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NZではWWOOFという団体を利用して、ファームステイをしました。有機農法をしている農家とか牧場で、半日程度の労働と引き換えに、食事と寝る場所を提供してもらう制度です。ステイ先は、会員になるともらえるリストから選べます。条件は書いてありますが、不明な点は自力で交渉します。私は3箇所に滞在しました。
出てくる個人名は全部仮名です。 私が「そろそろ働こうかな…」と思い始めたのは、もうかなり寒くなった頃だった。日本とNZでは季節が逆転しているので、確か4月か5月だったと思う。なにかの収穫期ならまた話は別かも知れないが、冬も近付こうという時期では、なかなか受入先は見つからなかった。最初は、その時滞在していた南島での仕事を探したのだが、いくつもの牧場に断られてしまい、結局話が決まったのは北島オークランド近郊での仕事だった。 この農場、場所はともかく仕事内容はなかなか魅力的に見えた。「家族経営の小さな農場」で「経営者は、自分で育てた草花を使ってアロマセラピーを教えている」。これを読んでちょっと上品な、休憩のお茶の時間にはハーブティーを飲んじゃうような(私の考える上品なんて所詮この程度)家庭を想像した私は世間知らずだっただろうか。ついでにアロマセラピーなんか教えてもらえちゃったらいいな、と思った私は甘ちゃんだっただろうか。とにかく私は2週間の約束で、この家に行くことにした。 待ち合わせはオークランドの外れにある学校。受け入れ先農場のホストマザーのアデルがここで働いていたからだ。私はハーブティーを飲みながら(←ここまで予定通り)彼女の授業が終わるのを待った。夕方になり、私は彼女と、どこからか現れた彼女の娘2人と一緒に車に乗りこんだ。 娘たちの年頃は小学校低学年くらい。私の一番苦手な年頃だった。きゃーきゃー騒ぐ2人を乗せて車はどこまでも走っていく。オークランドから30分も走ればもう田舎だ。薄暗くなりかかった頃辿りついたのは、田舎も田舎、山の奥だった。だが私は田舎育ちだ。田舎には免疫がある。場所は全然オッケーだった。山の向こうには小さく海も見えていい感じだ。ここで、私は同年代のNZ女性キャシーに紹介された。彼女も同じように、WWOOFの制度を利用していたのだが、ここには半年も滞在しているとのことだった。 この家にいつもいたのは、基本的にアデル+娘2人、キャシーの4人だった。アデルの夫は単身赴任?で、週末くらいしか家に戻ってこないらしかった。その他に大学生の男の子が同居していたが、彼もいつも帰りが遅く、たまに食事の席で顔を合わせる程度だった。 まず最初に「あれ?」と思ったのは、初日の食事の席だった。日本人から見れば、この国でも食卓の品数が寂しいってのは知っていた。皿の数がひとつだけなのには慣れていた。しかし…ここの食事はとても「食事」と呼べるものではなかった。例えば最初の夕食は、サツマイモとリンゴを煮たのが大皿にのせられ、テーブルの真中に置かれている、それだけだった。取り皿はあるが、フォークやスプーンの類はない。みんな手掴みで食べている。私が戸惑っていると、アデルは「うちはインド式なの。でも嫌ならフォークを使ってもいいわ」と言った。 一人フォークを使って食事をしながら、私はなんとかして気持ちを奮い立たせようとした。でも無理だ。子供たちのべとべとした手が突っ込まれた皿から物を取るのは、どうしても抵抗があった。ここがインドだと言うのなら、私も覚悟して行っただろうし、手で食事くらいしただろう。ただ、インドに行った経験はないから確かなことは言えないが、インドでもまずめいめいの皿に物を取り分けて、そこから食べるんじゃないのだろうか…? とにかく初日は初日。