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2001.9.27-2

ただいまー。

私は小難しい理論が苦手で、それよりも単純な言葉で当たり前のコトを言われたときに、それがすとんと心に収まってくれるのである。昔、我孫子三和さんの読みきりマンガにヒロイックファンタジーのパロディみたいな作品があった。王子が姫を助けるため(だったかなー)に魔王のもとを訪れるのだが、魔王の城との間には“一度迷ったら二度と出られない”魔の森が横たわっている。ところが王子は1コマか2コマであっさり森を抜けてしまうのだ。その理由が、これ。 『一度迷ったら二度と出られない魔の森でも、そうです、迷わなかったら出られるのです! …この当たり前すぎるくらい当たり前の真実の重みの前に、単純な私は「そっか!迷わなければ出られるのか!言われてみればその通り!」と目からウロコをぽろぽろと落としたもんです。

長年すっかり忘れていたエピソードを不意に思い出したのは、プチ日記(9/26)の 「いま生きている人たちは誰も死んだことがない」 って記述を読んだから。またもや私の目から大きなウロコが音をたてて落ちている気がします。どんな目をしてるんだ、私。でも、こうゆう当たり前の真実をぽろっと書ける人ってスゴイなー。いや本気で。私にとっては、どんな哲学の言葉よりも胸に刺さります…と、ロクに哲学など知らない強みで断言してみたところで、今度こそホントに行ってきます。

2001.9.27

勝手に一人で浮かんだり沈んだりしていたけど、やっとほぼ平常モード。健康ってありがたい、とこんな時だけシミジミ思います。すぐ忘れるくせに。昨日のナチュラルハイ状態は当然ながら長くは続かず、就業時間が終わるころにはげろげろ状態に陥ってました。救いは上司がとっとと帰ってくれたのでマイペースで作業ができたこと。人と仕事をするのがキライなわけじゃないけど、下手な人ならいない方がよっぽどいい。それに夜って電話が鳴らないってだけで集中できるし。この時期は中間決算で忙しくなるのは分かりきっているのに、わざわざ他の仕事を作り出すバカのおかげで先週から残業代を稼がせてもらっていて、それを使って今日の夜から旅行に出ます。

以下、怒りにまかせて書きますが、1個1個の素材を見てそれを組み合わせた結果が予想できないっていうのは、ただのバカなんじゃないのか。例えばリンゴとスイカとメロンとカツ丼とてんぷらとうなぎと梅干と…を並べてきて、こっちが「そんなに食べきれないし、食い合わせが悪いのが混じっているから下手するとおなか壊します」と言っているのに「でも今食べないと腐っちゃうから食え。とにかく食え」で押し切られても困る。そしておなかを壊すと「おかしいなーなんでかなー」って。考えろよ、事前に! その上「ひょっとするとうなぎがマズかったのかなー。ちょっとそれ出しといて」とか言い出すし、それに「もう食べちゃったんですけど」と反論すると「でも出さないと困るんだ。いいからちょっと腹を割いて出してくれよ。やってみてよ」と甘えてくる。

もう神経がぶちぶち切れそう。「だから言ったじゃないですか」なんて言いたくないんだよー、言わすなよ。ちなみにこっちが事前に先回りして意を汲み取ってあげられないのは、本人にも自分の意がどこにあるかわかってないから。何が欲しいのか、やりたいのかをはっきりさせてから、人にオーダーを出して欲しいだけなのに。私は、資格も持っていないしスキルがあるワケじゃないので、社会人になって何年も「自分は仕事ができない」と思い込んでいた。でも今ではかなりマシな部類に入ると思っている。もちろん、今でもスキルのある人は尊敬するし、上を見ればキリがない。しかし! 世の中には“それ以前”の人も、いーっぱいいるのだ。しかも平気な顔で課長やら部長やらをやっているんだから笑えないよ、まったく。

…もう少しいいコトを考えよう。仕事は来週まで棚上げして、まずは旅行だ。今回の旅では、初の混浴露天風呂に入る予定なのだけど、一緒に行く友人の一人が妙にためらっている。しかしそのクセ、“露天”の方にはすごく惹かれているらしく、“混浴”と“露天”の狭間で揺れに揺れているのが、端から見ているとすごく楽しい。お約束の「水着はマナー違反かどうか」でもずいぶん悩んでたみたいで。別に他の人たちだって他人の裸を見に来ているワケじゃあるまいし、ぱぱっと脱いでちゃちゃっと入ってしまえば大丈夫だと思うんだけど、何がそんなにマズイんだろ。…って、数を頼んで男風呂に平気で入るおばさんのようなコト言ってる、私? ヤバ。でも天気が良くなきゃ辿りつけないお風呂なので、せっかくだから入ってきたい。温泉大好き。

なんだかいろいろ降りかかってきててぱさぱさになっているんで、気のおけない友人たちと遊んで温泉でストレスを洗い流し、仏のようになって帰ってきましょう。来週からの戦いに備えるためにも。ってワケで行ってきまーす。

2001.9.26

昨日の夜はオフレポを書きながら「なんであんなに楽しかったのに文章がすらすら出てこないんだろう」から「結局、人のいいトコロを素直に言えないんだ、私は。別にお世辞を言おうとしてるワケじゃないのに。イヤな人の悪口ならすらすら出てくるのに。ヤな女! 悪口と愚痴ばっかり得意なんて最低!」を経、「まったく、ぐじぐじうじうじするのが好きだよなー、この女は。ああ鬱陶しい!」まで行きついて、ブルーな気分で寝たのですが、今朝になってふと思いついて、体温計を咥えてみました。案の定、モノの見事に発熱してました。

