『病んだ家族、散乱した室内』読了。最初は挙げられる事例が悲しくなるようなものばかりで、それに作者の言うように好奇心を抱くのは難しい…と思ったのだけど、特にIII章の「精神病を理解する◆実用編」に引き込まれ、一気に読んでしまった。確かに家というものは異界で、閉ざされた扉の中で何が行われているのか、よほどのコトがない限り他人には分からない。複数の家を訪ねて間近で生活を見られる職業でもない限り、普通の人が経験できる“家”は片手で数えられる数だろう。それなのについ、その限られた経験が絶対だと思いこんでしまう。だけどこの本に挙げられた事例や対処法は「はー、そうゆうのもあるのか」と興味深かったし、読んでちょっと視界が広がった気がする。
【人間は基本的に驚くほど現状維持と排他的傾向へのこだわりが強く、状況の変化を望むよりは、けっきょくは「今のまま」を選びたがり、多少の不幸には平気で甘んじてしまうものである。】−春日武彦『病んだ家族、散乱した室内』より−
上の文章は“病んだ家族”でなくても言えるコトだ。私にも。現状を不幸だとは思ってないけど、「まあ、これでイイか」と思ってしまう時はある。だけどそれはやっぱりツマラナイと思う。「あれもない、これもない」と現状に不満を並べて、「こうすれば私はもっと幸せになれる」と未来ばかりを夢に描くような人生は願い下げだけど、現状を楽しみつつ新しいコトに興味を持って、常に変化していくってのはアリだと思うし、楽しそうだ。その変化が他人からは分からないようなものでも。そうやっていけば、失敗ももちろんあるだろう。でも飽きなくてイイんじゃないかなーと、脳天気に思っている。
くすん。少なくとも8月いっぱい、ダイビングが出来なくなってしまいました。ドクターストップがかかってしまったのです。今年中にログを20本まで増やすぞー、プールで苦手なテクをマスターするぞー、ダイコンも買っちゃうぞー、写真も撮るぞー、と盛り上がっていただけにショック。理由は、こないだ潜ったときに耳抜きが上手くいかず、鼓膜を痛めたからです。何かちょっと変かな?と思って医者に診てもらったら、この始末。今年は体が微妙に不調な年なんでしょうか。(←年くったら悪くなるだけ、なんて言わないように。)
あまり海に行く習慣がない方には、1ヶ月潜れないくらい何だって感じなんでしょうね。でもでも…私の人生キリギリス人生なんだもの! 夏は海なんだもの! 海に行ったら潜りたいんだもの! 下手くそで年に数本しか潜らないへなちょこでも、好きなのよぅ! これじゃ日焼け競争に負けちゃうよぅ! …と動揺しまくって病院を出てすぐダイビング仲間に「ドクターストップがかかった。ショック!」とだけ携帯からメールしました。そしたら以前、体の不具合を訴えていただけに「さてはスゴイ病気で、一生潜れなくなったのか」と余計な心配をかけてしまい、焦って釈明メールを書く羽目に。ひーん、申し訳ない。
てなワケで、金曜日に芝居を見に行った帰りに友人宅になだれ込み、そのまま居続け。ご馳走してもらって明け方まで喋って昼まで寝こけPS2の「SPACE CHANNEL 5 Part2」で歌ったり踊ったりしながら遊びました。女のコは色っぽいし、悪役の手下は可愛いし、シャドー様の腰つきは堪らんしで、たいへん私好みのゲームでございます。あの振り付けはイイよ! …と、こうやって、しばらく大人しくしてるしかなさそうです。ああ予定が狂いまくりだよチクショウ。
読み終わってから少し時間が経ってしまったんだけど、町井登志夫さんの『今池電波聖ゴミマリア』の感想。後書きによると『バトル・ロワイアル』に触発されて書いた物語らしいけど、私はこっちの方が楽しめた。『バトル〜』の方は、子供達に殺し合いをさせる必然性がまず理解できなくて、冒頭から物語に入れなかったのだ。こちらは少子化が進み、子供達が大事にされすぎて無軌道になって、老人は増えるわゴミは収拾つかなくなってるわ、もう日本半分死んでる…って近未来設定。私はちょうど物語世界の老人の世代だな。ホームレスになって子供達に面白半分に狩られてる。
ただ、物語に書かれているコト以外(例えば田舎はどうなってるのか、とか、外国はどうなってるのか、とか、外交なんて成立してるのか、とか)を考えない限り、設定はある程度受け入れられるんだけど、主要人物たちの行動はさっぱり分からない。白石がナゼあそこまでマリアに執着したのか、聖畝はどうしてマリアを友達のポジションに置いたのか、真紀はなんであの謎にこだわるのか、それで答えを知ってなんで絶望しちゃうのか、etc.etc.
