2004.4.30

ハッと気づくと『王の帰還』の上映が終わりかけていたので、慌てて予約を取って観に行く。5回目。今回は最初の目標をクリアできて嬉しいぞー。つか、5回観ても飽きないのがスゴい。回数重ねるごとに字幕を読む手間がいらなくなってくるから、思いっきり集中できるしね。しかし何度観てもあの烽火は反則だよ。今回は泣くまいと思って「来る来る烽火が来る」と身構えていたのに、やっぱりボロボロ泣いちゃったもの。ちくしょう(←なんか悔しい)。それから「美しすぎる」といつかの日記に書いた破壊槌、調べたらちゃんと原作に出てました。グロンドだって。原作からの改変に関しちゃ言いたいコトもあるけれど、スタッフが原作読みとばしてるって非難だけはできないよねえ。…ってこれも前に書いたっけ?

ところで、上映前に『パッション』の予告編が流れていて、ちょっと観たくなる。あんまり痛そうなのはイヤなんだけど、ユダがどう描かれているのか気になるのだ。ユダに関しちゃ、新選組に対するのと同じくらい自分のイメージができあがっているので、それを壊すような作品は観たくないのよねー。こすっからいユダはダメ。ユダは、真面目すぎるくらい真面目な男じゃなくちゃダメ。そしてイエスを裏切るのは、愛ゆえじゃなくちゃダメ。ユダはイエスに心酔しきっているんだけど、彼と同じビジョンを共有するコトはできない。彼に見えるのは現世のみで、彼は自分の見える範囲の世界でイエスを王(救い主)にしようと必死になるんだけど、イエスは次第にユダには見えない遠くを見つめ、彼にわからない言葉で話しはじめる。ユダの行けない世界に行ってしまう。だから、ユダはイエスを裏切る。そうじゃなくちゃダメ。

「何ドリーマーになってるんだコイツ。さては妙なやおい本を読みやがったな」と邪推する向きもありましょうが、あっはっは、違います。私にこのイメージを植え付けたのは、劇団四季の『ジーザス・クライスト・スーパースター』のオリエンタルバージョンなのです。高校時代に観たこのミュージカルのせいで、私のユダ観は固まってしまったのだよねえ。私が観た回で誰がユダを演じていたかはもう忘れてしまったんだけど、絶対に当時の四季のトップクラスの役者だったハズ。あれだけ印象が強いんだもの。あの苦悩。あの悲嘆。ああ、最近ミュージカル離れしちゃってるけど、ジーザスはもう一度観たいなあ。あ、でも全然違う話だけど、道原かつみの『ノリ・メ・タンゲレ』(原案・麻城ゆう)も好きだわ。

しかし『パッション』という邦題はどうよ。安易なカタカナ邦題は好きじゃないんだってばさ。英語じゃ「passion」と「the Passion」の間には深くて暗い河があるんだろうけど、日本じゃ『パッション』というとまず思い浮かぶのは“情熱”よねえ? 赤い薔薇をくわえて踊っていそうよねえ?

2004.4.28

腹黒度チェックの結果。

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あなたの腹黒度はゼロパーセント。つまり腹黒とは真っ向から対立する【純白の天使】です。あなたの心には穢れなど一点も存在しない、生まれついての天使気質。誰に教えを乞わなくても、常に正義と潔癖さがついてまわり、素直に良い行いだけを繰り返す毎日なのでしょう。当然、腹黒さなどというものにはまったく無縁のようです。あなた自身が性善説を具現している存在なのでしょう。しかし世間にはあなたのような人を快く思わない人が存在することも事実。曇りなき純白に黒い染みを落としたい、というのは、自然の欲求です。そういう輩に狙われて、あなたの清純が失われないことを切にお祈り申し上げます。
魂の黒さ  100%
心の黒さ  55%
ルックスの黒さ  100%
輝く白さ  100%
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いやあ照れるなあそんなホントのコトを………と思ってからよく見れば。魂の黒さが100%なのに腹白とはこれ如何に? 魂と腹は別ってコトですか? 別バラ? 腹が黒いより魂が黒い方が救われない気がしますわねえ。うふ。

2004.4.27

いやーん慌しい〜。忙しいっつか慌しい。自分のリズムができりゃ少しは楽になるのは分かってるけど、今のとこドコまでが私の仕事の範囲なのかさえ不明確な状況なので、いちいち確認しながら進めなきゃいけなくて、それが面倒。早く誰にも何も言われない状況に戻りたーい。

私生活が潤わないと心が荒むわ。本を読んだりたらたらと日記を書いたり手間のかかる料理をしたりって時間がないとダメ。先週は旧友とゆっくり飲めたのが唯一の息抜きだもの。せめて短い読書の時間なりとも現実から離れようと、ゴードン・R・ディクスンの『ドラゴンの騎士』を読み始める。逃避バンザイ。前作の『ドラゴンになった青年』を読んだのはずいぶん前だけど、読み始めると懐かしい顔ぶれが嬉しくて、すんなり記憶がよみがえってくる。相変わらずアラはカッコいいなあ。カバーイラストは紫堂恭子さん。表紙を見たとたん「あっ」と嬉しくなったけど、でも彼女の描くジムは若すぎる。

