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2001.5.30

今日は会社が臨時休業で、人が働いているのに休めるお得なシチュエーションだってのに、ブルーです。あーブルー。もーブルー。ブルーブルーブルーブルーシャトー。(いくつだお前>自分。)

私は高校を卒業してすぐ働きはじめて、ここ10年近くはずっと派遣社員をやっている。派遣ってのはホントにピンキリで、社員以上にばりばり仕事をこなすエキスパートもいれば、電話を取ったりお茶くみをしたりしかできない人もいる。派遣会社に登録するときのスキルチェックも相当いい加減なモノで、一緒に働いた派遣社員の中には全然使い物にならないコたちもいた。短期で派遣されたスタッフに仕事を教えようとしたら「こんな難しいこと、この時給ではできなーい」とか言って次の日から来なくなっちゃった人もいた。そんなスタッフでも通用する会社があるから、彼女たちが派遣を続けられるのだ。

そう、派遣を使う会社の方でもどこまで求めるかはそれぞれ違う。すぐに使える即戦力をとは言っても、電話が取れて敬語が使えれば、それで戦力だと見なされる会社もある。相手がどう考えているかってのは聞いてみないとわからないので、私は自分が何ができてどこまでやる気があって何ができないのかをはっきり派遣先に伝えるように心がけてきた。私は変に小器用なので今までそれで通用してしまったのだ。十何人の派遣をまとめるリーダー的な役割を果たしたこともあって、そのときには「派遣でこれだけ真面目にやる人はいない」だの「To-koさんがいないとどうにもならない」だのと言われて、喜んでいた。

時給制で休んだら休んだ分だけ給料が少なくなり、ボーナスもなく交通費も支給されず有給も最低限しかなく、保険も不利で将来は不安定な派遣をずっと続けてきたのは、私なりの理由があるからだ。一言で言うと自分の時間を確保するため。私の好きなことはお金にならないことばっかりだから。

この仕事をやっているのを後悔なんかしてないし、何社にも派遣されるうちに次第に自信もつけてきた。プログラマーやデザイナーや秘書みたいな高い時給は取れないけれど、事務としてはかなりいいスタッフだと自負していた。いや、いる。自分から契約を打ち切ることはあっても、相手から契約を切られたことはなく、やめるときにはたいてい引き留められた。求められる仕事が手に余ったことなどないし、スキルが足りないことがあっても勉強してすぐにそれを身につける自信がある。もちろん特殊技能を持つスタッフには及ばないのは自覚しているけど、それが時給に如実に反映されているんだからそれでイイと思っていた。派遣だからって仕事をばかにしているつもりなんかなかった。他人にできる人って言われて、自分でもある程度の自信を持ってはいたけど、そこで満足しているつもりはなかった。もっと勉強したいこともあるし、がんばっているつもりだった。(…あーこう書くとヤな女だなぁ。嘘じゃないけど文章にするとちょっとニュアンスが変わってしまうわ。)

でも、驕ってました。昨日の夜上司と話す機会があって、彼が求めていることを私ができていない、やっていないのにやっと気付いた。気付かないうちに甘えていたと思う。あー情けない。今の上司には珍しく好意を持っているので、余計に恥ずかしい。自分の技量が足りないワケじゃなく、無茶な仕事を要求されたワケでもなく、ただ自分の努力不足だ。

とりあえず今日一日はうだうだぐだぐだ落ち込む。明日から新規まき直ししなくては。くそーこのままで終わらせるか、だ。

2001.5.29

またもや古本屋の話。しばらく前に「古本屋は横の繋がりがなさすぎる。在庫があるのかないのか、どこの店なら見つかるのか一発で分かるようなシステムを作ればいいのに」と書いた。しかしその後、それとは正反対の意見を見かけた。インターネットで在庫を一括管理するようなシステムができてしまえば、地方の古本屋を巡る楽しみがなくなってしまうし、値段が画一化されてしまって、ふらっと入った小さな店で思いがけない宝物を見つける喜びがなくなってしまうというのだ。なるほど、言われてみればその通りだ。欲しい本が見つからないばっかりに、そっちの楽しみ方を忘れていた。

確かに、探して探して探して諦めかけた本を何気なく入った店で見つけて、思わず「これは幻じゃないのか、幻覚じゃないのか」と自分の目を疑ってしまったり、高価な本がとんでもない安値で投げ売りされているのを見つけて、こっそりガッツポーズを作ってしまったりすることは、ある。マジにある。もし全国の古本屋の在庫がリアルタイムでわかるようになってしまったら、こういう楽しみはなくなってしまう。それは寂しい。値段が統一されて掘り出し物を見つけられなくなるのも、イヤだ。それはわかる。

でもでもでも、でもである。どうしても今すぐに欲しい本ってのもあるのだ。そんなに悠長に待っていられない、多少金がかかっても欲しい本があるのだ。これはどうにかならないんだろうか。本を探す楽しみと両立させるワケにはいかないんのだろうか。だって読みたいんだよー、今読みたい、すぐ読みたいんだよー。巡り会うまで待ってられないんだよ、ズルでもいいから欲しいんだ、巡り会いの喜びなんかもうどうでもいいんだっ!