あと若者たちの話し言葉も笑える。なんかリアリティのない造語がポンポン出てくるのはまだいいとしても、その割にそれ以外の言葉遣いは崩れてないし、敬語もしっかり使えたりする。老人が「わしは○○だの」って、ゲームじゃないんだからさー。学校を牛耳ろうとする滝川の、残虐な知性派ってキャラは上手く書いてくれれば私のツボなのに、何か大仰な言葉遣いからしてバカっぽいし。それに政府が守ろうとしてる謎が大した問題じゃない気がするんだよねぇ。あんなに一生懸命隠すコトかしら。
…と、結局「一読でいいや」レベルの読後感だったんだけど、この本がきっかけで少子化問題についてはちょっと考えた。てか、今まで思ってたコトを書こうと思った。ここからは上記の物語とは何ら関係のない話だ。私、ひょっとすると大事な情報がすっぽり抜けてるのかもしれないんだけど、少子化がなんでそんなに問題なのか今イチよく分からないんだよねー。この物語にしろ、他の現実の記事にしろ、どうも「自分達が年くったときに養ってくれる人がいないと困る」と言ってるようにしか思えないんだけど。「子供なしで老後はどうするの?」ってマジな顔で(たぶん善意で)心配してくるおばさんの台詞と通じるモノを感じる。
先進国の子供が減ってるって言っても、地球規模で言ったら、もう支えきれないくらい増えてるワケだし。日本で考えても、今いる老人の数を減らさないで昔と同じような人口ピラミッド作ろうとしたら、かーなり人口が増えるでしょ? それだけ増えても大丈夫なの? あのピラミッドって、老人がどんどん死んでくれないと成り立たないものじゃない。自分がそのうち老人になるコトは知ってる。それでも危機感を覚えられないんだよなー。楽隠居はしたいけど「若い人に養ってもらいたい」ってのとは違う。これ考えるたびに、ヴェルマ・ウォーリスの『ふたりの老女』を思い出す。
『ふたりの老女』=アラスカ・インディアンの伝説。ある部族が食糧難に陥り、労働力にならない老女2人を置き去りにする。老女達は棄てられたコトで一念発起。自力で狩りをはじめ、ずーっと昔に訪れた居住地を目指す。そこに辿りつき、食糧を蓄えはじめた頃、彼女らを棄てた部族が這々の体でやってくる。老女らは彼らに食糧を与え、救いの手を差しのべる。…って話。彼女らが一念発起したときの台詞が印象的。「私たちは、今まで若い人を養ってきたのだから、もう世話になってもイイだろう…と思ってしまった。これじゃ棄てられて当然。私たちはまだ体が動く。まだ働ける。」(←うろ覚え)
別に今の老人が甘えてるなんて言う気はない。元気な人は元気だもん。私もそうやって、気力を無くさないでやって行きたいな、と思う。体が動くうちは、自分の力で立っていたい。動かなくなって、誰も助けてくれる人がいなかったら……、まあそんときはそんときで仕方ないや。
検査の結果がやっと出たので一応報告。悪性の細胞は見つからなかった由。ホッとする。ただまだ正常値ではないので「しばらく経っても治らなかったらまた来てください」とのコト。了解。「でも2ヶ月くらいじゃ検査結果に変化は出ないと思うので、半年以上経ってから来てください」。………。ずいぶんとのんびりしているなー。まあそう言うのなら、そうしましょう。先生、あなたを信じるわ!(←自覚できる症状がなくなったので、すっかり「喉元過ぎれば…」の心境。)
さーて、やっと海の話。先週金曜日から3日間、伊豆に行ってきました。ほぼ予定通りに遊んだんですが、土曜に行ったダイビングがなかなか大変でした。台風の影響がまだ海に残っていて東伊豆の透明度が悪いというコトで、まず行き先が西伊豆の井田に変更に。井田は去年9月に潜ったところです。あのキレイな海は忘れられません。聞けば金曜日には透明度が20mもあったとか。こりゃ行かねばなりますまい。ショップの車に乗り込み、一路西へと向かいます。天気は快晴です。期待は膨らみます。ところが…!
1日で状況は変わり、西伊豆も濁っていました。透明度は2-3m。西伊豆の海はすとんと深くなっているので、先が見えないとかなり怖いです。おまけに今年初のダイブで器材の操作も覚束ない、波が高くて翻弄される、潜降には失敗…と、あわあわしちゃう要素がたっぷり。20mくらいで冷たい層に入って、そこまで潜ると静かで落ち着けたのですが、海面に近くなるとうねりが入ってかなり揺れます。仲間の1人は波酔いにかかってしまったくらい。それでも魚はたくさんいたし、毎度最高の海を期待するワケにもいきません。私ら、今まで恵まれすぎてたくらいだし。終わってみれば、これもいい経験だったと思えます。こうやって人は成長していくのさ。
今回ヒットだったのは、ガイドをお願いしたダイビングショップ。去年のショップは今イチだったので違う店にしたのですが、これが親切で感じがいい。私らまだまだ初心者なんですが、前のショップのときは初心者でいるのが申し訳ないような気分にさせられました。今回は講習みたいに親切に教えてくれるし、ちゃんと細かいコトまで情報を伝えてくれて、不安を消すようにしてくれます。いろいろ手間をかけさせてしまったのにイヤな顔一つせず、むしろ向こうが「キレイな海見せてあげられなくてゴメンね」と恐縮してるし。海の状態が悪かったのはショップのせいじゃないのに。
各地に基点となるショップが欲しいねーと言ってたので、今回の店に出会えたのが嬉しかった。伊豆ではまたお願いするつもり。やっぱ9月頃の方が海が落ち着いているそうなので、その頃も一度行ってみたいです。今度こそ東側に潜れたらいいな。それにしても、年に10本も潜らないへっぽこのクセして、いろんなグッズが欲しくなるのは困りもの。2万迄なら即買いする!と言ってたダイコンが23,800円ってので、迷ってるんだけど…。うーんうーん。ダイビングって結構お金がかかります。ホントに欲しいデザインのは5万以上するので手が出ません。
ところで、私的に今回一番大変だったのは、透明度の悪さでも波でもありませんでした。潜水時間でした。今までのダイブってほとんど30分前後だったんですよ。それが今回の2回目は、平均水深が浅かったせいもあり、今までで最長の52分! あとちょっとがんばれば1時間です。うひゃぁ。…何が大変なんだ、長く楽しめりゃいいだろ?と思うでしょうが、罠がありました。残留窒素の問題は置いといても(←置いちゃいけません)、長く潜っていると当然体が冷えるのです。そして体が冷えると…トイレに行きたくなるのです。「トイレに行きたい」と思ったのは、30分を超えた頃だったでしょうか…。
最初はガマンできると思いました。が、時間が経つにつれ尿意はますます募るばかりです。「ベテランダイバーはそ知らぬ顔でしちゃうらしい…」。私の脳裏にこの考えが浮かぶのは、必然でした。海は広いです。しても平気かも知れません。…が、私の着ているウェットはその日が初デビューでした。どうせ汚れるものにしろ、初日から、しかもそんな汚し方をしてもいいものでしょうか。更に周囲にはガイドや友人が泳いでいるのです。いくら何でも申し訳ない気がします。更に更に、トイレは然るべき場所で然るべき体勢でするという、長年の習性はそう簡単に変えられません。いきなり泳ぎながらやれと言われても出るもんじゃありません(←やろうとしたらしい)。だんだん他のコトは考えられなくなってきました。
どんな魚を見ても「それより私ゃトイレに行きたいんだよー」としか考えられません。清水玲子さんの『ナマケモノのスキューバダイビング』に、プール講習のときトイレに行きたくなって困ったって話がありましたが、正にそれです。ちなみに私も清水さんと同じく小学生のとき、先生に「トイレに行きたい」と言えなくて、授業中にもらしちゃった経験があったりなかったり。まあ過去は置いておいても、今度はそう簡単に帰れない海の底です。私は必死でガマンしました。ガイドが少しずつ深度を上げていきます。ああもうすぐエキジットだ。そしたらトイレに行ける。そう思った頃、バディの様子がおかしくなりました。どうやらまた波に酔ってしまったようです。私たちの組は、予定より少し沖で浮上しました。
そこから海面移動で足の立つところまで戻り、レギュを外した私の口から出たのは酔った友人を気遣う言葉ではなく、「トイレに行きたいんです!行ってもいいですか!」でした。もろ小学生に戻ってます。おまけにフラフラしてる友人を放り出して、1人でさっさと上がっちゃうし。助け合いの精神も何もあったもんじゃありません。その時私の頭に「1人しか助からないような状況の場合、もう1人を見捨てても罪にはならない」という考えが浮かんでいたかどうかは内緒です。…あ、一応間に合いました。体に張り付くウェットを引き千切りたくなりましたけど。いろんな意味で、まだまだ鍛錬が必要なようです。
ログのDive No.9とNo.10に写真をUPしてみました。去年のCairnsの写真。インスタントで撮ったので暗いですが、よろしければご覧ください。…カメラも欲しいんだよなぁ。
海の話はまた明日。もったいぶってるワケじゃないんですが、こんなもの作ってたら時間がなくなりました。今は自分のための記録でしかないですけど、これからはコメント増やしたり、写真を入れたりして、見て楽しめるコーナーにしたいです。ああダイコン欲しーっ!
