昨日果実酒を漬けた瓶は、定価で買った。果実酒モードが突発的にやってきたので、安い瓶を探す暇がなかったのだ。梅酒用の、赤いプラスチックの蓋の容器は、並べたときに今ひとつ見栄えが落ちるので好まない。仕方なかった。なかったのだが…容量1L瓶が1,100円ってのはキツい。4つで税金入れて4,620円もした。さらに材料費がかかる。昨日の仕込みだけで満足したならイイのだが、私の欲求は燃えさかり続けている。4つじゃ足りな〜いっ。
というワケで、ネットで安売りしてないかどうか検索検索。したらあるじゃないですか! フランス製の、ちょっとぽってり厚そうなガラス製の保存瓶。ちゃんと密閉もできるし、500mlのヤツは胴の真中が膨らんでいて可愛い。ジャムとか入れて並べてみたい感じ。しかも値段も安い。ネット割引後の金額は、私が買った瓶の半額に近い。これは買いでしょう。送料は…おおっ1万円以上買うと無料ですと!? じゃあまとめ買いしておこう。そしたらいつ作りたくなっても安心だ! 500mlの可愛いヤツは外せない。10もあればイイかしら。果実酒の材料を引き上げたときに丁度良さそうな750mlのも…6つ、かな。そしてお手頃サイズ1Lはもう4つあるから…あと6つ。これで幾らになるかな。…えっ9,820円? まだ1万円にいかないの? なんてお徳なのかしら! そうそう、梅とか果物とか漬けるなら、もうちょっと大きいのもあった方がイイかもね。じゃあ750mlのを減らして、2Lのを幾つか足そうかなあ。
と、モニタの前で夢中になって計算をして、注文を…という時点ではっと我に返った。落ち着け、落ち着けよ私! そんな大量の瓶、いったいドコに置こうというのだ。東京の住宅事情を考えなきゃダメだ。しかしそう思うそばから「田舎に置いてもらえば…」「友達と共同購入して本数減らせば…」「ベランダに置き場所作れないだろか…」と必死になって抜け道を探している。重症。ああもう誰か大きな家を持ってる方、結婚してくださいっ! 家だけくれても可。
果実酒上手の友達に携帯メールで「お酒を仕込みました」と報告。「くこ酒は飲み頃まで1年です。待ちきれない〜」と書いたら、すぐに「待つ時間が長いほど、楽しみも倍増ですよ」と返事がくる。そっこう、胸の中で我が師に任命。いろいろ教えてもらおうっと。
わはは。もう何とでも言って。↓
左からにんにく酒、ローズマリー酒、セロリ酒、くこ酒。それぞれ効能もあるようだけど、もう作るだけで楽しい〜。キレイな赤いお酒になる予定の、熟成まで一年もかかるくこ酒は、半年くらいずらしてもう一瓶仕込もうかなー。まだ材料が余っているし。今日の日付や飲み頃を書いたラベルをぺたぺた貼って、並べて…。うふうふ。ああスペースさえあれば、もっともっと仕込むのに。いかにも薬草酒!ってのも作ってみたいし。秋になったら唐辛子酒とかイイよねぇ。今日は材料買ってきたけど、庭でできるハーブでお酒をつけ込むなんてのも、ステキ。まったくやりたいコトが多すぎるわあ。…けど、ま、焦らずのんびりやって行こう。
セロリやローズマリーも余ってしまったので今晩は野菜スープでも作ろうかなー、なんて思ってる静かな休日。ちょと寂しい。
果実酒・薬草酒の本を眺めてうっとり。…藤の花のお酒ってのもキレイそうだなぁ…そういや近所の公園で藤が満開だったっけ。夜闇に紛れて取ってくるか…いやでも東京の花は排気ガス吸ってそうだし、虫がつかないように薬使ってるかもしれないし…あっこぶしの花のお酒ってのもある! こないだ栃木に行ったときに叩き落してくれば良かった! と企んだり歯噛みしたりしていたら、タイムリーにも先週末一緒に栃木に行った友人から呼び出しがあり、飲みに行く。
彼女は自家製の果実酒やらハーブ酒やらの先輩なのだ(とは言っても私は梅酒くらいしか作ったコトがないのだが)。更に「どうせ育てるなら食べられるものを」のポリシーのもとに、自宅の広いベランダでいろいろ栽培していたりもする。私と気が合わないハズがない。昨夜も調子にのって「今度またこぶしの花を見に行って、ついでに取ってこよう! あと色んなハーブ酒漬けてさー。ウチにはスペースがないから、お宅に置かせて? どうせしょっちゅう遊びに行ってるんだから、そのとき飲めればイイし」と、際限なく無茶話をしまくる。無茶話なのに、当てにしてるのは人の家のスペースってあたり、ちょと悲しい現実が仄見えるような気がしないでもないが、すぐに「どうせならパントリーつきの別荘建てようよー」となるのが妄想女王の妄想女王たる所以。不屈。
最初は「久しぶりにパン焼きたいなあ」だったのに、こうやって薬草酒作りに惹かれてしまうのはカドフェルの影響だろうか。ひょっとすると明日は瓶とホワイトリカーを買い込みに行ってしまうかもしれないくらいの勢いがついている。……お金ないのにぃーーーっ。