私は寝て次の日に備えることにした。私の寝るはずの部屋が片付いていないとかで、その日は空いている殺風景な部屋で夜を過ごした。 朝食は各自バラバラで、私はトーストを焼いて食べた。ここにいる間、ずっと朝食はピーナッツバターを塗ったトーストだけだった。食後のまず最初の仕事は、あてがわれた部屋のベットメイキングだった。その部屋はベッドだけで一杯の小さな部屋だったが、WWOOFでは個室がない場合もあるので、個室をもらえるだけでもラッキーだった。それはいい。問題は、壁とベッドの頭の上にでかでかと飾ってある…サイババのポスターだった。 くらくらしながら居間に戻ると、朝の明るい日差しの中で、昨日は気付かなかったものに気付いた。サイババ、サイババ、サイババサイババサイババ…。暖炉の上からも、居間の壁からも、本棚の写真立てからも、あのアフロヘアのおじさんが私に微笑みかけていた。アデルに聞いてみると、彼女は嬉々として話し出した。「サイババを知っているの? 素晴らしい人よ。私は直接会ったこともあるの。私たち家族はなるべく1年に1回は彼に会いに行くことにしているのよ!」 そう。私はこのサイババパワーに負けた。 他人がサイババに心酔していようが、私は気にしない。自分は信じないが個人の自由だ。それに自分の持っていない世界を持っている人と話すのが楽しい場合もある。朝起きるとまず目に入るのがサイババなのはきつかったが、ポスターを壁からベッドの下に隠すという手で乗り越えた。仕事の内容が期待と違ったのも(家の掃除や納屋の片付けが主だった)、事前のリサーチ不足と我慢した。日中アデルは学校に行っていたので、仕事をしているのはキャシーと私だけ。しかも仕事は別々で、地元の人との触れ合いも何もあったものではなかったが、無理矢理納得した。 耐えられなかったのは、一家の精神状況だった。 たとえばアデル。彼女はよく「より高次元の世界」について話していた。私の語学力ではそう深い話はできなかったが、清く正しく美しく生活している人間は、時期がくれば新しい次元に行けるとか行けないとかって内容だった。そう信じるのは本人の勝手だ。それを信じることで心安らかになれるなら、それもいい。でも彼女はいつもあくせくしていて「よりよい世界、よりよい次元」ばかりに目を向けていて、現実では惨めに見えた。今の自分の生活も程よく楽しんでいるなら、私も彼女との会話を楽しめただろうけど。それに、食事の時間くらいは一緒に座って話をしたかった私と、「よりよい世界」を言いながら、生の野菜を立ったまま食べて食事を済ませる彼女は相容れなかった。(生野菜は好きっすよ、私。)私は、食事も楽しめない次元はゴメンだ。 それから娘たち。一度一緒にボードゲームをしたことがある。双六のようなゲームだったのが、それにはペナルティのマスがあって、そこに止まるとカードを引きカードに書かれている通りにしなくてはいけない。中には「歌を歌う」「なにかのマネをする」といった普通のペナルティもあるのだが、「世界の貧困をなくすにはどうすればいいと思うか答えよ」みたいなカードもある。よく見るとゲームの箱に描かれた絵は、なんとなく宗教チックだ。ここで娘の一人が「今1億円もらったらどうするか」ってカードを引く。彼女は「インドとかには貧しくてものを食べられない人も大勢いるから、そういう人を助けてあげたい」と答えるのだ。大人たちは「まあ、なんていい子なんでしょう」と褒める。…いい、そういう子がいても。本気で言っているなら。でも、あんたさっき妹におもちゃ貸さないってケンカしてたんでしょ? 昨日の夕食の席でも妹と食事の取り合いしてたでしょうが。そう言ったら褒められるって知ってるだけでしょ? この方向性が、気持ち悪いのよぅ。 私のストレスはどんどん溜まっていき、1週間後には「もうやめたい。