希望よりも大幅に日程を短縮しなくちゃいけなかったけど、何とか11月にケアンズに行けそう。ふふー嬉しい。4人で行くのでコンドミニアムを使用できるのもまた楽しみ。それにダイビング! 天気さえ良かったら3ダイブはできるだろう。あの海にまた潜れるのかと思うと…うわ、今からわくわくしちゃうじゃないか。そしてもし天気が良かったら、来週末には熱海あたりに練習に行く。ちょっと怖いけど、ブランクダイバーのためのリフレッシュコースがあるらしいから何とかがんばろう。日本ではまだ潜ったことがないので、これまた楽しみ。冷えた体を温めに温泉にも行こう。海の幸も楽しもう。
と楽しい予定は盛りだくさんなのだが、以下、愚痴。ここ何週間かずっと仕事がキツくてまいった。量ではなくて質で。しかも悪い意味で。自分の力量を超える仕事をもらったのならまだいい。まあ程度にもよるけど。しかし今回のは違う。最初っからちゃんと見通しを立てて動けば一度で済んだ仕事を、何回も何回もやり直さなければいけないこのつらさ。そりゃ納期が迫ってあせるのはわかる。でも少し落ち着こうよ。1つ1つ片付けていけば終わるんだって。なのに1つが終わらないうちにあれもこれも手を出して、結局何も終わらないまま。最悪。人が「こうするとここに狂いが出てきて結果が食い違いますから修正しますか?」と言っているのに「いや修正すると時間がかかるからそのまま進めてくれ」と注文したくせに、あとで「結果が食い違っているのはどうしてだ」とパニクるのはやめてえ。結局修正することになって二度手間なんだって。ひー。
集中すればほとんど残業しなくても済むくらいの量だったから、体はそんなに疲れていなかったけど、イライラしっぱなしでストレスが蓄積。ただでさえ慢性肩こりを患っているのに、いつも以上に肩と腰がはって寝ても治らない。そんな疲れのピークが昨日の夜に出てしまい、家につくなり倒れこんだ私の視界にコルクボードに貼った一枚のちらしが……「台湾式エステ(マッサージ)。疲れが取れない、肩や腰がツラいあなたへ。」 以前友人が薦めてくれた店だ。うわ、誘われる、誘われてるよぅ。
思わずふらふらと電話を取り上げ、予約の番号にかける。すると答えた人のイントネーションが微妙に違った。日本人じゃない→本場の人→上手いハズ! とあまりにも安直な連想が働き、ちょっと聞いてみるだけのつもりだったのに気が付くと全身90分、足ツボ30分のたっぷりコースを予約していた。13,125円なり。うひー金ないのに。国内旅行と海外旅行とダイビングが待っているのに、こんな一時の快楽のために1万以上使うなんて! エステが女のソープだって言われるのが納得できるなあ。しかし疲れて思考力が働かなくなっているときって、衝動買いをしたりして財布を軽くしちゃうのはどうしてだろう。なぜだろう。
「安い本をみつけると買わずにいられなくなって何万冊にもなったんだ〜」「おれは百円均一コーナーが好きで均一棚を見ると片っ端から買い占めたぞ〜」「おれもいつか読もういつか読もうと思いつつ読まない本を数千冊集めた〜」「おれは増えすぎた本を売ろうと思って古本屋に持ってった/だけど古くて汚すぎるって言われてどこも買ってくれなかった」「古本屋〜おれの本を買え〜」 −諸星大二郎『栞と紙魚子と夜の魚』より−
この古本マニアの怨霊の台詞が妙にツボにはまって、大笑いしてしまった。わかる、わかるなぁ。私は欲望のままに本を買うと大変なことになるので意識的にセーブしていて、何度も読み返したい本だけを買うのだけれど、本に対する所有欲が私よりも強い人はたくさんいる。妹なんかその仲間で、彼女もこんな怨霊になるんじゃなかろうかと姉としては心配だ。以前、実家に預かってもらっている本が増えすぎたので少し減らしてくれないか、と母が言ったときは大変だった。私も、一度読んだきりで読み返しもしない妹の本が私のスペースを圧迫しているのが気に食わなかったので、少し処分させようとしたんだけど、もう…。