ガマンのきかない女↓。締めて4,200円なり。高いよー。でも本屋でさんざん迷ってシアワセだったわー。帰ってからもお茶を飲みつつ本を眺めて、いろいろ夢を描いて遊びました。残念ながら実際にパンを焼く暇はナシ。
風邪をひいて熱発。2日間休み。ホンっトに何もせず布団にくるまってうとうとうとうとして過ごしました。味が好きなので唯一受け付ける風邪薬=葛根湯を飲んで寝て支離滅裂な夢を見て選挙カーに眠りを邪魔されて…(うるさいよ!)。2日も休むと、もう会社に行きたくなくなります。熱発していたのは嘘じゃないのですが、休んだ理由の1/4くらいは会社に頭きてたからだったりするので、余計に。それでも月末処理があるからと、しぶしぶ出社したのに、今度は私に月末処理の仕事を教えてくれる人が休み。やられた。来週が思いやられます。GWって何?って感じ。自業自得とか言わないでください。本人が一番痛感してますんで。
無性に「パン」「果実酒」「ペースト」「ジャム」の作り方の本が読みたいです。美味しそうな写真がいっぱい載っているヤツがいいな。昔はけっこう得意でよく焼いていたんですが、何年焼いてないんだろ、パンなんか。大きい窓のある日当たりのいい台所で、床には果実酒の瓶がずらっと並んでいて、棚には手作りの色とりどりのジャム。「今ごろ皆会社に行ってるのねー。ご苦労さまだわー」とか思いながら手を粉だらけにしてパン作りた〜いっ。…疲れてるんでしょうかにー。
週末、友達と「期待してもムダな人に期待しちゃうフシアワセ」について話した。私も人づきあいが下手だからホントは偉そうには言えないのだけど、自分を棚に上げるのは得意なのだ。で、例えばAさんとBさんの間に何らかの関係(夫婦でも恋人でも親子でも友達でも)があって、AさんとBさんはお互い相手に満足していない。「あの人はあれもこれもしてくれない、こうゆう傾向がある、なにが足りない」と日々不満を募らせている。それはとっても虚しいよねえ、って話。
私なんぞは冷たいので、そゆ関係はさっさと切ってしまうのだけれども、世の中には切れない/切りたくない関係があるのは分かる。相手との付き合いに何の未練もなくっても、倫理観や義務感や打算が関係を切らせないのかも知れないし、あるいは不満を持っているのとは別の面が好きだから、関係を切りたくないのかも知れない(←この場合は私も切ったりしない)。どっちにしろ、相手と付き合い続けるコトを選んだのに、その相手が与えられないものを求め続ければ、お互い惨めになるだけじゃないだろか。
あ、変わり得るような表面的なものが気にくわない場合、話は別だけど。でももっと本質的な、「あの人のこうゆうトコロはもう変わらないだろうなー」っての、あるじゃない? 当てはまらない状況も多々あるとは思うが、友達と私の話していた、とある具体的な関係の場合、AさんもBさんも上手く付き合えていないくせに、相手に期待し続けている。そして相手が応えてくれない、と悲しんでいる。AさんはBさんが与えてくれないので悲しい、BさんはAさんの求めるモノを与えられないので悲しい。逆も同じ。……もう、期待するの止めちゃえばイイのにね。
こう言うと、相手をとってもバカにしているようだけど、そんなコトはない。期待しないってゆうのは、とある一面に関してだけで、その欲求は他で(人でもモノでも)満足させて、相手とは変なストレスのない状態で楽に付き合っていけばいいってコト。て、「期待しなけりゃガッカリもしない」なんて後ろ向きな話ではないよ? どちらかと言えば「期待するのをやめないために」の、欲張りな方向だと思う。欲張りだけど、やってみれば簡単で効果的なのに、そゆ発想に罪悪感を持つ人っているのだ。なんか自分で好き好んで苦労を背負い込んでるように見える。困ったもんだねぇ。そうだねえ。ほう…と、思わず知らずため息が漏れてしまうのでした。
木曜から金曜に日付が変わる頃、「急なんだけど土日あいてない?」というホントに突然のお誘い電話があり、誘惑に弱い私はそれをほいほい受けて、友達2人と栃木に一泊旅行に行ってきました。今回の旅行の目的は「こぶしの花を見る」ってだけだったので、前々からやろうやろうと言っていた「ペーパードライバーたちの“ペーパー”返上訓練」も予定に加え、レンタカーを使って栃木の公道をぐるぐる走りまわりました。運転上手の人に運転してもらう場合、私はもう安心しきって運転はお任せしちゃうのですが、今回は自分が運転する番じゃなくても左右確認・後方確認・ナビ…と、気が抜けません。三位…じゃない、三身一体の訓練です。逆に自分が運転するときは、教官が乗っているようで心強く、レンタカーも無事に返すコトができました。やたー。もともとの目的のこぶしの花も桜も、ちょっと盛りを過ぎたくらいで、まだまだ見応えがあり、存分に堪能させてもらいました。急なお誘いばんざい!
