ゆみぞうさんのサイトで紹介されていたワケルくん。ああんステキすぎっ。こんなタイミングで優しくされたら好きになっちゃうじゃないの>仙台市。てか会社で見たもんで、家に帰って「ワケルくんの歌」を聞くのが待ち遠しくて堪りませんでしたよ!
どうも気が滅入るウツウツの日々。いかんいかんこれじゃいかんのだーっと思ってしまうのがまた遺憾。ずっと以前に親友が「あたし、ポジティブシンキングって嫌い。『はっまたネガティブな考えに浸ってしまった。いけないわ、ポジティブにならなきゃ』って、その時点ですでにポジティブじゃないじゃん!」と言っていて、それにはすごく納得したし笑ったのだけど、でもその間違った無理めのポジティブシンキングに強迫されそな心持ち。…なーんて言ってても、どうせすぐに些細なコトで盛り返しちゃうのだから、ご心配はご無用に。ただ無性に弱音を吐きたい気分なだけさ。今は。
花組芝居の『百鬼夜行抄』を観にいってきた。花組芝居は旗揚げ以来“ネオ歌舞伎”をやっている劇団である。演目は時代ものから現代ものまで何でもござれだが、システムが歌舞伎チック。男が女を演じ、座長の加納幸和さんの二子玉屋をはじめとして、役者はそれぞれ屋号を持っている。コアな客は役者に「にこたまやっ」「むさしやっ」などと声をかけたりする。本家と同じで、これはタイミングが難しくてそうそう出来ない。家紋も面白いものを持っているので、サイトを見るとけっこう笑える。
内輪ウケが加熱しすぎだったり下ネタがグロすぎたり新人いじりが長すぎて芝居がダレたりするコトがあるので、私は演目によって観に行ったり行かなかったりしているが、真面目にやるとめちゃ魅せてくれる劇団である。『泉鏡花の天守物語』で加納さん演じる富姫が図書之助の顎に手をかけて仰向かせ、「帰したくなくなりました」というシーンなど、鳥肌モノの迫力だった。また、人気も実力もある大手なのに、ときどき妙に小さい劇場で公演を打ってくれたりするのも嬉しい。
おっと、前置きが長くなった。『百鬼夜行抄』だが、これは今市子さんの同名マンガが原作。客入れのときに前日のアンケートを読み上げていたのだが、どれも「原作はこんなんじゃないの…」って感じのばかり選ばれていて笑った。私は原作をぱらぱらと立ち読みしたコトがある程度なのだが、それでも雰囲気が全然違うのはわかる。原作はしんみりほのぼのいい話路線。そして花組のは完璧ギャグ路線。見鬼(妖魔が見える人)である飯嶋律とその家族、そしてその家を訪れる妖魔たちの物語なのに、花組芝居のは妖怪版サザエさん!(本人たちがそう言っていた)。更に懐かしの「八時だよ! 全員集合」のドタバタ風味も入ってる。
律の従姉妹で、原作では美人の司ちゃんがすごいデブキャラになっていたのが個人的にツボで、横を向いたそのシルエットに大笑い。父母も祖母もいーい感じで崩れていた。特にお母さんの演技は好き。ただ残念ながら、主役の律が今イチだった。浪人生ってコトで若手を起用したのだろうけど、脇が濃すぎるくらい濃いのでどうしても影が薄くなる。まあ性格的にも常識の人って設定だから、あまり遊べなかったのかな。でもちょっと惜しかった。しかし、ああまで原作と雰囲気が違うと「これもアリか」と思わせられてしまうね。花組ならではの力技だが、原作者は見てどう思うのか、正直なトコロを聞いてみたい気が。多分笑うしかないと思うのだけど…。
そいえば、歌舞伎に行く前に築地にも行ったんだった。長年東京に暮らしていながら、初めて。先々週はいろんな初めてをしたんだわね。築地には以前から一度行ってみたいなーと思っていたので、母親が鰹節を買いたいと言い出したのをイイことにお付き合いしたんだけど、それが予想以上に面白かった。小さな店が軒先連ねてひしめき合っている、光の差し込まない狭い路地を歩くと、わくわくする。威勢のいい掛け声が楽しい。得体の知れないモノを売っていそうな怪しげな店もあったりする。ああ歌舞伎見物が後に控えているんじゃなかったら、山ほど買い込んでしまいそうだ…。
思えば私は市場好きなのだった。ヨーロッパをふらふらしていたときも、あちこちでマーケットに出かけていった。ドイツの青空市場では量り売りのフルーツを買って、それをパクつきながら歩いたし、スイスのチーズ市場では色んな種類のチーズに手を出してみた。もちろんワイン片手に。アンティークマーケットに行ったのは…イタリアだったかな。アンティークというよりガラクタじゃないのかってモノばかりだったけど、旅行中じゃなかったら買いたい品物もあった。ポルトガルの魚市場も楽しかった。名前も知らない変な形の魚を買って宿で調理してみたっけ。あっさりした白身魚だった。イスタンブールの香料マーケットにはまた行きたい。色とりどりのスパイスや菓子が並ぶ、なんとなく怪しげで魅惑的なマーケット。……って、アンティーク以外、食ってばかりじゃん!
