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2001.10.19

私が最近どうも沈みやすくなってしまっているのは、ちょいと私生活が忙しくてしかも忙しくしている割に成果があがっていないとか、でも気ばかりあせって掃除や料理には時間をかけられず、だからロクなもの食べてなくて部屋が散らかっているとか、そんな時期に仕事の形態を切り替えるかどうか決めねばならず、切り替えるとどうも手取りが減りそうだとか、そうゆうモロモロのせいでもあるのだけれども、その他にも大きな原因がある。テレビをつけた途端に感じる、やりきれない気持ちがそれだ。

ネットでちょっと調べただけで異論や反論は山ほど出てくるのに、その欠片も感じられない偏った報道であるとか、何だか妙に楽しそうな軍事評論家(!)だとか。「今、新しい戦争の形態を模索しているんでしょうね。これで新世紀の戦争の傾向が決まると思いますよ!」なんて興奮して喋っているのを見ると、何とも言えない、いやーな気分になる。もちろんそんな話をありがたがって流す番組も。あんたらつい最近まで「20世紀は戦争の世紀で、21世紀は平和(だか希望)の世紀」とか言ってなかったか。それを信じていたワケじゃないけどさ。

そんな理由と、ただ単に忙しかったのとで、ここんとこテレビはあまり見ていなかったのだけれども、水曜に『その時歴史は動いた(日本を愛したアインシュタイン・その悲劇)」を見た。もともと平和主義者だった彼が、ナチスドイツの迫害を受けてアメリカに亡命し、ナチスを止めるには軍事力行使しかないと思うに至り、アメリカ大統領に核爆弾の開発をすすめる手紙を書く。しかし完成した爆弾はドイツにではなく、日本に落とされた。終戦後、アインシュタインは科学の平和利用を訴える運動を起こし…という内容。見ているうちに、たまらなくなった。

なんだか余りにもタイムリーな内容だったので、今この時期に放映する何か深い意図でもあるのかと思ったが、番組の出来から見るとそういうワケでもなかったようだ。私がたまらなくなったのは、アインシュタインがどうとか日本との関わりがどうとかじゃなく、平和主義から軍事力行使の容認(支持?)に移り、そしてまた平和運動に立ち上がるという気持ちの移り変わりの部分。そういう思いをした人は彼だけじゃなくて他にもいっぱいいただろうに、「戦争だけはしちゃいけない」という体験者の叫びを一度は聞いたコトがあるだろうに、なぜ私たちは学べないのか。学ばないのか。忘れること、忘れられることは救いでもあるけれども、決して忘れちゃいけないことや伝えなくちゃいけないこともあるんじゃないのか。そんなコトを思ったら、涙がこぼれた。うそ。顔をぐしゃぐしゃにしてびーびー泣いた。妹が帰ってきていなくてよかった。

考えても考えても答えの出ない、刻々と形を変える、人によって見方の違う、そういった難しい問題はたくさんあって、私が頭を悩まそうがびーびー泣こうが、何がどうなるワケでもない。ただ、こういうコトを考えるときはいつも、獸木野生さんの『愛でなく』に出てきた 「遠い国の出来事を、自分には関係ないと思っていてはいけない。何かが壊れるときは、その一番もろい部分から壊れるものだ。私たちは一つであり、私たちの一部はすでにゆっくりと死に始めている」 という意味の台詞を思いだす。(←大事な台詞なのにうろ覚え。環境問題について語ったもの。)

2001.10.17

昨日の日記は、子供の頃から私を知る人たちに「あなたは性格が変わった」と言われるのが多い割に、自分ではそう変わったとは思えないってトコロから来たんだけど、そういやそんなコトを言われだしたのって何時からだっただろう。と、ぼんやり考えていたら、もうかなり前に幼馴染の男のコに真剣な顔で「To-koちゃんも黙っていれば可愛いのにねー」と言われたのを思い出した。…ホントにろくなコトを思い出さないなー私の脳ミソ。

しかし風邪で発熱して喋る元気もない病人にそんな失礼な発言(笑っちゃったけど)をした彼が、今ではもう2児の父親だと思うと、時の流れを感じるなぁ。私はあんまり成長していないのに。てか私を取り巻く状況はあんまり変わっていないのに。

2001.10.16

さ、今日もいっちょ暗く行こう!