さて。つい最近とっても楽しませてもらった『ベストセラー本ゲーム化会議』の著者3人による緊急会議LONG Version(WEB ダ・ヴィンチの特集「天才作家たちが10代の魂を描く理由」番外編にあります)のせいで、宮部みゆきの『ブレイブ・ストーリー』をとっても読みたくなってしまいました。宮部みゆきだし、タイトルがタイトルだし、どこかスカってる気がして全然食指が動いてなかったのに。でも『ゲーム化会議』の3人の意見には肯ける部分が多く、ときどきツボにはまって笑わせてもらったし(特に米光さんの脚注がお気に入り)、判断を信用して読んでみようかなー。私が“ファンタジー世界観至上主義”かどうかも気になるトコロですしねぇ。そんなに頑固じゃないつもりだけど、「ここは押さえとかないと!」ってツボはきっとありますもん。そうゆう、自分のツボを探るのって、けっこう好きです。
ケン・フォレットの『大聖堂』読了(更新する時間がなかったのだけど、昨日の日記は、火曜日にほぼ書きあがっていたのです)。後書きによると、彼は作家生活の最初の頃から「大聖堂の話を書きたいなあ」と思っていたのだけれど、当時は力不足で書き上げられず、もっと単純な筋のスパイ小説(=『針の眼』)を書いたのだという。そして力をつけてから、『大聖堂』に着手したのだと。
残念ながら、作家が精魂込めて書いた作品よりも、手すさびに書いた作品の方がよっぽど面白いって例も世に多いけれども、嬉しいコトに『大聖堂』はそうではない。さもありなん、と思わせられる出来だ。面白かった! 内戦で荒廃する十二世紀のイングランドを舞台に、大聖堂建築を軸に繰り広げられる物語。大聖堂建築に魅せられた職人(s)と、堕落した修道院の建て直しを図る新修道院長に、次から次へと襲い掛かる試練。教会内部での権力争い、王権と教会の権力との対立、内戦のどさくさに紛れた略奪、資金難、飢饉、嫉妬、裏切り…。もうハラハラし通しで本が置けず、すっかり寝不足になってしまった。
舞台の中心となるのはキングスブリッジという架空の村だが、ホワイトシップの沈没(この事件でヘンリー王の後継ぎが溺死し、ヘンリー王の死後、内戦が勃発する)からカンタベリ大司教トマス・ベケットの暗殺(とヘンリー二世の改悛の秘蹟)まで、半世紀にわたる史実を上手に利用し、読ませてくれる。すっかり中世の歴史に惹き込まれて、昨日など会社帰りにヘンリー二世が主役の映画、『冬のライオン』をレンタルしちゃったくらい。登場人物たちはカッとなりやすい人が多すぎたりして、惚れこみはできないのだけど、それでも魅力的で好きになれる人はたくさん出てくる。敵役はホントにホントに憎らしいし、リミジアスの証言シーンには泣いたし、フィリップ院長の「もう遅い、ウィリアム。もう遅い」のシーンは、あまりにも絵になりすぎ。映画にして欲しい。
余談だが「公正王」とか「長寿王」、「失地王」、「獅子心王」、「禿頭王」、「残虐王」とかいう王の呼び名が私は好きだ。もし万が一、王家の存在するファンタジーを書くことがあったら、絶対使う。それだけでワクワクするんだもの。「彼は後に楽天王と呼ばれた」なんて風に。
カドフェルの解説に書いてあったとおり、たしかにカドフェルファン必読の作品だと思う。上・中・下巻で、分厚くて、見た瞬間「げっ」と思ったけど、読んでよかったー。
こないだ、いとこ2人と父親と私の4人で飲み会をしたんだけど、どうして皆、私がお酒を一滴も飲まない日もあるって事実を信じないのだろう。(そりゃつい2、3ヶ月前までは、毎日飲んでたけど)。「ビールはアルコールのうちに入らないもーん、とか言って飲んでない?」って何だよー。自分らだって飲むくせにー。私はアル中じゃないってばー。
仕事がイヤーンな感じで忙しい。無駄なコトに労力を使わざるを得ない状態って、性に合わない。前任者の仕事がかなりいい加減で、あちこちに問い合わせをしなくちゃいけないのだけれど、問い合わせ先がこれまた揃って責任感なくて、「調べてお返事します」と言っておきながら、そのまま忘れてしまう。数日後経っても音沙汰ないので、「こないだ問い合わせた件、どうなりました?」と聞きに行くと、「あー、分からなかったんだよね」。…それで済ますな! 分からなかったら、せめてその結論を伝えるべきじゃないのか。そんなやり取りで日々消耗中。くそー。