なーんだ、それでか。あのインインメツメツとした思考の方向性は。そうだよなぁ、私があんなに根暗なワケないじゃん、あっはっはー。そういや、ここ何日かダルくて鼻水が止まらなくて肌がかさかさして重ね着しても寒くてそのくせ時々かーっと熱くなったりしてたっけ。風邪かぁ! …と原因がわかったとたんに、いきなり元気になりました。問題の原因がわかっただけで問題を解決したような気分になってしまうのは私ばかりではないとは思うのですが、どうも極端から極端へと振れすぎているような気がしないでもありません。ナチュラルハイ? あとで反動がこないよう望みます。

しかし中間決算関係で残業を続けている身では休むワケにもいかず、風邪薬を飲むのもポリシーに反するので、葛根湯を飲んで(←漢方には妥協)出勤。ただ、葛根湯は風邪のひき端に飲めば効くのだけど、今回はいつがひき端だったのかがわからないので微妙です。熱が出ている時点でもう遅いような気もするし。次第にぽーっとしてくる私の脇では、上司連中が言いあいをしています。ああもう早く週末に…と思うのですが、今週末は怒涛の旅行に行く予定で、山に登ったり温泉に入ったり酒を飲んだり夜遅くまで騒いだりせねばなりません。まあ部屋で一人寝込んでいるより遊んだ方が、風邪も早く治ってくれるでしょう。

2001.9.25

土曜日、シロツグさんのお誘いで2回目のオフ会に参加してきた。メンバーは他にセガミさんゆうこさん千秋さんンタロウさん。ほとんどの方とは2度目の顔合わせなので、さすがに初めてのときよりは気楽だったが、やっぱり少しはドキドキする。待ち合わせは中野に16:30。始まるのが早いので今回は終電前には帰れるだろう。待ち合わせ場所に指定されたたい焼き屋がなくて集合に少し手間取ったが、千秋さんを除いた5人が集まったところで先に1軒目の中華料理屋に移動した。

初めてお会いしたゆうこさんは長身のステキな女性で、サイトから抱いたイメージにかなり近かったです(←こう書くとまるで彼女の方が年上のようだが、もちろん私の方が全然、全っ然年上。知ってたけど。知ってたけどさ!)。彼女を見て「わー背の高い女ってのもカッコいいなー」と思ったのだけど、実は私の方が背が高くて、その印象の違いは“細さ”にあると思い至ったときにはホントにイヤになりました。そう思うなら節制しろ。

さてすぐに千秋さんも合流。千秋さんとンタロウさんには先約があって、多分来られないだろうと諦めかけていたのに、時間が早まったおかげでけっこうちゃんと話せて嬉しかったです。千秋さんがご自分のサイトで書いていた、無茶な旅行の話もちょっと聞けたし。サイトの文章もそうだけど、彼女は話の仕方がとても上手くて羨ましい限り。ンタロウさんもにこやかで、たとえ鋭い針を隠し持っているにしろ(いや、だからこそ?)、端で話を聞いてるのは楽しいです。お二人は残念ながら途中で退場。

話してばっかりの私たちに店員さんたちの目が冷たくなってきたので、場所を変えてワインの飲めるお店に。この辺、私の記憶が怪しいのでよく覚えてないが、シロツグさんとセガミさんの(アニメとマンガの)豊富な知識に圧倒されていたような。多分興味の方向性が違うんだろうなーとは思いつつも、女の子方面を押さえているゆうこさんがいてくれてよかった。何を話していたかははっきりしないのに、店に入ったときは「まだこんな時間?」だったのがあっという間に終電の時間。Time flies. …てか酔ってただけだろうなぁ。

そして、ゆうこさんと別れた後で結局3軒目に。この店のサワーが薄かったので、ここはちゃんと覚えてます。多分。滅多に会えないお二人にはいろいろと聞きたいコトや話したかったコトもあったので、大人らしく理性的にお話ししてました。…よね? 始発の出る時間にめちゃくちゃ寒い、人気のない街に追い出されるまで。こんなに長い時間飲み続けるのは久しぶりだったが、もういろんなコトが話せて気分が高揚しちゃってて、一人になるまで疲れた気はしなかった。なった途端に爆睡したけど。

私がネットで交流を持つ人って、どこかで共通する部分とか憧れる部分を持っている人たちなので、意見を聞きたくなるコトが結構ある。下手すると現実に私の周囲にいる人よりも、私の考えているコトを知っていたりもするし、だからネット以外では知り合わないだろう人と友達になれたりもする。それがサイトを始めてしばらく経つ今でも、まだ少し不思議な感覚で、面白い。トラブルを知らないから言えることなのかなー。でも、楽しめるうちは楽しんでいよう、と思う。

2001.9.24

三連休最後の日。三連休なんてあっという間に終わってしまうもんですね。と言っても土曜日には12時間耐久オフ会に参加して昨日は半分以上寝て過ごしたんで、まともに使えるのは今日くらい。しかもそれを更新作業に使う私ってなんだかな。

オフレポは明日にでもまとめて書きますが、今日はとりあえずいろいろ話して考えたコト。執念深いと言えばいいのか、未練がましいと言えばいいのか、とにかく自分ってえらくすっきりしない人間だなーと痛感しちった。あのアメリカのテロ事件からの流れで最近は人間関係についてぐじぐじ思い悩んでいて、ちっとも整理がつかないのです。私はもともと冷たい人間で、関係ない人は関係ないや、と簡単に切り捨ててきたのだけど、その割にどこかで「ホントにそれで良かったのか」とずーっと考えてしまうところがあって、自分でもその辺が上手く処理できていないと思う。これだけ生きてきてお恥ずかしい限り。

