たいした理由はないのにお寂し山モードに突入しちゃって、変な思考に嵌ってました。ぽっかり隙間に落ち込んでしまったような。この落ち込んでいる状態の方が正常で、いつも楽しくしているのはただ現実に直面せずに誤魔化しているだけみたいな。サメみたいに動きつづけていなくちゃ死んでしまいそうな。寂しくてたまらないくせに、もう全ての人間関係を清算して人生リセットしてしまいたいような。こんな日もあらぁな、そのうち立ち直るさと思いながらも、誰かに助けてと言いたくなってしまうような。うひー、根が深いようよぅよぅ…(←木霊)
…とか思ってました。ました。過去形。いや経験から長引きそう(とは言っても私の場合1週間くらい)な予感がしてたんですけど、あはは、TSUTAYAの半額セールに救われましたよ。『フレンズ』の第6シーズンを借りてきて、1巻から3巻まで流してぼーっと見てたら治っちゃった。気がついたらゲタゲタ笑ってました。ああ現実逃避って偉大だわ。マンガでも小説でもドラマでも、一回現実から離れて没頭して、戻ってきたら現実まで違う目線で見られるようになってるもんねぇ。『フレンズ』は2ndまでDVDで買ってあるんだけど、少しずつでもやっぱ全部揃えよう。決ーめた、見ると疲れる(でも好き)『ER』より『フレンズ』の軽さと笑いを優先しようっと。
しかしシットコムに入る観客の笑い声って慣れるものねー。今じゃ全然気にならない。しかも私まで一緒になって声あげて笑ってるし。…アメリカンジョークに馴染んじゃったんじゃないよなぁ。それはイヤかもだぞ。
このところ私の巡回ルートの管理人さんたちがこぞって言及していて、ふと自分はどうなんだろう…と興味が湧いてしまったので、やってみました本格ミステリファン度調査。おや国内モノだけなのね、翻訳モノの方がたくさん読んでるんだけどなー、でも好きなシリーズはユーモアミステリが多いから“本格”とは言ってもらえないかもなー、と思いつつポチポチッとな。………既読数がとーっても少ないので、全部リストアップしちゃおっと。
1.『姑獲鳥の夏』(京極夏彦)、2.『すべてがFになる』(森博嗣)、3.『魍魎の匣』(京極夏彦)、4.『狂骨の夢』(京極夏彦)、5.『空飛ぶ馬』(北村薫)、6.『暗闇坂の人喰いの木』(島田荘司)、7.『夜の蝉』(北村薫)、8.『覆面作家は二人いる』(北村薫)、9.『秋の花』(北村薫)、10.『水晶のピラミッド』(島田荘司)、11.『人形はこたつで推理する』(我孫子武丸)、12.『冬のオペラ』(北村薫)、13.『アトポス』(島田荘司)、14.『クラインの壺』(岡嶋二人)、15.『R.P.G.』(宮部みゆき)、16.『Jの神話』(乾くるみ)
わははー。300冊中16冊。分かってたけど、少なーっ。後半なんて全滅じゃん。しかも作者が偏ってるし、どう見ても本格ミステリファンとは言えないようです。あと記憶が怪しいものとして、京極夏彦の『鉄鼠の檻』『絡新婦の理』、島田荘司の『異邦の騎士』『御手洗潔の挨拶』『眩暈』、宮部みゆきの『パーフェクト・ブルー』、『理由』の7冊もあります。足しても大した違いはないし、粗筋聞いても読んだかどうかはっきりしないなんてのは読んでないも一緒だとは思うのですが、一応。見栄です見栄見栄。
次に翻訳SFファン度調査。1.<ダーコーヴァ年代記:9巻以降>(マリオン・ジマー・ブラッドリー)、2.『ロボットと帝国』(アイザック・アシモフ)、3.『竜の歌い手』(アン・マキャフリイ)、4.『フィーバードリーム』(ジョージ・R・R・マーティン)、5.『ジュラシック・パーク』(マイクル・クライトン)、6.『旅立つ船』(マキャフリー&ラッキー)、7.『黎明の王 白昼の女王』(イアン・マクドナルド)、8.『ドラキュラ紀元』(キム・ニューマン)、9.『竜の反逆者』(アン・マキャフリイ)、10.『竜の挑戦』(アン・マキャフリイ)
んー、こっちの方がいけるかと思ったのに、10/250でした。翻訳SFファンでもないのかー。でもこっちの方がちゃんと覚えてる作品は多いです。明らかに。特にダーコーヴァーとかパーンのシリーズは私にとってすごく大事な作品。あと読みたいリストに入ってる作品も多いし…やっぱ基本的に翻訳モノが好きなのかも。本格ミステリの既読本で思い入れがあるのは北村薫の作品くらいだものね。そっちも翻訳モノなら大好きなシリーズはあるんだけどなぁ。それにしても、世の中の人はたくさん本を読んでるものだなぁと感心しきり。すごいすごい(←ちょと投げやりに。1割くらいはいくかと思ってたので流石にショックらしい…)。
線香花火がぽとりと落ちるのを見ながら「あたしゃこうやってぽとっ落ちるみたいに死にたいよ」だの「いやけっこう柳もキレイだし…」「そだねー。じゃ柳までがんばるか」だのとほざいていたのを“人生を語る”とは片腹痛いわ、と、前回の日記を読み返して思ってしまったTo-koです。でもでも線香花火にはそうゆう会話が似合いますよね! そして線香花火が終わってやっと、「夏も終わりだなぁ」と思ったのでした(←遅いよ)。さあ秋だ! 肥ゆる秋だ!
