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2002.1.31

先日、好きな某同人サークルのサイトに行った。そこには滅多に更新されない絵日記があり、中にツボ直撃の1枚がある。それはサークルのTさんがマックに行ったときに、やたら汚い食べ方をする人を見かけ、腹をたてて紙ナプキンに落書きしたという代物。お馴染みドナルドおじさんの暗黒バージョンである(余談だが、こうやってチョイチョイと絵を書ける人っていいよなー)。隅っこに「汚い食い方をしていると、ドナルドが来るぞ」とあって、中央には暗い顔をしたドナルドおじさんが血に染まったナタを握り締めて階段を静かに上がってくるカット。うきゃー怖い。でも「いるいる、こうゆうホラーキャラ」って感じで、めちゃ笑えるの。お見せできないのが残念(同人なのでリンクはしないでおきます)。

前にも1回見て笑って、久しぶりに見たらやっぱり笑えたので、画像をもらってきて壁紙にしてみた。笑えるって印象ばかりが強かったのでそうしたのだが、墓穴であった。起動して最初に見るのが悪魔のドナルド、アプリケーションを終了してウィンドウが閉じた瞬間に目に飛び込んでくるのも凶悪ドナルド、スクリーンセーバーが消えた瞬間に現れるのもホラードナルド。もう虚心でドナルドおじさんは見られない。あんな人の良さそうな笑顔で子供たちをたぶらかして、その実…。昨日だけで4回くらいドキッとしてしまった。怖いよぅ。

それでも設定を変えないのは、お化け屋敷に入りたがったり、バンジージャンプをやりたがったりするのと同じ心境のなせる業か。小心者のくせにささやかなスリルを求めてます。ささやか過ぎ。

2002.1.29-2

ちょっと行きたい温泉はたいてい山間にあるので、交通の便が悪い。そこで「そうだ、レンタカーで行こう」という余りにも無謀な考えが頭をよぎり、慌てて振り払った。無謀だし1人じゃ割高だってば。

さて。森博嗣さんの『すべてがFになる』読了。2人の人からのオススメだったし、私も名前は知っていたので、人気のある作家さんなんだろうなーと期待して読んだんだけど、ダメだった。人のオススメで最近、私にしては珍しく日本人の書いたのをよく読んでいるが、ナゼか続けて「この話ノれないなぁ」ってのにぶつかってしまった。そのせいで、自分がなんで外国の作品を好んで読むのか、考えている。もちろん翻訳された作品にもクダラナイのはたくさんあるし、日本人でも好きな作家はいる。面白いと思う領域は、決して狭くはない。だけどノれない話の場合、日本人のと海外のとでは、つまらなさの雰囲気が全然違う気がする。どっちの雰囲気がいいってワケではないのだが…。てか、両方つまらないと言ってるのだけど。

今更だけど、「翻訳文体」って具体的にどうゆうのを指すんだろう。私もその言葉は何回も使っているが、私の言っているのが一般的な「翻訳文体」なのかどうか、急に自信がなくなってきた。いかにも直訳って感じの、やたらと代名詞が多い文体…ではないのかなぁ? それで言ったら最近は自然な文体の翻訳作品も多くなっているから、下手な日本人が書いたのよりも読みやすい、と私は思っていたんだけど。でも日本人の書いた分かりにくい日本語の作品を読んでいると、そしてその作家が売れているトコロを見ると、私の文体の好みが偏っているのかもしれない、と疑ってしまう。私はいわゆる「翻訳文体」に慣れ親しんでいるのだろうか? で、翻訳文体って何さ。

あ、森博嗣さんの文体は平易で読みやすかった。物語が気に入らなかっただけである。世の中には、ミステリに必要なのは素晴らしいトリックだけで、人物描写は大切ではないと思う人もいるようだが、私は反対だ。トリックよりも登場人物。人物に魅力があれば、多少ムリのあるトリックでもOKである。魅力…と言っても、登場人物すべてに好感を抱けなくてもいい。欲しいのは、その物語の中で登場人物たちが生きている感触なのだ。例えば私は『少女パレアナ』や『夏子の酒』がキライだ(理由はコチラ)。でも彼女たちの行動は、好きにはなれないが、予測はできる。夏子ならここでこうゆうコトをしでかすだろうな、とか、ストーリーを読んで、彼女らしいな、とか思えるのだ。しかし森さんの登場人物は、結局最後まで性格がわからなかった。どうゆう人で何を考えているのか、さっぱりである。日本のノれない作品には、こんな感じのが多い。私が日本人だからかも知れない。

更に言うなら説明が不足していると思う。ナゼ四季女史が1室に閉じこもる(閉じ込められる)コトになっているのか。ナゼそこまで世間知らずな育て方をされていたのか。研究所の成り立ちは。その辺の説明が全然足りない。途中までは「過去の殺人事件の犯人って、一体判決はどうなったの。実際は違いましたって話なら、真実はもちろん最後まで隠していてもけど『世間的にはこうなってます』って説明は必須だろ?」と思って、居心地が悪くてたまらなかったくらいだ。読み直してみてやっと「心神喪失状態にあったので無罪」という記述を見つけたが、再度言及されないので、読み逃す可能性は大きいと思う。裁判に出向いたって記述が何度もあるワリに、結果を書いてくれないのは気持ち悪い。

物語の最初って状況説明が多いから、そこで1回だけ説明して覚えてろと言われてもムリ。まず最初にきちんと世界観を描いて欲しい。設定はどんなに非現実的でもいいのだ。でも「その世界なりの現実感」はなくちゃいけない。あと殺人が起きた後、一度も未来さんに話を聞きにいかないのは、不自然じゃないだろうか。いくら素人探偵とはいえ。第2の殺人の真相も、ムリがあると思うなぁ。そこまでしてかばう理由も過去の殺人の動機もわからない。あと凡人が天才を書くのって難しいね、まったく!

…とココまで書いてから、巻末の瀬名秀明さんの解説を読んだら、私の感想と見事に正反対だったので笑ってしまった。「人物が実に細やかに、かつ生き生きと描かれて」いて、「性格の書き分けや台詞の選択が絶妙」なんだってさ。あはは。ホント人の好みは分かれるもんだなぁ。更に読み方によっては「説明不足と感じるのは、いちいち分かりやすい物語を提示されないと落ち着かないからだ(=読解力に欠けてるんじゃないのアンタ)」とも取れるようなコトも書いてある。「読者の健全な思考を封じる非常に非論理的な手法」だそうだ。そうゆうのは。あら私ってば不健全?