ヨーロッパの町って小さくて、町の中央に広場があって、狙っていなくても、よくマーケットにぶつかった。日本だと、いや、東京だと、狙っていかなきゃいけないのが残念だ。土地がないんだから仕方ないんだけど。ちょっと賑やかな地方の朝市なんか、すぐ評判になっちゃって観光客ばかりになっちゃうし…。でも評判にならなきゃ私の耳に入るコトはないし。地方在住の人だと、地元民だけが来るような、身近な市があったりするのかしら。そういうのって羨ましいなーと思う。
映画版指輪物語の第二部、『二つの塔』の試写会に行った人の感想が、ぼちぼちネット上にあがってきている。うー、待ちきれなーい。話によると第二部はだいぶ原作から離れるらしいけど、どの辺が割愛されてどの辺が変えられているのか、それも楽しみ。もともと「原作どおり」を求めてるワケじゃないんだもん。表現媒体が違う以上、違った見せ方をするのは当然でしょう。原作への愛と、原作の精神を大事にしようとする姿勢。この2つがあれば、かなり変わっていても文句はないし、PJ監督ならそこら辺は信用できる。「ゴクリが愛されてる」って評もあって、ゴクリ好きの私は、そこにも期待。あと第二部といえばセオデン王! 原作の彼ときたら、もうもう…。映画でもカッコいいといいなー。あと気になるのはエントの出来かしら。ああ、書いてるだけで興奮してくるぞーっ。
そうそ、感想書くのが遅れちゃったけど、先週は祖母と母と私との三世代で一緒に歌舞伎を見に行ったんだった。寿初春大歌舞伎の昼の部。席は一階席の一番後ろ中央だったので、舞台の上部がちょっと切れちゃってたけど、花道も舞台も思ってたよりハッキリ見え、なかなか良い席だった。演目は『出雲の阿国』、『矢の根』、『京鹿子娘道成寺』、『弁天娘女男白浪』。私でも名前くらいは知っている有名どころがあって嬉しい。とは言っても歌舞伎を見るのは初めてだし、知識があるとは言いがたいしで、イヤホンガイドを聞きながらの見物。
楽しみにしていたのは『娘道成寺』だったのだけど、正直言うとこれは途中で飽きちゃった。いやキレイだし見応えあるし初めて見る“引き抜き”には「おおっ」となったし………でも、ちょっと長く感じた。も少し短かったらもっと楽しめた気がする。『弁天〜』は正体がバレたあとの弁天小僧が可愛かった! 弁天小僧の「知らざあ言って聞かせやしょう」をはじめとして、台詞のいくつかは聞き覚えがあって「これってこの芝居の台詞だったのかあ」と嬉しくなる。でも何より楽しんだのは『矢の根』。衣装から台詞の言い方から面白くって、ずっと笑いっぱなしでした。『弁天〜』みたいに、現代の演劇に近くなっちゃうとつい比べちゃうんだけど、『矢の根』は現代演劇とあまりに違うから、かえって素直に楽しめる。馬がとってもステキだし。あの演目は他の場面も見てみたい。
楽しかったので、これを機会にちょくちょく観に行きたいなーとは考えているが、安い席だと花道なんかどの程度見えるのだろう。実は早速、2月の花形歌舞伎に気になる演目があるのだ。しかし金がない。昼の部の『鏡獅子』と『曽根崎心中』、夜の部の『毛抜』に惹かれているから、両方チケットを買うと財布が悲鳴をあげそう。あと今回は花魁姿が見られなかったので、それもゼヒ見てみたいし…。まあ歌舞伎なら同じ演目を何度もやるだろうから、あせらずゆっくり行こうかな。
ところでナゼこの演目に惹かれるかって…『毛抜』はチラシの紹介文が面白そうだったから、『鏡獅子』は有吉佐和子の小説で印象的だったから、ってのは胸張って言えるんだけど…『曽根崎心中』は…『パタリロ!』で読んだからなんて、ああっ言えないわ絶対!(道行の「この世の名残、夜も名残、死にに行く身をたとふれば…」って名文を『パタリロ!』で覚えたんだよね、私…。細部が違うからパタリロで使ってるのは落語の方かも知れないけど、「七つの鐘を六つ聞いて残る一つは冥土の土産」「覚悟は良いか」「南無阿弥陀仏」までさらっと暗誦できちゃう自分がいーーやーーーっ。)
初スキー話の続き。昼食後、最後のあがきにもう一度、初心者用ゲレンデで滑ってみましたが、急な進歩があろうハズもありません。しかしそろそろ林間コースに行かなくては、暗くなる前に降りてこられるかどうか怪しくなってしまいます。てコトで見切り発車。2本のリフトを乗り継いでパラダイスゲレンデの下の方に到着。少しだけ下って林間コースに入ります。「とにかくゆっくり行くからね」と1人がペースメーカーになって先頭に立ってくれ、私が次に続きます。
