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1992年のヨーロッパ旅行のときからずっと英語力をつけたかった私は、NZ滞在を語学学校から始めました。初めての海外旅行で知り合った親日家のNZ人が校長をしていて、とにかく“話す”のをメインに持ってきている学校でした。生徒は日本人とその他が半々くらい。これでも日本人比率は少ない方でした。所在地は北島の小さな町で、夏になると観光客で賑わうリゾート地です。午前中は教室内で勉強し、午後はアクティビティと称していろんな活動をしました。乗馬とか遊覧飛行とかビーチバレーとかボーンカービングとか。英語力はそう向上しなかったかもしれませんが、くそ度胸だけはつけられる学校でした。

1.男のコ女のコ

『海外では日本人女性はモテるが、日本人男性はアブレる』と聞く。一概には言えないことだ。国にもよるだろうし、モチロン個人の資質にもよるだろう。だが私の通っていた学校に限っていえば、これは本当だった。私たちは週末にはよく町のパブに集まって騒いだのだけれども、輪から離れてカウンターに陣取り日本の女の子を口説いているスイス人(ドイツ人の場合もアリ)がたいてい1人はいたのだった。その2人がある程度英語で意思を疎通できれば問題はないのだが、そうでない場合はちょっと大変で、時々通訳が呼ばれる。私も一度ヤヤコシイ会話に巻きこまれたことがある。

それは木曜日で、私たちは翌日卒業する生徒の送別会をやっていた。学校は週単位だったので、毎月曜日に誰かが入学してきて毎金曜日に誰かが卒業していった。その卒業する生徒の中に、ドイツから来ていたマークがいた。彼はたしか卒業するときも初中級クラスに在籍していた。見送る生徒の中にはエリコがいた。彼女は初級クラスから始め、そのちょっと前に初中級クラスにあがったばかりだった。要するに2人も英語がそう得意ではなかったのだ。どういう流れだったか忘れたが、マークは「エリコが好きだ」と言い始めた。冗談っぽい口調だったのでエリコを含め、最初はみんな笑っていた。が、マークは同じことを何度も何度も繰り返すので、だんだんエリコも当惑した表情になってきてしまった。

同じ席に私と、スイス人のニナもいた。私たちは最初面白がって「〜って言ってるよー。」とか英語で補助を入れていたのだが、あまりの言葉の通じなさに焦れたマークが正式に(?)私たち2人に通訳を頼んできた。つまりマーク→ニナ(ドイツ語)、ニナ→To-ko(英語)、To-ko→エリコ(日本語)という伝言ゲームのような形で会話が交わされることになったのだ。当然返答は逆ルートを辿る。気がつくと私とニナは「本気なの?」とか「私のどこが好きなの?」とか「卒業間近に言われても困る。もっと早く言って欲しかった」みたいな言葉を交わしていた。今考えるとずいぶん間抜けな立場だ。時間はかかったが、マークはかなり本気でエリコが好きで、エリコは急には返事できない、というお互いの立場がはっきりした時点で、私たちは手を引いた。この後、気がつくと2人はパブからいなくなっていた。

30分後に2人は戻ってきた。がんばって2人だけで話をしていたのだそうで、エリコの帰国後にマークが日本を訪ねる約束を交わしたらしい。一段落したようなので、私はエリコを連れて引き上げることにした。夜の町をぷらぷら歩きながら、なぜか私はエリコに責められた。私が無責任に面白がりすぎだと言うのである。どうもこの辺の感覚はよく分からない。私はエリコが好きだった。だから彼女がマークとなにかゴタゴタしているとでも言うのなら、愚痴も聞こうし慰めてもあげよう。だけどこの場合はまだ何も始まっていないのだから、エリコが決めるしかないではないか。そう思って「だって他人事だし」と言ったら、今度は冷たいと言われてしまった。そういうもんデスカ?