と、ここまで書いてきて、どこかで同じような訴えを読んだ覚えがあるなーと思って記憶をさらってみた。……あ、吉田秋生さんの『河よりも長くゆるやかに』だ。あの中で男子高校生たちが、ムードを作って彼女をその気にさせるってセックス前の手順について話していて、「そりゃそうやって段階を踏むのが楽しいときもあるよ。でもメンドくさいこともあるの! そういうのはすっとばして、ただヤりたいときもあるの!」と熱弁をふるっていた、あのシーンとそっくりだ。…やば。

えーっと、欲望が一人歩きをしている状況はよろしくないと思いますので、文句ばかり言ってないでもう少し地道に探してみようと思います。とりあえず週末には『古書感謝祭』があるらしいので、行ってみようかなーっと。

2001.5.28

日曜日は朝から降り続く雨に外に出かける気にもなれず、本を読んだり日記の更新をしたりして、ぐーたら。そんな中でふと思い出してとあるサイトに行ってみた。以前、Loveゲームとして取り上げた『DARK HALF』のルキュ様の台詞集のサイトである。そこの存在はかなり前に教えていただいていたのだが、ブックマークをしてそれっきり忘れてしまっていたのだ。行く前ははっきり言って「ゲームと切り離して台詞だけ読んでも面白いかなぁ」と思っていたのだが、読み進むうちに自分のオタク心を再認識しなくてはいけなくなった。あーもう私ルキュ様のためだったらオタクと言われようが変態と言われようが甘んじて受けよう。

ゲームをやっているときは謎解きが難しかったり迷ったり、他にいろいろと気を取られることがあった。それでもルキュ様の台詞には萌えていたのだ。それが台詞だけを読んでいると、もう完璧ルキュ様ワールドに引きずり込まれてしまう。手下が復活したばかりのルキュ様の身を案じて「(敵の探索は)私におまかせください」と言うと、ルキュ様は「それにはおよばぬ。われが行かずしてどうしてこの怒りをしずめることができようか!」って言うのよね。そのくせ歩いてるだけで弱って死んじゃうし、雑魚モンスターにでも直接攻撃受けるとやられっぱなしで、ざくざく切られちゃうのよね!「黙せ。そして捧げろ」って…、きゃー!

…わかってますよぅ。自分でも大人としてどうかな、と思います。読んでるうちに背筋はざわざわしてくるわ、口元はほころんじゃうわ、自分でもヤバいとは思ってます。でも萌えるもんは萌えるんだ。ゲーム評を書いたときは理性を働かせて“魔王ルキュ”と書いたけど、今の私は“ルキュ様”としか書けません。呼び捨てになんかできないよ(やっぱヤバいなー)。しかし実際プレイしなくても楽しめるゲームって他に知らないなぁ。ありがとうエニックス!

萌えているうちに雨が上がったのでふらっと外に出てみると、地元商店街のお祭りをやっていた。遊歩道の真中にテーブルと椅子を出して、両脇のテントでは食べ物を売っている。ワインを何種類もずらっと並べているところもあり、チーズやオードブルの盛り合わせ、チリビーンズ、メキシカンピザやらを売っているところもありで、雨上がりなのにかなり混み合っている。特設ステージではジャグリングや手品をしているし、似顔絵描きもいる。ほとんどのテーブルの上にはワインが瓶ごと置かれていて、それを囲んだ何人かがグラスを傾けながらお喋りしていたり、ステージを見ていたり…。何だかすっごくいい雰囲気だった。

飲み屋の喧騒とも違う、縁日の賑わいとも違う、特別の空気。巨大なピクニックのような。ホントは買物をする予定だったんだけど、あまりに素敵な雰囲気だったので、私もグラスワインを買って腰を落ちつけて文庫本を読んでみた。いつもなら嫌いな人ごみも、何故だかそのざわめきが心地好くて、まったり。予定もしていなかったのに持てた、ちょっとしたシアワセタイム。

2001.5.27

昨日は急に思いたって古本屋巡り。あっちの駅に行ったりこっちの駅にいったりして、ほとんど午後いっぱい使ってうろちょろ歩き回って疲れた。以前から探している本が近所の古本屋に全然現れてくれないので遠出をしたのだけれど、やっぱり1冊しか見つからない。初版で原価よりも高い上に、交通費を入れたら文庫本1冊に1500円くらいかけたんじゃないかなー。せめてもう2、3冊は見つけたかったのに…。都内で創元推理(かSF)文庫に強い古本屋ってないですかね?

夜はやっと見つけた『東海道四谷怪談』鑑賞。これはちょっと期待外れだった。もう少し人間関係を描き込んでいるのかと思ったのに、割とあっさりしている。民谷伊右衛門は好みだが、お岩に間男する宅悦や伊右衛門をたきつける直助(←漢字わからないや)は腰が据わっていなさすぎ。最初っから迷いのある伊右衛門が最後に「許してくれ」と言うのはいい。でもずっと積極的だった直助が同じ台詞を言うのは許せん。幽霊も怖かったのは初めて出てきたときだけで後半はくどいと思う。残念。

ベランダの正体不明の植物たちは、抜かずに育ててみることにした。友人に顛末をメールで書いていたら「これって『みしのたくかにと』じゃん」と思いついたので。…と言っていったい何人の人に通じるんだろ。

2001.5.25

友人たちと食事をし、帰ってTVをつけたらちょうど『ここがヘンだよ日本人』が始まるところだった。この番組、別に嫌いではないのだが話題によってはすごくムカつくので、見たのはホントに久しぶりだ。昨日のテーマは『自称不細工vs.自称美人』でこれがけっこう面白く、妹と一緒についつい全部見てしまった。