それでも結局ホントにどうしようもなくどうでもよくて別れた瞬間に忘れちゃうような人は、心の底からどーでもいいんだけどさ。問題は好きなトコロがあるのにタイミングとか周囲の状況とかで上手くいかなかった場合。軽いつきあいでは上手くいってたのに、なまじ深入りしちゃったばかりに相手が依存するようになっちゃって、それが私の重荷になってしまったり。でも深入りしたい人もいるワケだし、そうするタイミングをちゃんと読めないのが悪いのか、とか、結局そのタイミングが相性ってモンなんだろか、とか。……あれ、ここまで書いてきて気づいたけど、要は私の方は相手が好きだったけど、相手はそうじゃなかったってだけ? そゆこと? うきゃー、寂しーい!

ま、まあ、そうゆうパターンは置いといて。なんだろ。なんか「上手くいってもおかしくない同士」が全て上手く行くとは限らないワケで、それがすごくもったいないような気がするのです。基本的には人間なんてお互いホントには分かりあえっこないと思ってるし、だからちょっとだけでもわかるような気がすると嬉しいんだし、そういう「わかりあえそうな人」をうっかり逃してしまったら惜しいな、みたいな感じ。人間関係って相互のモンだからいっくら私がうじうじ考えていても、そしてひょっとしてえらく立派な哲学を生み出しても(←ムリだろ)仕方ないんだけどね。でもぐじぐじしてるのはイヤでも「それが人間ってもんさー、仕方ないさー」と悟りきってしまうのも寂しいし、それを考えなくなったら私じゃないような気がするからいいか。人のことは知らんけど。

さてこの話は結論が出ないので、投げるだけ投げといて話を変える。今まで日記を書いてきて、書くのをガマンしてきたコトが一つある。って現実生活で書いてないコトはたくさんあるんだけど、サイトを開く前にどこまで書いてどこを隠すかってのはだいたい決めていたので、それは別にガマンではない。文章を書き始めるまでは予期していなかったことだ。私は話し言葉では一人称に「あたし」、書き言葉では「私」を使っている。ところがときどき無性に「オレ」を使いたくなるのだ。今まで何度か「ここは気分的にはオレなんだけどなー」と思いつつも、諦めてきた。でもこれからは。

多分ときどき「オレ」を使わせてもらいます。ご了承ください。………ってこんなの日記を読んでくださっている方々にはどうでもいい話なんだろうけど、何も言わずにいきなり「オレ」を使い出すのがちょっと恥ずかしかったので。だって自分のことを「ぼく」と自称する女の子ってちょっとイヤじゃないですか? あれは若気の至りだから許される行為で、私は若気の至りをするにはさすがに…ねえ。「オレ」は違いますよ。私の中では「ぼく」と「オレ」には彼我の差があるのです。今日は私以外にとってはどうでもいい話ばかりで…っていつもか。すいません。そんなワケでオレ入りのぷらぷらすを今後ともよろしゅう。

2001.9.20−追加

別に重い荷物を持っているからって山に登るのを諦めなくてもいいんだよな、要は体を鍛えればいいんだし。…と思ってしまうのは能天気にすぎるだろうか。

2001.9.20

今までずっと、メールソフトはOutlook Expressを使っていた。パソコンを買った当初から、友人にBecky! の方が使いやすいし安全だ、と薦められてはいたのだ。だが面倒くさがりの性分だし、それほど多くのメールのやり取りをしているワケでもないので、ときおり「変えようかなー」と思いながらも、そのままにしてしまっていた。それをとうとう昨夜遅くにダウンロードしてみた。新種のウィルスのせいではない。(それも怖いけど。) 他にやるべき大仕事があったからである。勉強しなくちゃいけないときに無性に本が読みたくなったり、出かけなくちゃいけないのに掃除をしたくなったりする例のアレだ。しかし人を呪わば穴二つ。(←ちょっと違う。) 接続の設定まではよかったが、アドレス帳やOutlookの受信箱にあるメールを移す方法がわからなくて、明け方までも四苦八苦。結局できないままで、やらなくちゃいけないコトが増えただけに終わった。眠い。

さて昨日書きたりなかったので、“私の前には無数の世界が広がっている”って話の続き。「子供の頃は可能性が無限に広がっていた。でも大人になると選択肢は限られてくる」という話をよく聞く。私はそうは思わない。子供に無限の可能性を見るのは、大人の目線だと思う。…いや、可能性は確かにあるんだけど、それは大人も同じ。大人も子供も歩けるのは一本の道だけってトコロでは変わらない。年とともに塞がれてしまう道があったとしても、年とともに開ける道もあるワケで、選べる道の数ってのはそう変わらないんじゃないだろか。少なくとも今の私の年齢では選択肢は減っていない。むしろ増えていると思う。

ただ、年とともに荷物は重くなっていくから、存在する全ての道に行けるとは限らない。大きな荷物を抱えて高い山に登るのが難しいように「これを持っているからこの道は行けない」ってコトはあるだろう。だから選択肢が減ったように見えるだと思う。“荷物”と言うと語弊があるなー。要するに捨てたくない物とか人とか信念とか。そういったモノを抱えるのは別に悪いことじゃない。大事な、守りたいものを持っている人はシアワセだと思う。身軽な人は「失うものが何もない」だけで、それもまたカッコいいけど、きっと寂しい。