この学校で、私たちはノートをまわして、お互いにメッセージを書いたり自国での住所を教えあったりしていた。小中学卒業時にまわしたサイン帳と同じだ。次の日、私もマークに書きこみを頼んだ。エリコのノートには時間をかけて書いては直し書いては直ししていた彼が、私のノートには「エリコと僕の仲介をしてくれてありがとう」としか書いてくれなかったのを見たときには、さすがにバカバカしくなった。

去年、元クラスメート(スイス人)が入籍したとメールをくれた。相手は日本人で、私も仲良くしていた女の子だ。今は彼の国で暮らしているのだが、入籍前に日本に来たときは2人で会いに来てくれた。マークとエリコはどうなったんだろう、とふと思った。やっぱり他人事なんだけど、仲良くなっているのならちょっと教えてくれればいいなと思う。

ところで日本人の女の子がモテる理由は、私には分からない。よく『気配り』だと言われるが、どうだったんだろう。聞いておけばよかった。男の子の意見は知らないが、女の子たちが『日本人女性の気配り』を面白がっていたのは知っている。彼女たちは、ピクニックとかに行ったときの日本人の行動を不思議がっていた。シートを広げて準備をするときに、皆のコップに飲み物をついだり果物を剥いたりするのは日本の女の子だった。「ねえTo-ko、どうして日本の女の子は世話をやきたがるの?」「まるで私たちが自分じゃできないと思っているみたい!」 私はあまり気配りをしないので、私に聞かれても返答に困った。でも彼女たちが面白がるのが、私には逆に面白かった。

ちなみに男の子がアブレる理由は分からないでもない。イヤ、よく分かる。


2.似非外人になる日

私は雰囲気ですぐその気になってしまう人間である。だから海外(英語圏)に行って1日もすれば「アンビリーバボー!」とか「ワオ!リアリイ?」とか「アーハン」とか平気で口にするようになる。まあ時々ふと我にかえる瞬間もあるが。とにかくこれはその気になっているだけで、実際にちゃんと英語を喋れる人から見ればきっと変なのだとは思う。思うが、やってる本人は楽しいのでそれでいい。だがそんな旅の恥はかき捨て派の私でも、後から思い返してふと恥ずかしくなる言動は、ある。

私の通った語学学校の特色に、午後のアクティビティレッスンがあった。遊覧飛行・自然散策・ボディボード・ウィンドサーフィン・農場体験など1日に3・4種類の体験ツアーが組まれていて、好きなのを選んで参加できるのだ。アクティビティ・ティーチャーという午後のクラスだけの先生や、体験ツアーを主催する地元の人を相手に、生きた英語を実践するというのがこの活動の目的だった。地元の人にとっては、観光シーズンじゃない時もお客を確保できるってウマミがあったのだろうと思う。まあとにかくお互いにとっていいシステムだったのではないだろうか。そのアクティビティの一つに、乗馬があった。

私はこのシステムのおかげでいろんな“初体験”をしたのだが、乗馬は初めてではなかった。この長期旅行に出かける何年か前、たしか'94年だったと思うが、友人たちとオーストラリアに旅行した際に体験していたのだ。それは十何日かの旅行だったが、私たちはバンジージャンプだダイビングだラフティングだ乗馬だと毎日違うツアーに参加しまくったのである。ちゃんとした乗馬はその時が初めてだった。乗馬といっても、日本の各観光地でできる体験乗馬を想像してはいけない。もちろん地域によってはもう少しちゃんとしているのもあるだろうが、私の言うのは係員が手綱を引いて場内を一周するような類のものだ。これを予想してオーストラリアやニュージーランドで体験乗馬を申し込むと、かなりびっくりさせられる。向こうではたとえ初心者であろうと、馬の扱い方の簡単なレクチャーを受けただけで、すぐに広い牧場巡りへと連れ出されるのだ。牧場もばかにしてはいけない。野原を越えて川を渡り山を登る、けっこう長いコースだ。馬はさすがによく訓練されていて大人しいが、こちらが下手なのがバレるとすぐにナメた態度をとり憎たらしい。しかし私たちはこの初めての乗馬を大いに楽しんだ。「初心者にいきなり何時間も乗馬させるなんて、日本ではやらないよねー」と言いながら。

よく海外には“危険な行動をするのは自己責任で”の感覚があると言われる。私もときどきそれを感じた。私は人間にとって危険な場所すべてを柵で囲ったり、立ち入りを禁止すればいいとは思えない。そうやって大事大事に守りすぎると、そのうち人間は何が危険で何がそうでないのか、どこまでやっても大丈夫なのかを自分で判断できなくなると思うのだ。だから基本的には“危険な行動は自己責任で”に賛成する。だがそれが自分の身に降りかかるとなると、話は別である。