番組に出てきた不細工も美人もあくまで“自称”なので、端から見ると造作はたいして変わらない。不細工組に入っている人たちだって、可愛いと言える顔立ちで「全然OK、守備範囲」の人もいる。私の守備範囲でも嬉しくないだろうけど。しかし造作にたいした差はないのに、話をさせると違いがはっきり出てくる。開き直っている不細工組が断然面白い。というか、美人組がつまらなすぎた。念のために言っておくと、美人は頭が悪い、なんてバカなことを言うつもりはありません。思ってもないし。

まあイイや。それは本筋とは関係ないので話を進める。途中で不細工組がいかに男を落とすかってVTRが出てきて、そのうちの一人、Aさんの押して押して押しまくる手口が強烈だった。カラオケで歌い、踊り、腰をくねらせる。やる人によっては見ている方が引いてしまうだろうけど、Aさんのキャラでやられるともう笑うしかないって感じで、迫力モノだし楽しかった。それになかなか上手くもあるのだ。私と妹はけたけた笑って「いいなーこういう人!」を連発しながら見ていた。

ところが美人組がAさんのやり方は男に媚びてて気持ち悪い、と言い出したのだ。まあスジの通らない意見ではあるのだが、それで美人組と不細工組がやりあっていると、キューバ人の男性が発言を求めて手をあげた。そして彼は「私は美人組の誰よりもAさんの方がセクシーで魅力的だと思う。女性で一番大事なのは、顔よりも腰の動きです!」とはっきりきっぱり言ってのけたのだ。ブラヴォー! さすがキューバ人!

すると負けず嫌いの美人組が今度は「美人でも腰は振れる!」と反撃し始めた。さっきは気持ち悪いと言ったくせにー。そこで美人組の代表とAさんが、さっきのキューバ人男性と踊ってみて、勝負しようという流れになった。それまで気付かなかったが美人組の中には「職業・ダンサー」がいたのである。私と妹の期待は一気に高まった。妹はプロの社交ダンサーだし私もラテン系のダンスは好きだ。先にフロアに出て踊っているキューバの男性はさすがに堂に入っているから、ひょっとしてカッコいいサルサが見られるかもしれない!

私たちの期待はすぐに裏切られた。その“美人”ダンサーはちっとも踊れなかったのだ。「なにこの人!ダンサーって何のダンサーよっ」「クラブでしょーもないショーダンスでもやってるだけなんじゃない!?」「そんなんでダンサーを名乗るなっ、面汚しっ」 本筋とは全然関係のないところでエキサイトする私たち。すぐにダンサーはAさんに押しのけられ、Aさんは満場の拍手を浴びる。彼女もちゃんと踊れるワケではないが、少なくとも雰囲気は掴んでいる。…って何の番組だ、こりゃ。

もちろん私たちも画面の前で拍手しました。そして結論。芸のない“自称”美人は最悪だ、と。

2001.5.24

著者もタイトルも不明で、何となくの内容だけがわかっている本を探す方法ってあるんだろうか? 別に脱獄から連想したワケではないんだが、どこかのサイトで紹介されていた、死刑を題材にした本のことを思い出して無性に読みたくなってしまった。が、どこのサイトで見かけたんだか全然覚えていない。心当たりを2、3訪ねて「死刑」で検索かけても見つからない。あーどうしてメモっておかなかったんだ。自分のばか。

内容はこんなの。「死刑の執行は被害者の遺族が行うことになっている社会で、ある家族の一員が殺される。遺族は犯人の死刑を望み、自分たちの手で死刑執行のボタンを押す。ところがその後、自分たちのした行為が重くのしかかってきて…云々。」書評を読んだのもずいぶん前なので思い違いもあるかもしれないが、大筋は合っていると思う。あと作者は日本人だったような気が。

これだけで誰の何て本だかわかる方。あるいは効果的な探し方を知っている方。もしいらっしゃったら教えてくださると嬉しいです。サーチエンジンは試しましたが、上手くひっかかりませんでした。ひょっとしてすごく有名な話だったりしたら恥ずかしいんですが、私の常識なしは今に始まった話じゃありませんのでばかにしないで教えてください。

さてその世間知らずな私も10日後に誕生日を迎える。アリーがカレンダーに×印を書きなぐっていた日だ。私はといえば、今年に入ってからもう大台に乗った気でいたので、別にショックもない。ショックがないのはいいけど、イベントの予定もない。ところが昨日全然別の用事で友人に電話したら、話の流れで当日に一緒にご飯を食べることになった。話が決まるまでは誕生日にイベントがないのを気にしているつもりはなかったが、やっぱり誰かと過ごせるってのは嬉しいもんです。

2001.5.22

昨日帰って見たら、3種類目の植物が出現してました。マジでどうしろと。

この間録画が途中で切れてしまって、気になっていた『アルカトラズからの脱出』を借りてきた。いやぁやっぱり脱獄モノっていいですねー。けど1人で見るもんじゃない、これは。脱獄計画が進んで独房を抜け出し始めた辺りから、もうずっと緊張しっぱなしで心臓が苦しくなってしまった。ああいうのにはやたらと感情移入してしまうので、看守が廻ってきたといってはドキドキ、音をたててしまったといってはハラハラで、気が休まらない。誰かが一緒に見ているなら話しかけて紛らわすコトもできるのに…ってそれは相手に迷惑か。手斧のシーンも「あ、ダメだってばっ」と心の中で叫びながら見てました。まさかああするとは。

