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2003.2.28

これまた先週、北村薫さんの『盤上の敵』を読みました。泣きました。情けなくて。それに悔しくて。『小説 中華そば「江ぐち」』を読んで、ほんわかシアワセな気分になって、「世の中って捨てたもんじゃない」と思えた同じ日に、どうしてこの小説を読まなくちゃいけないの! こんなもの読ませるなよ、と思って。……て、私が勝手に読んだんだけど(←だから余計に腹が立つ)。しかも前書きに「この本を読んでもシアワセな気分にはなれません」と警告してあるのを無視して読んだんだけど。言い訳するなら、「辛くて悲しくて泣く」ような物語なら平気だと思ったのです。でも違った。

今まで、北村薫さんはけっこう好きでした。最近の作品にはちっとも惚れていなかったのですが、円紫師匠シリーズには一時期ハマったし、覆面作家シリーズも、そのおキレイなリアリティのない世界がある種の少女マンガのようでけっこう楽しんだし、描写力はあるし、いくつかハズレが続いても「○○は面白い」と聞けば、手を出すのに躊躇はしなかったのです。でも、これからは…少なくとも当分の間は、よっぽど信頼する人に強力にオススメされるのでない限り、北村薫さんの未読作品には手を出しません。えーっと、今さら書いても遅いけど、北村作品の悪口に耐えられない方と『盤上の敵』のネタバレを読みたくない方は、この先読まない方がイイです。

この話、善と悪がはっきり対立しております。それをチェスに見立てて悪=黒、善=白としており、更に黒と白の陣営にそれぞれキングとクイーンがいます。白のクイーンは襲い掛かる黒の悪意に虐げられ、ひたすら耐えるだけです。ところで、イジメは苛められる方にも問題があるって論法が私はキライです(原因の有る無しと苛めていいかどうかってのは別の話なのに、一理ありそうに聞こえるから)。それなのに、私はこの白のクイーンに冒頭からムカついてしまいました。男に向かっていきなり「私って凄く弱いんです」って何だよ! あんたには意地とか張りとかっつーもんはないのか!と言いたくなります。しかも話が思わせぶりで計算ぽくてイヤらしい。要領得ないし!

冒頭からそうなんで、その後、彼女が過去にどんなにヒドイ目に遭ったのかが語られても、同情も感情移入もできないのです。「苛められる方にも原因が…」なんて思いたくないのに! そして、物語に入りこめないままに読み進んでいると、だんだん腹が立ってきたのです。黒は、何の理由もなく、悪です。彼らの側の事情、心情は語られません。それはまだいい。例えば現実に立て篭り事件があったとして、その犯人にどんな事情があり家ではどんなに優しい人であったとしても、人質にされた被害者にとって、それが見えるとは限らない。見えなかったら、犯人はひたすら恐ろしい理不尽なだけの存在です。だから黒が何の理由も見せずに襲い掛かってくるのは、まだいい。けど白は?

確かに、理不尽な悪意が降りかかってくるコトはあります。何の咎がなくても、人の悪意に晒されるコトはある。どうしてそんなコトができるのか、想像もつかないくらい残虐な事件が起きる。残酷なコトを言う人がいる。自分だって一時の感情でヒドイ物言いをし、考えなしの行動をする。人を、他の生物を、周囲の諸々を、傷つけ、殺し、破壊する。私たちは愚かで先が見えなくて残酷です。だけど、だけどそれだけじゃないでしょう? 過酷な状況の中で、信じられないくらいの強さを発揮する人がいる。信じられないくらい優しくあれる人がいる。人間はバカみたいに残虐にも愚かにもなれるけれど、同時にバカみたいに優しくも強くもなれる。そうゆう力を、私は信じているのです。

なのに『盤上の敵』の白の陣営には、その力が全く感じられません。白のクイーンは、ひたすら身を縮めて小さく丸まってしまうだけ。白のキングは黒に立ち向かっているように見えるけど、違います。逃げているだけです。…いや、逃げようとするのもイイんだ。問題は……何だろう、なんて言ったらいいんだろう…。えっと、別に私は勧善懲悪の物語じゃなくちゃいけない、と言ってるワケではないのです。ただただツラクて痛い物語でも、結果的に悪意や害意を持った人間が勝利してしまう物語でも、読めます。悲しい気分にはなるかもしれませんが、怒ったりしません。

そう。例えば宮部みゆきさんの『模倣犯』。宮部さんに対する私の評価はナゼか「達者だなー」止まりなんですが、でもあの話を読んで私は怒ったりしませんでした。それどころか、ところどころで涙腺がゆるみました。共感ができました。あれだって登場人物のほとんどは犯人に翻弄され、人生をめちゃめちゃにされるのに。そして自暴自棄になったり他人を恨んだりしてるのに。…でも、『模倣犯』に描かれた彼らは、いろんな方法で足掻いているのです。なんとかして負けまいと、自分を立て直そうとしている。それが見えるだけで大違いなのです。

別に大したコトじゃなくていい。視界の隅で誰かが転びかけたときに、反射的に手を差し伸べてしまうような行為を促す“何か”は、けっこう多くの人が持っていると思うのです。それを「劇的な」場面ででも咄嗟に出せる人と、出せない人がいるだけで。甘いと言われようが青臭いと言われようが、私はそれだけは信じています。ジェームスくんじゃないけど、信じるってそうゆうコトです。それを信じていなかったら、どうして人間稼業を続けられます?