しかも途中のどこかで話がズレて藤田和日郎の『うしおととら』(全33巻。邪魔っけ)が蔵書に値するかどうかのケンカに発展。「だいたいうしおは甘いんだよ! 世界を救うとか言ってるくせに! 最初は調子にのってるくせに状況がキツくなったとたんに母さん母さんって、覚悟ができてないんだよ!」「しょうがないじゃん、子供なんだから!」「じゃあ子供に世界を救わせようなんて設定作った作者がダメなんだよ! あの人の正義ってなんかいやらしくてキライ!」(後略。)もう売り言葉に買い言葉。話をもってきた母親が困ってしまって「何も無理に処分しなくてもいいよ…」と言うくらいに。大人のするケンカじゃないってば、まったく。
でも私にも本の所有欲はある。妹ほど間口が広くないだけ。好きな作家の作品は絶対に手放したくないし、相当の数も持っていると思う。だからスペースさえあればどんなに本があってもいい。妹には「私に口出しされたくなかったら自分で書庫を建てろ」と言ってあるが、ホントは私も書庫が欲しい。大きすぎる家に興味はないけど、外国のお屋敷にあるような広ーい、天井の高い書庫には魅かれる。上の本を取るときは、はしごを使わなくちゃいけないの。部屋の空気がセピア色で。あーいいなぁ。その本棚に並ぶのは革表紙の立派な本じゃなく小説やマンガ本で、イメージを損ねるかも知れないが、それもまた良し。
…こんな妄想を描いてうっとりしているようでは、私も本マニアの怨霊になっちゃうかも知れません。
妹と『サイレントヒル』をプレイしてわかったこと。妹も私に負けず劣らず怖がりだ。2人でガタガタなるロッカーに怯えたり突然鳴り出す電話に心臓止めかけたり、週末の我が家はプチお化け屋敷状態。いや下手なお化け屋敷よりも怖かったかも。
昨日は久しぶりに芝居を観に行った。知らない劇団だが、劇団のメインが元惑星ピスタチオのメンバーだったらしい。と言われても多分脇役だけを、しかもそう長くもやらないで辞めてしまったみたいで、全然記憶にない。何度かは観ているハズなのだが、主役級以外には目もくれていなかったのだなぁと実感。いや脇役でも目立つ人だっているんだけど。だからその人が目当てだったワケではなく、他の劇団が同じ演目をやっていたので比べてみたくなっただけ。同じ目的で総勢6人が集まった。
結果。けっこう面白かった。スピード感があったし迫力もあった。すごく頑張っていたのもわかる。ピスタチオの影響も多々見られるけど、芝居の内容とも合っていたのであまり気にならなかった。だけど、もう一つの劇団と比べると、私はもう一つの方が好きだった。今回のは勢いだけで押してた気がする。それだけの勢いはあったから違うのを知らなかったら素直に「面白かった」で済んだかもしれない。でも原作のマンガの雰囲気をどちらが掴んでいたかというと、も一つの方に軍配があがる。あと男性陣は迫力があったけど女性陣がつまらなすぎた。もっと面白くできる役だと思うのに。カムカムミニキーナの藤田記子さんを見習って欲しい。ああいう汗だく芝居の中で女性役だけが「普通の女の子」をやっていても影が薄くなるだけだと思う。いっそ女役も男が演じたら面白かったんじゃないだろうか。