最初のうちはよかったのです。午前中に練習してたトコロよりも傾斜が緩やかで、私も何となく後をついて行くコトができました。何しろゆっくりだったのでどんどん抜かれていきましたが、「上手い人は勝手によけてくれるから気にするな」と言われて、とにかく曲がるコトとスピードを出しすぎないコトに専念します。それでもちょっと急になると何度もコケ、一度はけっこうな勢いで人さまに後ろから突っ込んでしまいました。自分ならともかく、人に怪我させちゃシャレになりません。相手が「大丈夫」とすぐに立ち上がってくれて、ホントにホッとしました。
その日の私はとにかくVIP待遇で、前に1人、横に1人、後ろに1人がつきっきりなのです。私がコケると3人が瞬時にザッと音をたてて集まってきて、「大丈夫っ?」とハモります。ひーん。ありがたいけど、ちょっとプレッシャー。彼女たちとはもう10年以上の付き合いになりますが、ここまで無力な立場に立ったのは初めてです。とにかく長い5kmでした。特に最後の最後、もうゴールが斜面の下に見えているって状態からが長かった。私の足に限界がきてしまい、膝に力が入らなくて、全然スピードを殺せなくなってしまったのです。ちょっと滑ってはコケ、ちょっと滑ってはコケで、ホントに泣きそうになりました。残り100mくらいなのに、もうスキーを脱いで歩きたいと本気で思うくらいに。
結局、ビギナー林間コースを1時間半かけてクリア。友人たちが下見に行ったときは30分もかからずに降りて来たのを考えると、どれだけスローペースだったか分かるでしょう。時刻も4時半を回っていましたので、その日はそれで勘弁してもらいました。一日で数え切れないほど転んで膝と手首が痛いわ、始める前に防水スプレーをかけてもらったのにパンツまで濡れてるわ、グローブもぐしょぐしょだわってヨレヨレ状態で宿になだれ込み、お風呂と食事を済ませて町をぶらつき、買いこんだワインを飲んだらもうダメ。「夜はまだ長いよー」とか言ってる友人を尻目に眠りに落ちました。爆睡。
2日目。帰りの時間があるので、滑れるのは午前中くらいです。前日の実績から考えると、林間コースのもう少し上まで行って、一度降りてくるだけで精一杯でしょう。というワケでいきなりリフトを4本乗り継いで、上ノ平ゲレンデに直行。そこからパラダイスゲレンデ経由で林間コースに入る、8km強を滑るコトになりました。上の方はもっと急斜面なのかなと思ってどきどきしていましたが、びっくり。上ノ平ゲレンデの方が、前日最初に練習を繰り返していたところよりもなだらか。しかも雪質がいい。更に樹氷が美しく、景色も最高。それでリラックスしたせいか、いきなりの変化が!
前日教わったコトを思い出しながら曲がろうとしてみると…あら? あららら? 曲がる、曲がるわ。しかもちゃんとスピードも調節できるわ! 何かイイ感じです。“谷足に体重をかける”だの、“エッジを効かせる”だのって、前日は全然感覚がわからなかったのに、今日は「これか!」と思えます。「曲がってる! 私曲がってるわ、ハイジ!」とクララな気持ち。友人たちは「そう、そうよ、To-ko! その感覚よ!」と月影先生な気持ち。あ、1人は「今『プロジェクトX』な気持ち〜」と言ってました。彼女の耳には「To-koが、曲がった。人々の顔に、笑みが、戻った」って田口トモロヲの声が聞こえていたのかも。
まだゆっくりじゃないと怖いけど、自力でスピードを調節できるので余裕も出てきます。そのまま調子にのって“斜めに滑るときはパラレル、曲がるときだけボーゲン”って技も、かなり怪しげながら出来るようになったので、上ノ平→パラダイスはホントにあっという間。しかも疲れてません。時間さえ許せば、もう一度滑りたいくらいでした。ここで小休止を入れ、前日も滑った林間コースに入ります。うわ、ほとんど転ばない! ときどきコントロールを失うコトはあるものの、前日からすると格段に滑れてます。転びまくった斜面も、1、2回コケただけでクリア。「え? もう終わり?」ってくらい早く感じました。時計を見ると1時間を切ってます。すごい、30分以上縮まった!