そんな毎日を癒してくれるのは、通勤時間と寝る前に読んでいる、大好きな『修道士カドフェル』のシリーズだ。心は十二世紀イングランドに飛び、田園の風景と、魅力的な登場人物に囲まれ、思う存分現実逃避できる。…が、巻末の解説に「カドフェルファン必読の作品」として紹介されていた、ケン・フォレットの『大聖堂』に浮気したら、これが面白くて止められなくなってしまった。カドフェルシリーズは再読だし、あまりハラハラさせない作風なので安心して読めるのだけれど、『大聖堂』はなにせ初読なので先がわからなくてドキドキする。会社サボって読み進めたいくらい。
その『大聖堂』に、すごくえげつない人物がでてくる。相手よりも上位に立つコトでしか、自分の価値を確認できない最低男。しかもイングランドは内戦中なので、伯爵家の一員である彼はやりたい放題で、犯すわ殺すわ破壊するわ…。頭が修道院モードに入っているので、つい「この男の頭上に神の雷が落ちればいい」とか思ってしまう。ときどき、「こいつも可哀相なヤツなのかも知れん」と思わせられるような描写もあるのだけど(てか、そうゆう性格をしているだけで充分可哀相とも言えるのだけど)、その次の彼の行動がまた余りにもヒドくて、「やっぱ許せんぞー」とムカつく。彼は地獄を恐れているので、まれに自分の行動を振り返って怯えるのだが、腹黒い司教がすぐ赦免を与えてしまうのよ! よくないよそうゆうの!(←全然修道院モードじゃない)。
今のところ、前に読んだ『針の眼』よりも『大聖堂』の方が好みだなー、ケン・フォレット。いや『針の眼』も面白かったんだけど、あれは善人役よりも敵役のスパイに感情移入しちゃったから、最後がちょいね。『大聖堂』では悪人どもに応分の報いがあって欲しいよ私ゃ。……て、なんか「時代劇は悪人が最後にはやっつけられるから好き」と言ってるおばあちゃんのような発言ですが、とにかくそうゆう結末を私は望む。あーーーーホント会社サボって読み進めたい…。
ふと、「50歳以上」というときはその中に50歳も含まれるのに、「それ以外」というときはその中に「それ」が含まれないのは変じゃないのか、と気になって、辞書を繰ってみた。そしたら、基準点が含まれるのは数量を表す場合だけとのコト。確かに、同じ「以上」でも、「あなた以上の男がいいの」という場合には、その中に「あなた」が含まれているハズもない。なるほど、納得。
という話はどうでもよくて、最近シリーズ物の小説を読んでいるので「面白い解説はどうゆうのか」を考えてみた。…ところで「後書き」と「解説」ってどう使い分ければイイのかしら。「後書き」は著者によるもので、「解説」は著者以外の人によるもの…で合ってるのかな。(ま、とりあえず今日はそうゆう意味として使っておこうっと)。
で、今までの経験からいって、「解説」より「後書き」の方が面白く読めるものが多い気がする。著者の作品に対する思い入れでもイイし、なぜその作品を思いついたのか、書こうと思ったのか、どの登場人物に肩入れしているのかって話も興味深い。或いは作品を書いてる間に思っていたコトを書いてくれてもイイし、作品から離れて、全然関係のない日常生活の一部を垣間見せてくれてもイイ。つまり、作品が気に入っていれば、著者が書いているってだけで満足なのだ。(逆に作品がツマラなかったら、後書きにもムカついたりする)。
しかし解説は…。まず、解説者がもうホントにその作品を好きで大好きで堪らなくって、文章からもそれが伝わってくるってのが、理想の形の一つだと思う。でも、そうゆうのは滅多にない。それから、作品の理解を助けてくれる解説ってのもある。これはありがたいし、前者に比べると出会う確率が高い。その作品の舞台…例えば時代物だったら、どういう時代だったのか、人々がどうゆう価値観を持っていたのか、どうゆう生活をしていたのか…をちょっと書いてくれるだけで、作品がより面白くなる。同じ時代を舞台にした小説とか、同傾向の小説なんかをオススメしてくれてもイイ。
あと、仕方なく受け入れるものとして、作品や著者のデータを並べただけの解説がある。いつ書かれたのか、どんな評価を受けたのか、等々。変わった形で世に出た作品だったら、その事情だけでも面白いだろう。著者が他にどんな作品を書いているのかってのは、その著者に初めて出会った場合にはありがたくさえある。が、私が分からないのは、小説の粗筋をかいつまんで説明してある解説だ。何の意味があるのだろう。本文を読んでから解説を読む人間(私)にとっては何の価値もないし、先に解説を読む人には先の展開(例え途中までにしろ)をバラしてしまうだけじゃないのか。
要はそれだけ、ツマラナイ解説が多いなーって思ってるってコトなんだけど! 粗筋書くなってコトなんだけど! 字数書けばイイってワケじゃないんだよー。なにか面白いコトが書いてあるかも知れないと思って、一応全部に目を通しちゃうこっちの立場に立ってみろよっ! きーっ!