確かに、安易に分かりやすい物語を求める風潮はある思う。そして、全てを既知の「物語」に組み込んで、分かったようなつもりになるのは危険だと、私も思う。だけどそれに対する答えが森作品だとは思わない。そのテーマだったら、私は鴻上尚史さんの作品を読みますな。ええそうしますとも。

2002.1.29

思いがけない臨時収入があって、うほうほ。パパにお小遣いをもらっちゃったぁ、へへへ(ママからもだけど)。親も臨時収入に浮かれて、お裾分けをしてくれたのだ。父親は江戸っ子なんで宵越しの金は持たねェ主義。母も似たようなもんだ。両親がそうなんで、子供たちも「どうせあぶく銭なんだから、ぱーっと使おう。何しようかなぁ」と胸を躍らせた。何かを思い切って買おうかなぁ…と考えていたら、顔が自然に弛んできちゃって、珍しく月曜日なのに機嫌良く過ごせた。午前中までは。

が、午後になって悪いニュースが入った。直接私の給料に響く決定で、また手取りが減ってしまうのだ。くそー、ただでさえ貧乏なのに。私は先月「悪いようにはしないから、ね、ね」って言葉に流されて(まあ本気で信じちゃいなかったけど)、所属する派遣会社を変えたのだが、今のトコロいい思いは全然させてもらっていない。その他にも細々とあって、そろそろ会社に見切りをつけた方がいいかも、と思ってるくらい。このままの待遇が続くようなら、今の会社はあと1年だわ。長くても。あんまり人の出入りが激しい職場は、ダメです。好きな上司も辞めるコトを考えてるみたいだし。

そう覚悟を決めたらちょっとは気も静まるかと思ったのに、どうも最近ダメ。ウツウツとしてるうちに「…どっかに行きたい…そうだ旅行だ!」と思いたってしまった。そのまま行く先も決めずにすぐさま旅立てればカッコいいのだが、そうもいかない。でも先に楽しみが待っているこの状態がいいのだ。3月くらいから私事で忙しくなるので、2月後半か遅くても3月頭。久しぶりに1人でふらっと、知らない土地に行ってみたい。山歩きにはまだ寒いだろうから、やっぱ温泉かな。晴れてたらぶらぶら歩いて、天気が悪かったらずっと風呂に入ってりゃ、いい。地元のおいしい料理を食べて、お酒を飲んで。

うわ、どうしよう。かなり行きたくなってきた。旅行前ってこうゆうのが楽しくて堪んない。1人なら旅先をどこにしても自由だし。北にしようか南にしようか…。予算から言ったら北だろうか。ふふふのふ。ホントは実際に行くかどうかも決心してないのだけど、こんな風に目の前に人参がぶら下がっている状況が好き。でもさすがに臨時収入がなかったら、旅行は思いたたなかっただろう。「お金ないしなー」と現実に引き戻されていたと思う。臨時収入があったからこそ、こうして夢も見れるワケで、もう父さま母さまに感謝。「金は天下の回りモノ」です(…ホントかよ)。だから私も使わなきゃぁね!

2002.1.28

昨日のように、まるで高校生みたいな青くさい考えから脱却できない私ではありますが、さすがに立ち直りの早さでは年の功。上京してきた母上と一緒にカッパ橋に買い物に行ったり、彼女の髪を切ってあげたり、回転寿司を食べに行ったりしてきました。途中最近ニュースになっている某事件の話をしていたら、いつの間にか「子供の頃にアリの巣に水を流し入れたコトがあるかどうか」って話にシフトしてしまいまして、その時に母上が子供の頃の思い出話をしてくれました。

「庭で、大きくて立派なミミズを見つけてさ。珍しかったから、逃がしちゃいけないと思って、周りをぐるっと釘で囲んだの。」「釘?」「そう。這い出る隙間がないように、びっしり釘を地面に突き刺して、柵を作ったんだよね。それで、もうこれで逃げられないと思って放っておいて、しばらくして見たらいなくなってるんだよ!」「………地面は?」「柵しか作ってなかったんだよ。その話したら皆に大笑いされてさー。」「…だろーね」。…この親にしてこの子有り、って言葉を思い出しました。親子の絆を感じるエピソード。ホント、自分の行く末に期待が持てなくなりますわ。

さて夜、友人から借りたアイリッシュダンスのビデオを見ていました。アイリッシュダンスって上半身をあまり動かさないので、どうも色気に欠け、私は今イチ好きになれないのですが、1人の役者さんのおかげですごくいい演目になってました。彼はイギリスの舞台俳優で、名前はトニー・ケンプ。白髪頭のいいおじさんで、演じているのは騎士団長です。彼の右腕の男性が彼のフィアンセと恋に落ちてしまい、彼は嫉妬に狂って右腕だった男を殺してしまいます。その若い恋人同士が主役のダンサーコンビなのですが、私が一番いいと思ったのは、騎士団長が逃げた恋人たちを追跡するシーンでした。

トニー・ケンプはダンサーではないので、全然踊りません。踊るのは彼が引き連れている騎士団の騎士たち。彼らは騎士団の制服に身を包み、華麗なステップを披露します。騎士団長は、彼らの前で怒りを顕わにして右往左往するだけです。しかし、そのシーンのその色気! 音楽に合わせて歩いているだけなのに、なんであんな雰囲気を醸し出せるのでしょう。彼を捨てて若い恋人と逃げたヒロインが間抜けに思えてくるくらいです。舞台役者の面目躍如と言ったところで、舞台大好き人間のTo-koとしては、ちょっと嬉しくなる魅せ方でした。もし『Dancing on Dangerous Ground』を見るコトがあったら、騎士団長役にご注目。トニー・ケンプなら尚更です。

2002.1.27

ゆきさんの、1/25の日記、『好きだから分かるんだよ』にやられました。分かる分かるとあんまり連発するのは安っぽいと思うんだけど、分かるなーとしか言えないや。いつだったか「人間は1人じゃ生きられない」とか「私は独りじゃない」とか書いた人間が、ゆきさんの書いているコトに共感するってのは、矛盾してるように見えるかも知れないけど、自分の中では全然対立してないんだよね。ゆきさんの書いたように、「みんな1人で、断絶されて、バラバラで」、「ホントの意味で一つになんてなれない」ってのは、その通りだと思う。それが分かっているからこそ、「自分が独りじゃない」と思える瞬間を、そしてその瞬間を共有できる(と思っている)人を、とてもとても愛しく感じ、大事にしたいと思う。