それにしても囚人たちの創意工夫の才には感心する。『大脱走』を見たときも同じコトを思ったけど、何とかして必要なモノを手に入れるものなぁ。そのものがなくっても器用に代替品を作るし、物資調達の達人とか知識人とかが必ずいて、目的のためには協力を惜しまない。もちろん脚色はあるのだろうけど、実話を基にしているってのもスゴイ。ついつい自分だったら…と考えてしまう。脱獄は考えるだろうけどイチかバチかの勝負をする勇気があるだろうか。考え過ぎてしまうのは私の悪いクセなので『アルカトラズ〜』の隣の房の囚人みたいに、いざというときに躊躇してしまいそうだ。

そういえば日本人の集団脱獄の話ってあるのだろうか。完璧なフィクションじゃなく、実話が基になっている小説なり映画なりがあるなら見てみたい気がする。国民性の違いなんかが如実に現れそうだと思うんだけど、ホントにそうなのか、もしそうならどの辺が違うのかに興味がある。フィクションなら三谷幸喜さんに書いてほしいな。『12人の優しい日本人』(米映画『12人の怒れる男』のパロディ)みたいな感じで、『日本人版大脱走』とか。

…しまった無性に『スケバン刑事』が読みたくなってしまった。最初の脱獄と梁山泊のエピソードの辺り。

2001.5.21

バリバリに筋肉痛。歩くのも痛いし笑うのも痛いし喋るのさえ痛く、声のトーンがなぜかいつもより2割くらい(当社比)低くなっている。久しぶりの感覚はツラいけど、何かの成果のようでちょっと嬉しくもあったりして。

しばらく前、ペットボトルのお茶を買ったらおまけが付いていた。形状からティーバッグだと思ったのに、開けてみたら何かの植物のタネだった。タネをそのままゴミ箱に直行させるのは何となく気が咎めるので、ちょうど上京してくる予定があった父に頼んで、実家の畑から肥料たっぷりの土を持ってきてもらい、植えてみた。やがて小さな芽が顔を出し、さてこれからという時期に植木鉢はひっくり返ってしまった。私が蹴飛ばしたからだ。慌てて元に戻そうとしたが、芽は小さ過ぎてどこに行ったのかわからなくなってしまっていたし、土の一部も失われてしまった。だがまだ芽を出していないタネもあるはずだ。運が良ければ戻した土にタネが混じっていて、芽吹いてくれるかもしれない。私は鉢に水をやり続けた。

そのうちに、また芽が出てきた。しぶとい。このくらい生命力が強ければ、ずぼらな私の世話でも生き延びてくれるかもしれない。その植物は時々土がカラカラになる悪条件にもめげず、どんどん大きくなっていった。しかし出た芽は1つだけで後が続かない。タネの数はけっこうあったのに、鉢がひっくり返ったときにどこかに行ってしまったのだろうか。10日ほどして他のタネを諦めたころ、またもや小さな芽が出ているのを見つけた。やった、まだしぶとい奴がいた。元気に生きろー。

そして1週間後の今日。2番目に出てきたのは最初のとは全然別の植物だというのが判明している。要は少なくとも片方は雑草だってことだ。タネの入っていた袋は捨ててしまい、そもそも何を植えたのかさえわからない。レモンバームだっけ…。シソ科の植物だったってコトは覚えているんだけど、それだけじゃどっちが本物か見分けられないので、間引くこともできゃしない。どうも2番目に出てきたひょろひょろが本物のような気がするが(←シソっぽいから)、どっちも1本ずつなので決め手に欠ける。小さな鉢で共存できるとは思えないので選別したいのに、どうすりゃいいんだ。

私は勝負運がないので、またまた1週間後くらいには雑草にせっせと水をやっている気がします。花も実もない。

2001.5.20

自分で書いといてなんなんだけど、17日の日記のラスト「わからないだろうけど、わかって」ってのはちょっとニュアンスが違う気がする。私がイヤなのは「あなたなんかにわかるハズがない」っていう、ある種の歪んだ優越感…なのかな。多分そこには「わかって」という働きかけはないのだろう。自分でも整理しきれてないので何時にもまして歯切れが悪くなってしまうです。

最近は自堕落に過ごすことが多かった週末だが、今日はちゃんと運動をしてきた。体を動かすのはホントに久しぶりで明日は間違いなく筋肉痛なのだが、汗を流してへとへとになるくらい動くのはすごく気持ちがいい。こうやって運動するたびに「気持ちいい」と思い毎週続けるのを決意するんだけど、ええ、続きません。何か年々自分に甘くなっているようで、ヤバいような、それはそれでいいような……まあなるようになるでしょう。桑田乃梨子さんも新刊で「体の健康はこころの健康についてくる」って言ってるし、無理して自己批判する必要もないよね(やっぱり甘いな私ゃ)。

2度目の筍がまだ残っているのに、また田舎から筍が届いた。今度はどうしよう。芸はないけど、また筍ご飯かなぁ。…って別に芸はしなくてもいいのか。

2001.5.17

ここんとこ愛読させてもらっている羊飼いの唄の、昨日の日記“わたしの気持ちなんてわからないだろう君へ。”が私にはとってもタイムリーだった。つい最近似たような話を人としたばっかりである。そこで、これに関連することをつらつらと。