職場に10歳近く年下の女のコがいる。「先輩先輩! これって何々なんですか!」とか「先輩! 大変なコトになっちゃってますよー!」とかいう勢いでやってくる彼女は、とーっても素直で可愛い。その彼女に先日の昼休み、何かの話の流れで「先輩、性格って変えられると思います?」と聞かれた。うーむ。難しいコトを。彼女とはかなり広くいろんな話をしているのだけれども、私は興が乗るとついべらべらと喋ってしまう悪い傾向があって、同年代の友人相手ならともかく彼女が相手だとちょっと注意が必要だ。なぜなら、素直な彼女は人が適当に言ったコトをすぐに鵜呑みにするからで、以前、誰かと同居する難しさの話が結婚生活の難しさにまで及んだときも、気がつくととっても真剣な表情で「そんなの考えたコトありませんでした! 結婚って難しいんですねー」と言っていた。その顔を見て「ヤバい! 変な価値観吹き込んじゃった!」と慌てた私は、「いやでも私は結婚経験ないんだし、あくまで想像とか聞いた話だからね! それに世の中には結婚して上手くやってる人があんなにたくさんいるんだし、やってみれば何とかなるんだよ、きっと!」と必死で弁明するハメに陥ったのであった。(←自業自得。)

話がズレちゃった。えーつまり、コトほど左様に彼女相手のマジメ話には注意が必要なので、「性格は変えられるか?」という問いにも「うーん、人のコトはわからないからアクマで自分の話なんだけど、経験から言えばねぇ…」とくどい前置きをしてから、「変えられないと思う」と答えた。態度とか外に見せる部分は変えられるし、だから人から見れば性格が変わったように見えるコトはあるだろうけど、根っこのような、大本の部分は変わらないんじゃないか、と。少なくとも自分は変わっていないと思う、と。彼女は「そっか。それは言えるかも」と頷いて聞いていた。彼女自身はどうだったのだろう?

氷室冴子さんのエッセイに 『昔、私が世の中との間に漠然とした齟齬を感じ、まただからこそ世の中に受け入れられたいと、卑屈なほど強く願っていたころ…』 みたいな文章があったと思う。それを読んだときは「ああ私にもそんな頃があったなぁ」と、過去のコトとして共感を覚えたのだけれども、今みたいに内省的な気分が続くと、実は私の本質は大して変わっていないんじゃないかと思ってしまう。結局は自分のごまかし方が上手くなっただけなんじゃないかと。でも例えば好きな人に気遣いをするとして、果たしてどこまでが正当な気遣いでどこからが卑屈なのか、その境目すらもはっきりとは引けない。てかそんなモノはそのときの気分で変わるし。

こんな風に考えてしまうコト自体が多分、人付き合いに関する自信のなさから来ているのだ。普段「私は冷たい人間だもーん」と開き直っていながら、どこかで、ホントにそれでいいの? と迷っている。かと言って「じゃあ自信をつけましょう、優しくなりましょう」と言うのもばかばかしい。昔「ポジティブ・シンキング」って言葉が流行ったときに、別の友人が「『こんな暗いコトばかり考えていちゃダメだ、もっとポジティブに考えなくちゃ』と思ってしまった段階で、すでにその人はポジティブではない」と至言を吐いていて、まったくもってその通りだと深く納得させられたコトがある。優しくならなきゃと思ってしまう時点で、すでに私は。

所詮、自分は自分以外にはなれないし、だったらその自分を否定するのも、自分以外に理想を求めるのも虚しい話だ。それならばゴマカシだろうが何だろうが、そんな欠点だらけの自分と上手く付き合っていく方法を見つけるしかない。自分の欠点から派生する問題を避けたいなら、それを無くせないまでもカバーする方法を覚えるとか。人間そう簡単に変わったりはできないけど、それはいつまでも楽になれないってコトとは違うと思う。