『盤上の敵』の白の陣営に、私は守るべきものを見出せません。私の信じている“何か”が、この物語には欠けている。北村さんが『盤上の敵』で何を語りたかったのが分からず、語るべきものがあったのかさえ分かりません。トリックを使うためだけに、適当な人間を適当に配置して動かしているだけのような気がします。…ああ、だからチェス? ならイイのか? ……でも、やっぱり私は、人間をチェスの駒として扱われるのはイヤです。この話が、北村薫さんにしては異色の作品なのは知っています。 でもだからって、読み終わってただ後味の悪さのみが残るこの作品を「例外」としてスルーするワケにはいかないのです。

解説には、この物語の最初と最後の描写は「再生への祈り」なのではないかと書かれていました。それなら分かります。「再生への祈り」なら語られてしかるべき主題だと思います。でも、あれが、祈り? 再生への? 私はその描写に「祈り」を感じませんでした。祈りって、そんなものじゃない。珍しく言い切りますが―――祈りとは、あんな弱っちいものではありません

2003.2.27

昨日は秩父に行ってきた。仕事というより遠足気分。しかし空が広くて山が見えるのは嬉しいんだけど、花粉症の人は見ただけで痒くなっちゃいそうに杉山ばかりなのね、あの辺は。私は今のところ花粉症じゃないから肉体的には平気ではあったものの、視覚的にもやっぱり広葉樹の森(山)の方が好きだなー。季節ごとに違う色になるから飽きないの。

さて。先日書いた「江ぐち」じゃないが、他人の観察って面白い。一人で喫茶店に入ったとき、隣のテーブルで面白そうな話をしていると、つい耳を澄ませちゃったりする。若い男の子が「オレ、人生の意味が掴めたよ」とか言ってると、(ほー人生の意味と来ましたか。聞いてあげるから言ってみなさい)と心の中でニヤついちゃったりしてる(←ヤなヤツ)。一人じゃなくてもそうだ。友人たちも観察好きなので、自分たちの会話がけっこう盛り上がっていようとしっかり人のコトも観察していて、隣のテーブルが席を立った途端に「今のグループ、変だったよね」「○○って言ってたよ」「□□なんじゃない?」「違うよ、△って言ってたもん!」と始まるのはしょっちゅう。

以前田舎に帰って親や近所の人たちと忘年会をしていたときに、参加できなかった人から電話がかかってきたコトがある。私は電話口でかなり長々話していたのだが、電話相手に「で、他のみんなは何してるの?」と聞かれ、「○○と☆☆は何々の話をしてて、△△と□□は何々の話をしてて…」と即答した。後で親に「よくそれだけ喋ってて、何組もの会話を聞いてられるね」と驚かれたが、私は驚かれたのに驚いた。ひょっとして聖徳太子の生まれ変わりかも!…と言いたいが、これが出来る人って少なくないだろう(そのくせ丸っきり聞いてないときがあるのも、これまた凡人)。

でもね! 陰口はキライ。声をひそめてでもナゼか嬉しそうに無責任な悪意ある噂話に興じ、本人が来たらワザとらしく口をつぐんだり目配せしてみせたりする、あの雰囲気がキライ。例えドラマだろうと本気でムカつく…んだけど、私(たち)がやってるコトと、実際何が違うんだろう。私らのしてるのも、「江ぐち」で久住さんがしてるのも、無責任な憶測には違いないのに、片方は、少なくとも久住さんの憶測は私をほんわかシアワセな気分にさせてくれ、片方は心底イヤ〜な気分にさせる。その違いは? 悪意の有無? でも噂される人からすると、たいした変わりはなくない? でも何かが根本的に違うような気がするし……。ふと考えて、わからなくなってしまったのでした。 何でだろう?

2003.2.25-2

先週、久住昌之さんの『小説 中華そば「江ぐち」』を読んだ。須藤真澄さんのサイト(の絵日記の2002/8/14)で、私のツボ直撃の書き方でベタ褒めしてあった本である。とりあえず図書館で借りて読んだのだけど、読み終わって速攻で注文。これは手元に欲しい。読み直したいし、人に広めたい。ニヤニヤしながら読んで、ところどころでは声をあげて笑い、26歳の久住さんが書いた文章の最後でシンミリし、文庫版になるにあたって付け加えられた、43歳の久住さんの後書きでちょっと泣いてしまった。愛をもって語られる物語が好きな人にぜひオススメしたい。

しかし内容はといえば実にくだらない。26歳の久住さんが、行きつけのラーメン屋さんについてひたすら語っているだけである。語るのはラーメンの味ばかりでなく、メニューの書き方や店の雰囲気や店員の様子や言ったコトやったコトなどなど。観察しているだけでなく、店員のちょっとした仕草や言葉から「きっとあいつは家では○○してるんだぜ」と想像…というより妄想を膨らませている。更に久住さんは一人ではない。同じように「江ぐち」を愛し勝手な妄想を楽しむ仲間が何人もいるのだ。彼らと「江ぐち」に入り浸って、あれやこれやと新ネタを仕入れ、新しい仮説を立てて喜んでいる。

それだけなのに、ホントにそれだけなのに、読んでいると何でこんなにシアワセな気分になれるんだろう。ばかだなーと思って笑っているのに、気付くと「まだまだ世の中捨てたもんじゃないなぁ」とまで感じている。また久住さんの書き方がイイんだ。「友達に出す手紙のつもりで書いた」と後書きにあったけれど、そんな感じ。話はあっちに飛びこっちに脱線し結論を出さずに終わり……。ときどき「語り」に入りそうになるんだけど、ちょっと語るとすぐ我に返って、照れくさそうに引いちゃうトコロも好印象。んー、上手く言えないけど、気になったら読んでみて欲しいなあ。ぜひ。

2003.2.25

あっはははははー。「結婚前から「もしこの夫がイマイチであったら、育児から切り離し、経済的に100%依存せず、目的ごとに別のパートナーを見つけて、夫とは別居してタマに逢うようにすればウマくいくだろう」と、多くの未婚女性が「選択肢の一つとして」考えてるとしたら」日々のメモ書き2/23)って、そう書くと怖いよ、シロツグさん〜。なんかとんでもなく肩肘張った女が巷に溢れかえっているようではないですか。て、私の書き方が悪かったですね。えーっと、選択肢として「見えている」のと、それを「自分の選択肢」の一つとして選ぶかどうかってのは別ですの。でも「見えて」いたら、いざそうゆう状況に陥ったときにはそれが「自分の選択肢」として再浮上してくるかもしれないけど。

さて。またスキーに行ってきました。金曜夜出発、日曜夜帰着というスケジュールはこないだのバスツアーと同じだけど、今回は友達のバイク仲間のスキー旅行にお邪魔する形での参加で、八方尾根まで連れて行ってもらいました。八方は初心者にはキツいコースが多いと聞いてビクビクしていた私に、友達は「こないだみたいにすれば大丈夫」と言ってくれたのですが、またもや転びまくり雪にまみれまくってしまいました。こないだの初スキーではいきなり上達してしまったので、あれは全て夢の中の出来事のような気がしていて……、実際やってみたらやっぱり夢だったようです。うー悔しい。