芝生瑞和の『アメリカよ、驕るなかれ』読了。タイトルからアメリカ外交のやり口を書いた本かと思ってたんだけど、全然違いました。違ったけど面白かった。著者が高校時代にアメリカに留学した頃、ちょうどケネディ暗殺の時から現在までのアメリカ社会の移り変わりを、著者と同年代のアメリカ人を中心に、アメリカ内部からの視点でまとめた本(著者はずっとアメリカにいたワケではない)。選挙とそれ関連の話題多し。人種問題に関しては、もっと昔まで遡ります。本人が実際にその時その場所にいて、さらにいろんな活動に関わっているので、何つーか、話題が地に足のついてる感じ。
更に文章はとっつき易いし、批判も底にアメリカに対する情のようなモノが感じられるしで、重い話題なのに気持ちよく読めます。気持ちよく…ってのは語弊があるかしら。著者の書きぶりに不愉快にならずにってコトなんですが。特に目新しい真実が描かれてるってワケじゃないけど、著者のスタンスが面白いです。こうゆう本は、ただただ実際にあった事件を羅列してあるだけじゃなく、著者がその事件についてどう思っているのかまで、ちゃんと書かれている方が私は好きなので。あまり一方的すぎるのも受け入れにくくなりますが、スタンスははっきりしてた方が気持ちがヨイ。それに共感するかどうかは読者である私が決めればイイのだし。
でもなー逆方向に偏ってる人からみたら、この著者のスタンスも偏りすぎなのでしょう。けど私は著者と同じ方に傾いている人間なので、私には彼の視点はとても健全でまっとうなものに見えるのでした。そんなものよ。
遊び倒してきたよ! 金曜夜に伊豆に入り、土曜日はダイビング。日曜はちょっとした山歩きをやって、月曜は温泉に入って帰ってきました。楽しかった〜。心配していた天気も何とかもってくれたし、食事は美味しかったし、言うコトなし。あえて言うなら……「あと1週間くらい滞在したかった!」
今回のダイビングポイントは東伊豆の富戸。「見た感じは完璧漁港ですよ」と言われたし実際そうだったんだけど、ダイバーのための施設もしっかりしている。人気もあるようで、大勢のダイバーが群れている光景はなんか笑えた。も少し更衣室が広ければ文句なし。エントリーもエキジットも専用のスロープがついてて楽だし、初心者向け? DSは以前お世話になったところで、こっちのスキルもバレているから(なんせ前回は最悪の状態をお見せしちゃったのだ)ゆったりしたガイドをしてくれた。
久々のアルミタンクだったので、ウェイトを2kg追加する。合計6kg。重いだけあって自力でのフリー潜降は成功したが、水中を移動するとき腰がツラく、ガイドのTさんに相談して2本目は1kg減らしてみた。が、今度は潜降失敗。泣。理想としてはスチールで2-3kg、アルミで4kgぐらいにはしたいのだが、まだまだ道は遠い〜。でも終了後にはTさんから「全員、前回よりも上手くやってた」とお褒めの言葉を頂いた。彼女は技術面でのアドバイスを積極的にしてくれるのだ。この辺好き嫌いはあると思うのだけど、私にはすごく有り難い。やっぱ自分の面倒は自分でみられるようになりたいもの。
薄曇りだったものの海中は明るく、透明度もまあまあ。水も慣れれば冷たくない。魚もたくさんの種類を間近で見られて大満足! 刺に強い毒のあるゴンズイが群れているわ、やけにウツボが多いわ(しかもそのウチの1匹は間違いなく私にガンくれてた!)で、ちょっとドキドキ気分も味わう。あと今回水中でバディのとある行動に大爆笑してしまい、笑うとマスクと顔の間に隙間ができて水がごぼごぼ入ってきて、それでもおかしくて笑いが止まらず、もうどうしようかと思った。マスククリアも笑ってちゃできないっつーのに!
2本目は潜水可能時間が終わりかけていたせいか、途中で何度か他のグループに遭遇する。あまり上手じゃない団体が割り込んできたときは、砂が舞い上がっちゃって一時的に視界が悪くなるし…。それをTさんが後で「途中、バッファローの群れが通りましたよねー」と表現してて、思わず手を打った。上手い! Tさんは水中での写真もずいぶん撮っているそうで、「面白いから早く始めろ」と私をそそのかす。ら、来年ね、来年。
夕食後は花火。線香花火をしながら人生を語り合ったりして。あとススキとお団子を飾り、薄い雲を透かして見える中秋の名月を観賞。結局は月より団子になるのだが…まあ気分で。そして、ワインを重ねるうちにTo-ko沈没。滅多に人前じゃツブれない、とか言いつつ、泊りがけで遊ぶコトの多い彼女たちの前じゃ簡単にツブれるようになってしまった。特に海の後は危ないと分かっちゃいるのだ。いるのだが……いつもスイマセン。
それから2日、遊んで遊んで月曜の夜に家に戻る。と、郵便受けに一葉の葉書が入っていた。高校時代からの友人である彼女は、たまーに思いがけなく葉書をくれる。彼女の手紙からはいつも季節の匂いがして、予期しないときに郵便受けで彼女の字を見つけるとぶわーっと嬉しくなるのだ。こうやって誰かに手書きの不意の手紙を送るのもいいな、と思う。めんどくさがりだから滅多にやらないけど(ゴメンね。いつもありがとう)。そう、この週末もとてもヨイ週末でした。
今日の夜から、3泊3日で出かけてきます。いろいろやるんで、海外旅行に行くみたいなスゴイ荷物になってます。これ持って会社に行くのヤだなぁ。それはともかく、念願のデジカメ買いました。光学ズームなしでデザインも気にくわないんですが、そのうち水中に持ち込みたいって希望を考えてお財布と相談したら、まあこんなトコでしょう。てか初めてのデジカメなんでホントは嬉しくて仕方ないんです。ハウジングはまだ買ってないんですが、純正のがあるんでそのうち。おっとその前に充電器も買わなきゃ。たかだか4千円の充電器買う余裕なかったんですよねー、恥ずかしいコトに。
そうそう、お金ないお金ないと常々言っててそれは嘘じゃないんですが、哀しいくらいに本当なんですが、貯蓄に回す余裕がないとか思う存分遊ぶ余裕がないとか、そうゆう意味です。ローン組むのもキライなくらいなんで借金はしてませーん。たまに「私もそろそろちゃんとしなきゃ!」と思うのですが、次の瞬間には「でもいつ死ぬか分からないし、戦争があるかも知れないし、貨幣制度が崩壊するかも知れないし、結婚詐欺に合うかも知れないし…。やっぱ今を楽しまなきゃねぇ」と思い直します。ポジティブなんだかネガティブなんだか自分でもよく分かりません。わはは。