なるしまゆりの『不死者あぎと』完。彼女の長編が完結するの、初めて見たよ!(他のも佳境なんで、次々と完結してゆくだろうけどね)。最初の待ち針が気持ち悪くて気持ち悪くて、でもその後は「やっぱなるしまさん好きだわ」と思わせる雰囲気だったのに、最後にまた持ってきますか待ち針を!! いや、いい終わり方だっと思うけどさー、待ち針が怖くなるじゃないのよさ。なるしまさん未読者には『不死者〜』から入るのはオススメできないね。

2004.4.23

会社パソコンのクラッシュに加え、新しい仕事を引き継いで年度始めの一括処理に追われる日々でした。トイレに行くのも我慢して仕事したの久しぶりだー。それでも毎日かなりの残業になり、家に帰って寝るだけの生活で、本も読めないし日参サイトさえロクに回れないしニュースも横目でしか見られないしきーっっ! とやってるうちに1週間経ってしまった。私生活の時間がないと、時間が経つのが早いなあ。でも日記、ずいぶん長いコト更新してないような気がしてたけど、たった3日しか空いてないのね。ビックリ。

そんなワケでたぶん世界のニュースに追いついていないと思うので、事実に間違いがあったらゴメンなさい。指摘してくれるとありがたいです。

イラクの人質関係のニュースは、「痛々しいなあ」と思って見てました。私の考えたコトはもうさんざん書いたし、5人が解放された今も、大きく変わっているコトは何もないです。読冊日記「情報発信者としてのメディア・リテラシー」 が、彼らに対する、そして彼らに向けられた世論に対する私の考え方と、極めて近い(この件に関しては、それ以前の記述のほとんどもそうなんだけど)ので、リンクだけ張らせてもらっておいて、自分ではもう書きません。…あ、「人質になった方々の経歴にも自作自演疑惑にもほとんど興味はない」 って点についてだけ。これにも同感です。もしも本当に自作自演だったと分かったら、「バカなことを」と思うだろうし、それこそ“自業自得”とさえ思うかもしれないけど、今の段階で、本人たちに話を聞ける立場じゃなく、独自の調査能力を持っているワケでもない私が、憶測で云々するコトじゃないと思っています。

さて、それとは別に考えてたコト。まず、救出にかかった費用を請求するって話(これはもう決まっちゃったの?)は、ズルいと思う。ぼったくりバーのやり口か、後だしジャンケンみたいなモノだと思います。自衛隊がイラクに行った時点で、いや、それよりも前に、日本がイラク攻撃に賛成した時点で、日本人を標的にしたテロが起こるって可能性は考えられていたハズです。イラクに日本人がいて、他国の民間人が拘束されていた経過から、イラクにいる民間人が拘束される可能性も予測できたハズです。それらのリスクを考えた上で、それでも必要だと思うから、イラクへの自衛隊派遣を決めたんじゃなかったんでしたっけ。救出が必要になった民間人本人への費用負担を求めるなら、その時点で決めておくべきでした。

「イラクには避難勧告が出ているんだから、それを無視して拘束されたりケガをしたりした場合、かかった費用は自分で払ってくださいよ。それも本人が負わなくちゃいけないリスクですよ」と、誰か特定の個人が対象になる前に決めておくべきでした。つか、本当に金が問題だと言うのなら、今からでも決めるべきだと思います。現在退避勧告の出ている危険地帯にいる、これから危険地帯に入るつもりの、全ての民間人に適応される決まりをつくるべきです。それをしないで、対象となっていない人が全員、その請求を“他人事”と考えられる状況で、特定の場合・特定の個人に対してだけ費用負担を要求するというのなら、それは単なる吊し上げじゃないんでしょうか。

あと、退避勧告よりも強い、強制力(罰則?)のある決まりを作って、民間人を危険地域から遠ざけようって話には、積極的に反対。私は、自ら進んで紛争地域の実情を報道してくれる人がいるのをありがたいと思っているし、報道にはどうしても伝える人の価値観が入る以上、いろんな立場の、考え方の人たちが、彼らの目から見た現実を伝えてくれれば、と思っています。そこに何らかの形での篩い分けがなされるべきじゃありません。NGO活動に関しては不勉強でよく知りませんが、まさか全てのNGO団体がなんちゃってではないでしょう。彼らの活動にも、「これはオッケーで、これはダメ」って、許可を与える側の思惑が働く制限をつけるべきじゃないと思うのです。そして制限をしなかった結果、その中に自分のキライな考え方をする人や軽率な人や物見遊山気分の人が混ざってしまっても、それは仕方ないでしょう。自分の認める立派な人しか危険地域に行っちゃダメ、ってワケにはいかないのです。