2001.10.15

夕暮れの商店街を、考え事に没頭したまま歩いていたら、不意に後ろで「あっ…!」と小さな悲鳴があがった。えっ何? と中途半端に振り返った次の瞬間、逆方向からきた自転車がもろに体当たりしてきた。ああ、ぶつかりそうだから注意しようとしたのかー、とまだ少しぼーっとしたまま考える。ぶつかってきた自転車も寸前でよけようとしたらしく、もろに轢かれたワケではないのでなんとなく「すみません」と言って別れたが、「もう少しちゃんと謝れよー」と引っかかる。どうも一部には相手がよけてくれるのを当然と思って、自分の進路を決して変えようとしないタイプの人がいるんじゃないのか。ぶつかったのはよけない相手が悪かったのだと。それも一面真実なんだけれども、自転車で歩道を走るとか車に乗っているとか、自分の方がダメージを与える立場な場合、もうちょっと気を付けた方がいいんじゃないかと思う。自分が余所見していたのを棚にあげ。

更にぼんやりは続く。今度は夜更けの街で迷ってしまった。しかも駅から家に向かう道で。もう3年も同じところに住んでいて、今まで一度も迷ったコトがなかったのに。てか駅から5分もかからないのに迷うほうがおかしい。だが気付くと見慣れぬ住宅街に迷い込んでいた。どうも曲がり角を過ぎてしまったらしい。しかし単純な道筋なので、たぶん左に曲がれば見覚えのある道に出るだろうと見当をつけて、曲がる。曲がったとたんにまた考え事に引き戻されてしまい、自分が1コ目の曲がり角で曲がらなかったのか2コ目で曲がらなかったのかがわからなくなる。一瞬「あれ? 私はどこにいるの? どこから来てどこに行くの?」と軽い混乱状態に。もともと方向音痴で、ちょっと違う道を通ってみよう、とかすると必ずと言っていいほど迷うのだが、あの近距離で迷うとは…。また一つ自信がなくなった気がする。もともと根拠のない自信がありすぎるんだからまあいいけど。

なんだかいつにも増してとりとめがなく、ぼけぼけしておりますが、あと1週間ばかりは考え事が続くと思うので、この調子で。まあこれも現状を正直に伝える日記と言えないコトもないかと。

2001.10.12

とりあえず1人目と面談終了。あと2人…。

長年連れ添った金持ちのダンナとの、愛はなくとも安定した暮らしに慣れきっていたのに、いきなり借金取りが乗り込んできて「この家でこのまま暮らしたいなら俺と結婚しろ」と迫られて、べつにそっちと結婚してもいいんだけど、ダンナをはめたそのズルイやり方を見ているので信用できるハズもなく、しかし結婚しなければこの時期に予期していなかった波をかぶるのは必至で、考える時間も与えられず、途方に暮れるか弱い世間知らずの人妻の気分です、今。…って適当に書いてますが。

自分で覚悟して決めたのなら、波をかぶるどころか荒海に漕ぎ出すのも厭わないんだけど、こんなに急だとちょっと困る。ので柄にもなく優柔不断になってしまい、とりあえず金持ちダンナに相談したら「借金取りと結婚しても怒ったりしない。それに戻りたくなったらいつでも戻っていい。待っているから」と優しい言葉をかけられた。愛がないと思っていただけに、その言葉はちょっと意外で、不覚にも涙がこぼれそうになった。その優しさに甘えようかとも思うが、しかしどうも借金取りがいい加減で口先だけの男ではないかという予感がある。結婚してころっと態度を変えられたんじゃたまらない。同じ暮らしを続けたいなら闘わねばならず、今までそうゆうのは避けて通ってきただけに気が重い。いっそどっちも捨てて、すっぱり独身に戻りたいくらい。

来週はこの家で唯一信頼できる味方の執事にも相談して、さらには借金取りとも闘わなくちゃ。もともとこういった方面での世間知らずは自覚していたし、他の人ならこんなに迷ったりしないのだろうと思うけど、そうゆうので迷うのがイヤだったから金持ちと結婚したのに。いつか捨てられる覚悟はしていたけど、まさか借金取りが来るなんて! 予測が甘かったよなーツクヅク。こうゆうどろどろ苦手なのにさー。今週は同じ運命に巻き込まれた二号さんと対策を練っているうちに終わっちゃった気がします。我ながら余りにも情けないので、週末を使ってゆっくり浮上予定。暗くてゴメンよ。まったく何をやっているんだか。

えーっと。全部、仕事の話ですよん。念のため。

2001.10.11

自分の仕事の形態について、少なくとも3者と話し合ったり決断をしたりしなくちゃいけなくなってしまって、それが非常に鬱陶しい。私は今、そんなコトに煩わされたくはないんだけど、自活している以上そうも言ってられず…。ああ面倒くさい。