スティーヴン・キングの『死のロングウォーク』読了。以前読んだ『バトル・ロワイアル』の書評で『蝿の王』なんかと一緒によく名前があがっていた作品だが、私はバトロワよりこちらの方が面白かった。バトロワに今イチのめり込めなかったのは、別に残酷すぎて嫌悪感を覚えるなんて理由じゃなくて、世界に入れなかったからだ。あの殺人ゲームをどうしてやらなきゃいけないのかって説明は一応されてたんだけど、それに全然納得できなくて、だから出だしで躓いてしまった。
なのに、より説明不足の『死のロングウォーク』は、それが全然気にならなかった。巻末の解説にも「この作品の評価があまり高くないのは、余りにも設定を説明していないから」みたいなコトが書いてあるくらいなのに。ただ言葉の端々から“なぜ”を推測するしかないのに。うーむナゼに私はこの説明不足を気にしないのだろうか…とつらつら考えたが、要は下手な説明なら、ない方がマシ…ってだけかも…。
古川日出男の『アラビアの夜の種族』も読了。とてもとてもとーっても好意的な評しか聞かないこの作品だけど、私は楽しめなかった。読み通すのが苦痛だった程に(だって長いんだものーっ)。伝説の偉大なる語り部が、読む人が心を奪われて破滅してしまうほどの本を作り出す…って話なのだが、その語られる物語が美しくないってのは致命的だと思う。例えるなら芝居を観にいって、先に脇役たちが「主役は絶世の美女である」と期待を高めまくったのに、いざ登場した女優にちっとも美人のオーラが感じられなかったくらい、興を削がれる。
しかしこの場合は、その女優が実際に美人である必要はない。極めて少数の人にしか分からない例えを続けると、劇団ファントマの美津乃あわさんがいい例である。彼女は絶世の美女ではないけれど(すみません!)、でもあの強烈な「私は美人なのよ」オーラを見せられると文句を言う気にはなれない。納得さえしてしまう。が、しかし。この『アラビアの夜の種族』で語られる物語は本当に美しくなくてはいけない。だって本なんだから、文章でしか勝負できないんだもの。なのに語り部の語る物語と、地の文の区別がつかないってどうゆうコトよ。
物語を語る語り部も、また別の語り部に語られてる…って構造になってるからなのかなーとか、いろいろ考えてみたんだけど、それにしても別の人が語ってるワケで区別は欲しいし、それにどっちの文も美しいならイイのに、そうじゃない。なんつーか、物語に格調とか品位とかっつーモンがないのです。“伝説の語り部”が語っているのに! だいたいアラビアの物語のくせして色気がないってのも許せない。セックスはあるのに。かと言って、昔の物語にあるように、あっけらかんと元気にヤってるって路線でもなく…うーん、私には“下品”としか思えん。
もう、この文体は軽〜いユーモラスな感じを出そうとしたんだろうか…とか、ここで言葉を重ねるのはどういう効果を狙ってたんだろうか…とか、変な気を回しちゃって疲れた。仕舞いには、昔のまだ洗練されていない時代の語り部だから、わざとこんな垢抜けない文章にしたんだろうか、とまで。例えそうだったとしても、なぜ現代の読者がそんなものを喜ぶと思ったのかが理解の外なんだけど。…でも、この話、ウケてるんだよなー。どこが好まれるのだろう、いったい。
「ウケるのは分かるけど私の趣味じゃない」ならイイんだけど、ここまで美点が分からないと私の読解力に問題があるのかと不安になります。何か読み取り損ねてるんだろうか、私。
金曜日から日曜日までをざざっと。月曜日はたいしたコトしてなかったんで割愛。
■金曜日。芝居を観に行った。元ピスタチオ座長の腹筋さんプロデュースの公演で、大好きな保村さんも出るし、ファントマのえん魔さんも出る。楽しみにしていた…のですが、先週は芝居の外れを引く運命にあったようです。お願いだから中途半端なモノを金とって見せないで下さい。ピスタチオ最盛期を知っているだけに、今の状態は悲しいです。保村さんの髪の毛も悲しい状態になってるし。つか、あの髪型だとヤバさが余計目立つと思います。腹筋戦艦大和のコントだけは懐か嬉しかったです。
その後行った居酒屋でデザートにゴーヤシャーベットを頼みました。キレイなグリーン。口に入れるとヨーグルトの風味が先にたって意外に食べやすい……と思ったら、直後、強烈な苦味が襲ってきます。うひー。ゴーヤチャンプルーよりも苦いよ、こりゃ。しかし慣れるとクセになる味。たっぷり飲んで食べていたのに、口がすっきりします。食後に最適かも。作り方知りたいなぁ。見た感じ、生のゴーヤをヨーグルトシャーベットにすりおろして混ぜ込んだ感じなんだけど…今度挑戦してみようかしら。
■土曜日。吉祥寺で、楽しみにしていたオフ会。参加メンバーはシロツグさん、末上さん、八重子さん、のぐちさん、ゆきさん。私は八重子さんとのみ初対面だったのだけれど、前からお会いしたかった彼女とのオフが今回実現できて、すごく嬉しかったです。映画の話をたくさん聞かせてもらいました。おっとりゆったりした口調ながら、結構ぐさっと鋭いコトをおっしゃるのも想像どおり。やー、お会いできてホントによかったです。もちろん他の皆さんにも。
つかね。どう言葉を飾っても失礼な言い草になっちゃいそうなので、もう正直ぶっちゃけて書きますが。今回参加してくれた全員、どの方もネットがなかったら知り合わなかったであろうし、で、実際お会いしても「ネットやってて良かった〜」と思わせてくれた方々ばかりなのですが。1人ずつお会いすると、そんなには感じないんですが。……なぜ、集まるとああも濃くなるですか皆さんは! 初対面の面子も何組かいたハズなのに、とてもそうは思えない話っぷりに、比較的薄味(当社比)のわたくしは圧倒されっぱなしでした(て、やっぱり失礼な…。えーっと、私は皆さんがとても好きです。…ってフォローになってないですかダメですかすいません)。
揃いも揃って鋭くツッコむわ、話の展開は面白いわで、黙って聞いてるだけで充分楽しく、けたけた笑いっぱなしだった気がします。あと物事に対する分析も興味深くて。私はあんまりちゃんと分析したり整理したりしない(できない)タイプですから、ただもうひたすら吸収させてもらいました。ワリと上品気な店で、隣のテーブルの方に聞こえたらちょっと眉を顰められてしまうような単語が飛び交っていたような記憶が無きにしもあらずなんですが、知ったこっちゃないや。とにかく面白かったです。来てくれた皆さま、ありがとうございました! またぜひやりましょう!