予定より早くついたので、最後の仕上げとして初日に練習してた斜面を2回滑りました。2回とも、全然転ばないで降りられます。嬉しい〜。現金なモノで、あと2日くらいあったらだいぶ感覚を掴める気がするのに…と帰るのが惜しくなってきちゃいました。頭で「えーっと曲がるときはこうやって…、でこっちに体重かけて…」とやってるのを、体で覚えられそうだったのに。教えてくれた友人たちの努力が無駄にならなかったのも、嬉しい。次は2月。またも少しレベルアップできるように頑張るぞーっ。
もうちょい時間が欲しいトコでしたが、ツアーの悲しさ、そう簡単に予定が変えられるハズもなく、熱っい温泉に入ってお土産買って帰ってきました。ハードだったけど楽しい週末でした。んで月曜に会社の同僚に土産話をしたいたら、「これでホント、オールシーズン休みなしで遊ぶことになるね」と言われました。えへへー。その通りさっ。
きゃーっ! BBSに『指輪物語』第二部の字幕に関しての嬉しすぎるニュースが! シロツグさん、ありがとーっ。すっごく嬉しかった! …しかしさぁ、リンク先の報告を読むと日本ヘラルドは決してファンを無視するつもりはなかったって分かるんだけど…ナゼその姿勢がファンにちっとも伝わらなかったのか不思議。ファンの声を聞くつもりがありますって明確に示しておけば、ここまで騒ぎが大きくはならなかったのに。「いっくら心で想っていても、それが相手に伝わらなかったら何も考えていなかったと同じ」って好例だわ。公式サイトを作っておきながらそれを担当者がチェックしてなかったってのもマズイし、発表の仕方も下手すぎる。企業としてどうよ? 10人に話したとき、そのうち1人だけに伝わらなかったなら相手のコミュニケーション能力が乏しいのだと言えるけど、9人に伝わらなかったなら自分のコミュニケーション能力を疑うべきだと思います。……でもやっぱり今は嬉しい気持ちでいっぱいだけどね。字幕改善活動に積極的に関わってこられた方々に感謝感謝です。ああ2月が楽しみだなー(そう素直に言えるのがホントに嬉しい)。
さてさて、週末は初スキーに行ってきました。この冬初めてではなく、人生初。正確に言うなら小5の林間学校で、スキーをつけて5mほどの斜面を滑り落ちたコトはあるのですが(それもたった1回だけ)、ホントのスキー場に行くのはこれが初めてです。ですのでかなり新鮮な驚きと転倒と筋肉痛に満ち満ちた週末になりました。以下、長々と書きますのでスキーやボードなんぞは日常ちゃめしな皆さまも「何を大騒ぎしてんだよ」とか言わずに、生暖かい目で読んでくださると嬉しいです。
近場の旅行に山登り、芝居見物にダイビング、そしてたまには海外旅行、と、私が一番よく遊ぶ面子が「私らって冬にやるコトないよねぇ…」と言い出したのは、もう2年ほど前になります。私以外の3人はスキー経験者なので、必然的に「じゃあスキーに行こうか」って話に展開しました。そのたびに私は「寒いの苦手なんだよねー」だの「やったことないから怖いし」だの「もう30だし(←あまり関係ない)」だのと言って逃げ回っておりました。しかし「私らが手取り足取り教えるから」攻撃の前にとうとう降参。去年の暮れに1月のスキー旅行が決まり、「忘れないうちにもう一回行った方がイイよ」と言いくるめられ、2月にも旅行が組まれてしまいました。一度譲歩するとあとはズルズルのパターンです。
金も足もない私らが選んだのは某社のスキーツアー。新宿を金曜の夜に出発し、目的地(野沢)に7時に到着。土曜は温泉旅館に泊まって日曜夕方に野沢を発ち、22時に東京に戻ってくるというもの。夜行のバスなんて何年ぶりでしょう。こうゆうのは若人の旅行スタイルなんじゃないのか、なんて弱気な態度でツアーに臨みます。土曜泊の温泉旅館はちと楽しみにしていたんですが、結果的には大ハズレ。合宿所のようでした。いやスキーツアーで宿に期待するのが間違いかも知れないんですが、一応「宿セレクトプラン」だったんだもの。最初から合宿所だと言ってくれればそれでも別に平気だけど、「安らぎと寛ぎの宿」と言っておきながら合宿所ってのは萎えますがな。
夜行バスでは予想通りほとんど眠れず、へろへろの状態で野沢に着。天気は薄曇。宿に荷物を預けスキーとウェアを借りたら、問答無用でスキー場へ。何もかも初めての私はリフトに乗るだけで緊張します。リフトを降りた平坦な場所で、スキーのつけ方やストックの持ち方、歩き方や転び方を教わり、ちょっとだけ勾配のある場所までえっちらおっちら登って、滑り方を教わりました。「スキー板はハの字にして、こうやってエッジを効かせて…。とりあえず、あのレストランまで滑ってみようか」と言われても、たかだか10mの距離が怖い怖い。「きゃーっ、どうやって止まるの〜っ」「転べっ」ってお約束のやり取りを繰り返しつつ、特訓は続いていきました。