分かる、と思うのは錯覚かも知れないけど、でもそれでもいい。そうゆう瞬間の積み重ねが、私には必要だ。私は人間関係に関しては、ちょっぽり自信がないから。自分が好きだけれども、自分を大事にしているけれども、それとはまた別なのだ。私は自分も好きだし他人も好き。…全ての他人じゃないけど。好きな他人だけだけど。その辺が冷たい人間なのだけど。さて今までに何回「だけど」が出てきたでしょう。まあとにかく、ことほど左様に1人だからこそ、私は人との触れ合いを求めているのでした。優しい時間を重ねれば、もう少しちゃんと人と関われる気がして。

末上さんの1/20の日記、『暗闇の中で』を読んだときも似たようなコトを考えた。まるっきり逆方向からのアプローチだったんだけど、でも行き着くトコロは同じ。私は人間関係を、末上さんの書いたように「ありのまま享受」するってのが、苦手。頭ではそうなりないなーと思うし、そうする方が自然だと思うけど、気がつくと関係の意味や理由を考えてしまっている。でも人に押しつける気はないので、末上さんの日記に出てくるソウルメイト教の方とはひと味違うと思う…望んでいますがね。そんなのホント、1人で考えていても仕方ないのにね。気持ちはママならないです。

本筋とは全然関係ないけど、「あまり面白くないけどなんでか一緒にいる」ってのは無いなあ、私には。面白くなくなったら、尽く離れる羽目になるってのは、やっぱ私がそうさせているのかしらん。

2002.1.25

昨日の間違い電話を放っておくのはやっぱり悪いような気がして、こちらからかけ直しちゃいました。メッセージの内容からして、一人暮らしか親と同居(要するに独身)と踏んで、普通なら家にいない時間を狙ってかけました。そしたら若い女性が出ました。そこでやっと、私が首を突っ込む領域ではなかったと悟って、「すいません、間違えました」と言って切りました。いや、別に伝言を頼んでも大丈夫な関係ってのも考えられるんですが、奥さんか恋人だったらマズイ内容だったんで。

そう言や以前、「緊急の用件なので、すぐに次の人に回してください」という間違い留守電が入っていたコトがありました。そのときは相手がおばさんだったので気軽に「間違ってますよ」とかけ直したんですが、「あなた誰ですか! どうしてウチの番号知ってるんですか(←あんたが間違ったからじゃん)」などと妙に警戒され、あげくに「気持ち悪いのでそっちの電話番号教えてちょうだい」とか言われて思わずキレてしまったものです。間違い電話に答えようとしても、報われるコトは少ないようです。

お願いですから、私の携帯に意味深な伝言を入れるのは止めてください。いろいろと複雑な事情を想像しちゃいますよ妄想女王は。もし「今から死ぬから」みたいな間違い電話がかかってきたら…、そしてそれが番号非通知だったらどうすりゃいいのか、とか考えちゃいますよ。そんな小心者なんです。苛めないでお願いプリーズ。

さて、間違い電話とはとは全然関係ないのですが、今日でサイトを公開してから1年たちました。ぷらぷらす1周年でございます。これで「去年の今日」がわかるようになります。私以外にはどうでもいいでしょうが、でもちょっと嬉しい。とりあえずまだ閉鎖する予定はありませんので、ご縁が続くと嬉しいです。これからも、どぞよろしくお願いします。感謝を込めて。

2002.1.24-2

あの、あの、あのぅ……。もし携帯に、こうゆう留守電が入っていたら、どうします? 「今日は、ごめん。あそこまで言うつもりはなかったんだけど、ついカッとしてひどいコトを言った。ホントに反省してる。自分で自分をコントロールできなくて…。もうああいうコトはしないから。ホントに、ごめんなさい」…って、とっても真剣な口調で。あのぅ…全然心当たりがないんですけど。てか、相手の市外局番からして、明らかに間違い電話なんですけど。こゆ場合、教えてあげるべき?

あ、内容はちょっとアレンジしてます。さすがにプライバシーなんで。でもさー、マンガなんかのエピソードにあるじゃない? 「やり直す気があるなら電話ほしい。電話がなかったら諦めるから」みたいな、相手に届かなきゃ意味のないメッセージを、他人の留守電に吹き込んでしまうの。ああいうの読むたび、電話にしろ手紙にしろ、返事がないのが返事って思いこんじゃうのは危険だよなーとは思ってたけど。でもそこまで親しい人の番号間違えるなんて、あんま現実味はないよなー、とも思ってたのに。まさかホントにそんな間抜けがいようとは。

いいんですよ、もし本人が「昨日電話で謝ったじゃん!」「入ってないよ、そんな留守電!」「あ、全然違うところにかけちゃった、あっはっはー」と失敗を笑い話で済ませるような人なら。でも何ちゅうか、切羽詰まったモノを、感じました。私は妄想女王なんで、このメッセージが届かなかったコトによる悪いシナリオも、想像しちゃうんですよね。でも知らない人にこんな切羽詰まった言葉を聞かれていた、って知らされるのもイヤだろうと思うし。…放っておいた方がいいのかなぁ。

私が困る筋合いじゃないとは思ってるんですけどね! 悪いのは番号間違えた方だし。どうなっても自業自得だし。…でもやっぱ気になるよぅ。気にしすぎ? マジに、どうすべきだと思います?

2002.1.24

Topに、復刊ドットコムの、私が投票してる本へのリンクを貼りました。どれも児童文学。『ツバメ号〜』は冒険モノ(?)で、子供たちが休みをフルに使って遊び倒す物語です。あ、詳しい感想はココに。全巻持っているんですが、文庫で復刊を希望してます。あと2点はジョージ・マクドナルドの童話。はっきり言ってストーリーはよく覚えていないんですが、子供の頃大好きでした。ぜひもう一度読みたい。よろしかったら投票に協力してくださいませ。復刊交渉開始の必要数に達するまで貼っとく予定です。

さて。昨日DVDで『ショーシャンクの空に』を見ました。タイトルと、評判が良かったってのは知ってたけど、初見。あと知っていたのはスティーブン・キングが原作ってくらいか。いやー、噂に違わずいい映画でしたよ。冤罪で刑務所に19年も入ってた銀行家アンディが主人公で…もう5年くらい前の映画だからネタばらししてもいいよね? しますよ? なんかこうゆうマジメな映画って、つい構えて見ちゃうんだけど(泣くもんか!とか思っちゃう)、淡々と物語が進んでいくうちにいつの間にかのめり込んじゃってました。所々にくさい台詞はあったけど、アンディが刑務所内で仲良くなる囚人レッドの「不安な夜」のシーンではホントにハラハラしちゃった。「ああもう頼むから止めて〜!」って。