先日なんでだか急に、もう何年も前のNZでの学校生活をいろいろと思い出していた。私の通っていた語学学校では、クラスのレベルにかかわらず英語以外使ってはいけない決まりがあった。上級クラスの生徒はいい。しかし初心者クラスを中心に、あまり英会話が得意でない人間たちにとっては、簡単な会話を成り立たせるだけでも大変だった。それでもお互いに理解しよう、させようという気があれば何とかなるもので、そのうち段々と言葉を覚えていくのだけれども、やはり奇妙なやり取りやいい間違いは学校中に溢れていた。例えば卒業していく仲良しに「I'll never forget you(あなたのことは忘れません).」とメッセージを送ろうと思ったのに、大事な“never”を落として「I'll forget you(あなたのことは忘れます).」とやっちゃって大笑いされたりとか(私じゃないよ!)、そんなエピソードには事欠かなかった。

私が妙にはっきりと思い出したのは、そんなほほえましいエピソードの一つだった。そのとき私はスイス人の男のコと二人で話していた。そのときは彼も私も上級者クラスにいたので、会話はそれなりにスムーズだった。私はNZのカロリーたっぷりの食事で順調に体重を増加させていた頃だったので、「日本食と違うから最近太っちゃって…」みたいな話をしていたと思う。彼は「そんなに気にしなくても大丈夫だよ」と言ってくれようとしたのだ。それは分かっている。しかし上級者クラスにいるとはいえ、いかんせん彼はネイティブではなかった。「そんなコトないよ! You are too …」 ここで、彼は詰まってしまった。

単語をド忘れしたとき、言わんとした対象をよく観察すれば言葉が出てくるコトもある。彼はそうしようとしたのだ。一生懸命だったから、つい気配りを忘れたのだろう。彼は「ちょっと! そんな露骨な視線で見られたコトないよ!」ってくらいのロコツな視線で私の体をなめるように見て、こう続けた。「…You are too flat.

その言葉の直前に彼の視線が向いていた場所を考えれば、なぜその単語が口をついて出たのかは明らかで、明らかすぎて、いやもう怒る気にもならないくらい余りにも正直な彼の反応がおかしくておかしくて。次の瞬間、私は大爆笑していた。彼もすぐに失言に気付いたようで「いや、違う、そうじゃなくて…」と必死に弁解しようとしていたが、どうもパニックになって言葉が出てこないらしい。「flatって…せめてskinnyくらい言えないのー!」と笑いの息の下から私が言うと、「そう! それ! skinnyって言いたかったんだ!」と必死になって飛びついてくる。それがまたおかしくておかしくて。

その後2〜3日、他の友達や先生に「彼は私のコトをflatって言ったんだよー、失礼だと思わないー?」と言いつけて苛めたのは言うまでもない。………って、もう少しいいコト思い出せよ>私。

2001.10.9

期待なんぞしていなかったけど、やっぱりがっかりモノのドラマ版『西洋骨董洋菓子店』。チャンネルをあちこちに適当に合わせていたら、ちょうどオープニングが流れていて、妹と「も、もしやコレは例の…」「見る?」「…一応」とおっかなびっくりで見始める。しかしトロい。何なんだ、この展開のトロさは。まさか原作のまったりした独特の雰囲気を表しているつもりなんじゃあるまいな。「こんな趣味の悪い店、Antiqueじゃなーい!」「ケーキが安っぽい!」「なんで小野があんなに偉そうなんだー! 自信に満ち溢れた小野なんか小野じゃないっ」「橘の腰が低すぎるよぅ…」と文句を言いながらも30分ほど見ていたが、結局「もういいよね」「うん…」とチャンネルを変えた。あーあ。

細部に文句をつけておいてなんなんだが、そんなコトはいいのだ。別に原作にはいない人物を出すなとか、違うエピソードを付け加えるな、とか言っているのではない。現在2巻までしか出ていない原作で11回だか12回だかのドラマを作るのだったら、工夫するのは仕方ないし当たり前だと思う。わからないのはテレビ局が原作を選んだ理由だ。どこら辺に魅力を感じて(どの辺で受けると思って)選んだのか。設定がちょっと変わってて目新しくって、じゃあタッキーでも出せば視聴率稼げるかってだけで作っているのなら、あまりにも原作をバカにしすぎている。原作に対する思い入れってゆうか、愛情はないのかよぅ! 他の誰がつまらないと言おうが、オレはこれが面白いと思うんだ! どうだ! くらいの勢いの作品を期待するのは間違っているんだろうか。それともそうゆう姿勢ってプロとしては失格なのかなぁ…。でも作り手が面白いと思ってないのに、受け取り手が楽しめるワケないと思うんだけど。