終わったあと喫茶店に入って6人で大盛り上がり。も一つの方を観たのは何年か前なのに、みんなよく覚えているなぁと感心。私も含めてだけど。そのうち、1人が私にパンフレットを手渡してきた。見るとダイビングツアーのパンフである。彼女(A)とその場にいたもう1人(B)と私と、あと昨日はいなかった1人(C)。この4人は旅行仲間で国内海外問わず今まで何回かの旅行を一緒にしている。AとCはつい最近ダイビングのCカード(免許みたいなもの)を取得したばかりである。私たちの間では、来年あたり沖縄にダイビングツアーに行こうかという話はあった。Aが渡して来たパンフレットも国内の伊豆中心のものだった。
中には『初心者ダイバー&ブランクダイバーのためのコース』ってのがある。AとCは初心者、私はブランクダイバーだ。私は来年の話だと思って「へえ、いいじゃん。」と気軽に言った。しかしAは「…ケアンズに行く前に、行っておきたいと思って。」と言い出すではないか! け、ケアンズって…。「え、ケアンズ、行くの!?」 確かに計画はあった。11月くらいに行けたらいいね、って話はした。しかしまだ決まってはいなかったハズ。「…行くんでしょ?」「いや行きたいよ、行きたいけど」「やっぱり最初のファンダイブが海外って不安じゃない」「うーん、まあ」「だからその前に」「でも11月前って9月か10月ってことでしょ? そんな暇…」「9月に山に行く計画があったでしょ、あれ海にしない?」「…ままま待って、そんな心の準備ってもんが…」
大げさだと思われるかも知れないが、ダイビングをするのには心の準備がいるのだ。あれは怖い遊びだと思う。1回潜っちゃえば楽しいのだけれど、私には水に対する恐怖心がちょっとあるのだ。せっかくCカードを取得したのにもったいないし、恐怖心を克服して楽しみたくはあったから、そのうちリフレッシュコースを受けるつもりではいた。しかしこんなに早く、しかも9月の海でとは! 「で、でもCカードを持ってないBさんがいるし」「大丈夫、シュノーケリングのコースがあるから」 だめだ、もう逃げられない。「To-ko、やりたくないの?」「いや…行くとおっしゃるなら…お供しますが…」
とりあえず今週1度会って、まずケアンズをどうするのか、そして9月は海に行くのか山に行くのか決めるつもり。なんだか慌しくなってきた。何にせよ、しばらく退屈する暇がないのは間違いない。
お弁当仲間たちとゲームの話で盛り上がってしまい、ゲームをいくつか衝動買いしてしまった。妹がいないからゲームができないと身悶えしなくちゃいけないのは、ウチに怖いゲームしかないからだと遅まきながら気付いたせいもあり。買ったのは「パラッパラッパー」とか古いのばかりだけど、あれのフリーマーケットに出てくるカエル先生にもう一度会いたくて。届くのが楽しみだ。しかし衝動買いをしたんだからその分稼ぎなさいね、とばかりに急な残業が入る。おかげでゲーム代分くらいは余分に働けたが、久しぶりの長時間残業はキツかった。残業って慣れだと思う。毎日続くと体も順応しちゃうけど、最近暇だったもんなぁ。
お盆に帰省したときに聞いた一言がちょっと引っかかっている。今は没交渉になっている私の幼馴染が口にした言葉だ。もともと親同士が友人だった縁なのだが、彼女の親がわたしの実家に遊びにくると聞いて、彼女は「あんなエリートの塊の家に行くのか!」と言ったそうなのだ。もちろんいい意味で言っているのではない。それを聞いたときは「そんなコト言っているのー? あははー」と流してしまったのだけど、日にちを置いた今になって、それに引っかかっている自分に気付く。エリートと言われたことがイヤなのではない。だいたいそれは事実じゃない。うちにエリートに相当する人間は一人もいない。