クライマックスでは「ああ、これスティーブン・キングなんだよなー。頼むよーキング、悲惨な最期にはしないでよ。もういっくらご都合主義でもいいからハッピーエンドにしてくれ〜」と祈りつつ。アンディっていつも冷静な、感情表現に不器用な人なんだけど、その彼が時折笑うのが嬉しくなっちゃってるんですよね、終わりくらいになると。だから銀行に彼が入ってくるシーン、特に「楽しい休暇を」と言われて、彼が「I'm sure I will」と答えるときの表情なんか最高でした。ああその後で車を走らせてるときの顔も。海の色も。…ネタばらしするとか言いつつ曖昧ですが、やっぱ見てない人は見てください。

聖書の使い方、「希望はその中に」の台詞の意味、あとポスターの役割は予測通り。それから今NHKで放映している『ロズウェル〜星の恋人たち〜』に保安官役で出演している役者さんが囚人をやっていて、「まー保安官ってば悪ぶっちゃって」と思えてなりませんでした。クライマックスからラストにかけてのシーンは、3回ほど繰り返して見ちゃいました。そう来なくちゃねぇ。アメリカの刑務所ってもいろいろあるんでしょうが、よく映画に出てくる囚人の実力者とか調達屋とかには、毎度びっくり。ホントにいるのかしら。実力者はいそうだけど、調達なんか難しそうだけどなぁ。そうそう、アンディの獄中生活の一部は、獸木野生さんのパーム・シリーズの、刑務所でのエピソードを思い出させます。

このDVDも最近本の貸し借りをしてる人からのオススメだったんですが、彼の貸してくれる本ってどれも今イチ好みに合わなくて、返すたびに申し訳ないような気になってたんです。ことごとくけなしているようで。やっと「面白かったよー」と言えるのは嬉しくて、その意味でもちょっとホッとしました。はは。

2002.1.22

シロツグさんの掲示板で「どーしてこんな笑えるトラブルばっか」と言われ、ふと、どうしてだろう…と考え込んでしまいました。……(間)……遠い目をして思い返せば遥かな昔、ワタクシが、“病弱な美少女”に憧れていた時代がございました。この際本人の美醜は問題ではございません。奇禍に出会ってしまった女性がみんな美女になれるように、病弱なのは美少女に決まっています。私も朝礼でぶっ倒れてみたり、授業中に真っ青な顔をして保健室に連れていってもらったり、盲腸で入院してみたり、窓の外を眺めて「あの最後の木の葉が落ちたとき…」と呟いたりしてみたい(←これはウソ)、などとゆう、愚かしい願望を持っておりました。ええ健康であればこその戯言です。こうゆう人間は病気慣れしていないので、ホントに具合が悪くなると萎れますので要注意です。

しかし、そんなササヤカかつ密かな望みは叶えられず、私はにょきにょき元気に育ってしまいました。こうゆうのは願ったからどうなるってモンではないんですね。もう生まれながらに約束されているんじゃないかと思います。そして健康なのは、正直言ってありがたいです。だから一時的な不健康に憧れるなんて贅沢なコトができるのです。それでもある時、私にも体を壊すチャンスが巡ってきました。たしか22、3の頃に、とあるショックな出来事がありまして、更にたまたま他にもヤな出来事が重なっていて、ただでさえ弱っていた私はかなりのダメージを受けました。寝ても覚めても「私のどこが悪くてこうなっちゃったんだろう」なーんてコトばっか考えて暮らしたものです。ええ、こう見えても繊細なんで。

心は繊細でも、私の体は悲しいくらいに頑丈でした。そんな精神状態でもちゃんと食べ、眠り、やがてその出来事を四六時中考えている状態からは脱却しました。このまま少しずつ忘れていくのかなー、と思っていたそんなある日、私は自分で思ってた以上に、その出来事を気に病んでいたコトを知りました。気付かないうちに体がSOS信号を出していたのです。でももうちょっと分かりやすいSOSを出した方がいいと思います、私の体。それじゃ気付かれなくても不思議はないです。

その日は休日で、友人とお芝居を観に行く約束がありました。鏡の前で身支度を整えていた私は、たまには気分を変えてみようと思って、髪型を変えてみました。しかし次の瞬間、私の視線は鏡に釘付けになりました。そこには、映ってはいけないものが映っていました。もしくは、映ってなくちゃいけないものが映っていませんでした。祈るような気持ちで手鏡を持ってきて、ようく確かめてみましたが間違いありません。こめかみの辺り、普通なら髪の毛が生えてなくちゃいけない部分に、なぜか地肌がありました。恐る恐る手を伸ばして触ってみると、指先にぽわぽわした感触がありました。そうです、私の体はダメージを訴えるのに、選りにも選って「円形脱毛症」という方法を選んだのでした。

そうなるまでナゼ気付かなかったのか不思議ですが、そのつもりで探してみると、私の頭には他にも3つ、ハゲがありました。後から聞いたのですが、円形脱毛症って治るときに飛び火するらしいです。つまり最初のが一番大きくて、それが治りかける頃にもう少し小さいのが出来て、またそれが治りかける頃にもっと小さいのが…というのを繰り返して、やがて消えてゆくそうです。こめかみのはもう治りかけでした。指先に当ったぽわぽわしたものは、生えかけの産毛でした。他のハゲはもう少し小さく、産毛も生えていなくてツルツルでした。最初はさすがにぎゃーっ!と思いましたが、治りかけているのが分かってからは、けっこう面白かったです。「おお、また新しいのが出来た!」とか「こっちは毛が生えてきた!」とか。ハゲは何ヶ月かで、キレイに治りました。

それにしても、悩み事があるなら普通、ちょっとは痩せるとかやつれるとかしてもいいと思います。どうせ思い悩まなくちゃいけないのなら、そのくらいの救いはあって然るべきじゃないでしょうか。なぜにハゲ。「いろいろ大変で…全然食欲がないの…」なら同情する気にもなりますが、「いろいろ大変で…ハゲちゃった…」じゃ、反応はあっはっはーです。ああ。別にワザとやってるワケじゃないんですが、ワザとやろうと思ってもできませんが…私の体…そこまでして笑いを取ろうとしなくても、いいのにねぇ。