■日曜日。近所の神社でやってたお祭に妹と。狙って行ったワケじゃないのですが、ちょうどお神輿を分解する時間や、お神楽をやってる時間にぶち当たりました。たこ焼き食べに行っただけなのに。お参りをして、夜店をひやかして、椅子に腰掛けビールを飲みながらお神楽を見ました。多分「町内お神楽同好会」とか「お神楽保存会」とかのメンバーがやっているんでしょう。素人目に見てもあまり上手じゃありません。けど伊耶那岐・伊耶那美の話や八岐大蛇退治の話と、話には馴染みがあったのでなかなか面白かったです。妹と「伊耶那岐、身勝手だよなー。やっちゃえ伊耶那美!」と応援したんですけど、やっぱ退治されちゃいました。思いがけず祭気分を堪能。とてもヨイ週末でした。
■パルコ劇場で『おかしな2人』を見てきた。ニール・サイモンのコメディで映画にもなっているそうだが、私は見ていない。予備知識なし。男編と女編を交互に上演するという珍しいパターンで、男編の主役は陣内孝則と段田安則、女編の主役は小泉今日子と小林聡美がやる。共演者も魅力的な人(私が惹かれたのは八嶋智人・深浦加奈子・高橋克実)を揃えている。こうなると男編・女編の両方を見たいと思うのだが、問題はこれが翻訳劇だってコトだった。私らは今まで翻訳劇を観にいって当たった試しがないのだ。
映画だってテレビドラマだって、舞台でもミュージカルやショーなら海外モノを楽しめるのに、ストレート芝居だけ楽しくない。これは謎である。外国には日本の小劇場っぽい(もうメジャーになっちゃって何が小劇場だって感じなんだけど)雰囲気の芝居はないのだろうか。第三舞台とかが海外で大ウケしたとか聞くと、向こうにはないのかもなーと思う。とにかく、今回もハズれるコトは予想できた。だから迷いに迷って、男編のチケットを購入した。
結果。…予想どおり。なーんで翻訳劇ってああツマラナイかな。さすがに役者は面白かった。特に陣内さん。彼のエキセントリックな演技はテレビじゃ浮くコトもあるけど、舞台では魅力だ。深浦加奈子さんも良かった。テレビの彼女も好きだが、舞台でもすごく面白い。違う役でもっと見たいなー。演技とは関係ないけど足がキレイだった。段田さんや八嶋さんは魅力が活かしきれてなかった。残念! 女編がどうなってるのかに興味はまだあるけど、あのストーリーをもう一度見る気にはならない。すごく散らかった部屋のセットを暗転中にキレイにするシーンがあって、それだけは見事だった。
ところで、折込に八嶋さんの所属劇団カムカムミニキーナの次回公演のチラシが入っていた。が、劇場がシアターアプル。不吉である。アプルはカムカムが今まで使っていた劇場とは規模が違う。大きすぎる。私の愛した今はなき劇団、ピスタチオがダメになったのはシアターアプルを使い始めてからだ、という強い印象があるだけに不吉である。大きな劇場を使う…というのは劇団にとってはステップアップなんだろうが、決して大きな劇場に進出してはいけない劇団ってのはあるのだ。芝居のタイプが違うのだ。近くで見ないと良さがわからないのだ。そしてカムカムは明らかに小劇場向きなのだ。だからお願い、アプルなんか使わないで。小さな劇場に戻ってください。カムバーック!
■セオドア・ローザックの『フリッカー、あるいは映画の魔』読了。私が普段好む物語とは違う雰囲気だけど、冒頭から読ませるし、すごい説得力がある。よっぽど印象に残った作品以外、映画は見た端から忘れてしまう私にとっても迫力あるのだから、映画やその歴史に詳しい人には堪らないのじゃないかしら。ラストは「えーっそれで終わっちゃうのっ」って感じ。いや読んでるうちに私まで主人公と一緒に毒されてきて、そのラストでいいやと思っちゃうのだけど…でも、ジョニー! あなたは自分で首つっこんだんだし、嫌悪感を覚えながらも惹かれていたんだからそれでイイかもしれないけど、クレアを巻き込まないでよーっ。登場人物の中で彼女が一番好きなのに。すごく魅力的な女性だったのに。成功するまで長々苦しんできたのにー!!(←ネタバレ…になるかな。)
「人生は束の間に空しくすぎてゆくけれど、あの美しいシーンのような一瞬がいくつもある……」クレアはふたたび目に涙を光らせたが、それは悲しみではなく、荒々しく力強い感情がもたらしたものだった。「もし世界の救済に意味があるとすれば、それは世界から光がいっさい消えてしまうまでに、あのラストシーンのような一瞬を無数に創造することよ。なぜなら、光は2014年だろうと20014年だろうといずれはかならず消えてしまう。このような一瞬、一瞬は暗黒のなかできらめく美しい星たち、人類が営々として獲得したすべてなのよ。」
−『フリッカー、あるいは映画の魔』−より
いい台詞だなぁ。ホント、好きだわ彼女。
9月11日。NYの同時多発テロから1年たった。去年私はホントに何も分からなかった。分からないままTVに釘付けになり、信じられない映像にパニックになった。その後、少しでも情報を仕入れたくて、テレビの特別番組を見たり、ネットでいろんな人の意見を読んだりした。でも、大量の情報は右から左へ抜けていき、結局よく分からないまま、あのショックは薄れてしまった。最近ふとそれに気付き「1年もたつのにコレじゃいかーん!」と思って、中東に関する本を数冊読んだ。テレビから流される情報を聞くよりも、本を読んだ方がやはりちゃんと頭に入る。地理が苦手でも人の名前や年号を覚えられなくても、それでも残るものはある。
私は別にエキスパートになったワケではない。読んだのはたった数冊の本だけで、世界情勢をきっちり把握している人ならとっくの昔に知っていたコトばかりだと思う。常識の範囲なのかも知れない。1年前だって、どうしてそうなったのかをちゃんと説明できる人はいた。私の方に聞く準備が出来ていなかったのだ。今年のいつだったか、もう記憶が薄れ始めていた頃に、「アメリカ人は自分たちが憎まれているのを知っている。でも何故憎まれているのかはわかっていないんだって」と聞いたときは「アメリカ人ってそんな感じだよねー」と笑ったけど、私だって同じだった。1年前の日記を読むと、あまりの能天気っぷりに居たたまれなくなる。