2004.4.19

今朝会社に行ったらパソコンがクラッシュしてました。週末に業者が入ってフロア内の引っ越しをしたので、どうもそのせいらしいんですが、パソコンがなきゃ仕事になりません。とは言え、データを吸い上げるのは私の手に余るので、たまたま運悪く私と背中合わせの席になってしまった人に「パソコンがなきゃ話になりませんー。スケジュールもパソ見なくちゃ分かんないし、あれもこれもそれもできないので助けて〜」と縋りつき、1日潰して代替パソを作ってもらいました。それが使い物になるようになったのが定時で、それから自分にできるコトはせめてやろうと、ソフトをDLして設定し直して……。遅くまでやったけど、まだ半分も終わってません。明日はマクロ組まなきゃ。気力がないけど、せめておべんと日記だけ更新しようーっと、と、思ったら接続できないし! 寝る前にどうぞ復活しますように。

2004.4.17

春らしい気持ちのよい週末、窓から青空を見上げつつ、一日本を読んで過ごしました。ある意味、贅沢。んなワケでぶ厚い上下巻本、コニー・ウィリスの『航路』読了。噂どおり読ませる本で、長さを感じさせない内容・読みやすさでした。途中の、すれ違いすれ違いが続くシーンや、人が何かを言いかけるたびに入る邪魔が、ちょっと気にならないでもなかったかな? でもそれさえも必然なのかも、って印象です。訳者の大森望さんが筆者を「アメリカの宮部みゆき」 と書いていましたが、言われてみればそんな感じ。ただ、私的には宮部みゆきよりも好印象でした。宮部みゆきはときどき“泣かせのテクニック”が鼻につくのですよね。ただ、コニー・ウィリスは初読なので、彼女のそれに抗体がなかっただけって可能性はあります。それか、

死に直面した人々の勇気、自分の命が助からないとわかっているときでさえ、なにかを、だれかを救おうとする決意は、人間のもっともすばらしい特質であり、たぶんあらゆるものの中でもっとも大きな謎でしょう。

コニー・ウィリス『航路』 日本版に寄せての著者後書きより

という謎に、私も強い関心を抱いていて、知りたいと思っているからかも知れません。とにかく、他の作品が楽しみです。

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ところで、新コンテンツ作りました。おべんと日記です。前から人の料理日記とか好きだったのですよねー。過去日記を探してみたら、サボる日も多々ありつつ、一応は1年半以上も会社にお弁当を持っていっているようです。それがナゼか最近になって急に、楽しくなってきてしまったのですよ。献立を考えたり、人のお弁当日記を見たりが、楽しい。どんな料理をまとめて作って小分け冷凍できるのか、どうやったら朝の時間が節約できるのかってそれぞれの工夫に、興味ありありです。

思うトコロあってこのサイトとは別構成で、こっちからの一方通行になってますが、そのうちトップからリンクします。やっと自覚したんですが、読了本の記録とかダイビングの記録とか弁当の記録とかばかりに血道を上げているのだから、どうやら私は記録好きみたい。日記も日常の記録なので、このトコロ更新されているのは記録ばっかりです。サイトを「記録の殿堂」にでも変えるべきかもねー。

2004.4.15

数日前に『私の嫌いな10の言葉』って本を読みました。あんまり共感できなかったんで、その感想を書こうとしているうちにイラクの人質事件に言及を始めてしまい、ずるずる今日まできてしまっているワケですが、ここ数日いろいろ見たり聞いたり考えてたりしている間に、「世間に迷惑をかけた」と「世間を騒がせた」って言葉は反吐が出るほどキライだ、と思い知るようになりました。

「世間」を感じられない私が自分勝手にすぎるんですかね? 私には「世間」って何なのか、よく分からないのです。まあそれでももし私がその言葉を使うとしたら、「誰かの、どこからどう見ても身勝手な行動のせいで、町に戒厳令がひかれて生活が制限された」ような場合とか、「無知な誰かが暴言を吐いたせいで、輸入元の国が怒ってしまい、私の好物が日本に入ってこなくなった」ような場合じゃないかなーと想像できます。つまり「私」にとって迷惑であり、かつ、同じ不自由を受けている人が広くたくさんいると想定される場合、です。(んー、それでも「世間」って言葉は使わない気がするなあ。)

んで今回の場合、具体的に誰にどんな迷惑がかかってるんですかね? 実際に対応に追われている方や、交渉に駆けずり回っている方が言うなら分かります。その家族や親しい人が言うなら分かります。「自由意志で危険な場所に行ったくせにロクな自衛手段も講じていなかった人のせいで、ウチのお父さん大変なんだから! もうホントに迷惑!」ってなら、そう言いたくなる気持ちも分かります。現在イラクにいる、これから行こうとしているNGO団体の人やジャーナリストにも、迷惑だと感じる人はいるでしょうね。

駐屯している自衛隊の方は特に複雑な心境にあるんではないかと、お察しします。イラクに行っていない自衛隊の方でも、「あんたらが撤退しないからだ」と家に石が投げ込まれたら、そりゃ迷惑でしょう(でもこの場合、迷惑なのは石を投げる人だと思うんですけど)。世間を騒がせたと言っている方は、実際に事に関わっている方々なんでしょうか? それとも彼らの苦難を思い遣っているだけ? でもそういう意味なら、迷惑をかけられているのは「彼ら」ですよね。「世間」ではなく。まさか皆、他人の苦難を我が事のように思えるほど共感能力が高い人ばかりでもないでしょうに。