私には合わない」とギブアップするに至った。私はサイババのポスターを壁に戻し、この一家に別れを告げた。 WWOOF第一回目、惨敗。 次の行き先は決まっていた。でも1軒目を1週間早く出てしまったこと、もともと予備の日を入れていたこともあって、約束までは10日以上空いていた。寒くて旅をするのも億劫だったし、お金も使いたくなかったので、短期でもう1つステイ先を探してみることにした。幸い温泉で有名なロトルアのすぐ近くで、受け入れてくれる家が見つかった。問合せの電話に出た女性が「来てもいいけど1週間以内の短期にして欲しい」と言っていたが、それはこちらの希望通りだったので、いい話に思えた。 ロトルアからバスに揺られてしばし、今度の場所は自力で辿りつける住宅地にあった。農家といってもちょっと広い庭がある程度のようだ。ここに住んでいるのはアマンダというおばあさん一人だけだった。アマンダは私を小さな部屋に通すとお茶を入れてくれ、「今自分は家系図を書いているからちょっと待って」と言って、机の上の作業に没頭した。私はぼーっと眺めていた。部屋の居心地は良さげで、今度は当たりかな、と希望が持てた。 30分後「今日はここまでにしましょう」と、彼女はペンを置いた。そして椅子ごとくるっと私の方を向くと、いきなりこう尋ねてきた。「あなた、星が人の運命を決めるって、どう思う?」 きたー!! としか思えなかった。 「とある星が空のある位置にある時に生まれた人っていうのは…」 いきなり彼女の講義が始まった。私の英語力ではついていけないものだった。でも私は精一杯がんばった。…玉砕。彼女は話し相手を求めているのではなかった。「生徒」が欲しかっただ。彼女の態度は、無知な人間を教え諭すものだった。長期の約束をしなかったのが唯一の救いだと、私は思った。 一通りの講義が済むと、アマンダは突然話題を変えた。「実はね、ここに住んでいるのは私だけじゃないのよ…。」 彼女の敷地内には、今いる家とは別にもう一棟の家があった。どうやら彼女はそこを別の一家に貸していたらしい。その一家とは「環境を考える集い」みたいなので知り合って、当時住む場所を探していた彼らに、アマンダが共同生活を持ちかけたそうだ。ところが一緒に住むようになってみると、彼らはアマンダの期待を裏切った。知り合った場所が場所だっただけに、アマンダは彼らをエコロジーに関心がある、自分と同種の人間なのだと思い込んでしまったのだ。実際の彼らは、アマンダの言葉を借りると「無責任で無節操でだらしが無い人間」だった。ゴミは分別しないわ、仕事はしないわ、家は散らかすわ、家賃は滞納するわ、おまけに麻薬をやっていたらしい。今家に彼らがいないのは、警察に逮捕されて拘留されているからなのだった。 「私が通報したの。ここからも出ていけと言ったわ。彼は今日釈放されるから、帰ってきたらすぐに引越しをさせるわ。こんな状況だからね、あなたから電話があった時には迷ったのよ。トラブルが起こるかもしれないし…。でも、受け入れを断ってあなたを失望させたくはなかったの」と彼女はにっこり笑った。(そんな事情なら断ってくれた方がよっぽど良かったよぅ!) 小心者の私は心の中で叫ぶしかできなかった。 問題の一家は夜遅くに戻ってきたらしく、次の日は朝から引越しの手伝いだった。引越しをするのは夫婦+息子1人の3人で、トラックにがんがん荷物を積み込んでいる。アマンダは彼らの周りをうろちょろして、やる事為すこと全てに文句をつけていた。「納屋に置いてある空き缶はどうするの!」「ちょっと、それ、捨てる気なの? それはリサイクルできるのよ、何を考えているの!」 そりゃエコロジーは大事だ。リサイクルも積極的に取り組むべきだ。でも…あんな言い方をされたら、意地でもエコロジーなんかしたくなくなる。少なくとも彼女の見ている前では。