「あなたにはわからない」とか「〜をしたことのない人にはわからない」って言葉は私も嫌いだ。だが反面、上手く受け流せない言葉でもある。嫌いな人やどうでもいい人に言われたなら、いい。けっわかるかよ私はあんたじゃないんだよ、で終わりである。だけど好きな人にこれを言われてしまうと、どうしようもなく悲しい。別にその人の全てをわかりたいワケじゃない。出来ない相談だし、そんなシンドイことはごめんだ。たとえどんなに親しくったってわからない部分はあるし、それが当然であり自然でもあると思う。だから悲しいのは「わからない」コトではなく、「あなたにはわからない」と拒絶されることなのだろう。

「あなたにはわからないだろうけど」と言いながらなぜ話すのか。そう思っているんだったら最初から話さないで欲しい。結婚してはい人にはわからない、子供がいない人にはわからない、本当の苦労をしていない人にはわからない、etc.etc.。じゃあ結婚すれば子供を作ればホントの苦労(ってなんだ)をすれば、したことのある人なら、全てわかるのか? わかる筈がない。

親しい友人の愚痴を聞くのは嫌いじゃない。ただ一つだけ、愚痴ったらすっきりしてほしい。たとえその場だけでも。ムカつくことや悲しいことを吐き出して、叩いて丸めて蹴っ飛ばして。そんな愚痴ならウェルカムだ。でも、ただ愚痴って愚痴って、私が何を言っても聞こうともしないで、ただ堂々巡りばかりしていられると「私がこうして聞いていて何か役に立っているのか」と思わずにはいられない。そしてそういう愚痴のこぼし方をする人は「わからないだろうけど」と言うのだ。あげくに「To-koはいいよね(苦労してなくて)」とくる。これも聞くたびにモヤモヤした気分になる言葉だ。そんなに私はお気楽に見えるのか? ここで、じゃあ苦労しているのかって聞かれると困るんだけど。……あまりしてないし。

とにかく「わからないだろうけど、わかって」と言われても困るって話だ。「わかってほしいから、わかって」になら、私はちゃんと付き合います。わかるとは限らないけど、何かがちょっとでも通じればそれでラッキーだと、私は思う。

2001.5.16

TVで深夜、『アルカトラズからの脱出』をやっていた。以前から見たかったので、録画を予約して寝た。明け方、不審な物音で目が覚めた。ヴヴィーン…ガチャ。寝ぼけ眼で音の発生源を見ると、デッキからビデオテープが吐き出されるところ。ちょうど2時間分くらい残っていると思ったのに、微妙にテープが足りなかったらしい。時計を見ると番組終了15分前くらいだった。その時は頭も朦朧としていたのでそのまま寝たが、起きた途端に思い出してがっかり。ラスト15分のない映画なんて! すっかり見る気になっていたので、近いうちにレンタルしてこなくてはなるまい。残量の確認を怠った自分にちょっとムカつく。

田舎から筍が届いた。今年2回目の筍。前回の時はまだ出始めたばかりだったのでかなり柔らかくすぐに食べてしまったのだけど、今回のはもうちょい育っている。炒めたり煮たり炊き込んだりは前回やってしまった。今回も炊き込みご飯は作った。でもまだ余っている。何か目先の変わった料理はないものか。冷蔵庫を覗くと豆腐が入っていた。そうだ、麻婆豆腐を作ろう。そしてそれに筍を入れるのだ。ひき肉がなかったので、近所のスーパーまで買いに行く。あ、ラッキー。見切り野菜を売っている。5〜6種類の老い先短い野菜が入って100円か150円。普段積極的に買わない野菜も入っているし、すぐに使えば別に問題はない。今回入っていたのはほうれん草、カラーピーマン、おくら、とうもろこし、山芋、レモン、蓮根、白菜。これで150円。

帰ってから献立に悩む。ほうれん草とピーマンはすぐに使った方が良さそうだ。これは卵と炒めよう。それから野菜たっぷりのスープを作って、と。筍も思ったより残っている。…麻婆筍にしよう。豆腐はまだしばらく大丈夫だ。余りにも節操のない献立のような気もするが、いつものことだ、悩むまい。

やがて、2人でどう消費するのかという量の料理が出来上がった。まあいい。2、3日同じものを食べ続ければいいのだ。カレーの時などよくやるではないか。今日もカレー明日もカレー。何も問題はない。

が、一つだけ覚えていた方がいいようだ。麻婆豆腐は豆腐が自己主張しすぎないから成立する料理だということを。麻婆筍は今イチでした。もっと若い、柔らかい筍だったらいけるような気がするんだけどなぁ(←懲りてない)。しかし、この丼いっぱいの麻婆筍を食べ続けるのかと思うと、ちょっと気が重くなる。やっぱり誰にも文句は言えないのだけど。

2001.5.15

移転してから、と言っても1日やそこらしか経っていないが、気にいらないコトが1つあった。カウンタである。COOLには標準で備えられていたカウンタが、ここには付いていない。だが大丈夫。無料のレンタルカウンタというモノがあるくらいは知っている。検索検索。インターネットって便利だなぁ。……って、なぜこんなにたくさんのサービスがあるのですか!?