となると……金? 自分の払った税金が使われているから? そりゃ……分からないでもありませんが、一体いつから皆、そんなに税金の使い道に神経質になったんでしょうね? なーんの役にもたたない道路を敷いたり、だーれも使わない巨大な公共施設を作ったり、ろーくに仕事もできない人間に高い給料払ったりをずーーっと続けてきているのに、それについてちゃんと考えたり抗議をしたり人が、どれだけいたんでしょう。私ゃ、今回の税金の使い方は、有意義な方だと思いますけどね。

税金の使われ方の異議については、異論も多いでしょう。こればっかりは価値観の違いなんで、「こんなコトに税金使うなんて許せん」と考える人がいるのは、当然だと思います。そうゆう方は政府にきっちり意見すればいい。それよりも、そんなコトよりも、「世間が世間が」と言うタイプの人たちには、今までにイラクのコトなど考えたこともなく/今イラクで何が起こっているのか考えるコトもなく/そうなってしまった原因なぞ知ろうともしないで、ただ自分の好きな番組が特番に潰されたか、自分のキライなタイプの人間がキーキー喚いてそれで同情集めて注目を浴びているのが気に喰わないだけなのに、それでも「私はそうゆうのはキライだ」と言わず、「世間」が、皆が迷惑してるんだ、とアクマで自己の発言に責任をもとうとはしない、その程度の人が多いように思えて、それが何ともやりきれないのです。

私が人質の家族に同情的なのは、身内が海外で生死もわからなくなった、という状況を知っているからかも知れません。20年近くも昔のコトですが、行方不明になってしまった親戚と一番近しい血縁関係にある母が、現地から入るあやふやな情報に一喜一憂してとても不安定になっていたのは、今でもハッキリと覚えています。私はまだホントに子供でしたが、ちゃんとした情報が入ってこないのがどれだけ不安でどれだけ神経をすり減らすものかは、思い知りました。本当に本当にツライものです。その身内の仕事柄、周りの人間は多かれ少なかれ「いつかは」という覚悟を抱いていたハズですが、だからといっていざ消息が不明になったとき、平穏でいられるワケではないのです。

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これを書いている途中で3人が解放されたというニュースが。良かった。これからの方が大変なコトも多々あるとは思いますが、3人が生きて家族のもとに戻れるであろうコトを、まずは祝福したいと思います。新たに拘束されたといわれる2人も、他の国の人質も、無事に戻ってこられますように。

2004.4.14

整理します。もう頭ごちゃごちゃ。

まずは今回の事件の起きる前に、イラクにいる民間人について、NGOの活動について、ジャーナリズムの実態について、どれだけの人が気にかけていたのかという事。事件の起きた後、現在でも、どれだけの人がどれだけのコトを知っているのかという事。そして自分と同じ判断をしなかったからといって、或いは自分が大事だとは思えない事柄に他人が一生懸命になっていたからといって、何か起こった後で、ナゼその行動を批判できるのかという事。

次に「危険立入禁止」と立て札のある崖から落ちてぶら下がっている人に対して、「自己責任でしょ。自業自得だよ」と言い放つ行為のどこに意味があるのかという事。自己責任の原則が無意味だと言っているんじゃありません。自己責任の覚悟は、個々人がしっかりと胸に刻むべきです。覚悟のない人に自覚を促すのも必要でしょう。でもこの言葉が、いつから人を断罪するために、切り捨てるために使われるようになったのか。例え崖からぶら下がっているのが気に入らない相手でも、まずは無事を祈らないのだろうかという事。

それらがどうしてもどうしても分からないのです。理解ができないままに、ただただとても悲しくなります。私は、人間の善意を、信じたいのです。

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人質の家族に嫌がらせ行為をしている人については、論外です。北朝鮮のミサイル発射や日本人拉致事件を理由に、朝鮮学校に通う女子生徒のチマチョゴリを切る行為と何が違うのか、これまた私にはわかりません。

2004.4.13

自分の中でもまとまっていない意見を書くのは手に余るし、読んでる方も私が何を言いたいんだかよく分からないだろうけど、始めてしまったので昨日の続きをもう少し。例えばサファリパークにAさんとBさんが行ったとして。「うわあ、ライオンがこんなに近くに! よし、もっと近くで見よう!」とAさんが車を降りてライオンに襲われてしまったら……それを聞いたら私も「バカだなあ」と思ってしまうと思うのです。でもAさんがライオンに襲われているのを見て、それを助けようとBさん(家族でも友達でも他人でもいいのですが。)が車を降りて、やっぱり襲われてしまったら。そうしたら私はBさんを「バカだなあ」とは思えない。例えBさんの行動が愚かであったにしても。

例えば川や海で人が溺れているのを見た場合、自分一人で助けようとしてはいけないってのは、しつこいくらいに言われています。でも毎年、溺れた人を助けようとして何人もの人が亡くなってしまう。そして最初に溺れた人は、結局レスキュー隊やライフガードに助けられたりして、助けようとした人の行為は結果的に何の益もなかったりします。それでも私は助けようとした人を「バカだなあ」とは思えない。彼らは自分の泳力を過信していたのかもしれないし、状況を見くびっていたのかもしれないし、何も考えていなかったのかもしれない。愚かだったのかもしれない。それでもです。私は彼らやBさんのような行動ができる人はすごいと思う。尊敬する。尊い、と思います。