あのときのショックは半端じゃなく、あのときは書かずにいられなかった。今だってあんなコトは起きるべきではないし、許されちゃいけないコトだと信じている。世界貿易センタービル崩壊の映像は、まだ私を怯えさせる。だけど、その原因に関して、私は何も知らなさすぎた。…無知は罪じゃないと言い訳はできる。世界の全てを知るのは無理だもの。でも、無知を自覚していながら1年近く、私は知識を得ようとしなかった。本を読み進むにつれ、それが恥ずかしくなっていった。無知は人を傷つける。1年前の私の日記は軽率で無神経な言葉に溢れている。私はせめて、知ろうと努力するべきだった。
今朝のニュースで誰かが「1年前、CNN(だったと思う)のキャスターが『なぜ私たちはここまで憎まれなくちゃいけないのか』と叫んでいた」と話していた。そう思った人は多いだろう。「なぜ」の答えを見つけ出そうと努力した人もいるだろう。願わくば、その答えを(おぼろげながらでも)得た人の多からんことを。でないと振り回されて巻き込まれるばっかり。そんなのヤだ! 私たちは学ぶべきだ。
自分の無知を自覚しているからこそ、あまり時事に触れた日記を書かないようにしているんだけど、今日の日記も1年後に見たらまた恥ずかしくなるかもしれないんだけど、でもこればっかりは書いておいた方がいいような気がして。
最近リンクしまくってて申し訳ないんだけど、また坂田靖子さんが面白いコト書いてます〜! マンガが好きで、男性と女性のマンガの読み方の差なんて話題に興味のある人は早めにチェックだ!(多分1ヶ月もすれば消えてしまうだろうから)。さあ、さっそく引用。
男性の人(男性全員じゃなくて、雰囲気的にこちら側の特徴かなという感じ)が重視する「リアルさ」は、歴史的実在的社会的に「食い違ったり、まちがっていないかどうか」という、社会的な共通認識の働く部分の確認。
女性の人(こちらも女性全員じゃなくて、雰囲気的にこちら側の特徴かなという感じ)の重視する「リアルさ」は、場所や物品の感触が「感覚の再現性を伴って正確に伝達されるよう描かれてるかどうか」という、個人の感覚が判定のよりどころにする部分の伝達度、・・・じゃないかと思うんですね。−Spy the Desk9月4日より−
具体例あげて分かりやすく書いている文章はリンク先を参照してもらうとして、これを読んで私も目から鱗!だったコトがある。以前、誰か(男性)が「少女マンガのこういうトコロがダメだ」って理由に「絵が立体として正しくない」点を挙げているのを目にしたコトがある。それがそのときの私には全っ然納得できなかったのだ。例えば、女のコが恋人の住むマンションの下の道路に立って、彼の部屋の窓を見上げるシーン。そこで「見上げる顔の確度や向きから考えて女のコが立っているのはマンション周辺のこの辺のハズなのに、俯瞰図を見ると、そこに人が立てるスペースがない。おかしい!」とか書いてあったのである。
んで私は「変なコトにこだわる人だなー。状況が分かれば充分じゃん。それよりもナゼ彼女がそこに立っているのか、どんな気持ちでいるのか、何を感じているのかってのが伝わるかどうかが大事なんじゃないの? こんなどうでもイイことにイチャモンつけるなんて、結局少女マンガを色眼鏡で見てるんじゃないのか」と思ってムクレてたんだけど、そうか、別に重箱の隅つつきをしてたワケじゃなくて、絵がちゃんとしてないと落ち着いて読めない人がいるのか! …と、坂田さんの文章を読んで思い至ったのだ。ちょっとびっくり。
でも、そう納得しても自分の読み方が変わるワケじゃない。絵の正しさにポイント置いて読むなんて、どうやったらイイか分からないもの。あと岡野玲子さんの『陰陽師』の衣装についての話を読むと、女性の方がマンガの絵から多くの情報を得ているんじゃないかと思うわ。台詞ではっきり説明されていなくても、感覚で受け取れちゃう。現実でもわりとそうだしね(怖いくらいの女の勘ってあるじゃない? ちょっとしたコトから一足飛びに、それこそ妄想と言ってイイくらい飛躍して、結論を引き出す。しかもその結論が当たってたりしてねー)。
ああ、女性が男性が…と書いてるけど、もちろん全員に当てはまるとは思ってません。坂田さんと同じく「雰囲気的にそちらの特徴かな」って感じ。少女マンガを楽しめる男性は、ここで言う「女性的な目線」を持ってる/も持ってるんじゃないでしょか。絵的に正しくない少女マンガは多いと思うから。ちなみに私は男性側の目線は持ってないなー。持ってて面白いコトあるのかしら?(どっちの見方がイイとは言えないけど…とか書いた方がいいのかも知れんが、思いっきり「女性的目線」に肩入れしてお送りしてます。)
あとちょっと話が違うけど、「マンガに同性の裸が出てくると醒める。女の場合、ステキな男性(マンガキャラ)が女と絡むだけでもイヤだってのが、やおいの流行る一因ではないか」って分析の方は、ちょっと納得できなかった。私は女の裸が出てきても萎えないし(興奮もしませんが)、魅力的な男性キャラが女のコとラブラブでも楽しる。「相手のどこに惚れたか」ってのが納得いかないとヤだけどね。
最初に謝っておこうっと。すいません。今日は子供ばか日記です。親ばかならぬ子供ばか。
昨日、用事があって親に電話をいれた。母親が出て開口一番「ありがとー!」と言う。…礼を言われるような覚えはないので「へ? 何が?」と聞くと、「FAX見て電話くれたんじゃないの?」と聞き返された。全然気付いていなかったが、見ると確かにFAXが届いていて、「こうやるとこうなる、ああやるとこうなる」とウィンドウズの画面が図解してあって、「どやったらいいのかおしえて!」と書いてあるではないか。おお! これが、親がパソコンを始めると子供が無償サポートセンターの役割を果たさねばならなくなるってヤツですね!