それにしても友人たちの付き合いの良さ、面倒見の良さは呆れるほどです。ちょっとの勾配でも私はがつがつ登るコトができず、横歩きでちょこちょこ時間をかけてよじ登るしかない上、滑る距離は10m…。経験者にとってこれほど退屈な時間はないと思うのですが、3人がつきっきりです。「とりあえず1人に見ててもらえればいいから、あと2人はも少し上で遊んでくれば?」と言っても聞いてくれません。「転び方が上手い」だの「起き上がり方が上手い」だの「初めてにしては筋がイイ」だの適当におだてられながら、2時間ほど奮闘します。せっかくスキー場に来ているのに、まだ直径10mの円内から出ていない気がします。私は必死だけど、他の皆はいいのかそれで。
お茶休憩をはさんでいよいよ一番近いゲレンデへ。その日の目標は「ビギナー林間コース」って5kmのコースをクリアするコトなので、曲がれるようにならなきゃ話になりません。しかしそこからがまた大変でした。転ぶ転ぶ。しかも斜度がキツいので(本当は相当緩やかだそうだけど私にとっては急斜面だった)、一度転ぶとその態勢のまま滑り落ちます。滑ってじゃなく、転げ落ちて距離を稼ぎます。おっかなびっくり斜めに滑って、曲がろうとして下を向いた段階でそのまま直滑降。怖くなって転ぶのパターン。10回くらい転んでやっと下に下りてくると、友人が笑顔で「もう一本行ってみようか」と宣います。鬼かあんたら。
しかしいくら教えてもらっても、ターンの感覚は掴めません。なんせ自分でスピードを殺すコトができないので、すんごい勢いで回りかけて転倒!の繰り返し。どうも私はスキーに向いてないんじゃないかと不安になってきます。ゲレンデの下の方が少し傾斜が緩やかで、そこでなら何となく向きを変えられるようにはなったのですが、自力で制御してる感覚が全然しないのです。上達したのは起き上がり方だけな気がします。私がそんな危なげな様子なので、友人2人が林間コースに下見に行ってくれ、「ゆっくりなら何とかなるんじゃないか」という答えを持ち帰りました。これでもう逃げ道はなくなりました。何より私に付き合わせっぱなしじゃ友人たちに悪い。ちょっと遅めの昼食後、いよいよ林間コースに行くのです。頼りは「大丈夫、To-koならできる!」という何の根拠もない友人の言葉だけ…。
すいません、長くなりすぎ。書き疲れたんで続きは明日にします。
30代半ばの知人男性が、あんまりにも身なりに構わなすぎるので「30代って、も少し色気(≠sex appeal)があってもイイお年頃だよねえ?」と会うたび思う。誰に見せるためじゃなくっても、鏡の中の自分を見て「ヤバっ」と思わないんだろうか。………とか人ごとみたいに言ってみるけど、誰かが私のコトを同じように思ってたりして。鏡見てハッとしないんだろうかって。
ところで昨晩、実家の犬の若かりし頃をいろいろ思い出していた。実家には今、ヨノスケという若いのと太郎丸という年寄りの、2匹のオス犬がいる。思い出していたのは太郎丸の方だ。今では耳も遠くなって体を動かすのも億劫がって「じじい」と呼ばれている太郎だけど、初めてウチに来たときはまだコロコロの可愛い子犬だった。ちなみに私も小6だか中1だかの若さであった。黒っぽい太郎丸と白っぽい同腹の姫子(2年ほど前に死んでしまった。姫子の子供がヨノスケ)がじゃれあっている様はホントに可愛くて、2匹が短い足でちょこちょこ私たちの後をついて歩くのがすごく嬉しかった。
成長するに従って、太郎はご近所からバカ犬と呼ばれるようになったが、そしてちょっとはホントにバカなところもあったが、でも私からすると充分賢かった。何よりハンサムだった。可愛い系の入った美人の姫子と凛々しい太郎が並ぶと絵になった(←飼い主ばか)。休日に私が裏山の日当たりのいい草むらで寝っ転がって昼寝をしていると、いつも太郎が腹に乗ってきて顔をべろべろ舐めはじめるのだった。山で得体の知れない生き物を狩って食っている太郎の口は臭かった。ばか太郎と、それよりちょっとクールでずる賢い姫子が、私は大好きだった。
なぜいきなりこんなコトを思い出したのかというと、逢坂みえこさんの『永遠の野原』を読み始めたから。それに出てくる飼い犬のみかんの描写を読んでるうちに、思い出がリアルに蘇ってきて更にいろいろ考えちゃったです。例えば…太郎が近いうちに死ぬであろうコトとか。太郎が死んだら悲しいし、寂しくなる。けどいくら悲しくても「だからもう二度とペットは飼わない」とはならない。人間より寿命の短い種と一緒に暮らしたかったら、その死は避けて通れないから。死なれたときにツライ思いをするからって、彼や彼女と一緒に過ごす時間を享受しないのは、もったいないと思うから。