私はだんだん出ていく一家が気の毒になってきた。 昼前には引越しは完了した。出ていく方にとっては。怒鳴り声とトラックの走る音がしたな、と思っていると、アマンダがぷりぷりしながら戻ってきた。「信じられないわ、行っちゃったのよ、あいつら! まだゴミだって捨ててないし、掃除だってしてないのに!!」 確かに家の中はまだゴミが散乱し、ひどい状態だった。私は怒り狂うアマンダに何も言えず、黙ったまま掃除を続けた。そりゃ彼らは悪い。非常識だ。でも私に「手伝ってくれてありがとう。迷惑かけてごめんね」と言った彼らを、アマンダと一緒に罵る気にはならなかった。 私は冷蔵庫の掃除に時間をかけていた。冷蔵庫はもともとアマンダの物らしく、残っていたのだ。その冷凍庫部分の全面には厚さ10cm以上の霜がこびりついていた。どうやったらこんなに霜をつけられるのか不思議だ。溶かしてみると、その霜の中から冷凍食材のパックが出て来たりするだから! 私は冷蔵庫を傷つけないように、お湯と雑巾を使って霜取りを進めていた。するとアマンダがつかつかと私の傍らにやって来た。「あなたのやり方じゃいつまでたっても終わらないわ!」 アマンダの手には包丁がしっかりと握られていました。「まったく、こんなに、霜を、ためる、なんて、だらし、なさ、すぎるわ! そう、思う、でしょ!」 アマンダは一言一言言葉を切って、それと同時に、霜を包丁で叩き割りはじめた。いや、叩き割ろうとした。冷蔵庫に衝撃を与える割に、効率のいい方法ではない。霜は少しずつしか削れなかった。それより何より、その姿は怖すぎた。呪詛の言葉を吐きながら包丁を振るう老女…彼女が興奮の余り、いつその包丁をこちらに向けるかと、気が気ではなかった。 私はその日、暗くなるまで掃除を続けた。早いところ終わらせて出ていきたかったのだ。WWOOFの労働は3〜5時間が一般的で、その時間はとっくに過ぎていた。そういえば1つめの農場でも、労働時間は長かった。次の日も私は床を磨き窓を磨き、その家がとりあえず見られるようになったところで、アマンダに別れを告げた。アマンダには「これからあなたの星を占ってあげようと思っていたのに…。どうして? 知りたくないの?」と責められたが、「星に興味はないから」と丁重に辞退した。 この家に滞在したのは3日だけだった。WWOOF第2回目、またもや惨敗。 失敗が2回も続くと、考えずにはいられない。それまでWWOOFの「受け入れ先は有機農法をしている農家か牧場」(有機農法を広める目的もあるので)というのを特に気にしていなかったが、1回目がサイババ、2回目が占星術となると…有機農法ってのがマズイんじゃないのかと猜疑心が芽生える。いや、もちろん有機農法をやる人=変人じゃないのは分かっている。私の実家だって有機農法をやっている。でも「環境」や「体の健康」を考えることの次に「心の(魂の)健康」が来るのは、ごく自然な流れに思える。“気”だのなんだのに魅かれることだってあるだろう。 私だって程度の差はあれ、そういう話題は嫌いじゃない。問題は、なんで「健康」を願っているのに、ピリピリしなきゃならないんだってことだ。いろいろ考えてりゃ、いつも楽観的ではいられないのかもしれない。希望が持てなくなる時だってあるだろう。でもさー。 私はエコロジーをやるにしても、もっと楽しくやれると信じる。来世や次の次元を思うのと、今の生活を楽しむのとは両立すると思う。よりよい世界を願うのはいいけれど、そのために今を犠牲にするのは、本末転倒のような気がする。NZでも、有機農法を楽しんでいる人たちがいるのは疑わなかったが、自分は運が悪いようだし、合わない家に行った時のストレスはかなり大きかったので、3つめも失敗だったらもうWWOOFはやめよう、とこの時点で私は決めていた。 