えっ、♪チェッチェコリ チェッコリッサ…の歌って、メジャーなのですか? うちの学校の唱歌には入っていなかったから、私はコマーシャルで初めて聞いたんだけど、更に今朝まであれがガーナ民謡で「♪リサンサマンガン サンサマンガン ホンマンチェチェ」という歌詞なのを知りませんでした。素で「二酸化マンガン酸化マンガン豊満チェチェ」と歌っているオリジナルソングだと疑わず、正解を知って初めて「そう言えばドリンクのコマーシャルに二酸化マンガンはないよな」と思い至りました。あーあ。
さて、私は人が歌ったり踊ったりしてる姿が好きです。別に武富士のテクがなくても構いません。「♪チェッチェコリ」や「♪チャンスは毎週チュ〜チュ〜チューズデイ」だって可愛くて好きです(後者に出てくる日本人の女の子は、一人だけ踊れてないので目障りですが)。つい見ちゃう。けど、下手くそなダンスには我慢がなりません。具体的に言うとアビバです。あれもう見るたびに気持ち悪くてイライラしてイライラして…。あれは踊れてるか踊れてないかって以前に、振付がひどすぎます。流れも何もなくて、ぶちぶちに千切れた動きを重ねただけ。人間の体が持ってる魅力を何一つ見せてくれません。あれで金をもらってる振付家がいる(よね?)ってだけで頭くる。
ところで私が♪チェッチェコリの正解を知ったのは、今朝の『はなまるマーケット』の冒頭でやっていたからなのですが、そこで出演者たちが曲に合わせて腰を振っているのを見て「腰を振るだけでも踊れない人は如実に分かるもんだなあ」と感心しちゃいました。一番ダメだったのは安住アナです。「ダンスってのははねぇ、腰と胸とで踊るのよ!」とムチをならして説教したくなるほどのダメっぷり。…ちなみに私は、どちらの柔軟性にも自信がありますぜ!(珍しく。)
キリがないんで今回のアリスのコンプリートは狙ってないんですが、大工とセイウチだけは欲しいなあぁ。まだどっちも出てませ…てか、ちゃんと買ってません。買わなきゃ。
昨日書いたステンレス多層構造鍋は2月に買ったばかりなのですが、すっかり気に入って、他の鍋を使った方がいいような量の料理のときも、無理矢理その鍋を使っているくらいです。こないだ不覚にも肉じゃがを丸コゲにしてしまったときには、1時間以上も必死に磨いて元通りにしました。不満といえばサイズです。もともとミルクパンサイズの片手鍋の代わりに買ったのだから、小さいのは当たり前なんですけど、でもやっぱりも少し大きなサイズのも欲しくなってしまいました。
そんな折、今度はテフロン加工のフライパンがダメになりました。そこでまた妹を説得し、片手鍋と同じシリーズのソテーパンの購入決定! 片手鍋は二割引きで7,000円くらいだったのですが、今回は二割引きでも12,000円。あまり料理に時間をかけない(かけられない)妹は渋るかと思っていましたが、やっぱり片手鍋が気に入っていたらしく、割とあっさりOKしてくれました。それとも「保証期間が長いから、日割りにすれば一日コーヒー一杯分のお値段よ?(←そんなにしませんよ、もちろん)」が効いたのかも知れません。ホントは炒め物用に鉄の北京鍋も欲しいのですが、まあそっちはかっぱ橋でも散策するときのお楽しみに取っておこうと思ってます。
こうやって使っている鍋がダメになるのに乗じて、「この機会にいいヤツを買おうよ」と提案するのは比較的簡単なのですが、妹も私に負けず劣らずの貧乏性なので、ダメになっていない両手鍋の代わりにル・クルーゼ(今までのよりもっと高い)を買うって提案には、まだ頷いてくれません。が、今年中になんとか口説き落とそうと決意してます。彼女も、貧乏性である以上に美味しいもの大好きの食いしん坊なので、落とすツボは分かっているのですよ。ふっふっふ。
マズいワインの話をしたら、聞いた人のことごとくが「メルシャンを買うのがバカだ」って冷たい目で見るんです…。ひーん、私だってそう思いますよう。メルシャンが前面に出てたら買いませんでしたよう。もうイタリアって文字には騙されませんよう! ……でもなあ…、友達んちで出されたワインはたしかメルシャンだかサントリーだかだったんだけど、それは飲めたんですよねえ。掃き溜めに鶴の一品だったのかしら?