イラクで拘束された3人を馬鹿だ平和ボケだ自業自得だと言う人にとって、彼らの行動はAさんのした、何の必然性もないのに危険な場所に好き好んでわざわざ足を踏み入れた行為、とイコールなのでしょうか? それとも意味はあったにしろ、自分のコントロールしきれない領域に手を出してしまったBさんの行為とイコールなのでしょうか? ……あ、それともあっちのが分かりやすいかな。氾濫しそうな川の中州でキャンプをして、何度も何度も「危険だから逃げろ」と言われたのに聞かないで、結局川にのまれてレスキュー隊や捜索隊の手を煩わした人たちとイコールなのかな。とすると結局、「危険な場所に残る必要」がないのに残ったのが悪いって話なのかな。

私が昨日から書いているのは、拘束された3人には「必要」があったんじゃないかってコトです。私は彼らが具体的に何をしていたのか知りません。だからそれが本当に必要だったのかも分からない。具体的に聞いても分からないかもしれません。でも、彼らは自分たちの行動が必要だと思っていたんじゃないかってコトです。何が誰にとってどれだけ大事だか、他の人に決められるんでしょうか。裁けるんでしょうか。

あと、人質の家族の「要求」が高圧的で生意気だ、被害者面が気に喰わないって気持ちは、分からないでもありません。私は今回はそんな風には感じていないのですが、何かの事件で涙ながらに訴える被害者の人を見て、心の悪魔が「この人、悲劇のヒーロー気分に浸ってんじゃないかしら」と思ってしまったコトはあります。しかも何回も。そしてその人たちを持ち上げて、世論を一色に塗り潰そうとするメディアのやり口を、気持ち悪いと感じるコトも多いです。でもじゃあ彼らはどうすればいいの? 彼らが「自分の身内は自己責任で危険な場所に行ったんだから、救出行動はしてもらわなくて結構です」と言えばいいんでしょうか。それともあくまで下手に出て「お願い」すれば、土下座して懇願すればいいのでしょうか。ああゆう状況にある人たちの態度が、どうしてこんなに問題になるのでしょう。だって彼らの要求が理不尽だと、無茶だと思うなら、受け入れなきゃイイだけなんだから。要求でもお願いでもいいけど、何かするコトさえするなってどうして要求しなきゃいけないんでしょう。

……なーんか昨日からたらたら書いていたコトは、pele-mele「自己責任?」「自己責任2」にすっきり端的にまとめられている気が……。えー、自分の考えを書くのは支離滅裂であろうと私のためにはなったと思いますが、私の文章読んでワケわからなくなった方はリンク先で頭を整理してください。私が引っかかっていて悲しく思っているのは、要はそうゆうコトです。

2004.4.12

朝の目覚めがすっきりしなかったのもどうやら疲れのせいだったらしく、寝倒した後はかなり起きるのが楽になった。…とは言っても所詮は私なんだけど。まあとにかく、体調はほぼ回復!とばかりに横浜に出かけ、美味しく飲んで食べたらゲロッパしてしまった。ショック。中生1杯とチューハイ2杯しか飲んでないのに。いつもの私にとっちゃあ、飲んでないも同然なのに。でも出すもの出した後は元気にカラオケに行けたんだから、体調がいいんだか悪いんだかよく分かりません。たぶんきっと元気なんだろうな。

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日曜日、イラクで拘束された人が解放されるかも、というニュースを聞き、その後珍しくこまめにTVをチェックする……も、新しいニュースは入らず。同じ地域で拘束されて解放された韓国の方の話や、犯人グループと何事かを話している3人の映像から、ひょっとすると解放されるのではないかと予想していたので、最初ニュースを聞いたときはまずホッとしたんだけど、その後は情報が錯綜してるらしくて不安になる。どうか無事に解放されますように。

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普段ココでは、あえて政治的な問題やら難しい時事やらは語らないようにしよう、と心がけている(つか分からないコトが多い)のだけれど、この件についてはちゃんと思うトコロを書いておこうと思う。自分の中でもまとまっていないけれども、混乱している部分は混乱しているままに。

私は以前、結果論で人を責めるのがいかに安易であるかを、書いた。いかにそのやり口がキライであるかも。自分のやらない/やれない/やりたくもないコトをやっている人が不幸な目に遭ったとき、その行動を批判するのはたやすい。行動そのものを責めるのは簡単だ。しかしその人が「ナゼ」その行動をとったのか、誰にわかるだろうか?