語学学校に話を戻そう。私が乗馬のクラスを申し込んだその日は、いい天気だったが風は強かった。気温はまだかなり低く、私はゴアテックスの黄色のジャケットを着ていた。ほかに着るものがなかったからだ。私たち生徒10人ほどは牧場に連れていかれ、体格や乗馬経験にあった馬を選んでもらった。手綱の持ち方、捌き方、馬の止め方、方向の変え方、乗馬姿勢などを一通り教えてもらい、さっそく牧場ツアーに出発する。私も久しぶりだったし、生徒の中には初めて馬に乗る子も多く、皆ちょっと興奮気味だった。

乗馬初体験組の一人にナツミがいた。最初でも全然物怖じしない人はいるが、彼女はかなりナーバスになっているように見えた。彼女の馬が神経質だったからである。馬はちょっとした物音や動きに敏感で、すぐにびくっとする。意外に高い馬の背中に乗っているときにびくっとされると、かなり怖いのだ。ナツミの馬があんまり頻繁にびくっとするので、ナツミはリラックスできなかったらしい。実はその時、私もどきどきしていた。私のも落ちつきがない馬だったからである。しかしナーバスになったとしても、それを馬に悟らせてはいけないのだ。下手な乗り手がナメられるのと一緒で、乗り手が怯えていると馬もナーバスになり、乗り手がどっしり構えていれば馬も落ちつくんだそうである。私は2度目だったし何とか虚勢を保っていた。だがナツミの馬は、彼女の言うことをちっとも聞かなくなっていた。

途中は良かった。道の両側には木が植わっていたので、強い風が梢をざわめかせることはあっても、風は直接吹きつけて来なかった。しかし木立を抜け拓けた尾根に出た時から、馬たちは目に見えて進のを嫌がりだした。その辺りはビュー・ポイントとしては素晴らしかった。右側の下方には牧場が広がり、左側のはるか下には海が広がっている。そう、私たちはいつの間にかかなりの高度を上っていたのだった。景色はいいのだが、そこは風が強すぎた。出発点とは比べものにならない。だが私たちは馬を先に進め、ちょっとした広場のような場所で立ち止まった。本来ならそこで小休止を取る予定だったらしい。しかし風がごうごうと吹きつける場所で落ちつくわけにもいかず、もう少し先に進もうと話がまとまりかけた時、ひときわ強い風が吹いた。

まず私の馬が飛びあがった。私の着ていた黄色いジャケットが風に吹かれて馬の視界に飛び込んでしまったらしい。それかゴアテックスの素材が悪かったのかもしれない。音がするから。でもそれだけならきっとすぐに落ちついたと思う。だが私の馬のすぐ前に、ナツミの馬がいた。ナーバスになっていたナツミの馬は、私の馬の動きに驚いていきなり駆け出した。すると今度は私の馬がその動きにびっくりして、やっぱり暴走を始めたのだ。

2頭は狭い場所を駆け回った。他の馬も最初は動揺したがすぐにおさまったようだった。パニックになっているのは私とナツミの馬だけである。こうなるとアクティビティ・ティーチャーもどうにもできない。手綱をどうしろとかしっかり掴まれとか叫ばれた気もする。だが馬がパニックなら乗り手もパニックになっている。落とされないように膝を締めているだけで精一杯だ。すぐ近くではナツミの馬が跳ね回り、彼女は悲鳴をあげている。牧場のおじさんが取り押さえようとするが、上手くいかない。悲鳴をあげるな、と声をかけている。これはホントにホントにホントーに怖かった。馬の動きは予想できず、強い力で振りまわされて制御のしようがない。あぶみから足が外れ手綱もひったくられそうだ。馬が広場の端っこまで走る。すぐ下は急な下り斜面だ。馬は駆け下りようかどうしようか迷う。頼む、頼むから止めてくれ。そんなことされたら途中で落ちる。確実に落ちる。馬は向きを変え、今度は反対側の端まで走る。こっち側には柵がある。柵の向こうはやっぱり急な下り斜面だ。柵とは言ってもかなり低い。馬がその気になったら飛び越えそうである。ここで馬が跳んでしまったらどうすればいいのか。一直線に下まで連れていかれそうだ。この広い牧場で森にでも入られたら? 馬はちゃんと帰り道を知っているのか? 馬は柵の手前でまた迷い、もう一度反対側に突っ走る。私は手綱を引き、必死で馬に声をかけつづけた。視界の隅で、ナツミが落馬するのが見えた。ああ、次は私だ。