マンガの話になるけど、獸木野生さんの『パーム』シリーズなんかは作者の愛情だけで成り立っている話だと思う。だけでと言うと語弊があるかもしれない。『パーム』シリーズは物語の細部までよく作りこまれているし、登場人物にも魅力的な人間が多い。ただそれらは技術で作られているんじゃない。獸木野生さんがそれだけ深く、重く、パームを愛しているから、他人の評価に踊らされないほどに“ホントのパーム”をしっかりと持っているから、だからこそ人を魅きつける作品が出来るのだ。瞬間的な読者の評価に一喜一憂して物語の完成度は犠牲にする、少年誌に掲載されているような作品群とは対極にあるといえよう。同じような作者の愛情を感じる作品には、BELNEさんの『蒼の男』シリーズがある(←これは『パーム』以上に万人には薦められないんだけど)。これも作者の愛情の深さに、一度足を踏み入れたら引きずりこまれるドロ沼タイプの作品。

うおー、ノッてきたぞぅ。前から書こう書こうと思っていた「同人誌について」をまとめたくなってきちゃった。でもあの話も一言では済まないもんなー。ちょっと今はまとめる時間がないので、また今度改めて。くそぅ、せっかくノッたのにぃ!

2001.10.7

やらねばならないコトがはかどらず、家でウツウツとしていたら帰ってきた妹に「駅前が賑わっているから遊びに行こう」と誘われる。そういえば今日と明日は街で年に一度のお祭りがあるのだった。いい気分転換か、と思ってぷらっと外出。5月にも似たような雰囲気のお祭りはあったけど、今回のはもう少し大がかりだ。駅前ロータリーにはステージが作られ、黒人のキレイなお姉ちゃんが美声を響かせている。うわー。リズムの取り方がカッコいいよぅ。見惚れる。

私の居住地は遊びに行くにはいいけど住むには適さないトコロだ。商店街らしい商店街がないので八百屋や魚屋や肉屋が少なく、自炊生活者にはちょっとキビしい。それでも土地柄のせいかお祭りのムードは縁日のそれとは一線を画していて、そこだけはけっこう気に入っている。いや縁日は好きだ。金魚すくいに綿あめにアンズあめ、射的、たこ焼き…一年に一度は味わいたいムード。それはそれでいい。近所のはもうちょいヨーロッパチック。ワインにチーズにサーモンマリネ。かなりの人出でワインボトルを並べているグループだって多いのに、なぜか花見のときのようにバカ騒ぎをしている人はいなくて気持ちいい。こうゆう賑わいはキライじゃない。

出かけたついでに屋台で夕食を済ませ、お茶を飲んで帰宅する。よっしゃ、もう一息がんばろう。

2001.10.5

あ"あ"ああああっ! 三谷幸喜さんの新作芝居のチケットが取れませんっ! 抽選に外れて、優先予約でも一般前売りでもクレジットカードのサービスでも電話が通じず、通じたときには完売。どうしろと。あと残る手段は当日券だけど、これも電話が通じなくては無理なので、入手できる可能性は限りなく低い。ああ誰か「友達と手分けして予約したら枚数が余っちゃったのー。分けてあげてもよくってよ」って方はいませんか。多少なら色もつけます。藁にもすがる気持ちです、今。

どんなにチケット入手が困難な舞台でも、コネでチケット回してもらうヤツはきっといるんだよなーと思うと腹が立つ。そんなに好きでもないくせにさ! 前からかねがね思っていたんだけど、人気の舞台には“情熱割り当て”分のチケットを作って欲しい。要はどれだけその舞台を見たいかって熱意の順にチケットを出して欲しいのだ。想いの熱さを決めるのは劇場関係者じゃなくて、演出家でね。それならば負けても諦めがつく。つけてみせる。そして私は今回の舞台をどれほど見たいか、原稿用紙10枚だろうが20枚だろうが情熱を込めて書き綴る用意がある! ああ、今回は八嶋さんも出るというのに!