今回はちょっと天気が悪くって、土曜は一日中雪が降っていました。そして日曜はその雪が雨に変わっていました。ひーん。しとしと降る雨を見た友達は、雨で水っぽくなった雪の上で転ぶと悲惨なコトになるよ、だから今日は諦めようか?と、ころころ転ぶ私のためを思って言ってくれたのですが、肝心の私は「濡れても文句言わないから行こうよー。やり足りないよー」とワガママを言ってスキー場へ。気の使いがいがないったらありゃしない。幸い雨は上がってくれ、雪の状態もそう悪くなかったのですが、上の方に行くと靄が濃くって全然先が見えなくなりました。リフトに乗っているときなんかホラーゲームのサイレントヒルの世界そのまま。ときどき靄の先から「きゃーっ」とか悲鳴が聞こえてきて怖い怖い。気を抜くとコースを間違えてしまいそうでした。

それでもかなりしっかり滑って(今回は全然上達できなかったけど)、温泉に入って、飲んで食べて…と思い切り遊んできました。初対面の方に車出してもらって運転まかせた挙句に後部座席でぐーぐー寝たりしましたが、別れるときに「よかったらまた来年も一緒に行きましょう」と言ってもらえてホッと一安心。気を使うつもりはあるのですが、体力が…。くたくたに疲れたけど楽しい週末でした。

2003.2.21

■最近、母とメール交換をしている。始めたばかりの頃は、2、3行だけのメールばかりが届いて、「おいおい続けられるのか?」と思ったんだけど、だんだん長文が混じるようになってきた。こないだ来たメールには「裏山の整理に燃えちゃって、竹を切ったり立ち枯れの木を倒したりって作業を楽しんでやってる。奥さんがいて、その人が『ご飯ですよー』と呼んでくれるまで、こうゆうコトをしていられたらシアワセかも」みたいなコトが書いてあって、なんか笑った。和ませてくれるよ、まったく。

■司馬遼太郎の『竜馬がゆく』のなかから、武市半平太が出てるトコロだけ拾い読み。読みたくなったとき、ちょうど母親が上京する予定になっていたので、「ねえウチに武市半平太の出てくる小説あったよね? 『竜馬がゆく』だっけ?」「そうだと思うけど…あれ、8巻ぐらいまであるよ」「…そんなあった? 8巻は読む気がしないなー。竜馬はどうでもいいんだもん。じゃ、武市半平太が死ぬところまででいいや。そこまで持ってきて」と電話で頼み、4巻までを入手。うまく抜いて読めるかなーと心配だったが、私は目が早いみたいで、武市半平太に関する文章はほぼ全部を拾えた気がする。

他に、これまた司馬遼太郎の『人斬り以蔵』も武市目当てで読んだのだが、『竜馬がゆく』の武市の方が断然好みである。思うに私は「確固とした理想を持っていて、バカみたいにその理想に忠実で、例え破滅が見えようとも節を曲げようとしない人」に、どうも弱いらしい。土方歳三もそんな人だから好き。…とか語ってるとすぐ、「本当の土方歳三はそんなタイプじゃない。史実によるとこんなコトをしてるし、あんなコトを言っている」と絡んでくる人がいるんだけど、私が惹かれるのはあくまで彼のイメージ/フィクションなのだから、史実がどうこう言われても困る。しかしもしそうゆう人が実際にいたら「あの人といると疲れるのよねー」となっちゃう可能性大だとも思う。そんなもん。

2003.2.20

岡田斗司夫さんの『フロン』を、ちょっと前に読了した。うーん、ちっともピンとこなかったなあ。てかね、彼の言ってるコトに賛同できるとかできないとか言う以前に、「なにを今さら」って感じ。「あっ、そんな考え方があったのか!」とか「それもアリだよなー」とか「そこに私は拘っていたのかあ」っていう、新しい発見が全然ないの。なんか、友達と酒飲んで喋ってるときに一度は出てくるような話ばかり。……といっても、私や私の友達が岡田さんと同じ意見を持っているとか、悲観的な未来ばかり想像して、それでも岡田さんが提唱してる方法を実践したくはなくて、結婚を忌避している(わはは)とかってワケでは、ない。それは話が違う。けどいろんな可能性の一つ、選択肢の一つとしてとなら、すでに「見えてる、考えたことがある、語ったことがある」ものの範疇だと思う。

あとさー、こうまで分かりやすく「依存」しちゃう女性ってそんなにいるの? いや実在するのは知ってるけど、それってホントに「大多数」なの? 私の付き合いの範囲でいうと、そんな女性はかえって珍しいんだけど。ああ「依存する」のと「甘える」のとは、全然違います。念のため。私含め、時と場合によっちゃけっこう甘えんぼでそれを楽しんでる人は多いと思うけど、それと岡田さんが書いてる「責任を取ろうとしない態度」は別モノ。冒頭で彼は「女の気持ちになって考えられるようになった」と書いているけど、どうも彼のなっている女と私は似て非なるもので、私には彼の気持ちが馴染まないなぁ。「言いたい方向はわかるけど、ちょっとピントずれてるよ」って感じ。

それから、この本が女性に向けて書かれている意味がわからない。岡田さん自身、女性の方が結婚や結婚後の生活について具体的に考えているし、ユニークな考え方を持ってる人もいるって書いているのに。後書きにだって、この本の理論を話したら賛同する女性はいたけど、男性は全員元気をなくした、と書いてある。ならむしろ、納得しにくそうな男性に向けて話した方がいいんじゃない? ま、あまり選択肢を持っていない(or思い込みの激しいor夢みすぎの)タイプの女性に向けて書いてもいいけど…でもやっぱ片手落ちじゃない?