私は何かをやりたいとき、でも何かが障害になっているとき、自分の抱えている荷物の価値を吟味する。手に入れたときはすごく大切なものだったのに今はもう必要なくなっていて、単なる惰性で抱えているものがないかどうか。ホントに捨てられないものだけを担っているか。行きたい道をあきらめてでも持っていたい荷物は、私にその道を行く以上のシアワセを与えてくれている。だから違う道を歩いている人に憧れはしても、妬みはしない。その道を行かないのは大事に抱えている何かがあるからだ。そして私が持たないものを持つ人をも憎まない。私はそれを手に入れるよりも身軽であることを望んだのだ。全て自分の選択で、自分の責任。誰かに強制されているワケじゃない。それを忘れないこと。

…以上、かくありたいという話でした。てか、そう信じてはいるのですが、なかなか人のココロは思うようになりません。まあ気長に。そしてこれは自分に言い聞かせる以上に、「あなたは身軽でいいわねー」と簡単に言ってくれちゃう人に。せっかく大事な宝物を持っているのに、それを見もせず大事にもせずに、人の身軽さや人の宝物ばかりを羨む人に。

2001.9.19

昨日は第三舞台20周年記念&10年間封印公演『ファントム・ペイン』を見に銀座まで行ってきた。旗揚げ当初からとはいかないけれど、15年くらいは見続けている劇団が10年間の活動休止に入るってのは、ひどく残念でしかたない。鴻上さんも役者さんたちもそれぞれの活動は続けるのだろうが、彼らの“第三舞台”としてのカラーが、私はすごく好きだったからだ。最後(とりあえずの)を飾る公演としては、やはり筧利夫さんや勝村政信さんにも出て欲しかったが、大高洋夫さん、小須田康人さん、長野里美さんが揃っていたのは嬉しかった。完璧個人的な趣味のラインアップ。

も一つ残念だったのは、私が最高に気持ちいい舞台でなかったこと。脚本が。「さすが鴻上さん! 最高!」とは今回は言えません。まだまだ先が語られそうな、そんなラストだった。でも最後のモノローグでは言葉がしみてくる。舞台女優さんとしては一番好きな長野さんが語っていたせいもあるんだけど、自分でも上手く説明できない感情が揺さぶられる。鴻上さんの脚本って、最後の言葉を届かせるためにあるのじゃないかと思う。ストレートに聞いても響かない言葉を響かせるために、普通に聞いたら聞き流してしまう言葉を受け取らせるために、長い時間をかけて、奥の奥まで届く道を作るためにあるんじゃないかと。

「何かをしたいと強く強く願ったとき、世界は分裂する」

これは無数に存在するパラレルワールドの物語。何かをしたくて、でもできなかったときに、世界は分裂する。できなかった私と、実行に移した私とに。できなかった私は実行に移さなかったことを悔やみ「あのときにやっていたら…」と想像するけれども、もう一つの世界には「やった」私が存在していて…。

やりたかったのにやらなかったことなど山ほどある。やれなかったのではなく、やらなかった。私はいろいろ夢想するわりに実行力に欠ける人間だから、きっと無数のパラレルワールドを抱えているだろう。でも私が実際にやったことを「やらなかった私」も無数に存在するだろう。私はある部分では「やった」私であり、ある部分では「やらなかった」私だ。私は今の自分がけっこう気に入っている。そりゃ失敗など数え切れないほどしているし、後悔するコトだって多い。だけど基本的にそういう経験があるからこその今の自分を否定していないので“もう一つの世界”に焦がれることなく生きている。でももし自分が嫌いだったら…?

物語には、自分を取り巻く現実に違和感を感じ、ひたすらに“もう一つの世界”に行きたがる女のコが出てきた。私はそのコには共感ができない。できなくてシアワセなのだと思う。願わくばこれからも彼女に共感を覚えるコトのないように。「やった私」を想像して苦しむことのないように。そのためには自分で選び取るのをやめないこと。私の前には無数の世界が広がっているのを忘れないように。私は自分で考え、判断することができる。何が大事なのかを把握しているように。

ところで、わざわざ道を作られずとも、油断しているところにがつんとくる言葉もある。例えば六弦齋さんの9/18の日記とか。全然予期していなかったのでガードする暇もなく、たった7行の記述に完敗。

2001.9.17

けっこう世間で騒がれている犯罪で得た百二十何万円だかの金が『ちゅらさん』の主演女優に上納金として納められていたのが判明した、とニュースでやっていて、(えっじゃあ放送自粛? もう終わりまで撮ってあるだろうにどうするんだ、来週の展開は気になっているのに、こんなところで放送中止か?) とアセる夢を見た。実際に『ちゅらさん』は見ていないのにナゼだろう。そしてそんな変な夢で飛び起きたら、もう陽は高く昇り、近所の神社から祭りのお囃子が聞こえてきていて、えらくまったりした気分になりました。

何も考えなくていい、楽しい映画が見たくって『コヨーテ・アグリー』をレンタルしてきたらこれが大正解。可愛い女のコたちのセクシーショット満載で、バーのシーンは何度も何度もくり返して見てしまった。ケチつけようと思えばできるけど、そんな野暮なコトはいたしません。主役のヴァイオレットのステージパフォーマンスもいいが、個人的なお気に入りは“ロシアの小悪魔”のキャミー。すっげ可愛い。“NYのアバズレ”のレイチェルもカッコいいし、バーのオーナーのリルも素敵。女好きなら見るべし。ちなみにリル役のマリア・ベロは『ER』のアンナ・デル・アミコ先生。あの無造作に結い上げていた髪を下ろしてレザーパンツに身を包み、全然違った魅力を見せてくれてます。