今、親の手元には中古のパソコンがある。母親が私とメールのやり取りをしてみたいと言い出したからだ。ちなみに父親はパソコンを悪魔の箱と呼んでいて、私が母親に教えている間も、手を触れようとはしなかった。が、ずっと傍について見守っていた態度から見て、実は興味津々なんじゃないのかと思う。彼らはパソコンを使うのは初めてなので、こないだ教えたのは立ち上げ方や終了のさせ方、ソフトの起動方法、文字入力の仕方、フリーズした場合の対処法など、基本的な事ばかり。
私もパソコンに詳しくないので、「WindowsとかMacって何だ」とか「ソフトとOSって何が違うんだ」とか「OSはWinとMac以外にもあるなら、ここに書いてあるAptivaってのもその種類なのか」とかの質問にわかりやすく答えるのには、けっこう苦労した。面白かったけど。ただ、まだネットに接続はしていない(正月休みに設定するよう頼まれてはいる)ので、助けてコールがなくっても「まあブラインドタッチの練習してるだけなんだから、そうそう変な事態にはならないか」と思っていたのだ。それが今回のFAX…わ、分からないトラブルだったらどうしよう、とちょっとびびる。
が、図を見ると何のこたぁない。要するにタスクバーの高さを変えちゃって、画面の下半分がタスクバーになってる状態らしい。「どうやっても下の青い画面(タスクバー)が消えない。Sさん(ご近所の仲良しさん)にパソコンを覚えるときはプライドを捨てろとアドバイスされました。もともとあまりないけど」と書いてあるのが笑わ泣かせる。とりあえずパソコンを起動させろと言って電話を切り、5分後にかけ直すと今度は父親が出た。本人の方がいいんじゃないか?と一瞬思ったが、ウチのは懐かしの黒電話。子機などというモノは付いていなくて(FAXもSさんに借りたのだ)、パソコンの置き場所から電話をするのはムリなのだった。つまり私が言ったコトを父がそのまま復唱、それを聞きながら母が操作するしかないのだ。うわはは。
「まずね、上半分の画面と下の青い画面の境目くらいにポインタを…」「ポインタ?」「マウス動かすと動く矢印があるでしょ? それ。その矢印を持ってって。そうすると白い矢印が黒い上と下を指した矢印に変わるポイントがあるから、そこをまず探して」「ちょっと待て。おい、○○するんだってさ。矢印の形変わったか?…変わらないぞ」「矢印どうやって動かしてる?」「左右に」「左右じゃなくて、境目の上下で動かしてみて」「上下だよ上下。お、変わった」「そしたらそこでクリックして。あ、離しちゃダメだよ」「クリックして…あっ、ばかっ、離すなって言っただろ!」
…って感じやり取りの末、タスクバーの高さを戻すまでに10数分。途中「スタートボタンだけが見えてる高さになった?」「…まだちょっと高いな。2つと半分見えてるぞ」「…何が2つ? 2行分の高さってコト?」「いや2つと半分」などという、ワケのわからない問答もあった。これは何を言っていたのか、最後まで判明せず。戻しても「スタートバーの上に7個出てる」と、だんだん向こうの状況が分からなくなってきたので、母親に変わってもらう。「7個って何が出てるの?」「ああ、アイコン。大丈夫だよ、戻ったから。でもね、一太郎開いたら、画面が小さいんだけど…。それに“あ”って書いてあるヤツ(IMEツールバー)が真中にあるの」「えーっと、まず一太郎はね…(以下略)」
今度は父と母がポジションチェンジ。父、悪魔の箱に触ってるようです。わははー、可愛いなぁ。彼もマウスの操作が苦手なようで、矢印の形の変わるところでクリックして、そのまま下に引っ張ってくる、という単純作業に四苦八苦。全てが解決するまで20分以上かかったのでした。でも初めての助けてコールだったせいか、おかしくておかしくて、更に最後に「ありがとー、さすがだね!」って台詞が出たときには、妙な達成感まで覚えたのでした。やー、ホント手におえる問題で良かった。だって最初くらいはいいカッコしたいし。
しかしネットに接続したら、いろいろトラブル起こるだろうなぁ。それが電話でサポートできるのか、セキュリティ問題とかちゃんと教えられるか、今から少し心配です。私も少し勉強しなくっちゃかしら。いつまで「先生」のポジションが保てるかしらん。別に保たなくてもイイんですけど。と、思っちゃうあたり「もともと(プライドが)あまりないけど」と書く母の娘だなーと思いました。…考えてみれば「このキーは何につかうんだ」って質問に「知らん。使ったコトない」を連発していた時点で、すでに立場はなくなっていた気がしないでもないですが。
■昨日「対象が何であれ、愛を持って語ればOK」と書いたけど訂正。如何に愛があろうともゴキブリについて熱く語られたり、幼女の性的魅力を熱を込めて語られたりしたら、さすがにひくわ。愛があれば、自分の興味ない事柄でも面白く読めるコトは多いけど、やっぱり限度はあるや。当たり前か。
■彼女に食事おごるためとかいいカッコするためとか、そんな理由で安易にキャッシングを勧めるCMにはトンと興味がないんだけど、1つだけ「その迷いは分かる!」と納得しちゃうのが、どうする?アイフル〜♪のペット編。動物と通じ合っちゃった(と思った)ら、もうしょうがない。また、CMの見つめあうチワワと父親がいい表情するんだもの。私でもキャッシングに走るかも知れんよ、あれじゃ。
■休み休み読んでた妹尾河童の『河童が語る舞台裏おもて』を読了。妹尾さんの『覗いたシリーズ』も舞台も好きだから、当然面白かった。途中、舞台美術・舞台監督・演出家の3人が「今の仕事をしてなかったらどうやって演劇に関わっていると思いますか?」という質問を受け、口を揃えて「観客」と答えていたのが何となく嬉しかった。観客である私は2番目にいいポジションにいるんですね! あと「ヘンな劇場を建てないで!」ってのは、とっても同感。もっと言って言って。観客の立場から見てもヘンな劇場はあるし、そういう劇場は舞台裏も使いづらいに決まってる! 劇場作る場合には、舞台を作る人の意見を大事にして欲しいとホント思う。