しかしナツミが落ちたことで、おじさんは馬を捕まえるのに成功した。ナツミの馬が彼に押さえられ落ちついたおかげで、私の馬も少しずつ静かになった。運のいいことにナツミはケガひとつなく無事だった。ちょうどコースの半分の位置で歩いて帰れる距離じゃなかったので、彼女も私も途中でギブアップするわけにはいかなかった。後半ずっとナツミは泣き続けていたし、私も馬が身じろぎする度に心臓がギュッと縮んだ。しかしこれで馬に乗れなくなるのはイヤだったので、私はこの後も何度か乗馬のクラスに申し込んだ。怖くなくなるまでに、4回かかった。

それにしても。あの時、馬にかけ続けた(叫び続けた)言葉を思い出すと赤面する。「ストップ!ストップランニング!プリーズストッププリーズ!ビークール!ビークワイエット!ストップ! あーっ!ドントジャンプ!プリーズっ!(以下繰り返し)」 …私がどれだけパニックに陥っていたか、何となく分かっていただけるんじゃないだろうか。小学生にも分かるような、この見事な似非外人っぷりで。


3.「大丈夫!」 じゃなーいっ!

私のホストファミリーは週末のたびにどこかに連れて行ってくれるような、面倒見のよい人たちではなかった。どちらかと言えばインドア派である。だから学校が休みの土日は、自分で何かやることを見つけなくてはならなかった。日本人同士で毎週毎週パーティーを開いているグループもあったが、私にはあまり面白いものではなく、友達と旅行に行くのも毎週というワケにはいかない。しかし私にはこの機会にぜひやりたいコトがあったのだ。スキューバダイビングのCカード(認定証。ライセンスみたいなもの。)取得である。都合のいいことに隣の町にPADI(シェアNo.1のダイビング指導団体)ショップがあり、そこで講習を受けられるようだった。

思い返せば、初めてダイビングをしたのはNZに来る2、3年前。友人2人とケアンズ→ゴールドコースト→シドニーの3都市を巡る10日間くらいのオーストラリア旅行をしたときだった。飛行機とホテルだけが決まっていて日中は自由行動のツアーだったので、私たちは毎日バンジージャンプだ乗馬だラフティングだと遊びまくった。その中にグレートバリアリーフへのクルージングがあった。もちろんオプションでダイビングができる。誰もCカードを持っていなかったのでやったのは体験ダイビングだったが、これが最高の初体験だった。水は澄みきっていて遠くまではっきり見えるし、波はない。海底の砂は白く、天気も上々で海の中も明るい。水温も高く、不安を感じる要素がどこにもなかった。浮上直前のポイントは、海の色といい魚の群れといいラッセンの絵そのままで、ああラッセンの絵って好きじゃないけどホントだったんだーと感動した。浮上してもしばらく「すごかったよね!」しか言えなかった。大げさだけど世界が広がった気がした。

そのときからずーっとCカードが欲しいとは思っていた。しかし日本では海の近くに住んでもいないし、他のことでいろいろと忙しくわざわざ遠くのショップに通う気にはなれなかった。しかし今なら。この毎日が休日のような日々でなら、取れる。いや取らねばなるまい。クラスメートにはすでにそのショップでCカードを取得している人もいた。話を聞くとコーチはNZ人だけどテキストやビデオは日本語のがあるし、この学校の生徒が何人も行っているから向こうも慣れていて、日本人にはゆっくり話してくれるという。それならば何とかなるかもしれない。私は一緒に行ってくれる人を探し始めた。さすがに一人では腰がひけたのだ。

しかしそれがなかなか見つからなかった。ダイビングに興味がある人はもうすでにCカードを持っているし、そうでない人はやりたがらない。仲間を見つけるのは半分諦めかけて「やりたいけど仲間が見つからなくて…」と世間話のつもりで教師にこぼしていたら、彼は「じゃあチャーリーとやればいいじゃないか! 彼も取りたいって話していたよ」と言うではないか。チャ、チャーリーって…! 校長ではないか。いや日本の学校の校長先生とは違う。彼は若いしフレンドリーだ。私の友人の知人で10年前に一度会ったこともある。しかし彼と2人で通うのか? 隣町のダイビングショップまで…。と迷う暇もなく話はとんとん拍子にまとまってしまい、講習の日程もすぐに決まってしまった。