ところでこうゆう歌と踊りに溢れた映画を見たあとに、自分でも歌ったり踊ったりする人ってどのくらいいるんだろう? って思うのは、私がやるからなんですが。そして皆言わないだけで、実はこっそりやっているに違いないと思っているからなんですが。だから『アリー・マクビール』に共感する人があんなに多いのではないの? てなワケでエンディングの曲にあわせてへろへろ奇妙な踊りを踊っていたら、妹が帰ってきた。珍しく体調が悪いとかで「寝る」と言って自分の部屋に入っていく。それはいいんだけど、腹具合がおかしいくせに赤ワインをどぼどぼ注いでもっていくのはナゼだ。「ちょっとあんた、体調悪いんじゃないの」と聞いても「うーん、へへー」と返事になっていない返事。…何だか自分を見ているようで、ちょっとイヤになった。

2001.9.14

人がどう思っているのか知りたくて、今回のテロに関して触れているサイトを読み漁っていた。いつも巡回しているところばかりではなく、初めてのところも含めて手当たり次第に。同感のところも、新しい見方を教えてくれるところも、少しだけど不愉快なところもあった。そして今回のテロとはちょっと離れたところで思ったことがある。こうゆう、いろんな問題が複雑に絡みあっていて、どっちの立場にもそれぞれ言い分があって、すぱんと割り切れないような問題を考える場合っていつも思うのだが、現実的でない理想を持つのってそんなにダメなことなんだろうか? これは私がそうゆう理想を…理想というか「こうあって欲しい」みたいな考え方をどうしても捨てられないから引っかかっているのだろうな。それが現実的でないというだけで、捨てなくちゃいけないもの? 私は今現実的でないからと言って、将来ずっと現実的じゃないとは思わないのだけど。

何だか人の意見がすごく物分かりよすぎに見えてしまうコトが多いのだ。書いている本人も実はそう割り切れてはいなくって、でもどうにか整理をしたくて理路整然と書いているのかも知れないけど、その辺は文章だけではわからない。わからないから「世の中そうゆうもんだって諦めちゃっている」ように読めてしまう。年齢を重ねると特にその傾向が見えるので、これが成長なのかなーとか、私の考えがガキなだけなんだろうかと思ってしまう。うーん、こう書くと「諦め方を覚えることが大人になるってことなら、私は大人になんかならなくってもいい!」「世間は汚くって私だけ純真!」みたいだなー。(←いくつだお前。)えっと、そんな意図はありませんし、そんな風にも思ってません。私は汚い大人さー。でもじゃあどういう意図なんだって聞かれると困るんだけど。今それを考えています。

こんな大きな事件が起きたと言うのに、結局考えが行きつくのって自分のコトで、それが情けないような気もするし、それでもいいような気もするし。とにかくちょっとずつ浮上中。

2001.9.12

どうして。どうしてあんなことをするんだろう。できるんだろう。もう頭がぐるぐるしている。腹が立っているんだか悲しいんだか、もう何なのかもわからない。少し考えるだけで涙が溢れそうになってくる。頭が痛い。息が苦しい。

昨夜からTVで流れている、飛行機の突入やビルの崩壊や火災の光景、逃げ惑う人たち。今朝になってみると、血だらけになった人やパニック状態でインタビューを受けている人、そして大喜びしているパレスチナの人たちの映像も流れていた。ああもう…。人が死んでいくことを、例えそれが敵だとしても、自分にとっての悪だとしても、歓声をあげて喜ぶ人たちがいる。どちらのサイドでもそれは同じで、別の側にだって敵国に対する攻撃を“成功”としか捉えない人たちがいる。どれだけのダメージを与えたかだけが重要で、敵側の人間の顔も人生も問題ではない、そんな空気がたまらない。

どちらが正しいとか、そんなんじゃないんだ。あえて言うならお互いに自分が正しいと思っているのがいけない。私だってアメリカの外交はキライだし、ずるいと思うこともある。でもやられたらやり返して、それにまた報復して報復して報復して…。絶対に終わらない。テロでも戦争でも。戦争に反対だと言うと、戦争は必要悪だとか、戦争が人類を進歩させてきたとか、じゃあ攻撃を受けた場合に黙ってやられっぱなしになっているのかとか、現実を無視した理想論だとか、山ほどの反論は受けると思う。確かに「みんな仲良くやっていきましょう」ってのは難しいし、理想論ではある。それは認める。でも不可能じゃない。無理だよ、といってそこで諦めて捨ててしまうのではなく、持ち続けていれば少しずつでも現実に近づくと信じている。

“人間は信じられないほど醜くもなれるし、信じられないほど美しくもなれる”ってのは使い古された言い回しだけど、これは真実だと思う。私は人間だし、やっぱり人間のいい部分を信じたい。財産らしい財産は何も持っていない私だけど、今まで出会った人たちの優しさや強さ、諸々の美点、一緒に過ごした時間の記憶、好きになったり好きになってもらったりした経験、それらはホントに大事にしている。私の拠り所はそこにあるのだ。だから。これを揺るがすような、人がどれだけ愚かになれるのか見せつけられる、今回みたいなことが起きると動揺する。状況の悲惨さや現場にいた人やその家族や友人たちを想像してしまい、追い討ちされる。立てなくなる。