『ER VI』の第13〜14話の放送が中止になったそうだ。この回は6/27の日記に書いている通り、見ていてつらいエピソードだったけど、役者の演技といい、それぞれの登場人物の見せる顔といい、グッとくるシーンも多くて、私はNHK総合でもう一度見るつもりだった。DVDで見たときは字幕だったけど吹替えだとどうだろう、と楽しみにしていたのだ。字幕の方が雰囲気あるが、緊迫した場面で大勢が同時に喋るようなところは吹替えの方がいいから。それなのに…!
だいたい理由がばかげてる。確かに事件を起こしたのは精神に障害のある患者だ。それが病気に対する誤解や偏見を助長する? 何言ってるんだ。『ER』を見てきた人で、あのエピソードに対してそんな感想を抱く人がいるのか? …いや、いるかもしれない。それは否定しない。もともとそう思っている人、思いたい人は「やっぱりね」と言うかも知れない。何を見ても突飛な感想抱く人はいるんだし。だけどそれなら、なぜあの2話だけを放送中止にするの? 『ER』なんか差別や偏見や誤解を助長させかねないエピソードばっかりじゃん! 粗暴で英語も喋れないヒスパニック系は? 貧しくて汚らしい黒人ホームレスは? 児童虐待に走る母親もいたよね、やっぱり心の病気で。ボケて暴力的になる老人は? エイズになる同性愛者は? 有色人種に対する偏見をあからさまに口にするレイシストは?
あの2話を放送できないっていうんなら、最初っから『ER』なんか放送しなけりゃいい。差別も偏見もなくて、苦しいコトも悲しいコトもない、おきれいな夢の世界だけを描いたドラマを放送すりゃいい。以前書いたように、容赦のない現実っぷりが『ER』の魅力なのだ。現実に精神に障害のある人が事件を起こすコトもあるんだし、↑に挙げた例にしても現実に存在しているものばかりだ。もし『ER』に出てくる精神障害者が全員凶暴で危険だというなら、そりゃ問題だろう。だけど今までに精神障害をもつ患者はたくさん出てきたし、そのほとんどは他人に害を与えようなどとしない人たちだった。事件を「ない」ものにして放送中止にして、何の益があると言うのだろう。目をつぶって見ないようにして、差別される人を「存在しないもの」として扱うことの方が、よほど誤解や偏見を助長させる。正しい情報を、いいコトも悪いコトもひっくるめて提示し、何が問題でどのように対処すればいいのか、その知識を身につけるコトこそ、変な誤解をなくす基本じゃないんだろうか。
…週末の海ばなしを書くつもりだったのに、むかっ腹が立ったもので…。しかも最後は『ER』の話からズレてるし! はあ。海の話はまた明日にでも。台風通過後の海で、これまた大変だったのです。
明日は会社を休んで海に行きます。2泊3日です。以前ちらっと書いた体の不具合も収まってきたので、海を楽しむ気満々です。金曜は普通に海で遊び、土曜はダイビングを2本やります。少ーし天気予報が悪くなっているのが気になります。でも晴れさえしたら今年初のダイビングになるので、ドキドキ。去年の11月以来だから、8ヶ月ぶりなのです。ブランクダイバーもいいところです。冬に作って以来、ずっと押し入れで悲しくぶら下がっていたフルオーダーのウェットスーツ(ウルトラマンカラー)を、やっとデビューさせてあげられます。目立つだろうなー。無事ダイビングが終了したら、美味しい魚を食ってお酒をたくさん飲んで騒いで、日曜はプールと温泉に行って帰ってくるでしょう。ですから、ココは月曜日まで更新できません。わははー。皆さんもステキな週末を!
ドロ沼劇場に、「清水玲子さん」を追加しました。
望みどおりの艱難辛苦の果て、開通しましたよADSL。いや艱難辛苦と言うのは嘘ですが、なんでパソコン関係のマニュアルってああも読みにくいモノばかりなのでしょう。今まで散々言われてきてるのに。私は自分のコトを「良心的な素人」と思っているんです。全然詳しくないし、アルファベットの羅列を見ても何の略だかサッパリだし、覚えられないし、だけどその代わりに、書かれている手順や「よくある質問」なんかはちゃんと読む方です。つまり私がすんなり出来るなら、その手順は分かりやすいトコロに書いてあるんだろうから、たいていの人も出来るだろうってコトです。業者は私を使ってマニュアルのチェックをすればイイと思います。玄人は素人がドコで引っかかるか分かんないそうですから。
手順は簡単そうでした。空きスロットにLANボードを組み込むのはドキドキしましたけど(自宅で本体のカバー外したの初めて)なんとか無事に終わりましたし、モデムも点灯すべきトコロはちゃんと点灯していました。あとは指定されたURLを打ち込んで…。………。…あの、ネットに接続しようとすると、自動的に「ダイヤルアップ接続」が起動しちゃうのは…どうしたらイイんでしょう。どっかの設定を変えなきゃいけないんだろうけど、どこで変えるの? んで何でそれは手順に書いてないの?