私が引っかかっているのは、そういう言葉を口にしてしまう彼女の精神状態だ。彼女とは一緒に育ったし、大人になってからも何度か会った。中学生のときだったか「親友ってどういうものだかわからないけど、もし私がそれを持っているとしたらTo-koたち(私と妹)みたいなもんじゃないかと思う」と言ったのも彼女だ。それを又聞きに聞いたとき、すごく嬉しかったのを覚えている。その彼女が同じ口で、さっきの言葉を吐いたのだ。それを思うと悲しい。大人になって働きだしてから、私は彼女に会うのがだんだんツラくなっていった。当時彼女はすごく苦しんでいたのだが、それは私にはどうすることもできないコトだった。会うたびに私にはどうしようもない問題の愚痴を繰り返し繰り返し聞くのに耐えられなくって、結局私は逃げたのだ。
多分今もその苦しみは続いているのだろう。私は彼女に会いに行く気はない。今も私には何もできない。シアワセになって欲しいと、ホントにそう思うけれども、私には人を救えるような力はないのだ。彼女と一緒にドロ沼に沈む気がないというので責められるのであれば、その通り。私は冷たい。それでも私は彼女がキライじゃないし、そんな言葉を口にしたと聞くと、ただ悲しい。
宮部みゆきの『模倣犯』が面白い、と聞きつけたので早速図書館に行った。在庫は全部貸出中だったが、それは予測していたので予約票を受付に持っていく。係のおじさんはちらりと予約票に目を落とすと「あのーこれ予約が混み合ってますから遅くなりますよ」と断ってきた。まあそうだろう。人気があるみたいだし今すぐ読みたいワケでもないので別に構わない。それにしても以前やっぱり新しく出たばかりの本を予約して2ヶ月ばかり待たされたときには何にも言われなかったのに、親切な人だ。これはこっちも余裕を見せねばなるまい。「構いませんよー、急いでませんから」「1009番目になりますけど」「…ええっ!!」 それだけの人数が予約待ちの列に加われるのにもびっくりだけど、ちゃんと1009番目まで回ってくるかどうかも楽しみになってきたので、そのまま予約を入れて帰ってきた。とりあえず待ってみるつもり。さてどのくらいで来るだろう。
昨日銀行のATMにお金を下ろしに行った。銀行と言ってもATMが2台並んでいるだけの…なんと呼ぶんだろう。ATMコーナー? スペース? とにかくそういうとこ。行ってみると2台のうち右側をサラリーマン風の男性が、左側をおばさんが使っていた。おばさんは携帯を片手に持ち、大声でどこかに電話している。どうやら振込先口座がはっきりしないらしい。(列から離れて電話して、ちゃんと確認してから並びなおせばいいのに。こういう人がいるからすぐに混み合っちゃうんだよなー)と思いながらも大人しく並んでいたのだが、気になるコトに気付いた。右側の男性のさらに右側の空スペースにベビーカーがあって、そこに男の子が乗せられているのだ。
一瞬、その男性の子かとも思ったが、それにしちゃ気にしている様子がないし、どう見てもサラリーマンの彼が子連れなのも不自然だ。素直に考えれば、左側のおばさんの子だろう。しかし彼女もまったく気にしている様子がないのだ。普通、自分の足元にベビーカーを置かないか? それなのに彼女は左側の壁の方を向いて電話に一生懸命で、ちらりと視線を走らせもしない。(まさか誰かが忘れていったんじゃないよなー。こんな風に放っておいて、もし私が善からぬ人間だったらどうするんだ。今ならナイフで刺せちゃうぞ)とか物騒な心配をしているうちに、男性が用を済ませてATMを離れた。後に取り残されるベビーカー。私がATMに向かうのをためらっていると、乗っていた男の子が口を開いた。「ママー、まだおわらないの?」
やっぱりこの人の子供なんだ、良かった、と思うよりも早く、おばさんはくるっとその子の方に向き直って、すごい剣幕で怒鳴り始めた。「うるさいわねっ何でちょっと待ってられないのっ私がこんなに忙しいのにあんたは文句ばっかり言って! だいたいあんたはいつもいつもそうなんだからっ私が大変なのはわかるでしょ私をイライラさせないでよっ!!」 その後彼女はベビーカーを自分の手元に引き寄せ、私が出てゆくまでずっと同じような口調でその子を責めつづけていた。