感情のままに書くべきではなかったかも知れない。落ち着いてからの方が良かったかも。でも吐かずにはいられない。

2001.9.11

「あたしはあなたに傷つけられたのよ!」って言葉を、まるで免罪符のように振りかざす人は、その言葉がまた相手を傷つけているのを自覚しているんだろうか。自分だけが傷ついていて、被害者で、つらいという思いだけでいっぱいいっぱいで、自分が加害者になっているとは気付かない。指摘されても認めない。私はこんな言葉を吐きたくはない。でもじゃあ、人の言葉に傷つけられた場合は泣き寝入りをするしかないのか? そんなハズない。溜め込まずに伝えること。自分が何に傷つくのか、何を言われるとイヤなのか。お互いにちゃんと話して、誤解をなくすこと。少しずつでも覚えてゆくこと。

これが私の基本姿勢なんだけど、これはもちろんつきあいの浅い人には適用されない。てか、できない。私の言葉に傷ついた人はそれを告げることなく去っていくだろう。特にネット上では読んでいる人の顔などわからないし、その人が傷ついても気付かない。私の知らないところで、その人は傷つき、去っていく。考え方が根本的に違うなら仕方ないけど、私にその意図がなかった場合、これはとてももったいない。だからなるべく誤解を生まないように気をつけていたいと思っている。

しかし、私と直につきあっている人とは話が別だ。長くつきあっている相手に、後になってから「あのときのTo-koはひどかった」と言われるくらい、悲しいことはない。これまた向こうは向こうなりに気を使っているのだろうけど、私に対しては的外れだ。私は「私とちゃんと向きあう気がない」と受け取ってしまう。長く親しく付き合うのなら、お互いに我慢をしていては無理だと思う。相手が何を嫌がり何に触れて欲しくないのかを知ること、そしてどうしてもぶつかる場所があるなら接点を見つけること。上手くやれば何も大げさなケンカをしなくったって、お互いに居心地のいい状況が作れるハズだ。もともと合わないのでないなら。

私がそんなだから、同じような感覚を持つ人と長くつきあうことになる。性格は多様でも、もし私が何かマズイことを言ったときにそれがイヤならイヤだときっちり言ってくれると信頼できるという、その一点では共通している。だから安心して何でも話せる。すごく得がたいいい環境だとは思う。が、このタイプはえてして歯に衣を着せないフランクすぎる人たちでもあったりする。この前も何かの拍子に「私は人見知りするから…」と言った途端、一斉の猛反対をくらった。懸命に抵抗はした。したんだが、3人がかりで説き伏せられて納得してしまった。私は“人見知り”ではなくて、“初対面の人に必要以上に自分をよく見せようとするええかっこしい”だそうです。いや、です。…また一つ自分に対する幻想が打ち砕かれてしまった…。ちっ。

2001.9.10

ごめん伊豆! ありがとう伊豆! 私は今まで君のことをばかにしていたよ、あんなにスゴイとは思わなかったよ!ってくらいステキでした。伊豆。おまけにこの前書いた「〜だといいな」が全部叶ってしまいました。私たちには遊びの神さまがついているんじゃないかと思います。台風の影響があるかと心配もしていたし、実際に熱海に着いたときにはどんより曇り雨もぱらついていたのです。更にはもともとの予定地、初島へのツアーは中止。往路のフェリーは出るだろうけど、帰りが運休してしまうかも知れないというのでは仕方ありません。この時点では「ああ場所を変えるって言っているけど、今日はダメだな」と覚悟も決めました。代替地は西伊豆の井田。熱海からは車で2時間弱かかるので、移動だけで疲れてしまいました。

ところが移動するに従って徐々に天気が好転していき、西伊豆の海が見えるころにはピーカン。海の色も全然違います。東伊豆は天候のせいもあり濁った緑色だったのに、西は澄んだ碧と蒼。南の島の色です。こうなるとゲンキンなもので疲れも吹っ飛びます。堤防の先に行って海を覗いてみると底の石までくっきりはっきり。水温も高く(後で聞いたら27度だって)ウェットを着ると暑くって、ときどき首から水を入れてクールダウンしなくちゃいけないくらいでした。いやーまさかこんなに晴れるとは。器材のセッティングも何とかクリアし、重たいタンクを担いで海へ。今日こちらに移動させられたグループはあまり経験のない人ばかりらしく、その中でも私たちの入ったグループは超初心者だけ。潜行も上手くできず、一人一人ガイドが水中に引き摺りこんでもらってます。(もちろん私も。)更にはガイドから離れるのが怖いのでみんな近づきすぎていて、頭を何度か蹴られました。こっちも何度か蹴ったような…。お互いさまで気楽でよろしい。

予想もしていなかったのは魚の種類の多さと数。ビーチエントリーなのに、浜からあんなに近くにあんなにたくさんの魚がいるなんて! ウツボの子供も見ました。大きいのは怖いけど、そのまま縮小したようなミニサイズだと可愛いもんです。エンゼルフィッシュのような魚を指差され、ボードで名前を教えてもらって、ふっと頭上を仰ぐと一面に群れて泳ぐ魚魚魚…。グレートバリアリーフで初めてダイビングを体験したときのような感動ものの光景です。ああいう別世界を見られるとライセンスを取ってよかったとツクヅク思います。2本目になるとかなりリラックスできて適度な距離を取って泳げたし、不安感も小さくなったし、やっぱりダイビングも慣れですわ。これからはあんまりブランクつくらないように努力しようっと。