なんか文句ばっかり書いちゃったけど、別に読んで腹立てたワケじゃないです。「まあそうゆう傾向はあるよね」とは思った。「不良債権化」だの「リストラ」って言葉も、直前に読んだ山田昌弘さんの『家族というリスク』に出てきたので、別に反感覚えなかったし。そうそう、この2冊、あわせて読むと面白いかも。同じような状況から、こうまで違う結論を(似てるところもあるんだけど)導き出すか、ってのが興味深い。『家族というリスク』は、雑誌とかに掲載した文章を集めたものだけに重複してて、クドく感じる箇所もあるけど、いろいろ考えるきっかけにはなった。派遣社員として働く私は社会的には「フリーター」だもの(「夢みるフリーター」ではないつもりだけど)。とにかくどっちにしろ、山田さんも岡田さんも「一つの理論」にこだわりすぎじゃないのかしらん…。

2003.2.19

会社の用事で隣の県までお使いに。乗ったことのない電車に乗って知らない町に行って知らない通りを歩いていると、なんだか嬉しくなってくる。今日が晴れていてよかった。さかさか歩いているとじんわり汗ばんできて、冷たい風さえ気持ちよく感じる。昼食にと入ったデニーズの店員さんたちが揃いも揃っていい仕事っぷりで、また嬉しくなる。用事を済ませて帰りの電車に乗り込むと、窓越しの日差しがぽかぽかしていて気持ちいい。膝の上の本を閉じ、目を瞑る。………こんなコトで澱が洗い流されてしまう私はホントに単純だと思う。単純バンザイ。

2003.2.18

映画館で気になった。館内が暗くなって予告編が始まっているのに、本編が終わって人がせっかく余韻に浸っているのに、携帯でメールを打ってる人たちは何なんだ。画面がちらちら光ってうるさいんだよ、きーっ。エンドクレジットが流れている最中に席を立たれるよりも気に障る。去年ハリポタ映画を観に行ったときも、本編の流れているとき以外ずーっと、隣の席の子がメールを打っているのが気になったんだけど、今回は同じようなのが何人もいた。たかだか3時間チェックを入れなかったからってどうなるって言うんだか。そんなに連絡が途絶えるのが怖いなら、映画館に来なけりゃいいのに。

ついでに最近気に障っているコト。話すときは相手に向かって直接話そうよ。犬に「カワイイわねー、なんてお名前なのー?」って話し掛けてる人を見て思った。あんたは犬語がわかるのか。…って、それだけなら何もこんなにムキになる必要はないんだけど、最近「聞こえよがしに話す」ってのにムカついているもんで。あと「話さない」ってのもイヤ。初対面で人見知りして話せないとかそんなんじゃなくて、例えば買物をするとき、店員に黙って品物だけを突きつけるとか。芝居を当日券狙いで観に行って、受付の前に黙って立つとか。当日券が欲しいんだか予約してあるんだかわからないよ、それじゃ。そりゃ相手は店員であり係員だけど、だからって向こうが一方的に気を使ってくれるのが当たり前ってのは、変だ。せめて自分が何をしたいのかくらい言うべきじゃない? 更に、他人をダシに子供を叱るのは止めて欲しい。「お姉ちゃんが怒っちゃうから静かにしなさい!」とか。

まったくもう。微妙にイラつくコトが多くって、それだけで一日が台無しになったりはしないんだけど、少しずつ少しずつ澱のようにたまってゆく。いやん。

2003.2.17

さて。『二つの塔』(初観賞)の詳しい感想。ネタバレしまくり。先入観を持ちたくない方のために隠しておきますので、それでもオッケーな方だけ反転させて読んでください。まず最初に、気に入らなかった部分を挙げておきます。まずゴクリ(映画ではゴラム)。次にエント。この第二部で重要な存在であるゴクリとエントに満足できなかったのは残念です。ゴクリのCGは賞を取ったとか取るとかって話は聞きましたが、今の技術で言ったらスゴイのかもしれませんが、でもやっぱイメージと違いすぎました。特に“いいスメアゴル”の表情がハリポタ映画第二作に出てくる屋敷しもべ妖精のドビーに似てるのが、イヤ。ゴクリはやはり、何とかして人間が演じた方が良かったんじゃないかと思います。例えマスクをかぶって目だけしか見えてなかったとしても、CGよりも役者の方が演技力が豊かだと信じてますので。

ゴクリを今サンだとすれば、エントは今イチ程度。私のイメージからすると、小さすぎるのですよ。あれでも。TVで予告を見たときに、「あれがエントかぁ…。あれが年若いエントならイイけど、“木の髭”だとすると迫力不足だなぁ」と思っていたんですが、残念ながらやっぱ“木の髭”でした。足が細すぎるのですよねー。でもまあ、これは二回三回と観るうちに見慣れて平気になるかも知れません。ゴクリには慣れそうもないけど…。アイゼンガルドに水を流し込むときに、エントたちが流されないように踏ん張っている映像は好きです。その直前、ゴブリンどもに火をつけられたエントが慌てて水に入ってきて、頭をジュッと漬けるショットも大好き! カワイイ〜。

さあ気に入らないトコロは書いたので、あとは心の赴くままに。興奮しすぎたら、スイマセン。第二部に入り、映画はだいぶ原作と離れました。それは気になりません。このシーンはいらないんじゃない?ってのも無いワケじゃないんですが、その分、魅力的なシーンも増えてます。「ええっ、こうなるの? こうくるの?」って感じで、目が離せませんでした。初見の感想ですが、第二部はアラゴルンとサムの章ですね。アラゴルンが可愛くてー。第一部でも、アラゴルンの人間臭さ(原作と比べ)を指摘する人は多かったですが、第二部になりそれが一層際立ってきたように思えます。もう迷いまくり。吼えたり八つ当たりしたりするアラゴルンなんて原作じゃ見られないですもんね。いやいや映画アラゴルン、好きですわ。しかし予告編にも使われていた、大きな扉を押し開けて入ってくる彼は絵になるなー。

カワイイと言えば、ギムリも! 最初の戦闘シーンと、砦の攻防戦の冒頭部分では見せ場なしで「えーっ、この扱いはあんまりだよー」と思ってしまいましたが、その後、それを挽回する活躍ぶり。第一部の「ドワーフを投げるな!」って台詞は、これのためにあったのかーっと思います。ちょびっとだけながら、レゴラスとの首とり競争もあって嬉しい。んでレゴラス。あなた今回やりすぎ! 第一部ぐらいで充分身の軽さは表現できているのだから、そのまま行けばよかったのにー。馬に飛び乗るシーンや、階段を滑り降りるシーンはちょと見せ付けすぎだと思います。相変わらず美しいから許しちゃいますが。あとアラゴルンに対する懐きっぷりはグー!(←親指たてて)

サムとフロドは後回しにして、新しい登場人物。映画版エオウィン、いいです。好き。原作のエオウィンって、私どうも感情移入できないんですよ。アラゴルンに惚れるのが唐突な感じがして。でも映画版の彼女は可愛くて、そのくせ熱を内に秘めている感じがして、好感が持てます。馬に食われかけながらもがんばって生還したアラゴルン(←違う!)を見たときの表情は堪りません。なのに彼とレゴラスの様子でいろいろ察してしまうのです。うう、切ない。彼女の兄、エオメルはちょっと丸顔。でも彼が駆けつけるトコロは、今回一番気持ちいいシーンです。「王が一人でおられるぞ」「それでは、私たちが馳せ参じましょう」(←うろ覚え)。きゃーっ、もうもう…!