さて、久しぶりに料理の話。昨日の晩は茄子とシシトウとエリンギの揚げ煮、肉そぼろあんかけを作りました。見るからにカロリーが高そうな料理が出来上がったのですが、そして使った油の量からして絶対高カロリーなのですが、味はばっちり。食べた感じは油っぽくなく、茄子はとろけそうに柔らかく、ご飯と一緒にばくばく食べられます。買ってからというもの、ヘビーローテーションで活用しているステンレス鍋のおかげです。お鍋さまお鍋さま、と、思わず拝んでしまいます。
無性に食べたくなって、殻付き甘エビ(刺身用)も買いました。刺身は刺身でイイけど、もったいないので殻でスープを取ってみました。うーん、スープの中身は何にしよう…、トマト味もいいし、あっさり中華風にしてもいいし…。冷蔵庫の中身と他のメニューと相談し、ニンニクと鷹の爪で風味をつけて、シメジと賽の目に切った豆腐を入れ、塩胡椒で味を整え、仕上げに糸三つ葉。見た目はいい感じで、さて味は……うまー。大成功〜。いい出汁が出ているときは、よっぽどのコトをしない限り失敗のしようがないんですが、でもそんな冷静な意見は棚に上げ、「私ってば天才〜」と舞い上がっちゃいます。適当に作った料理が成功するとすごく嬉しくなるんですよね。
両方とも美味しかったんで、次に友達に料理を作るときにでも再挑戦してみようかと企んでます。しかし問題は、すぐにレシピを忘れちゃうコト。いっつも、あるもので適当に作っているから覚えてられないんです。そんなワケで、今日の日記はこうなったのでした。これで覚えていられるぞ。
桜が楽しめる週末もこれで最後だろう、と、日曜日は近所を散歩してみました。とは言っても買物をしに出かけたら、あまりにも気持ちのいい陽気についふらふらと誘われて「あっちのお寺の見事な桜まで…」「あ、あそこのキレイな庭まで…」と足を伸ばしてしまっただけなんだけど。ちょうど日が傾きかけた頃で、夕陽が当たって桜の色が濃くなっていて、小一時間楽しく歩けました。
私の住んでいる街は、物価が高くて住みやすいとは言えないのですが、散歩をするにはいいトコロです。ちょっと歩くと、広い庭のある家がたくさん見つかるし、住宅街の中にぽつんぽつんと可愛い雑貨屋があったりもします。庭もキレイに手入れされてるのが多いです。特に今の季節は、どの家でも色とりどりの花が咲き誇っていて見事。あまり手入れされていない庭ももちろんありますが、鬱蒼としてるのも、それはそれで趣があって好きです。
まだ夕陽の色が残る夕闇の中を家の方向に向かうと、ちょうど桜並木の下の屋台が片付けられている真っ最中でした。ああそう言えばこの街では桜の時期の週末に屋台が出るんだった。焼きそばやビールも売ってるけど、それよりワインの一杯売りをする屋台や各国料理の小じゃれた皿を扱う屋台が目立って、青シートの上の花見客たちも比較的上品で、その雰囲気はかなり気に入っていたんだ。去年は私もワイン片手にぼーっと桜を見たっけ…と思いながらその場を後にしましたが、もう少し早めに来なかったのが残念な気分になりました。来年は誰か友達でも誘って、料理をバスケットに詰めて、屋台でワインを買って…てのもいいかもなあ。
毎月曜日恒例の、週末話。長々と借りっぱなしにしていたハリポタ・シリーズの1〜3巻を返し、4巻を借りるため、土曜日は友人宅に行ってきました。彼女の家を初訪問したときも日記に書いたとおり、彼女の家には可愛い娘さんが2人います。子供扱いの無器用な私にもめげずに懐いてくれるツワモノたちで、特に今回、上の娘さんは私の膝に座りっぱなし。帰るときに「To-koおねえちゃーん、帰っちゃやだーっ」と泣かれたときには、さすがに切なくなりました。また遊びに行くつもりですが、さあ、いつまで相手してくれるかなあ?