情熱といえば、この前友人と、“終わりそうで終わらないマンガ”の話をしていたら『ガラスの仮面』の名前が出てきた。昔ハマッたこの作品だが、最終章に入ってからの展開の、あまりののろさに熱も冷め、最近ではどうなっているのか、そもそも連載が続いているのかさえも知らない。私的にはさっさと亜弓さんに紅天女をやらせて終わらせてくれればそれでいい、そんな存在のハズだった。それなのに、その展開ののろさにちょっと言及したとたんにタガが外れ、気がつくと北島マヤと速水真澄と詩織さまの三角関係がいかに不毛で腹が立つか、更にはその罪は誰にあるのかについて、長々と熱弁をふるっていた。興奮しすぎて口がついていかなくなって、ロレツが回らなくなるほどに。あの熱情はどこからくるのかと言えば、やはりまだある種のが残っているのだろうなぁ。『ガラスの仮面』に。

だいたい美内すずえは、ライバルの亜弓さんが成長しすぎてしまって、このままではマヤが追いつけないという、たったそれだけの理由で亜弓さんの目をつぶしやがったと思う。卑怯だ。それに弱っている彼女につけこむフランス人のカメラマンだかジャーナリストだかも気に喰わない。亜弓さんに何をさせる気だ、美内すずえ! ………って、だめだ、やっぱり語り始めると理性がなくなる。うーむ、今現在の好き嫌いとは別に、思い入れのあるマンガってあるんだなぁ。すごいや。…ちなみにね、あと一個だけ言うとね、一番悪いのは大都芸能のロリコン男だと思うの。雰囲気だけで失言を繰り返す考えなし坊やです、彼は。

2001.10.4

うおう。5000アクセス達成してるでないですか! いやキリ番企画なぞはやる気なかったけど、それでもまあ区切りとして5000くらいは気にしてようかと思ってたのに。日数で割ると1日20ちょい。星の数ほどある個人サイト世界のほんっの片隅で細々と存在している感がありますが、ここまで続いたのも仲良くしてくれたり読みに来てくれたりする皆さんのおかげです。ありがとう。

前にもちょこっと書いたけど、私が書くテキストは記録ではなく、曖昧な“誰か”に宛てた手紙なのです。ときにはもう少し明確な“誰か”に宛てるコトもありますけど。でもとにかく読んでもらってなんぼなのです。だから反応が全然なかったらとっくに止めてしまっていたと思います。私の書くのは愚痴だったり、悔しかったコトだったり、嬉しかったコトだったり、たまには考えこんだコトだったり、とりとめもないものばかりではありますが、そのどこかを気に入って読んでくれている人がいるというのは、ホントに嬉しい。サイト開設当初から読みつづけてくれている方も、最近よく訪ねてくれる方も、手紙を受け取ってくれてありがとうです。

うーん、ありがとうしか言えないなぁ。あ、あとちょっと図々しいコト言っちゃうと…気が向いたら、私の手紙への返事をくれると嬉しいなーっと。最近ちょっとアクセス増えてるみたいなのに、全然実感ないんですよねー。私も人のサイトを半年以上読みつづけてからやっと感想メールを出したりするんで、あんま大きな声ではお願いできないんですが。だからちっちゃな声で、よろしく。ね? 一応掲示板もありますんで。そいでは、これからもひっそりと、当分は続けて参りますんで、よろしくお願いします。

2001.10.3

ふと「人生に疲れた」とか「アイが欲しい」とか呟いてしまいたくなるような、そんな気分。継続は力なり、続けるコトが才能だ、と言うけれども、そしてそれはたいていの場合に本当だろうと思うけれども、それならば私に足りないのは意思の力か。間違った努力をしているのか、そもそも努力が足りないのか。…って99%後者だろうな。わかっているならガンバレば? わかってても弱音を吐きたいときもあるんだよ! …などとやっていたら、お風呂タイムに読んだ白井恵理子さんのマンガに「能力もないくせに無駄に悩んでる人っているよね〜」と書いてあって、ぐっさり。キツい、キツすぎるよーこの人。そんなコトを4コマギャグマンガの隅っこにあっさり書くなよなーもう。命綱をにっこりぷっつり切られたみたいじゃないよぅ。