が、嬉しいことに、3つめの農場は大当たりだった。ロトルアから1時間半ほどの北島の海沿いに住む一家(夫婦+息子2人)は、ドイツから移住してきた人たちだった。つまりなんのこたぁない、私はニュージーランドまで行ってドイツ人と暮らしてきたのだ。日本人がドイツ人と仲良くなりやすいってのも、あながち嘘ではないかもしれない。 彼らはB&Bを経営していて、夏場には観光客をつれて山を歩くツアーなどもしているとのことだった。農場はNZの基準でいえば小さなもので、牛何頭かと犬と猫とヤギがいた。ダイニングからは海が一望でき、家のすぐ目の前には小さな果樹園があった。私の部屋は、客がいない時はB&Bの客室で、しごく快適だった。 仕事は午前中と午後の1〜2時間。いつも何かしら仕事はあったが、楽しかった。この制度はギブアンドテイクなので、ちゃんと自分が役に立てるのが嬉しかった。果樹園の手入れや新しい畑づくりはほとんど一人でやったが、アデルのところに居た時と違って、一人でも気にならなかった。動物の世話やガーデニングは、ホストマザーのスージーと一緒にやったし、学校の休日には一家総出で牧場の柵の修理をした。仕事が終わったらシャワーを浴びて一緒にお茶を飲んでと、気楽な日々で「こんなに恵まれてていいのかい」と思うほどだった。 日本ではだいたい人の上にそびえたっている私だが、まだ小学生の弟を除いた3人は私より長身だった。スージーも183cmあったし、男性陣は190超えていて、まるで自分が華奢になったかのような錯覚も楽しめた。スージーはさすがに客商売で料理が上手く、お寿司を作るのが得意だった。1日はみんなで釣りに行って、釣り上げた魚でお刺身とお寿司を作ったりもした。天気の悪い日には、私がケーキを焼いてあげたりもした。 子供たちもホントに「まっすぐ」で精神的に健康で、高校生の兄も小学生の弟も家族との時間をちゃんと楽しんでいた。滞在中に上の子が交通事故を起こした。スピードを出しすぎて、カーブを曲がりきれずに横転したのだ。怪我はなかったものの、流石に彼はかなりのショックを受けていた。彼はメインの家とは別の小屋を自分の部屋にしていたのだが、この事故から2〜3日は、一人で寝たくないと言ってメインの家に戻ってきていた。こういう時に親を頼れるってのがいいな、と思った。ホント、この一家に関してはいい思い出だけしかない。一緒に居て心地よかった。彼らは生活を楽しんでいた。 幸いにも両思いだったので、私はこの農場にずるずると3ヶ月滞在した。WWOOF第三回目、大成功! 終わりよければ全てよし…と思ったが、この農場で私と一緒に働いたWWOOFメンバーについてもいろいろ思い出したので、あと一回つづく。 スージーの家に滞在中、他にも何人かのWWOOFメンバーがやってきた。スペイン人のカップルと韓国人の男の子の2人連れだ。どちらも長居することはなく去っていった。 WWOOF制度を利用する理由は人それぞれだ。私は海外に行った目的自体が「いろいろな人に会って話すこと」で、ファームステイでもホームステイでも何でもいいから、どこかの家族と暮らしてみたかった。でも家でぼーっとしているのもイヤだったし、働けて、お金を使わずに人と暮らせるWWOOFはちょうどいい制度だった。中には農業を覚えたい人だっていただろうし、旅行の手段としてWWOOFを利用する人もいた。WWOOFの労働は半日程度が基本だったから、受け入れ先によっては午前中働いて午後いっぱいフリーになったりもする。それで食費と宿泊費がかからないのだから、貧乏旅行をしている人間にとっても都合がよかった。最初に書いたスペイン人のカップルが、このタイプだった。 それでも受け入れ先と利害が一致するなら、問題はない。