こういう光景を見るととても悲しくなる。子供を持たない私には「私なら絶対やらない」と言い切れないし、できればその親子の悪い場面をたまたま見てしまっただけだと思いたい。でもあの口調を聞くとそうは思えないのだ。自分のストレスを手近にいる弱い者に押し付けているだけの、日常的にくり返される八つ当たりを感じてしまう。彼女だってそれで気分が晴れはしないだろうに。毎日理不尽な怒りをぶつけられ、呪詛の言葉を耳にして、あの子はどう育つのだろう。自分には踏み込めない問題なだけに、こういう瞬間を目にするたびにやりきれなく、とてもとてもつらくなる。
ああゲームにハマりたいのに妹が入れ替わりに帰省してしまって一人だし台風が来ていて今夜あたりから窓を揺らすだろうし、怖くて怖くてできません。私の心臓はノミの心臓です。毛も生えているけれど。…さて私は基本的に落としても壊れない丼のような人間ですが、それでも、いやだからこそ、壊れやすいガラス細工のような繊細なものに憧れます。壊れやすいものならいっそ壊してしまえというラフな人((C)川原泉『ミとソのスープ』)ではないつもりです。だから、今日は私のささやかな、か弱い部分をアピールしましょう。(←誰にだ。)
誰しも苦手なものはあると思います。月並みなトコロからいくと例の黒い虫がキライです。茶羽なら我慢もできますが、黒々としたのはダメです。カブトムシやクワガタみたいな固そうなのも苦手です。見た途端に悲鳴をあげるほどではありませんが、できれば触りたくありません。てか虫って全般にしみじみ眺めるものじゃないと思います。トンボもチョウも間近で見ると気持ち悪いです。ま、田舎育ちなんでそれなりの耐性はついているのですけど、ゴッキーだけは限界を超えます。うちの田舎はゴッキー生息の北限なので耐性がつくも何もなかったのです。慣れるものではないかも知れませんが。
ツタが壁一面に這っている家がイヤです。ツタの絡まるチャペルや洋館なんてのは、西洋チックな少女文学にはよく出てくる舞台で、子供の頃にはロマンチックなイメージを持っていたのですが、母と散歩した折に「ああいう家って寝ている間に窓からツタが入ってきて首を締められそうだからイヤ」と言われてからダメになっちゃいました。私の妄想癖は母親譲りなのです。今借りているアパートのベランダにも、ときどき庭から蔓植物が進入してきます。そのたびに絡みついた蔓を外すのが大変です。
電車の天井についている大型の扇風機が怖いです。しっかりとボルトで止めてあればいいのですが、旧式のだと根元がねじ込んである(ように見える)のがありましたよね。あれがダメ。羽があんなに回っているのだからネジが緩んで、そのうち落ちてくるのではないかと気が気ではありません。外れても羽の回転がすぐに止まるとは思えません。乗客の頭との距離はごくごく僅かです。頭に当たるときにはまだ羽が回っているでしょう。カバーがあるから首が飛ぶまではいかないでしょうけど、髪の毛くらいは巻き込まれるかもしれません。そう思うと扇風機の真下に立つのが怖くなります。いや真下には落ちないのか、慣性の法則はどう作用するのか、どっちに飛ぶのか…そんなコトを考えて扇風機の近くに立つのは避けるのですが、うっかり人の流れに押されて間近に行ってしまうと、頻繁に根元部分を確認せずにはいられません。最近あまり見かけなくなったおかげで、見上げ続けて首の後ろが痛くならずにすんで助かります。