でもそれでも、私はずっとヘタレダイバーのままでいいや、とも思ってます。ヘタレってのは自分で自分の面倒を見られないって意味じゃなくてね。もっと深く、もっと遠く…って意味でのチャレンジはしなくてもいいや。透明度の高い、温かい、明るい海で、しかも20mくらいまででも私には充分。夜の海や水深30とか40mだと楽しみよりも怖さの方が上回ってしまいそう。だから比較的安全な、分相応の場所で、自分なりに楽しむだけでいい。もちろん器材のセッティングや潜行、中性浮力の取り方、トラブルが起こったときの対処の仕方。そういったものは自己責任だし甘えていたくはないから(そんなのいい迷惑だ)、そっちでは自信を持てるようにがんばんなきゃ。進歩はカメの歩みでもね。

2001.9.7

ああああーどうしようー。すっごく緊張してきちゃった。何がって明日のダイビングです、ダイビング。何でこんなに緊張しちゃうかなぁ。体験ダイビングなら去年もやっているのに、久々のファンダイビングなのがいけないんだー。(こないだ初めてって書いたのは間違い。2度目。)天気も悪くなってきてるしさ。くすん。すっかり記憶の片隅に追いやっていた知識を引っ張りだすべく、ここ何日か教本を読み直しているんだけど「空気を入れるときはここを押して、出すときはここを押して…」みたいな、ごくごく基本的なコトまで怪しい。ガイド一人あたり何人くらいつくのかなぁ。友達と私だけならほとんど潜ったことのない素人だけの集まりになるから気楽なんだけど、そこまで贅沢じゃないだろうしなぁ…。ああもういっそ早く始まってくれ!

その場になれば何とかなるとは思うのですよ。ガイドさんだって遅れた人を置き去りにするような鬼じゃあるまいし。旅行なんかは計画を立てるのも楽しいけど、ダイビングとなるとこの事前の緊張がたまんない。これは潜って何度か呼吸するまで続くんだ、今までの経験からすると。水の中でも呼吸ができると落ち着いた後は、ちゃんと楽しめる。だからやりたいんだけど…ああもう、頭でっかちの自分がイヤだよぅ。昨日サバイバルやってみたいとか書いたのに、このテイタラク。ベテランダイバーや水に対する恐怖心がない人からすれば大笑いだろうなぁ。たかだか初心者向けのダイビングするだけでこんなに大騒ぎするなんて。…私だって気楽にやりたいとは思っているんだけど、ままにならないんだってばさ!(←逆ギレ)

ことほど左様に私の心は大荒れですが、海は凪いでいるといいなー。水が温かくって透明度が高いといいなー。魚の群れもいればいいなー。そいで他の人に迷惑をかけない程度には、ちゃんとやれたらいいなー。結果は後日お知らせしやす。

2001.9.6

昨日、なんの目的もなしにTVをつけたら犬ぞりレースのドキュメンタリーをやっていた。雪の中で走るシベリアンハスキーの姿を、最初は“ああチョビだぁ”とにやにやしながら見ていたのだけど、途中からあまりの過酷ぶりに目が点になってしまった。頭を見ていなかったのではっきりしない部分もあるのだが、カナダからアラスカまでの1600kmを10日以上かけて走る、ユーコンクエストという有名な大会らしい。が、犬ぞりレースなんて佐々木倫子さんの『動物のお医者さん』(このマンガの主人公が飼っているシベリアンハスキーがチョビ。)に出てくるエピソードでくらいしか知らない私にとっては、いちいち「えっそんなコトやるの!」って驚きの連続で、夢中になって見入ってしまった。

スタートからゴールまでの間にチェックポイントがいくつかあるのだが、ポイントとポイントの間の距離が百何十kmというのでまず驚く。一番長いところでは300km以上もあるらしい。気温は-20度とか-30度。人の住む村も通るのかも知れないけど、ほとんど人気のない、見渡す限り同じような雪景色の続く、ただひたすらに白い世界を一人で走る。昨日の番組で中心になっていたのはレース初挑戦の18歳の女性マッシャーで、私が見始めたときにはもうトップとの差が丸1日くらい空いてしまっていた。だからチェックポイントや休憩小屋で会う人以外、走っている間は本当に自分一人だけの世界。もちろん14頭の犬は一緒だけど。

しかし見ているこっちの息が苦しくなってきてしまうのはなぜだろう。本人は楽しそうにやっているのに。うわ、こんなところで振り落とされたらどうなるんだ、すぐに凍死だ、とか思ってしまう。きっとこういうレースをやる人は訓練も積んでいるだろうし、バックアップもあるだろうし、生き延びる術も心得ているんだろうに、つい自分の基準で考えてしまうのだ。私だったら死ぬ。絶対死ぬ。こんなコトに自信を持っても仕方ないが、言い切れる。私は田舎育ちで、同年代の都会娘よりは多少体力もあると思うけど、所詮日本の田舎だ。こんなスケールは知らない。対処できない。…だけどちょっと憧れる。

前から『無人島ツアー』ってのがあったらやってみたいなーと思っている。ホントに漂流するんでなくて、漂流体験。自分で得体の知れない草を齧ったりしたいワケじゃなくて、すごく甘い話なんだけど、サバイバルのプロのガイドがいるような『ツアー』ね。でその人が食べられる植物と毒のある植物の見分け方とか、野生動物の獲り方とか、魚の釣り方とか、雨の避け方とか、寝床の作り方とか、火の起こし方とか、そういう生き延び方もろもろを教えてくれるの。食料が見つからなかった場合の最低限のエサとナイフくらいしか持っていけなくて。南の島で気の合う友達何人かと一週間くらい。あーやってみたい。ないかなー。どっかの外国にありそうな気もするんだけど。しかしもし行くとしたら一緒に行く人は厳選しないと大変なコトになるだろな。