2002.1.21

ちょいと体をひねった拍子に、妙な痛みが腰の辺りに走った。しばらく待っても治らない。最初は、「ひゃあ、とうとう来てしまったの? これが噂のギックリ腰?」と慌てたのだが(父母共に腰が弱いので、私もそのうち発症するに違いないと怯えているのだ)、どうも痛む場所が違う。腰と言うよりお尻が痛い。それに、この痛みは筋を違えたときと同じような気がする。ギックリ腰はまだ未経験なので比べようがないのだが、でも話に聞いたのとは違う。となると…お尻の筋を違えた? …お尻の筋? 首や足の筋なら違えた経験があるが、こんなところを痛めるのは初めてだ。どう対処すりゃいいんだか。

座っても立っても痛いし、同じ姿勢を続けても痛いし、寝ても痛いし、起き上がろうとしても痛い。何にもできないので、お風呂で温めて湿布を貼り、さっさと寝るコトにする。が、やっぱり痛いので眠りが浅く、夢ばかりみてしまう。しかも全部悪夢。ワケのわからない不安や寂しさや焦りを夢から持ち帰ってしまい、目覚めるたびに声をあげて泣きたいような気分になっている。その調子で朝まで輾転反側。別に悲しいコトなんかないのに、なんでこんな惨めな気持ちにならなきゃいけないんだよぅ。ああ、あの時。あの時もう少し勢いを殺してさえいれば、こんな羽目には陥らなかったのに…。

教訓:掃除機のコードを引っ張るときは、体全体を使わずに静かに引っ張りましょう。

2002.1.19

アン・マキャフリイの『フリーダムズ三部作』、やっぱ彼女の最新シリーズらしい。借り物だったので返しついでに感想を話したら、「あんなアクのないヒロイン、初めてだよね」って点では一致したものの、彼は「年を取って人間が丸くなったんじゃない? 彼女もう75〜6になるでしょ」だって。うーん、「丸くなった」ねぇ。言葉を選ぶ人だなあ。私は「衰えた」と評しますね(←ひどい)。聞くところによると、まだまだ書きたい物語には事欠かないそうだし、『歌う船』シリーズのように若手と組んだ方がいいんじゃないだろか。組む相手によっては『戦う都市』みたいな失敗作にも成り得るけど、『旅立つ船』みたいなシアワセな結果も生まれると思うし。『旅立つ船』もかなりご都合主義だが、こっちは私好みのご都合主義なのでOK。主人公が可愛いと、どんな小ズルイ手を使ってもシアワセになって欲しい、と思うもの。ま、1つのシリーズだけで判断を下すのは不公平だと思うので、次回作に期待。

子供の頃に読み込んだ本って、今になっても忘れられない。田舎には絵本も何冊か取ってあるし、童話・児童文学に至っては、かなりの数が手放せない。キリスト教的世界観が鼻につくとは言え、好きなエピソードもたくさん入っている『ナルニア物語』。『ドリトル先生』や『メアリー・ポピンズ』のシリーズ。『果てしない物語』。こないだやっと手に入れた『ツバメ号とアマゾン号』シリーズ。『まほうののプディング』。『まほうのチョーク』。人間の言葉が喋れ、賢いのに詰めの甘いキツネが主人公の『きつね物語』。城・海・島の『冒険シリーズ』。『みしのたくかにとを食べた王子さま』。…ざっと思い出せるだけでも、これだけ家に揃っている。ほとんど読み返すコトはないが、棚に並んであるのを見るだけでナゼか安心する。

もちろん借りて読んだだけの作品もたくさんあって、そっちにも忘れられないモノがいくつかある。粗筋も忘れてしまっているのに、ある一場面やイメージだけを妙に詳しく覚えていたりする。が、どこかの古本屋で出会ったらふらふらと買ってしまいそうな、そうゆう作品のほとんどが絶版になっているのですね。昨日復刊ドットコムの復刊リクエストを見て知りました。ああ、でもジョージ・マクドナルドも? 私のゴブリンのイメージって彼の作品のなのに。家の中を流れる小川とか、どこからか聞こえるひそひそ声とか、地の底の国とか、どこかにちょっと翳りのある彼の物語が好きだった。それにジョーン・エイキンも? 『ささやきの山』も好きだし、それに『しずくの首飾り』! あのカラフルな背景とシルエットだけの影絵風の人物の挿絵! 鶏の一本足の家に住むバーバヤガのイメージは、彼女の作品でできたのに。

なんだか堪らなくなって図書館に走り、思いつくだけの本をリクエストしてきた。もう閲覧棚にも並んでないのね。区の保存庫にきっと1冊ずつだけ取ってあるんだ。まあ私が子供だったのって四半世紀も昔で、新しい本も毎年出版されるんだから、当たり前と言えば当たり前なんだけど。でも寂しい。『ハリーポッター』もいいけど(まだ読んでないけど)、昔の作品も忘れて欲しくないなぁ。素敵な物語はいっぱいあるんだから。とりあえずは、復刊リクエストに投票。復刊されたら買わなくちゃ。

2002.1.17

はぁ。やっと読み終わったアン・マキャフリイのフリーダムズ三部作。何なの、これ。これは最新作なのか、それとも昔のがやっと日本で翻訳されただけなのか。つっまんなかった。私の愛するマキャフリイらしさ全然なし。彼女の作品って当たりはずれが大きいけど、今回のはやけに古くさい。昔の出来の悪いSFって感じ。あまりにもご都合主義で、行き当たりばったりで、女性に魅力がない。

マキャフリイはもともと口から出任せっぽい話の作り方するきらいがあって、話の細部までこだわる人が読めば、彼女の創造した世界はおそらく矛盾に充ち満ちていると思う。途中で忘れられちゃうエピソードもあれば、いつの間にかいなくなってしまう人もいる。「ちょっとこれ最初っから考えてた流れじゃないでしょ!」ってコトもある(アシモフほどひどくないけど)。それをカバーするのはキャラクターの魅力であり、彼女がずっと書いてきた“絶対の心の結びつき”の魅力である。後者はマキャフリイがハーレクイン・ロマンスっぽいと言われる所以だと思うが、でもパーン・シリーズに見られるように“唯一の相棒”は異性に限らない。あれは竜が運命の相手ね。でも今回のは…。