極めつけに蓋を開けるのがダメです。これは子供の頃にハマった江戸川乱歩(ジュブナイル版)のせいです。あのシリーズのせいで幼い私の心には「石膏像の中には死体が入っている」とか「菊人形の展覧会があればその中の一体は本物の人間」とか「線路脇の二階建てアパートの窓からはピエロが覗いている」などという恐ろしいイメージが植えつけられたのですが、一番尾をひいているのが「箱を開けるとなにか怖いものが入っている」というコレです。押入れやロッカーが細く開いているのもなんとなく怖いものですが、ダメなのは蓋が地面と平行についているもの。お風呂の蓋とか洗濯機の蓋とか洋式トイレの蓋です。
しかしこれはあんまり長い間怖がってきたので、慣れてきてもいます。蓋を開けるたびに怖くてどきどきするようなコトはありません。でも一瞬イメージが浮かぶのです。お風呂は女性の死体が浮いているイメージ、洗濯機もやはり折りたたまれた女性の死体が詰まっているイメージが、蓋を開ける瞬間、ふと頭をよぎります。ただお風呂や洗濯機は、いつも、ではありません。一番強固なのは、やっぱりトイレです。蓋を開けると女性の顔が下から見上げているような気がします。だから怖い、と思わないくらいの短い瞬間。なぜ首だけなのかというとスペースの問題です。体は入らないだろうから。怖くないとはいえ、あまり見たいイメージ映像ではないので、なるべく便座の蓋があがっている個室を選ぶようにしています。
ことほど左様に、私はスリルに満ち溢れた生活を送っているワケです。……当初の目的のか弱い女性のイメージを描くことから遠ざかったような気がしないでもないです。こんなに書いたのにナゼだろう。
夏休み中に書きたいコトが貯まっていて、あれもこれも書こうと意気込んでいたのに一言も更新されていないのは、久しぶりのゲームを始めてしまったから。やっていたのは中古で買ったPSの『サイレントヒル』。無人の、しかし化け物がうろうろしている街を銃片手にうろつきまわり、いなくなった娘を探すアドベンチャーゲームだ。こういうゲームが下手なのには自信があるから、難易度は迷うことなくEASYを選ぶ。それでも化け物がいきなり出てくると、びっくりして銃の操作を忘れてしまう役立たずっぷり。EASYだから化け物の数は少ないはずだが、人気のない学校に入ったり扉を開けるだけで充分スリルがある。
おかげで夕暮れ時に外出するのが怖くて仕方ない。その時分の町の様子がゲームの色調とそっくりなのだ。一度は脇道か出てきた見知らぬお姉さんにびっくりして文字通り飛び上がってしまい、向こうまで驚かせてしまった。申し訳ないし恥ずかしい。夜も部屋の隅の暗がりにどきどきしてしまう。まったく妄想女王のくせにナゼこんな怖いゲームに手を出してしまったんだろう。って原因はわかっているんだけど。こちらのサイトの紹介文に説得されてしまったからだ。私はにゅうさんのゲーム紹介文が好きで、多分得意とするゲームのジャンルは違うんだろうなぁとわかっていても、新しいゲームをしたくなるとついこのサイトを訪ねてしまう。ご本人も書いているとおり、にゅうさんのゲーム紹介には愛があるんだもの。格闘ゲームなんてやったこともやりたいと思ったこともないけど、ここの『仮面ライダー』のレビューを読むとむらむらと衝動買いしてしまいたくなるくらいだ。
しかしどっぷり不健康な週末だったワケではなく、ちゃんと健康的なコトもした。泊まりにきた友人を送りがてらにちょっと散歩しようという話になって、小1時間くらいぷらぷらするつもりだったのに、気付くと3時間近く、距離にして9kmくらいは歩いてしまった。歩いたのは、都会生活の悲しさ、たとえ子供が溺れていても飛び込むのを躊躇せざるをえないようなきったないドブ川沿いの道だ。川に沿ってあともう2、3時間も歩けば東京湾まで出るから行こうかとも迷ったんだけど、友達の方の時間が切れてしまったし私も帰りが面倒になるので(さすがに歩いて帰る気はしない)断念。しかしアップダウンがなくのーんびり歩いていたとはいえ、あれだけ歩いてぴんぴんしている友達も私も、元気でいいと思う。←こんなコトでちょっとシアワセ。お手軽。