モデムについてきた説明書には書いてありません。初めてインターネットに接続したとき以来しまいこんでいた、初期設定のためのマニュアルを引っ張り出してきても、わかりません。私は予測どおり途方に暮れました。たっぷり30分は暮れました。しまいには「なんで? あなたにはもう電話線、繋がってないでしょ? あなたに刺さってるのはLANケーブルでしょ? なのにどうして意固地にダイヤルアップをしようとするの?」とかき口説いてみましたが、相手は同情心の欠片もない箱でした。あまりの冷たい仕打ちに、私は涙を流して耐えるしかありませんでした。一部脚色アリ。
結局ね、インターネットオプションの接続タブで「ダイヤルしない」にチェックを入れろってだけ話だったんですけど……なんでコレが説明書の最後にある「トラブルシューティング」の項に書いてあるの!? これって一般的な手順に入れておくべきなんじゃないの? 私みたいにダイヤルアップ接続から切り替える人で、同じ罠にハマる人は多いんじゃないの? そんな過去に1回いじったかどうかって項目なんか、覚えてないのが当たり前だと思うんだけど…他の人はすぐ分かるの? 私がバカなの? そうなのね! きーっ!
…と無駄にエキサイトしながらも、それさえ分かれば後はトラブルもなく…。ただ、今まで時間を気にしながら接続していたので、常時接続ってのに慣れません。「つ、繋いだままでいいの? 繋いだままメール書いちゃっていいの?」とドキドキしながら接続してます。早く慣れなきゃなぁ。でへでへ。(←結局嬉しいらしい)
本日から我が家もADSLで接続できるようになるハズだったのですが………やっぱ予測どおり、失敗しました。でも失敗の理由が予測通りでありませんでした。私の予測では接続の設定なんて全然ワケがわからなくて、何が悪いんだかどこが失敗なんだかサッパリで、何よー何が悪いってのよーと呻いても状況は変わらず、マニュアル本をひっくり返したりmyパソコン師匠に電話で泣きついたりして、艱難辛苦の果てにやっと明日あたり接続に成功するハズだったのです。だけど事実は小説より奇なり。実際の失敗の理由は付属の電話線が短すぎたとゆう、あまりにも明らかな、単純なモノでしかなかったのです。モデムを置きたかった場所まで届きませんでした。
……まったく、先に言ってよね! ウチはモジュラージャックとパソコンの距離が離れてるんだから! その辺わかりやすく書いておいてくれないから、短すぎるLANケーブル買っちゃったじゃないのさ!(逆ギレ) ふん。明日こそリベンジしてやる!…って明日ホントに艱難辛苦が待ちかまえてたらヤだなぁ。
数年前の夏の話。とある事情で見ず知らずのおばあさんに食事を持っていく約束をした(←こう書くと赤頭巾ちゃんみたいだ)。お弁当を買って冷蔵庫に入れてくる・○○をまだ食べていないようだったら捨てておく、などやるコトは大した手間ではなかったのだけど、「顔見知りのフリをしてくれ」という注文がよくわからなかった。「知らない人だと分かると不安がってしまうから、いかにもいつも来てますよって感じで挨拶してくれればイイから」と言われてもサッパリ事情が掴めず、「要するに少しボケている人なんだろう」と見当はついたものの、それにどう対処していいのか、私の方が不安だった。
会社帰りにお弁当を買って、教えられた住所の家に向かった。その一軒家は住宅街の、少し分かりにくい場所にあったので、もともと方向音痴の私は散々迷った。やっと家を見つけたときには、あたりはすっかり暗くなっていた。その家は古い日本家屋で、玄関を開けると廊下が伸びていて、その先に台所があった。「こんばんはー」と声をかけてみたが返事はない。薄暗い廊下は怖かったのだけど、とりあえず台所に行かなくちゃと思い、小さな声で「お邪魔します」と挨拶して靴を脱いだ。台所と、廊下を挟んで反対側の部屋には明かりがついていた。その部屋で、おばあさんがテレビを見ていた。
もう一度「こんばんは」と声を掛けてみた。彼女はちらりとこちらを見たが、何も言わずにまたテレビに視線を戻してしまった。情けないけど、次に何を言えばいいのか分からなかった。仕方なく台所に入って、持ってきたお弁当を冷蔵庫に入れる。まだ残っていたら捨てちゃってくれと頼まれた食品があったので、それを流しの三角コーナーに捨てる。捨てた途端、三角コーナーの下からゴキブリが出てきて、流しを横切って消えた。私は息を呑んで固まった。しばらく動けなかった。もう泣き出しそうになっていた。
その時いきなり、おばあさんが立ち上がって部屋の雨戸を閉め始めた。知らない人間がいると、何となく気付いたんじゃないかと思う。そしてその知らない人間が台所で何やらゴソゴソやっているのに不安を覚えて、戸締りをし始めたんじゃないかと思う。私は無性に怖くなった。早く出ないと全部戸締りをされて、出られなくなっちゃう気がした。バカみたいだけど、ホントにそう思った。私は慌てて残りの用事を片付け、挨拶もそこそこにその家を飛び出た。玄関を出た途端に、ホッとして、同時にナゼかすごく悲しくなった。おばあさんは最後まで一言も喋らなかった。
その家にはそれ以来行っていない。なのに蒸し暑い夏の夕方に時々ふいに、その時の気持ちをめちゃくちゃリアルに思い出して、悲しいような情けないような、そんな気分に襲われる。