レンタルスペースを探したときと同じで、いっぱいありすぎて目移りするし、その割にどれも要望にはぴったりこない。たまに、あ、と思ってもやっぱり「新規のユーザは募集してません」である。そんな中で1つを選んで付けたのだけど、妥協してしまったのでデザインが落ち着かない。カウンタは目立たず騒がず密かに存在していて欲しいのに、背景が透過処理されていないので白く浮いている気がする。まあ多分カウンタなど誰も見ていないだろう。それよりもネスケで表示が崩れるとか、液晶ディスプレイでないと全然違う色になるとか(←これはそもそも工夫次第でどうにかなるのか?)、そっちの方を先に直した方がいいのではないか?…とは思ってもやっぱり気になるものは気になる。

てなワケで今日もカウンタ探しをしていたのであるが、途中で自作の画像を使った方が早いのではないかと気付いた。ここはCGIだって使えるのだ。自分でCGIを作る技量はないが、親切な人がCGIプログラムを無料で配ってくれているらしい。早速方向を修正して、またも検索検索。………なぜこんなにたくさん親切な人がいるのですか!?

最高5つ星で★2つの難易度の、初心者向けのCGIをダウンロードしてきたのに、設置するまでまた一苦労。どこか間違っていないか今イチ信用ができない。もちろん信用ができないのは作った人ではなく、自分である。それで現在ぷらぷらすのTOPページ右下には2つのカウンタが並んで置いてある。下の方が自作画像を使ったモノ。しばらく様子を見てからレンタルしてきた方を消すつもりだが、見栄えをよくするつもりで余計妙な状態を晒してしまうとはこれ如何に。

2001.5.14

COOLが落ちちゃっているので、見切り発車ですが移転します。ちっ、元サイトへ移転通知を載せることもできゃしない。

2001.5.13

何か最近COOL重くないですか。人に重いとは言われていたんだけど、私の環境で実感したことはこれまでなかったのに。どうせすぐ引っ越すからいいんだけどさぁー(ナゲヤリ)。

NHKで始まった新海外ドラマ『ロズウェル・星の恋人たち』を見た。うーん、今イチ。この先そう面白い展開になるとは思えない。しかしX-Fileでもそうなのだが、あの「真実を、真実を、ただ本当のことだけを!」に固執する人たちって何なんだろう。X-Fileで言えばモルダーだ。私はあの番組を見るたびにスカリーは偉い、よくやっている、と感心してた。よくあんなのとつるんでいられるもんだ。『ロズウェル〜』では保安官だ。主人公のリズが銃で撃たれた現場に居合わせた異星人マックスは、正体がばれる危険をおかして、人間にはない不思議な力を使って彼女を救う。ところが目撃者の証言や現場の状況に不審を感じた町の保安官はマックスに疑いの目を向けるのだった…。

……いいじゃんよ、異星人でも! それで真実を知ったらあんたは一体どうするの? 「必ず正体を暴いてやる!」とマックスを脅したところから見て、もしマックスが異星人であり、でも地球人とトラブルを起こす気はないって真実を知ったとして、「ああじゃあ問題ありませんね。仲良くやりましょう」と言うとは思えない。てかそれではドラマにならないけどさ。でもホント何が問題なんだか、私にはちっとも分からないのだ。人に害を及ぼす異星人ってなら(人喰いエイリアンとか)正体を暴こうとするのも分かるけど、彼はリズを助けたんじゃん! 命の恩人でしょ? なぜ付け狙われなくちゃいけないワケ?

これは対異星人だけど、他の人種差別のドラマとか見ていても同じようなコトを考える。その人が何をしたかではなくて、その人が何であるかにどうしてそんなにこだわるのだろう。だいたいそこから話がもつれて悲劇になだれ込むのに。その感情が分からないだけに、そこから始まる悲しい話を見るとやりきれない気分になる。

2001.5.10

COOLの広告表示方式が変わってしまったころから、サイトの引越しを考えている。広告だけならまだしも、オフラインでの閲覧ができなくなっているのが我慢できない。それで最近レンタルスペースを探しまわっていたのだが、これがやたらと数があって絞るのが難しい。もともと貧乏だし特に今はDVD貧乏で、更にはテレビが壊れそうになっているので、なるべく出費を押さえようと安げなところを狙っても、まだかなりの数がある。適当に決めてもいいのかもしれないが、ここで買物に対してはやけに慎重になる性格がでしゃばってきて、各サービスの比較検討作業なんかに入ってしまう。そしてやっと心を決めてえいやっと“お申し込み”ボタンをクリックすると、例外なく現れるのがこの一文。「現在新規募集はおこなっておりません」…そうだよなー私がいいと思うようなのは皆もいいと思うんだよな。くっすん。分かるけど、そういうことは先に言ってくれよぅ。

そうやって何社にも裏切られた結果、残ったのがA社とB社。ちょっと高いけど安心して使えそうなA社と、不安な点はあるものの質問メールへの反応が良かったB社。A社の方は毎月10日に限定何名の新規を受け付けているので今日まで待っていたのだけど、何やらの理由で今月は新規募集がないようだ。ありゃ自分で決定を下す必要がなくなっちゃったよってことで、引越し先決定。まあB社は短期の契約ができるし、メールの感じはすごく良かったし、いいか。なるべく流浪の民にならないようにしたいと思ってますが、なっちゃったらごめんなさい。引越し作業が終了したら、トップで移転先をお知らせしますのでよろしくお願いします。多分来週になっちゃうでしょう。

