの衝撃も、大人になってからの出会いと比べて大きいかも知れない。それに「子供の頃に出会ってればゴマかされて読んじゃったかもねー」ってのも、ある。私が冒頭の台詞を吐くのはこのパターンが多い。

例えば高校生の頃にハマった『銀河英雄伝説』を、今更同年代の人にススメようとは思わない。自分でももう十年以上読み返していない。読み返すとしても、キルヒアイスが死ぬところまででいい(コレは個人的思い入れだが同様のコトを言う人は多い)。未来の宇宙を舞台にしているくせに時代がかった世界観・台詞回しが面白かったのだが、そのうち田中芳樹の振りかざす「正義」がウザくなってしまったのだ。それから小学生の頃大好きだった『ナルニア物語』。これもずいぶん読み返していない。だんだんとナルニアのキリスト・アスランが鼻につくようになってしまったからだ。スーザンを切り捨てた恨みもあるし(コレも個人的思い入れ)。

どちらも、評価が変わったワケじゃないと思う。ただ、当時は「何だかなー」と思ってはいても他の要素でゴマかされて読めていたものが、我慢できなくなっただけな気がする。当時好きだったラインハルトとキルヒアイスの関係とか、ナルニアのエピソードなんかは、今でも好きだ。要は好きな部分は好きなままだが、それよりも嫌いな部分の方が大きくなってしまっただけと言うか…。つまり年とともに我慢がきかなくなっているのだろうか?いやそう思うとちょっと凹むので「美意識が確立してきたのだ」と言い換えよう。それに逆に、大人になって初めてその良さが分かるって例もある。いろいろ深読みできたりするし…。「面白い」と思える領域は狭くなってないと思う。

子供の頃からずーっと愛読していた本も、たくさんある。代表がアーサー・ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』シリーズと、ルーシー・M・モンゴメリの『赤毛のアン』シリーズである。面白いと思う箇所が、どちらも増えこそすれ減ってはいない。冒険の計画にわくわくしたり、大人の無理解に怒ったり、友達とのすれ違いに悩んだり、お喋りを楽しんだり、失敗を苦に病んだり、やきもちを妬いて苛々したり…。本さえ開けばその世界に没頭してしまう。だから知り合いにもがんがんススメたいのだが、冒頭のような台詞を聞くと、わからなくなってしまうのだ。これらは、いい大人になって初めて読んでも楽しめるのか? 私は楽しめると思うのだが…もしかして子供の頃に出会って思い入れがあるから、今でもこんなに楽しめるだけじゃないのか?って。どうなんだろう。

うーん、「面白いものは、ある一定年齢を過ぎたらいつ出会っても面白いじゃん! 対象年齢を選ぶ図書はあるかも知れないけど、頭が固いのを年のせいにするのは違うんでない?」って話に持っていきたかったのだが、途中で自分でもワケわからなくなってしまった。書いてる途中で自分が成長してないだけなような気にもなってきたし。…撃沈。

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