■先月田舎に戻ったときの写真が現像できたので、一部をUP。家が写ってないヤツ、と思ったら、木ばっかになっちゃった。写真で見るとすげー鬱蒼としてるようだけど……考えてみればホントに鬱蒼としてるのだ。いろんな種類のセミの声や虫の声が一緒にUPできないのは残念。できれば匂いもつけたいくらい。
まずは実家の田んぼと畑。
通学路。通った小学校(分校)は今は廃校。
近所の川にかかる橋。
散歩の途中で見かけた蛇(昼寝中?)。体長70〜80cm。
この辺が私の原風景。実家の敷地境を流れる川。
ぎゃぁ! キリがないからフィギュアにはあまりハマりたくないっつーのに、西に旅行してきた友人から「黒潮の魚たち」をもらってしまった。13+シークレットのうち8種も! 黒潮コメッコは黒潮に乗って北上してくるらしいので、そのうち関東でも発売されるだろう。買うか? 買うか? …買わなきゃ! あと6種類…カスリハタ欲しい…しかも第1弾って続きが出るってコト? それにシークレットにも色違いがあるみたいで、もらったの(紫)と違う色(赤)が欲しい〜。ああ物欲が物欲が…。
これ、写真だけ見るとあんまり惹かれないんだけど、これと似た感じの「深海生物フィギュア」が7月に行った伊豆のDSにずらっと飾ってあったのを見ちゃったのでドつぼ。場所柄のせいもあり、並べると圧巻でステキだったのだ。私の狭い部屋のどこをどうすれば、新たなフィギュアを飾るスペースを作れるのか、頭が痛い。こゆとき賃貸じゃなければなー。適当な大工仕事は好きだから、壁に棚作って「海コーナー」にして………いや、桟を傷つけないようなの作れるかしら。どうせ乗せるのは軽いものだし、できるかも。てかそうしないと場所がない! そしてコーナー作るなら深海生物も欲しいなぁ。今からでも手に入るかしら。…ってもう物欲の虜だよこの女は。
さて。村上春樹・柴田元幸の『翻訳夜話』読了。訳書を多数もつ2人が翻訳勉強中の人や若手翻訳家たちと翻訳について語りあったものの収録。面白かった。直訳と意訳のどちらがいいのか、どこからが意訳になるのか、いい翻訳をするために美しい日本語を意識しなくてはいけないのか、英語特有の言い回しはどう処理すればいいのか、などなど興味深い話題満載。翻訳小説を読むことが多く、慣れてはいても、ときどきは翻訳の出来が気になってしまう私のような人間にはオススメ。
翻訳ってちょっと興味がある。相当昔、通信教育で1年ほど勉強もしてみた(そして余りのトロさに断念した)。そのとき分かったのは、英文を読むのと、それを日本語に書き起こすのは全く別の作業だってコト。意味はわかっているのに、さてそれを日本語にしようと思うと、全く言葉が出てこない。私の訳文はたいてい「意訳しすぎるのは止めましょう」という赤ペンを入れられて戻ってきた。が、通信教育をやる前にこの本を読んでいたら、かなり役に立った気がする。いや実践でどうこうって話じゃなくて、気構えの点で。もっと肩の力を抜いて楽しめた気がする。
途中の「海彦山彦」という章には、村上春樹と柴田元幸が2つの短編をそれぞれ訳したものが載っていて、読み比べると楽しい。巻末に原文もあるので、私も訳してみようかなーと無謀な考えが頭をよぎったが、私がやると時間がかかりすぎるので原文に目を通すだけにした。でもさっきも書いたように、これは翻訳とは全然違う作業だから、あんま意味がなかったかも。同じものを訳したのに、出来はムードがけっこう違う。誤訳じゃなくてもこのくらい違っちゃうんだなー。
あと、対談からは「翻訳が好き」って気持ちが伝わってきてイイ感じ。翻訳はここが面白いんだ、こうなると気持ちいいんだ、って愛だよ愛。原作に対する思い入れも(特に村上春樹)。こういう語り方は対象が何でも魅力を感じる。好き。物語の作者は翻訳者のことを同盟関係にある味方みたいに思っているので、たいていすごく親切だって話にも納得。本を読んでると、訳者後書きに「わからないところがあったので作者に問い合わせて云々」って話がよく出てきて、「作者も忙しいだろうに、いちいち問い合わせに対応するなんて、大変だなー」と今まで思っていたんだけど、言われてみれば作者と翻訳家って同盟関係っぽいかも。好きな作家さんと同盟関係になれるなんて、いい仕事だぁ!…つか好きじゃなくちゃできないくらい、労が多い割に儲からない職業らしいですね。いつもお世話になってます!>翻訳家の方々。
土曜日に、行ってきましたダイビング。場所は逗子マリーナ。実はあんまり期待してなかったのですが、近場で潜れる場所を開発したかったのです。そしたら…。近場でもバカにしちゃダメですね! 面白かったので今日はダイビング日記。
逗子マリーナではボートダイビングになります。ビーチ付近は混んでて危ないし、沖にポイントがあるからでしょう。まずダイブセンターで着替えをし、プールで戯れる人々を横目にボートの発着場に向かいます。天気が良かったので日差しが痛かったです。台風15号と16号の影響が出てるかどうかが、ちょと不安です。ショップの人の話によると、前日まではうねっていて入れなかったそうです。だから透明度も潜ってみないと分からない。こればっかりは時の運…とは言いつつ、前回潜ったときの透明度が悪かったので、今度こそキレイであって欲しいです。
一緒に潜るのは客7人+ガイド2名。中にヘビーダイバーのご夫婦がいて、何ともう270本も潜っているとのコト。しかもダイブ歴5年だそうですから、年間50本以上潜ってる計算になります。すげー。私は年間10本潜ればいい方です(←ダイバーとしては最低だけど、だってお金がないんだもの!)。足を引っ張らないようにしなくっちゃ!と思いつつ、器材をセッティングしてボートへ。いい色に日焼けしたおじちゃん2人がボートを出してくれます。海で仕事してる人ってハゲてても腹が出ててもカッコいいんだよなー。ポイントまでは10〜15分。けっこう揺れます。