お昼もご馳走になったのですが、さすが麺に一家言あるダンナさん(前回「うどんに一家言」と書いたら訂正入ったので、今回は正確に)が用意してくれただけあって、今回もジャストな茹で具合の麺を堪能させてもらいました。しかも桜、蓬、ゴマの三色。蓬が一番風味が強かったけど、色がキレイでかすかに香る桜がワタシ的には気に入りました。(私信:今度売ってるトコロを教えてください)。あと、タコの卵も出してくれました。タコの卵! 私多分生まれて初めて食べた! もちもちしていて、面白い食感でした。タコの卵が食べられるかなんて考えたコトもなかったので、びっくり。
彼女は私の日記を読んでいるので、話は私が今冬始めたスキーの話になりました。が、……レベルが違いすぎ! 夫婦して30度の傾斜がどうのコブがどうのと語るんですもん。「傾斜がキツい方がかえって滑れるんだよ、考えないから。体が勝手に反応してくれるよ」とか力説されても、困ります。無茶だよー、私まだ20度の傾斜も滑ったコトないんだから!と答えると、「20度なんかまっ平だよ」って…、ひーん。スキー場を薦めるにも「ここの傾斜はいいよー。全部30度以上!」って感じで、どう反応すればイイんですか、私は。この夫婦とは一緒にスキーに行くまい、と決意する以外に。
それからまたオンラインゲームの『クロスゲート』を見せてもらって勧誘されて…。ああ前の訪問時と同じ流れだわ。私がなまじっか興味を持っているもんだから始末が悪いんですよー。見せてもらって話を聞くのはすごくすごく楽しいんです。でも実質、時間がないんですもん。私が効率よく時間を使えるようになるか、一日があと3時間くらい長ければ…って、これも前回の日記に書いてますね。ゴメン、当分やらないと思うけど、話はまた聞かせて!(私信II)
帰ってからすぐ『ハリー・ポッターと炎のゴブレット』を読み始め、週末で読み終わってしまったので、感想をさらっと。(コチラは1〜3巻を読んだときの感想)。4巻になってだーいぶ暗い雰囲気が漂いはじめましたねー。字のサイズも小さくなって、しかも上下巻。今までと比べてかなり読み応えがありました。スネイプ先生のポジションは私好みだなあ。あからさまにスリザリン寮を贔屓して、ハリーたちをネチネチ苛めるところは底が浅い悪役っぽくて好きじゃないんですが(頭のいい悪役が好きなので)、彼の背負ってるものとか立ち位置とかは好みです。この先の彼には期待。
スリザリン寮の扱いも、これは前から思ってたんですけど、惜しいです。「悪い魔法使いをいっぱい出してる寮」ってだけでは、寮の存在価値がないんですよ。「スリザリン寮生の特性は悪にも魅入られやすいが、反面、優れた魔法使いに成り得る特性であり、偉大な魔法使いをたくさん輩出している」って風にすれば厚みが出ると思うんだけどなー。他人に厳しいが自分をも厳しく律し高潔で、ユーモアがなくて視野が狭いけれども、脇目も振らずひたすら目標に向かって突き進むことができる、頭がよく禁欲的でカッコイイ魔法使いが出るような寮なら、ホグワーツでスリザリンが占めるポジションがはっきりするだろうに。
毎度のコトながら、ダドリー一家の辛抱強さには頭が下がります。あれだけヒドい目にあってるのに、よく毎夏ハリーを受け入れるよなぁ。あと訳文で、やっと復活したヴォルデモート卿の一人称が「俺様」なのがヤです。ジャイアンじゃないんだから!
と、ついついハリポタにはツッコんでしまうのですが、でもやっぱ面白く先が気になるのには変わりありません。4巻は今までの登場人物が再登場して活躍するし、ハーマイオニーはますます魅力的だし(ロンにはもったいないよ!)。宿敵が復活し味方の足並みも揃わないこの展開では、5巻6巻とますます暗くなっていくのでしょうが、びっくり宝箱みたいな魔法世界の描写はトーンダウンさせずに突き進んで欲しいもんです。
うっかり買ったワインがマズい。悲しくなるほどマズい。それでも結局一本空けてしまった自分がまた悲しい。まーったく「メルシャン」と付いたワインで当たったためしがないよ。
白なら辛口、赤ならフル(か、せめてミディアム)ボディの飲み応えあるワインが好きだ。まあ赤に関しては、すっきり軽めのも悪くはないんだけど…。しかしサントリーだのメルシャンだのが関わってるワインはハズレが多い。いくら安くても買わない。今回うっかり買っちゃったのは「イタリアワイン」とラベルにあったからだ。それならどこが輸入してようが味は悪くないかなーと、つい思ってしまったのだ。しかし一口飲んで「マズっ」と思ってラベルをよーく確認したら、「メルシャンがイタリアの農家と契約して作り上げた、日本人好みのワイン」だった。どこの日本人だそれは。
だいたい私は「軽くて口当たりのいいワイン」ばかりが持ち上げられる傾向を歓迎しない。こないだテレビで評論家だか誰だかが「今年はカリフォルニアワインが来ますよ! 飲みやすくて値段も手ごろ。秋はボジョレー・ヌーヴォー、春は(なぜ春?)カリフォルニアワインです!」と言ってるのを耳にしたときは「ゲゲッ」と思った。カリフォルニアワインなんて、あんなハズレが多いワイン…。あれを飲むたび「だからアメリカ人は味がわからないってゆーんだよ」って偏見を膨らませてしまうくらいなのに。