「人のコトを思いやるなんて傲慢なんじゃないかと思うんです。でも自分が傲慢じゃないかと思う自分って可愛いなぁと思って、でも自分が可愛いと思うなんてやっぱり傲慢のような気がして、でも自分が可愛いと思う自分を傲慢だと思うのはやっぱり可愛いような気がして、しまいには愛しくて愛しくてたまらなくなって自分をぎゅっと抱きしめたくなるんです」みたいなコトを言っていたのは明智抄さんの『始末人シリーズ』に出てくる天才少年だったか。さすがに自分を可愛いと抱きしめる心境にまでは至らないが、私がどん底にあまり長く留まらないのはくだんの彼に通じる要素を持っているからだろう。私は自分に甘い。

それは悪いコトではなく、自分をコントロールするのにはある程度の甘さも必要だとは思う。しかしある程度。どこまでもどこまでも際限なく甘くなってしまったら、最終的にはきっと自分がキライになる。だから踏ん張れ。もう少し。

2001.10.1

週末の旅行でくたくた。遊び疲れなんで満足ですが。風邪もいつの間にか消えてくれ、いつものように体を酷使して遊び倒すことができましたが、行きの新幹線で車内販売のカートを見た呑んべの友人に「To-ko、ビールあるよ。買わなくていいの?……大丈夫?」と言われた時には、(ひょっとしてアル中だと思われているんだろうか…)と心配になりました。

さて天気に恵まれた土曜日は待望の露天風呂へ。ここは山の向こうの温泉で、登山口から2時間半ほど歩いていかねばなりません。2時間半と言っても、峰をひとつ越えるので行きも帰りも登って降りる形になりますし、足場も岩がゴロゴロしていて悪いので、運動不足気味の私にとっちゃあ大変です。「ひー筋肉が、筋肉が!」と悲鳴をあげつつも、予定通り11時頃に温泉到着。午後は宿泊客専用になってしまうので、どうしてもこの時間には着かねばならないのでした。

さっそく山小屋のおばさんに日帰りでお湯を使わせてもらいたい旨を伝えます。すると「あらー露天は混浴になっちゃうのよねー。女の子だと内風呂なのよ?」と妙に心配そう。この前来たときにいたおばさんは「露天は混浴だけど入っちゃえば? 私いっつも平気で入っちゃうのよー、はっはっはー」と豪快だったのに、今度のおばさんは繊細(?)です。「いえ、露天の方に入りたいんですけど」「でも、水着はお断りしてるのよ」「…あ、もともと持ってきてませんから平気です」「そう? それなら…」。ここまで「いいの? ホントにいいの?」オーラを発せられると、よっぽど強烈なのかと考えてしまうではないですか。強烈ってどんなよ。

そしていざ、初体験の混浴露天風呂へ。えーっと…混浴でも入りやすいのと入りにくいのがあると思うんですが、多分あれは入りにくい方ではないかと。中が一緒でも脱衣所が別々だとかなり楽だと思うんですよ。まあ山小屋なので、多分一緒だな、と覚悟をしては行ったんですが、脱衣所とお風呂の間にワンクッションもないってところまでは予想していませんでした。間を仕切る板壁もなにもないので、服を脱ぐところから丸見えです。うひゃあ。…でも、仕方ない。女は度胸! うりゃっ!

先に入っていた男性陣も、男同士でくつろいでいたところにいきなり私たちが入ってきてびっくりしていたようで、ちょっと申し訳なかったです。「すみませーん、お邪魔します」「…いえいえ、どうぞ、ご遠慮なく」みたいな奇妙な挨拶を交わして、お風呂の端と端にキレイに分かれてしまいました。そっちに背を向けてしまえば、あとは普通の温泉とたいして変わりゃしません。目の前には山々がくっきり浮かび上がっているし、空はいかにも秋、で高いし、空気も気持ちいいし、山の温泉満喫。これが夜だとまた違う風で面白いだろうなーと、一度泊まりに来たくなりました。星空もキレイだろうなぁ。

旅の恥はかき捨て、と言いますが、私はあちこちでぽろぽろと恥をこぼして来たので、もう捨てる恥があまり残っていないんじゃないかと不安になります。が、その辺は深く考えるのはやめて、あとはお弁当を食べて、また来た道をえっちらおっちら歩いて帰りました。あー気持ちよくてよかったなーっと。

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