たしかクリスタルシンガー・シリーズだったと思うが、翻訳者が後書きで「どうしてもヒロインが好きになれずに苦労した」と書いていた。今回の後書きにも「フリーダムズ三部作は、マキャフリイのアクの強いヒロインがダメな人でも大丈夫。普通のSFファンでも読める」みたいなコトが書いてあった。…ばかか。普通のSFが読みたけりゃ他の作家の読むわ。確かにマキャフリイのヒロインは、気が強くてヒステリックで可愛げがない。私も読んでいてよく「なんでそこでヒステリー起こすかなぁ…」と思うが、それはほとんど寂しさや怯えの裏返しだし、それがちゃんと分かるように描かれている。彼女らは人の気持ちが分からないワガママ女じゃなくて、不器用なんだってば。

まあ、そうゆうタイプのヒロイン像に飽きたと言うなら、それもいい。でもそれなら違う魅力のあるヒロインを作り上げてくれよぅ! 何よ、今回のヒロイン、クリスは。余りにも影が薄い。魅力がない。下手な男性作家が書くヒロインみたい!(←美しいとか、聡明とか描かれている割に、中身がない。謎めいた女とか言って、ホントに何考えてるのか分からない。性格に一貫性のない、記号としての女)。こんなのマキャフリイじゃなくても書けるじゃん。だからって男の方に力を入れてるワケでもなさそうだしさ。

それに何より、翻訳がひどい。これ程あからさまな翻訳文体、久しぶりに読んだ。3巻目になったらいきなり読みやすくなったけど、2巻目なんか笑っちゃうくらいひどかった。まだ慣れてないのかなーと思ったけど、これがベテラン。もう何冊も訳してる。…それで、これ? そんなんだから「翻訳文体がダメだから、あんまり外国人の作家読まない」って人が多いんだよぅ。翻訳者って小説家になれるくらい文章力が必要ってのは、ホントだと思う。はー、次はお気楽なの読もうっと。疲れちゃった。

2002.1.16

昨日の続きで一度ばかみたいに長い文章を書いたんだけど、全然まとまらないのでまとめて削除。書きたかったのは「人とどう関わっていくのか」に集約される諸々で、多分これは今の私の一番のテーマ。でも自分でもまだまだ矛盾を抱えているのに、まとまるハズがないのでした。はは。

槇村さとるさんに話を戻して。私にとって彼女の作品が今イチな理由は、多分彼女の倫理観が私のと合わないからなのだ。人って、年を取るにしたがって軽くなっていく人と、重々しくなっていく人がいるように見える。私は軽くなりたい。親を含めて周囲の全てから、小さい頃に教え込まれた約束事(倫理観)には、捨ててもいいものがたくさんある、と私は思う。もちろん捨てるコトでマイナスも引き受けなきゃいけなくなる場合もあるが、大人になるってのは、その約束事のうち、どれを取捨するか自分で決められるようになるってコトじゃなかろか。槇村さんが大事にしている(少なくとも過去の作品では)倫理観は、私が必要ないと思う…少なくとも自分がシアワセであるよりも優先するべきだとは思えなくて、捨てたものばかりだった気がする。

私は今のところ自分が一番大事だ。エゴイスティックだけどそうなのだ。友達にも大事な人にもシアワセでいて欲しいし、そのためにできるコトはするけど、それは不幸せな友人を見るのがツライからだ。ほとんどの場合、本人がシアワセでいた方が周囲もシアワセになれると思うしね。『おいしい関係』が楽しかったのは、百恵ちゃんが“自分がシアワセであること”を優先してるからってのが大きい。ただこれで問題なのは、私が好きなように振る舞うことで、人が(少なくとも一時的には)傷ついてしまうとき。そこで私が我慢するってのは最終的にはいい結果にはならないだろうし、けどやっぱり悪い気がするし…と思うのも相手にとって失礼な話だし。

まあそんなような内容を最近ごちゃごちゃ考えていただけに、同じようなコトでごちゃごちゃやってる『おいしい関係』がジャストミートだったのでした。うーん、20歳そこそこの主人公と同じかぁ…。私は年齢で人の能力を区切るのが好きじゃないけど、こと人間関係に関してだけは自分のコトを「この年になって情けない!」と思ってしまう。今まで何やってきたんだろうって。でもまあ遅すぎはしないだろ、と脳天気に構えてもいるんだけど。ま、きっと何とかなるでしょ。やるコトちゃんとやってれば。…って、すいません、やっぱ全然まとまらないや。まとまったらまたいつか。

2002.1.15

丸2日間友達の家に入り浸って、残り1日はそこで借りてきたマンガに読みふけってました3連休。連休明けはいつもそうだけど、ぐったりです。遊びすぎて。週明けなのにもう週末が待ち遠しい。

読んでいたのは槇村さとるさんの『おいしい関係』全16巻。以前ドラマになったときに友人が「イメージと違う〜」と騒いでいたけど、そのときは読んでなかったので「まぁ、ほとんどそうなっちゃうよねぇ」と思っただけだった。ドラマも何回かは見たような覚えがあるが、あまり印象には残っていない。何となく「槇村さんらしい」とは思った気がする。でも今回原作を読んでみたら…ああ、今まで読んだ彼女の作品の中で一番好きかも。私はダンスや芝居が好きなので、マンガでも演劇界・ダンス界・フィギュアスケート界のものに対しては、点が甘くなる。だから槇村さんの『ダンシングゼネレーション』や『ニューヨークバード』や『白のファルーカ』なんかは、かなり好きだった。でも“my favorite”ではなかった。

ナゼかと言うと、彼女の作品がどこか暗かったから。いや、暗い話が全部ダメなワケじゃない。モノによっては、相当陰々滅々とした話だって好きになれる。だけど槇村さんの暗さは、私が受け入れられる種類の暗さじゃなかったのだ。例えば太郎くんと花子さんが恋人同士だったとして。そのシアワセカップルの前に邪魔者の健太くんが現れて花子さんにちょっかいを出す。あ、太郎くんと健太くんはお互いにコンプレックスを持っていたりするのね。で、ひょんなコトで健太くんの暗い過去を知ってしまった優しい花子さんは、同情して健太くんに中途半端に優しくするの。で今度はその2人が親しくしているトコロを見てしまった太郎くんが嫉妬して、花子さんにイヤミを言う。花子さんは健太くんと会っているのを隠すために嘘を言う。そのまま泥沼のぐちゃぐちゃ関係突入、と。