八重子さんのレビューを読んで「これは是非見なくっちゃ」と思った『八甲田山』を借りてくる。まずは原作、新田次郎さんの『八甲田山死の彷徨』を読み夢中になったので、次は映画だ!と、いつも行く近所のTSUTAYAへ。…無い。近所の小さなレンタルビデオ屋へ。…無い。どーしても今日見たいのに何で邪魔するのっとムキになって、一度帰宅してたにも関わらず渋谷のTSUTAYAへ。ビデオを借りるためだけに。あった。同じTSUTAYAなのに、店舗ごとに入会金を取られるのがムカつくが、それでも借りられたので満足。
もともと、八甲田山での雪中行軍で多数の犠牲者をだした事件が昔あった、程度の知識しかなく、正確な年代も事件に関わる人々も事件の背景も経過も知るのは初めて。反対方向から八甲田山に入った、徳島大尉(高倉健)率いる弘前歩兵第31連隊は踏破に成功したというのも、神田大尉(北大路欣也)率いる(しかし指揮権はのちに山田少佐(三國連太郎)に奪われる)中隊210人中の199人が亡くなったというのも、初めて知った。とにかく怖い。何十年も山に住んで雪の恐ろしさを知り尽くしている民間人たちが「止めろ」と言うのに、「不可能を可能にするのが日本軍だ」と精神論だけで雪山に踏み込んでいく軍人たち。ばかー!と思うんだけど、その中で不安を覚えながらも上官の命令に従わざるを得ない人たちが、不憫だ。最初は雪の中で転げまわって遊んでいた彼らが、次第に表情をなくして、ただ黙々と歩いている姿が怖くてツライ。
八重子さんのレビューを読んでいるといつも、彼女と私では映像から受け取る情報量にすごい差があるんじゃないかと思うんだけど、今回もそう。映画の方だけを見ていたら、いろんな情報を受け損ねて、それほどいいと思えなかったかもしれない。原作を先に読むコトでその辺がカバーできるので、私には原作から映画って流れが良かった。一番違ったのは、徳島大尉の民間人に対するイヤな部分が映画では描かれていなかったコト。案内人としてさわという女性が出てくるのだが、映画の方では最後までさわを隊の先頭にたて、別れ際には「案内人どのに、かしら〜右!」の号令。じーんとくる、いいシーンだった。が、原作では目的地に近づくと案内役の民間人は最後尾に下げられるのだ。さわの「もう用はねえってわけかね」の台詞は印象的。
他の案内人でも増沢から田茂木野までを案内した7人なんか、一番ひどい貧乏くじを引いたんじゃないだろか。原作の扱いは(そちらが事実に近いんだろうけど)あまりにあまり。命を賭けて案内をしたのに、報酬ははした金でその上脅されて、長い間怯えて暮らしたらしい。ひど過ぎる。他にも民間人が宿を用意して軍人をもてなすのが当然、とか、雪山で何人が犠牲になろうと山田少佐だけは助けようとする、とか、時代を感じるトコロも多い。ああ、あと八甲田山を越えてやってきた弘前歩兵第31連隊を見た不寝番の兵士が、それを遭難した青森歩兵第5連隊の幽霊だと勘違いして「出た! 出たであります!」という、その台詞が妙におかしかったです。演技はしてたけど、台詞が映画には入れられてなかったのは残念。
映画の方で印象的なのは、夜、円陣を組んで立っている兵隊たちの映像。背中にも頭にも雪が積もっていて、人間の集団には見えない。まるで奇妙な形をした大岩のようだ。それが寒さに晒されている外側から、岩が1枚1枚はがれるように、ゆっくりと崩れていく。これが何かリアルで、怖かった。それに1人が倒れるとつられるようにして次々と回りの人間が倒れていくところも。悲鳴をあげて滑り落ちてゆく映像も怖かったけど、ただ静かに倒れこんで二度と起き上がらない人たちの描写にも震えがくる。青森歩兵第5連隊の出発の場面で、兵隊達の誇らしげな様子とバックの音楽の不吉な感じのチグハグさが先を予感させてよかった。あと結末を知っているので、徳島大尉と神田大尉が「次は雪の八甲田山のどこかで」と再開を約束して別れる場面が悲しい。
やーでも古い日本映画ってほとんど見ないので、頬のすっきりした北大路欣也ってのがビックリでしたよ。生真面目な役がよく似合って。秋吉久美子も可愛いかったんだねぇ。2人とも若い! 健さんはあんまり変わった感じがしないのに。
■これまた何で読む気になったんだか忘れた小野不由美さんの『悪夢の棲む家』読了。小野さんは『屍鬼』しか知らなかったので、図書館で「いかにもライトノベル!」なイラストのついた文庫本を差し出されたときは驚いた。内容もモロ…。ライトノベルでも面白いものはあるのに、イヤ、だからこそ、あの「軽けりゃイイだろ〜」ってノリには付いてけない。怖いシーンは怖いし一気に読んじゃったけど、なんせ主役達のキャラクターがなぁ。公共の場所で「何とかだにゃー」と言う成人男子はイヤだ。女子でも。複数の人からオススメされてる『十二国記』シリーズ、どうすべ、と考え中。
■私みたいに病院慣れしてない人間は、その一方で病院に過度の期待を抱いていて、行きさえすれば一発で「原因はこれです」と教えてもらえると思い込んでいたりする。治る治らないはともかくとしても、とりあえず状況はわかるだろう、と。やっぱり根強い病院不信を患っているという新井素子さんのエッセイに「夏中ずっと原因不明の微熱が続いていたので、病院大好き人間の旦那に説得されて病院に足を運んだら、検査につぐ検査でもサッパリ原因がわからなかった。なのに夏が終わってクーラーを使わなくなったら熱はキレイに下がった。つまり結局、冷房病だった。あの検査は何だったの〜っ」ってのがあったけど、タマに行った病院がそんなでますます不信感を募らせて遠ざかるってのはよくわかる。つまり、私の不具合の原因もわからなかった。2週間後の検査結果待ち。