あと「犬派? 猫派?」って質問が苦手だとか。選べないよ、そんなの。ストレートに愛情表現してくる犬も好きだし(あれを“媚びてる”と言うのって、何か卑屈だと思う。“愛されてる”と思えば、ほらシアワセ!)、カッコつけたがるくせに寂しんぼで意地っ張りの猫も好き。それぞれ魅力があるし、犬でも猫でも個別の性格があるし、一括りには言えなくない? 賃貸暮らしの今は無理だけど、いつか犬や猫と暮らせるようになるとイイなーと、ずーっと前から飽きもせずに考えている。
太田和彦さんの『ニッポン居酒屋放浪記 立志篇・疾風篇・望郷篇』読了。居酒屋好きのおじさんが北は北海道から南は沖縄まで、日本全国三十余都市を訪れて居酒屋巡りをするというそれだけの内容だが、食いしん坊で呑んべの人間(私)にはそれだけで楽しめる。また彼の理想とする居酒屋は、美味しい食事と美味しい酒が置いてあって、古びていて、うるさくなくて、さりげないサービスが気持ちよくて、灯りもちょっと暗めで、磨きこんで黒光りするまでになっている、どっしりした一枚板をカウンターに使っていたりして…って感じで、私の好みともよく合うのだ。だからこの本で褒められている店には、つい行ってみたくなる。
それにしてもこの人、よく飲むしよく食べる。少なくとも一晩に三、四軒、多いときだと十軒も梯子してぴんぴんしてる。取材だからってだけでなく、何軒も巡るのが好きみたい。読んでる分には楽しいけど、お付き合いはしたくないなぁ。私はお気にの店でゆっくり飲むのが好きだから。あと全体的に「おじさんの浪漫ね、…うぷぷ」って感がある。いや癇にさわるってほどではなく可愛ええなぁって程度なんだけど、熱心に批評したり薀蓄語ったりされても私は「へー。それで?」で終わっちゃうから、語りがいがないだろう。ま、何にせよ食を愛し酒を愛すのはイイことです。
話は変わるけど、文庫版『パタリロ!』35巻の解説は好きだなあ…。今までの解説って、少数の例外を除いてホントにつまらなくてくだらなくて、こんな解説ならない方がマシだと思ってたんだけど、35巻の許 光俊さん(慶應義塾大学助教授)のはイイよ。とてもパタリロのコトを書いてるとは思えない格調高い解説に大笑いしました。こういう、真剣ぶって洒落のめすってスタイル、大好き。こんな芸のある文章が書けるようになりたいなー。
更に話は変わるけど、久しぶりに雑誌Wingsに載ってた菅野彰さんのエッセイ(ネタ切れのためネタのあるときだけ掲載される)、『海馬が耳から駆けてゆく』の新作を読んでこれまた大笑い。もう四巻まで出ているのだけど、ちっとも文庫落ちしてくれないこのエッセイ集が私はすごく好きなのだ。エッセイに書かれた菅野さんの生活って、家族や友人と旅行に行ったり、お喋りしたり、病気になったり、パソコンの故障に悩んでみたり…って感じで、別に大きな事件に巻き込まれるワケじゃなく(やおい系小説家という職業だけちょっと特殊か?)、私だってやってるようなコトばかり書いているのに、このエッセイを読むと自分の生活がすごく退屈なものに思えてくる。
…という話をしたら、友人に「私らだって、もし誰かがエッセイ書いたら面白いと思うよ。旅行に行って事件が起きないコトないじゃん」と言われました。そういえば旅行の土産話を他人にしてるとナゼか大笑いされてるコトが多いんだよな。本人たちは必死で大変で、主観的には何回か死にかけてるくらいなのに。しかしそう思うと今度は、事件の数々をココに詳しく書けないのが残念になってくる(いろいろ差し障りがありまして)。うーん、欲が深いなー。
金曜日の私は風邪気味だった。18-19の週末にはスキーに出かける予定なので、ひき始めの今のうちに治しておかなくちゃ。それには早寝だ、と、22時にはすでに布団に入っていた。目を瞑った瞬間、携帯がなった。スキーに一緒に行く友人からだ。「To-ko、今、電話くれた?」と聞かれたが電話なんかしていない。携帯のロックがかかっていなかったので、何かの拍子にかかってしまっただけだろう。だから普通なら「あ、ゴメン。勝手にかかっちゃったみたい」で済む話である。ところが話はそれでは済まなかった。「今から来るって電話じゃなかったの?」で始まり、「今、も一人もウチに来てるからおいでよ」って展開になった。ちなみに彼女の家まではウチから1時間半はかかる。
「風邪気味で早めに治しておきたいし/もう遅いし/スキーに行くときは体調良くしておきたいし、今回はやめておくわ」とやんわり断るも、相手は引き下がらなかった。もう一人と交代でひたすら「来い」と言い続ける。10分近く押し問答した末に「だから迷ってるんだったらおいでよ。今ダンナが駅すぱあとで乗り継ぎ調べてるからさ」と言われたときには腰が抜けそうになった。「や、迷ってるんじゃなくて、私はさっきから何度も断ってるんだけど…」と言う私の声はかなり弱くなっていた。さらに3分後には体温計をくわえて「今、熱をはかってるから。熱がなかったら行くよ」とまで口にしていた。