もうねー、こうゆう全然感情移入できないぐちゃぐちゃがダメで。心配ならイヤミ言わずにはっきり聞け、すぐにばれる下手な嘘ならつくな、と段々イライラしてきちゃって。それで3人が涙流して不幸に溺れていても、同情する気にならんわな。あと、槇村さんのメッセージの伝え方がストレートすぎるのも、苦手だった。あまり見当違いのコトを主張してるとは思わないんだけど、「友達は大事です!家族は仲良くすべきです!」って大声で主張されると、あまりに開けっぴろげすぎて恥ずかしい。そうゆうメッセージは台詞やト書き以外で上手く伝えて欲しいんだ。『白のファルーカ』なんかその典型で、最初のダンス関係の試行錯誤は面白いのに、後半になると…なんで異母兄が出てくるんだよーっ! 出てきてもいいけど、主役2人までドロドロすんなよーっ!…となってしまうのだ。ああ、題材はいいのに。

おっと、いけない。槇村さんの作品を褒めるつもりだったのに、悪口が先にたっちゃった。えーっと、『おいしい関係』(←いいけどタイトルはどうかと思うなー)ね。このヒロイン、百恵ちゃんは好きだ。前向きだし、ちゃんと考えてる、脳天気なお嬢さま。その脳天気に、共感する。前に書いたような物語の傾向はやっぱりあるんだけど、暗くなっちゃう理由が今回のは納得できるし、少しはわかる…ような気がする。想像できる。何と言っても百恵ちゃんがその暗さに引きずられないのがいい。

…ここから作品に触発されて考えたあれやこれやに繋げるつもりだったのですが、すいません。長くなりそうなので次回に回します。百恵ちゃんの台詞、「私は、一人ぼっちはイヤ。だから人と関わりたいんだ。そうゆう手前勝手な人間なんだ。でも、どんなに願っても、誰とでも仲良くできる訳じゃないんだ。私を受け入れてくれる人間ばかりじゃないんだ。」…ああやっぱストレートすぎて恥ずかしい…けど、似たようなコト考えるときがあるので、その辺について。…私も恥ずかしいコト書いてんなぁ。

2002.1.12

正月休み、私の実家には17歳の女のコが滞在していました。産まれたときから知ってる娘ですが、会ったのは何年かぶりでした。かなり面白い女に育ってた彼女との会話はたいへん楽しかったのですが、さすがにこれだけ年が違うと「もう少し年くったらわかるよー」ってババくさい台詞を何度か吐こうとしちゃいまいした。だって13も違うんです。親子ほど…は言い過ぎか。でも1回り以上違うんです。お互いの読書傾向が異なっていたので、オススメの本をリストアップしてもらったら、やっぱラインナップが若い…ような気がする。名前とかタイトルで。ほとんど、名前を知っているけど読んだことない人ばっかりです。もともと日本人作家はあまり読まないんで、そうゆう作家さん多いんですけど。ま、でもオススメされたのはそのうち全部読んでみるつもり。

(私信:ところで私の教えたURL嘘だったんだけど、ちゃんと辿りついた?>17娘。やっぱwwwは入ってなかったや。辿りつけたなら掲示板にでも足跡残しといてね、プリーズ。)

さて彼女との話で出てきた作品の一つが田中芳樹の『銀河英雄伝説』。今じゃ読めなくなっちゃった作家です。絶版になっているからではなくて、好きじゃなく…いや、むしろ読んでて腹立つようにになったから。昔は『創竜伝』だってそれなりに読めたんですけどね。それで久しぶりに「ヤンとラインハルトのどちらが好き?」って話をして、そしたらその途端にヤンが嫌いな理由とか田中芳樹が嫌いな理由とか、うわわーって頭に押し寄せてきて、こりゃ久しぶりにドロ沼劇場で悪口書こうかとも思ったんですが、一応あそこに書くときは読み返せるものは読み返すことにしてるんで、それで田中芳樹はもう読みたくないんで、ここで鬱憤をぶちまけます。ヤンファンごめん。

先に『銀英伝』の解説をさらっと。あ、私の主観は大好きな同人誌サークル、フェザーンBANDAIさんに多大な影響を受けてますので悪しからず。さて…時ははるか未来、人類が自分たちの故郷、地球をも忘れちゃった頃。宇宙のほとんどを支配しているのは王制を敷き専制政治を行っているゴールデンバウム王朝の銀河帝国。その対抗馬が、帝国から亡命した人たちが作り上げた民主主義国家の、なんとか同盟。この2つの対抗勢力に同時期2人の戦争の天才が現れます。帝国側の天才がラインハルト、同盟側の天才がヤンです。この2人の台頭とか対決とか帝国側の王朝の興亡とか同盟の政治の腐敗とか謎の第三勢力とかなんやらかんやらの話が『銀英伝』です。うーん我ながら見事な要約。

先ほどの、『銀英伝』お約束の「2人のうちどっちが好き?」って話では、かなり大多数がヤン側につくんじゃないかと思います。私の親友もヤン派で、彼女とは何回もこれで言い争ってます。ヤンの方にファンが多いのは、作者が露骨にヤンに肩入れして書いてるせいです。ラインハルトは金髪碧眼の美形でビジュアル的には勝っているんですが、人間的にはあまり魅力的に書かれてません。天才で理想家で野心家で高潔なボクちゃんって感じで、今イチ薄っぺらいです。彼のプロポーズのシーンなんか大笑いです。まあ彼の側には幼馴染みの右腕的存在、キルヒアイスがついてますんで、それで点数稼いでます。私もキルヒアイスがいるんで、ラインハルト派です。

それにひきかえ、ヤン。彼は古典にも通じている学者肌のぬーぼーとした男で、戦争を嫌ってます。軍事の天才の平和主義者です。政治にも一家言持っていて、民主主義の理想を掲げてます。汚職政治家には煙たがられてますが、戦争には勝つので民衆の英雄です。二言目には「戦争は愚劣だ。汚い」と言う割に軍人です。すぐに人前で「ホントは私は学者になりたかったんだ…。戦争なんかしたくない」とボヤきます。人殺しが嫌いなくせに、自分が戦争上手なコトにジレンマを感じているみたいです。政治的駆け引きに疎く、野心がないので、部下たちが一生懸命フォローし盛りたててます。なぜか彼はカリスマ的人気があるコトになっているのです。なぜか。

ヤンファンは騙されてると思います。舞台が宇宙規模の戦争だから目を眩まされている、と思います。たとえばこれが現実の会社だったら。とある潰れかけの会社があるとして…ヤンはそこの中間管理職ですね。で、ヤン課長が部下の前で「今の社長の考え方って気に食わないんだよねー。こんなところで仕事してたくないんだけどさー。会社創立時の理念は好きなんだけどねー。ホントはこんな仕事やめて好きな研究したいんだけどさー、ほら、僕って仕事できるから。僕が辞めたら会社が行き詰まって平社員が困るしさー、辞めるに辞められないんだよねー。ホントは辞めたいんだけど!」と年がら年中言っているとします。……こんな課長、好きですか? 要するにヤンの行動ってそうでしょ?