楽しみにしていたセオデン王も、ちょっとイメージと違いました。てか、若返りすぎですー。原作のセオデン王も、みるみる元気になっちゃうんですけど、映画のセオデン王の若返りっぷりったらー。私のイメージでは、セオデン王の実年齢はもっと上なんですよ。んで若返るのは純粋に精神力のせいなんですよ。まあ映画だとサルマンが憑いてるって感じなので、ああなるんでしょうが…。でもゴメン、少し笑っちゃいました。あと原作と比べて、セオデン王、ずいぶん弱気です。ホントに最後の最後に追い詰められなくちゃ「やるぞ!」とならないんですね。私としちゃ「最後に一花咲かせるぞ!」と調子にのってるおじーちゃんセオデン王が好きだったんですけど…でも、これもアリか、と思わせるのは、援軍がくるシーンのおかげですね。

ここ、泣きました。ぶわっと涙が湧き出す音が聞こえるくらい。角笛の音が聞こえて「敵の角笛じゃない」となったとき、最初、エオメルが戻ってきたのかと思いました。「でも早すぎるよなぁ。ガンダルフは『5日目の夜明けと共に戻る』と言ってたのに…。魔法使いは遅刻はしないけど、でも早くも来てくれないハズでしょ?」と思ったのです。それが援軍の姿が見えた途端…「ああっ、あそこから援軍が来てくれたんだ!」と一目でわかりました。みんなわかるだろうけど! わかった途端、ぶわっ…ですよ。予期していなかっただけに、ヤられました。

あと新しい登場人物といえば…ボロミアの弟、ファラミアですね! 原作のファラミアって、ボロミアに比べてすごく立派なんですが、映画の彼はこれまた人間的。PJ監督、第一作目でボロミアを持ち上げてくれたし、ボロミア贔屓? 私は原作ではボロミアもファラミアもそれぞれ別の理由で好きなんですが、映画版だと、今のところボロミアを贔屓しちゃうなあ。ただファラミアには第三部も残っているので、そこでの活躍如何になりますが。またデネソール二世は出てきてないし。

最後にフロドとサム組! フロドが痛々しいのは覚悟してましたが、サムにはもう泣かされました。彼が語る語る。オスギリアス(だったよね?)でのフロドとの会話から最後まで。最後のあの「とうちゃん、フロドと指輪の話をしてよ!」って会話、原作でも大好きなんですよー。あれを、あんなに効果的に使ってくれるなんて、嬉しくて嬉しくて。さすが「ホントの主役はサムなのでは?」と言われてるだけあります。フロド、がんばれー。君にはサムがついてるよ。メリーとピピンも遠くでがんばってるよ!(彼らの主な活躍は第三部かしら。これも楽しみ)

…やっぱ書いてる途中で興奮しちゃった。しかも「カワイイ」連発。スイマセンでした。えっと、とにかく時間を感じさせない出来でした。また観に行くぞーっと。

2003.2.15

『二つの塔』観てきました!「公開初日は旅行だから観れない」とか言ってたけど、先行上映ってものがあったんですね。普段、あまり映画館に足を運ばないもので、すっかりそんなのの存在を忘れてましたよ。時間がないので詳しい感想は後にしますが、いやーまだ頬が緩んでます。今回、ボヤきたいトコロもいくつかあります。でも全体的には大満足。あと「この映画に愛のある字幕を」バナー外します。今回字幕に不満はありませんので。…私の英語力じゃ誤訳はない、と断言はできないんだけど、今回は脳内補完してるワケじゃないと思うのよねー。改めて、字幕改善運動に関わった全ての人と、今回の字幕を作るためにがんばってくれた全ての人に感謝の意を表します。ありがとうございました。第三部もこの調子でがんばってねー。

チケットを買ってから上映開始まで時間が開きすぎたので、『レッド・ドラゴン』も観てしまいました。ホントは指輪の前に何も入れたくなかったんだけど、なんせ5時間もあったんだもの。えーっと『羊たちの沈黙』以前のお話だと思わなければ、楽しかったです。だってどう見ても、レクター博士が『羊たち〜』より老けてるからさ。あとエドワード・ノートンはやっぱり好きだなーと思いました。でもゴメン。その後の指輪でだいぶ吹っ飛んじゃった。てへ。

あと以前、「洋画の邦題で、元タイトルを安易にカタカナ表記にするだけってのはいただけない」と書きましたが、今回予告編を見ていて、「いただけないどころか、ダサすぎる」と思っちゃいました。『ビロウ』って何よーっ。「below」ってのが浮かぶ前に「尾籠」って脳内変換しちゃったわよ。それに『パイレーツ・オブ・カリビアン』って…! あの胸の大きいコンビの方が先に頭に浮かんだわよ。素直に『カリブの海賊』と………ってそれじゃディズニーランドになっちゃうか。

2003.2.14

■書き終わったときに、自分の筆力不足を痛感した日記を褒めていただき、恐縮。でも嬉しい。すごく嬉しい。ありがとうございます。

■岡田斗司夫さんの「ウルトラダイエット」の第三十八週を読んで、“岡田流お好み焼き”を作ってみた。が、ちょっとまとまりが悪く一部が崩れてしまう。もともとそうゆうレシピなのかが微妙なトコロだけど…やっぱ最初からアレンジをしすぎたのは無茶だったかな。(アレンジの具体例→白ネギ・天かすは無かったので省く。これも無かった山芋粉の代わりに片栗粉。豚バラも切って混ぜ込む。生肉入れたんで加熱時間は長め。トドメにそろそろ使わないとヤバかったもやしを大量投入。分量は全部適当)。 …これじゃ岡田さんのレシピに従って作ったとは言えないか。美味しかったけど。