結局熱はなく、大急ぎで布団をあげて着替えて泊まりの用意をして、日付の変わる直前に私は彼女の家についた。「もー。酔っぱらいみたいだったよー。『今飲んでるから出て来いよ』みたいな。普通来ないよ?(来てるんだから私もしょうがない…)」と文句を言いつつも、実はけっこう嬉しがってる自分が意外。こうゆう無茶な誘いはキッパリ断る方だとばかり思ってたんだけど、ホントはかなり弱いのかも。あくまで「好きな人が」「たまに」誘ってくれる場合に限るけど。
目を瞑ったまま手を握って、その手が誰の手だか当てるって遊びを数人の女のコたちとやったんだけど………握った途端に「デカい! ゴツい! To-ko?」って、そりゃいくら何でもヒドいと思います。華奢な体型に憧れた乙女心もまだ欠片くらいは残ってるのよ? どーせ私はデカくてゴツいさあ。ふん。
とゆう前振りとは全然関係なく、ドロ沼劇場に日渡早紀さんを追加しました。正月に読んだので忘れないうちに。週一で更新するとか言ってた気もするドロ沼劇場、半年ぶりです。わはは。
実家で撮った写真たち。つか田舎自慢。自分の環境で見てさえカチャカチャして見にくいレイアウトなんで、他の環境の方にはどう見えるのか大変不安です。「こりゃひどすぎる! 見られない!」って方がいたら、教えてくださると嬉しいです。直せるかどうかは分からないけど(←ダメじゃーん)。あ、日記の枠が崩れるのくらいは許容範囲ってコトでひとつご容赦のほどを。
←実家で飼ってる2匹の犬のお散歩コース。かつての通学路でもあり。帰省したときはたいてい毎日歩きます。冬景色もまた良いでしょう? 後姿は今年も一緒に正月を過ごした娘さん。
→同じくお散歩コースから見下ろした川。岩から垂れ下がった氷柱が面白い格好をしていたのだけど、写真じゃよく分からないか。川まで降りて写真を撮る根性はありませんでした。
←こっちは新しくできてた散策コース。家から徒歩10分でコースに入れます。上の写真と同じ川なんだけど、ちょっとムードが違って見える。やっぱり氷柱が見事です。この川をも少し下ると実家の敷地脇に出ます。
→散策コースの途中で。切られた木が再生しようと頑張ったけど力尽きて苔むしたトコロ…だと思う。天然水のみ場みたいで可愛い。こうゆうの、好きです。
←もいっちょ散策コース。とにかく苔の種類が多かった。珍しいのもあるらしいです。木の種類も多彩で30分なんかあっという間。紅葉の時期もキレイだって話だし、山桜もあったから春も見応えありそう。早く長いコースができないかなぁ。
一作品しか面白い作品を持っていない、或いは「もうピークを過ぎてしまったなー」と思っちゃう作家さんやマンガ家さんが何人かいる。要するに自分の好みから離れてしまったってだけなんだけど。んで昔の作品が面白ければ面白いほど、ツマラなくなってしまった新作に対するがっかり感は大きくなる。それでつい「○○(←適当な名前を入れてください)ももうダメだよねー」と言ってしまうコト……ない? 実はしばらく前から、この台詞を聞くたびにモヤモヤして、「いや…でも力はある人だし、そのうちまた面白いもの書いてくれるんじゃない?」とモゴモゴ答えたりしてた。
興奮すると私も同じようなコトを言っちゃうのだから、気持ちはわかる。それなのにナゼ人に言われるとこうもモヤモヤしちゃうのだろ、諦めが悪いから期待を捨てきれないだけなのかなー…とぼんやり考えていたのだけど、この前久しぶりに日渡早紀さんの昔の作品を読んで、何となくその理由がわかった気がした(この連想をした時点でもうすでに失礼ですわね)。私は、新しい作品に期待しているから物語の紡ぎ手を貶せないワケじゃ、ないのだ。過去の作品に楽しませてもらったから、その物語を作った人を「もうダメ」と言いたくないだけなのだ。(…ってこんなに力入れて語るこたぁない当たり前すぎる理由だが。)
コンスタントにいい作品を作り出さなきゃプロじゃない、ってのも肯ける意見だと思う。それに、好きな作家さんが次々と面白い作品を発表してくれたら、とてもとても嬉しい。シアワセ。でも、例え一作でも面白い…考えさせ、共感を抱かせ、人を揺さぶる物語を紡ぎあげたってのは、それだけでスゴイ事なんじゃないかと思うのだ。その一作に全てを出し切ってしまって、その後は何も書かなくなってしまっても、あまり面白いものが書けなくなってしまっても、それでその人を「もうダメ」と言ってしまうのは、すんごく失礼な気がする。作品を「ダメ」と言うなら分かるけど、「あの人はもうダメ」ってめちゃくちゃ偉そうじゃない? そう言うあんたは何様?って感じ。