私の言いたいコトは。辞めたいなら愚図愚図言ってないでさっさと辞めろ! 辞められないなら愚図愚図言うな! これに尽きます。「ホントはこんな仕事してたくないんだよ」って愚痴る人、ヤだもんね。…あぁちょっと、すっとした。重ねてヤンファンごめんね、反論あったらどうぞ。

2002.1.8

…今日私はとってもカツ丼な気分だったんです。それを励みに空腹をこらえて残業していたんです。キリがいいところで終わらせれば、8時頃には家に帰れるだろう。それから揚げ物をするのは面倒だし、どうせ1人分だし、カツはお惣菜コーナーで1枚だけ買って帰ろう。親子丼なら鶏肉と玉ネギだけでけっこういい味になるけど、カツはそう煮込まない方がいい。ダシを取った方がいいだろうか。でもあんまり量は使わないし…。水分ちょっととパックの鰹節だけで、なんちゃってダシ汁を作りゃいいや。冷凍してあるご飯はまだあったよなー? ああおなか空いた。なーんて考えながら、とっとと仕事を終わらせて帰路につきました。そして帰り道のスーパーに寄りました。

…無いんです。いつもあるトンカツが。てか売り切れてました。トレイの上にはキツネ色に揚がったパン粉の欠片が落ちているだけでした。しかし一度カツ丼モードに入ってしまったら、そう簡単に態度を変えるワケにはいきません。私は寒い道を歩きました。帰り道から外れた、ちょっと遠いスーパーまで。そっちの方が大手だし閉店時間も遅いので、絶対にあると思ったのです。………ええ、そっちも売り切れでした…。牡蠣フライしかありませんでした。私に牡蠣フライ丼を作れと言うのでしょうか。誰も言ってません。こうゆうときは妙に被害妄想になるもんです。私がサトラレじゃなくて良かったです。なんでカツがないんだっ私はカツが食いたいんだ! なんてスーパー中に響き渡ったらたまったもんじゃありません。

この時点で、私は空腹の限界に負けました。カツ丼カツ丼…と考えていたので、それ以外何を食べたいのか、私は途方に暮れました。どれも何か違う気がするのです。スーパーを2周ほどして、結局またインスタントラーメンを買って帰りました。夜風が身に凍みました。ふと一人暮らしが虚しくなりました。くすん。(…………あ、一人暮らしじゃなかったわ。)

2002.1.7

昨日の続き。お参り関係で、もう1コ謎があります。謎ってか、知りたいコトが。私の実家はド田舎なんですが、中でもウチは村のどん詰まりにあります。そしてその更に片隅に、小さな道陸神(どうろくじん)さまの祠があります。道陸神さまってのは一般に旅人を守ったり、村を病気から守ったりしてくれる神さまだと思いますが、ウチの道陸神さまは主に子宝を授けてくださるらしいです。学校のウサギ小屋くらいの大きさの祠はだんだんと寂れてはきていますが、それでも一応お祭りらしきものもあります。ご神体は、男根です。…と、ここで「男根信仰」って具体的に何を指すのかと思ってGoogleで検索かけてみたら2番目に馴染みのサイトが…。うーん、さすが。

F・クラウスの「性風俗の日本史」(河出書房新社)を読むと分かりますが、かつて日本では男根信仰が盛んで、全国の道祖神に石のちんこが鎮座していたものでしたが、昭和に入ってから急速に廃れていきました。
馬的思考12/1の日記より引用)

そのまんまです。道祖神=道陸神です。ただしウチの祠(別にウチの持ち物じゃないんですが)にあるのは石づくりではなくて、木彫りが主です。ちゃんと数えたコトはないのですが、10本以上はあると思います。この道陸神さまに願掛けをして子供を授かった人は、お礼に自分で1本作って奉納しなくちゃいけないそうです。…と、ここまではいいんですよ。ここまでは知っていたんです。ところが最近この道陸神さまにお参りして子供を授かった方がいらっしゃったそうで、それでウチの両親も初めてちゃんとした願掛けのやり方を知りました。それをこの正月休みに教えてもらったんですよ。

まず願掛けをする人は、道陸神さまにお願いして、並んでいるうち好きなのを1本持って帰るらしいです。持って帰ったのをどうするかは諸説あるそうです。神棚に上げておくとか、一緒に寝る(!)とか。そしてめでたく子供を授かったら、持って帰った1本と、自分の作った1本、両方を祠にお返ししなくてはいけないそうです。…すごいなぁ、とは思いますが、これもいいんです。神さまに義理欠いちゃいけません。私が気になるのは「ご利益がなかった場合」のやり方です。どうすんでしょう。借りたのをそのまま返すのは何だかマヌケだし、捨てたり燃やしたりしたら罰が当たりそう。かと言っていつまでも持っているってのも…ねえ。ああ気になる。どなたかご存じありませんか。

多分地方によっても風習は違うと思いますが、「ウチの地方ではこうだよ」って話でいいので、古き良き神々の住む地にいらっしゃる方、教えてください。いやホント、マジで気になってるのよぅ。

2002.1.6

ちょいと時間がなくてちゃんと更新できないのですが、アイスバーンで滑って事故ったワケでも、雪に降り込められて帰れなかったワケでもございません。両方ともちょっと危なかったんですけど。でも昨日、無事に田舎から戻ってきています。ですので遅ればせながらも、新年のご挨拶を。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。2002年、いい年になるといいですね。もちろん私の年もいい年に。そういやお賽銭なんですけど、私は「ご縁がありますように」で5円か、「十分ご縁がありますように」で15円、と聞いたような気がしていたので、そのどっちかをお賽銭箱に投げていたのですよ。ところが今年初めて10円は「遠縁」に通じるからダメ、と教えてもらいました。では15円は?と聞いたら、「“当分ご縁がない”なんじゃない?」と言われちゃいました。あー、そのせいで。なんだかとっても納得。十分ご縁〜って日本語として変ですしね。言われてみれば。

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