■ああ、でもご心配なく。元気です。えーっとね、私がパソコンだとするなら、動作には何の問題もなくフリーズが多いなんてコトもなく、正常に動いてます。ただどこかからキーキーと変な音が聞こえてきて、放っておいちゃダメだろうなーと思ってるって感じ。とりあえず「心配しなくていいです」と言われたし。…検査結果でるまでの期間限定「心配しなくていい」だけど。まあ正常に動いて、いつもどおり飲んだり食べたり文章書いたりしてますんで。私は車にぶつかりそうになっただけで、交通事故から葬式にいたるまでの詳細をぱぱぱぱーっと想像しちゃう妄想人間なのです。
■ビデオで『キャスト・アウェイ』を見る。最初の30分と最後の30分はいらないと思ってしまう私は、情緒欠陥人間だろうか。要するに遭難前と救助後なんだけど。調子にのって『グッドナイト・ムーン』も見る。泣かせ映画の王道で特にイイとは思わないけど、安心して見てられる。ジュリア・ロバーツの大きな口は私好みで可愛いし、何より私は娘が母親を(この場合は継母だけど)受け入れられるようになる過程の物語が好きなのだ。更に『ハンニバル』も借りてあるんだけど…。深夜まで一人&怖がりの私が借りるのは無謀であったかも…と思い始めている。いつ見れば一番怖くないだろか。
■ちょいと不具合があって病院に行かねばと思いつつ、どこの何科に行けばいいのかからまず分からない。「普通の病気のときって予約しないでいきなり行ってもいいの?」って、いい大人の質問じゃないよなー。でも健康診断を除けば何年も歯医者と接骨院にしか行ってないのだもの。軽い病院恐怖症かも。そのくせ妄想力だけは強くて些細なコトから悪い想像を膨らませがちなので最悪。…バレバレでしょうが微妙に不安なのです。ほとんど元気なのに。
さて。末上さんトコの過去ログを読んでいたら、1/20の日記に <「俺はお前を守る」とか言っちゃう俺様な男って具体的に何やるんだろ? 「彼女のかわりに俺を殺せ!」と叫ぶ……ところを妄想する……とか?> とあって、それで思い出したコトがある。かなり前、TVをつけたら恋愛企画モノの番組をやっていた。素人の初対面の男女2人に数日間で課題をクリアさせて、その過程で恋が生まれるかどうか運試し…みたいなヤツ。そのとき出ていた男女はたしか20代前半だったと思う。それで男の方がハッキリしない性格で行動力がなくて、女がそれにイライラし始めているようだった…と思う。かなり前なんでうろ覚え。
でもその後の展開は、あまりに面白かったのでクリアに覚えている。「あなたは何がしたいのか分からない。私を好きなのかどうかも分からない。私は引っ張ってくれるような人がイイから、あなたと恋愛はできないと思う」とキッパリ言われ、考え込む男子。そしてその夜、川の淵で2人が焚き火を囲んでいると(何の課題やらされてたんだろ?)、彼は思いつめたように口を開く。「君が言った事を考えたんだけど…オレは君が好きだ。たしかに今までのオレには行動力がなかったかも知れないけど、君のためなら何でもできる! 君のためなら、火の中だって水の中だっていける!」。そしてすっくと立ち上がり、川にじゃぶじゃぶ入っていき、淵の深いところに向かって泳ぎ始める男子20代前半。
うぷぷ。今思い出しても笑っちゃうな。「君のためなら火でも水でも」って言い出したときに、まさかやるんじゃないだろうなーと思ったら、ホントにやるんだもん。あんな番組どこまで本当か分からないけど、例え全部やらせにしろ、そうゆうシナリオを書くところがスゴい。しかも感動エピソードとして。思わず、「んで君が今水に入ったコトによって、彼女に何のメリットがあるの?」ってツッコんじゃいましたよ。「例え火の中水の中」って一人でやってちゃタダのばかじゃん。2人ともメロドラマ体質で2人の世界で燃え上がってるならともかく、もともと好意も持ってない人間にこんなコトされちゃ一気に醒めるね、はははー。
…なーんて笑っていたら、泳ぐ彼を見守る彼女の目には感動の涙が浮かんでいて、素で呆気に取られてしまったのでした。これって多数の人がその行動を「愛の証」だと認識できるハズ…と思ってなきゃ、これ放映されないよなーと思って。そうゆう共通基盤ってあるんだろうか? 私だったら、別に何の必然性もないのに「君のためだーっ!」とか言って、ばちゃばちゃ泳ぎ始められちゃ思いっきり冷たい目で見ちゃいそうだけどなー。それともあれは笑いドコロだったんだろうか…? うーん、あのときは笑ってたけど今考えると謎かも。
ところで、末上さんがキライだと書かれている「ソウルメイト」って言葉、ついこないだメールで使っちゃったので、ちょっとドッキリしました。ソウルメイト教への入信をススメたんじゃないから、別にドッキリしなくてもいいんだけど、でも。
金曜日は、3年ぶりに我がグループに配属された新入社員歓迎会を兼ねた飲み会に参加。20人以上の出席者のうち、女性は私だけという逆ハーレム状態(なんてイイもんじゃないけど)だったのに、いつもの如く自席から離れようともせずにずっしり腰を落ち着けて飲み続ける。手の届く範囲の人にお酒を注いであげるのは別にいいんだけど、遠い席の人までは知るかいっと思っていたら、入社歴の浅い男のコたちはせっせとお酌に励んでいた。ご苦労さまだなぁ。おまけに揃ってビール瓶を捧げ持ちつつやって来た新入社員2人に「影の部長と伺いました。お手柔らかにお願いします!」と言われた日にゃぁ…。いったい何を教えてるんだよぅ、教育担当!