ショップは海のすぐそばにあった。平屋の感じのいい家で、庭には季節がら花も咲き乱れていた。歩いてもすぐに浜に出られるのだけど、実技のときはボートを持っていくので、タンクや器材を詰めたボートを車で曳いて行った。海からあがって着替えるとログ記入の作業や反省会を庭に出してあるテーブルを囲んでやった。冷えた体には日差しが気持ちよかった。チャーリーもコーチもアシスタントも親切で面白く、何の問題もなかった。ホント、いい環境で講習を受けられたと思う。講習の流れも書いておこう。まず分厚い教本を渡され次回分の予習をしてくる。そしてショップでそれをざっとさらったあと、ビデオを見る。ビデオではその後の実習の手順も説明される。そして海で実際にやってみて、最後にダメ出し。この順番だ。

ショップにはプールなどなかったので、最初から実技は全部、海でやった。最初は2mくらいの浅瀬で、最後の方は10mくらいの沖で。私が最初にパニックを起こしたのは、浅瀬でマスククリアを初めてやったときだった。マスククリアというのは、マスクの中にわざと水を入れてそれを抜く練習なのだが、マスクに水が入ったとたん急に怖くなってしまったのだ。水面に急浮上し(一番やってはいけないこと。浅かったからいいけど、深いところから急浮上すると危険)、追っかけてきたコーチに「ごめんなさい」をくり返す私を、彼女は「謝らなくていいから。落ち着いてやれば大丈夫。」となだめてくれた。しばらくしてから再度挑戦し、なんとかクリアしたものの、その後もマスククリアはずっと苦手なままだ。今でも怖い。これさえなければ不安はほとんどないのに。

NZの海はグレートバリアリーフに比べると透明度が低い。汚れているのではないのだけど、浮遊物が多くて雨の後など視界が5mくらいしか無かったりする。おまけに水温が低い。私は一度、低体温症になりかかった。それに潮の流れがキツイこともあった。ウェイトを一度外して付け直す練習をしているときに、潮の流れで体を持っていかれそうにもなった。そんなこんなで不安を感じることもあったし大変だったけど、オーストラリアでのあの素晴らしい経験があったから、何とか食い下がった。今にして思えばそういう怖い経験もしておいてよかったと思う。無理だけはよそう、無茶なダイビングは危ない、と身にしみたもの。あんまり怖がるのも危ないけど、過信もまた事故のもとだと思う。マジメな話。

さて今まで書いたことは日本で講習を受けたとしても起こりうることばかりだが、も一つ問題があった。言葉である。クラスメートが言ったとおり、たしかに教本は日本語のがあった。しかし問題はビデオだった。日本語のビデオもあったようだ。しかし私と一緒に講習を受けたのがチャーリーだったため「大体わかるならいいでしょ? もしわからないところがあったら教えてあげるから」と、ビデオは英語のものが使われた。教本で予習をしてきたところをやるのだから、英語でも大体はわかった。しかし、あくまで大体なのだ。何度か「ビデオのあの部分がわからなかったので、その部分だけでいいから日本語のを見せてくれ」と頼んだが、コーチは「大丈夫、これから実習でやるから。やればわかるわ!」というだけ。軽い。あまりにも軽すぎる。

彼女のキーウィ(NZ人)気質は講習全体を通じて発揮された。失敗があっても「大丈夫!次はできるわ!」、上手くいかなくても「今日は天気が悪かったからね。大丈夫、頭ではわかっているんだから、できたことにしましょう!」のイージーさ。よくオージーはイージーだというが、さすがオセアニア仲間でキーウィも負けてない。そういうところが大好きなんだけど、このときばかりはいいのかなぁと思ってしまった。別のクラスメート(スイスから来たダイブマスター)がダイビングに行ったときに、事故にあったNZ人ダイバーをたまたま助けて、かなりヤバイ事故だったのも拘らず引き上げられたNZ人が「エキサイティングだったな!おい!」と言ったと笑っていたが、あの辺の人たちはみんなそんな感じだった。彼らの「大丈夫」は話半分に聞いた方がいい。

こんな感じで、コーチの「大丈夫!」に支えられて、Cカード取得は無事(?)成功した。だがその後何年もたつのに、残念ながらファンダイビングは一回しかしていない。体験ダイビングは何度かやったけど、それを除けば典型的なペーパーダイバーだ。せっかく苦労して取ったのにもったいないので、リフレッシュコースを受けてみるつもりではいる。習ったことの大部分を忘れてしまっているから。これからCカードを取る人がいるとしたら、取ってすぐに何度かは潜った方がいい。車の運転と同じだ。そしてその人が海外で取ろうとしているのなら。NZはおススメです。え? 言葉が心配? いやー大丈夫ですってば。


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