私は海外で、相手が悪い人だったら危険だって状況で、何度か人を信用した。私が海外に行く理由の何割かは、価値観の違う人/違う文化で育った人と話してみたいって欲求が占めているからだ。そういう人と思いがけなく通じあったり、笑いあえたりしたときの気分を知っているからだ。でも、そこに価値を見出さない人にとっては、私の行動は軽はずみで愚かなものでしかないだろう。海外に行って、キレイな景色が見られればいい/日常から離れたリゾート気分を味わえればいい/免税品が買えればいい/本場の料理が楽しめればいい、現地の言葉を使うのは気が重いだけでしかなく、日本語が通じればラッキーって人にとっちゃ、私の行動は理解の外だろう。

旅先に限らず、私の行動の指針はいつも「注意はする。でも運が悪かったら諦める」である。自分の行動の結果起こりうるプラスとマイナスを量りにかけて、プラスの方が大事だと判断するからだ。旅行先では特にハイリスク・ハイリターンな行動を取るが、それで今まで深刻なトラブルに遭わずに帰ってこれたのは、ただ運が良かったからである。それだけでしかない。注意をしてもトラブルは起こりうる、といつも覚悟はしていた、つもりだ。でもいくら覚悟はしていても、実際に殺されそうになったら命乞いでも何でもするだろうし、もし私が人質にされたら、家族は「助けるために何かしてくれ」と力になってくれそうな人に、政府にだって頼むだろう。例え私が自分の楽しみのために海外に行っただけにしろ。それは、そんなに、責められるべきコトなのか?

ましてや、あの3人には行くべき理由があったんじゃないのか。「スリル味わってみたいしぃ〜」って理由だったら、それこそ「望みどおりになっただろう」と言えるけど、そうじゃないんだから。彼らがナゼ行動せずにはいられなかったのか、知っている人はいるんだろうか。それに加え、イラクにいるジャーナリストやNGOの人たち(=彼ら、だよね?)は自衛隊じゃできない/やらないコトをしようとしているんだから、自衛隊に任せておくべきって意見にも同意できない。例えば自衛隊は、イラクの現状を伝えてくれない。私たちがイラクの側にたったニュースを細々なりとも知るコトができるのは、イラクの民間人にどれだけの被害が出ているかを知るコトができるのは、フリーのジャーナリストに負っている部分も大きいんじゃないのか。

彼らのやったボランティア活動は、もしかすると、感傷的な安っぽい同情から生まれた行動かもしれない。ひょっとすると売名行為だったのかもしれない。だから? 彼らの真意が軽いものだったら、彼らがやっていた医療支援活動は無意味なものになるのか?―――私はそうは思わない。例え彼らのやっているコトが焼け石に水の援助だったとしても、例え救われるのがほんの僅かな人だったとしても、結局誰も救われなかったとしても、人に手を差し伸べる行為が責められるべきだとは思わない。

彼らはひょっとすると、もしかすると、他の民間人よりも無用心だったのかもしれないけれど、それって命を失っても自業自得と言われるほどの罪か? そんなのは助かった後に説教すればイイことなんじゃないのか? まだ安否のわからない状況で、急いで彼らを責めなきゃいけない理由が、私にはちっともわからない。家族に「世間を騒がせた」とかいうワケのわかんない理由で謝罪を求める人もいるみたいだけど、家族が「できるだけのコトをしてくれ」と必死になるのがどうしてそんなに悪いのかも、私には分からない。(だってその願いを聞くかどうかは政府が決めるコトだし。実際、政府は「撤退しない」って決断をくだしているワケだし。何も口を封じなくったってイイじゃん、と思う。)

じゃあイラクから自衛隊が撤退するべきだったと思うのかと言われれば、そうでもないんだけど。つか「私は一度だってイラク出兵に賛成した覚えはないしぃー」としか言いようがないんだけど。(そりゃ私が票を投じた政党は負けてしまったけど、民主主義って多数決で決まった方向に合わせて、全員が考え方そのものを変えなくっちゃいけないって意味じゃないでしょ?)。でも今回もし撤退があったとしても、拘束された人たちが解放されたとは限らないし、その後続発するかもしれない邦人誘拐を考えると、撤退してもあんま意味はなかったんじゃないかなーとは思っているんだけど、でもイラクに自衛隊のいる意味もあんまないと思うけど。

……だいぶ頭が疲れて文章まで変になってきたのでそろそろ切り上げる。とにかく、私は拘束された人たちを批判する権利は誰にもないと思うし、批判したくない。懸けられているのは、彼らの命なのだから。(無事に帰ってきた彼らに説教するかどうかってのは、また別の話だ。)

2004.4.9

どうも気分が沈みがちでおかしいなーと思ってたら喉がいがらっぽくなって鼻水が出てきて風邪をひいたんだと判明。1年ぶりくらいじゃないかしら、風邪をひいたのは。普段丈夫だと不調に鈍感になるなと反省し、1日寝倒したらかなり楽になり、精神的にも上向いてきていたんだけど……昨晩速報で流れたニュースでもたげた頭をガツンとやられた気分。

胃に冷たい重いモノが宿って次から次へとやり場のない思考が渦巻いて油断すると崩れてしまいそうだ。9.11を報じるニュースを見ていたときにも感じたこれが、他人の不幸を安全な場所から眺めている人間の、感傷でしかないのか? ホントに? 私にはこれが他人事だと、作り物のドラマを見ているだけだとは思えないのだが。どうしても。今日になって、アパッシュモードの4/8の文章を読んで、ああ同じようなコトを考えている人がいる、と思う。狂言であったらいいのに。ほんとうに、そうであったらいいのに。