■「ウルトラダイエット」に刺激されたワケではないが、ちょいと体重に気をつける日々が続いている。2kgほど太ったためだ。たかが2kgと言うなかれ。私は体重が増減するタイプではないので、1kgでも増えたら大問題なのである。更に言うなら、2kg増える前も理想体重から2kgオーバーしていた。計4kgというとスゴイ数値である。100g100円の肉で考えても4,000円分だ。バカにはできない。あと「えーっ(太ったようには)見えないよーっ」って言うのも止めて欲しい。見えなくても体重計の数値はあがっている。見えないから恐ろしいのだ。しかし、恐ろしいのは重々承知しているが、よく食べよく飲みよく遊ぶ私に食事制限は無理。だから「気をつけて」いる。果たして気をつけているだけで体重は減るのか!? 右肩上がりのグラフに涙する日々はいつ終わるのか?(←て、始まったばかりだけどさ。それとホントは他にもやってるけど、その努力があまりにも、あまりにもササヤカすぎて言えない…。)

■こないだ買ったステンレス製多層鍋大活躍! ホントは大きい鍋で作った方がいいような煮物まで、新しい小ぶりのステンレス鍋を使ってしまう。こんなに使えると、大きいサイズも欲しくなってしまうではないか。てか私、今まで安物使いすぎ! 先週末ウチに泊まりにきた友人も「私、普通、朝ご飯はこんなに食べないんだよー」と言いながら、この鍋で作った大根とツミレの煮物をばくばく食べてくれた。もともと野菜を積極的に食べない人なので、妙に嬉しい。それから上京してきた母のリクエストで作った大根と豚肉と厚揚げの煮物も、大好評。…て、あれ? 私、大根ばっか煮てるじゃん…。ま、まぁイイや。今度は肉じゃがでも作ってみよう。

2003.2.13

ファントマの『幕末狂刀伝』を観てきました。浅野彰一さん演じる岡田以蔵が主人公で、それに美津乃あわさん演じる武市半平太ら幕末の有名人たちが絡みます。史実をアレンジしてあるとはいえ、題材が題材なんで、ファントマにしては真面目。そのシーンごと無くなってもストーリー的には問題ないくらい、流れとは無関係なシーンにだけギャグが入っているって感じで、本筋はかなりシリアスに徹してました。だから美津乃さんなんか、ギャグをやり足りなくて欲求不満に見えちゃいましたよ。その分、ちょっぴりのギャグシーンをホントに嬉々としてやっていましたけど。私ら観客もファントマというと「思いっきり笑うぞ」態勢で観てるもんだから、途中まで「今回は今イチかなー」と思ってました。展開もちょっともたついていたし。

それが後半、岡田以蔵と武市半平太の間に亀裂が入りだしてから、がーっと盛り上がって。まさかファントマで泣かされるとは思いませんでした。いやちょっと目頭が…くらいは今までもあったんだけど、今回は武市半平太の切腹シーンとエンディングでボロボロ泣かされました。多少…ほんとにほんのちょっぴりだけ、幕末の知識があった方が楽しめる劇かもしれません。私、最初に耳で「たけち先生」と聞いて、誰のコトだか思い出せなかったもの。それどころか途中で「土佐の郷士、武市半平太」と出てきても「うーん、聞き覚えあるんだけど…」って感じで、切腹シーンでやっと「あっあの壮絶な切腹をした人か!」と思い出したダメっぷり(←最後じゃん!)。でもそのくらいで充分ですから。

とにかく今回は美津乃さんが素晴らしかったです。ギャグやってないけど、美津乃さんはギャグと下ネタだけの女優さんじゃないのです。実際の男…しかも男くさい役者さんばっかが演じている土佐勤王党の上に君臨して、不自然に見えない迫力を醸し出せる人です。男集団の上に女性を男役で据えるときってのは、普通の男とは違う雰囲気…美しさであるとか、カリスマ性であるとか…を前面に押し出し、それ故に敬愛される、祭り上げられるってパターンが多いです。天草四郎なんかをよく女性が演りますが、それがこのパターン。古いけど夏目雅子さんの三蔵法師もいい例かも。

しかし美津乃さんは違います。一応女性なので、「普通の男とは違う雰囲気」ももちろんあります。しかしそれ以上に迫力が違う。優しさではなく、その冷酷さで、その判断力で、その度胸で人を従わせる気迫があります。そして、あの切腹シーンのカッコよかったこと! 最近見た切腹シーンのうちでは、ダントツの演技でした。そうそう、チラシには美津乃さんに「狂った宝塚」という異名がついている、とありましたが、私は「腐った宝塚」とお呼びしたい。甘い甘い腐敗臭を撒き散らすので慣れが必要だが、一度慣れたらクセになり、その腐敗臭がないと物足りなくなるって感じ。…ヒドイこと言ってますね、私。でもファンなんですホントに。今、私一押しの舞台女優といったら、美津乃あわさんですもん。二番手にカムカムミニキーナの藤田記子さん。

主役の浅野さんですが、今回は美津乃さんに負けてました。てか、前にも言ったけど、浅野さんはカッコいい役やったらダメなんだってば。顔がいい役者がヒーローやっても面白みがないのです。普段はおちゃらけているけど決めるときにはピシッと決めるタイプとか、或いは『黒いチューリップ』のカジモドみたいに今までのイメージを壊す役を見たい。そっちの方が魅力的。あとさ……髪の毛が…。保村大和さんにも同じコト言いたいんですよ、私は。髪が薄くなったなら薄くなったで構わないから、堂々と見せましょうよ! 下手に隠そうとするから「気付いちゃいけないのかしら」と思って、チラッと見えたとき反応に困るのよ。いいじゃん、ハゲてもいい男なんだから。

伊藤えん魔さんも、ちょっと影が薄かったですね。ギャグを炸裂させるシーンがなかったからなぁ。あ、元ピスタチオの末満さんの沖田総司もなかなか良かったです。末満さんってどうも線が細いというかツメが甘いというか…、ひたすらカッコイイ役をやっても今一つハマらないタイプなんですよ。でも今回の総司役では、その線の細さや甘さが上手い具合に役に合っていたと思います。他にもイメージの合う役者さんが多くて、全体的に満足。でも次は、ギャグ炸裂のが見たいなあ。