が、彼らは「午前いっぱいと、午後の2時間くらいの労働」と聞いていたので、3時になった時点で約束の時間は働いたと勝手に仕事をやめ、2人だけで海に遊びに行ってしまった。しかもスージーたちに一言も言わないで。この「一言も言わずに」の部分がスージーたちを怒らせてしまった。スージーたちは働き手たちと一緒に時間を過ごすのを楽しんでいたので、こういう2人だけで世界を作ってしまう人たちとは相性が悪かったのだ。結局このカップルは2日だけ滞在して出ていった。 それから韓国人の男の子たち。彼らも食後すぐに2人で部屋に閉じこもってしまうタイプだった。でもこの子たちは仕事をすごく一生懸命にやっていたので、スペインの子たちよりは長持ちして、2週間くらいは滞在したと思う。彼らが出ていく決定的な原因になったのは、食卓でのマナーだった。 彼らは揃いも揃って大食らいだった。私と一緒で。私もだいぶ落ちたとは言え、まだ人よりだいぶ食べる方である。でも、大食らいには大食らいの仁義があるのである。けらえいこさんの結婚生活シリーズのマンガにも出てきたけど、食事時の感覚ってのは千差万別である。これは育った環境によるものが大だと思う。私は食べ物の恨みを知っているタイプ(笑)で、食事をする時は「個人の取り分」をまず考える。だって前述のように私は大食らいなので、好きなように食べていると人の分まで食べてしまうのだ。元々その人が持て余しているなら問題ないが、ゆっくり食事を楽しむタイプだったり好きなものを最後に取っておく人だったりするとマズイことになる。友人と3人で食事に行って、一皿に何かが7つ載って出てきたとしよう。そしたら私はまず2個食べて、他の2人もそれぞれ2個ずつ食べたのを確認する。で残った1個に誰も手を出さないのを確認してから、さらに「これ、食べてもいい?」と聞く。別にいちいち考えてはいないのだけれど、もう無意識でやっているのだ。他の人がおなかいっぱいになったのを確認してから、余った分を食べるのが大食いのスジである。 韓国人の彼らはそれを全然気にしないタイプだった。さらにマズいことに早食いで、他の面子がお腹いっぱいにならないうちに料理をさらえてしまうのだ。家族だけの時ならば、料理の量を増やすことで対応したが、スージーの家はB&Bをやっていた。宿泊客には希望があれば夕食を出すことになっていて、お客も家族と一緒にテーブルを囲む。この場合、まず優先させなくてはいけないのは、お金を払って食事をしている宿泊客である。それなのに韓国人の2人はいつもと同じように振舞うのだ。当然客に満腹してもらうために、スージーたちが自分の取り分を回すことになる。こういうのが何度かあって、結局この2人も出ていくことになってしまった。…これ、食事にこだわらない人には多分理解できない話だろうなぁ。いやしんぼだと思われそうだ。ホントだから仕方ないけど。 なんか同僚の話よりも食事の話に熱が入ってしまったが、まとめよう。WWOOFはいい制度だが、相性が合わなければ最悪だ。WWOOFを楽しむには、早いところ自分に合う受け入れ先を見つけるしかない。もし合わない所に行ってしまったら、さっさと切り上げて次を探すこと。私がやって良かったと思っているのは、最後には自分に合う家族と巡り合えたからで、これは運がよかっただけだ。運が悪ければ、合わない家族ばっかりが続くこともある訳で、WWOOFをやってみたいなら、その辺の覚悟は決めておいた方がいいと思う。それを踏まえてこの制度を上手く使えば、そして運がよければ、めったにできない体験ができる。滞在費も節約できる。長期の旅行をするなら、一つの手段として考えてみたらどうだろう。 たいした経験値ではないが、WWOOFの体験談はこれで終わります。読んでくれて、ありがと〜! 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