拘束された人たちの家族が「皆さまにご迷惑をおかけして」と謝っている映像にも、心が痛む。今回のこれは、危険だと言われてる場所に行った人間がバカだって話になるのか? 私は、その考えには同意できない。ましてや家族がまず真っ先に謝らなくてはいけない理由は、何一つ思い至らない。

2004.4.6

昨日感想を書いた『北洋船団 女ドクター航海記』は、何がきっかけで読みたくなったんだっけ…と記録を辿り、そのきっかけである「本読みHP」の中の「北村薫の《私》に対抗したい人に」を久しぶりに読み返したら、「そんないかにも透き通ったようなことばかり並べているから、たまに身体を書くと『盤上の敵』みたいな、たいへんなことになる」 って文章に大笑いしてしまった。最初に読んだときには、『盤上の敵』が未読だったんだなー、きっと。そうじゃなかったら引っかかっているハズだもん。ちなみにワタクシ、《私》はキライじゃないです。えー?自分の透明な感性をアピールするつもりは更々ないんだけどぉー。

いや私も《私》は作り物めいていると思う。けど、北村薫はそれでイイんじゃないかしらん。『盤上の敵』みたいな人間をバカにした話を書いて私の逆鱗をつつくんじゃなくて、肉体のない透明な女のコを、ありえないキレイな世界を書いてて欲しい。マジでそう思います。

と。北村薫は置いといて。確か前にも紹介した、このサイトの「読書感想文は1行読めば書ける!」は相変わらず笑える傑作。『大暴れ快男児』「クラムボンの正体」「手袋を買いに走れ」なんかも大好き。…と書いている時点で、透明な感性が聞いてあきれるって感じですわね。ほほほ。

2004.4.5

田村京子『北洋船団 女ドクター航海記』読了。女性としてはじめて、北洋鮭鱒漁業の母船に船医として乗り込んだ、2ヶ月間の記録である。

実は私、漁師という職業には偏見を持っている。漁師だの海の男ってのは、世界で一番カッコいい職業だと思っているのである。それは尊敬していた祖父が海の男だったせいもあるし、N.Z.で話を聞いたヨットクルーがめちゃくちゃカッコよかった(顔でなく話が)せいもあるし、TVで見かける漁師さんたちにいい顔をした人が多いせいもあるし、私の産まれた頃の4年間、父が北洋漁業に出ていたせいもある。いや、父の話は「俺が今まで喰った中で一番旨いイクラは北洋漁業に出てたときの云々」って小憎らしい内容ばっかりなので、カッコいいと思わせる役には全然たっていないのだけれど。でも父が海に出ているときに私が産まれたので、航海中に届けられた新生児の写真を枕もとに貼っていた、という話は子供心にナゼか嬉しかった。

まあそんなワケで北洋漁業というとちょっぴり親近感を覚える。田村さんが乗った船と父の船は会社も時代も違うけど、それでも。それに私は、海の上で何ヶ月か過ごすってのを、ずっと前からやってみたいと思ってるんである。N.Z.にいたときに、Y.H.でときどき「ヨットクルー募集。未経験者可。性別不問。×月×日〜×月×日の航海に参加できる人」の張り紙を見つけて、真剣に悩んだものだ。結局時期が合わなくて応募はできなかったが、今でも機会があったらやってみたいと思っている。まあ私の乗りたいのは10人くらいで操船するヨットなので、北洋漁業の母船とは大違いだろうけど。

田村さんは初の女性船医だったので、受け入れる側も大変だったようだ。トイレはどうするのか、風呂はどうするのか、間違いがあったらどうするのか…。私なんぞまず「船に女が不吉ってのはないのかしら」と思ったけれど、田村さんの乗った時代('82年)でも、それは古い考え方で問題にはならなかったみたい。そして田村さんは1000人以上の男集団の中の紅一点として、かなり色々大目に見てもらいつつ、楽しく過ごすんである。その好奇心と社交性には脱帽。自分だったらここまで積極的に交われないかもなーと思いながら、でもやってみたくなる。私は女にしては体力も腕力もあるけど、専門技術持ってないとムリだろうなあ…。田村さんだって全員の健康に責任を持つって仕事をキチンとこなしたから、あそこまで好き放題できたんだろうし。

とにかく冒険心を刺激される、いい本でした。南氷洋の捕鯨船にも乗り込んで本を書いてるそうなので、そっちも楽しみ。

2004.4.4

要はあれだ。好きな人に嫌われるコトに慣れてないんだな私は。

強くなりたい、とは思うけれども、楽しく生活していきたいけれども、好きな人とタイミングが悪かったり何だりで上手くいかなくって、それで「仕方ないや」と諦められてしまうってのは、私は強さだとは思わないんだわ。だからこうやって、ときどき落ち込んだりしながら、生きていくんだろうなあ。ずっと。

………ああ分かった。そうだそれだと馴染む続きは、言葉にするとあまりに青くさくて……あはは。ここに書くのはやめておこう。↑の文章読むだけで、続きはきっと分かるハズ。これは自分にだけ分かりゃイイや。