2003.2.12

小さい頃、私は父の実家が苦手でした。てか、怖かったのです。江戸下町の実家に住む従兄弟が男ばかりであることも、言葉遣いが乱暴で喧嘩腰であるコトも、人見知りが激しくセンシティブだった(ホントにそうだったの!)私を怯えさせるのに充分でした。特に怖かったのが、先日他界した祖母でした。母方の祖母なら「○○ちゃん、宿題やった?」と言うのが、父方の祖母だと「○○、お前宿題やったのかッ(←威勢がいいから、全部の語尾に「ッ」がついてるように聞こえる)」となるのです。しかも「このぱかッ(これまた「ばか」が「ぱか」に聞こえる)」がしょっちゅう飛び交います。私ら姉妹は小さい頃から親を名前で呼んでいたので、「親を名前で呼ぶなんて何考えてるんだッ」と、行くたびに毎回叱られました。ホントに、父方の実家は苦手でした。

小4のとき、私は東北に引っ越しました。そして高校卒業まで山の中で暮らし、卒業と同時に親元を離れ、東京に戻ってきました。その頃には、父の実家に対する私の見方は変わっていました。言葉遣いも、下町はとかく威勢がよく乱暴に聞こえるだけで、別に悪気はないと分かってしまえば平気になります。むしろそのスパスパっとした物言いが気持ちいいくらいになりました。まあ今でも「もうちょっと言い方考えなよ」と思うコトはありますが(主に父親に対して)、でも怖くはありません。そして多分、祖母も柔らかくなったんですね。子供の頃は、礼儀にうるさい、怖い人だと思っていた祖母は、いつしか「話の通じる大人」になってました。

てか、ホントに一貫して「好きなことをやればいい」って感じだったのですよ。彼女と一緒に住んでいる長男夫婦もそういう感じだったので、たまに父の実家に行き、祖母や伯母とお喋りするのはけっこう好きでした。ときどき「このぱかっ」と言われながら、げらげら笑って、色んな話をしました。子供のとき、こんなに話の通じる人をどうしてあんなに怖がったのかが不思議なくらいでした。(まあ私も子供だったし)。やがて、…5年ほど前から、祖母は寝込むようになり、少しずつ弱っていき、「お前ら、いい加減結婚しないのか」と言うようになりました。情けなくも私は何の手助けもできなかったのですが、長男夫婦に世話をされて、祖母は最後までそんな感じでした。

通夜のとき、遠方に住んでいる四男の叔父が遅れてきました。皆が「車だと時間が読めないから電車で来い」と言ったのに、なぜか車を選び、案の定渋滞に巻き込まれて遅れたのです。通夜が終わった席に叔父の家族がやってきたとき、喪主の伯父は開口一番「このぱかっ」と言いました。私と従姉妹は一緒になって「言うと思ったー」と笑いました。そして私は、父の実家の家風って好きだなあ、と、しみじみ思ったのでした。

2003.2.10

お久しゅう。やっと一段落つきました。やー、慌しかったです。もともと先週の金曜〜日曜は某イベントの手伝いをする予定で、会社も金曜の午後から休むコトになっていました。おまけにイベント期間中は手伝い要員2人が私の部屋に泊まりこむので、掃除や食料の買出しなどをしなくちゃならず、それだけでもコマコマと忙しいハズだったのです。なのに、4日の日記を更新した直後、祖母が他界したという連絡が入りました。昨年末から、そろそろ…って感じはあったのですが、でも、油断していたのでびっくりしました。

何せ昨年入院したとき、「今顔を見に行かないと、もう会えないかも」と言われて飛んでいったのに、年末になったら点滴でかなり持ち直してきて、年明けには退院していたのです。食べられなかった食事も、固形物でなかったら少しずつ取れるようになってきたと聞き、「昔の人は頑丈なんだねぇ。その様子なら、まだしばらくはもつのかしら」と言っていたのです。それなのに…。まったく予測を裏切る人です。だから知らせを聞いても実感が湧かず、つい「困ったなー、何も今週死ななくても」と思ってしまいました。なんて薄情な。

しかし葬式が入ったからといって、もともとの予定でキャンセルできるものは何一つなく。通夜と葬式を無理矢理スケジュールにつっこんで、結局、コマコマどころじゃない忙しさになってしまったのでした。あ、祖母は91歳での大往生でしたし、ホントにすーっと息をひきとったらしいので、悲嘆に暮れていたりはしてません。ただ寂しいだけです。

2003.2.4

ずっと前から質のいい鍋が欲しかった。中華鍋が欲しいだのパスタ鍋が欲しいだの釜が欲しいだのル・クルーゼが欲しいだの、私の周囲の人間はさぞかしウンザリしていたと思う。じゃあ買えば?と言いたかっただろう。だがしかし、台所の収納スペースは限られている。この鍋を置けばあの鍋は置けないのだ。更に私はビンボー性である。まだ充分使用に耐える鍋を捨てるに忍びない。そんな先週、安物の片手鍋がダメになった。二人暮しでは何かと重宝するサイズの鍋である。無いと困る。私は早速、妹を丸め込みにかかった。共通の買物には同意が必要なのだ。

平行してネットで鍋を検索しまくった。「ダメになったのが大きい両手鍋だったら、ル・クルーゼ買えたのに。ちっ」などとバチあたりなコトを思いつつ、関心空間で鍋について熱く語っている人々の文章を読み漁り、今まで使っていたのよりも一回り大きい、16cmのステンレス製多層構造鍋に目をつけた。これならちょっとした煮物も出来るし、2〜3人分の汁物にも充分。後は妹の説得である。が、これは容易だ。「ねぇ、お姉ちゃんの夢を聞いてよ」とパソコンの前に誘い込み、「私ね、将来的にはコレとコレとコレが欲しいんだー。今使ってるアレがダメになったらコレ買ってさー」と各社のサイトを見せまくる。妹がくらくらし出したトコロですかさず「でも今回は片手鍋だけでイイの。この品質でこのお値段はお買い得よ? しかもここで買えば20%オフの送料無料よ? 安物買いしないでいいモノを大事に使おうよ!」と畳み込めば、たいてい私が勝つのだ。もちろん今回も例外ではなく…。

というワケで昨晩、ぴかぴかの鍋が届いた。思っていたよりも軽めで扱いやすそう。新しいモノはすぐに使ってみたいのが人情で、家にあった材料でまず、ぶり大根なぞを作ってみる。と、……美味しい〜っ。大根がほっこり炊けて味も染みている。こ、これは鍋のせいなの? それともただ単に大根の質が良かっただけ? 一度の料理じゃまだ性能は分からないけど、でも…。ああ、他のいろんな料理を試してみたい。もし鍋のせいなら、鍋一つでこんなに味が変わるんなら、他のキッチングッズも欲しくなるなあ。せっかく料理をするんなら、楽しく美味しくできる方がいいもんね。