ところで私は今、ひじょーにみっともない姿になっている。G.W.に田舎に帰ったときにひいた風邪のせいだ。実家に戻ると気が緩むのか、それとも単なる気温の変化のせいか、このところ帰るたびに風邪をひきこんでしまう。今回は鼻かぜだけで軽く済んだのだが、それでも鼻をかんでばかりいたので鼻のまわりがひどく荒れてしまった。おまけに鼻の中にできものができてしまい、ティッシュがあたるだけでも痛くてしかたない。肌荒れはすぐに治ったのだが、問題はこのできもの。だいぶ治ってきたのはいいが、かさぶたになってしまったのだ。で、かさぶたって剥がれるときにまわりが少し持ちあがるでしょ。それがめちゃくちゃみっともない。だって…、だってまるで鼻くそがはみ出しているみたいなんだよー。そうとしか見えないよー。

いくら身なりに気を使わない私であっても、これは許せる限界を超えている。他の人よりかなり後方にあるのでなかなか気付いてもらえないが、私にだって譲れない一線は存在するのだ。しかしこれはどうすればいいのだ。場所が場所だけにバンソーコは貼れないし、マスクをするものばかばかしい。結局いい方法が思い浮かばなかったので、ムリヤリ剥がしてしまい、悶絶。涙がぼろぼろ出たのに、剥がした後は赤く腫れあがってやっぱりみっともなかった。さて現在、その上に新しいかさぶたが出来かけているんだが、どうしよう。もう痛いのはイヤです。誰かいい方法を知っていたら教えてください。

2001.5.8 part.2

DVDプレーヤーを買いました。以前見たのよりちょっと高かったんだけど、それは期間限定の値段だったし、そろそろ注文したソフトも届くだろうし…と購入して帰ったら、その夜のうちにソフトもやってきました。やっほぅ!

早速何度目かの『フレンズ』鑑賞。しかし我ながらなんでこんなにハマっているんだろう…とつらつら考えるに、どうも“永遠の関係”ってのに弱いらしいです、私は。それは恋愛でも友情でも1対1でも3人以上でも何でもいいんですけど、たとえば地域的に離れ離れになってしまっていても、何年も会えなくても、再会した時にすーっと元の関係に戻れるような、いつでも相手を拠り所にでき、また自分も拠り所になれるような、そんな関係に憧れているのです。でも今自分の持っている関係が“永遠”かどうかなんて分からないじゃないですか。今現在、一生モノだったらいいなって関係はいくらもあるけれども、こればっかりは私が一人で思っててもどうしようもないでしょう。死ぬ時になってやっと「あぁ結局一生付き合ってきたなー」と言えるワケです。結果論と言うのか…。そう、だから“永遠”と実感できる関係が欲しいわけではなくて、「この人たちはきっとこの先ずっとくっついたり離れたりして、でも仲良く生きてくんだろうなぁ」と思わせるような関係を見るのが好きなのです。それがフィクションでもね。

『フレンズ』だけじゃなくて、『アリーmy Love』のアリーと同居人レネの関係も同じ理由で好きです。アリーがどん底に落ち込んでいるときにレネが何も言わずに抱きしめてあげるところとか。ちょっと話は違うけどフィジカルなタッチにも私は弱くって、これが外国好きの理由の一つかも知れません。いや日本にいちゃできないってワケでもないですけど…ごにょごにょ。

気が合うという、ただそれだけのつながりの人々と、ひとつ屋根の下で暮らせたら素敵だというのは、そのころからの夢だった。〈氷室冴子『いっぱしの女』より引用〉

上の文、これはすっごくよく分かります。私も似たようなコトを夢想しています。まあ現実になれば、上手くいかないことがでてくるのは容易に予測がつくし、実現するのは難しいかも知れません。それでも私は“夢の家”を思い描くのはやめない。氷室さんはその後に夢の家を持つための心構えについても書いていて、上の文に共感できる人はそっちも必読です。

話はコロコロ変わるのですが、またまた以前書いたTONOさんの『カルバニア物語』。これのつい最近のエピソードは「絶対とか永遠なんてこの世にない」で始まるものでした。私も「絶対なんてものがこの世にあるとすれば、それは絶対がないことだ」と信じている人間です。絶対なんて絶対にないってヤツですね。カルバニアは、奇跡のお守りやラッキーグッズにはまって騙される人たちの話で、主要キャラが「私は大っ嫌いなんだ、絶対とか永遠とか言ってる奴ら。君はもう分かっているよね、この世にそんなものが存在しないことは」みたいな台詞を吐きます。私の考えは上に書いたとおりなので「分かるけど、でもそう言いきっちゃうのも寂しいなぁ」と思いつつ読んでいくと、最後に「でも人間には必要なのよ、絶対とか永遠が。だから時々言ってちょうだい。信じないから」って台詞が出てきて、ああこれだぁ…!と嬉しくなっちゃうのですよね。やっぱ好きだカルバニア。

えっと久々に長々書いた気がしますが、要は……要は、何だっけ。『フレンズ』が面白い…じゃなくて、いやそれはそうなんだけど…みんな仲が良いといいねってコトか?……小学生か私は。