2004.4.2

■男くさい小説と女くさい小説を交互に読んでる今日この頃。どっちも色々考えさせられる。刺激を受ける、という意味ではなくて、「どうしてこう考えちゃうんだろうなー」ってコトだけど。現実でも小説でも、“いわゆる男らしさ”のある女性と“いわゆる女らしさ”のある男性が好きだなあ、私ゃ。

■安全に清潔に安全に清潔に安全に清潔に安全に清潔に安全に。それを求める気持ちはわかるし、求めても悪くはないと思うけど、そればっかりに囲まれて、危険を感じる能力や判断力や抵抗力や自浄力や回復力をなくしてしまった状態は不健全で気色が悪い。ひ弱いと思う。なのに昨今のニュースを見る限り、誰もそんな力を求めていないようで、気が滅入る。

■自分以外の何かに責任を求めた方が楽だもんなあ……。

■ときどき自分のうちの、どす黒い澱に泣きたくなる。苦しくなる。

2004.4.1

いやあ、さすがに年度末は忙しかった。30日の21時半まで残業ってのは平気だったんだけど、31日、普通にやったら19時過ぎまではかかりそうな仕事量を、定時までに大車輪でやっつけたら完璧イグゾースト(年度末のその日にどうしても外せない予定を入れるヤツがバカです、はい)。用事を片付けて家に帰った途端に倒れ込んでしまった。長時間働くよりも早回しで働く方が疲れるわ。我ながら独楽ネズミのようだったもん。こまかないけど。

さてさて、花が散って時期を逸してしまう前に、先週末の花見の話。3月27日の土曜日に花見をしようという話が出たのは、「関東の桜の開花は3/18でしょう」という予報が出ていた頃だった。が、話が決まった次の日からいきなり冷え込み、その冷え込みが続き、26日の金曜日に友人宅に集まったときには、街で見かける桜の蕾はまだほとんど固いままだった。「まあとりあえず出かけようよ」とは言いつつも、桜に対する期待は低めだった。しかし遊び仲間の4人が揃ったのは久しぶりだったので、沖縄話やその他モロモロに花が咲き、私たちは夜遅くまで盛り上がった。私は2時に沈没したが、他の面子は4時過ぎまで大騒ぎしていた。当然、土曜日の起床は昼近かった。

外は雲ひとつない晴天。空気も穏やかで、外に出なくちゃもったいないような気候だった。私たちは三浦半島に行くコトにした。まず逗子海岸へ行ってみると、浜辺でバーベキューをしてる人たちがいて、いい匂いが風にのって流れてきた。「車持っていると、ああゆうのができてイイねえ」と話しながら、私たちは波打ち際をゆっくりと歩く。途中でぬくい水に手をつっこんだり、さくら貝を拾ったりしながら。「今日の葉山辺りはどうかなー」ってのはダイビングの話だ。浜辺から見る水はとても澄んでいるように見えたけど、深いトコロの透明度って浜辺じゃわからないのよね。海にはウィンドサーフィンを楽しむ人ら。ちょっと風が弱かったから、初心者向けの天候だったかも知れない。沖にはヨット。ヨットもやってみたいなあ。もちろんディンギー。

逗子海岸披露山より
左:逗子海岸と江ノ島/右:披露山公園から逗子海岸を臨む

海岸を離れて披露山公園へ。高台にあるこの公園からは歩いてきた逗子の海岸が一望できる。桜はやっぱりまだ三分咲きくらいだ。でも道端にはスミレやタンポポ、雪やなぎ、つりがね草、名前も知らないたくさんの花と、春の気分はたっぷり味わえる。高台にずっといると、少し風が冷たい。公園内の猿山をしばらく眺め、次は海に突き出す大崎公園へ。高級別荘地の庭園住宅を抜ければすぐの道のりなのに、私らは道を間違えて小坪漁港の方まで大回りしてしまう。途中で野生のリスが見られたりしたから楽しかったが、ちと疲れておなかも空いてきたので、ダイビングのときに連れてきてもらった、刺身の美味しい定食屋へ。真鯛を食す。

桜桜
たいていの桜は左くらいの咲きっぷりだったけど、白いのはかなり開いてました。

一休みした後、近くの魚屋も覗いてみる。シラスや鮭の切り身が安くてめちゃくちゃ美味しそうで、マジで買って帰ろうかと迷ったが、その後の予定を考えて断念した。でもしばらく後ろ髪をひかれる。やっぱ海の近くの町ってイイなあ…。長い長い階段を登って天照神社を抜け、大崎公園に入る。そろそろ日が傾いてきていて、凪いだ海の上に赤味がかった光の帯ができている。岬がそのまま公園になっている感じなので、公園をぐるっと回る散歩道の柵の外側は切り立っていて、そこからトンビが鳴き交わしながら飛び立っていく。びっくりするくらい近くを通るトンビはカッコよくって、写真を撮ろうとしばらくガンバっていたのだが、カメラを用意してると来やがらないんだヤツらは! おちょくられているのかと思うくらいのタイミングでそうなんだもの。

大崎公園より桜
左:大崎公園から逗子マリーナ方面を/右:夕方桜

暗くなりかけた頃、帰路につく。全然花見っぽくなかったけれども、思いがけずに充実した午後。昼まで寝てたとは思えんよ。

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