あ、でも読者が感想を言うのは自由だし(当たり前!)、「あの人はもうダメ」と言ってる人でも、昔の作品まで貶しているワケじゃないってコトは重々承知しております。結局、言葉に対する感覚の違いでしかないのかも。それでも私は居心地の悪さを感じてしまうので…。読者ってのはワガママで欲張りで「もっと面白いものを、もっと面白いものを」と要求ばかりしてしまうけど、そしてそれは至極当然の気持ちだと思うけど、一度でも面白い作品を提供してくれた人には、それを読んだときの「ありがとー」って気持ちを忘れないようにしなくちゃなぁと、やっぱりぼんやり考えたのでありました。
年末から年始にかけての「ぐだぐだ」以外。
■実家パソをネットに接続させ、母にメールの書き方や送受信のやり方を教える。覚えが悪いので、ぴしぴしと鬼教官ぶりを発揮(嘘)。休み中毎日教えていたのだが、どの程度まで納得しているのかが今イチ掴めない。「あんたがいなくなったら出来る」と本人は言っているが、信用していいのだろうか。昨日帰宅したら3行だけのメールが届いてはいたのだが…。1年後にパソが邪魔な箱になっていないコトを祈るばかり。
■半年ぶりの運転。山道がー、凍っているのよーるるるるー。12月に降った雪が半分融けて凍った最悪状態。その山道を半ペーパーの私が走っていいのでしょうか。って、田舎に帰るたびに同じようなコトを言ってるけど。更に助手席には前途洋々(たぶん)の若人を乗せてたんで、緊張倍増。無事実家に戻ったときにはぐったり疲れ果ててました。友達に会うための無茶だったんだけど「夜は怖いからダメ、昼にしろ」とワガママを言い、更に待ち合わせ場所から他の場所に移動するって話になったら「せっかく駐車場に入れたんだから、もう動かすのイヤ」と友達の車に同乗させてもらうこの振る舞い。まったく何のために車で行ったんだか。お付き合いしてくれた友達には感謝!
■正月早々、ナゼだか親と八甲田山の話になる。そこから日露戦争の話になって、父親が東郷平八郎の「皇国の興亡この一戦にあり」とかって名台詞を嬉々として暗誦しだす(←歴史好き)。「あー、その台詞は聞いたコトあるわ。で、その人が何で反乱起こすの?」と聞くと「は?」と言われる。「東郷平八郎の乱でしょ?」と言うと、更に怪訝な顔をされる。「…違ったっけ?…あっ、東郷じゃなくて大塩? 大塩平八郎の乱か!」と言うと、すごく情けない顔をされる。「んで、大塩さんと東郷さんに何か関係は…?」と言うと、泣かれる。…ごめんよう。系統だてて物事を覚えるのは苦手なんだよう。
■マンガの整理。妹のと合わせて2〜300冊は始末する。でも全然減った気がしないのはナゼだ! 実家滞在中、「今回は懐かしいのを読もう!」と、わかつきめぐみさんの『So What?』や『月は東に日は西に』を引っ張り出し、次に日渡早紀さんの『早紀シリーズ』、『記憶鮮明』、『アクマくんシリーズ』を読んだら、もう我慢が出来ず『ぼくの地球を守って』まで一気読み。ついでに一発屋の作家さんについて色々考えたのだけど、書くと長くなるのでそれについてはまた後日。
■実家の近くにいつの間にか林の中を歩く散歩道ができていた。ゆっくり歩いて30分くらいのお手頃コースだし、景色も変化があって面白いと聞いて楽しみにしていたのに、ずーっと鉄砲撃ちが入っていて歩けず。「正月早々殺生すんなよなー」と家族でぶちぶち文句を言っていたが、最終日に彼らが早仕舞いしてくれたので、何とか間に合った。今年中に更に長いコースができるって話で楽しみ。話どおりステキな散歩道だったので、写真もそのうちUPします。
■あとは東京に帰るだけって日、村の長老のジッチがやってくる。「あんたんトコの娘、もう30くらいになるんだろ?」「はっはっは」「嫁欲しがってる人がいるんだけど、どっちか一人、行がねーが?」「ぶわっはっは」。……えーっと、思いっきり笑ってたのは私と妹です。スイマセン。「田んぼは五反歩で自分っちで食うくらいだけど、畑もあるし山も持ってるし…」って条件がスゲーとか呑気に思ってました。いやー、軽口とは言えまさか私(ら)に縁談がくるとは。生きてると色々あるなぁ。
明けましておめでとうございます! 田舎で思う存分ぐだぐだしてすっかりスッキリしてきました。新しい年に期待たっぷりですが、さてどうなるコトやら。楽しみですわ。正月休み中の田舎話も写真もたっぷりあるのですが、今日はとりあえず新年のご挨拶まで。今年もお付き合いしてくださる気がある方。嬉しいです! ヨロシクお願いします!(さあこのハイテンションはいつまで続くか、乞うご期待)