周囲の人たちと合コンの話をしていたら、流れで「To-koさん相手じゃイヤだ」という意味のコトを言われる。思わずムッとしたのが目に出たのか、「いや、To-koさん自体に問題あるとかそういう意味じゃなくて、同じ会社だと発展性がないと言うかなんと言うか…」と見え透いた言い訳をするのがおかしい。こっちだって別に下心があるワケじゃないんだから、そこで終わっておきゃあいいモノを「あ、でもNさんだったら紹介して欲しいなぁ」と続けちゃあ、フォローも台無し。だってNさんも同じ会社同じ部署でグループが違うだけなんだもの。語るに落ちるとはこのコトだ。「何か私、すっげー失礼なコト言われてる気がするんですけど!」とちくちくツツきたくなるじゃないか。
日曜日は友人たちとの飲み会。当たり前だけど、そっちの方が断然楽しかった。これから夏が本番。まず最初はいつどこに行けるかなぁ。計画たてるのも楽しみだ。
本や誰かのサイトで感想を読んで、面白そうだなーと思った本は次々と「これから読む本リスト」に放り込んでいるのだが、最近このリストに重たそうな本ばかりがずらっと並んでいて困っている。死刑だ戦争だ復讐だ差別だと並べただけでズッシリ。気分もますます奥へ奥へ向かっている感じ。夏なのに。軽い話や明るい話も好きでリストアップしてるハズなのだが、なぜ気軽に読めそうな本が全然残ってないんだろう。そっちはさくさく読めちゃうからだろうか。まあマンガは読んでるんだけど。読んだだけでシアワセになれる小説読みたいなー。
さて。高校生の頃、祖母に戦争体験の話を聞いていたら「あの時代を知らない人間と、戦争の話はしたくない。何も知らないくせに批判するな!」と怒られたコトがあった。実際のやり取りまでは覚えていないので、私が気に障るような言い方をしたのかも知れない。けど、そのとき私が聞きたかったのは「その当時はどんな生活をしていて、何をして、何を思っていたか」ってコトで、批判するつもりはこれっぽっちもなかった。何も知らないから、教えて欲しかったのだ。例え何をしたにしろ、その当時の状況や心理状態をロクに知らない人間が、自分も同じ状況で何をするか何をできるか考えもせず、安易に責めていいものじゃないと思っていたし、今もそう思っている。
私が何回聞いてもよく理解できないのは(よく聞いてもいないけど)「戦争時の日本人の虐殺行為を認めるのは自虐的だ。そんなに自分達の祖先を悪者にしたいのか」って言い分で、私には自分の祖先のやったコトを認めるのが何で自虐になるのかサッパリだ。私も、私の祖先も弱さを持った人間で、人間である以上それは当たり前だし、責めるモノではないと思う。だから自分の弱いところを自覚し、それを利用されないよう、それにキチンと向き合えるようにしようとするコトの何が自虐なんだろう。「私は強い、私は何にも侵されない、負けたりしない」と信じて込み、実際に何かつらい事件にぶつかってその信念が揺らいだとき、それを認められずに責任を転嫁したりプライドを保つために虚勢を張ったりする態度ほど、愚かで恐ろしいものはない。
私の祖父は海を愛していて、生涯海に生きた人だった。何せ小学生の時に自作のいかだで瀬戸内海を横断したという逸話を持っていた人だ(ホントかどうか知らない)。戦争中も海軍に入った。彼が死んだあと、彼が書き溜めていた文章がでてきたのだけど、戦争について「戦争がいい事なのか悪い事なのかよく分からなかったけど、船にたくさん乗って、南の島をまわるのは楽しかった」みたいな(←うろ覚え。ゴメンおじいちゃん)コトが書かれていて、「ああ、何だかすごく正直だなー」と感心した。
戦争で大事な人を失ったり、その記憶に苦しめられている人にとっては、能天気な感想で腹が立つかもしれない。けど私は、こうゆう変に美化したりしてない正直な素直な感情を、もっともっと読みたいと思った。「楽しかった」って話だけじゃなくて「あれがイヤだった」とか、そうゆう話をもっと。この祖父はその他の面でもすごく好きだったので、私が大人の話をできるようになる前に死んでしまったのは、ホントに堪えた。きっと巷にも貴重な話ができる人はまだ何人も残っているだろう。「あの時代を知らない人に言いたくない」と封印するんじゃなくて、語れる人たちが口を開いていろいろ教えてくれればイイなー、とずっと思っている。
七夕の話題じゃないな、こりゃ。
最近大笑いした友人の一言。「To-koって足が長いよね。上から見るとつま先がまるで谷底にあるみたい」。………どんな浅い谷だよ、そりゃ!
なんか前にもちょっと書いたような気がするんだけど、「絶対」って苦手だ。私のように「絶対なんてこの世に存在しないし、もし絶対があるとすればそれは絶対なんて絶対ないってコト」と思っている人間にとって、「絶対正しい」信念を持っている人は怖い。私は、相手が私を含めた他人に迷惑をかけない限り、自分とかけ離れた考えを持っていようが何しようが全然かまわない。多少の考えのズレは面白かったり刺激になったりするし、好きでない考え方でも「ふーん、あなたはそう考えるの。じゃあ私とは相容れないからお互いに関りあわないようにしましょう」で済ませられる。
だけど「絶対の信念」を持っている人は、たいていそれで終わらせてくれない。「自分の考えが正しい→相手は間違っている→正しい道に導いてあげなければ!」とゆう信念を持って、私を説き伏せにかかるのだ。こっちは相手の考えを変えようなんて思ってないのに、向こうは変えようと思っているんだから、敵うハズがない。頼むから放っておいて欲しいのに。これは議論でも宗教でも同じ。一神教が苦手なのは、その神さまが「唯一絶対」だからだ。「まあ、そうゆう神さまもいてイイんじゃない?」と「自分の神が絶対。他の神は間違っている!」じゃ、一神教の普及するところ、土着の神々が消えていったのも頷ける。もったいないったら。
あ、でも一神教の神の言葉でも好きなのはある。キリスト教のマグダラのマリアのエピソードに出てくる「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」って言葉なんか大好きだし。他の神さまの教えはあんまり知らないけど、多くの人が信じてるんだから、きっといいコトも言ってるんだろうしさ。「汝の敵を愛せよ」ってのも、敵を自分の陣営に取り込めってコトじゃなくて、自分と立場の違う人間も許容しようって話だと思うんだけどね(文字通り「愛せ」ってなら私には無理だ)。「自分が正しい」なんて自分だけが信じてりゃいいのに、どうしてああ他人にまで認めさせたがるんだか、私にはサッパリわからない。
いったいどうして読みたくなったかも謎の、マイケル・バー=ゾウハーの『復讐者たち』読了。戦後姿を消し名前を変えて別の人生を始めた、あるいは親ナチの組織に匿われ安穏としているナチ戦犯たちを、個人的・組織的に追跡し法の裁きにかけたり密かに処刑したりして復讐を果たしたユダヤ人たちのドキュメント。面白かったとはいえないが、少なくともめちゃ考えるタネにはなった。
ユダヤ人である著者も、最後を「彼らのやったことが正しかったかどうか、私にはわからない」とまとめている。想像しようとはして見たが私も、歴史的な背景からして想定・想像できる範囲をはるかに超えていて、自分の身にひきつけてみるのは難しく、同じように「分からない」にしか行き着かなかった。ただ“処刑”ってのは事情を考慮してもやはり受け入れがたい。そして、何より気になったのは、“復讐者たち”が例外なく「国家のための歴史的な使命を託されたと感じており、民族全体の代表者であると信じている」と書かれていた点だった。
なぜなら、もしいつか何かの事件があって、私が復讐をしなくてはいけないと決意するようなコトがあったら、それは完璧に個人的な動機に基づいたものであるだろうし、私怨によるものであろうという点だけは、想像できるからだ。例えその事件が世間の耳目を集める大事件で、日本人のほとんどが、行動に移さないまでもその犯人を「死ねばいい」と思っていたとしても、私の怒りっていうのは最初から最後まで個人的なものだし、それを“民族の怒り”や“絶対の正義”に置き換えるのは、非常に危うく、恐ろしく思える。
著者は“復讐者たち”の行為をなるべく客観的に見ようとはしているようだ。しかし、やはり“復讐者たち”に強いシンパシーを感じているのは、あちらこちらから読み取れる。「復讐者全員が正義を愛する高潔な男達だった」という文もあるし、ナチスドイツが何百万人ものユダヤ人を虐殺したのに、ユダヤ人による復讐では千〜二千の処刑しか行われていない理由を「あまりにも残酷な試練をなめたかれらは、古くからの“眼には眼を、歯には歯を”という教えを断固として拒絶する深い人間愛と高度の文化的洗練の域に達したのである」としている。これに関しては、私はハッキリ違うと思う。いやユダヤ人の知り合いは一人もいないし、別にユダヤ人が優しくないというつもりもない。ただ、これを裏返せば(著者はそう書いてはいないけど)「ドイツ人は倫理観が充分に発達していないから、ああいう事態を受け入れ、協調してしまった」とならないだろうか?