がん。よしながふみさんの『西洋骨董洋菓子店』がドラマ化されるって? うっわー、あの雰囲気が壊されないハズはないよぅ。原作よりいいモノに作り変えてくれるなら文句はないけど、ドラマ化されて成功するのって少ないんだもん。見ない方が精神衛生上無難だろうけど、気になってチェックして怒り狂いそう。ひー。
と東京に戻ってきて、いきなりのショックを受けてますTo-koです。ただいまです。すっかり田舎ボケしてます。帰省した土日こそ雨だったものの、雨男のお客人が帰ったとたんに天気予報を覆して晴れ渡り、最高の田舎日和を楽しめました。ベランダに椅子を出して昼間っからアルコールを口にしつつお気に入りのマンガを読む。ちょっと疲れて目を上げると目の前の山の緑は鮮やかで電線には赤とんぼがとまっていて、吹く風は気持ちよくて、聞こえるのは葉擦れの音と鳥の鳴く声。ああシアワセ。…って嘘じゃないんですけど、正確に言うならときどきアブがまとわりついてきて鬱陶しいし、深呼吸すると草や土のといっしょに鶏の混合餌や糞のニオイまで吸い込むハメになります。実家は小規模ながら養鶏もやっているのでした。ああそれに小バエもぷんぷんしてたっけ。まあ田舎なんてそんなもんです。それでもやっぱり気持ちは良かったですけどね。へへ。
実家に帰ると縦の物を横にもしない自堕落な生活を送る私ですが、今回はちょっとだけ行動的でした。というのも、東京で一人暮らしをしている母の母から「体を壊した」とSOSが入り、急遽母が上京してしまったからです。それで毎日しなくてはいけない野菜の収穫作業をちょっとだけ肩代わりして、トマトやきゅうりやいんげんやピーマンやなすをチェックして集めてまわりました。いやー毎日取れる取れる。嬉しいもんです。父母みたいに完璧田舎に引っ込んで農業したいとは思わないけど、ちっちゃな畑をいじれるくらいの生活をしたいなぁ、いつか。人間土から離れたらおしまいだよ!とどっかで強く思っている身としては。
あと車が使えるようになったので、友人とも夜に遊べるようになったし。でも夜の山道はすごく怖かった。カーブで先が見えなくて怖いだろうなーとかは事前に予想していたのですが、街灯なんぞ存在しない山の中では自分の車のライト以外なんにも見えなくて、バックミラーを見たら後部座席に人が座っていたらどうしよう、とかラジオを入れたら変な声が聞こえてきたらどうしよう、なんて予測もしていなかった怖さもありました。考えてみれば夜道をたった一人で車走らせるなんて初めてだったのです。そんなときに限って友人Yが「To-koさんちって13日の金曜日のジェイソンが出てきそうだよね」とか言ってたのを思い出しちゃうし。目の前を実際にコウモリが横切ったときにはギョッとしました。。夜道の運転は心臓に悪いです。
そう言えば熊が目撃されたという噂もあって、今回の帰省は妄想女王の私にとってなかなかスリリングだったかも知れません。犬の散歩をするときも川に遊びにいくときも、草むらからいきなり熊が出現したらどうしようかとドキドキしてました。かなり前から熊がいるって噂はあるんですけど、実際にいるのかどうかは謎です。イノシシは確実にいますけど。まあ幸いなコトに事故も起こさず幽霊にも会わず熊にも襲われずに無事に帰って参りました。休みはあっという間に終わってしまうのです。あーあ。