2003.2.3

さて、鴻上尚史さん作・演出の『ピルグリム』の感想いきます。気分を晴らしてくれはしたものの、気持ちよくノれはしない…って出来でした。第一に劇場が悪い。新国立劇場は鴻上さんの芝居には向いてません。てかハッキリ言って悪い劇場。四角い舞台に扇形の客席スペース作ってどうすんの。しかも奥行きがあるから端の席からだと見えない空間が多すぎます。いい加減、カッコばっかで使えない劇場を作るのは止めましょう。

次に役者が今イチ。主役の市川右近がまず合ってませんでした。叫ぶと何を言っているかわからないし、ごめん、芝居とは関係ないけど、顔がダメ。途中「この人見てるとすごくイヤな気持ちになるのは何でだろう…」とばっか考えていて、「あっ石原良純にそっくりだからだ!」と気付いたときには、「あああーだからかー」とすんごく納得しちゃいました。写真じゃ似てないんだけど、舞台じゃそっくりで、もうそれだけで感情移入の邪魔ね。塗ったくってれば分からないと思うので、観るなら今度は歌舞伎にしたいです。

あと'89年の初演バージョンも見ている身としては、鴻上さんの芝居というと、どうしても第三舞台っぽさを求めてしまいます。でも、お抱え劇団でやるんじゃないと、その「ぽさ」を出すのは難しい。脚本が鴻上調なのに、台詞回しのニュアンスが違うととても気持ち悪いのです。結果、初演を超えるのは難しい…って話になります。もちろん「ぽく」なくていい結果に転がるコトもあります。花組芝居座長の加納幸和さんや舞踏家の麿赤児さんが出演されていた、'00年の『プロパガンダ・デイドリーム』なんか素晴らしかった。役者も今までのイメージとは違った顔を見せてくれ、舞台も新鮮な感じがしました。でも、そうゆう結果を出すには、役者全員に(…とまでは言わなくとも、少なくとも8割には)力量が要求されます。あと相性も。いくらステキな役者さん同士でも、噛み合わないコトがありますから。

それなのに、今回の舞台で「いい」と思えたのはたった3人でした。一人は山下裕子さん。もともと第三舞台の人なので雰囲気が合っているのは当たり前なんですが、彼女が出てくるとホッとしました。一人は山本耕史さん。どっかで見たなーと思ってたら『オケピ!』で見たんですね。オカマの役を楽しそうにやってました。最後は富田靖子さん。私、TVで売れてる人が舞台に出ていい役をやるのって好きじゃないんですが(舞台芝居が出来ない人が多いから)、もちろんTVに出てる人が皆、舞台で通用しないワケじゃありません。大竹しのぶさん、鈴木京香さん、深津絵理さんの芝居は好きです。あと大昔だけど、夢の遊眠社に出てた橋爪功さんの名演技は忘れられません(…あっ橋爪さんはもともと舞台の人だっけ?)。富田靖子さんも芝居が楽しそうで、好印象。でも、あとはそれなりの人ばっかでした。別に悪くもないんだけど、出てくるのが楽しみってワケでもない。

プロデュース公演ってこうゆうの多いんですよね。劇団なら「今回はあたり役だったね!」とか「今回は今イチ…」とか、当たり外れがあっても次を観にいく気になります。それに役者が育つのを見る楽しみもあったりして。最初はぎこちなかった役者さんが、いつの間にか上手くなってると妙に嬉しくなるのですよ。でもプロデュースだとそのとき限りの顔ぶれってコトが多いので、外れたらそれまで。「ま、今回は仕方ないか。次に期待しよう」と思えない分、合格ラインが高くなります。それでも演出家がプロデュースをしたがるのは、同じ顔ぶればかりでやっているとマンネリになりがちだからなんでしょうねぇ…。うーむ。客としては新鮮な味を混ぜながらも、芯は変わって欲しくないワケで…その辺の兼ね合いは難しいところだなぁ…。

2003.2.1

ワケルくんと、鴻上尚史さん作・演出の『ピルグリム』のおかげ浮上。やっぱ笑いといい芝居は私の心のカンフル剤だ!(わはは) 『ピルグリム』の詳しい感想はまた後日改めて。

■未完のまま絶版になっていた明智抄さんの『砂漠に吹く風』が、単行本未収録作品と書下ろしを加えて復刊決定! めでたい! マニアなファン(私含め)は存在するのに、明智さんの本はすぐに絶版になってしまうから、見つけたら即買い必須であり、ちと高いのには目を瞑って早速予約する。明智さんは『始末人シリーズ』の頃から好きだった。特にシリーズ最後の方の『真昼の月』はイイ。更に、その後の『サンプル・キティ』→『砂漠に吹く風』→『死神の惑星』の流れが、どんどんどんどん私好みになっているのだ。コミックスを手に入れるために、彼女が思い描いている世界を描ききるために(『砂漠〜』と『死神〜』は打ち切りになったらしく終わり方が中途半端)、もうちょっとだけメジャーになって欲しいけど…うーん。あんまり一般ウケはしないだろうなぁ。私だって彼女の作品をオススメするときは相手を選ぶ。ともあれ、けっこう細かく伏線が張ってあるので、今回未収録部分が読めるのがすごく楽しみだ。

■同い年の知人が結婚する。「へえ、そうなんだ。おめでとう」というあっさりした気持ちしか湧かないのが、自分で意外だ。というのも最近、友人の結婚に動揺したり、今にもしそうな人を見て「この人が結婚しちゃったら寂しい」と嫉妬めいた感情を覚えたり、結婚関係の話題で輾転反側していたから。私はもともと結婚願望が強くなくて、学生時代のように「絶対にしない!」とは言わなくなったけど、「まぁなるようになるさあ」と思っていたハズなのだから、最近のこうゆう反応には我ながら戸惑った。女も30になると焦りを覚えるというヤツなのかしら、それともただ単に寂しいのかしらん、とか思っていたのだけど(まぁそうゆう気持ちも少しはあるけど)、今回の知人の結婚を聞いても、焦ったり取り残されたような気持ちになったりしないトコロを見ると、何のこたぁない。ただ私が上の二例の相手をとても好きなだけだったみたい。…じゃあしかたないよなぁ。

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