本にも、戦後すぐドイツにやってきたユダヤ人たちの中には「ドイツ人を無差別に殺そう、家を焼き、ドイツ女を陵辱しよう」という意見もあったと述べられている。ただそちらが多数派を占めず、結果的に「規律ある復讐」が行われた点をもって、前述の文章が出てくるのだ。でも私は、これはたまたまそうなっただけだと思う。…たまたま、ってのは違うかな。要するに、流れというか、勢いというか、そういうのの方向がそっちに向いていなかっただけの話だと。別にユダヤ人が文化的に優れていて、ドイツ人の心が弱かったから、ああいう結果になったのではなくて、もしちょっと時代が違ったら、なにかたった一つの要素が違ったら、どちらも逆の立場に立ち得たと。
国民性ってのはあるかも知れないけど、人間の強さも弱さも、どこの国でもそう変わるものではないと、私は信じる。育った環境にはもちろん影響されるだろうけど、その影響がどう出るかってのも個人差があるだろうし。何事もないときは穏やかな、人を害しようなどと思ったことのない人でも、状況によっては人を傷つけ、殺すかもしれない。最初はイヤでもその感覚は麻痺しちゃうかもしれないし、場合によっては楽しむかもしれない。もちろん「人間」ってのには私も含まれる。が、なるべくそうゆう試練には遭いたくないので、どうしたらそっちに流されずに済むのか、どこで間違うとそうなってしまうのか、同じ状況にあって流されてしまう人と強くあれる人とはどこが違うのか。もっともっと知識が欲しい。いろんな立場の人の話が聞きたい。…と、この本を読んで強く思いました。
ああ。私ってこうゆう重たい話書くの、ツクヅク下手だよなぁ。ちっともまとまらないや、すいません。あと、あまり本題とは関係ないんだけど「目には目を、歯には歯を」ってもともと復讐の制限を定めたもんなんじゃなかったっけ。「目を潰されたら、相手の目を潰し返せ!」って意味じゃなく、「目を潰されたとき、やっていいのは相手の目を潰すところまで。目を害されだけなのに命まで取ってはいけません」って意味だと聞いた覚えがあるんだけど…。
ちょっと遅めの誕生日プレゼントで、妹がアカスリエステに連れていってくれた。「毎日お風呂に入っていても恥ずかしいくらいボロボロ出るよ〜」と聞いて覚悟はしていったんだけど、その予想を上回る出っぷりでホントに恥ずかしくなった。文字通り一皮剥けたかも。でももっと恥ずかしかったのは、アカスリ&マッサージをしてくれる店員さんの恰好が黒いレースのブラとショーツだけだったコト。キレイなお姉さんも黒い下着姿、かなりふくよかなおばさんも黒い下着姿…。看板に“女性専用”とハッキリ謳ってなくて、他の客が全員女性じゃなかったら、何か大変な根本的間違いをしでかしたのかと思うところだ。…それさえなけりゃ、大変気持ちよかったです。肌もすべすべ。
その後、上京していた母と合流して外食し、家に戻ってワールドカップの決勝戦を見る。母親が「審判の中に『少佐』(←青池保子さんの『エロイカより愛をこめて』のコト)に出てくる悪役みたいな顔の人がいるでしょ。ハゲてて目がギョロッとしてて」と言うので、「そんな人いたっけ?」と首をひねっていたら、TVに移った主審の顔を見た母が「これこれ! この人! 悪役みたいでしょ!」と声をあげる。「…少佐の悪役とゆうより、私にはノスフェラトゥに見えるよ」と私が言ったので、我が家での彼の呼び名はノスフェラトゥに決定。母娘揃って外道である。試合中も彼が映るたびに「あ、ノスフェラトゥが走ってる!」「ぎゃーっノスフェラトゥが笑ってる! 君は笑っちゃダメだ!」(しかし意外に笑顔は可愛い)と騒ぎながら、大変間違ったサッカー観戦。
それでも何気にカーンを応援していたので、結果は残念だった。いやロナウドも可愛いんだけど、やっぱり私は大人の男の方が…(何か違う)。あの「確かにロナウドはいい選手だけど、世界一になるには私を倒さなくてはいけないよ」って言葉にやられましたもん。33歳で初めてのワールドカップで、4年後はかなりキツいだろうなーと思うと切ない。次はドイツ大会なのに。ゴールポストに寄りかかっての憂い顔も絵になってたけど、彼の笑顔が見たかったなぁ…と、ホントに残念。そうそう、残念といえばトルコが3位を決めた後の、イルハンの言葉を聞けなかったのも残念だったなぁ。4位の表彰しかTVでやってなかったから「あれ? 3位の表彰は日本でやるの? そのためだけにとんぼ返りかー、大変だなー」とか、のんびり思っていたのに。違ったのね。変なの。