実際、日本では軽いワインの方が好まれるのかも知れない。それは否定しない。私だって口当たりのいい飲みやすいワインは好きだ。ヌーヴォーなんて軽すぎるくらい軽いと思うけど、季節モノだし美味しいのもあるから、一年に一回くらいなら飲んでもいい(←何様)。けど、軽いのと水っぽいのは違う。フルーティーなのとべったり甘いのは違う。口当たりすっきりなのと味がないのとは違う。違うったら違うんだ。分かってるのかおい。
…と力説しつつ思ったけど、私の好みが一般と大きくズレているだけだったらどうしよう。えーっと、私の好みでいうなら、チリワインが赤も白もあまりハズレがありません。あと南アフリカなんかも狙い目。オーストラリアワインは白ならまず大丈夫。ドイツは甘口のが多いので要注意。こないだ飲んだベルギーワインもちょっと変わった風味があって美味しかった。全然銘柄を覚えないんでワイン通にはなれないけど、店頭で適当に選んで、それが当たるのも楽しいもんです。
日曜日はまた『二つの塔』を観てきた。吹替え版狙いだったんだけど、始発帰りだったから、一眠りして行ったらもう満席…。2回目に観に行ったときにはがらがらで心配したのに、あれは平日だったからだけみたい。ま、とにかく3度目の『二つの塔』です。だんだん見方がマニアックになってくるので、モブの演技がやけに気になったりする。「うわ、このシーンでそんな中途半端な演技するなよなー! 矢を射ってから逃げろ!」と文句をつけるのもまた楽し。
アラゴルンがハルディアを迎えるシーンで、最初はちゃんとエルフ式の挨拶をしようとしてるのには、今回はじめて気が付いた。あのシーンでアラゴルンが心情を顕わにしちゃうのが好き、ってのは前にも書いたんだけど、もう最初っから大歓迎!って抱きついたような印象だったのだ。でも、冷静な態度を保とうとしたのに思わず…って方がいいなー。ほんと彼はいい演技をしてくれる。あと、ファラミアの顔って妙に気になる。好みじゃないのについ見ちゃうのはナゼだろう(恋かしら)。重ねて観るたびに存在感が増すような。最後の「我らはやっと互いに理解しあえた」は唐突で「私にも理解させろ」って感じなんだけど、SEEと『王の帰還』の彼には期待だな。
3回目ともなると気に入らない部分には目を瞑って、いい部分だけを楽しむのが上手くなってきた。…んだけど、やっぱエントムートのシーンが気に入らないよう。エントムートで「関わらない」と決めたのに、なんで木の髭の一吼えで蜂起しちゃうのかしら。あと隣の席で観てた高校生くらいの男の子たちが、レゴラスの馬とか階段とかのシーンで大笑いしていて、笑っちゃう気持ちがわかるだけにちょと悲しかった。それから、これは最初っから気になってたんだけど、ゴクリはエルフのマントに触っちゃダメ!
会社の友達も『二つの塔』を観て、「サルマンがエントに攻め込まれて右往左往してるときに、魔法で何とかできないのかなーって思っちゃった」と言ってた。私も実は第一部のカザド・デュムのシーンで同じコトを思ってた。橋が崩れて飛び越えろ!とやってるシーンね。あれはその前にサルマンとガンダルフの魔法対決をやっちゃったせいだと思う。あんなに簡単に人を弾き飛ばしたりできるなら、亀裂くらい飛び越えられるじゃん?と考えちゃうもの。あの魔法対決は映画的で見栄えはするけど(でも私の好みではない)、魔法使いを違うものにしちゃった気がするなあ。
さーて、4回目こそは吹替えで! 次は観られますように。
話題が遅れまくりですが、先週の土曜日は、誘ってもらってからもう待ちに待っていたオフ会でした(ってみんな数回会っている人ばかりなんで、実は改めて「オフ」っていう感じはしないけど)。人見知りの激しい私も、知り合って数年目にしてやっと緊張しなくなってきたし、何より話が面白くて、仕事やら何やらの鬱屈がキレイに吹き飛びました。やたー。オフ会するたびに「人と会うコトのパワー」みたいなもんを感じます。今までシアワセなオフ会しかしたコトがないから、でしょうけど、でも嬉しい。
しかして私たちが高尚な会話をしてるのかと言えばそんなコトはなくて、思い出すのは「やおいがどうしてこんなに急激に普及したか」だの「フェチと萌えはどう違うのか」だのと、そんな話題で盛り上がったコトばかり。そんな会話でシアワセになっていてイイのか私。(いい!即答!)…とにかく話はあっちに飛びこっちに広がり、まとまりがあるようでないようで、それでも話したいコトがたくさんあって、時間が経つのがあっという間。別れるときにはいっつも後ろ髪引かれる気分です。
今回、今この時期に、皆さんとお会いできて、すごく嬉しかったです。またお会いしましょう!(………というのとは全然関係なくふと、「オフ会のときの私って人一倍飲んでるくせに、まだ悪い酒癖が出てないなー」と自分で感心しちゃった。…忘れてるだけじゃ、ないよね?)