海で生きる人とか、山で生きる人とかに対する憧れは根強い。そしてそういう人たちの持っている知恵を、ちょっとでいいから学びたいと思う。自分は危険を冒さずに結果だけを持っていこうというのは甘すぎるだろうし、ホントに“わかる”ことも難しいだろうけど…。でも全然知らないよりはマシだと思う。ダメかな。

ユーコンクエストの彼女は、完走した。途中で犬が3頭棄権してトップから3日も遅れたが、スタートから15日目に無事ゴールに辿り着いた。コース最大の難所では、さしものベテランの犬たちも「え?行くの?ホントに行くの?」って感じで、もうチョビそのまま。笑えた。一度そりから振り落とされて足を痛めたのに「最高の経験だった。来年も再来年もその次も次も絶対に出る」と言って笑った彼女はすごくすごくカッコよかった。

2001.9.5

今週末の空模様を気にしつつも、初めてのファンダイブに向けて着々と準備進行中。まず最初に水着の改造に手をつける。この夏の失敗を繰り返さないために。リッパーを駆使してパットを取り外し、買ってきた新しいパットに付け替える。言わずと知れたペコ胸対策である。(ペコ胸=水着を着るための理想体形と実際の体形との間に存在する深い深い溝のせいで起きる。本来なら肉が詰まっていなくてはならない場所に空気しか存在しないため、何かの拍子に押されたパットが元に戻らなくなってしまう現象。これを目撃されると大変恥ずかしく、また悲しい思いをするコトになる。)

まったく水着業界はいったい何を考えているのだ。もう少し簡単にパットの付け替えができるようになっていてもいいではないか。裁縫セットにリッパーが入ってない人だっているんだ。リッパーがなければこの作業は面倒なんだ。それから世の中の発育しそびれた女のコは皆どうやってしのいでいるのだ。詰めているのか浮かしているのか。どうしようと個人の自由だけど、私は別に大きく見せかけたいワケじゃないのだ。ペコにならなきゃいいだけなのだ。なのになんでこんな苦労をしなきゃいけないんだあっ。…ホント、原因が原因だけに、この作業をしていると妙にやさぐれた気分になってくる。

その後もうちょっと準備らしいことをしよう、と思って風呂場で溺れかけた。しかもそのせいで鼻水止まらず。なんだか見当違いの努力をしているような気分になって虚しさが募る。これで週末が雨だったらやりきれない。

2001.9.4−言い訳

アップしてから読み直してみると、↓の最後の部分がなんだか人のことをすごくばかにしているみたいなので、言い訳のため追加でアップ。今の私には「坐骨神経痛で不幸な私」が想像できなくて笑えちゃうってだけなのです。笑ってるのは自分のことで人ではありません。…ってこんなコトわざわざ書くのもみっともないけど、読みようによっちゃ(私の書き方が悪かったんだけど)かなり失礼なのであえて。深読みしないでくださると嬉しいです。

2001.9.4

“不幸な人”というよりは“不幸な状況が好きな人”なんじゃないか、と思える人たちがいる。どこにも逃げ場のない、どうしようもない状況も世の中には存在すると思うのだけれども、そんな状況にあれば皆が皆同じように感じるなんてコトはないだろう。逆に「どうしてそんなに恵まれているのに、不幸なの?」と思える人もいる。結局、幸か不幸かなんて自分で決める部分も大だよね、なんて当たり前の話を友人たちとしていた。話題になっていたのが不幸な自分に酔っているのではないかって人で、その人は私たちみたいな、独身で自分の金を自分の好きなように使える立場をすごく羨んでいるらしかった。だけど不幸になろうと思えば私たちにだってネタはいくらもある、先行きも不安だし、という話の流れになったので「そうだよ、私なんか日々の小さなシアワセを後生大事に抱えて生きてんのに」と言ったら笑われた。なぜそこで笑う。ホントなのにー。

さて小さなシアワセのひとつ。週末に台湾式マッサージをしてもらいに行ってきた。受付ロビーを通りすぎると、そこは接骨院のベッドのようにカーテンだけで仕切られたたくさんのベッドベッドベッド…。リラックスさせるためか照明は薄暗い。ときどきうめき声だけが聞こえる。何だかちょっと怪しくて笑える。ここでじんべさんみたいな服を、上は前後ろ逆に着る。背中がぱっくり開くのでマッサージにはいいんだろうけど、間抜けだ。後はもうジョゼ兄に襲われたマルロよろしく「ああ…お兄さんにおまかせします…」のうっとり状態(かわみなみさんの『シャンペンシャワー』より)。背中の上に立って足でマッサージってのは初めてで痛いのかと思ってたが、小柄な女性だったし天井のバーを使っていて全体重をかけるワケではないので、気持ちいいだけだった。顔はむぎゅーと潰れて鼻が横に曲がったような気がしたけど。

え、もう?ってくらいあっという間に90分が過ぎ、最後の仕上げに足ツボマッサージ。これは痛かった。少しくらい我慢しようと思って耐えていたけど、顔に出ていたのか「痛いですか?」と聞かれる。控えめな日本人である私は「少し、痛いです」と答える。「我慢できないくらい…?」「いえ、それほどじゃ…」「じゃあ平気ですね!」ギューッ!ギャー! …見栄を張らずに素直に痛いと言えばよかった…。終わったら「あなたはここが弱っています」とツボの書いてあるカードを渡される。目・肩あたりは納得だったけど、坐骨神経って? そんなところが弱っているんですか私。ババくさ。やっぱり座りっぱなしの仕事ってのは体に良くない。少し体を動かさなくちゃ。不幸になりたくないもんなー。ははー。

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