2001.5.8

帰省中の教習について、もうちょっと書く。今回私が無事に帰ってこれたのは、ひとえに田舎の運転手の皆さんの辛抱強さのおかげだった。私は何がダメと言って、後続車にプレッシャーをかけられるのに一番弱い。免許取得後に東京で練習したときも、煽られたりクラクションを鳴らされるたびに慌ててしまった。初心者が焦って運転するほど怖いことはないと思う。ところが今回は、後ろに何台ものお供を従える速度で走っても、間違った車線に入って立ち往生したときも、一回も煽られたり文句を言われたりしなかった。それでも自主的に焦っちゃったけど、東京で運転するよりはずーっと気が楽だった。

しかし流れはやたらと速かった。駐車車両や歩行者の姿がなく見とおしがいいから当たり前なのだろうけど、50km制限の道路を70km以上で走っている。私もがんばったのだ。出せるところではちゃんと60kmくらいは出した。それなのに後ろに行列が出来る。頼むお願いだ初心者マークに免じて許して、60で限界なの!と内心では叫びつつも、開き直りきれず、路肩のスペースに入って抜かしてもらったり。仮免練習中の母の運転にも付き合ったが、どうもこの小心者ぶりは彼女からの遺伝らしい。とても他人とは思えないくらいよく似た運転だった。って他人じゃないや。

山に入ると後続車はいなくなるので、思う存分ゆっくり走れる。20kmから30kmののろのろ運転。それでも連続カーブで先が見えないのでかなり怖い。…と私は思っていたのだが、同乗者にはただのゆったり運転だったらしい。「今まで見られなかったものがいろいろ見れてよかった」とは友人Yの弁。そうなのよのんびりゆけば道端の花も愛でられるのよゆとりって大事よね、とは思ってもちょっと悔しい。猛スピードでカーブを曲がって復讐してやりたかったが、運転席の私がずっと怖い思いをするだけなので泣く泣く諦めた。うーん、何か手はないものか。あと今はカエルの時期で、小雨でも降っていようものなら何匹もがのそのそ這い出してくる。デカいメスがちっちゃいオスを背中に乗っけていたのだけれど、あまりのサイズの違いに最初は“ひー爆弾背負ったカエル!”と思ってしまい、車の下で爆発するんじゃないかと半分くらい本気でビビった。いや子供がいたずらして爆竹でも背負わせたんじゃないのかなーとか…。

父は面倒見がいいと言うか心配性と言うか、私が一人で街に行く前にタイヤ交換の仕方やジャッキの使い方の即席講習までしてくれた。山でパンクしても助けは期待できないのだ。残念ながらパンクはしなかったが、ふとワイパーが妙な音をたてているのに気付いた。おかしい、さっきまではこんな音はしてなかったのに。故障か? いつの間にか雨が止んでいてガラスがかぴかぴに乾いているだけなのに気付くまで、しばらくかかった。壊れてなきゃいいんだけど。それから他にもリアウィンドーのワイパーの動かし方とか、基本的なコトがさっぱり分からんままでした。

とまあいくつも失敗はしたのだけれど、やっぱり運転って慣れですね。地元の友人とも会えたし、少ーしは自信がつきました。問題は、いったい次いつ運転できるか…か。友人とレンタカー借りて伊豆って予定はあるが、私を含め皆腰が重たいもんで。

2001.5.7

G.W.最終日は妹とホルモン焼きのお店に行って飲んで〆た。いやぁ、肉を食べると自分の食欲が衰えたのを実感してちょっと切なくなる。私も落ちたもんだ…ってのは我が食い意地一族の決まり文句なり。

さてせっかくG.W.に帰省したのに、天候に裏切られてしまった。晴れたのは帰省した日と最終日だけ。毎日五月晴れが続くのを期待していたのに、毎日毎日どんよりはっきりしない天気だった。残念。山もまだ茶色が勝っていて、色とりどりの緑が見られるのはもう少し先みたいだ。それでも道を歩くと菫だ山吹だタンポポだ李だと彩りは豊かだし、鳥はさえずっているし、田舎気分は楽しめた。やっと晴れた最終日、家の近くの林道に散歩に行った。ふと気付くと山以外何も見えなくなっていた。一緒に帰った友人Yに「ウチから10分も歩くとこの景色なんだよ、すごいよね」と言ったら「ってゆーか、To-koさんちが山の中なんじゃん」と返された。そっか。そこで育ったので、どうも「山にいる」って感覚が鈍ってるようだ。

帰省中はもっぱらマンガを読んだり車の練習をしたりしてぐうたら過ごした。サイトの更新なんかすっぱり忘れてました。さて我が家に通じる山道だが、連休だけあって麓から上がってくる人が多かった。地元民が「都会人は山道走るの下手だから」と言うぐらいだから、初心者の私も安心できない。いつもなら「向こうが避けてくれる」と思えるけど、この時期ばかりはそうもいかない。ほぼ毎日気を張って練習していただけに、最終日、父に運転させて助手席に座っていたら気が緩んでしまったらしい。多摩ナンバーの車を見ては「多摩の人間は多摩で遊んでろ!」、厚化粧のおばさんが山菜を摘んでいるのを見ては「化粧バケが山に入ってくんな、山の神さまが怒るぞ」と暴言を吐く。…気が緩んでただけで、普段はこんなコト言いませんって。ええ。

友人Yについても書きたいことは山とあるのだけれど、彼女もここを見ているので書けない。昼間っから酔っ払ってくだまいたとか、酔い方がオヤジみたいだとか、毎晩私をいじめたとか、ああ残念、とてもじゃないけど書けません。

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