エントリー方法は「シッティング・バックロール・エントリー」。船の縁に腰掛けて背中からざぶんと入る方法です。海面からの高さがあったし久しぶりなんでドキドキしましたが、実はこのエントリー方法が一番楽なのですよね、私は。海に落ちたら「大丈夫」の合図をしてボンテンに向かって泳ぎます。ボンテンからはロープを伝って潜行。ロープがあって安心したせいか、BCDの空気を抜いただけですーっと潜れました。嬉しい! 慎重に耳抜きをしてみますが、大丈夫みたい。うう嬉しい! 海面は少し濁ってましたが、底は透明度もまあまあ。全員が海底に揃うのを待って、ゆっくり泳ぎ始めます。
泳ぎ始めます…ええええええっ! 逗子の海ってこんなにキレイだったのぉ? ソフトコーラルが、ソフトコーラルがっ。海中写真でよく見る色とりどりのソフトコーラルが、ホントに美しいのです。黄、紫、赤…。うわぁ写真みたいだよう、日本でこんなキレイな海底初めて!(他は伊豆しか知りません)と、ソフトコーラルにばかり目を奪われていましたが、落ち着いてちゃんと見ると魚もスゴい! カラフルで種類も豊富、群れもいます。うわぁぁぁ…。あんまりキレイなんで緊張してたのも忘れて、ダイビングって素晴らしい!と久々に思えました。
30分ほど海中遊泳を楽しんでエキジット。水深5mのところで3分間の安全停止を行います。ロープがあるので楽ちん(上手な人はロープも必要としません)。マリーナに戻り、昼食を食べ、2本目のスタートを待ちます。1本目が楽しかったので、すっかりリラックスできたし、2本目は楽しみなだけです。…と、思ってました。甘かった。海の機嫌は変わりやすいのです。逗子マリーナはもともと午後になると風が吹きはじめるらしく、しかも多分、あんなに遠くにいる台風16号の影響で、海にもうねりが入り始めていたのでした。
空は相変わらず晴れ渡っていましたが、風が強くなってきました。あれ?と思ったのはボートがマリーナを離れたとき。さっきより揺れます。おまけに波しぶきがひっきりなしに顔にかかるので、目が開けられません。ヤバい酔う、酔わないように遠くの動かないものを…と思っても、目が開けられないので見られません。ポイントに着いてボートを止めたおじちゃんは流石に慣れていて「さっきより流れてるからねー、海に入ったらボンテンまでがんばって泳いで!」とあっさり言ってくださいます。ひーん。
言われたとおりがんばって泳いでボンテンに。しかし全員が集まるのを待ってる間に、波に酔いそうになってしまいました。さっきよりかなり波があります。潜行開始の合図があったときにはホッとしました。しかし、海底から海面へと向かう強い流れのせいで潜行も難しく、ロープをたぐりながらやっと潜行。海底もさっきより流れてますが、まだ上下の動きがないので楽です。さっきより視界も悪くなって、ちょっとガッカリ。それでも魚の群れはいたし、それなりに楽しみます。途中海底の砂が巻き上げられて極端に視界が悪くなり、友人たちしか見えなくなったときはドキドキしましたが、大人しく待っていたらガイドさんが戻ってきてくれました。
今度も30分ほど泳いで浮上開始。一番大変なのはここでした。私は今回始めて「鯉のぼり」を経験しました。安全停止中のコトです。さっきの海面に向かう水の流れはますます強くなり、ロープなしで一定の深度に留まるのは無理な状態とあって、全員が数珠繋ぎでロープに掴まります。私も最初は片手で掴まっていたのですけど、飛ばされそうになって両手で、仕舞いにはロープに抱きつくようにして必死で体を支えました。足は流れに持っていかれてびろびろ吹き流されていて、鯉のぼりどころか逆立ちしちゃいそうです。2、3回はホントに宙返りしちゃうんじゃないかと思いました。
長い長い3分間が過ぎ、やっと浮上。海面も荒れてましたが、なんとか順繰りにボートに戻ります。私が息もたえだえにボートによじ登ったとき、連れの1人が昼食を魚の撒餌にしているのを目撃しちゃいました。がんばれー! 2本目は1人増えていたので、客は8人いましたが、そのうち4人がゲロゲロになってしまったくらいです。私は海面でちょっと危なかったのですが、ボートに戻ったら落ち着きました。ダイビングの事故のほとんどが海面付近で起きているってのに納得。しかし私が「ひー死ぬーっ」と必死になっていたあの状態を、ガイドさんは笑うのですよ! 「ロープにきゅうってしがみついてて可愛かった」って! これだから海の中で余裕持っていられる人は!(いやそういう人についててもらえるから安心なのですが)
しかし、こういうのがあっても、今回の1本目みたいなのを経験しちゃうと止められないんですよねー。ついベテランダイバーのご夫婦に「流れの中で上手く泳ぐコツ」とか訊いちゃったりして。いやこのご夫婦私たちよりかなり年上なんですけど、泳ぎ方がキレイだったのです。力をあまり使ってないのに、速くって。海草の流れや魚の動きを見るとイイ、とか教えてもらいました。あと一箇所に留まるコツも。ただやっぱ最初から上手くはできないのが当たり前。「とりあえず50本くらい潜ってみないとね」だそうです。50本かぁ。遠いなぁ。
ところで、このご夫婦、ホント仲良くて素敵でした。すごく自然な感じで寄り添ってて、2人でダイビングの話してるの聞いてると、同じコトを2人で楽しめるのってイイなぁ…と思っちゃいます。かと言って2人の世界を作ってるんじゃなくて、外に向かっても開いていて、お話させてもらってこっちまでハッピーになっちゃいました。えへへ。そして2日後の今日、耳鼻科に検査に行きまして、結果は異状なし! ダイブ解禁です。To-koは耳抜きを覚えた! 経験値が1増えた! 医者にもガンガン潜れと言われたので、9月後半と10月に2本ずつ潜りに行きます。
Dive No.14とNo.15をつけました。残念ながら今回は写真なし。あのソフトコーラルを撮れなかったのが残念です。早く水中カメラ買わなくっちゃ!